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<title>もう、傷つかなくていいよ</title>
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<description>発達障害者の私が、やはり発達障害のある息子二人を育てて22年。発達障害で生きづらさを感じている方や、発達障害のお子さんの保護者さまとともに歩んで行きたいです。講演やお話会など、随時受け付けています。</description>
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<title>長男のこと</title>
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<![CDATA[ 次男の特性があまりにも印象が強く、私たちは長男の特性をみのがすところでした。<br><br>長男は、からだの発育も、離乳食も、順調に進み、その上言葉が出るのも早かったのです。<br><br>そして、なにかを教えると、まるでスポンジが水を吸収するかのように、どんどん覚えていきました。<br>それが私も面白くて、どんどん長男にいろんなことを教えました。<br><br>中でも長男は、ピアノや絵本などにも興味を持ち、私は長男がまさか次男とは違った発達障害があるなどと思っていませんでした。<br><br>ところが長男が幼稚園に入った頃、彼を迎えに行くと、幼稚園の先生から、<br>「お宅のお子さんは本当にマイペースですね」<br>といわれました。<br><br>私はそれをどうとらえていいかわかりませんでした。<br>3歳や4歳の子どもって、みんなそんなもんじゃないの？と思っていたからです。<br><br>でも日本の教育とはおかしなもので、集団生活に入ると、そんな小さな頃から「みんなと同じ」でなくてはならないようで、息子独自の考えや行動というものは、ことごとくいやがられ、担任の先生はどうやら長男のことが嫌いなようでした。<br><br>しかも、お迎えに行ったときに、担任の先生から、<br>「お母さん、お子さんは今日、こんなことをしました、あんなことをしました」と、謂われる度に、私も「それって駄目なことなんですか」と聞いていたので、きっと先生は私のことも嫌いだったと思います。<br><br>夏休み明けには、みんなが担任の先生にあてて手紙を書いたのが張り出されたのに、うちの子の手紙だけ張り出されないという仕打ちを受けました。<br><br>年長さんになってから先生が変わり、そのようなことはなくなりましたが、小学校に入ってからは、ますます長男の個性は否定され続けることになり、私は長男の学年が上がるたびに、心がモヤモヤし、私自身も、疑問とストレスの嵐の日々を送ることになるのです。<br><br>
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<pubDate>Sun, 29 Apr 2018 16:02:00 +0900</pubDate>
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<title>試行錯誤の船出</title>
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<![CDATA[ 次男が『広汎性発達障害』だと診断されても、それはなんなのか、どうしたらいいのか、誰も教えてくれませんでした。<br>  なぜなら、誰もそれについて知らないからです。<br><br>  でも、次男は学校で、日常生活で困ってる。<br>  私たちは親として、どうしたらいいんだろう？<br>  親は自然の摂理から言えば、基本的には子どもより先にあの世に行きます。<br>  それまでの間に、彼が困らないように、いや、困っても自分の力で乗り越えることができるようにしてやらなくてはならないと私は思いました。<br><br>  五体満足で生まれて来たはずだった息子が障害があるってどういうこと？<br>  しばらくは落ち込みましたが、大切なのは、息子が将来自立して生きていくことができるようになることだと私と夫は考えました。<br><br>  まずは息子が毎日を過ごしている小学校に協力を求めに行き、担任の先生と校長先生、教頭先生、養護教諭の先生と情報交換をしながら、彼の成長にとって一番いいやり方を見つけて行く、というところまでたどり着きました。<br><br>  次に保健所や児童相談所などを訪れて、子どもの成長に詳しい専門家の話を聞いて私も勉強する。<br> もちろん、障害は病気ではないから、治りません<br>。<br>  でも、彼にある能力を使って、工夫したりカバーしたりすることはあるんじゃないか、私はそう考えました。<br><br> 発達障害とは言えども、発達しないわけではなく、彼独自の(少数派ではあるけれど)発達をしています。<br><br> ネタバレになりますが、彼が大変興味を持ったもののなかに『エジプト古代文明』があります。<br> 集中し出したら脇目も振らず一直線になります。<br> 私は彼のそこに着目しました。<br><br>  結論を言えば、小学一年生で見た、古代エジプト文明のビデオを見てそれに集中した次男は、今大学で古代エジプト文明の研究をしています。<br><br> 発達障害に関する本もなければ、誰も自分がそうであることをカミングアウトすることなどありませんでしたし、ほとんどの人が発達障害の存在を知らない時代でした。<br> <br>  私と夫は、試行錯誤という船を漕ぎ出しました。<br>
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<pubDate>Sat, 14 Apr 2018 09:16:55 +0900</pubDate>
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<title>ついに診断へ</title>
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<![CDATA[ 次男は小学校に入って３ヶ月くらいでやっと慣れました。<br>それまでは、長男が次男を下駄箱までつれていって上履きに替えさせ、教室まで連れていってランドセルをロッカーにしまわせてから、自分の教室に行っていたんです。<br><br>やっとお友だちもできて、先生とも話せて、校外学習をいやがらなくなりました。<br>彼は自分のわからない場所に行ってわからないトとがおこるかもしれないという不安にいつも怯えていたのです。<br>はじめての校外学習は、学区の一部を巡るというものでしたが、そのときうちの近くを通ったので、安心したようです。<br>次男はいつもクラスで一番小さいおちびちびだったので、担任の先生としっかり手をつないで、安心したようです。<br>『あのマンションの三階に僕のうちがあるの』<br>といってくれました、と、連絡帳にうれしいお知らせがありました。<br><br>でも、学習の方はというと、プリントの問題の意味や先生の説明の意味がわからない…<br><br>二年生になったとき、大好きだった担任の先生が転勤してしまい、彼はひどく不安に包まれて泣きました。<br>二年生の担任の先生は若い男性の先生で、最初は違和感があったようですが、体ごとぶつかれる先生が大好きになったようで、それはホッとしましたが、やはり学年が上がると友達との差がつくばかり…<br><br>これでは彼が劣等感の塊にならないかと思い、児童相談所、保健所、学校とあらゆる機関に相談し、自動精神科で見てもらうことになりました。<br><br>やっと予約のとれたクリニックで、息子は一枚の絵を見せられました。<br>いまでもはっきり覚えていますが、その絵にはさまざまな情報がありました。<br>三叉路で、車が来ているのに、男の子が飛び出してきて、運転手さんが急ブレーキをかけている。<br>見ていた女性がびっくりして心配そうに眺めている。<br>近くにいた犬も雀もびっくりして、雀は飛び立とうとしている。<br>三叉路の近くの家の中の人も見ている。<br>少なくともそれだけの情報はあったはずですが、お医者さんが<br>『この絵で、どんなことがわかる？』<br>と聞いても、<br>『男の子が車の前に飛び出している』<br>としか答えません。<br>その他にいくつかの検査をしましたが、短期記憶が苦手なため、彼から複数の答えを聞くことはありませんでした。<br><br>そして、彼は『広汎性発達障害』と診断されたのです。<br>私たちの新たな闘いのスタートラインでした。
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<link>https://ameblo.jp/122402120303/entry-12366596492.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Apr 2018 20:43:00 +0900</pubDate>
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<title>広い場所は苦手？</title>
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<![CDATA[ そんな幼稚園生活を送っていた次男も小学生になりました。<br> 念願の『お兄ちゃんと一緒』に投稿できるのです。<br>  彼らの小学校は学期初めを除き、分団登校がありませんでした。<br>  だから、次男は長男や、長男のお友だちと登校していました。<br>  嬉々として出かけて行くので、やはり長男と一緒だと安心するんだなあ、と思って私も安心していたんですが、ある日次男の担任の先生から電話がありました。<br>『息子さんは、学校でどうしていいか判らないみたいです。私が何か困ってる？どうしたの？と聞いても固まってしまって、なにも言わないんです』<br>話を聞くと学校に『時間割』があることも理解できていないみたいでした。<br>一時間目が国語、二時間目が算数だとすると、５分間の休憩時間に頭が切り替わらなくて、いままで文字を書く練習をしていたのに、なんで急に数を数えるの？<br>  もう、息子の頭の中はちんぷんかんぷんでした。<br>  長男と同じところに行っても学年が違えは教室も違い、長男の姿をみることさえままならないのです。彼にとっては不安だらけだったに違いありません。<br>  先生も心配して声をかけてくれるのですが、自分の気持ちを自分の言葉で伝えることができない…<br>彼は担任の先生からの提案で、通級学級の『言葉の教室』に通うことになりました。<br> ここでは週に一度、一時間ですが、専門の先生がついて、マンツーマンで、次男のペースで話ができます。<br>  これをきっかけに少しずつ、先生やお友だちと話せるようになりました。
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<link>https://ameblo.jp/122402120303/entry-12365655235.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Apr 2018 05:57:00 +0900</pubDate>
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<title>お兄ちゃんがいないとパニック‼</title>
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<![CDATA[ うちの子たちのことで、息子たちのことをありがたいなあと思うのは、幼稚園から大学まで、行きたくないということがあまりなかったことです。<br><br> でも、次男が幼稚園の年長さんになったとき、彼は大反乱を起こしました。<br><br> 年子兄弟のわが子たちは、長男が卒園して小学校に上がると、次男が年長さんになりました。<br><br>  彼らは生まれて初めて、それぞれがべつべつの場所に行くことになったのです。<br><br>  長男は、近所に何人も同じ学年の子がいて、その子たちと一緒に通学することになりました。<br>  なかでも一番長男が興味を持ったことは、小学校には、学習の目的に合わせて、『理科室』『音楽室』『図工室』などがあることでした。<br><br>  一方、次男は行きなれた幼稚園なのに、新学期初日から<br>『僕はもう幼稚園には行かない❗』<br>と言って、テコでも制服に着替えませんでした。<br> 彼の言う幼稚園に行きたくない理由は明確でした。<br>『お兄ちゃんがいないから』<br><br> 彼は私が考えもしなかった理由を言いました。『お兄ちゃんが小学校に行ったから、僕もお兄ちゃんと一緒に学校に行くの! だからもう幼稚園はやめる』<br><br>  これまでも、長男が同じ敷地内にいたことは、次男にとってとても安心できる、重要な要素だったのです。<br> 『お兄ちゃんも、すずらんぐみさんと、きくぐみさんと、２ついったでしょ？ だからあなたも、ふじぐみさんと、きくぐみさんと、２つ行くと、小学校に行けるよ。だから、きくぐみさん、行こうよ。』<br>と私が言っても、彼は頑として行こうとしませんでした。<br> 私は、いやがって暴れ廻る次男を無理矢理押さえつけて着替えさせ、自転車の後ろに彼を乗せて幼稚園に向かいました。<br><br> 自転車で走る朝の住宅地に、<br>『イヤだー!助けてー!』<br>という彼の絶叫が轟きわたり、道行く人が振り返りました。<br> もう、私が虐待でもしているかのようです。<br><br> やっと幼稚園に着いても、今にも次男は脱走しそうで、私は彼から目が離せませんでした。<br>  <br>  ほんとうは、門の前で子どもを、門のそばにいる先生に託して親は帰宅するのに、それさえできない暴れようでした。<br>  今思えば、次男にとって『お兄ちゃんがいない』ことは、とても大きな不安だったのだと思います。<br>  仕方なく教室の前まで連れていくと、担任の先生がどんと構えていてくださったのが私にとっては何よりの救いでした。<br> 担任の先生は次男をすぐに抱き上げ、しっかり抱き締めてくださいました。<br>そして、<br>『大丈夫、私に任せてください』<br>このことばはとても頼もしく私の心に響きました。<br>そして次男が後ろを向いている間に、すぐにお母さんは帰ってくださいね、と言ったので私は急いで帰りました。<br><br> 次男が長男のいない幼稚園で落ち着くまで、三ヶ月かかりました。<br><br> その間、先生もずいぶん次男には手を焼いたようでした。<br>  一斉保育のその幼稚園では、朝から一日のカリキュラムが決まっていましたから、みんなで歌う時間、絵を描くじかん、先生に絵本を読んでもらう時間など決まっていました。<br> けれども次男はこうした時間の区切りや、『いますること』を一切無視して、廊下で一人遊をしたり、空の雲に話しかけたりしていたようです。<br> このような彼の行動が、いつのまにかほかのお母さんたちの耳にはいるようになり、次男は『ダメな子』のレッテルを貼られ、私は『しつけのできない親』と思われることになってしまったのです、。
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<pubDate>Sat, 31 Mar 2018 10:01:00 +0900</pubDate>
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<title>どうして？？の嵐2</title>
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<![CDATA[ 次男は、幼稚園には比較的早く慣れたように思います。<br>でもそれは、あとからわかったことですが、一学年上に、長男の存在があったからでした。<br>  私にはこだわりがあって、それは、バス通園ではなく自分で息子たちを幼稚園に送り迎えをしたい、毎日お弁当を作ってあげたいという２つでした。<br> なんと言っても自分のお腹の中からやって来た大切な息子たちには、どれだけでも手をかけてやりたかったのです。<br><br>  だから、幼稚園への行き帰りは必ず息子たちは一緒でした。<br>  次男には、いつも頼りにしていた長男の存在が、彼を安心させていたのだと思います。<br>  <br>  だから、幼稚園に着いてからは(あとから先生から聞いたのですが)、次男はクラスの友達がすぐにわかるようなことがわからなかったり、先生からの指示を、他の友達とはまったく違う理解の仕方をしていたのです。<br>  たとえば、先生から<br>『男の子は年度をもってきてね。女の子はクレヨンをもってきてね』<br>という指示が出たとします。<br>  次男は自分が男の子だということはわかるのですが、ではどうしたらいいか、までつながらないのです。<br>  それで、たまたま横に女の子がいたとして、その子が『女の子はクレヨンをもってきてね』という指示に従ってクレヨンを持ってくると、次男はすぐそばにいるその子と同じようにクレヨンを持って来てしまうのでした。<br>  そして友達から、<br>『君は男の子だから、粘土をもってくるんだよ』<br>と言われてやっと、『そうか』と気がつくのです。<br> また、『今は絵を描く時間だから、みんなで絵を描きましょう』と言われても、途中で他に彼の気を引くものがあると、絵を描くことを忘れて、そちらに行ってしまうのです。<br>  これは、小学校の中学年まで続き、小学校では『クラスの和を乱す子』と言われる原因になりました。<br> 先生やお友だちからみれば、『なんで？』ということになります。<br>  そしてさらに困ったことには、次男は自分の気持ちを自分のことばでうまく言い表せない、その年齢なりののとばですら言い表せないのでした。<br>  そんな中で、彼は長男と別々の教室にいることができないことで、どれほど不安だったことでしょうか。<br>  せめて、縦割り保育の幼稚園にいれてあげれば良かったと、今思い出してもつらくなります。
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<pubDate>Wed, 28 Mar 2018 20:02:00 +0900</pubDate>
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<title>どうして？？の嵐</title>
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<![CDATA[ 次男を児童精神科に連れていったのは、同じくらいの年齢の子供たちの中で、『この子だけ違う』と感じたことがたくさんあったからでした。<br><br>  比較的小さく生まれた次男は、それでも赤ちゃんのときからハッキリとした目鼻立ちで、正直な気持ちは、<br>『夫と私の遺伝子で、この顔が生まれて来るんだ！』<br>と思うくらい、可愛らしい顔をしていました。<br>彼の、澄んだ目の輝きは印象的でした。<br><br>  だから、余計になにも疑わずに定型発達だと信じていたのです。<br>  でも、テレビの音がしても振り向かない、ミルクもあまり飲まない、離乳食は舌で押し出す、いつまでも首が据わらない…など、心配なことはたくさんありました。<br>  保健所の定期検診では、あまりにも成長が遅いので、『おかあさん、この子に関心があるんですか』といわれて、泣きながら帰ってきたことを思い出します。<br>  関心があるから心配するし、こうして検診にだって連れてきているんじゃない‼と思いました。<br>  お医者さんは決して私を責めたわけではないのでしょうけれど、卑屈になった私の気持ちには矢のようにぐっさり刺さったことばでした。<br><br>  うちの息子たちは年子で、一歳しかちがいません。<br> よく、『下の子が生まれたら上の子の気持ちを大切にして』といわれていたのと、具体的には長男の行動範囲が増えて、誤飲や思わぬ怪我も心配でしたから、長男にも目が行っていたのは確かでした。<br>  でも次男は次男でかわいかったのです。<br><br>  三歳になるまでオムツもとれない、なにも話さない…<br>  私の頭の中は？？？でいっぱいでした。<br>  なにも話さない、なにも見ない、これではこの子の耳は聞こえているのか、目は見えているのか、と心配でした。<br>  三歳をすぎてからようやく、幼児番組の『きかんしゃトーマス』の主題曲が鳴ると振り向き、青は『トーマスいろ』赤は『ジェームスいろ』緑は『ヘンリーいろ』と、キャラクターの色で色を識別することばを話し始めました。<br>  このことで少し心配は減りましたが、幼稚園に入ると、さらに他の同世代の子達との差を突きつけられることになりました。
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<pubDate>Mon, 26 Mar 2018 06:53:00 +0900</pubDate>
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<title>発達障害ってなに？</title>
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<![CDATA[ 私が発達障害ということばを聞いたのは、いまから12年前のことです。<br> ちょうど、発達障害ということばがようやく一般の人の耳に入り始めたころですね。<br><br> 私の次男が、『児童精神科』というところで、『あなたの息子さんは、広汎性発達障害です』とドクターに云われたのです。<br> それまで私は、そんなことばを聞いたことがありませんでした。<br>  次男が小学校3年のときです。<br><br> 私は『それってなんですか？』『それはどうしたら治りますか？』『私たち夫婦が親として、この子にどんなことをしてやればいいですか？』…確かそんなことを聞いた記憶があります。<br>  ただ、あまりにも突然の宣告に、私の頭の中が真っ白になっていたからかもしれませんが、ドクターからは何の回答もなかったように記憶しています。<br>  おそらく、ドクターにもまだ、発達障害の人にとって、どうしていったらいいのかがわからない時代だったのだと思います。<br><br>  私は帰りに次男と二人で昼食を食べて、帰途につきました。<br>  家につくまでのあいだ、何を私は考えていたのでしょうか。<br>  記憶がありません。<br><br>  ただ、ショックでした。<br>  家について、実家の母に、号泣しながらドクターのことばを伝えました。<br><br>  マイペースな子ですが、私は息子は健常者だとばくぜんと思っていたのです。<br>  ハンディキャップがあることを、悪いことだとは思いませんが、この子はこれからどうなるんだろう？私たち親は、何をしたらいいの？そんな気持ちでいっぱいでした。<br> 母は、『大丈夫、あの子はあんなにきれいな目をしているじゃないの。大丈夫よ』といいました。<br> もちろん、母にとってもはじめて聞く言葉でした。<br> 号泣している私に、やっとの思いで伝えたことばだったのだと思います。<br> 夜に帰宅した夫も、<br>『え？なにそれ？』<br>こんな中から、私たちの試行錯誤が始まったのです。
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<link>https://ameblo.jp/122402120303/entry-12363055727.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Mar 2018 11:31:15 +0900</pubDate>
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<title>もう、傷つかなくていいよ</title>
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<![CDATA[ みなさんはじめまして。<br>私自身も発達障害で、二人の息子たちもそれぞれ違った発達障害をもっています。<br>夫は、発達障害の検査をしていないので、当事者かどうかはわかりませんが、疑いは否めません。<br>平成30年３月、長男が大学を卒業し、４月から大学院生になります。<br>次男は４月から大学４年生、就活真っ最中です。<br><br>発達障害の内容によって、私たちのこれまでが参考になるかどうかわかりませんが、ひとつの家族の物語として読んで戴ければ幸いです。<br>どうぞよろしくお願いいたします。
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<pubDate>Sun, 25 Mar 2018 10:21:58 +0900</pubDate>
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