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<title>08青森大会応援ブログ</title>
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<description>０８高生研全国大会は2度目の青森。今回は青森市での都市型大会です。</description>
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<title>佐藤さんへの応答</title>
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<![CDATA[  <p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">遅くなりました。佐藤さんに応答します。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">青森大会の速報に佐藤さんは次のように書かれています。「１９９９年の土居実践が実践のメインとして取り上げられていますが、その後１０年間『実践がないのか』『実践を見つけられないのか』もしくは『実践ができないのか』という現実についての認識が必要と思いました。」このことについて応答します。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">「なぜ土居実践なのか？」という疑問は他の方からも聞いています。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">私が土居実践を例に挙げようと思ったのは、昨年度の熊本大会で、絹村さんの担当した問題別分科会「高校教師は『いじめ』問題とどう向き合うか」（機関誌１７４号）に参加し、そこで土居実践に再び出会ったことがきっかけだと思います。基調の注の（２）にも書いてあるように、この実践は、１９９９年の絹村基調に取り上げられたもので、そのときにも私自身感銘を受けて読んだものです。ただし絹村基調ではこの実践を「世代の自治」の観点から取り上げ「認識（意識化）の指導」という観点で取り上げていません。また、土居実践の報告が掲載された１４２号では田中容子さんが分析しています。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">実は、私がこの実践を基調の具体例として取り上げる際に、そんなに古いものだとの認識はありませんでした。（９年前が古いかどうかは別にして）この９年間に実践がないことを主張するためにこの実践を取り上げたのではないのです。　　</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">つまり佐藤さんが言うように、その後の９年間で「実践がない」わけでもないし、「実践が見つけられない」わけでもないし、「実践ができていない」ということでもないのです。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">そのことは基調でも次のように書いています。「そのような実践（「行動に直接関わる限りにおいての認識の指導」をおこなっている実践）は、これまでのすぐれた生活指導においては、十分に意識されてこなかったにせよ、おこなわれていたものである。」（機関誌１７７号１０８ページ第四章の始めの部分）と。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">ただ土居実践の場合もそうですが、すぐれた実践であっても、本人や分析者が、「現実についての認識（意識化）の指導」をおこなっているのだということにこれまで「無自覚」であった（「意識化」していなかった）と思うのです。あえて「学び」ということばを使うなら「生活指導の中の学び」（青森大会での竹内講演のテーマ）について無自覚であったということです。この点について佐藤さんはどう思われますか？</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">もちろん、実践はしているが無自覚であったという実践と、もう一つ、現実についての認識の指導そのものがないというか、弱いというか、生徒の自然な認識に任せてしまっているという実践もあるように思います。行動中心的な実践傾向です。生徒の行動を指導しさえすれば生徒は育ってくれるという実践傾向です。行動を指導するとは、たとえばできるだけたくさんの者が関わらないとできない行事を用意するとか、様々なノウハウを教師が提供することで演劇を成功させるとか、教師がリーダーになるのではなくリーダーを決めて、リーダーに仕切らせるとか、クラスで決議をあげて、クラスの出し物を決めるとかなど、行動の仕方を指導していくと言うことです。このような行動の指導（ワザの指導）は大切なことですが、それだけでは足らないと思うのです。このような傾向はこれまでもあったし、今もあると思います。大会前のブログでも述べましたが、１７４号の「ホームルームが好き」の特集にあった永田実践以外の３つの実践にはそのような傾向を感じるのです。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">つまり生活指導、集団づくりにおける、「現実についての認識の指導の問題」「学びの問題」をもっと自覚（意識化）し、さらには実践しようということなのです。そうすることで、生活指導実践の「行き詰まり」（行き詰まっているのか行き詰まっていないのかということ自体がまた議論になりそうですが････）を打開できると考えているのです。だからこそ基調の題名を「いま高校教育実践に必要なことは何か？」としたのです。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">教師と生徒の間の共感的共闘的関係を基盤としつつ、生徒たちとともに、「教師の認識の提起」もおこないながら、現実を「認識、意識化」させるように指導する。そして、そのような「認識、意識化」は、新しい現実を作り出す「行動」を生み出す。新しい現実を作り出す「行動」によって「関係性」が変革されていき、その変革された「関係性」がさらに現実についての「認識、意識化」を深めていく。そのような循環の中で思想と行動能力（スキル）の統一体としての人格（市民性）が成長していく。子どもが育っていく。基調で述べたこのような筋道は、今回の全国大会で私が参加した分科会の中順子さんや鈴木ひろ子さんの実践にもはっきりと見ることができると私は考えています。</p><p style="MARGIN-BOTTOM: 0cm; TEXT-INDENT: 0.37cm">佐藤さん、いかがでしょうか？また、その他の読者の方からもご意見をいただければ幸いです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/08aomori-taikai-koseiken/entry-10138854137.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Sep 2008 20:10:00 +0900</pubDate>
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<title>基調事後討論</title>
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<![CDATA[ <p>　岡村さん。「コメント」欄への応答ありがとうございます。応答があることは知っていましたが、お盆休みぼけでエンジンがかからず遅くなり申し訳ありません。<br>大阪の佐藤さんへの応答も先日、竹内塾のあとの飲み会で言明したのに遅れています。佐藤さん少し待ってください。<br>　今回は岡村さんへの応答です。</p><p>　三重の学習会でも話題になったことですが、基調ではふれなかったことがあります。それは「管理」の問題です。土居さんも、いじめをめぐる討議の最初の部分で「反省できないなら仕方がない。学校からは退学してもらう。そのうち一平君の父さんはいじめた子を見つけ出すだろう。」と半分脅しのようなことばをクラスに投げかけています。<br>　土居さんがここでしていることは、（井沼基調でも「管理的公共空間」ということばが使われていましたが、）私のことばで言うならば（いや以前から使われてきたことばでもあると思いますが）、「必要な管理」ということだと思います。「管理」とは生徒が「納得」しようがしまいが、有無を言わさず「権力」的にしたがわせることでしょう。「政治」とは「集団の統治作用のこと、利害の対立などを調整・統合すること」であるとするならば、管理もある種の政治の側面だといってよいでしょう。（管理がどういう場合に必要になるかについては、実践的にも理論的にも今後、もっと明瞭にされるべきだと思いますが。）<br>　生徒たちは、先の土居さんのことばと姿勢を感じて、「これから始まる討論はただごとではないぞ」「逃げられないぞ」と身構えたのではないでしょうか？しかし、そのことばと姿勢で、生徒たちが、ただちにいじめの問題性について「納得」したわけではありません。管理は「時おさえ（一時的な歯止め）」であって管理で人は育たないからです。「指導」とは人を「納得」させてしたがわせることとするならば、この時点ではまだ「指導」は成立していないのです。その意味では、「教師の側の毅然とした態度が『ちから（権力）』（ちからと権力は分けた方がいいと思いますが。）としてあって、その上で生徒と対話討議していくというものではなかったでしょうか」という岡村さんの指摘はその通りだと思います。<br>　それでは、どこで指導が成立したのか、どこで生徒が納得したのでしょうか？それは基調で述べたように共感的共闘的関係を基盤（前提条件）とした、土居さんの「認識の指導と行動の指導」、すなわち「現実を明らかにする対話（討議）の指導」、あえて言うなら「学びの指導」においてなのだと考えます。</p><p>私の理解では、土居さんの最初の毅然とした態度とことば（「反省できないなら退学だ」）は「必要な管理」「権力の行使」を行ったものでそれはある種の政治的な行為です。<br>しかしその後の討論の中で示され、基調でも丁寧に追ってきた語りや意味づけは、「集団の統治作用、利害の対立などを調整・統合する」という政治的な行為ではなく、あえて言うならば道徳を問う行為（良心を問う行為。もちろん抽象的観念的な良心を問うのではなく自分たちのおかれた現実とその現実にかかわる自己を問う形で良心を問う行為）だと考えます。（ここでは「政治」と対比させるためにあえて「道徳」という危なっかしいことばを使いますが、ここで言う道徳とは、「良心にもとづく内面的なるもの」としておきます。）岡村さんが「共闘」を良心的な言葉と捉えておられるのはその意味で正しい。<br>　このように「必要な管理」「権力の行使」と「共闘」はまったく違うと考えます。</p><p>確かに価値の複数性に開かれることの重要性を考えると、教師と生徒たちとの関係性、さらに生徒同士の関係性を政治的関係性であると捉えること、教育実践を「統治」（政治）としての側面から見ることは大切な視点であると思います。「交渉」とか「ライバルとして遇する」「切磋琢磨」とかいった観点は重要だと思います。岡村さんの基調はそのことを指摘しているわけですね。<br>　共感とか共闘ということばは押し付けがましく暑苦しいことばになりかねないものだと思います。だからこそこれは以前に言ったと思いますが、相互に主体性を担保する「呼びかけと応答の関係」が必要なのだと思います。これはひょっとしたら絹村基調の言う「間」の問題かもしれません。</p><p>それはさておき、教育を、政治の側面から見るだけで、生徒は育つのでしょうか？生徒の内面に迫る必要があるのではないでしょうか？岡村さんの論でいくと、教師の側の毅然とした態度のみが、生徒を変えたということにはならないでしょうか？最初の部分でも述べたように、教師の毅然とした態度は、必要な管理をおこなうためになされたものだと考えます。<br>　政治教育と道徳教育の結合が必要なのではないでしょうか？教育実践の場を政治空間として捉えることの重要性はよくわかりますが、それだけでは足らないように思えるのです。つまり生徒の内面に迫る必要があると思うのです。そのことを基調では実践をもとに論証したつもりです。<br>いずれにしても、岡村さんの応答に応答する中で自分でも見えてきた部分があります。岡村さん、ほんとうにありがとうございます。岡村基調をまだ十分理解していない面があるかもしれませんがその点はお許しください。<br>また、この応援ブログが今後も「討議空間」になることを期待します。<br>最後に、このブログを読まれている他の方にも応答も呼びかけて、とりあえずの応答とします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/08aomori-taikai-koseiken/entry-10131974118.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Aug 2008 23:46:04 +0900</pubDate>
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<title>北の森讃歌</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/8d/15/10087547115.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/8d/15/10087547115_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/91/bc/10087547113.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/91/bc/10087547113_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/fb/84/10082210348.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/fb/84/10082210348_s.jpg" width="220" border="0"></a></p><p><br>大阪の牧口です。おととい、やっと大阪に帰って来ました。初めて参加させていただいた高生研の全国大会でしたが、青森の皆さんに大変お世話になり、感謝の言葉もありません。お礼というわけでもありませんが、最終日に聞いていただいた即興の歌の歌詞を載せさせていただきます。皆さん、本当にありがとうございました。<br><br>　　<font color="#33cc33" size="4"><strong>北の森讃歌</strong></font></p><p><br><font color="#33cc33" size="4"><strong>涼やかな　北の大地　青き森の街で<br>この夏の一時を　共に過ごした日々<br>温かな微笑みに　心励まされて<br>それぞれの生きる場所へ　もう一度帰る<br><br>濃厚な一日が今日も過ぎてゆく<br>真剣な話し合いと弾ける交流会<br>三味線の力強さ　手踊りの魅力<br>遠くから打ち寄せる　ねぶたのリズム<br><br>名残りは尽きぬままに明日は海を渡る<br>さようなら青森よ　また会おう大阪で</strong></font></p><p>(2008年08月24日 11時59分54秒)<br></p><br><br><p><font color="#0000ff">☆青森高生研のブログに大阪の牧口先生が上記のコメントを書いてくれました。</font></p><p><font color="#0000ff">こちらの応援ブログに転記しました。</font></p><p><font color="#0000ff">そしてお願いしていた、あの歌を載せてくれました。</font></p><p><font color="#0000ff">また涙が出ちゃいました。<img height="16" alt="音譜" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" width="16"></font></p><p><font color="#0000ff"><br></font></p><p><font color="#0000ff">来年は熱い大阪でみんなと再会するぞ～。</font></p><p><font color="#0000ff"><br></font></p><p><font color="#0000ff">青森のよっし～(*^-^*)</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/08aomori-taikai-koseiken/entry-10131731729.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Aug 2008 21:59:03 +0900</pubDate>
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<title>つづく基調討論／基調討論発題者が答える</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff">　青森の現地の皆さん。実行委員の皆さん。大会参加者の皆さん。全国大会ご苦労様でした。また基調作成の過程で、さまざまな人々のお力添えをいただきました。この場をかりてお礼を申し上げたいと思います。</font></p><p><font color="#0000ff">さて基調討論では、私のまったく気づかなかった視点からの意見があり、そのときはうまく答えられなかったこともたくさんあります。後で反芻してみると大事なことをたくさん言われたような気がします。<br>なかなか、かゆいところに手が届かない基調だったかもしれませんが、私としては精一杯、渾身の力をこめて書いたつもりです。（もともとの原稿量は、今の2倍程度。第１２稿まで書き直しています。）なので、今後もいろいろと応答していただければ幸いです。わかりやすいように実践を示しながら書いているので、「概念」と「実践の具体的な事実」を結び付けて読んでいただければと思います。「概念」だけで理解しようとすると難しく感じると思います。たとえば「認識」や「現実」と言う概念。</font></p><p><font color="#0000ff">　さて、論点はいろいろとあるのですが、さしあたり一点だけに、応答します。<br>「共闘的」ということばについてです。このことばについては、５月の全国委員会、三重の学習会、そして今回と繰り返し質問や意見が出ました。「共闘」の使い方が、一般的な意味とは違うというものです。</font></p><p><font color="#0000ff">私が「共感的共闘的」ということばに出会ったのは竹内常一氏の『１０代との対話　学校ってなあに』です。この本は１９８８年～８９年に月刊『ＨＲ』に連載されたものを１９９８年に単行本化したもので、２０００年に新装版が出ています。この本の「第２章いじめ・迫害の絶えないHR」の中にそのことばはあります。この章は、教室に憲法前文を掲げ、体罰に反対する教師であったが後藤新一氏が、その指導を生徒たちにことごとく反発され、クラスが崩壊していくという記録を分析したものです。当時の私は、この実践を分析するときに使われた「共感的共闘的」ということばにそれこそ共感しました。私もおそらくそういう教師だったのだと思います。当時在籍していた管理主義的な学校で自分自身の実践を支えるものとして、繰り返しこのことばを反芻してきたように思います。それは次のような文章です。</font></p><p><font color="#0000ff">　「このようにみてくると、教師は、その指導を生徒たちのなかにもちこんでいこうとするときに、第一に、かれらの自立のあがきを感じとり、同じ苦しみを意識的に重ねあわせる共感的な他者として登場することができなければならない。<br>　第二に、教師は、必要なときには、生徒たちのなかに巣くうものと感情的にも思想的にもたたかうことのできる共闘的な他者として、登場できなければならない。」（『１０代との対話　学校ってなあに　』竹内常一１９９８年青木書店。下線は引用者。）</font></p><p><font color="#0000ff">　また、しばらくして『新版学級集団づくり入門（中学校編）』にも次のような記述があることを知りました。</font></p><p><font color="#0000ff">「直接的な個人指導にあっては、教師は、自己実現を求めてやまない生徒のなかの「もう一人の自分」を共感的に受容することができなければならない。とりわけ、家庭崩壊のなかにあって、ゆたかな対人関係を経験してこなかった生徒については、その依存欲求に応えていくことが求められる。また、その「もう一人の自分」の自己実現のたたかいに共感・共闘することが求められる。」（『新版学級集団づくり入門（中学校編）』p51の「２　個人指導と集団指導の統一的展開　　個人指導とは何か」１９９１年）</font></p><p><font color="#0000ff">　さらに次のページの注には「内なる他者」の説明として次のような記述があります。「教師は、生徒の現実の対人関係だけではなく、彼の自我が内なる他者とどのような関係を取り結んでいるかを見とおしながら、個人指導を進める。そして、彼の内なる支配的な他者にとってかわる共感的・共闘的な他者として、彼の内部に取り込まれる必要がある。そのとき、彼の内面における他者と自我の関係（内的対象関係）の再編、人格再統合の可能性が生じる。」（『新版学級集団づくり入門（中学校編）』p52の注）</font></p><p><font color="#0000ff">　少し話がそれますが、全国委員会では「たたかうとは誰とたたかうのか？」という問いが出されましたし、今大会では「もう一人の自分」という言い方に引っかかりを感じるという意見もありました。上の記述に照らすならば、たたかう相手（敵）は、「彼（子ども）の内なる支配的な他者」｢生徒たちの中に巣くうもの｣であるということになると思います。このように説明すると、このブログの正清さんへの応答のところで説明したものよりもクリアーになるのではないでしょか。<br>　また、なぜわざわざ「もう一人の自分」という言い方をするのかという疑問にも答えることになると思います。つまり「子どもの中の内なる支配的な他者」を想定しているのです。「支配」というと「外の権力が支配してくる。そしてそれとたたかわなければならない。」（マクロポリティクス（大きな政治）の場面での支配と闘争の関係）と考えてきたのがこれまでの考え方だったのですが、自分の内側にも自分を支配する他者が住み込んでいると考え、それとたたかわなければならない（ミクロポリティクス（微小な政治）の場面での支配と闘争の関係）と考えるわけです。つまり、「自分の内面に住み込んで自分を支配してくる他者」とたたかい、「自分を支配する内なる他者」に屈服している自分とは別の「もう一人の自分」を生み出すということなのだと思います。今回の青木先生の問題別に出された生徒会執行部の生徒（紀要には詳しく書かれていませんが）も「内なる支配的な他者」を住み込ませていると見ていいのでしょう。<br>　また蛇足ですが、私自身も忘れていたのですが、私は、機関誌１４８号（２００１年）に「共感的共闘的他者」ということばを使って、実践分析をおこなっています。</font></p><p><font color="#0000ff">以上２つの竹内氏の文献にみられる「共感的共闘的」という用語の元になる記述が、大会の基調交流会のときにも言いました『子どもの自分くずしと自分づくり』（１９８７年）に見られるのです。交流会では、この文献に「共感的共闘的」という用語があると発言しましたが、間違いです。この本は、竹内常一氏が登校拒否、不登校問題、いじめ問題に深くコミットするなかで生み出された竹内教育学の一つの転機になった本だといわれています。また『新版学級集団づくり入門』（１９９１年）は、この『子どもの自分くずしと自分づくり』での知見を取り入れて『学級集団づくり入門第２版』（１９７１年）を全面的に書き換えたものだと考えることができます。そこには次のような記述があります。</font></p><p><font color="#0000ff">　「信頼関係をつくりことはけっして不可能なことではない。というのは、かれら（子どもたち）は親や教師と全面的に対立しながらも、思春期統合の試みをありのまま受け止め、意味づけ、はげましてくれる、共感的で支持的な他者が現実的にも、内面的にも登場してくることを願っているからである。」（『子どもの自分くずしと自分づくり』１９８７年ｐ１６４）</font></p><p><font color="#0000ff">　ここでは、「共闘的」ということばの代わりに「支持的」ということばを使っています。</font></p><p><font color="#0000ff">さらに、２００３年の竹内氏の著作『おとなが子どもと出会うとき子どもが世界を立ち上げるとき』の中では｢抑圧的な他者に代わる支援的な他者」｢共感的で支援的な姿勢｣（ｐ６５～６６）という表現がされています。</font></p><p><font color="#0000ff">確かに「共闘」と言うことばを辞書で引くと、「『共同闘争』の略。２つの以上の団体が共同でおこなう闘争。『共闘会議』」となっています。つまり、上に述べてきたような形で、「共闘」ということばを使うと、もともとの意味、世間に流通している意味を拡大して使うことになります。<br>　しかし、「支援」や「支持」では、教師も子どもも共に励ましあうという意味合いが薄れるように思います。「永田さんが自分のふがいなさを謝罪する場面」で生徒たちと「支援的関係」を結ぶことができたと言うのはどうでしょうか？あまりぴったりしないと思います。土居さんや一平の父のリョウへのことばかけは「支援」と言ったほうがよいのでしょうか？基調で取り上げたこれらの事態をなんと名づけるのが適切なのでしょうか？「共感的支援的他者」というべきなのでしょうか？<br>また「共感的支援的他者」というよりも「共感的共闘的他者」というときの語呂というか、語感も捨てがたいところです。<br>　しかし、若者支援など支援（サポート）という語も、最近よく使われているし、どちらがよいのでしょうか。今後もみなさんと共に考えたいところです。</font></p><p><font color="#0000ff">ただ、なによりも基調で主張したかったことは、共感的関係だけでは不十分なのであり、生徒も育たないし（人格の形成）、それだけでは管理主義に代わる教育実践を対置できないということです。表現はどうであれ「共感的共闘的関係」ということばで述べてきたような関係を教師と生徒との間に結ぶことが今非常に重要であるということなのです。</font></p><p><font color="#0000ff">　ほかにも応答すべき事柄は山ほどあるのですが、長くなるのでいったん切ります。<br>　何よりも応答がいただければ幸いです。<br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/08aomori-taikai-koseiken/entry-10124904227.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Aug 2008 10:36:10 +0900</pubDate>
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<title>書籍スタッフの皆さん、そして大会参加の皆さんありがとうございます。</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">みなさん、本当にご苦労さまでした。<br>疲れたけど楽しかった、その一言に尽きます。<br><br>閉会後、和室大広間確保は予想以上にヒットでしたね。<br>酒屋やスーパーから買ってきたビールやお総菜での打ち上げでしたが、<br>担当毎に青森・大阪の聞き取りや引き継ぎが出来て画期的だったと思います。<br>そしてなによりも交流が出来たこと。<br>畳に足を伸ばしたり、走り回る八千代先生の息子さんと遊んだり、疲れた方は<br>横になったり。<br>途中で何人かは花火を見にでかけてまた戻ってきたりでしたね。<br>食べ物・飲み物がちょっと足りなかったかな。でも本当に楽しかった。<br>来年もできれば閉会集会後の交流会やりたいですね。東京大会では「別れの<br>つどい」をやらずに、「別れのレセプション」で合体させてましたね。<br><br>熱い大会の余韻と皆さんとの楽しかった交流の１コマ１コマが、まだ体の中を<br>走り回っているようです。<br><br>８／１後泊の翌日も午後から講習だった吉田先生。早速のブログ更新ご苦労<br>さま。記念写真もとてもよくとれてますね。<br>片桐先生も速攻勝負の決算書。和室大広間の隅でのパソコン作業はそれ<br>だったのですね。ご苦労さま。<br><br>書籍は、現地の準備不足から県外の皆さんに負担をかけてしまいましたが、<br>なんとか０８大阪につなぐ活動が出来たと思っています。<br>しっかりと総括をしたいですね。しずちゃん店長と片桐・木村が相談して、<br>皆さんにも総括を分担してもらえればと思っています。<br><br>佐藤ツーリスト「北海道の旅」はいかがでしたか。<br>事前の体力テストに合格しなければ参加できないような充実の旅でしたね。<br>しずちゃんのお母さんや、小さい子どもさんたちも大丈夫だったでしょうか。<br>是非ブログで旅の思い出を書いてください。<br><br>私は８／２は、礒山・内田先生を車に乗せて、まずは「しじみ貝保育園」へ<br>お礼に。その後、三内丸山遺跡へご案内。内田先生は初めて。<br>お昼は吉田先生おすすめの駅前「おさない食堂」で「ウニほたて丼」。<br>佐藤先生はいってみましたか。<br><br>昼食後、お二人とはお別れして、ひとりで歩いてアスパム・ねぶた小屋へ。<br>開幕日とあり、アスパムは見たことのないようなすごい人出でした。<br>ゆっくりとねぶたをみてまわるうちに、「あー終わったんだなー」という安堵感<br>と、<br>祭りの後の寂しさのようなものが入り交じった気持に身を委ねていました。<br>青い海公園には、雨を予感させる風が吹きはじめました。<br><br>０９大阪大会での書籍活動は、声がかかったらいつでも参加します。<br>ネットワーク型書籍活動の在り方を考えながら、知恵を寄せ合っていきましょう<br>。<br><br>　高生研全国大会　０８青森大会　　　　　　　実行委員長　木村　一男</font></p><p><font size="3"><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/fb/84/10082210348.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/fb/84/10082210348_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br></font></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/08aomori-taikai-koseiken/entry-10123847840.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Aug 2008 14:32:36 +0900</pubDate>
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<title>大会参加ありがとうございました。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>０８青森大会にご参加の皆さん。</p><p>ありがとうございました。</p><br><p>7月29日の歓迎の夕べから</p><p>8月１日のご苦労さん会まで</p><br><p>とっても疲れましたが、なんとか皆さんのご協力のおかげで</p><p>終了することができました。</p><br><p>いろいろなところでご迷惑をかけたと思いますが</p><p>事務局一同、大会が終ってホットしているところです。</p><br><p>この大会のフォトを載せたいと思います。</p><p>こちらの方には</p><p>真面目に学習している場面を載せました。（‐＾▽＾‐）</p><br><p>青森高生研ブログには歓迎の夕べと</p><p>最終日の９９畳のご苦労さん会を載せました。</p><p>ご覧ください。</p><br><p>皆さん、来年は大阪でお会いしましょう。</p><br><p>青森高生研　事務局長　　よっし～</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b8/46/10081515186.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b8/46/10081515186_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/62/ca/10081515187.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/62/ca/10081515187_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/13/5f/10081515188.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/13/5f/10081515188_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/e0/cb/10081515191.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/e0/cb/10081515191_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7a/1c/10081515302.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7a/1c/10081515302_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/87/a6/10081515303.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/87/a6/10081515303_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/fc/a8/10081515185.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/fc/a8/10081515185_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7b/84/10081515306.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7b/84/10081515306_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/39/05/10081515310.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/39/05/10081515310_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/15/94/10081515313.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/15/94/10081515313_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b3/99/10081515466.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b3/99/10081515466_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/9f/49/10081515469.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/9f/49/10081515469_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/54/90/10081515470.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/54/90/10081515470_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/e6/70/10081515472.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/e6/70/10081515472_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/08/1a/10081515473.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/08/1a/10081515473_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/cd/47/10081515597.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/cd/47/10081515597_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20/dc/10081515598.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20/dc/10081515598_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/6f/ea/10081515600.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/6f/ea/10081515600_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f8/9d/10081515601.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/f8/9d/10081515601_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/ee/4c/10081515602.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/ee/4c/10081515602_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/8b/95/10081515808.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/8b/95/10081515808_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/38/d2/10081515809.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/38/d2/10081515809_s.jpg" width="220" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/6c/8a/10081515966.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/6c/8a/10081515966_s.jpg" width="220" border="0"></a>　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/be/42/10081515968.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/be/42/10081515968_s.jpg" width="220" border="0"></a><br></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/8c/7d/10081515965.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/8c/7d/10081515965_s.jpg" width="220" border="0"></a><br></p><br>
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<pubDate>Sat, 02 Aug 2008 20:53:33 +0900</pubDate>
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<title>大会前夜は大盛り上がり</title>
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<![CDATA[ <p>とうとう大会初日になりました。</p><br><p>昨日は準備のあと、総勢３２名で歓迎のゆうべを行いました。</p><br><p>う～ん、地元にいながらひさびさの海の幸いっぱいのお料理でした。</p><br><p>二次会は今日からしゃべり場として貸し切りとなるお店に行きました。</p><br><p>歌い、踊りこれまでの準備の苦労を吹き飛ばしました。（‐＾▽＾‐）</p><br><p>大会に参加のみなさん</p><p>そして残念ながら大会に参加できなかったけれど</p><p>応援してくださる全国のみなさん</p><br><p>すてきなフォトをご覧んください。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/39/aa/10080657688.jpg" target="_blank"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/af/f1/10080657686.jpg" target="_blank"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b4/fb/10080657684.jpg" target="_blank"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/18/e4/10080657683.jpg" target="_blank"><img height="294" src="https://stat.ameba.jp/user_images/18/e4/10080657683_s.jpg" width="220" border="0"></a></p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b4/fb/10080657684.jpg" target="_blank"><img height="294" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b4/fb/10080657684_s.jpg" width="220" border="0"></a></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/af/f1/10080657686.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/af/f1/10080657686_s.jpg" width="220" border="0"></a></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/39/aa/10080657688.jpg" target="_blank"><img height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/39/aa/10080657688_s.jpg" width="220" border="0"></a></p>
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<pubDate>Wed, 30 Jul 2008 08:36:00 +0900</pubDate>
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<title>青森先乗り先遣隊より【緊急情報】</title>
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<![CDATA[ <p>２９日より先乗りのニシダ氏（和歌山）より、情報以下。</p><br><p>「１９℃でっせ。上着が必要です。ニシダ携帯より」</p><br><p>お風邪めしませぬよう、元気な顔で。</p>
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<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 22:26:20 +0900</pubDate>
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<title>出発します！</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff">新潟の高橋です。</font></p><p><font color="#0000ff">まもなく、寝台特急「日本海」に乗車のため家を出ます。</font></p><p><font color="#0000ff">今か今かと、この日を待ちわび、とうとう出発の日になってしまいました。</font></p><p><font color="#0000ff"><br></font></p><p><font color="#0000ff">仕事は心配ですが、なるべく学校のことは忘れて青森を色々と楽しみたいと思います。</font></p><p><font color="#0000ff">みなさんよろしくお願いします。(*＾ー＾)ノ</font></p>
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<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 22:24:08 +0900</pubDate>
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<title>基調プレ討論③執筆者が応える②</title>
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<![CDATA[ <p>　高生研全国通信１４６号夏号に基調に対する意見が掲載されました。このように応答があると非常に嬉しい限りです。船橋さんご配慮ありがとうございます。執筆者の皆さん丁寧に読んでくださってありがとうございます。さっそく応援ブログの場を借りて、それぞれの意見に応答したいと思います。執筆者の方はブログをみているかな？</p><p>正清裕一さんへの応答</p><p>まず正清さんに応答します。基調のサブタイトルの「Ｅarth's Ｃry　 Heaven's Smil 地上の叫び　天の微笑み」というのは、カルロスサンタナというロックギタリストの名曲「哀愁のヨーロッパ（原題は「ヨーロッパ」。邦題はなんか甘っちょろいのですが、このサブタイトルが示すように思想性の高い曲だと思っています。ユーチューブで「サンタナ　ヨーロッパ」で検索すると演奏を見ることができます。）」のサブタイトルです。基調に即して言うならば「天」とは、一人ひとりの人間がかけがえのない存在として大切にされる世界、つまり人間の尊厳が守りぬかれる世界、生きるに値する世界、意味のある現実とでも言ったらよいかもしれません。基調では、はそういうものを教育の方向目標として意識すべきだと主張しています。一方で現実は苦しみに満ちています。それが地上の叫びです。しかし生きるに値する世界は微笑み、われわれを励ましてくれますそれが天の微笑みです。<br>　共闘的関係についてですが、永田実践で取り上げた実例の私の説明がもう一つ上手くありません。繰り返し言いますが、共闘とは、第二章にも書いたように、相手の中にもう一人の自分を生み出すための関係です。教育の目的を目指してともにたたかい勇気づける関係です。決して生徒指導の先生を敵と見て、その敵に対して共闘しているということではないのです。<br>永田さんは、卑怯なことは許せない、勇気を出さないといけない、自分を含めてそういうクラスの現実をつくり出そう（教育の目的）と日頃、生徒に言っていたにもかかわらず、永田さん自身がそのような行動をとれなかった。自分自身の中にもうひとりの自分を生み出せなかったわけです。永田さんも未熟な存在として「それはやめてください」と言えなかったことを謝罪した。その姿に生徒たちは、もうひとりの自分を生み出すために闘っている同志の姿を見たのではないでしょうか？<br>　永田さんは、生徒たちにとって、自分たちを抑圧するものとして立ち現れているのではなく、自分たちを成長させる（共に成長しようとしている）人間として立ち現れていることが大切な点です。それが「共闘的関係を結んでいく」という言葉の意味だと考えます。<br>　自己に向かって「共闘」というのはおかしいという意見についてですが、ある人間がもうひとりの自分を生み出すために闘い、その闘いをもう一人の人間が励ますのが共闘だととらえたらよいのだと思います。</p><p>夏原さんへの応答</p><p>　夏原さんへ。基調が生まれた経緯の説明は確かにそのとうりだと思います。夏原さんの認識の提起で改めて自分自身でも意識できました。<br>　ただ第三章がこの基調の核心部であると指摘されていますが、全国委員会までの議論の中で、第二章も重要な部分だと現在では考えています。したがって第二章と第三章がともに核心部だと言ったほうがよいと思います。</p><p>夏原さんと西尾さんへの応答</p><p>さて全国通信では第三章が難解であるという意見がありましたので、第三章の読みときをしておきたいと思います。実践例に即して理論を述べているために、理論的な整理が不十分になっています。それがわかりにくさの原因だと思うのですが。次のように図式化してみました。いかがでしょうか？下に説明も付けています。</p><br><p><a href="http://kouseiken.jp/thk3701/08KichouStructure.htm" target="_blank">基調の全体の構造図</a> </p><p><br></p><br><p>以下は上の図の説明です。この基調では、「認識の指導と行動の指導」について述べた第三章と「指導の前提条件」としての共感的共闘的関係について述べた第二章が大きな枠組みとなっています。<br>　まずわかりにくいという声が出ている第三章について図を使って上から順に説明していきます。<br>　認識の指導は、「現実についての認識」の指導と、「その現実に関わる自己についての認識」の指導の二つからなります。たとえばクラスの現実はこうだと認識させても、その現実に自分（生徒自身）がどう向き合っているのかを認識しなければならない（認識させなければならない）ということです。そうすることで、「現実が意識化」されるということです。ただ単にクラスの現実を認識させただけでは、行動は生まれないのです。<br>次に現実が意識化されることで、行動が生まれます。この点は基調ではあまり協調しませんでしたが、自由に行動しなさいとか、自分たちの要求にしたがって行動しなさいということではないのです。それは子ども中心主義です。意味のある要求（自覚的要求）、意味のある行動を生み出すためには、現実の意識化が重要なのです。それが矢印のＡです。土居実践で言えば、現実が意識化されることで、生徒たちが次々に発言するという行動が生まれます。<br>　行動とは新しい現実を作り出す行動のことです。そのような行動の中で、行動能力が身に付きます。（矢印のＢ）たとえば人前で自分の意見を堂々と言う、クラスの問題について話し合うというスキルを身につけるのです。<br>　一方で、「行動」は人々の「関係性」を「変革」します。（矢印Ｃ）クラスのいじめについてクラス員が次々と発言するという行動は、クラスの中にいじめを隠蔽する関係性（力の強いものが支配する関係）ではない関係性（正義が通る関係）を生み出しているのです。たとえばリョウは、自分の行ったいじめという現実とそれに関わる自己を認識することで、いじめの事実をクラスの前で告白するという行動に出ますが、そのことが可能になったもうひとつの要因は、この話し合いによってリョウを含めたクラスの関係性が変革（力の強いものが支配する関係から正義が通る関係に変革）されたことです。「現実についての意識化」（矢印Ｅ）と行動が生み出した「関係性の変革」（矢印Ｄ）の両方があったからリョウの中に新しい思想（人はささえあって生きていくものだという思想）が生まれたのです。<br>　また「行動」がともなって、初めてその人の「思想」は本物となるでしょう。「行動が思想に決着をつける」のです。そのことを示しているのが矢印Ｆです。たとえば永田さんが謝罪するという行動があったからこそ、永田さんが本気で勇気という思想を身につけようとしており、永田さんの卑怯な人間になるなという思想が本物であることを生徒は見抜くのです。「偉そうなことを言うがあの教師にだけは言われたくない」ということはよくある話です。<br>　そして勇気を出して自分の罪を認めたり、一平のことを思いやって謝罪に行ったりという「行動能力」と、仲間の存在に気づいて人間はささえあって生きていくものだという「思想」の両方を身につけたからこそ、リョウは人間として成長できたと思うのです。つまり人格（市民性）を身につけたのです。（矢印Ｇ）<br>さてこのような認識の指導と行動の指導が、土居さんにできたのは、指導の前提条件として土居さんが生徒との関係をうまくとっているからです。卑近な言葉で言うと「信頼されている」からです。そのことを基調は「共感的共闘的関係」を結ぶことができていると呼んでいるのです。また、土居さんの指導が、思想の押しつけとなっていないのは、この関係が、呼びかけと応答の関係になっているからです。呼びかけと応答の関係は、相手を自分の思うままに指導できる客体と見る関係ではなく、お互いを主体として扱う関係です。群馬の西尾先生が、第二章はよくわかったと言ってくれているのは、西尾先生が、共感的共闘的関係を生徒との間でとれているからだと思います。<br>　夏原さんが、「現実の意識化」「行動」「思想形成」がどのような関係にあるのかがクリヤーに落ちないという疑問、西尾さんが、逃げ出したくなった第三章以下の記述について、これで少しはクリアーになったでしょうか？</p><p>夏原さんと田村さんへの応答</p><p>田村さんは、第二章や第三章で述べていることは、従来通りの指導であって、目新しいことではなく、それが市民性の形成を目指したとはいいがたいという指摘をされています。夏原さんも、これまでの生活指導実践が現実を意識化させることに自覚的ではなかったのか？という問いを出されています。この点は大事な論争点になると思います。<br>しかし、以上私が図によって説明したような、現実の意識化を、我々は、本当に意識しながらやってきたのでしょうか？やはり私は、多くの実践が現実を意識化するという観点が弱かったと思っています。<br>　その例を挙げたいと思います。<br>　永田実践が掲載されている機関誌１７６号の第１特集「ＨＲが好き」には４本のＨＲ実践が掲載されていますが、その中でも永田実践に特に注目しているのは、正清先生に義理立てているわけでもありません。永田実践では、教師が認識を提起したり、生徒の行動を意味づけたりという生徒たちに自分たちの現実を認識させる指導が特に顕著に行われているからです。後の３本のレポートで、教師が認識を提起したり、生徒の行動を意味づけたりする指導が行われているでしょうか？少し見てみましょう。<br>　たとえば、吉田慶子さんは、文化祭の出し物は、「クラス全員参加にしたい」とリーダーたちに話しますが、なぜクラス全員にこだわるのかという、この取り組みが一人ひとりにとって持つ意味を語りきれていないと思います。しかし、Ｄらは「クラス全員参加」の意味を暗に汲み取っているのでしょう。だからこそ「今作っているのはＡ組の作品であって、わたしらの作品ではない。」とクラス員の非協力に不満を爆発させたのでしょう。しかしそういう場面でも、吉田さんのクラス全体に対する語り（認識の提起）はないようです。<br>吉田さんは、空き缶アートというダイナミックな取り組み（行動）を提起し、見事にやり遂げ、最優秀賞をとったにもかかわらず、その行動をとおしてクラスにどのような関係性の変革があったのか、クラスにどのような新しい現実が作り出されたのかを十分に意識させることがなかったのではないでしょうか。また、ひとつの空き缶アートが、生み出されたわけですが、その存在が、見る人にとってどういう意味を持っていたのか。それは生きるに値する新しい世界を生み出すことになったのかなどについての認識を提起し、認識を共有することがなかったのではないでしょうか？そのためにクラス員個々の内面に思想を生み出すことがなかったのではないでしょう？彼女たちが行った行動の意味を、彼女たちが作り出した新しい現実の意味を充分に彼女たちは意識化することがなかったように思えるのです。<br>田村ゆう子さんは、「友人関係がセクト化してもその外側に緩やかなつながりのあるクラスにしたい」という方針を持っています。しかし、この方針をクラスに語ったのでしょうか？また、クラスでの話し合いのときは、口を挟むのをぐっと我慢して黙って聞いていると言います。しかしそれでクラスの現実についての彼らの認識は深まるのでしょうか？<br>卒業間近アンケートで「みんなで協力して団結できるところがいい」と書く生徒がいる一方、クラス独自の卒業アルバムを作らせたが、５人の生徒がほしくないと言ったといいます。アルバム委員はそのことを「寂しい」と評価しています。これではたして「緩やかでつながりのあるクラス」ができたといえるのでしょうか？なぜこういうことになるのでしょうか？<br>田村ゆう子さんは、行事の指導（行動の指導）を、手馴れたワザ（スキル）で生徒を乗せ、半ば強引に、精力的におこなっています。しかし、クラスの現実をどう見て、そのクラスの現実を行事をとおしてどう変えていこうとしたのか、行事の持っている意味は何かを生徒たちに意識させる指導についての記述がありません。記述がないということは、指導がないか、意識していなかったのではないでしょうか。その指導がなかったのでクラスの５人は、行事（行動）によって自分が成長したという実感がわかず田村さんの行事指導につき合わされたと受け取っているのではないでしょうか？推測ばかりで申し訳ありません。論争点だという所以です。<br>佐和啓子さんは、「みんなにとって居心地の良いクラスにしたい」と学級通信で生徒に伝えています。しかし、いじめ事件が発覚したとき教師がクラスに対して何を語ったかについての記述はありません。永田さんとの違いです。まさにその事件こそ「居心地の良いクラス」になっていないことを象徴するものなのにです。文化祭の取り組みでは、派手なグループとおとなしい生徒が棲み分けのような妥協案を担任が強引にまとめます。クラスの現実はどうなっていて、どこをどうしたらそのクラスの現実を変えることができるのかという指導やリーダーたち（リーダたちこそ、その集団の現実を最も意識させなければならないし、意識してくれる存在です。）との議論はなく、現実の追認になってしまっているのではないでしょうか。だから生徒の要求を鍛えることがないように思えるのです。おそらく行事（行動）さえすれば、自然にクラスが変わるだろうという思いがあったのではないでしょうか？（このことは3人の実践に共通しているように思われます。）確かに行事を通して人間関係ができてきたりする場面がありますが、佐和さんは、そのことを意味づけてクラスに意識化していく指導をすべきであったのだと思います。つまり現実を意識化する指導をすべきだったのです。そうすることで思想を形成し、行動能力を形成し、人格を形成することが出来るからです。つまり子どもを成長させることができるのです。</p><p>田村儀則さん、夏原さん、いかがでしょうか？以上のような3人の実践に、クラスの現実の意識化するという指導意識があるでしょうか？私は永田実践や土居実践とのちがいをとても感じるのです。クラスの現実を意識化するという指導は従来からなされてきたもので今取り立てて言うべきことではないといえるのでしょうか？市民性を育てるためにはクラスや学校を超えた現実についての意識化が当然必要です。しかし一方で、自分の身の回りの集団や他者を意識し、同時に自分をも意識することが、今、とても必要とされているのだと思います。そのような意識なしに、若者は、世界に目を向けようとしないのではないでしょうか？地域の共同性がくずれ、新自由主義が跋扈する世の中だからこそ、身の回りの集団、他者、そして自己をもう一度意識しなおす必要があるのだと思います。その意味で、第一章から第三章で述べた実践（永田実践と土居実践）は、第六章で述べた子ども若者のおかれた現実に立ち向かい、現実を切り開く実践であると考えています。地域の共同性が衰弱する中で、共同ということの意味を意識化させる実践であると考えています。だから詳しく丁寧に述べているのです。（もちろん第四章も第六章を意識しています）私の読みは間違っているかもしれませんが、とりあえずの私の意見です。田村儀則さん、夏原さんの応答をお持ちしています。特に田村儀則さんは大会前のあわただしいときにすいません。</p><p>　中順子さんへ</p><p>　基調を全体として評価していただいているかなという感じを受けています。ありがとうございます。ただ、中さんが「生徒の要求を大事にする」ことが私の言う「共闘的関係」と同義であるというところは、若干のズレを感じます。基調の図を説明したときにも言った点ですが、「生徒の要求を大事にする」とは、自由に行動しなさいとか、自分たちの要求にしたがって行動しなさいということではないのです。それは子ども中心主義です。意味のある行動を生み出すためには、教師と生徒による現実の意識化が重要なのです。現実の意識化によって「生徒の要求」を鍛える必要があるのです。もちろん教師の生徒に対する要求も現実によって鍛えられなければならないのですが。中さんは、「情勢に見合った触発を生徒にしているか」という指導の観点が必要だと述べておられますが、私の基調のことばで言うと「現実を意識化させているか」ということです。でも結局同じことを言っているのかな？</p><br><p>佐藤さんに応答します。<br>　①佐藤さんは「マニュアル横行の昨今の教育現場において、高生研は「それだけではだめだよ。議論の場をつくらなきゃ」と警鐘を鳴らし続けていたんじゃないでしょうか」と述べておられます。<br>　もちろん議論する場をつくることは大切であるし、岡村基調が、討議空間づくりといっているのもそういうことだと思います。ただ私が言いたかったことは、議論だけしていても、だめで、現実が見えてくるような（現実が意識化されるような）議論をしなければならないし、そのためには教師の認識の提起が重要であるということです。基調で触れることができませんでしたが、認識を提起するだけでなく、問題を提起するという指導のありかたもあるでしょう。そのことを示すために土居実践を丁寧に解説したつもりです。<br>②「これまでの高生研の実践は、行為・行動を指導さえすれば、人間は育つと考えていた節があるように思えるのです」と主張する根拠を示して欲しいと言うことですが、上述の田村さんと夏原さんへの応答で永田さん以外の３人の実践を例に私がそう考える理由を示しましたが、根拠は、基調に充分に書き込んだつもりです。私の主張のベースになる根拠は土居実践と永田実践です。土居実践のような現実の意識化の指導が、それこそ、当たり前のこととして頻繁に行われていたのでしょうか？もしそうだとするならこのような基調を書くこと自体が意味のないものとなります。佐藤さんは「基調のポイント２つ（「共感的共闘的関係性とか呼びかけと応答の関係」「現実を意識化する指導の重要性」）は賛成です。」と書いておられます。この基調には意味があるとおっしゃって頂いているのだと思うのですが？<br>大切なことは、佐藤さんの実践や私の実践に、現実を意識化する指導が足りなかったとは言えないのかと考えることだ思います。また、今高生研で「学び」が問題にされているのは、これまでの実践に、仲間とともに現実を意識化し、新しい現実をつくり出すという視点が弱かったからではないのでしょうか？そして現代社会においては、ますますこの現実を認識するという要素が重要となっているのではないでしょうか？そのことは基調の第６章に書いたとおりです。大阪高生研でも学びが重要なものとして掲げられています。<br>③行為・行動と認識という言葉の問題ですが、大阪の学習会で、佐藤さんは、行為・行動に認識は含まれると主張されたと思います。確かに認識活動も行為・行動のひとつですから、そういうとらえ方もできるのですが、行為・行動と認識を一応別のものとして分けた方がいろいろと見えてくることがあると言うことです。何が見えてくるかは基調に書いたとおりです。佐藤さんが大阪で言ったことを十分理解していないのであれば、大会当日意見を下さい。<br>④レッテル貼りの問題ですが、そのとうりだと思います。言葉を大切に扱って、とにかく空中戦にならないよう、気をつけたいものです。あくまで基調に書かれた現実（事実）を元に議論がなされれば幸いです。<br></p><p>以上長々と述べましたが、私自身が考えるためにも書かせていただきました。適当に興味のあるところだけお読みいただければと思います。</p>
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<pubDate>Mon, 28 Jul 2008 22:27:30 +0900</pubDate>
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