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<title>あらきまさきのブログ</title>
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<description>東京の会社に勤める普通の会社員です。日々の生活で感じる「違和感」をブログにしたためます。</description>
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<title>「イングロリアス・バスターズ」クエンティン・タランティーノ監督</title>
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<![CDATA[ <p>　コロナ禍で重い映画をどうしても観る気になれなくて、久しぶりのタランティーノ作品。</p><p>別に最近気持ちが軽くなった訳ではないけど「もうそろそろいいかな？」って感じ。</p><p>これが気の緩みに繋がるのかなぁ？</p><p>&nbsp;</p><p>　「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は公開当時に映画館で観たので、今回は「イングロリアス・バスターズ」「ジャンゴ　繋がらざる者」「ヘイトフル・エイト」をNETFLIX で。</p><p>　特に「イングロリアス・バスターズ」は今回初めて観たけど、タランティーノ作品は相変わらず気持ちが悪い。</p><p>だけど、なんか後味は悪くないんだよなぁ…って観終わった後のいつもの感覚。</p><p>&nbsp;</p><p>　嫌な奴がボコボコにされて、最後はいい奴が勝つっていうのは僕にとってはどうでもいいんだけど、後味が悪い映画は二度と観たくない。</p><p>　例えば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「誰も知らない」</p><p>&nbsp;</p><p>　そういえば不幸や悲しみで終わって「救いが無い」映画を最近は観なくなったような気がする。それはもしかしたら、僕が無意識に避けているだけかもしれないけど。</p><p>　</p><p>　でも映画はなんだかんだ言って単なる娯楽でしかないんだから、最後に少しは「救い」があって欲しいなぁ。</p><p>&nbsp;</p><p>　これもコロナ禍で気持ちが重くなりがちな反動なのかなぁ…</p>
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<pubDate>Mon, 27 Sep 2021 21:10:23 +0900</pubDate>
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<title>「カメラを止めるな！」上田慎一郎監督</title>
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<![CDATA[ <p>　ここ最近（２０１８年８月）話題のインディーズ映画。</p><p>　最初は２館だけで上映されていたが、話題が話題を呼び今や全国の多数の映画館で上映されている。</p><p>&nbsp;</p><p>　観終わった後の率直な感想は「やられた！」である。</p><p>　低予算で製作された映画でも、脚本をしっかり練って、しっかりと創りこめばこんなに素晴らしい映画ができるってこと。</p><p>　映画好きというか、映画を製作したことがある人、映画を撮りたいと思ったことがある人にとっては最高に楽しめると同時に嫉妬してしまう映画だ。</p><p>　特にこの映画は監督&amp;俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第７弾作品ということだが、「ENBUゼミナール」は数年前に社会人の僕でもしっかり映画の基礎を勉強したいと思ってパンフレットを取り寄せてまで入学したいと思ったことがある学校であるから特に悔やまれる。</p><p>　思いついて行動力が伴わないのは、僕の最大の弱点なのは分かっているのだけど・・・</p><p>&nbsp;</p><p>　Wikipediaで調べると上田監督は高校二年の時に友達といかだで琵琶湖を横断しようとして漂流して新聞沙汰になったことがあるらしい。</p><p>　やっぱり、行動力がカギか・・・</p><p>　そんな上田監督だからこそ撮れた映画だと思うし、僕のような「頭で考えすぎる」タイプにとっては羨望以外の何ものでもない。</p><p>　　（そういえば、映画の中でも考えすぎでズレズレの俳優が出てきたな・・・）</p><p>　まさに『カメラを止めるな！』という題名自体がこの作品が表現する行動力や推進力の大切さを物語っているのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかも推進力だけで押し切らず、しっかりと脚本が練りこまれていて、後々「そういうことだったのか・・・」と感じるストーリー展開も絶妙に素晴らしい。最初の３７分のワンカットを撮って、その後に後半のシーンのつじつまを合わせるようにとったと思うが、最初からしっかりと脚本を創ってそれを微調整するのは「走りながら考える。その逆は無意味」といった、僕自身があこがれる方法論に満ち溢れている。</p><p>&nbsp;</p><p>“Don’t think feel!” または” Don’t think act!”・・・</p><p>いうに易しだが、なかなか実行するのは難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 18 Aug 2018 01:47:57 +0900</pubDate>
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<title>「戸田家の兄妹」小津安二郎監督</title>
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<![CDATA[ <p>　この映画は１９４１年に公開された、ってことは日本が太平洋戦争を始めた年だ。</p><p>としたら、よくそんな時によくこんな映画を公開できたな、って言うかよくこんな映画が撮れたな、っていうのが最初の感想だ。</p><p>&nbsp;</p><p>　貴族である戸田家の当主が亡くなって、子供たちが手のひらを返したように、残された母親と一番下の妹を邪険に扱うっていうストーリーだ。</p><p>　「リア王」の昔からよくあるテーマだけど、戦時下の日本の軍部が家族のつながりを悪く描くこのような映画をよく許したと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>　最近（少し昔から？）になって、ハリウッド映画でも「家族の繋がり」をテーマにした映画はよくあるが、人の繋がりで最も小さくて最も大切なコミュニティである「家族」はその中にいる時にはなかなかその有難みに気づかないが、結局のところ家族といっても一人ひとりの考え方や性格がベースになっていて、思っているより脆くって、それでもやっぱり最後に頼るべきすばらしい関係性であることをあらためて感じさせてくれた。</p><p>　</p><p>　貴族と庶民の階級差による生活や考え方の違いも描かれているが、そんなことが気にならないほど、いつの時代でも普遍的な人と人との繋がりについて考えさせる映画だった。</p><p>&nbsp;</p><p>　後半近くになると「この映画はハッピーエンドかそうでないか？ハッピーエンドだったらいいな…」と思いながら観ていたが、最後のシーンがとても良くて「よかったなぁ…」って感じながら観ることができた。</p><p>&nbsp;</p><p>　小津映画は観終わった後に幸せな気持にさせてくれるからいいね。</p>
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<pubDate>Sun, 12 Aug 2018 21:44:25 +0900</pubDate>
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<title>「お茶漬けの味」小津安二郎監督</title>
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<![CDATA[ <p>　１９５２年の小津監督の作品ってことは「東京物語」の前の年に公開されたってことなのだが、それ以降の小津作品は「親子（父娘）」を題材にしているが、この映画は「夫婦」を題材にしている。</p><p>　でも、いずれにせよ「人類不変の愛のカタチ」がテーマであることには大きな違いはない。若し頃の大島渚監督がそんなテーマを「古臭いメロドラマ」と切って捨てるのは理解できるが、今の時代も、またこれからの時代も「一周回って」心にしみる名画であることは間違いない。</p><p>　この作品の主題にそって僕自身が「Primitive」に感動したポイントを＜客観的＞＜主観的＞に分けて羅列してみる。</p><p>&nbsp;</p><p>＜客観的評価＞</p><p>①&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 画がいい！ってことは小津作品だから当然だけど、いつもの固定カメラだけではなく、移動カメラも使っている。ちょっと不自然だけどそれはそれで新鮮な味わい。でも、固定カメラのロー・アングルの方が小津映画って感じかな？</p><p>②&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 配役たちの後ろの壁にいろんな絵や写真が象徴的に飾られているのが面白い。特に主役の佐分利信が初めて自らの心を吐露するシーンではこんな時代の映画なのに、ヌード写真が飾られている。（小津監督、攻めてるな・・・）</p><p>③&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 若頃の淡島千景がメチャクチャ美人！（これは主観的評価か・・・？）</p><p>&nbsp;</p><p>＜主観的評価＞</p><p>①&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 終戦後７年しか経っていない頃の時代設定なのに、当時の日本のサラリーマンってこんなに優雅で時間的余裕があってうらやましい！日々の仕事に追われてる身としては「働き方改革」のお手本にしてほしい。</p><p>②&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; パチンコや競輪、ラーメンやとんかつ等、当時はやり始めた娯楽が出てくるが、意外に批判的な描写なのが面白い。特に笠智衆が演じるパチンコ屋のオヤジが「こんなものにはまってはいかんです」っていうセリフにはとても共感する</p><p>③&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; その笠智衆が短いシーンにも関わらず、とても存在感があって素晴らしい。この後の小津作品の中でなくてはならない存在として主役を張り続けるのはとてもよく理解できる。</p><p>&nbsp;</p><p>　といった具合に今回は箇条書きでコメントしてみました。</p><p>　</p><p>　それにしても小津監督の作品はどの作品も素晴らしくて、日本人として原語のまま鑑賞できることに最高の幸せを感じる。本当にヴィム・ヴェンダースは小津作品の素晴らしさをわかってるのかな？・・世界的名監督に失礼な一言でした・・</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 08 Aug 2018 23:33:25 +0900</pubDate>
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<title>「小津と語る」田中康義監督</title>
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<![CDATA[ <p>　「映画はカメラを軸に撮るのではなく、その前の人々の世界を追うのだ」</p><p>　この映画の中でアキ・カウリスマキ監督が小津作品から学んだとこととして語る言葉だ。</p><p>　この映画が上映されたのは１９９３年で僕はその当時リアルタイムに映画館で観ているはずだが、このカウリスマキ監督の言葉とヴィム・ヴェンダース監督が心の底から熱く小津監督「愛」を語っていたことしか印象に残っていない。</p><p>　つまり、当時はそれほど印象に残らない意外性のない映画だった。</p><p>&nbsp;</p><p>　小津安二郎監督は間違いなく僕が大好きな映画監督の一人であるが、世界の名だたる映画監督が小津作品を絶賛するたびに、少しだけ違和感を感じる。</p><p>　「普遍的な家族愛」や「言葉では語れない心の揺れ動き」をアメリカやヨーロッパの映画監督が小津作品の評価として語る視点は日本人の僕にとってはそりゃそうでしょ・・・的な視点でしかない。</p><p>　もちろん小津作品にはカメラワークの独創性やセリフとセリフの「間」の斬新さなど「さすが世界の小津！」というべき完成度の高さを感じるが、欧米の映画監督たちが語る視点はその映画技術の完璧さを表現するための素材としか思えない（ヴィム・ヴェンダース監督は全く正反対の観方だったな・・・）</p><p>&nbsp;</p><p>　この映画「小津と語る」は松竹が小津安二郎生誕９０周年を記念して創った映画だが、世界的な映画監督のコメントをとるためにその監督たちの住む場所（香港、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、パリなどなど・・）の街の風景が織り込まれている。</p><p>　小津作品を意識して「できるだけ客観的に街の中のありふれた生活を映している？」ようだが、笑えるほど間が悪いし画も悪い。</p><p>　それだけに余計に小津安二郎の映画技術の偉大さが浮き彫りになる。</p><p>&nbsp;</p><p>　「松竹は小津安二郎作品を大切にするべき義務を負うはずなのに、２０年以上前の作品とは言え、よくこんな映画を作ったな・・・でも、まてよ？もしかするとわざと小津安二郎の偉大さを賞賛するためにわざとダメな映画をこの世に送り出したのかな？」ってことを考えさせるほどのダメな映画だ。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 05 Aug 2018 22:32:40 +0900</pubDate>
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<title>「蜘蛛巣城」黒澤明監督</title>
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<![CDATA[ <p>　先日（２０１８年７月１９日）、脚本家の橋本忍さんが亡くなったため、あらためて彼が日本映画史に残した功績を知りたくなり「複眼の映像」という彼の著書を買って読んでみることにした。</p><p>　橋本さんが黒澤明監督と出会って「羅生門」や「七人の侍」の脚本を共作するに至った経緯が彼自身の言葉で生々しく書かれていて、読めば読むほど「世界の黒澤」のすごさを感じることができた。</p><p>　「黒澤明という男―それは閃きを掴む男である」という橋本さんの言葉に今まで僕自身が感じてきた「黒澤明作品の中にある『閃き』を感じる喜び」が決して間違った楽しみ方でなかったことを再認識させてくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>　久しぶりにその喜びを感じてみたくなって「蜘蛛巣城」を観た。あらためて感じたのは「これって、今の世の中によくいる『人として未成熟なために、よからぬ声に振り回されて、結局世間に迷惑かけるサイテーのやつ！』の映画なんだな・・・」ってこと。</p><p>　長く会社勤めをしていると、会社の方針や上司には従順に従うのだが、結果として会社に迷惑をかける輩を何度も見てきた。会社の中には、若い時に会社にすべて捧げて「殊勲」を果たしてきたために、自分のやり方が唯一無二の方法論でその他のやり方は間違っていると誤解？している「未成熟な武将タイプ」の上司が多い。こんな上司についたら最後、どんな優秀な若手も芽を摘まれるか、さっさと見限って会社を辞めてしまう。それは長い目で見ると会社に損害を与えていることになる。</p><p>　「蜘蛛巣城」に出てくる「もののけ」は、三船敏郎が演じる武将、鷲津武時をそそのかして、武時に主君を殺させる。その主君の代わりに蜘蛛巣城の主となった武時は自分が犯した罪を心のどこかに感じながらも、権力の虜になった妻から「もっと上を目指せ！」と発破をかけられて組織を間違った方向に導く。結局、武時は主の間違った指示に気が付いた自らの部下たちに矢を向けられて、全身串刺しになりながら哀れな最期を遂げる。</p><p>&nbsp;</p><p>　部下たちが気づいてよかった、間違った主は哀れな最期を遂げてよかった。これが、僕がこの映画を観た直後の感想である。</p><p>うちの会社は「もののけ」や「権力の虜になった妻」たちにそそのかされた主を正すことはできるのだろうか？</p><p>　古き良き日本映画にはとてもたくさんの事を学ばされる・・・</p>
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<pubDate>Fri, 03 Aug 2018 23:08:57 +0900</pubDate>
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<title>「プロミスト・ランド」ガス・ヴァン・サント監督</title>
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<![CDATA[ ガス・ヴァン・サントは僕の大好きな映画監督の一人だ。<br><br>「マイ・プライベート・アイダホ」「ラスト・デイズ」「永遠の僕たち」は今まで何度も繰り返し観た映画である。<br><br>その監督の最新作はアメリカの田舎町でシェールガスの採掘を目指す採掘会社の社員（マット・デイモン）が町に住む人々を説得する過程で感じる心の葛藤を描いている。<br>（強引に分類すると）ガス・ヴァン・サントの作品群の中で「エレファント」や「ミルク」といったいわゆる「社会派」映画に属する。<br><br>実は僕はガス・ヴァン・サントの映画の中で「社会派」映画は好きではない。<br><br>もちろん「社会派」の素材を扱っていたとしても、ガス・ヴァン・サントが描けば一人の個人が感じる違和感のようなものに強くスポットを当てる作品になるので純粋な「社会派」映画ではないのはわかっているのだが、できればガス・ヴァン・サントにはもっと個人の身近な素材をつかって映画を撮ってほしいと感じる。<br><br>個人の身近な素材を使って映画を作ると何が違うのか・・・？<br>ざっくり言うと心の葛藤に普遍性がより強く出ることであろう。<br><br>特に今回の作品を観て率直に感じたのは「アメリカ人が観たら感じるところがあるんだろうな・・・日本人の僕にとってはなんかわかんないな・・」という感想だ。<br><br>それは単純にシェールガスが日本に存在しないからではない。<br>組織の論理より個人の正義の大切さを描きたいのならばより多くの人が実感できる素材を扱うべきじゃないか？といった簡単な理屈からだ。<br><br>「社会派」映画はオリバー・ストーン監督にまかせておけば・・ってことである。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 15 Oct 2014 22:40:40 +0900</pubDate>
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<title>「祇園の姉妹」溝口健二監督</title>
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<![CDATA[ 溝口健二監督の作品は男の視点で一方的に描かれた作品が多いが、特に本作は偏った解釈で撮られた映画である。<br><br>祇園の芸者姉妹がパトロンの男たちに振り回されながらも、強く生きていこうとするが、結局、最後に悲しい結末を迎えて涙ながらに自分の境遇を嘆く・・・<br><br>見方によっては男の身勝手さとその被害者としての芸者の悲しみを描くことによって、女性の味方を表明しているようにも受け取ることができるが、結局のところ女ってそんなもんだよ、男がいないとダメなんだよと切り捨てるようなところがあって僕は違和感を感じる。<br><br>そんなに男って強いかな？<br>僕にはその当時の祇園の芸者も今の銀座や六本木で働く女性も決して弱い存在ではないように思える。<br><br>溝口健二監督の作品はとにかく画が美しいので、それだけで作品として高い評価を与えてしまいがちだが、描かれた人物描写が古い点が馴染めない。<br><br>でも、１９３６年の作品だから仕方がないか・・・<br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 20 Mar 2012 02:10:53 +0900</pubDate>
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<title>「アバター」ジェームズ・キャメロン監督</title>
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<![CDATA[ いまさらだけど「アバター」である。<br><br><br>２００９年の同時、僕は「アバター」を公開初日に映画館で観た。<br>当然「３Ｄ」で観た。<br>その時は全く良い映画とは思わなかった。<br><br>まず、３Ｄが気にいらなかった。<br>これは、僕個人の問題だが３Ｄ映画を観るとなぜか気持ちが悪くなってしまう。<br>俗に言う（？）「３Ｄ酔い」である。<br>その時のトラウマから、僕はそれ以降３Ｄ映画を観ていない。<br><br>その上、３Ｄの映画は３Ｄであることを前提にしたシーンが多くて興ざめしてしまう。<br>何かが必要以上に接近してきたり、大きな建物の俯瞰シーンが多用されたりすると「邪魔なシーンだな･･･」と感じる。<br><br>今回、自宅のブルーレイで「アバター」を観た。<br>我が家のテレビは３Ｄ対応では無いため、当然２Ｄである。<br>「あれ？良い映画じゃん･･･」と言うのが今回の僕の感想だ。<br><br>ジェームズ・キャメロン監督だから画が良いのは最初から分かっていたけど、カメラワークがとても美しい。<br>惑星パンドラのシーンはほとんどＣＧだと思うけど、ずっと揺れ動く映像がその世界の不安定さと儚さを表現している。<br>軍隊が駐留する硬質な基地のシーンとの対比がそれを一層際だたせる。<br><br>映画館で観たときに感じたストーリーの幼稚さも、アバターの世界のプリミティブな価値観を表現するには適していると感じた。<br><br>皮肉なことに３Ｄより２Ｄの方が、映像をリアルに感じることができた。<br><br>たぶんこの先「３Ｄ映画」は少なくなると思うけど、これに懲りて小手先のテクニックと目先の収益で撮る映画は無くなって欲しい。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 23:25:42 +0900</pubDate>
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<title>「七人の侍」黒澤明監督</title>
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<![CDATA[ 僕が「七人の侍」を観たのは、今回で３回目くらいだろう。<div><br><div>実は僕の一番好きな黒澤映画は「羅生門」なのだが、「七人の侍」を見るたびに、あの時代（１９５４年）にあんなに完成度の高い映画を撮ることができた黒澤明監督は本当に日本が誇る名監督だったんだと感動してしまう。</div></div><div><br></div><div>とにかく脚本が素晴らしい。黒澤明、橋本忍、小国英雄の共同の本だが、映画史上最高レベルの脚本だとおもう。</div><div>ずっと昔、黒澤監督が存命だったときに僕が読んだ雑誌に「映画は脚本で決まる」と監督が言っていたことを思い出す。</div><div><br></div><div>もちろん、絵も素晴らしい。侍たちが走り回る時の疾走感、望遠レンズで撮影した深みのある構図、志村喬が背中を向けて矢を居る時の美しさ。</div><div>全くの素人の僕でも、映像だけでぐいぐい引き込まれてしまう。</div><div><br></div><div>その後の、黒澤監督は日本の映画会社が見放してしまったせいで、不遇の時代を迎えることになる。それを救ったのは、当時のソ連の国立映画協会であったり、ハリウッドのスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラだったりする。</div><div><br></div><div>また、愚痴になってしまうが、日本の映画会社はもう一度、この映画を観てあなたたちが若い頃に心に点っていた映画にかける熱い情熱を思い出して欲しい。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/1112world/entry-11029532824.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Sep 2011 22:53:05 +0900</pubDate>
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