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<title>ピアノのブログ</title>
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<title>ジャズの歴史物語</title>
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<![CDATA[ ピアノは1853年､ヘンリー･スタインウェイによってアメリカに渡って以来､あたかも新しい生命を得たように別天地を切り拓きました｡<br><br>ジャズとの出会いです｡<br><br>1868年､ジャズの前身ともいわれたピアノ音楽､ラグタイム･ミュージックの名曲を数々作曲したスコット･ジョプリン(1868～1917)が誕生｡<br><br>南北戦争が終わって黒人奴隷が解放されたばかりのテキサス州に生まれた彼は､各地への巡演の旅を続けながら〈メイプル･リーフ･ラグ〉､〈エンターティナー〉など､次々にヒット曲を発表し､｢ラグタイム王｣と呼ばれるようになりました｡<br><br>これが1900年前後のことです｡<br><br>その後､ジャズはニューオーリンズを拠点に､ミシシッピ川を上りながら､様々な形で発展を遂げ､シカゴからニューヨークへとたどり着きます｡<br><br>その間にも､ジャズ誕生期とその発展に貢献したニューオーリンズの偉人ジェリー･ロール･モートン(1885～1941)､ジャズの神様デューク･エリントン(1899～1974)､ジャズ･ピアノの父アール･ハインズ(1905～83)､スウィング時代の第一人者テディ･ウィルソン(1912～86)､スウィングとモダンの架け橋的存在だったエロール･ガーナー(1921～77)など､多くの巨匠が輩出されました｡<br><br>そうした巨人の中でひときわ輝く星がバド･パウエル(1924～66)です｡<br><br>1920年代のディキシーランドに始まり､30～40年代にかけてのグレン･ミラー(1904～44)､ベニー･グッドマン(1909～86)に代表されるダンスを主たる目的としたスウィング･ジャズが全盛だった最中､ひっそりと楽団の一員として生活していた黒人達が夜な夜な集まって､自分達のための演奏を始めました｡<br><br>四〇年代中期に始まったこのムーヴメントは｢ビ･バップ｣と名づけられ､これが今のモダン･ジャズの原型を形作ります｡<br><br>人に楽しんでもらったり､踊ってもらう音楽ではなく､人に聴かせる音楽を作る｡<br><br>この意識こそが20世紀ジャズ､最大の革命だったのです｡<br><br>バド･パウエルはそうした意識のうえで､今までのスウィング･スタイルとは一線を画した独自の表現方法を開発します｡<br><br>
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<pubDate>Wed, 09 Jan 2013 09:53:59 +0900</pubDate>
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<title>どうして楽語はイタリア語？</title>
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<![CDATA[ ｆ(フォルテ=強く)､ｐ(ピアノ=弱く)などの強弱記号､｢アレグロ(快速に)｣｢アンダンテ(歩く速さで)｣などの速度記号､｢カンタービレ(歌うように)｣｢ドルチェ(優しく､甘く)｣などの発想記号には､確かにイタリア語のものが多いですね｡<br><br>イタリアが西洋音楽の中心だったバロック時代､こうした楽語はすでに､17世紀初めにイタリアで出版されたオルガン曲集などに見られたということです｡<br><br>しかも､これらのイタリア語は特別な音楽用語ではなく､日常の言葉｡<br><br>それを用いることによって､音楽のニュアンスを､分かりやすく簡潔に伝えているわけです｡<br><br>そしてその伝統が他国にも引き継がれ､イタリア語での表示がいわばスタンダードになりました｡<br><br>それが現代にも続いているのですが､もちろん､自国の言葉で表現しようとした作曲家達もいました｡<br><br>特に19世紀以降は､自国語でより詳しく発想標語を記すことが､好まれる傾向にあります｡<br><br>ピアノ曲から例をとると､ベートーヴェンのピアノ･ソナタ第ニ八番の第一楽章には､｢いくらか快活に､そして心からの感情をもって｣と､ドイツ語で記されていますし､ドビュッシーの《前奏曲集第一巻》より〈雪の上の足あと〉には､フランス語で｢トリスト･エ･ラン(悲しげに､そして､ゆっくりと)｣という指示が見られます｡<br><br>
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<pubDate>Fri, 28 Dec 2012 23:49:42 +0900</pubDate>
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<title>ピアノの進化と共に歩んだベートーヴェンのソナタ</title>
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<![CDATA[ ピアノが誕生し､どんどん改良が進んでいきましたが､作品にはどう反映していったのでしょうか？<br><br>また奏法についても変化があったのでしょうか？<br><br>ベートーヴェンが活躍した時代､ピアノの改良は著しく進みました｡<br><br>当時の鍵盤楽器(フォルテピアノ)は､現代のピアノに比べて､鍵盤の数がやや少なかったほか､タッチが軽く､また､ペダルの機構や音量についても違いがありました｡<br><br>さて､ベートーヴェンは､新たに開発されたピアノを､次々と手に入れるという幸運に恵まれました｡<br><br>というわけで､この質問に関しては､ベートーヴェンのピアノ･ソナタから､いくつか例を挙げることができます｡<br><br>1803年のこと､ベートーヴェンは､パリのエラール社からピアノを寄贈されました｡<br><br>五オクターブ半の音域と四本のペダルを備え､さらに､このピアノの内部に張られた一鍵に対する弦の数は､以前の二本よりも多く､三本でした｡<br><br>このピアノからベートーヴェン中期の名作が生まれたわけです｡<br><br>その一つ､ピアノ･ソナタ第21番《ワルトシュタイン》では､新しいピアノの豊かな音域と響きを誇示するように､第一楽章冒頭が低音域の和音の連続で始まりますし､ロンド楽章には､高音域での長いトリルが見られるほか､このピアノの最高音(四点ハ音=現代のピアノの最高音のドより､一オクターブ下にあるドの音)が登場します｡<br><br>一方､ペダルについて､ベートーヴェンの全三ニ曲のピアノ･ソナタには､彼のオリジナルのペダリングは決して多くは見られないので､細かなものまでチェックする必要があるでしょう｡<br><br>その中で､数小節にわたってずっとペダルを踏み続けるように指示された､異常に長いペダリングは注目されます｡<br><br>ピアノ･ソナタ第一七番《テンペスト》は､先に挙げたエラール社のピアノをベートーヴェンが入手する以前の作品ですが､その第一楽章で､六小節間ペダルを踏み続ける指示のある場面を､ベートーヴェンの弟子だったツェルニーは｢ホールの音響のペダル｣と呼んだそうです｡<br><br>彼によれば､演奏会場の空間に留まって漂っているような響きを､ベートーヴェンは望んだらしいのです｡<br><br>
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<pubDate>Fri, 28 Dec 2012 01:04:14 +0900</pubDate>
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<title>ピアノの進化と共に歩んだベートーヴェンのソナタ②</title>
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<![CDATA[ もう一つの例として､第二一番《ワルトシュタイン》のロンド楽章には､八小節間ペダルを踏続ける指示があります｡<br><br>この部分の演奏について､ピアニストのアルトゥール･シュナーベルは､｢ここでベートーヴェンは､トニカ(主和音)とドミナント(属和音)の一体化を望んでいる｡次の基音が来るまで､基音が常に響いているようにすべきだ｣と主張しついます｡<br><br>次に､ペダル記号だけでなく､文字によるペダリングの指示にも注目しましょう｡<br><br>ベートーヴェンは1818年､ピアノ･ソナタ第二九番《ハンマークラヴィーア》を作曲した頃に､ロンドン在住の知人達から､ロンドンのブロードウッド製の最新型のピアノをプレゼントされました｡<br><br>イギリス式アクションによるこのピアノは､低音域を拡大して全六オクターブとなっており､ペダルは二種類ついていました｡<br><br>ペダルについては､当時と現代とでは機構の違いがありますが､ここでは､現代のピアノでの演奏を前提に考えましょう｡<br><br>この第二九番《ハンマークラヴィーア》の第三楽章には､ソフト･ペダル(弱音ペダル)を使わないところ(tutte Iecorde)と､ソフト･ペダルを踏むところ(una corda)とが､細かく指示されています｡<br><br>さらに､ソフト･ペダルを数小節間ずっと踏む指示の例として､ピアノ･ソナタ第三一番第三楽章では､第一三一～一六八小節まで､ずっと｢ウナ･コルダ｣です｡<br><br>その間､短調から長調への転調､反行フーガの出現など､重要な場面転換があるにもかかわらず､です｡<br><br>しかし､ここでも､ベートーヴェンの何らかの意図を汲み取る試みをすべきでしょう｡<br><br>例えば静かな感動の中での場面転換を､彼は望んだのかも知れません｡<br><br>なお､これと同じような例ですが､ピアノ･ソナタ第二八番の緩徐楽章は､最初さらずっと｢ウナ･コルダ｣で続き､第二〇小節で｢だんだんトレ･コルデする｣という指示があります｡<br><br>これは､ソフト･ペダルを徐々に離すという意味で､当時の楽器では機構的に可能でしたが､現代のピアノでは演奏で､つまり指で､これを表現しなければなりません｡<br><br>
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<pubDate>Fri, 28 Dec 2012 01:03:34 +0900</pubDate>
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<title>かわった演奏法</title>
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<![CDATA[ ピアノは指と鍵盤とペダルで弾く､という常識は､20世紀に入って覆されました｡<br><br>アメリカの作曲家ヘンリー･アウエル(1897～1965)は､手のひらや腕で鍵盤の広い範囲を弾く(というより押さえる)｢トーン･クラスター｣という奏法を考案しました｡<br><br>これは彼がまだ15歳の頃だったそうです｡<br><br>また彼は､ピアノの内部にまで目を向けて､内部に張られた弦を手で直接触り､はじいたり､叩いたり､爪でかき鳴らしたりすることも考え出しました｡<br><br>これは｢内部奏法｣と呼ばれます｡<br><br>この奏法をさらに発展させたのが､カウエルの弟子だったジョン･ケージが1940年頃に創案した｢プリペアード･ピアノ｣です｡<br><br>これは､ピアノの内部の弦やハンマーに､消しゴムやボルトなど､様々な異物をはさみこんで､音を変質させたピアノのこと｡<br><br>演奏する前に準備が必要なことから､｢プリペアード｣という言葉が使われたのです｡<br><br>これによってピアノの音色やタッチが変わり､また､ピッチが変わって微分音が生じたりします｡<br><br>弦に直接触れることで､ピアノの鍵盤上にはない音程､つまり半音よりも狭い音程(=微分音)を出すことができるのです｡<br><br>ほかに､弦を打楽器の撥(ばち)で叩いたり､ピアノの胴体や屋根を手で叩く､などの奏法もあります｡<br><br>また､譜面に指示された音の弦を手で押さえながら､もう一方の手でその音の鍵盤を叩いて､打楽器のような特殊な音を出すこともあります｡<br><br>なお､これらの奏法については､ピアノを傷めることになるので､ホールからピアノの使用許可が出にくい､という問題があります｡<br><br><br>
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<pubDate>Thu, 27 Dec 2012 01:00:41 +0900</pubDate>
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<title>ジャズ･ピアノもクラシック･ピアノも…</title>
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<![CDATA[ 指の動きやペダルに関して､テクニックの基本的なところはほとんど同じです｡<br><br>大きな違いは､演奏そのものよりも､演奏が成立する前提と環境にあるといえるでしょう｡<br><br>つまり､クラシック･ピアノは､楽譜があって成立するという大前提があり､譜面に忠実に弾くことが原則です｡<br><br>それに対してジャズ･ピアノは､楽譜がなく(あったとしても細部の指示はさほど厳密ではありません)､自由な即興演奏が前提とされるスタイルであり､同じ曲でも演奏のつど､音やリズムなどに違いがあっても疑問は生じません｡<br><br>環境については､クラシック･ピアノが､曲中の拍手がご法度なのはもちろん､咳払いさえもためらわれる静かなコンサートホールで演奏するために､一音一音を繊細に作り上げていくのに対し､ジャズ･ピアノの会場は､おしゃべりも途中の拍手もＯＫ､場合によっては飲食もできる､くつろげる場所｡<br><br>ですから､音量の調節は良い意味で大ざっぱでよく､ジャズ･ピアニストは､会場の雰囲気を盛り上げることにも力を入れます｡<br><br>詳しくは後述で…<br><br>
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<pubDate>Wed, 26 Dec 2012 11:10:23 +0900</pubDate>
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<title>一音も弾かないピアノ曲がある？</title>
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<![CDATA[ それはジョン･ケージ(1912～92)が1952年に書いた｢四分三三秒｣という曲です｡<br><br>ステージに登場した演奏者が一定の時間､一音も出さずに退場するというもので､その間に会場で聞こえてくる雑音や聴衆の発する音などが､すなわち音楽だ､という考えのもとに作られました｡<br><br>実際は楽器の編成も演奏時間も任意で､楽譜には｢休止｣という指示があるのですが､これをニューヨークで初演したピアニストのデヴィッド･テュードア(1926～96)が､ピアノの前に座って指示通り何もしないでいた時間が､四分三三秒だったことから､この題名となりました｡<br><br>つまり､ほかのピアニストが違う時間で演奏すれば､題名の時間表示も変わるわけで､何通りもの題名があることになります｡<br><br>このことは曲の譜面にも記されています｡<br><br>さらに､譜面には三つの楽章の表示まであり､それぞれの楽章に割り当てる時間も､演奏者の自由に任されています｡<br><br>ケージの音楽思想の中には､偶然性の音楽､不確定性の音楽､というものがありましたが､その象徴的な作品といえます｡<br><br>ちなみに､ピアニストに詩や呪文を唱えさせたり､ピアニストに演技もさせる作品などもあります｡<br><br>
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<pubDate>Wed, 26 Dec 2012 09:21:14 +0900</pubDate>
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<title>｢18時間｣これ何の数字？</title>
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<![CDATA[ 数あるピアノ曲の中で特に長い曲は､フランスの作曲家エリック･サティ(1866～1925)の《ヴェクサシオン》｡<br><br>演奏時間が１分半もないほどの､平易で短いフレーズを､840回も繰り返すという曲です｡<br><br>しかも｢ゆっくりと｣という指示があるので､全体の演奏時間は､およそ18時間ほどになります｡<br><br>何人かの演奏者が交替で､マラソン･コンサートのような形で演奏したこともあるようです｡<br><br>なお､題名の｢ヴェクサシオン｣は､フランス語で｢いやがらせ｣｢侮辱｣を意味します｡<br><br>反対に､特に短いピアノ曲として有名なのは､ショパンの前奏曲第七番(《24の前奏曲》作品28より)で､演奏時間はおよそ40秒｡<br><br>18時間と40秒､同じ｢一曲｣なのにスゴイ差です｡<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 18:24:35 +0900</pubDate>
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<title>譜めくりの始まり</title>
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<![CDATA[ ピアノが伴奏を務める演奏会では､ピアニストの横にある椅子にただ座って､たまに立ち上がる人がいます｡<br><br>彼らが行っているのは｢譜めくり｣という行為は楽譜が誕生したあたりから始まりました｡<br><br>だいたいがお弟子さんや関係者の方が行っています｡<br><br>速すぎず､遅すぎない絶妙なタイミングでめくらなければならないため､息が合っている人でないと務まりません｡<br><br>ちなみに現在では､ソロの場合は暗譜で弾く人が多く､楽譜を置いている人はほとんどいません｡<br><br>しかし以前は楽譜を置いて弾くというのが一般的でした｡<br><br>たとえ暗譜をしていたとしても､｢作曲者に対して失礼｣として､準備するのが普通でしたが､クララ･シューマンの時代から現在のようなスタイルになったようです｡<br><br>
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<pubDate>Sat, 22 Dec 2012 23:50:56 +0900</pubDate>
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<title>プロの調律師の誕生はいつ？</title>
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<![CDATA[ ピアノが誕生する前､チェンバロが主流だった時代は演奏者自身が調律をしていたと思われます｡<br><br>しかし､ピアノが発明されて改良が進行するに伴い､中身が複雑になったり､ピアノ弦の張力が強くなってきました｡<br><br>すると簡単に中をいじることができず､演奏者が調律を行うことが困難になってきました｡<br><br>つまり､｢ピアノ｣という楽器の誕生によって､調律を専門に行う人が出てきたのです｡<br><br>音程の高低が分かるからと､見よう見まねで手を加えてみても､いい状態を維持することが難しく､すぐに狂ってしまいます｡<br><br>やはり専門的な技術や知識を身につけ､経験を積んでいないと満足な調律はできません｡<br><br>日本で調律が行われるようになったのは､メーソンが来日､滞在していた時期でしょう｡<br><br>彼は1880年から約二年間滞在しました｡<br><br>その来日時に持参したクナーベ製のアップライトピアノを修復したとき､鍵盤名を書いたチューニングピン化粧板には､漢数字が書かれていました｡<br><br>もしアメリカで書かれたのであれば､アラビア数字が記入されているはず｡<br><br>つまり､日本人に調律を教えたので漢数字が残っていたのでしょう｡<br><br>日本にピアノが入ってきたのは､もっと前に遡りますが､調律という作業が行われるようになったのはこの時期と考えられます｡<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/047825/entry-11432223249.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Dec 2012 09:18:04 +0900</pubDate>
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