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<title>tsugu のブログ</title>
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<title>スコーピオンズ/ウィンド・オブ・チェンジ</title>
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<![CDATA[ この曲を聴くたびに、いつも思う。<br><br>本当は韓国も北朝鮮もひとつになりたいと思ってるんじゃないだろうか？<br><br>北朝鮮の拉致問題を解決する為にも、韓国の慰安婦問題を解決する為にも、日本が韓国と北朝鮮の架け橋になれば良いんじゃないかな？<br><br>「何、夢みたいなバカなことなことを言ってるのか？」<br><br>って思うかも知れないけど、西ドイツと東ドイツもベルリンの壁を越えたんだ。<br><br>38度線を越えることだって簡単さ。<br><br>日本の賠償問題を決着させる最後の方法は、引き裂かれた朝鮮半島をひとつにすること。<br><br>~　僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br><br>それは栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが<br>一緒に夢を分かち合う場所<br><br><br>そこは 未来の子どもたちが夢を見る場所　<br>それは栄光の夜に　~<br><br>【ウィンド・オブ・チェンジ/スコーピオンズ】<br><br>僕はモスクワ川に沿って<br>ゴーリキー・パークへと歩を進める<br>変革の風に耳を澄まして<br>8月のある夜<br>すれ違う兵士たち<br>彼らもまた 変革の風に耳を傾けている<br><br>世界が小さくなろうとしている<br>お互いがまるで兄弟のように親しくなれる日を<br>これまで想像できただろうか?<br>そんな時代が目前に迫っている<br>僕にはそこかしこで感じられる<br>変革の風が吹いていることを<br><br> 僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br>栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが夢を見る場所<br>変革の風の中で<br><br>街を歩けば<br>遠い昔の記憶はもう永遠に過去のもの<br>僕はモスクワ川に沿って<br>ゴーリキー・パークへと歩を進める<br>変革の風に耳を澄ませながら<br><br> 僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br>栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが<br>一緒に夢を分かち合う場所<br><br>僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br>栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが夢を見る場所<br>変革の風の中で<br><br>安らぎを求めて<br>自由の鐘を鳴らす烈風のごとく<br>変革の風が<br>時代の真正面に吹きつける<br>僕がギターで奏でるこの歌を<br>君もバラライカで弾いてくれ<br><br>Solo<br><br>僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br>栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが<br>一緒に夢を分かち合う場所<br><br>僕を誘っておくれよ<br>魔法のような瞬間へと<br>栄光の夜に<br>そこは 未来の子どもたちが夢を見る場所<br>変革の風の中で<br>&nbsp;<br>https://www.youtube.com/watch?v=n4RjJKxsamQ&amp;feature=youtube_gdata_player<br><br><br>「ウィンド・オブ・チェンジ (Wind of Change) 」は、ドイツのロックバンド/スコーピオンズによる超名曲バラードである。<br><br>1990年のアルバム『クレイジー・ワールド』に収録されたが、最初は世界でヒットシングルにはならず、ソビエト連邦共産党を失脚させるクーデターに失敗した直後の1991年に、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国でチャートのトップに輝き、アメリカでは4位、イギリスでは2位となった。<br><br>世界でシングルはミリオンセラーとなり、史上最も売り上げの多いシングルの1つとなった。<br><br>スコーピオンズは、ドイツのアーティスト、バンドによる最も売り上げの多いシングルを記録した。<br><br>1991年、バンドはこの曲のシングルのゴールドレコードをミハイル・ゴルバチョフへ贈った。<br><br><br>■売り上げについて、<br><br>オーストラリア(プラチナ・ディスク)<br>1991年　50,000枚<br><br>オーストリア(プラチナ・ディスク)<br>1991年11月7日　30,000枚<br><br>フランス(ゴールド・ディスク)<br>1991年　250,000枚<br><br>※ドイツ(プラチナ・ディスク)<br>驚愕の1991年　6,000,000枚<br><br>イギリス(シルバー・ディスク)<br>1991年10月1日　200,000枚<br><br>アメリカ(ゴールド・ディスク)<br>1991年4月9日　500,000枚<br><br>ドイツの売り上げの凄まじさが、ドイツ国民の東西統一の溢れだすような想いを伝えている。<br><br>同族民族が２つに引き裂かれていること自体が間違いなんだ。<br><br>2005年、ドイツのテレビネットワーク、第2ドイツテレビの視聴者が、この曲を世紀の歌として選んだ。<br><br>ドイツでは史上最も売り上げの多い曲であり、この国だけで600万枚を売り上げたという。<br><br>また、ベルリンの壁崩壊の映像を見せるテレビ番組で頻繁に流されている。<br><br>ドイツでは、この曲は、ドイツ統合の歌や希望のメッセージの歌として記憶される。
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<pubDate>Mon, 21 Apr 2014 22:58:00 +0900</pubDate>
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<title>【ポール・マッカートニー/ビューティフル・ナイト】</title>
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<![CDATA[ 【ビューティフル・ナイト/ポール・マッカートニー】<br><br>ビートルズ解散後のポール・マッカートニーにとって、彼の作るラブソングの大半が、妻のリンダに向けられたもののように思えた。<br><br>ビートルズの解散は、いろいろな諸説があるが、結局、ジョンにとって一番大切な存在がポールからヨーコに移ったことで、ビートルズという完璧なパズルが壊れたからではないか？<br><br>ポールの才能が爆発しての独裁的態度へのジョン、ジョージ、リンゴの対立と不満より、ヨーコという異物の混入でビートルズという奇跡の化学反応の方程式が破綻したからではないだろうか？<br><br>ジェーンと別れ、フォトグラファーのリンダ・イーストマンと結婚したポール。<br><br>彼女の連れ子の娘ヘザーを、自分の実子と分け隔てることなく我が子のように可愛がるスーパースターの姿には、ある種の畏敬の念を感じた。<br><br>その彼が、ジョンとヨーコが結成していた「プラスチック・オノ・バンド」に対抗するように、リンダにキーボードとコーラスを担当させて、「ウィングス」を結成した。<br><br>ジョンの作った曲以外は、とても聴けたものではなかった「プラスチック・オノ・バンド」と違い、ポールは全くの素人だったリンダにキーボードを教え、ウィングスは1970年代に、ビートルズがした1960年代と同じレベルの成功を果たした。<br><br>70年代のポールのラブソングの筆頭にあげられるのが「マイ・ラヴ」だった。<br><br><br><br><br>　<br>https://m.youtube.com/watch?v=InoG6rhZZRE<br><br>【マイ・ラヴ / ポール・マッカートニー＆ウイングス】<br><br>どんなに離れていようと<br>僕の心は君のもと<br>わかってくれるかい？<br>僕の心は君と共にあるんだよ<br>それが一番の幸せだから<br>Wo-wo-wo-wo-wo-wo<br>それが一番の幸せだから<br><br>例え、何ひとつなくしても<br>君がいれば何かが見つかる<br>わかってくれるかい？<br>君への愛があふれている<br>それが一番大切だから<br>Wo-wo-wo-wo-wo-wo<br>それが一番大切だから<br><br>君を愛しているよ<br>君だけが　僕の心を開く鍵を持ってる<br>ああ　僕の愛する人<br>君だけが　僕を幸せにしてくれる<br>Wo-wo-wo-wo-wo-wo<br>本当の幸せを与えてくれる<br><br>ロックシーンの中で、一時的な別居もあったジョンとヨーコや、世紀の三角関係と騒がれたジョージとパティとエリック・クラプトン、ヴォーグの表紙を飾るような女性と恋を重ねるミック・ジャガー等の話題に比べ、決して華やかなカップルではなかったが、もっとも安定し、お互いに仲つつまじかったのが、ポール夫妻だった。<br><br>リアルタイムでポールのアルバムを聴くようになった80年代以降も、愛妻家のポールが作る歌は、とてもフレンドリーで、優しく、愛に満ちたものだった。<br><br><br><br><br><br>http://m.youtube.com/watch?v=7rLdT3K5K-o<br><br>【オンリー・ラヴ・リメインズ/ポール・マッカートニー】<br><br>君がその愛をぼくから、引きはらったら<br>ぼくはただ、それを戻したいと思うだろう<br>たぶん、そんなこと、気づかないふりをして<br>けど、ぼくのことだから、君にまた帰ってほしいという<br>言葉が意味を失うまで、そしてここにあるのは<br>ただ愛だけ、残るのも愛だけ<br><br><br>90年代になって、何度かの来日公演の後、悲しいニュースが届いた。<br><br>時はポール、ジョージ、リンゴとジョージ・マーティン、ジェフ・リンを中心にした「ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト」の頃だった。<br><br>ポールが14歳の時、母メアリーの命を奪った乳ガンに、再び愛妻リンダの身体が侵されているらしかった。<br><br>1995年から96年にかけての「アンソロジー・プロジェクト」の当然ながらの大成功の後、共同プロデューサーとしてジェフ・リンの手腕を買ったポールは、彼にアルバム制作の協力を依頼し、1997年５月に満を期してポールのソロ・アルバム「フライミング・パイ」が発売された。<br><br>ウィングス解散後のポールのアルバムと同じように、今回もリンダが癌で闘病中、コーラスに参加している。<br><br>癌であったとしても、即、生命を失うとは限らない。<br><br>確かリンダも手術が成功したような話も聞いていた。<br><br>セールス的には活動の停滞していた80年代中盤以降のポールにとって、久しぶりに大ヒット(全米・全英とも２位)になったこのアルバムにも、いかにも「マッカートニー・メロディー」と言える美しい曲が入っていた。<br><br>【ビューティフル・ナイト/ポール・マッカートニー】<br><br>http://youtu.be/3bjNYGqeZYU<br><br>誰かは釣りに出かけていった<br>誰かは船から下りて来た<br>誰かは寂しいローレライに行く任務を負っていった<br>空中に城郭の幻を見た者たちもいる<br>そして僕は一人残されて　<br>何故だろうと考えている君と僕<br><br>美しい夜にしておくれ<br>恋には素晴らしい夜だよ<br>恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め<br>美しい夜にしておくれ<br>恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め<br><br>大海に浮かぶ船がある<br>僕らはこの部屋にいる<br>午後を過ごすのに<br>これ以上完全なことはないと僕は思う<br>城ならば空中に探せばいい<br>もう　何故だろうと考えることもない<br><br>間違うこともある　うまくいくこともある<br>真夜中につまずくこともある<br>だから　僕にそこに行かせて　僕にいさせて<br>そこに僕も君といさせて　真夜中に<br><br>美しい夜にしておくれ<br>恋には素晴らしい夜だよ<br>恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め<br>美しい夜にしておくれ<br>恋には素晴らしい夜だよ<br>恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め<br><br>そう　とても美しい夜だよ<br>そう　とても美しい夜だよ<br><br><br>&nbsp;－映像を見ると、当時のポールと比べても、一歳年上のリンダの痩せ細り方、急激な老け込み方には、彼女の容態が決して良くないことを察することができる。<br><br>この曲はポールの80年代中頃の低迷期、フィル・ラモーンやデヴィッド・フォスター等とセッションを重ねていた時期に、フィルのプロデュースでレコーディングされ、お蔵入りしていたものだった。<br><br>「フライミング・パイ」のレコーディングに関して、「アンソロジー・プロジェクト」の流れから、リンゴの参加が決定し、これで「ビューティフル・ナイト」を描いた形に作れると思ったという。<br><br>ポールとジェフ・リンのプロデュース、さらにストリングス・アレンジが師匠のジョージ・マーティン、そしてドラムがリンゴ・スター、コーラスがリンダという錚々たる面々で再録音されたこの曲。<br><br>よく聴けば、これはビートルズの「アビーロード・メドレー」の再現だと分かる。<br><br>以前にもウィングスのラスト・アルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」のB 面も同じような雰囲気があった。<br><br>この切ない、何かを慈しみ、いたわるような「ビューティフル・ナイト」を映像より先に、アルバムの中の一曲として聴いた時、直感で「リンダの身体が相当悪いんだな」と悟った。<br><br>多分、それまでにどんな悲しい歌にも一抹の微笑みと救いを感じることができたポールの歌声に、この「ビューティフル・ナイト」だけは悲痛にくれた想いに満ち溢れたように思えたのかも知れない。<br><br>アルバムの発売から一年も経たずの98年4月17日、ポールの愛妻リンダの癌が全身に転移し、死去。<br><br>リンダをガンで亡くし「1年間は悲しみにドップリ浸かって泣いてばかりいた」というポール。<br><br>99年4月、チャールズ皇太子主催の、様々な慈善活動を称える賞の授賞式に動物愛護運動家とし招待されたポールはへザーと出会った。<br><br>25歳の時、110番通報を受けスピードを出していた白バイにはねられて、左足を失ってしまいモデル業としても致命的ともいえるハンディを負ったへザー。<br><br>やがて「義足のモデル」として、地雷で足を失った発展途上国の人たちに義足を送るなどといった慈善活動を行い、地雷撲滅キャンペーンや環境保護活動など、さらなる講演の依頼が殺到するようになった。<br><br>元モデルで義足のブロンド美人で、慈善活動家という、リンダの面影が漂うへザーに、ポールは完全に惹かれてしまう。<br><br>2002年6月、ポールとへザーはついに結婚。<br><br>&nbsp;当時ポールは60歳、34歳のヘザーとは26歳の年の差婚ということでかなり話題になった。<br><br>そして翌年には娘ベアトリスも誕生し、2人でチャリティ活動を行ったり、へザーがポールのツアーに同行したり、仲むつまじい夫婦のイメージが徐々に定着しつつあったのだが、様々な慈善活動でしょっちゅう家を空けるヘザーと、妻には家庭にいてほしいポールとの間には、大きなズレがあったようで、04年には早くも別居。<br><br>そして06年5月、4年の結婚生活に終止符を打ち離婚を発表するに至ってしまう。<br><br>08年、ロンドン裁判所がポールに命じた慰謝料の総額は約47億円といわれている。<br><br>ヘザーについては、離婚後、散々なゴシップが発覚しているが、一貫してポールは擁護の立場をとっていた。<br><br><br>2007年6月に発売したポールの起死回生の作品(英5位/米3位)である「メモリー・オールモスト・フル」は、またしてもビートルズ回帰のようなアルバムだった。<br><br>そして、そのタイトル「Memory Almost Full」は、"For My Soulmate LLM"を並べかえたもの、と言われている。。<br><br>LLMというのは、Linda Louise McCartneyのこと。<br><br><br><br>追記・<br><br>2011年10月9日 、ポールは英ロンドン市内の公会堂で米国人女性ナンシー・シェベルと結婚式を挙げた。<br><br>この公会堂は、ポールとリンダが42年前に結婚した同じ場所でもある。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/08311967/entry-11817722661.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Apr 2014 09:56:00 +0900</pubDate>
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