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<title>1803blogのブログ</title>
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<title>ああ、懐かしの甲子園⑥</title>
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<![CDATA[ <p>甲子園大好きの僕が、自分の思い出を残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心から、過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">１９９１年春　大阪桐蔭甲子園初出場</span></p><p>&nbsp;</p><p>２０２６年春の選抜大会は大阪代表の大阪桐蔭高校の選抜５回目、春夏通算１０回目の優勝で幕を閉じました。２１世紀以降全国屈指の実績を誇る同校ですが、最近ではかつてほどの勢いがなくなってきたという評判の中での優勝でした。大阪桐蔭強し！を改めて感じた春の選抜大会でした。しかも、大阪桐蔭は甲子園で決勝に進出した場合の優勝確率が１００パーセントと無類の強さを誇っています。この勝率にはただただびっくりです。</p><p>&nbsp;</p><p>昭和５０年生まれの僕にとって大阪代表と言えばPL学園でした。清原・桑田のいた世代や立浪、野村、片岡、橋本のいた世代の甲子園での活躍は今もなお強烈な記憶です。今でもこの２チームのどちらかが甲子園史上最強のチームと思っています。ですが、数字を比較してみると、PL学園の優勝回数は春３回、夏４回で春夏通算７回なのです。PL学園最強だと思っていた僕にとっては、大阪桐蔭の優勝10回という数字は認めたくない数字なのですが。</p><p>&nbsp;</p><p>僕が大阪桐蔭というチームを初めて知ったのは第６３回選抜大会（１９９１）年でした。この大会甲子園に初出場した大阪桐蔭が１回戦、仙台育英との試合は衝撃でした。エースの和田投手が１９８９年夏の大会の準優勝校相手にノーヒットノーランを達成したのです！この大会では、準優勝した松商学園との準準決勝で０対３で敗戦していますが、この大阪桐蔭というチームのインパクトは絶大でした。この大阪桐蔭という学校が夏も甲子園に出場してこれるかとても楽しみでした。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/zmtYHBeluf8" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">１９９１年夏　大阪桐蔭対秋田</span></p><div>&nbsp;</div><div>その年の夏、大阪桐蔭野球部は見事激戦区大阪を制し甲子園に帰ってきました。夏の甲子園も初出場です。夏も初出場ですが、自慢の攻撃力に加え、春の選抜でノーヒットノーランを達成した背番号１番の和田投手、１０番の背尾もさらに力をつけ優勝候補に挙げられていました。</div><div>&nbsp;</div><div>この夏の大会でとても印象に残っているのが、３回戦の秋田高校戦です。この年の秋田大会は、２年前に１年生投手として夏の甲子園ベスト４の立役者となり、甲子園のアイドルだった秋田経法大付属の中川申也投手が注目でした、その秋田経法大付属を決勝戦で破り甲子園出場を決めたのが秋田高校でした。秋田経法大付属に勝って甲子園に出てきたので、その点で注目はされていましたが選抜ベスト８で大阪代表の大阪桐蔭との試合は、大阪桐蔭有利と見ていた人が多かったと思います。</div><div>&nbsp;</div><div>大阪桐蔭の先発は１０番の背尾投手、秋田はエースの菅原投手でした。この時の秋田の捕手も菅原という性で、中学校からバッテリーという紹介でした。</div><div>試合は１回裏、２年生捕手の菅原選手のホームランや菅原投手のタイムリーなどで秋田が３点を先制します。何とか、大阪桐蔭も７回に１点を返しますが、１対３のまま９回表の最終回の攻撃では二死ランナー無しまで追い込まれます。</div><div>そこから６番沢村選手のスリーベースヒットをきっかけに一点差に迫り、背尾投手を継投していた和田投手のしぶとくセンター前に転がす同点のヒットで土壇場で大阪桐蔭が試合を振り出しに戻しました。</div><div>&nbsp;</div><div>試合は延長１１回、９回にスリーベースヒットを打っていた沢村選手がこの日４安打目となるホームランを打ち、とうとう勝ち越しました。なんとこのホームランで甲子園史上４人目となるサイクルヒットを達成しました。</div><div>&nbsp;</div><div>試合はそのまま４対３で大阪桐蔭が勝利しました。</div><div><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/1D7jrhBivjo" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>この試合、最後に劇的なサイクルヒットとなるホームランが出た試合として注目されましたが、その後の試合を猛打で勝利し、優勝した大阪桐蔭を今大会一番苦しめたのが秋田高校でした。九回二死まで２点差をつけてリードしていたのです。秋田県の公立校が見せた戦いが￥は見事でした。何より、菅原先輩・後輩バッテリーが見せた息の合った投球が観る者の心を打ちました。</p><p>&nbsp;</p><p>大阪桐蔭はその後、準準決勝で強打の帝京高校を１１対２、準決勝で二年生の四番バッター松井秀喜がいる星稜を７対１で下して決勝進出をします。決勝では二年連続の決勝進出を果たした沖縄水産を相手に一時４点をリードされながら、打線が爆発し１３対８で勝利し夏の大会初出場初優勝を飾りました。</p><p>&nbsp;</p><p>この年は春ベスト８、夏優勝と激戦区大阪から出場した初出場校が高校野球界に十分すぎる殴り込みをかけた一年でした。</p><p>２１世紀に入ってからの戦績はすごいの一言しかありません。</p><p>&nbsp;</p><p>（大阪桐蔭優勝の陰で）</p><p>決勝戦を戦った沖縄水産は２年連続の決勝進出で沖縄勢悲願の甲子園初優勝の期待がかかっていました。沖縄が本土復帰した１９７２年の夏から県民が抱いていた夢でした。痛み止めの注射を打ちながら沖縄大会予選から投げぬいてきた大野投手の力投が胸を打ちました。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園。</p></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div><p>&nbsp;</p></div>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12971708737.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 21:27:09 +0900</pubDate>
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<title>がんばれ！！今宮健太</title>
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<![CDATA[ <p>今シーズンの開幕戦。ホークスの今宮健太選手がショートで１４年連続の開幕スタメン出場を果たし新記録を樹立した。</p><p>この記録達成を聞いて<span style="font-size:1em;">とても嬉しい気持ちになった。地元球団であるホークスの生え抜きの選手、</span>しかも高校生野手でのドラフト１位入団だっただけに思い入れは強い。あの当時は、（どうか、ホークスが今宮を１位で指名しますように！）と願ってドラフト会議を見守っていた。<br>１５年連続もいってほしい。</p><p><b style="font-weight:bold;">そう期待をしているが、今年の今宮選手は結果が出なかったら引退覚悟の気持ちでシーズンを戦っていることを知った。</b></p><p>&nbsp;</p><p>今宮選手の昨年のショートでのスタメン出場試合の数は、野村選手、川瀬選手に次ぐ３番目。長年、ホークスの不動のショートとして活躍してきただけに寂しさを感じる。どんな選手も年齢による衰えや怪我の影響で必ず引退する日が来る。今宮選手にもそんな未来が見えつつある。ここ数年は怪我の影響で、だましだまし出場しているような感じがある。それでも、「小さな巨人」を体現している今宮選手にはできるだけ長く活躍してほしいと心から思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>今シーズンは、キャンプからセカンドの守備も練習していて活躍の幅を広げようとしている。ショートとセカンドには野村選手、槇原選手、川瀬選手、庄司選手がおり層が厚いが怪我をせずに自分が納得できるシーズンを送ってほしい。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">まさに小さな巨人。初めて今宮を見た時の衝撃！！</b></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">それは、今宮選手が初めて甲子園に出た選抜大会だった。新２年生でエースとして甲子園出場。大会前の雑誌で１年生の夏からショートのレギュラーを獲得した運動能力の高い選手だということは事前に知っていた。何より特異だったのは、ピッチャーをしながら１番バッターを務めていたという点だった。初戦で負けてしまったがインパクトは絶大だった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">そして、その次の年も選抜大会に出場した。この大会は背番号５になっていた。投手としても、１４０キロを超える球を投げるようになっていて、打順は３番バッターになっていた。大会の注目選手にもなっていたが、二回戦でこの大会準優勝に輝いた花巻東の菊池雄星投手の内角の直球を打てずに敗れた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">この敗戦の悔しさを胸に今宮選手は下半身を徹底的に鍛え、高校野球最後の夏の地方予選で３打席連続ホームランを打ったのを「速報！甲子園の道」で見た。この時に、今宮が化け物になって甲子園にやってくるぞ、と思った。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">そして最後の夏、今宮選手率いる明豊は見事甲子園出場を果たした。背番号は６番になっていた。小柄な体型は変わらなかったが、選抜に比べ下半身がたくましくなっているのが分かった。</span></p><p><span style="font-size:1em;">この大会、今宮選手は打倒菊池雄星に燃えていた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">３回戦の常葉橘戦では、同じ二刀流選手の庄司隼人選手と対戦している。この庄司選手も中学生のころからすごい選手だと評判だったらしい。高校卒業後は広島東洋カープで野手としてプレーをしている。ともに投手で３番バッターという対決は見ていて楽しかった。明豊高校が接戦で勝利したが、試合終了の挨拶の際に庄司選手が今宮選手に自分のバッティンググローブを手渡すシーンは感動的だった。</span></p><p><span style="font-size:1em;">そしていよいよ準々決勝で花巻東との再戦の日を迎えた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">準準決勝で再戦！！そして今宮の覚醒</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">選抜大会後は菊池投手の内角の直球を打つために努力してきた今宮選手は、選抜大会後からホームランを量産している。この大会でも力強い打撃が目立っていた。だが、対決は２打席で終わっている。１打席目で大きなセンターフライを放ったものの、菊池投手は変化球でかわすような投球。この時、菊池投手は腰痛で直球が投げられなくなっていたのだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">菊池投手との対戦は消化不良の感じだった今宮選手だが、９回に覚醒の時が訪れる。６対４の２点リードの９回表、三番手の２年生投手が同点タイムリーを打たれ今宮</span>がマウンドに上がる。この試合は先発投手として出場していたが、４失点で途中降板していた。一度降板してまたマウンドに上がることに驚いたが、同点の一死２塁の逆転のピンチでの二人の打者への投球がすごかった！</p><p>投げた球は１５０キロを超え、電光掲示板の表示にスタンドがどよめいた。最速は１５４キロ。ピッチャーとしてもこれだけのポテンシャルがあるのかと興奮した。菊池投手が前の試合で記録した球速に追いついた瞬間だった。</p><p>結局、二人の打者に１０球を投げて二者連続三振に抑えた。この１０球の投球はまさに鬼神のようだった。</p><p>&nbsp;</p><p>同点のまま延長戦に入ると、今宮投手が１点を取られ明豊高校と今宮の夏は終わった。それから、夏１回、春２回の甲子園で成長を見せてくれた彼の進路がとても気になった。</p><p>打者として高校通算６２本のホームラン、投手として最速１５４キロを投げる小さな巨人。この希少な逸材がプロ野球でどれだけやれるのかとても興味があった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">ドラフト会議でソフトバンクから１位指名</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">そしてその年の秋、福岡ソフトバンクホークスからの単独１位指名を受けた。菊池投手が６球団からの１位指名された中で、ホークスが地元九州出身の今宮を１位で指名したことが嬉しかった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">プロ野球選手になってからの今宮選手の活躍は周知の通りで、今年１４年連続開幕スタメンという新記録を作った。その記録の裏で通算４０３個の犠打の数が目に付く。プロの世界で生き抜いていくために、高校時代はほとんどしたことがないであろう送りバントの技術を磨いてきた。犠打の数は、歴代でも上から４番目の数で現役選手の中でもトップだ。その卓越したバントに加えて、通算１０１本のホームランを打っているのが驚きだ。</span></p><p><span style="font-size:1em;">加えてプロ野球選手になってから内野手に専念して培った驚異的な守備。今宮選手の守備の映像は何度でも見たくなる。</span></p><p><span style="font-size:1em;">高校時代からずっと追いかけてきた選手だけに、これからどのような野球人生を過ごすのかとても気になる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">これからもできるだけ今宮選手らしいプレーを見せてほしい。応援しています。がんばれ、今宮！！</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/sebU0aVwpLI" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12970750990.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Jun 2026 13:16:11 +0900</pubDate>
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<title>どうなる？高校野球沖縄大会</title>
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<![CDATA[ <p>6月14日に全国に先駆けて沖縄大会が開幕しました。順当にいけば、来月7月20日に決勝戦が行われるそうです。今はネット中継で全国の地方予選が一回戦から観られるようになっていますが、沖縄は一回戦からレベルが高く、どんな大会になるかとても楽しみです。</p><p>勝手ながら大会の展望をしていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">沖縄大会展望①（実績から）</b></p><p>&nbsp;</p><p>甲子園の選抜大会には沖縄尚学が出場しました。残念ながら一回戦で敗退しましたが、昨夏の甲子園の優勝校で、左の末吉、右の新垣が残っているのが強みです。どの高校も、この沖縄尚学を倒さない限り甲子園には行けないと考えていると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>夏の前哨戦である春季大会の結果は、</p><p>優勝　　エナジックスポーツ</p><p>準優勝　興南</p><p>３位　　名護</p><p>４位　　KBC</p><p>となりました。</p><p>優勝したエナジックスポーツは、選抜出場校も参加した春の九州大会決勝で、沖縄尚学に完勝して優勝しています。昨夏は、決勝で沖縄尚学に敗れて甲子園出場を逃しているので今年は強い思いで大会に臨んでくると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>春季沖縄大会の3位までの高校に選抜出場の沖縄尚学を含めた4校は、6月6日、7日に行われた選抜準優勝の智辯学園を招いた招待試合に参加しました。</p><p>&nbsp;</p><p>智辯学園と一試合ずつ行い、</p><p>沖縄尚学が４対４（引き分け）</p><p>エナジックスポーツが３対２（勝ち）</p><p>興南が３対2（勝ち）</p><p>名護が１対６（負け）</p><p>という結果でした。</p><p>&nbsp;</p><p>この結果から、沖縄尚学、エナジックスポーツ、興南の3校は全国レベルの力があることが分かります。中でも、今年に入って最も勢いがあるのがエナジックスポーツです。</p><p>&nbsp;</p><p>昨秋の地方大会の結果まで視野を広げると、</p><p>準決勝が、</p><p>沖縄尚学　５‐２　エナジックスポーツ</p><p>ウエルネス沖縄　７‐４　KBC</p><p>決勝が、</p><p>沖縄尚学　４‐０　ウエルネス沖縄</p><p>となっており、</p><p>新チーム発足時からの実績は、</p><p>沖縄尚学、エナジックスポーツ、興南、名護、KBC、ウエルネス沖縄の6校があることが分かりました。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">沖縄大会展望②（個人的）</b></p><p>&nbsp;</p><p>次に、長年甲子園を観てきた自分の勘や想いをもとに予想します。予想というより願望が強いかもしれません。</p><p>沖縄県の高校野球と言えば、僕の年代では沖縄水産が思い浮かびます。</p><p>過去に二年連続で甲子園準優勝に輝き、その後優勝をした沖縄尚学や興南よりも早く全国優勝に近づいた学校です。そんな沖縄水産ですが、１９９８年の夏の大会を最後に甲子園から遠ざかっています。あの年は松坂率いる横浜高校が春夏連覇した年で、沖縄水産にも新垣という速球派のピッチャーがいて甲子園に春夏連続出場しました。もう一度「沖水」のユニフォームを甲子園で観たいと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>甲子園の選抜大会で21世紀枠ができた年に、21世紀枠で選出されたのが宜野座高校です。2001年の選抜大会ではベスト４進出を果たし、その年の夏の大会では自力で甲子園に出場しました。その年の宜野座高校の雄姿が忘れられません。昨年の春季大会では優勝しているので、またあのユニフォームが甲子園で観たいです。</p><p>&nbsp;</p><p>今年は、沖縄尚学とエナジックスポーツの評判が高いですが、虎視眈々と興南高校が優勝を狙っていると思います。甲子園で春夏連覇の立役者となった島袋さんがコーチになり、好左腕の系譜は今年も受け継がれています。今大会は興南高校が不気味な存在になりそうな予感がします。</p><p>&nbsp;</p><p>沖縄県は県民の高校野球熱も高く、熱い熱戦が続きそうです。今年はどの高校が沖縄の頂点に立つか、今から楽しみです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969947506.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2026 13:19:12 +0900</pubDate>
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<title>ああ、懐かしの甲子園⑤</title>
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<![CDATA[ <p>甲子園大好きの僕が、自分の思い出を残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心から、過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">第71回（１９８９）選手権大会　仙台育英対尽誠学園</b></p><p>&nbsp;</p><p>１９８９年あたりくらいが僕が一番熱い気持ちで甲子園を観ていた頃でした。</p><p>僕は中学生になってから野球を始めました。高校でも野球をやろうと思い始め、テレビをつけると甲子園で活躍する少し上の世代の球児たちの姿に心躍らせていました。</p><p>「速報！甲子園の道」や「熱闘甲子園」の放送を楽しみにしながら観ていました。ただ観るだけではなくビデオに録画して貯めるほど甲子園に憧れを持っていた頃でした。「甲子園の星」などの高校野球の雑誌で、大会の展望をしたり、思い出の大会を振り返ったりもしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>１９８９年の選抜大会では、東邦高校の山田喜久夫投手と上宮高校の元木大介選手というスター選手が対決しました。１対１の同点で迎えた延長戦で、１０回表に上宮が１点入れたのに対し、追い詰められた東邦がキャプテンのセンター前のタイムリーヒットで同点にしました。そしてその後、塁間に挟まれたランナーをアウトにしょうとした送球が、外野手の後方に転がる間に次のランナーがサヨナラのホームに駆け込んだ試合は衝撃的な幕切れでした。</p><p>ドラマチックな決勝戦の余韻は、その年の夏の激闘を予感させました。</p><p>&nbsp;</p><p>そして迎えた夏、選抜優勝の東邦高校と準優勝の上宮高校が揃って甲子園に戻ってきた大会。春夏連覇を目指した東邦高校が一回戦で敗れるというまさかの展開で大会がスタートしました。</p><p>この大会で一番僕の印象に残った試合は準決勝の仙台育英と尽誠学園の試合でした。その理由を書いていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">選抜で悔しい思いをした両チーム</b></p><p>&nbsp;</p><p>仙台育英は大越基投手、尽誠学園は宮地克彦投手という好投手を擁して選抜大会にも出場しています。</p><p>仙台育英は、準々決勝で上宮と対戦し、大越投手が元木選手にホームランを打たれて敗れました。</p><p>尽誠学園は一回戦で広島工業と対戦し、延長戦の末０対１の投手戦で敗れました。それだけに、どちらのチームも春の悔しさを糧にして練習に取り組み、強い気持ちを持って2季連続の甲子園出場を果たしたチームだったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">ともに準々決勝を勝ち抜き、準決勝で対戦！！</b></p><p>&nbsp;</p><p>選抜の準々決勝で上宮に敗れた仙台育英でしたが、夏にリベンジのチャンスが同じ準々決勝でやってきます。夏優勝の東邦高校がすでに敗れていたため、上宮の優勝を期待していたファンも多かったはずです。元木選手を筆頭に、2年生ながら強気の投球をする春準優勝投手の宮田投手、中日ドラゴンズで活躍した1番バッターの種田選手などのスター選手ぞろいの上宮に対し、成長した大越投手が、いかにも重たそうな直球とスライダーを武器に上宮の強力打線を２失点に抑え仙台育英が大勝しました。</p><p>仙台育英の同じ相手に負けたくないという強い気持ちが、スター軍団の上宮を飲み込んだような試合でした。</p><p>&nbsp;</p><p>一方の尽誠学園は、選抜優勝の東邦を破って波に乗る倉敷商業を宮地投手が完封し準決勝進出を決めました。</p><p>もっとも、熱い試合が集まると言われている甲子園の準々決勝を両チームとも最高の形で勝ち、準決勝で対戦することになりました。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">大越対宮地の意地のぶつかり合いで熱戦に</b></p><p>&nbsp;</p><p>最近の甲子園では、複数の投手を起用して勝ち上がる戦い方が当たり前になってきましたが、２０世紀の甲子園ではチームの大黒柱と呼ばれたエースが大会を一人で投げぬくことが珍しくありませんでした。この試合も大越、宮地というチームの絶対的エースが登板しました。</p><p>&nbsp;</p><p>試合は先攻の仙台育英が準々決勝の勢いそのままに、初回に3番バッターの大越投手の三塁打とワイルドピッチで先制し、中盤に尽誠学園が1点を返すという展開になりました。そして、1点差のまま9回裏の尽誠学園の最終回の攻撃を迎えました。</p><p>&nbsp;</p><p>尽誠学園は先頭バッターの代打の選手が３塁線を破るツーベースヒットで出塁しました。</p><p>これを送りバントで3塁に進め同点のチャンスを作りました。スクイズという作戦も考えられる中、中盤にスクイズを失敗した尽誠学園は強行策を選択し三振でツーアウトになりました。あと一人で、打席に入るのは２年生の谷選手でした。３年生の宮地投手が涙を流しながらベンチから声援を送っていました。３年生の想いが通じたのか、内角に来た球をキャッチャーが捕球できず尽誠学園が土壇場で同点に追いつきました。この自信なさそうにバッターボックスに立っていたのは、後にプロ野球選手になってオリックスや巨人で活躍した谷佳知選手でこの時はすごい選手になるとは思ってはいませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">延長１０回の熱い攻防</b></p><p>&nbsp;</p><p>準決勝の延長戦ともなると、両投手とももはや気力で投げているという様子が伝わりました。</p><p>勝利まであと１アウトを追いつかれた仙台育英は、一死２塁から２番バッターがセンター前に抜けるヒットを放ちます。ところが、センター好返球で走者は本塁でアウトになります。チャンスを失ったように見えましたが、３番バッターの大越がしぶとくまた、センター前にヒットを放ちました。またセンターがバックホームしますが、今度は少し送球が逸れ勝ち越し点を入れました。どちらのバックホームもぎりぎりのプレーで両チームの気迫が伝わるプレーでした。この回の宮地投手の一喜一憂する表情が忘れられません。</p><p>&nbsp;</p><p>１０回裏、勝ち越しを許した尽誠学園は３番の宮地投手が左バッターボックスに入り３塁線を抜く執念のツーベースヒットで出塁しました。執拗に２塁ランナーの宮地に牽制する大越投手でしたが、鋭い牽制の球を遊撃手が捕球できず３塁に同点のランナーが進みます。　　　</p><p>二死後、９回に同点のきっかけとなるツーベースヒットを放った打者が打席に入り甲子園は沸き立ちますが、今度は内野ゴロになり試合が終了しました。</p><p>&nbsp;</p><p>3対２。どちらが勝ってもおかしくない試合を仙台育英がものにしました。</p><p>両チームのエースの闘志がぶつかり合った心に残る準決勝でした。仙台育英大越、尽誠学園宮地、ともにエースで３番の大黒柱は感情を表に出す人間味あふれる二人でした。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">大越投手と宮地投手のその後</b></p><p>&nbsp;</p><p>仙台育英は、北海道・東北勢の甲子園初優勝の期待を背負って決勝戦に臨みました。決勝戦でも大越投手が先発し、帝京高校の吉岡投手との投手戦の末、延長戦で点を取られ０対２で惜しくも負けてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>大越投手はその後、早稲田大学へ進学するも１年生で中退しアメリカに渡り大リーグ傘下の１Aでプレーした後、福岡ダイエーホークスにドラフト１位で入団しました。</p><p>投手として期待されましたがケガの影響で活躍できず、俊足と強肩を武器に打者に転向しました。主に守備固めや代走でチームを支えていてガッツあるプレーが印象に残ります。</p><p>プロ野球人生を終えた後は大学で教員免許を取得し、山口県の早鞆高校の教員になりました。そして、第８４回選抜大会に今度は高校野球の監督として甲子園に戻ってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>一方の宮地投手は、高校を卒業後西武ライオンズにドラフト４位で入団し投手として期待されます。</p><p>しかし、投手としては結果を出せず大越投手と同じように打者に転向します。一時期、西武の３番バッターとして活躍しました。西武から戦力外通告を受けた後、運よく福岡ダイエーホークスにテストで合格し入団します。ダイエーでは、リストラの星と呼ばれ新天地で再び活躍したのが印象的でした。大越選手がダイエーを退団した後に宮地選手が入団したため、二人が一緒にプレーすることはありませんでしたが、甲子園を投手として沸かせた二人が紆余曲折もありながら僕の地元のプロ野球チームで打者として活躍した姿はとても感動的でした。</p><p>&nbsp;</p><p>仙台育英と尽誠学園が心に残る理由として、世代を代表する大越、宮地という投手が甲子園で死力を尽くして戦ったということだけではなく、二人のその後の野球人としての生きざまに惹かれるからなのかもしれません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969723449.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jun 2026 08:53:46 +0900</pubDate>
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<title>高校野球地方予選　沖縄大会が開幕！</title>
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<![CDATA[ <p>６月１３日に全国でトップを切って沖縄大会が開幕しました。いよいよ、始まったなという感じです。沖縄は全国に先駆けて開幕するのが通例ですが、それは台風や雨の影響による順延に対応するためだと思ってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>果たして本当にそれだけなのかと思い、なぜ沖縄大会が早く開催されるのか調べてみました。すると、沖縄大会が早く開幕するのには、「沖縄が日本に復帰する前からの名残がある」ということが分かりました。記事を読んでいくと、沖縄が本土復帰したのが１９７２年、それまではアメリカの統治下であったため入国手続きに時間が取られたらしいのです。さらに、甲子園に行くためには船や鉄道での長距離移動が余儀なくされ他県よりも日数がかかるため沖縄大会が早まったらしいのです。現在では、入国手続きも必要なくなり飛行機移動になっていますが、昔からの名残が今も続いているそうです。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">沖縄大会はレベルが高い！</b></p><p>&nbsp;</p><p>今はネット中継で全国の地方予選が一回戦から観られるようになりました。その地方予選を観て、「沖縄大会は一回戦からレベルが高い！」と毎年思っています。</p><p>沖縄大会は楽しみしかありません。昨年夏に甲子園を制し選抜にも出場した沖縄尚学や今春の九州大会優勝のエナジックスポーツ、新興勢力のKBC未来沖縄やウエルネス沖縄、個人的には２１世紀枠ができた初年度に甲子園に出場し旋風を巻き起こした宜野座、過去に甲子園二年連続準優勝を果たした沖縄水産の復活はあるのかに注目しています。組み合わせを見ても強豪校が目白押しです。</p><p>&nbsp;</p><p>また、一番不気味なのは興南高校です。今年も左腕の好投手を擁しているらしいです。激戦と言われる年になぜかいつの間にか優勝しているような印象があり、今年もそんな年になるのではないかと思ってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">KBC未来沖縄のユニフォームのロゴが気になる</b></p><p>&nbsp;</p><p>開幕試合を４対１で見事突破したKBC未来沖縄ですが、気になる記事を見ました。それは、ユニフォームのロゴについて書かれていて、「KBC　GAKUEN」の胸のロゴがPL学園ととても似ているらしいのです。写真で確認すると、過去に甲子園で何度も見た「PL GAKUEN」とそっくりでした。なんでも、監督の同校への憧れからこのロゴになったそうです。</p><p>とても気持ちがわかります。</p><p>もしかしたら、ユニフォームの胸の部分を握る動作も同じなのか、と思って試合のダイジェストを見てみるとそれは確認できませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>予定では、７月２０日が沖縄大会の決勝戦らしいです。今年もどんな熱戦が繰り広げられるか楽しみです。</p><p>「ちばりよー」</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969696323.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jun 2026 23:13:18 +0900</pubDate>
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<title>ああ、懐かしの甲子園④</title>
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<![CDATA[ <p>甲子園大好きの僕が、自分の思い出を残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心から、過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b>第７６回（２００４年）選抜大会　済美対東北</b></p><p>&nbsp;</p><p>愛媛県の済美高校というと、第１００回夏の甲子園対星稜高校戦での逆転サヨナラ満塁ホームランが記憶に新しい。愛媛県では松山商業が甲子園から遠ざかるようになり、２１世紀になるとこの済美高校が愛媛県の高校野球を引っ張ってきた。</p><p>２００４年春、済美高校は甲子園初出場を果たした。２００２年に男女共学になり、野球部創部わずか２年での甲子園出場だった。</p><p>普通だったらあり得ない話だが、この新しいチームの監督が上甲正典さんだと聞くと</p><p>納得する人も多いだろう。</p><p>上甲監督は、同県の宇和島東高校が１９８８年の選抜大会に出場し、初出場初優勝</p><p>した時の監督で、「上甲スマイル」や「牛鬼打線」は甲子園用語として残っている。</p><p>やんちゃな感じがする球児たちの姿を、試合中笑顔で見守る姿はとても記憶に残っている。UWAJIMA　EASTの胸の文字は僕の好みだった。</p><p>&nbsp;</p><p>東北高校は、長らく仙台育英高校と共に宮城県の高校野球を引っ張ってきた名門校で、特にこの年はメジャーリーグで活躍するダルビッシュ投手を擁していて注目されていた。しかも前年の夏の大会で準優勝を飾っており、東北勢の甲子園初優勝の期待を大きく受けての出場だった。</p><p>このように２００４年のこの大会は、東北高校が東北勢初の優勝を果たし、優勝旗がとうとう白河の関を越えるかに注目が集まっていた。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">創部わずか２年で甲子園出場</b></p><p>&nbsp;</p><p>東北勢初優勝の期待を背負っていた東北高校だったが、準々決勝のこの試合は背番号１８番の真壁投手が先発だった。一回戦で熊本工業相手にノーヒットノーランを達成していたダルビッシュ投手だったが、右肩の不調で登板を回避しこの試合はレフトで出場したのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>済美高校は創部２年目での甲子園出場だったが、甲子園出場への道のりは順風満帆ではなかった。第一期生として入学した一年生の選手たちは、その夏の愛媛県大会では初戦敗退。二年目の夏でも、初戦でコールド負けを喫し高校野球の洗礼を浴びている。普通だったら、当然と言えば当然の結果である。</p><p>&nbsp;</p><p>それが、２年生の福井投手がエースに成長すると秋は怒涛の快進撃で四国大会を制し、甲子園初出場を果たしたのだった。背景には、血のにじむような激しい毎日の練習があったことが想像できる。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">東北高校の先発は背番号１８番の真壁投手</b></p><p>&nbsp;</p><p>東北勢初優勝の期待を背負っていた東北高校だったが、準々決勝のこの試合は背番号１８番の真壁投手が先発だった。１回戦で熊本工業を相手にノーヒットノーランを達成していたダルビッシュ投手だったが、右肩の不調で登板を回避しこの試合はレフトで出場したのだ。</p><p>ダルビッシュ投手ばかりに注目が集まっていたが、真壁投手も右サイドから切れのある１３０キロ後半の速球を投げ、コントロールもよく前年からダルビッシュ投手と共に二枚看板としてチームを支えていた。元々、本格派のオーバースローの投手だったらしいが、ダルビッシュという投手の存在もあり、泣く泣くサイドスローに転向したという。他校では間違いなく背番号１だったと思う。</p><p>珍しくメガネをかけた投手でメガネッシュの愛称で呼ばれ、卒業後も社会人野球で活躍している。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">試合は４点差で９回裏の済美の攻撃へ</b></p><p>&nbsp;</p><p>９回裏の済美の攻撃。試合は東北高校が６対２でリードしていた。</p><p>先頭バッターのヒット、三塁打、内野ゴロで２点を返したが、済美はツーアウトランナー無しまで追い込まれていた。</p><p>ここから１，２番が執念で連続ヒットを放ち意地を見せる。</p><p>ツーアウト１，２塁の場面で打席には３番のキャプテンの高橋選手。カメラがレフトを守るダルビッシュ投手を映すと、右肩を回し登板をアピールしているように見えた。</p><p>それでも真壁投手が続投した。高橋投手の打席では緩急を使い、なんとか高橋選手が食らいついてファールで粘っているという印象だった。</p><p>「こうやってファールで粘っているうちに、タイミングが合ってくるケースもありますからね」</p><p>と解説が言った直後の次の球、外角の１３４キロの直球が投げ込まれた。</p><p>&nbsp;</p><p>高橋投手が直球を待っていたかのように思い切り振りぬいた。打球はレフトを守るダルビッシュ選手の頭上を大きく越え、レフトスタンドに突き刺さった。ダルビッシュ選手が追うのを諦めたぐらいの会心のホームランだった。</p><p>　</p><p>球場に響き渡る大歓声。済美高校の選手たちが高橋キャプテンがホームに帰ってくるのを本塁付近で待ち構える。</p><p>膝に両手をつき、うなだれる真壁投手。</p><p>レフトの守備から試合終了の整列に戻るダルビッシュ選手。</p><p>&nbsp;</p><p>「やればできるは　魔法の合いことば」</p><p>&nbsp;</p><p>済美高校の校歌が球場全体に響き渡る。</p><p>&nbsp;</p><p>まさかの結末だった。レフトを守るダルビッシュ投手の救援もあり得る展開だったが、真壁投手が崩れて点を取られている印象はなかった。</p><p>打ち取ったはずの打球がファールになり、命拾いというシーンもあった。</p><p>&nbsp;</p><p>「やればできるは　魔法の合いことば」</p><p>&nbsp;</p><p>初出場校の校歌の歌詞が胸に染み込んでいく。</p><p>&nbsp;</p><p>済美高校は、その後準優勝、決勝のどちらも一点差で勝ち、初出場初優勝を飾った。</p><p>&nbsp;</p><p>上甲監督がUWAJIMA　EASTのユニフォームで同じように初出場初優勝を達成してから１６年後の出来事だった。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969430349.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jun 2026 18:24:30 +0900</pubDate>
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<title>ああ、懐かしの甲子園③</title>
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<![CDATA[ <p>甲子園大好きの僕が自分の思い出を形に残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心から、過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">第７８回（１９９６年）選手権大会</b>　<b style="font-weight:bold;">松山商業対熊本工業</b></p><p>&nbsp;</p><p>この決勝戦の組み合わせを見て、結果にピンときた甲子園ファンも多いと思う。その理由は後で書くとして、ある理由からこの組み合わせがいかに珍しいのかを伝えたい。</p><p>&nbsp;</p><p>２１世紀になって決勝戦に進出した公立校は、２００７年の佐賀北、２０１８年の金足農業の２校しかいない。両校とも甲子園に鮮烈な印象を残しているが、それほど公立校が決勝戦に残るのは珍しいといえる。</p><p>そんな中、松山商業と熊本工業はどちらも公立校だったのだ。</p><p>歴史を遡ってみると、１９８２年の池田対広島商業対戦が２番目に新しい公立校同士の決勝戦になる。</p><p>&nbsp;</p><p>近年は、商業や工業とついた高校の出場がめっきり減り、逆に、学園や学院がついた高校の名前が増えてきた。公立校の甲子園出場は絶望的になってきた県が多い。</p><p>だから、この先公立校同士の決勝戦なんて２度と見られないかもしれないと思ってしまうのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな決勝戦。</p><p>&nbsp;</p><p>両校の簡単な紹介だが。</p><p>松山商業はかつて夏将軍と呼ばれ、夏５回、春２回の甲子園優勝を誇る超名門校だ。それが、２００１年を最後に出場できずにいる。同じような境遇だった広島の広島商業は見事に復活を遂げ、令和になって３度も甲子園に帰ってきているので松山商業にも大きな期待をしているオールドファンも多いはずだ。</p><p>&nbsp;</p><p>熊本工業はかつてほどの常連さんではなくなってきたが、全国的にみても甲子園出場が期待できる公立校で、今年の選抜では優勝した大阪桐蔭相手に善戦した試合は記憶に新しい。</p><p>ちなみに、東北高校のダルビッシュ投手にノーヒットノーランを食らった試合は九州人として忘れたい。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">まさかの連続押し出しでゲームがスタート</b></p><p>&nbsp;</p><p>この試合はなんといっても衝撃的なバックホームが甲子園の伝説になっているが、その場面を演出するいくつかの奇跡があったのでそこまで書いていきたい。</p><p>この試合の先発投手は、熊本工業が左腕の園村、松山商業が２年生右腕の新田だった。どちらも背番号は１０番だが、この大会は主戦としてチームを支えていた。</p><p>&nbsp;</p><p>この試合は思わぬ展開で幕を開ける。決勝戦の緊張からなのか、熊本工業の先発園村投手が１回表に二つの押し出し四球で３点を献上してしまう。その後、立ち直って９回をこの３点で抑えただけに、立ち上がりの失点はとても痛かった。</p><p>&nbsp;</p><p>一方の松山商業の新田は２年生で華奢なイメージだったが、投げるボールはキレがよくコントロールがとてもよい投手だった。この大会は、背番号１をつけていた渡部を押し退けて先発のマウンドに立っていた。先発を奪われた格好の渡部は、４番バッターで右翼手として試合に出ていた。</p><p>&nbsp;</p><p><b>熊本工業が２点を返し１点差で９回の裏へ</b></p><p>&nbsp;</p><p>１回表の３点で大味な試合になるかと思いきや、両投手の力投もあり松山商業が３対２の１点リードの接戦で９回裏までゲームが進んだ。</p><p>高校野球の最終回は、勝利へのプレッシャーで先頭のバッターを四死球で出すことが珍しくはないが、冷静な２年生の新田投手は先輩たちの声援もあり。二人のバッターを三振に打ち取って最高の形でツーアウトを取る。</p><p>この時には、ストライクを取るごとに球場全体に大声援が響いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>９回二死ランナーなしの場面で打席には１年生の６番バッターの澤村が入る。</p><p>澤村が打席に入る前には、球場全体に優勝へのカウントダウンを期待するような大きな手拍子が響いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで信じられないような一つ目の奇跡が起こる。３年生でも縮み上がってしまうような緊張の打席の初球、１年生がバット一閃、低い打球があっという間にレフトのポール付近に吸い込まれていった。その打球の行方を見届けた新田投手は思わずマウンドに膝から崩れ落ちる。</p><p>決勝戦の最後のバッターになるかもしれないという緊張の場面で、信じられないような思い切りのよいバッティングを１年生が大観衆に見せつけた。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">延長戦に入り流れは熊本工業へ</b></p><p>&nbsp;</p><p>高校野球はわかりやすい。延長戦に入ると、それまで劣勢だった熊本工業へ一気に流れが傾く、１０回表には園村投手がランナーを一人出したものの、スリーアウト目を見逃し三振で奪い足早にベンチに戻ってきた。画面越しに完全に流れが熊本工業に移ったのがわかった。</p><p>１０回裏の先頭バッターは、この試合二安打の８番バッターの星子選手。右中間への打球を放ち、俊足を飛ばしツーベースヒットにする。甲子園は一気に熊本工業のサヨナラ勝ちを期待するような雰囲気になった。</p><p>今度は熊本工業を応援する手拍子が起こる。</p><p>&nbsp;</p><p>この緊迫の場面で、ライトを守っていた背番号１の渡部投手が新田投手と守備位置を交代する形でマウンドに上がる。それまでチームを支えてきた３年生エースに監督がマウンドを託したように思えた。</p><p>バッターの園村投手がバントでランナーを３塁まで進めた後、松山商業は１，２番を敬遠し満塁策をとった。</p><p>&nbsp;</p><p><b>背番号９の矢野選手がライトのポジションへ</b></p><p>&nbsp;</p><p>一死満塁の大ピンチの場面。ここで９番の背番号を付けた３年生の矢野が、ライトを守っていた２年生投手の新田と交代する。</p><p>勢いよくベンチを飛び出した矢野選手は右腕をグルグル回しながらライトに走る。</p><p>自分の役割がわかっているかのように、出場機会をずっと待っていた背番号９が力強く自分の居場所に走って行っているように見えた。</p><p>&nbsp;</p><p>これから起こる出来事を知っているかのように、、、。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">そして奇跡のバックホームが生まれた</b></p><p>&nbsp;</p><p>矢野選手がライトの守備に就いた場面について、松山商業の監督が真相をその後明かす。</p><p>天国から父の声で「ライトを代えなくていいのか」と聞こえたという。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>渡部投手が３番の本多選手に投げた初球。大飛球がライト方向に飛んだ。</p><p>実況が、</p><p>「いったあ、これは文句なし」</p><p>と叫ぶ。</p><p>観ていたほとんどの人がライトを越える大飛球を確信したと思う。自分もその一人。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、甲子園特有の浜風を受けたのか、打球は押し戻されたように代わった矢野選手のグラブへ収まる。それでも捕った位置は定位置よりも後方。</p><p>チームの中でも俊足の星子選手がサヨナラを確信したかのような表情でタッチアップのスタートを切る。</p><p>矢野選手がホームに投げた球の見たことのない放物線をカメラがとらえる。</p><p>僕たち球児が、低い送球で内野のカットマンまで繰り返し投げていた練習は一体なんだったのか。</p><p>&nbsp;</p><p>星子選手がホームへスライディングしたところに吸い込まれるように、正確な曲線を描いた送球が着弾した。</p><p>走りこんできた星子選手が見せたその一瞬の信じられない顔。一瞬の静寂。その後起こる大歓声。</p><p>思わずグラウンドに背中から崩れ落ちた星子選手の横を通り、雪崩のように松山商業の選手たちがベンチに帰ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>決勝戦のスコアは、６対３。</p><p>夏将軍の異名を持つ松山商業が１１回表に奇跡のバックホームからの勢いそのままに３点を入れ、夏５回目の優勝を果たした。</p><p>&nbsp;</p><p>９回裏に１年生の澤村選手が同点ホームランを打たなければ、</p><p>１０回裏のサヨナラのピンチで、背番号９の矢野選手に交代しなければ、</p><p>なかったであろう奇跡のバックホーム。</p><p>&nbsp;</p><p>甲子園大好きの僕が思い出に残るシーンを考える時、いつも真っ先に思い出すのは第</p><p>７８回大会の決勝戦の奇跡のバックホーム。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969429981.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Jun 2026 18:19:39 +0900</pubDate>
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<title>ああ、懐かしの甲子園②</title>
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<![CDATA[ <p>甲子園大好きの僕が、自分の甲子園の思い出を形に残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心のために過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">第７５回（１９９３）選手権大会　久慈商業対徳島商業</b></p><p>&nbsp;</p><p>第７５回大会と言えば、一応高校球児だった僕が高三だった夏。残念ながら、地方大会１回戦負けをした夏だった。甲子園では、同い年の球児たちが甲子園で奮闘していた夏だった。一方、僕にとっては憧れの高校野球がおしまいになってしまった夏であり、受験勉強をいよいよ始めなければいけないと夏期授業に臨んでいた夏だった。</p><p>&nbsp;</p><p>岩手県の久慈市はその後、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となっている。そんな久慈市から、久慈商業が甲子園初出場を果たした。当時の久慈市の人口は４万人だったらしい。そんな、久慈商業の甲子園初出場の原動力は左腕エースの宇部秀人。岩手県大会６試合を一人で投げぬいていた。</p><p>一方の徳島商業は、甲子園常連校。春夏通算４３回の甲子園出場回数を誇る。２０世紀の四国では、松山商業、高松商業、徳島商業、高知商業が四国四商と呼ばれ四国の野球レベルを牽引していた。</p><p>そんな、徳島商業だがエースは川上憲伸だった。のちに明治大学からドラフト１位で中日ドラゴンズに入団し大リーグのアトランタブレーブスも所属していた投手だ。２１世紀になってNPB初のノーヒットノーランを達成している。たしかに、中日のエースになるくらいのすごいピッチャーだが当時はこれほどの実績を残す投手に成長するとは思いもしなかった。ただ、４番を打っていてチームの大黒柱であり、その投げっぷりはいかにも馬力型だった印象がある。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">雪国対野球王国</b></p><p>&nbsp;</p><p>当時の東北のチームと言えば、北海道とともに雪国のハンデを抱え甲子園に出場してもよい成績を上げられないでいた。一方の四国は野球王国と呼ばれ、四国四商の他に、１９８０年代は池田高校が甲子園を席巻していた。</p><p>しかも、初出場校対甲子園常連校の試合。</p><p>ところが、、</p><p>先攻の久慈商業が初回に３点を奪い、７回を終わってまさかの７対０でリードする。徳島県民はテレビ中継を消した人も多かったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>のちに放送された「思い出甲子園」内でも徳島商業のメンバーが負けを覚悟したと語っていたまさかの試合展開になった。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">８月１５日は終戦記念日　正午の黙とうで流れが変わる</b></p><p>&nbsp;</p><p>この試合印象的なシーンがあった。試合は１５日の第二試合。正午には、１分間の黙とうの時間があった。マウンドの川上投手を</p><p>はじめ守備位置についていた徳島商業のナインたちは、黙とうの間「力を貸してください」と天に祈っていたらしい。この１分間の黙とうが試合の流れを変える。</p><p>８回裏、徳島商業の打線が怒涛の６連打で４点を返す。それまで好投していた１６７ｃｍ、６５ｋｇの宇部投手も明らかに疲労が見られた。そこから代打の１０番の選手の右前打でつなぎ、８回の先頭打者で凡打していた１番バッターの鋭いレフトへの一打を左翼手が足を滑らせて後逸し、とうとう徳島商業が１イニングに７点を返して追いついた。</p><p>&nbsp;</p><p>完全にペースをつかんだ徳島商業は、川上投手が９回表を３人抑えて９回裏を迎えた。</p><p>こうなったら、それまで初出場の久慈商業を味方していたアルプスは牙をむく。</p><p>守備のミスも重なり、一死１，２塁のピンチを迎える。内野のミスでピンチになっていたのでマウンドのエースに内野陣は声をかけられなくなっていた。実況のアナウンサーがそんなエースを「孤独です」と表現していた。ベンチからも伝令を出せなかったのは、初出場という経験不足からなのか。</p><p>&nbsp;</p><p>７対８　残り２イニングで７点差をひっくり返した大逆転の試合だった。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">高校野球は</b><b style="font-weight:bold;">７イニング制になるのか、、</b></p><p>&nbsp;</p><p>今、高校野球の試合に７イニング制を導入するかどうかの議論がなされている。もし、７イニング制が導入されれば、久慈商業対徳島商業のような終盤の大逆転劇はなくなってしまうだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなことを考えながら、この試合はその後ベスト８まで進出し、プロ野球に入団後、中日のエース、大リーガーになった昭和５０年生まれを代表する投手の川上憲伸が追い詰められた試合と記憶している。また、雪国の初出場校の大健闘、そして劇的な試合として甲子園フアンの僕の心を揺さぶる思い出の試合になった。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12969002369.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Jun 2026 22:41:20 +0900</pubDate>
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<title>ああ、懐かしの甲子園①</title>
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<![CDATA[ <p>　甲子園大好きの僕が、自分の甲子園の思い出を形に残しておきたいという自己満足と、もしかしたら自分の思い出に共感してくれる人がいるかもしれないという好奇心のために過去の思い出に残る甲子園の試合を綴っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">第６０回選抜大会　　宇部商対中京</b></p><p>&nbsp;</p><p>宇部商業といえば数々の逆転劇を見せてくれたミラクルが代名詞の山口県の公立校だった。PL学園の桑田・清原が三年生の夏に決勝戦を戦った相手は宇部商だった。９回に一年生を代打に出し、逆転３ランホームランで勝ったのも宇部商だった。</p><p>&nbsp;</p><p>　ミラクル宇部商</p><p>&nbsp;</p><p>この言葉は、僕の記憶からは離れない。「だった」と使うのは、この僕の大好きな高校がしばらく甲子園に出てこれない悔しさのためでもある。</p><p>対する中京高校（現中京大中京高校）は、高校野球フアンなら大体わかる日本文理高校との壮絶な決勝戦を戦った高校で、これまで春夏通算６２回出場を誇る超常連校である。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">宇部商木村VS中京木村</b></p><p>&nbsp;</p><p>この試合が印象的だった理由の一つは、どちらもエースの名前が木村だったこと。なかなかこんな組み合わせはない。</p><p>宇部商の木村真樹投手は、ピッチャーらしい手足の長い体型からしなやかに直球とカーブを投げ分ける好左腕だった。</p><p>対する中京の木村龍治投手は、ワインドアップから切れのある直球を投げ込み、投げ終わった後はゆっくりと右足を地面に</p><p>着地させる印象深い投げ方の右腕だった。左投げと右投げと違いはあれど、どちらもその大会を代表する好投手だった。</p><p>中京の木村投手はその後、読売ジャイアンツに入団している。　</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">中京木村が九回一死まで完全試合</b></p><p>&nbsp;</p><p>この試合は、予想通り両チームのエースが好投し一点差の好ゲームになっていたが、なんと中京の木村投手があとバッター２人を抑えれば完全試合達成というとんでもない試合になっていた。隣県の宇部商を応援する僕には、いつも以上に右足の着地が遅い木村投手の投げっぷりが憎らしく思えていた。それくらい、自信を持って悠々と投げているように見えた。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、、、</p><p>九回一死、２６人目の８番打者がしぶとくライト前にヒットを放つ。決していい当たりとは言えない執念のヒットが、甲子園史上２人目の完全試合達成を阻止したのだ。</p><p>その後、ランナーは２塁に進んでバッターは二年生の１番バッターの坂本選手。ホームベースに覆いかぶさるように構える２年生からは長打は出ないように見えた。ところが、やや真ん中高めにきた甘い球に対して回転するようにバットをぶつけた打球がレフトのラッキーゾーンに飛び込んだ。</p><p>解説が、「信じられません」と絶叫していたのを覚えている。</p><p>会心のホームランを放った坂本選手は、ガッツポーズをしながら駆け足で４つのベースを回った。</p><p>天国から地獄へ。大記録達成の予感から一転、地味な一本のヒットとまさかのホームランで宇部商が試合を逆転した。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">劇的ホームランを生んだのは</b></p><p>&nbsp;</p><p>中京の木村投手のもう少しで完全試合達成という好投が目立つ試合だったが、宇部商の木村投手も９回を投げて一失点という見事な投球を見せている。この好投がなければこの伝説的な試合は生まれなかったと思える。</p><p>そして、この試合を見返して気づいたことだが九回一死から出た初めてのランナーを、次の代打の打者がツーアウトになってまで</p><p>バントでランナーを２塁まで進めていたのだ。何とか同点に追いつこうとする執念が、起死回生の逆転ホームランにつながったのではないかと思える。</p><p>&nbsp;</p><p>ミラクル宇部商を代表するこの試合。僕はこの試合で宇部商が好きになった。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、懐かしの甲子園。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1803blog/entry-12968704666.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Jun 2026 22:25:26 +0900</pubDate>
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