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<title>胸に満つる想いと言の葉たち★</title>
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<description>日々の想いを拙き言葉で・・・。</description>
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<title>散りぎわと引き際</title>
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<![CDATA[ <p>今、歌手の安室奈美恵さんが、来年の９月に引退すると</p><p>電撃発表をしたことが、話題になっている。</p><p>彼女は一時期、世の若い女性のカリスマとして</p><p>『アムラー』と呼ばれる女性たちを生み出し、社会現象まで作り出していた。</p><p>そして今でも、歌・ダンスなどは、超一流のパフォーマンスを観せられる</p><p>数少ない優れたエンタティナーである。</p><p>今どきのグループの中の一人として、出て来てすぐに忘れ去られる</p><p>アイドルとは、次元があまりにも違い過ぎるアーティストだ。</p><p>その彼女が、一年後の引退を発表したのである。</p><p>驚きや衝撃と共に「まだまだやれるのに惜しい！」と言う声が</p><p>ずいぶん上がっている。確かにそれも一理ある。</p><p>だが私は彼女の決断を支持する。「潔い！」と思う。</p><p>こんな引退宣言で、拍手喝采したくなったのは、山口百恵さん以来である。</p><p>百恵さんの場合は「結婚して、完全に家庭に入る」と言う理由だったが</p><p>安室さんの場合は、アーティストとしての達成感と</p><p>「まだパフォーマンスが完璧にできるうちに、完璧な姿を観る人々の</p><p>脳裏に焼き付けたまま、みんなの前からアーティストとしての姿を消したい」のでは</p><p>ないだろうか？そうだとしたら、それはもう彼女の生き方の美学だろう。</p><p>「沖縄」と言う土地を全国区にし、女性ソロアーティストとして</p><p>揺るがぬ人気と実績を積み上げ、数々の功績を残して</p><p>今までのイメージとパフォーマンスが、衰えないうちにスパッと辞める。</p><p>アーティストとしても、女性としても、アッパレな引き際である。</p><p>こんなキレイな引き際をすると、いっそう『安室奈美恵伝説』が</p><p>誰の心にも残るのではないだろうか？　まさに真のプロの生き方だ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ誰もがこんな美しい引き際をするとは、決して限らない。</p><p>芸能人、特に女優や元アイドルの女性タレントたちの多くが</p><p>老醜をさらしてでも、テレビに出ているのは「昔は綺麗だったのに」とか</p><p>「あの頃は可愛かったのに」と、思わせてしまう。</p><p>劣化せず、あるいはその年齢なりの美しさを保っている人は別だが</p><p>歳相応に劣化しているにも関わらず、人前に出るのはどうなのだろう？</p><p>それ以上に、不倫や暴言・暴力などのスキャンダルを起こした</p><p>女性政治家たちは、離党のみで、次の選挙には「無所属」で立候補するとか</p><p>その離党さえせずに、何食わぬ顔で議員を続けている者もいる。</p><p>彼女たちは「国民の信頼を裏切った」と言う自覚が、まったくないのだろうか？</p><p>「税金泥棒！」と、罵られても仕方のないことを、仕出かしているのに！！！</p><p>散りそびれた桜の花びらほど、汚らしいものはないのだが・・・。</p>
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<pubDate>Sat, 23 Sep 2017 11:13:56 +0900</pubDate>
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<title>最近、甘過ぎないか？</title>
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<![CDATA[ <p>最近のテレビドラマで、母子関係・家族の問題を</p><p>テーマにした作品が、二つ続けて、放送された。</p><p>一つ目は前クールだったか？『お母さん、娘をやめていいですか？』</p><p>次は先週、最終回を迎えた『過保護のカホコ』。</p><p>どちらも大筋のテーマは、共通しているのだが</p><p>前者の『お母さん・・・』は、もの凄くシリアスで、娘を守ると言うより</p><p>娘に執着すると言うか、娘を支配しようとする様子が</p><p>ストーカー化していて、恐怖すら覚える。</p><p>後者の『過保護の・・・』は、コメディータッチではあるが</p><p>母子関係に止まらず、家族・親戚の問題までの</p><p>エピソードが描かれている。</p><p>両作とも、母親や家族から離れるきっかけを作る男性が現れ</p><p>彼と付き合って行くうちに、娘が母親からの「自立」を目指して行くと言う物語であり</p><p>最終的には「娘の自立」と「いびつだった家族の再生」を、成し遂げ</p><p>ハッピーエンドで納まるドラマである。</p><p>私は前者の『お母さん・・・』の母親の心理描写が、執念を感じさせ</p><p>「普通でない母親から離れたい！」と言う娘の心情が</p><p>とてもリアルに表れていて共感できるし</p><p>一方の『過保護の・・・』はホンワカしたなかに娘の成長ぶりがコミカルに描かれていて</p><p>ハートフルな作品に仕上がっているのに好感が持てる。</p><p>どちらの作品も、心に響くものがある。</p><p>&nbsp;</p><p>この二つのドラマの視聴者は、ほとんどの人たちが</p><p>「おもしろい」とか「コワい」と言う感想を持ち</p><p>「ウチはあんなにヒドくない」と思っている人が、大半だろう。</p><p>だが、この二つのドラマは、今の世の中の風潮を、よく捉えていると思う。</p><p>どの家庭でも、この二つのドラマの要素は、確実にある。</p><p>少子化や共稼ぎ家庭の増加で「せめて子供のそばにいられる時は」と</p><p>子供に過保護・過干渉になってはいないだろうか？</p><p>私の周りの若者たちを見ていると「こんなこともできないの！」とか</p><p>「こんなことも知らないの！」と、驚きを通り越して、呆れるコトが多々ある。</p><p>本人に訊くと「いつもお母さんがやってるから、やり方知らない」と</p><p>恥ずかしがりもせず、平然とのたまう。</p><p>私は心の内で「あり得ない！！！」と叫ぶのみである。</p><p>こんな若者が、やがて家庭を持ち、子供を育てると想像するだけで</p><p>頭の中が真っ白になり、目の前が真っ暗になる。</p><p>その頃には幸い、私は生きていないだろうから</p><p>自分はイイのだが・・・。なぜかため息が出る。</p><p>&nbsp;</p><p>「やさしくする」のと「甘やかす」のとは、根本的に違う！</p><p>「やさしさ」とは、その裏に『責任』と『真の思い遣り』があり</p><p>時には厳しく突き放す場合もあるが、常に目と心が注がれている。</p><p>「甘やかす」と言うのは、ただ単にイイ顔をして、機嫌を良くしようとするだけで</p><p>『責任』や『真の思い遣り』など、まったくない。</p><p>今の世の中、親だけでなく「やさしさ」と「甘やかし」を</p><p>はき違えている大人が多過ぎるのではないか？</p><p>だから社会全体が甘々になり、今の日本は『スイーツ天国』なのだ。</p><p>これからこの国は・・・？</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1010to441/entry-12311500734.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Sep 2017 11:24:03 +0900</pubDate>
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<title>今を大切に！！！</title>
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<![CDATA[ <p>いつも思っていることだが、自分の年齢もさることながら</p><p>昨今の社会情勢を考えると「今」を、大切に生きなければと痛感する。</p><p>ゆえに最近『終活』とまでは行かないが、身の周りの物を</p><p>少しずつ整理している。</p><p>物ばかりでなく、心の内も、そろそろ整理して</p><p>不要な思いは忘れ去り、大切な想い出だけを記憶しておくように</p><p>心がけようと思っている。</p><p>心の内の不要な思いとは、マイナスな感情</p><p>たとえば過去の怒りや妬み・蔑みや憐みなどの負の思いである。</p><p>必要な感情は美しい想い出や希望・意欲や夢など</p><p>ポジティブな思いだ。</p><p>&nbsp;</p><p>自然災害や核・ミサイルに、いつ見舞われるか？分からない今のご時勢</p><p>誰にでも「明日」と言う日が来る保障は、まったくと言って良いほど無い！</p><p>だからこそ「明日」が、たとえ来なくても、後悔しないように</p><p>物心両面において、きっちり整理しておきたいのだが</p><p>思うほど簡単には、できないものである。</p><p>こんなことをグダグダ言っている間に、突然「明日」が来なくなるかも？</p><p>そうなる前に、できる限り整理して、伝えたいことは伝え</p><p>行きたい場所へは行き、書き残さねばならないことは書き残しておく。</p><p>&nbsp;</p><p>その前に一日一日を大切に、懸命に生きることが</p><p>何より肝要であるのは、間違いない！！！</p><p>不必要なモノやコトに捉われて、無為に時間を過ごさないように</p><p>自分をコントロールし、今日一日悔いのないように生きなければと思う。</p><p>その積み重ねが『後悔のない人生』と言うゴールにつながるのだ。</p>
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<pubDate>Sun, 10 Sep 2017 10:42:54 +0900</pubDate>
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<title>自負と自覚！！！</title>
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<![CDATA[ <p>最近、政治家の『政治活動費』の不正請求や、秘書への暴言・暴力</p><p>そして『不倫』と言ったスキャンダルが、毎日のように報じられている。</p><p>こう言ったスキャンダルの疑惑を持たれる人たちは</p><p>「自分がなぜ政治家になったのか？」改めて考え直してもらいたい。</p><p>お金にまつわることはもちろんだが『不倫』などと言うスキャンダルは</p><p>社秩序を乱す行為で「国民や県民・市民から選出された」と言う自覚と</p><p>「一国あるいは一県・一市の運営を自らの手に委ねられている」と言う自負が</p><p>まったく無いか、大幅に欠けているのではないか？</p><p>&nbsp;</p><p>よくテレビやネット・雑誌などで、芸能人が『不倫』や『熱愛』・『妊娠』などで</p><p>凄まじく叩かれていて、確かに良くないことをしている人たちも</p><p>いるにはいるが、彼・彼女らは芸能人と言っても、あくまで一般国民であり</p><p>税金を納めている側である。</p><p>社会的影響は少なくないにしろ、真に迷惑をかけるのは</p><p>周辺の関係者の人々ぐらいだ。そこが政治家と異なるところである。</p><p>&nbsp;</p><p>政治家諸氏は、一般庶民から選ばれ、まつりごとを委ねられ</p><p>その一般庶民の税金を使う存在である。</p><p>そう言う自負と自覚があれば、つまらないスキャンダルの類いなど</p><p>起こさないだろう。</p><p>現代の政治家諸氏に「庶民から選ばれ委ねられ、庶民が納めた税金を</p><p>使わせてもらっている」と言う、自負と自覚を、肝に銘じて</p><p>しっかり持ってもらいたいものである。</p>
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<pubDate>Thu, 07 Sep 2017 11:40:33 +0900</pubDate>
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<title>『愛』って何？</title>
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<![CDATA[ <p>キリスト教では、よく「神は愛なり」と言われ『愛』は神が与えるものとされている。</p><p>仏教では『愛』と言うより『慈悲』と言う言葉が、用いられる。</p><p>どちらも宗教的な違いで、言葉は異なるが、意味は神あるいは仏から与えられ</p><p>自分も他者に与えるものだと言うもののようである。</p><p>ただしこれは、あくまで宗教的な意味だ。</p><p>&nbsp;</p><p>では人間にとっての『愛』とは、どんなものだろう？</p><p>ひと言で『愛』と言っても、色んな種類がある。</p><p>『親子愛』・『夫婦愛』・『友愛』・『家族愛』・『隣人愛』ｅｔｃ・・・。</p><p>数え上げるとキリがないが、往々にして、よく使われるのが</p><p>『男女の愛』であろう。</p><p>歌の歌詞などは、バーゲンセールのように『愛』と言う言葉が溢れ返っている。</p><p>テレビドラマや映画・舞台などでも『愛』を、テーマにしたものが、ずば抜けて多い。</p><p>特にドラマや映画は『純愛』がテーマと謳った作品が、ほとんどである。</p><p>その『純愛』と対極と見られるのが、近頃ブーム化している『不倫』だ。</p><p>けれど以前、ある作家が「『不倫』こそが『純愛』である！」と</p><p>力説していたのを、記憶している。</p><p>その根拠は「相手の地位や経済力を度外視して、ただ相手を純粋に愛するから」と</p><p>言う説だが、果たしてそうだろうか？</p><p>世間で「愛人」と呼ばれている人の多くは、相手が資産家だったり</p><p>地位や権力の持ち主ではないのか？</p><p>もし仮に『不倫相手』が、地位も権力も経済力もさほどない</p><p>ごく一般人だとしても『恋愛』や『不倫』は、生活につながらず</p><p>「非現実の世界」で、束の間、夢心地と性欲を満たしてくれるだけである。</p><p>それに対して『結婚』はした瞬間から、生活が待っており</p><p>極めて「現実的な世界」である。</p><p>『恋愛中』や『不倫』は、逢っている間だけ、お互い自分の美点だけを見せ</p><p>醜い面や欠点は、隠しおおせられる。</p><p>だが『結婚』となると、いつまでも「美点の仮面」を、被り続ける訳には行かない。</p><p>その仮面がはずれ、真の姿が見えても『結婚生活』が破綻しなければ</p><p>そこに本物の『夫婦愛』の存在が、見えるのではないだろうか？</p><p>私の個人的な結論は「『不倫』は『純愛』ではなく、夢と快楽の束の間の世界」である。</p><p>&nbsp;</p><p>では真の『愛』とは、どんなものだろう？</p><p>これもまた、あくまでも私の感覚なのだが</p><p>「相手に見返りを求めず、ただただ相手を思い、相手のために尽くす</p><p>自分の存在が認められなくても！」と言うことではないだろうか？<br>言うならば『無償の愛』である。</p><p>いささか少女マンガ的かも知れないが、相手に何をも求めず</p><p>ひたすら相手のためを思い、尽くし続ける。必要となれば、自分の命さえ投げ出す。</p><p>『親子の愛』なら、成り立つ可能性が髙いのかも知れない。</p><p>ただ男女間には「束の間の恋」なら、生まれやすいのだろうが</p><p>男女間には、外見だけに惹かれたり、どうしても相手に認められたいと言う欲求や</p><p>自己中心的な思いが強くなり過ぎたりして、相手より自分のことを優先させてしまう</p><p>そうなりやすいので、なかなか男女の間には『真の愛』が生まれにくいのであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>いささか恥ずかしいが、私には心の内に「真に愛するひと」がいる。</p><p>相手の気持ちはまったく分からないし、どうにもできないし、しようとも思わない。</p><p>ただ相手の幸福を、心の内で祈るのみである。</p>
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<pubDate>Sun, 27 Aug 2017 13:44:27 +0900</pubDate>
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<title>「いつまでも有ると思うな、親とカネ！」</title>
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<![CDATA[ <p>自分も『障害者』でありながら、偉そうに言う資格があるか、どうか？</p><p>分からないが、最近つくづく感じることがある。</p><p>それは障害者や、何かしら問題をかかえた子供を持ちながら</p><p>他の障害者や高齢者などの介助や介護に、携わっている親ほど</p><p>我が子を自分の手だけで、介助をし</p><p>「自分亡き後の我が子の将来を考えているように見えない」親が多い気がする。</p><p>他の重度障害者や認知症の進んだ高齢者の</p><p>介助や介護をしていれば、自ずと我が子の将来も想像でき</p><p>自分の死後、その子供をどうするか？考えて然るべきだろう。</p><p>そのために体力のある間に、他の障害者や高齢者</p><p>色んな問題を抱えた人の生活を支えながら</p><p>我が子にとって、ベストな生き方を探ろうとするべきではないのか？</p><p>私の周囲には、そう言う親御さんが、意外に少なく感じる。</p><p>「兄弟がいるから自分たちが死んでも、兄弟の誰かが面倒を見てくれるだろう」と</p><p>考えているのだろうか？だとすると、その考えは非常に甘い！！！</p><p>いくら兄弟でも、家庭を持ち、自分と家族の生活が最優先で</p><p>障害や問題を抱えた人間の面倒まで、見切れないし</p><p>そう言うことを押し付けること自体、兄弟にとって、酷だろう。</p><p>「それがダメなら施設か病院へ入れる」と言うのも</p><p>本人の意思を無視しているようで、なんだか本人が気の毒な気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>せっかく他の障害者や何らかの問題を抱えた人の生活に関わっているのだから</p><p>そう言う人たちの生き方を参考にして、我が子の将来を考え</p><p>自分がいなくなっても、兄弟や親戚に頼らず、公的なサポートを</p><p>できる限り利用して、自分らしい生活が送れるよう</p><p>親に体力と気力があるうちに、しっかり備えておぐきだと思う。</p><p>もちろん本人の気持を聴き、相談しながら。</p><p>「この子は私がいないと生きて行けない！」と言う、昔ふうな考え方は捨てて</p><p>「私がいなくなっても、この子は自分でしっかり楽しく生きて行ける！」と</p><p>思えるような親が増えることを、私は願っている。</p><p>&nbsp;</p><p>今回は障害者や何らかの問題を抱えた人のことだけを取り上げたが</p><p>昨今、別にそう言う人に限らず、普通に生きているように見える若者たちも</p><p>親に何でも依存しているため、社会生活がまともに送れない者が</p><p>少なからずいるのも、現実である。</p><p>親もそう言う我が子を甘やかし、必要以上に世話をやく。</p><p>障害者や何らかの問題を抱えた人よりも、そんな一見普通の</p><p>けれど親にすべてを依存している若者のほうが</p><p>むしろ厄介かも知れない！！！</p><p>いずれにせよ「いつまでも有ると思うな、親とカネ」と言う言葉を</p><p>親も子供も、心にしっかり刻み付けておくことが、肝要だと思う。</p>
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<pubDate>Sun, 20 Aug 2017 10:54:53 +0900</pubDate>
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<title>世界中、幼稚化！！！</title>
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<![CDATA[ <p>このところ、世の中全体が子供っぽくなっている。</p><p>特に国の首長など、重責を担っている人間たちが</p><p>こぞって幼稚化している。これはもう嘆かわしいを越えて</p><p>危険を感じる状況である。</p><p>なぜ話し合わず、相手を威嚇し、互いにチカラで抑え込もうとするのだろう？</p><p>特に大国なら、余裕を持って、もっと大人な対応ができないものだろうか？</p><p>巻き込まれる周辺諸国に与える影響など、まったく考えていないようだ。</p><p>たとえ国の首長の言動でも、間違っているとか、言い過ぎているなどと</p><p>諌める者は、周りにいないのだろう。まるで『裸の王様』である。</p><p>国の首長でなくても、会社のトップや団体のリーターでも</p><p>『一強の独裁』は、理不尽を生み、決して良い結果は得られない。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちの身近にも、実年齢に相応でなく、やたら子供っぽい輩が多い。</p><p>自分の遣りたいことだけをし、相手や周りのことは考えず</p><p>何か注意でもしようものなら、自分の権利だけを主張し</p><p>義務や責任はそっちのけである。</p><p>これではまるで「子どもの駄々こね」だ。</p><p>そう言う大人を見て育つから、いっそう「大人になれない子供」ばかりが</p><p>増えて行くのである。かと言って、子供らしい純粋さを持っているかと言えば</p><p>そうではなく、妙に計算高いところがあり</p><p>お世辞にも「カワイイ！」とは言い難い子供や若者が</p><p>やたら目につく昨今である。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして世の中全体が、幼稚化して行き</p><p>真の大人が、どんどん減って行き、精神的に幼い人間が</p><p>限りなく増えて行くのだろうか？</p><p>もしそうなれば、世界のそこここで「駄々こね」が頻発し</p><p>「強く主張した者勝ち」のバカげた世の中になるだろう。</p><p>そうならないためには、どうしたら良いのか？</p><p>私は憂い嘆くだけで、明確な答えをまだ持てないでいる。</p>
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<pubDate>Wed, 16 Aug 2017 11:37:56 +0900</pubDate>
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<title>勘違い帝王</title>
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<![CDATA[ <p>今更ながら、改めて乙武洋匡氏の思考や言動に</p><p>『障害者』として、非常に憤っている。</p><p>乙武氏は『障害者』を越えて、人間として、自立していない！</p><p>にも関わらず、乙武氏は教育関係の職に就いたり</p><p>公的立場の地位を得ていた。</p><p>人の気持も思い遣れず、感謝の気持もいっさいなく　</p><p>「自分はエリートで、自分の言うことはすべて正しい！」と言い張り</p><p>謙虚さもまったくなく、何か問題が起これば</p><p>全部、相手のせいにする。</p><p>だが彼は実質、誰かの手助けがなければ、生活のすべてが成り立たない。</p><p>手助けをしてもらっても、当たり前！と言うのが、乙武氏の思考なのだ。</p><p>「自分は聡明で、弁も立つから、特別なんだ」とでも</p><p>思っているのだろうか？</p><p>たとえどんなに頭脳明晰でも、理論派であっても、</p><p>それと「人としての価値」は、まったく別物である。</p><p>&nbsp;</p><p>『障害者』だからと言って、清廉潔白に生きなければならない訳ではないが</p><p>妻に身辺介助をしてもらいながら、何人もの愛人を作る神経が</p><p>尋常ではないと思う。</p><p>妻は夫の介助だけでなく、子育てや家事も全部、こなして</p><p>おそらく自分の自由になる時間など、なかっただろう。</p><p>親兄弟でも何でもなく、ただ「配偶者だから」と言うだけで</p><p>夫の身辺介助まで担わなければならないと言うのは</p><p>あまりにも妻の負担が重過ぎるのではないか？</p><p>世間ではよく事故や病気で、障害を持った配偶者の介護や介助を</p><p>している人のことを『美談』として、主にマスコミが先頭に立って</p><p>称賛しているが、それこそが乙武氏のような</p><p>勘違いも甚だしい、自立も成熟もしない『障害者』を、のさばらせているのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>私が最も強い怒りを覚えた、乙武氏の言動は</p><p>「俺の世話をしなかったら、お前を『障害者虐待』で訴えてやる！」である。</p><p>私から見れば、真逆で、乙武氏は妻の自由な時間を、自分のために</p><p>奪っていて、それこそ立派な『人権侵害』だ。</p><p>本来、配偶者の負担を少しでも減らすために、ヘルパーや家政婦・看護師など</p><p>他人介助者を入れて、自分の身辺介助は、妻にさせないくらいの</p><p>思い遣りを持つのが、夫婦間の愛情ではないのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>離婚した今、妻がいなくなり、他人介助者を入れているのか？</p><p>分からないが、乙武氏の今までの性格や考え方が</p><p>変わっていないとしたら、他人介助者も長続きはせず</p><p>結局介助者が見付からなくなり、また実家に帰って、母親に面倒をみてもらうか</p><p>施設に入所するしか、生きる術がなくなるだろう。</p><p>いずれにせよ、乙武氏は自立も成熟もできていない</p><p>単なるわがままで子供っぽい『障害者』でしかないのだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 10 Aug 2017 15:14:42 +0900</pubDate>
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<title>結婚て？？？</title>
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<![CDATA[ <p>最近相次ぐ『不倫疑惑報道』に辟易している。</p><p>国会議員と市会議員は以ての外だか</p><p>〇〇教の敬虔な信者だと自認する、有名女優が</p><p>『Ｗ不倫疑惑』を報じられ、記者会見をしたものの</p><p>会見を聞いても、疑惑は深まるばかりである。</p><p>彼女の場合、単なる女優なら、まだしも</p><p>「自分が信者である」と公言している宗教の教義に</p><p>『不倫』は反しているだろう。</p><p>一般人の信者なら、まだしも「有名女優」と言う</p><p>「準公人」の立場の人間が、堂々と教義に反することをすると</p><p>その宗教を真面目に、熱心に信仰している信者の人たちは</p><p>たまったものではないだろう。</p><p>別に私は何の信仰も持っていないが</p><p>もし自分が信じている宗教の有名人の信者が</p><p>教義に反するようなことをしたら</p><p>その宗教のイメージまで悪くなることに、極めて憤りを感じ</p><p>「彼女を破門してくれ！」と、強く願うだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>昨夜たまたま、親しい介助者三人と『飲み会』をした。</p><p>私以外の三人は全員既婚者で、各々の結婚生活について</p><p>色々話が出て来たのだが、みんな否定的な意見ばかりだった。</p><p>「結婚して良かった」と言う意見は、ほとんど皆無である。</p><p>それぞれに愚痴と後悔と不満にあふれた話題ばかりである。</p><p>未婚の私は、そう言う話を聞いても、真の意味で共感はできないが</p><p>かと言って、そう言う話に、違和感はまったく感じず</p><p>むしろ「なるほどな」と思うほどである。</p><p>政治家や有名人・一般人などが『不倫』をしたり</p><p>結婚生活の愚痴や不満ばかりを言うのなら</p><p>なぜ『結婚』をするのだろう？</p><p>特に芸能人などは、懲りもせず、何回も！！！</p><p>&nbsp;</p><p>私自身「結婚生活」と言うものに、この歳まで、夢や憧れを抱いたことがないのだ。</p><p>『結婚式』と言うセレモニーには憧れるし「一度はやってみたい！」とは思っているし</p><p>もちろん恋愛は幾度もしている。好きになった男性は何人もいる。</p><p>ただし、たとえどんなに好きになっても、付き合いたいとは思うが</p><p>結婚したいとは、ほとんど思ったことがない。</p><p>もう数十年前に「この人と結婚としたい！」と、秘かに思った男性はいたが</p><p>実現はせず、後で振り返り「もしあの男性と結婚していても</p><p>本当に幸福になれたのだろうか？」と言う思いだけで</p><p>結婚できなかったことを、後悔はしたことがない。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜこのような考え方になっているのか？自分でも分からない。</p><p>別に両親の夫婦関係が不和だった訳ではなく</p><p>むしろ夫婦関係は良好だったし、周囲にも夫婦関係が不和だった人はいない。</p><p>無理矢理、理由を探すとすれば、私が「生まれついての自由人」だからだろうか？</p><p>何せ他人と生活するのが苦手な人間なのだ。</p><p>これは別に、障害の有無に関係なく、とにかく人に気を遣わず</p><p>自由に生きたいと言う意識が、結婚願望をはるかに上回っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>だが今、私は猛烈に結婚したい！！！</p><p>それは昨年、父が他界し、兄弟姉妹もいず、頼りになる親類縁者もいない</p><p>私は『天涯孤独』になったからである。</p><p>通常時は今のままで良いのだが「身元引受人」なる者が必要になった時</p><p>『夫』と呼べる人が欲しいのだ。</p><p>結婚の条件は別居・別会計・金銭感覚の適性。</p><p>相手に求めることは「絶対に借金をしない」と、必要な時に来てくれることだけである。</p><p>あとは別に何もない。お互い自由に過ごし『夫』たる男性を</p><p>束縛するつもりも、いっさいない。</p><p>ただお互いに『信頼関係』が築ければ、ベストである。</p><p>結局、何か私に異変があった時「身元保証人」になってほしいだけなのだ。</p><p>もちろん相手が望めば、形式的な『妻』としての役割は果たすつもりである。</p><p>そう言う『契約結婚』をしてくれる男性が、どこかにいないだろうか？</p>
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<pubDate>Sat, 05 Aug 2017 11:20:21 +0900</pubDate>
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<title>極端な特別視</title>
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<![CDATA[ <p>『相模原障害者施設殺傷事件』の犯人は「障害者は不幸を生む</p><p>不要な存在だ！」と言う考えのもと、次々と犯行を重ねて行き</p><p>その考えに同調する人間たちが、ネット上に多数のコメントを</p><p>書き込んでいるらしい。</p><p>まさしく『優生思想』の象徴である。</p><p>また先日のバニラ・エアの障害者の乗客が、航空会社側の対応を</p><p>社会へ向けて批判したり、著名な作家の乙武氏が、突然来店した</p><p>イタリアンレストランの接客態度に憤り、ブログで店名を晒し</p><p>文章で痛烈に攻撃して、騒動を起こしていた。</p><p>こんな障害者のプロのクレイマーのせいで</p><p>「障害者はみんな、生産性が低い割に、非常識で身勝手である」と言う認識が</p><p>世間一般に広まっている。だからこそ、極論すれば</p><p>「障害者は不幸を生む不要な存在である」と言う意識が</p><p>世の中に蔓延しているのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>かと思えば、障害者はドラマや映画の中で「困難を克服し</p><p>どんな苦労をしてでも、一生懸命に生きる純粋な心を持った努力家」として</p><p>描かれる場合が、ほとんどである。</p><p>そこには「障害があることは可愛そう！」と言う思いが</p><p>何となく透けて見える。</p><p>「障害者はけなげで憐れな人間だ！」と、主張しているようなものである。</p><p>&nbsp;</p><p>この一見真逆に見える両方の考え方が</p><p>実は根本は同じで、障害者を特別視しているのだ。</p><p>つまり「健常者とは、別の世界で生きている存在」と言う認識なのである。</p><p>なぜ普通に地域で生きている人間として視、捉えてくれないのだろう？</p><p>平凡に暮らす障害者を、どうして視てくれないのだろう？</p><p>障害者だって、健常者と同じように、ズルい人間もいれば</p><p>わがままなヤツもいる。</p><p>もちろん一生懸命生きている人間もいるし。</p><p>両極端な『特別扱い』をされると、当事者はとても生き辛いのだが・・・。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1010to441/entry-12297717379.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Aug 2017 11:47:02 +0900</pubDate>
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