<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rdf:RDF
 xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
 xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
 xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
 xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="https://rssblog.ameba.jp/1958fw/rss.html">
<title>ＦＷのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/</link>
<description>それぞれの夢をかなえる明日に向かって！</description>
<dc:language>ja-jp</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965693375.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965473684.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965305718.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965137839.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965061884.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964786333.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964612078.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964449863.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964170281.html" />
<rdf:li rdf:resource="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12963765997.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965693375.html">
<title>「筑紫都督府」の謎について・・・</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965693375.html</link>
<description>
　   掲題に関しAIコンサルタントさんのまとめは次の通りです。　白村江の戦いは、古代の日本にとり、絶対的危機を及ぼした大敗戦だったことが窺えます。他方この時期大陸の戦乱状況も多分？今では想像できない程の天地がひっくり返る程の大転換期だったと思います。  　そして、この時代の資料を収集するのは至難の業です。聖徳太子（厩戸皇子）が存命だった時代もこういう激変が起こりつつある激変のさ中です。 　そして教科書に書いてあるのはほんの一握り位・・・ 　一握の砂のようにさらさら流れ落ちるがごとくです。実勢は
</description>
<dc:date>2026-05-16T11:34:20+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965473684.html">
<title>不比等が藤原一族に権力集中させる政治システムの仕組み（２）</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965473684.html</link>
<description>
　 1 蔭位の制(この制度が極めて世襲的で藤原1強体制　　を長年に亘り支える根源制度である）　　詳説日本史図録（第10版）47にこの制度の図がある　　要は出発点が父祖の位階で違うということ　　官人登用のルートは、大学・国学で学び、式武省試験に合格し、位階を　　　得る必要があったが、親王の子は従4位下、諸王の子は従5位下、諸臣1位　　　の嫡子は従5位下以下逓減して従5位嫡子は従8位上からスタートする。　　　律令はこれを厳格に規定した。ちなみに長屋王は正4位で叙されている。　　　立太子草壁皇子は従4
</description>
<dc:date>2026-05-08T19:01:42+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965305718.html">
<title>不比等が藤原一族への権力集中させる政治システムの仕組み</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965305718.html</link>
<description>
 　1　　官位相当性　　位階に相当する官職にしか就けない仕組み設定    2 四等官制　　　職務上、長官（かみ）、次官（すけ）、判官（じょう）、主典　　　（さかん）と縦四区分を制度化　　　後の武家社会でも守護・守護代が各統治地方で　　　〇〇守（神）、〇〇介・・・と呼ばれているので、聞き馴　　　染み深いと思われる。    　（ただし、この言い方自体は壬申の乱以前にも言われて　　　いるので、不比等オリジナルではもちろんない。）　　　白村江の戦い後の書紀上に大宰府のことを筑紫都督府と称したという　　　
</description>
<dc:date>2026-05-07T18:00:34+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965137839.html">
<title>藤原不比等ー冷徹な表の顔に秘められた思いーを探る</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965137839.html</link>
<description>
   僕個人が思う、藤原不比等という官人パーフエクトでスーパーマンの表の顔をもつ人物像を、AIアシスタントさんが、裏の顔を含め見事まとめてくれましたので、掲載します。 　当時の緊迫した情勢に対処するには、不比等個人の思いとは別に、強靭でフレキシビリティ（flexibility）のある日本国のカタチが求められていたことは間違いない。 　不比等は体制を緻密につくりこむことで官人トップとしてこれに対応しました。その結果多大な血を流す犠牲者を出しました。（この流れは紆余曲折しながら、平安の御代に持ち越さ
</description>
<dc:date>2026-05-05T19:00:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965061884.html">
<title>壬申の乱（672年）の若干の深堀について・・・</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12965061884.html</link>
<description>
　　　回顧的視点で「古代関ヶ原の合戦」と言われる壬申の乱若干深堀してみましょう。ご存じの方も多いように、この戦いが奈良時代の律令体制による、天皇を中心とした集権統治体制をシステム化し、日本という国のカタチを形成しました。 　日本書紀は天武帝が命じ、初の国史となり、同時期歴史書古事記もその命で編まれたのは既述しました。　今流の言い方をすれば日本書紀は総合プロデューサー藤原不比等が編纂を主導しています。 　日本書紀は中臣鎌足を正当化し、蘇我家を逆賊とする政治的意図が明白で、記述上みえかくれする趣です
</description>
<dc:date>2026-05-04T18:30:30+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964786333.html">
<title>憲法記念日に、人的相関図まとめ</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964786333.html</link>
<description>
 　今までの記事の人的相関図をおおまかに視覚化　します。 おおまかな掲載ですが・・・645年乙巳の変（いっしのへん）後の人物相関図を視覚化しました。この相関図はパズルを解くような複雑怪奇な様相なのは既に僕の稚拙な文で補ってますが・・・ 　蘇我氏も本宗家が滅び、支族石川麻呂系ですが、外戚として以前として名族で有力だったのがみてとれます。　書くと切りがなくなりますので、やめますが、それぞれが日本のアイデンティティー形成に重大な影響力を与えた人物たちです。 　時代は遡って倭の五王として空白の4世紀から
</description>
<dc:date>2026-05-03T08:54:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964612078.html">
<title>残念過ぎる自分について・・・</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964612078.html</link>
<description>
 　　図書館で予約していた本を読んでいました。すごい！という言葉しか浮かばない。古代奈良期の風土記は古き先人達がいかに緻密で実直な執務を行っていたかを肌感覚で感じさせてくれる。 　内容は漢文で書かれているので、正直な話僕が理解できてるかと言えば？？？である。ただ、丁寧な解説が付してあるので、僕でも内容は判る。実に素晴らしいことであった。 　余りの素晴らしさに心打たれたので、本の表紙を写真に収めたくなった。そしてスマホで撮ったのだが、随分長くUPしてなかったこと。生来の不器用さもあって・・・(笑)
</description>
<dc:date>2026-04-30T17:59:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964449863.html">
<title>続：「古事記」と「日本書紀」まとめ</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964449863.html</link>
<description>
　　前回記事の人的相関図少し変わってます 　　　       但し、上のフローチャート高市皇子部分ですが、僕個人としては確認できてません。高市皇子は天武帝の長子で、持統帝の時代、天皇、皇太子に次ぐ太政大臣として人望厚い実力者ですが、急死（不審死とも言われます）されてます。謀反の罪で死罪となった大津皇子や次の天皇即位の予定で早世した草壁皇子の今流にいえば兄貴です。　　　　　　　　　ただ、母の出自が地方豪族だったので、蘇我倉山田石川麻呂という名族の娘を母とする弟達に比べると出自で劣ります。それで太政
</description>
<dc:date>2026-04-29T07:55:12+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964170281.html">
<title>古事記と日本書紀（まとめ）</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12964170281.html</link>
<description>
 　このあとフローチャートで中高時代の歴史の教科書の　飛鳥時代～奈良時代でお馴染みのように出てくる人物　名を相関図のように視覚化します。ただし一部は見かけ　ないお名前も入ってると思います。 　僕はAIアシスタントさんにお願いしてつくって頂いてるので、いつも見ているのですが、パズルのピースを組み立てるときのような頭の中がこんがらがった状態に陥ります。 人物は古代天皇や親族と古代政権での貴人であり、重要人物ですが、高校の頃読んでいた横溝正史ミステリーの世界に入り込んだ気分になります。 読んで頂ける方
</description>
<dc:date>2026-04-26T11:06:41+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="https://ameblo.jp/1958fw/entry-12963765997.html">
<title>書名「日本書紀」と「古事記」の違いと宮内庁の陵墓対応方針の変更報道記事について</title>
<link>https://ameblo.jp/1958fw/entry-12963765997.html</link>
<description>
 　前の記事で、「日本書紀」は日本紀とするつもりが、日本書紀となったのではないかと書きましたが、少し深く調べてみました。　　古事記は稗史（はいし）または野史（やし）だと考えると、言葉としての整理がつきます。「記」つまり書き印したという漢字にその言葉上の意味合いが含まれてます。注）稗史（はいし）とは民間で書かれた歴史書、野史ともいう。正史が国の　　　歴史書だとすると、当時の人々の感情や社会の雰囲気を伝える民間　　　伝承や巷に流れる噂やフィクションも含む、非公式な記録 　ただ、両方とも天武帝があえて
</description>
<dc:date>2026-04-24T18:46:51+09:00</dc:date>
</item>
</rdf:RDF>
