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<title>熱狂の裏側　　エッセイ、小説</title>
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<description>サッカーワールドカップの熱狂から、ナチス・ドイツ、ロシアのプロバガンダへ持っていき、人間の熱狂を少し、冷静なとこから見てみました。今回のプログでは、人は色んな種類がいるから、一つの理想で裁くのは単純、みたいなことを書きました。</description>
<language>ja</language>
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<title>決まり事のない話</title>
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<![CDATA[ <p>日常で、殺人や、まあ、いわゆる、悪いこと、が頻繁にニュースで流れてきます。</p><p>われわれほとんど一般は、裁判に正義を望みます。</p><p>殺人者は、一般のコミュニティから外れ、何を思うのか？</p><p>そこには戦い、自分の犯したつみ、あらゆる世間に対する、自分のあり方、に対する戦いです。</p><p>当然われわれ、ほどよい道を歩んできたコミュニティは、犯罪者を憎み、正義の鉄槌を！と願います。</p><p>そこでちょっと考えました。</p><p>われわれは、生まれる人格などは選べないし、必ず運命の流れによって人それぞれ生きてきました。その結果が、善を好み、悪を憎む存在として成り立った。</p><p>犯罪者もまた、我々と同じ様に、運命に逆らえずなるべくして、我々の一般の善意あるコミュニティからは、非難、削除、される存在として成り立った、と云えなくもない。</p><p>僕は、それなりに善意あるコミュニティの中で、育ちました。だから、世間一般と同じ、犯罪者に対する敵意を持っています。</p><p>しかし、それは、被害者に対する同情から来る、あくまで、敵意であり、正義でもって悪を裁くとまでは行かない。</p><p>もっと言ってしまえば、こちらのコミュニティが、殺人者のコミュニティを否定するとこに、我々は爽やかに、快感を感じ、よいことをした、と満足を得る、とも言えます。犯罪者もまた運命に導かれた自然であり、もし神様がいて人の世を作ったなら、神様は、大変な気まぐれ屋だと思います。</p><p>われわれ一般のコミュニティから外れ人間に、その罪の責任を負わせ、神様は何の罪も負わない、としたわけで。</p><p>われわれ一般のコミュニティから見た、殺人者などは、これからどんな、精神でもって生きたらいいのか？</p><p>我々があくまで正義の騎士などでないコミュニティであることも、一つ頭に入れといたほうがいいかもしれませんね。皆さん、どう思われましたか?</p>
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<link>https://ameblo.jp/0515813tetsu/entry-12973121588.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jul 2026 05:30:15 +0900</pubDate>
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<title>孤独な趣味</title>
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<![CDATA[ <p>先ず僕のことを少し書きますね。僕は少年時から漫画を描いてました。しかしながら絵があまりに下手。面倒で仕方なかった。で、文章で書き始めたわけです。小学６年からは、もうずっと文章。空想の赴くまま、書いてました。小学校の卒業のとき、先生が、宿題みたいにして、生い立ちの記、なるものを描け、と生徒に言うわけですよ。で、作文用紙１００枚、２日とかからずに書き上げ、楽しみましたね。その頃僕は小説など読んだことがなく、ただ、山下少年物語、だけ読んで、そのかっこよさに刺激され、自分に重ねて書いたのです。内容はともかく、やはり１００枚は先生らに評判になりました。その評判は結構しばらく虚栄心を楽しませました。</p><p>それから僕は、文章が、絵の代わりになり、作文用紙に、描くのが趣味みたいになりました。中学で、夏休みの宿題で国語の先生が、小説書いてこい、と。作文用紙をくれるんですよ。やった、タダで作文用紙になにかかける！僕は、これも３日ぐらいで、２００枚ほど空想小説を書き、提出しました。まさか、こんなに各人がいるとは思わなかったらしく、職員室は大騒ぎ。まあ、はなの高い思いはしました。しかし、先生というものは、一定期間生徒を神童扱いはするものの、生徒の精神やらには、その後まるで責任を持ちません。まあ、そんな感じで乗せられた僕でしたが、そういう名声より、書くことは大好きで密かに続けました。宮崎駿、赤川次郎、西村京太郎、藤子不二雄、手塚治虫、ドラマのシャーロック・ホームズなどに影響されてました。</p><p>国語の先生は何でも生徒たちに書かせたいらしく、驚嘆に作文用紙をどっさり置いてくれて、僕は、２００枚３００枚とごっそりいただいたわけです。文房具屋で買うと高くて、小遣いが飛んでしまうため、学校でくれるのは嬉しくってたまらない。提出は５枚（笑）。家で自分で書くのに、何百枚と費やしました。あの頃は楽しかった。夢の中で音楽にもまどろみ、自由な世界に遊びました。</p><p>さて、ここからが悲惨です。</p><p>高校に入った僕は、インテリな生意気になりました。小説は書けなくなり、醜い１学生です、体育も、他の勉強もダメ、で生意気さも手伝って、体育祭で校歌を歌うのが嫌で、先輩を見下し、わざと歌いませんでした。クラスの他の生徒は反抗の態度は示さなかった。次第に僕は孤立していき、１７歳で中退。その後、思春期、青春期、青年期、若き頃を闇の中で、健全な学校生活に嫉妬しながら、精神安定剤服用し、ねてばかりの日々。入院し、脱出し、大学受験？就職活動？恋愛？全く世の中がわからない、酒と精神薬で朦朧とした中、かつて少年時代、やっていた、小説をぼつぼつやり始めました。家出物語、というのを１００枚で完成させました。寂しい冒険物で、これはタコ糸でつなぎ製本までした。すると欲が出るものですね、次は、１５０枚、２５０枚と次々仕上げてった。それが孤独な僕の生活の中枢で、他のことは今も知りません。今僕は５３になりますが、世間的常識を知らないし、仕事した経験もなく、障害者でもあります。ただ空想冒険、少年少女ロマンを、クラッシック音楽聴きながら、書いています。訪問看護さんや、訪問看護さんヘルパーさんの力を借り、一応一人暮らし。これが僕なんだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/0515813tetsu/entry-12972252161.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jul 2026 02:26:11 +0900</pubDate>
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<title>熱狂の裏側</title>
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<![CDATA[ <p>スポーツの祭典、ワールドカップなど、スゴイ熱狂的ですよね。</p><p>日本代表のユニフォーム着て、ファンたちは、一致団結して、勝利を願います。</p><p>しかし、なぜ勝たねばならないのか？</p><p>この、勝利への熱狂は、他の国でも、当然のごとくあります。</p><p>いろいろ問題も起こって来るのは必須です。</p><p>自国のチームが勝たないと、熱狂的ファンは、苛立ち、自分のチームを非難する例が見られます。弾弓、といって過言すると言っていいでしょう。</p><p>それは、国民のわがまま、といっていい。勝っているときは、ヒーロー扱い。負ければ、情けなく見ます。勝利を正しいとするコミュニティーとはみんな身勝手です。</p><p>今回、日本ではありませんが、他国で、負け、が重大視され、揉め事が起き、会議まで開かれたという。選手たちだって勝とうと思って戦いました。そのチームが勝てないと言って下げずむ、熱狂的ファンは、つまり、は、自分の思い道理にならないと言って、怒りをぶつる始末。</p><p>前の話、アメリカ大会で、僕は見ていましたが、コロンビアは予選無敵かと思わされるほど強く、こりゃ優勝だな、と思いました。しかし、トーナメントでアメリカに、がたがたになり、敗れました。アメリカ人たちは、偉業をやってみせた、サッカーにおけるアメリカの新時代がやってきたと熱狂した。とても選手たちは誇らかになってました。しかし、知ってる人も多いと思いますが、コロンビアのオウンゴールした、エスコバルという選手は、帰国後ファンに射殺されました。当時そのニュースはあまり流れなかったと思います。ここ、２年前ぐらいに、エスコバル選手の葬儀が大々的に行われたと報道されたと思います。アメリカチームの人々はそれを知ってか知らぬかはわからぬが、いまだ、自分たちがスーパーヒーローだと語ります。仮にも同じフィールドで戦った相手のチームの一人が殺されたと言うのに、自分らは偉いとばかりしか言わない。</p><p>熱狂とは大変なもののようですね。</p><p>社会的にも、一致団結は美しき理想のように語られるが、勘違いしてる人も多い。一度、このような事例もある、と頭に入れといたほうがいいんじゃないか？</p><p>人間皆利己的で、自分を満足させることを望んでいるものです。それを露呈する事例があるのも事実。</p><p>もちろんスポーツの良さも僕は知っています。おなし、スポーツの技術の陶冶に努力した人々が交わす、言葉の根底にある愛情ににた思い、素敵だな、と思います。</p><p>それに賛同するもの、嫌だとするもの、人間の数は多く、それぞれの運命によって生かされている。誰も彼も運命を破ることはできない。だから、一個の理想がすべての人に当てはまるはずない。自分たちと反対の人を簡単に裁く、心の正義も、コミュニティーから外れているからと言って、阻害、削除は、大多数の罪にはなりはしないか？考えてみれば、かつてのナチス・ドイツ、今のロシアにおけるプロバガンダも、人の熱狂を煽り、自分らを美化し、煙に巻いてる、しかも、そういうのを教育、学習と呼ぶのは簡単すぎるる、理想、社会である、と思いはしませんか？</p>
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<link>https://ameblo.jp/0515813tetsu/entry-12972238351.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Jul 2026 22:04:30 +0900</pubDate>
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