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<title>悟りはない</title>
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<![CDATA[ <p>棘を抜くための棘とはこのことだ。</p><p><br></p><p>悟りについてのセッションを受けた。</p><p>悟ったというその人に、自分の一瞥体験が何だったのか聞いてみたかったからだ。</p><p><br></p><p>一瞥体験にいたる過程が大切なのかと、子供時代から話した。</p><p>私の話に全く興味が無さそうに一時間以上、やっと一瞥体験にたどり着くと、いきなり目を見開き、zoom越しに身を乗り出してきた。</p><p><br></p><p>「それは悟りです。悟りました。」</p><p><br></p><p>馬鹿らしくなった。</p><p>一万数千円をかけた自分を呪う。</p><p><br></p><p>運転手は一瞥体験をしやすいらしい。</p><p>聞けば、景色が変わらず同じこと(運転か？)を繰り返し、瞑想状態になりやすいからだそうだ。</p><p>外国人のなんとかさんも、運転手で運転中に悟り、今は悟りのエキスパートとして活動しているとのことだ。</p><p><br></p><p>あんた、運転しないだろ。</p><p>景色が変わらないことなんてありえない。</p><p><br></p><p>瞑想状態になるのは、アクセルとクラッチ操作だよ。</p><p>毎日何百回、体が無意識で操作する。</p><p>車線変更も無意識の何年も走り慣れた道、東京から福島まで記憶無しで走るのはいつものこと。</p><p>運転中に無意識レベルになるのは、現役時代から気付いてた。<br></p><p>じゃあ、運転手なんか覚醒者だらけじゃん。</p><p><br></p><p>運転中の覚醒体験がとても興味深く参考になったと言うので、セッション後の感想に当時の思い当たる節を書いて送った。</p><p><br></p><p>一年中半袖だったくらい体温が高く代謝がよかったこと。</p><p>もっと筋力をつけようとスポーツジムに行ったら、トレーナーから「これ以上やるとボディービルダーになる」と止められたので、たぶん仕事柄、筋力による代謝の良さと肺活量も有り、意図せず深い呼吸が出来ていたのではないかということ。</p><p>独身で仕事しかしておらず、極端に持ち物が少なく、自分の人生以外背負うものも無く、精神的に肉体的に環境的にエネルギーの循環が良かったのではなかったかということ。</p><p><br></p><p>そしたら、返ってきた答えが「タフな体はギフトです」だそう。</p><p><br></p><p>ねぇ、ちゃんと話聞いてた？</p><p>確かに、この体は元々タフに出来てると思う。</p><p>でも、そこまでタフにしたのは、当時「生きるのは何か、どう生きるか」を必死で模索した結果だよ。</p><p>当時、どんな気持ちで生きていたか話したはず。</p><p>あなた、悟りの前に物事を知らなすぎるわ。</p><p><br></p><p>悟りなんてない。</p><p>悟ろうとする自分がいるだけだ。</p><p><br></p><p>最後の悪あがき、あの体験に何かあるんじゃないかと思った。</p><p><br></p><p>「悟りました」と言われてはっきりわかった。</p><p><br></p><p>悟りなんてない。</p><p>あるのは、呼吸だけだ。</p><p>無意識レベルの呼吸だけ。</p><p><br></p><p>悟りは意識が望む幻想だ。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12744627396.html</link>
<pubDate>Wed, 25 May 2022 10:27:10 +0900</pubDate>
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<title>星空</title>
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<![CDATA[ <p>あのどこまでも澄んだ青空が、どこまでも拡がる夕焼けが、どれどけ素晴らしかったのか、今になってわかる。</p><p><br></p><p>全ては奇跡で、全ては有った。</p><p>「有る」のだ、だって目の前にあるから。</p><p><br></p><p>全ては「有る」のであって、「在る」のではないと、人間はどれだけ叫ぶのだろう。<br></p><p><br></p><p>儚さを愛し、憂いを求める。</p><p><br></p><p>「有る」景色は、とても切ない。</p><p>それはいつか、消えてしまうとわかっているから。</p><p><br></p><p>人間は「有る」を、心底堪能したいのだろう。</p><p><br></p><p>いつか消えてしまう景色を、愛しさを込めて眺めるのだろう。</p><p>消えてしまう悲しさを想像しながら、その刹那に一種の快感を感じながら。</p><p><br></p><p>それが、どんなに愚かしくて無意味なことであっても、その快感を忘れられないのだろう。</p><p><br></p><p>素晴らしいのは、その刹那ではないのに。</p><p>素晴らしいのは、その景色自体なのに。</p><p>人間はそこに、下手くそな塗り絵をしたくて堪らないのだ。</p><p><br></p><p>全ては「有った」のだ、私の為に。</p><p>全ては「有った」のだ、私の快感のために。</p><p><br></p><p>全ては「在る」のだ。</p><p>誰の為でもなく、ただそこに「在る」のだ。</p><p><br></p><p>奇跡はただそこに「在る」んだよ。</p><p>誰の為という「苦しみ」を捨て、奇跡はただそこに「在る」んだよ。</p><p><br></p><p>抜けるような青色は、燃え落ちそうなオレンジ色は、あなたを癒すために存在するのではなく、ただそこに「在る」から「在る」だけだ。</p><p><br></p><p>自我はその空を越えることが出来ず、どこまでも拡がる星空を見上げることしか出来ないのだろう。</p><p><br></p><p>「ほら、あの一段と輝いている星が私の星、私だけに微笑んでくれる私だけの星」と。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12742511520.html</link>
<pubDate>Fri, 13 May 2022 09:55:26 +0900</pubDate>
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<title>酔った勢い</title>
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<![CDATA[ 酔った勢いで書くけどな。<br>なにバカなこと言ってんだあんた。<br><br>あんたのモヤモヤは周波数が下がってるからじゃない、相手がそういう人間だったからだ。<br><br>いつまで感情にしがみついてるんだよ。<br>いつまで自分がかわいそうなんだよ。<br><br>そんなレベルでセミナーなんて開いて金取ってんのか。<br><br>私達は点じゃない、全体なんだよ。<br><br>みんながみんな、違う考えを持っている。<br>だから、全体なんだよ。<br><br>みんながみんな違う、だから全体が有るんだよ。<br><br>hspって、それがわかるから辛い人なんじゃないの？<br>全体なのに、世の中がバラバラだから辛い人なんじゃないの？<br><p>みんなの言いたいことがわかるから、辛い人なんじゃないの？</p><p>(まぁ、本当はわかったつもりになってるだけだけど)</p><p>あなたは一体、何を見て生きてきたの？</p><p><br></p><p>今はhspもなんちゃら障害も、なんでも固定化して不安を和らげようとする人間の性でしかないと思っているけど。</p><p>自己を何かに固定化することは、初期段階では大事。</p><p>でも、それを後生大事に握りしめていてはダメだ。</p><p>それは只のすり替えで、それが自分を苦しめていると気づかなくては。</p><p>体も脳ミソもみんなバラバラ。</p><p>神経質でも鈍感でも、人の感性は色彩みたいなもので比べようがない。</p><p>なんなら、神経質な人は思い込みが激しく、固定観念が強くて頭の固い人。</p><p>それは人一倍強い不安感から来るものだ。</p><p>だから怖くて、体も脳ミソもキョロキョロするのさ。</p><p>だから人一倍情報量が多いだけ。</p><p>神経質な私が言うのだから間違いない。</p><p>「hspは本当は素晴らしい特性なんです！」</p><p>「hspは感性が豊かで才能に溢れているんです！」</p><p>そういう甲乙つけるの、本当にいい加減やめようよ。</p><p>プロカメラマンの元彼は、自分以外のものに興味がない鋼のメンタルの持ち主だったけど、息をのむほど美しい写真を撮る人だった。</p><p>特定の人が特定のものを持ってるわけじゃない。</p><p>みんなが、肉体として全く違うものを持っているだけだ。</p><p><br></p><p>あの経験をしてきて、良かったと思う<br></p><br><p>目の前の１２トンの荷物。</p><p>週も半ばを過ぎて、疲れきって痙攣だらけの体。</p><br>泣いてもわめいても、誰も助けてくれない。<br>この手で自力で、動かすしかない。<br><br>自分で決めたから、大型トラックの運転手で生きていくと自分で決めたから。<br>やるしかない。<br><br>「辛い」と言えば、「やっぱり女には無理だな」「やっぱりお前には無理だな」とトラックを下ろされてしまう、路線を外されてしまう。<br><br>歯をくいしばった、誰の為でもなく、自分の為に。<br><br>今ならわかる。<br>「自分には後がない」「ここで踏ん張るしかない」<br>「誰の為でもなく、自分の為に」、その大義名分が最大の甘えだった。<br>目の前にぶら下がる、最大の屁理屈だった。<br><br>自分の為に生きるのは容易い。<br>どんな屁理屈もこねられる、どんな大義にも甘えられる、どんな自慰行為も正当化できる。<br><br>「自分」を自分に描けば、それはどこまでいっても、「思いつきの自分」でしかない。<br><br>今ならわかる。<br>「自分」に依存していた、「自分の人生」に依存していた。<br>そして、「自分」をいたずらに作り出しては、「自分以外」のものと対立してい。<br><br>苦しんでいた。<br>「かわいそうで、でも謙虚に生きる自分」に頼っては、本質を見失い苦しんでいた。<br><br>私達は過去にも未来にも生きられない。<br>私達は、「一瞬」を「永遠」に生きることしかできない。<br>だから何も、持つことができないんだよ。<br><br>悲しみも喜びも、たった一瞬しかない。<br>それを持っていくことは、本来できない。<br>握りしめているそれは、「幻想」だ。<br>いづれ役に立つかもと、脳ミソが勝手に隠し持っている腐った生物だ。<br><br>私達は点じゃない、全体だ。<br><br>周波数は存在する、でもあなたの頭の中にじゃない。<br>私達の頭は何もわからない。<br><p>ただ「それ」に、名前を付けることができるだけだ。</p><p>自分達の自我を満たすためだけに、自分達以外のものを犠牲にし続け、それを最良だと満面の笑みで言えるぐらい、この頭は何もわからなんだ。</p><br>私達は点じゃない、全体だ。<br>「自分」は自我を満たすためのものじゃない。<br>「自分」という大義名分を満たす為ものじゃない。<br><p>「自分」を手放すためのもの」</p><p>「自分という狭い世界」を手放すためのものだ。</p><br><p>私達は点じゃない。</p><p>私達は「居る」んじゃない、「在る」んだよ。</p><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12742344721.html</link>
<pubDate>Thu, 12 May 2022 10:39:18 +0900</pubDate>
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<title>波打ち際で</title>
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<![CDATA[ &nbsp;<div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220411/20/19790417m/e8/a9/j/o1080054015101468077.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220411/20/19790417m/e8/a9/j/o1080054015101468077.jpg" alt="" width="1080" height="540"></a><div><br></div><div>父が亡くなって10年以上が経つけど、なぜかあまり悲しい感じがしない。</div><div>親の死は大きな喪失感を感じると聞くけれど、なぜかあまりピンとこない。</div><div><br></div><div>なんというか、まだそのうち、ふらっと玄関から帰ってくるのではないかと思ってしまう。</div><div><br></div><div>実は私は、とんでもなく鈍感な人間なのか、本当は情緒のない人間なのか、はたまた本当はサイコパスなのか・・・</div><div><br></div><div>先日、海を眺めていたら、ふと思った。</div><div>私の体の半分は、どう考えても父だ。<br></div><div><br></div><div>私はまるっきり、父親似だ。</div><div>顔もがっつり父親似、神経質でおとなしい気質も。<br></div><div>父も絵を描くし、私も絵を描くのが好きだ。</div><div>それに物理的に、私の半分は父で半分は母だ。</div><div><br></div><div>思わず、手のひらを見た。</div><div>これは父だ。ここに父がいる。</div><div>私の知覚している「父という人格」ではない、生命としての父がいる。</div><div>笑っている顔ではないが、この手の細胞ひとつひとつに父も母もいる。</div><div>悲しいどころか、一心同体でないか。</div><div><br></div><div>そして、父も母も両親の細胞を抱いていて、その両親も両親の細胞を抱いていて、その両親も・・・</div><div><br></div><div>そう考えると、私の細胞は途方もない人数が混ざり合ってできているらしい。</div><div>この体は少なくとも数百年前から、人格を変えながらずっと生き続けてきたのだ。</div><div><br></div><div>私が私だと認識しているのは、やはりこの体のことなのだ。</div><div>この体は「私」ではなく、ひとつの生命だ。</div><div>ただただ、生命という存在。</div><div><br></div><div>打ち寄せる白波を見ながら、そんなことを考えた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12736912180.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Apr 2022 20:43:38 +0900</pubDate>
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<title>自動補正</title>
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<![CDATA[ <div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220410/19/19790417m/e0/a8/j/o1080108015100895560.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220410/19/19790417m/e0/a8/j/o1080108015100895560.jpg" alt="" width="1080" height="1080"></a><div><br></div></div><div>昔、トラックマン時代、じじい連中が「将来は第二東名ができて、仕事がなくなる」と騒いでいた時があった。</div><div>なんでも、高速道路の下に荷物専用の道路ができて、荷物だけが移動する道路らしい。</div><div>「現実的じゃないだろ」と思っていたが、その後に行った物流センターで、空中に張り巡らされたレールの上を荷物が縦横無尽に走り回っているのを見て、「マジか！！」とビビったのを覚えている。<br></div><div><br></div><div><div>新潟と山形の県境の砂浜。</div><div>近くのパーキングにトラックを停めて砂浜まで歩き、テトラポットに腰を掛け、よく海を眺めた。</div></div><div><br></div><div>まさか携帯電話で、素人がこんな綺麗な写真を撮れる日が来るとは思わなかった。</div><div>インスタントカメラ世代としては、綺麗な写真なんて一眼レフの仕事だろ、絞りだの何だのってめんどくさいことしてと思っていた。</div><div>でも、たったひと押しだ。押すどころか、平面を触れるだけだ。<br></div><div>本当は夕方の少し前、もっと明るかった。</div><div>しかし、スマホが自動で露出を変えて、がっつり夕日の風景に出来上がった。</div><div><br></div><div>当時の私が今のようなスマホを持っていたら、やはり海を撮ったのだろうか。<br></div><div>自動補正をまるで自分の手柄のように、黄金に輝く水面をまるで自分の感性だと言わんばかりに、たぶん撮ったと思う。</div><div><br></div><div>子供の頃から、「物事が変わる時」にとても違和感があった。</div><div>変化を嫌う心理の現状維持バイアスでなく、移り気な人の心が及ぼす、世の中の価値観や環境の変化にとても心のモヤモヤを感じた。</div><div><br></div><div>私が子供の頃、バブルが弾けた後とはいえ、まだまだ金銭的に豊かな時代だった。</div><div>街には商品広告が溢れ、テレビは流行を作っては垂れ流し、世の中は毎日がお祭りのように大いに浮かれ、それに先導されるように周りの大人達は、より新しい物、より便利な物をと次々と買い換えた。</div><div><br></div><div>その頃、「ファジー」という言葉が流行った。</div><div>強弱を選択せずに機械が勝手に出力を決めてくれるという機能で、「ファジーで楽々」みたいな謳い文句で連日CMが流れ、うちもファジー機能の掃除機を買った。</div><div>量販店から帰って直ぐにカーペットと畳を交互に掃除機を掛け、「音が違う！勝手に変わってるー！すごい！」と家族全員で驚いた記憶がある。</div><div>(結局は精度がいまいちだったらしく、母はいつも強で掃除機を掛けていた)</div><div><br></div><div>この「ファジー」という言葉に、子供の私はとてつもない違和感を感じた。</div><div><br></div><div>楽なことっていいことなのか？</div><div>便利なことっていいことなのか？</div><div>それって、バカになってしまわないか？</div><div>じゃあ、今までのものはどうするの？</div><div>誰が引き受けるの？誰が処分するの？</div><div>大人達はどんどん先へ進んでしまうけど、要らないと投げ棄てたものはどこにいくの？</div><div>あれもこれもと目移りして、本当にそれに価値があるの？</div><div>自分達だけが良ければいいの？</div><div>自分達だけが幸せだったらいいの？</div><div>その分誰かが何かを、引き受けてるんじゃないの？</div><div>私達が幸せな分、誰かが不幸になってるんじゃないの？</div><div>大事なものって何？本当のことって何？</div><div><br></div><div>みんな目の前の華やかなものに、まるで浮かれたように手を伸ばすけど、子供の私にはその光景がとても恐ろしく、とても異様に映った。</div><div><br></div><div>スーパーのお菓子売り場には、たくさんのお菓子が並んでいるけれど。</div><div>買ってと言えば、「ひとつだけね」と買ってもらえるけど。</div><div>美味しいハンバーグも、大好きなナポリタンもお腹いっぱい食べられるけれど。</div><div>夏休みも連休も、どこかに連れて行ってもらえるけれど。</div><div><br></div><div>不安のない毎日だけど、とても満たされた毎日だけど、何かがおかしい。</div><div>豊かな国だけど、何かがおかしい。</div><div>まるで中身がない、薄っぺらだ。</div><div><br></div><div>それが、私が子供の頃に抱いていた、世の中への違和感だった。</div><div>そしてそれは、物事を否定から入るという「生きずらさ」として大人の私に引き継がれた。</div><div><br></div><div>自動補正がかかった景色はとても綺麗だ、不自然なほどとても。</div><div>本当の景色が期待通りじゃないのなら、綺麗な色に補正してしまえばいいのだ。</div><div>そして永遠と補正された世界の中で、不自然な景色に酔いしれたらよいのだ。</div><div>薄っぺらな世界の中で、生きたらよいのだ。<br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12736718021.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Apr 2022 19:35:45 +0900</pubDate>
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<title>ニンジン理論</title>
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<![CDATA[ 思いもよらない言葉が最高にありがたい言葉だったのだと、今になって思う。<br><br>二十歳くらいだったと思う。<br>私は腹が煮えくり返っても、あまりそれを口に出すことはしない。<br>人にものを言うのがとても苦痛だからだ。<br>それでややこしくなるなら、腹に納めて耐えた方が気持ちが楽だと思ってしまう。<br>しかし堪えきれなかったのか、もう何を言ったのか覚えていないけど、たぶん会社に文句を言ったのだと思う。<br><br>その時、社長から言われた言葉は、<br>「嫌なら辞めろ、お前の代わりはいくらでもいる」だった。<br><br>実はこの言葉が、私にとって最高に良い言葉だった。<br><br>なるほどそうか。じゃあ、もう誰にも頼れない。<br>私は私の力で生きるしかない。<br>代わりがいるのなら、代わりがいない人間になるしかない。<br><p>生きるには人に求められる人間になるしかない。それは自分の力でやるしかない</p><p>この世の中で生きるには、私が私の人生をなんとかするしかない</p><br><p>その言葉で一瞬に、外側へ向いていた矢印が内側へ向いた。</p><br>もしあの時、優しい言葉を掛けられていたら、矢印は今も外側を向いていたかもしれない。<br>自分はどう生きたい？どうしたい？だから今、どうするべきだ？どう有るべきだ？<br>そうやって、自問自答の毎日が始めることができたのだ。<br><br>生きるための自問自答は、思いもよらぬ副産物を生み出した。<br>自信、自尊心、信念、強固な価値観、存在意義。<br>今となってはいくらでも言葉を並べられるが、要は「生きてるぞー！！」と思えるようになったのだ。<br>それが自分でもハッキリと意識できるようになった頃、「生きるって楽しいな、最高だな」とハッキリ頭で思えるようになった。<br><br>そうやって、「自立し充実した楽しい私の人生」というニンジンを目の前にぶら下げて、私は意気揚々と生きていた。<br><br>そして二つ目の思いもよらないありがたい出来事、それは家族だった。<br><br>30歳にして、親と兄弟を精神面、金銭面に支えなければならなくなったのだ。<br>たぶん、これから一生の大半を。<br><br>家業も手伝い、障害のある兄をサポート。<br>神経質な性格は接客業も店長職もストレスで、兄の言動ひとつひとつに心がすり減りった。<br><br>「自分の自由意思で自由な選択をし、自分の思い通りに生きる、私なりの私の充実した人生」というニンジンが目の前から消えてしまった。<br><br>そんなはずはない、私は自由はずだ、やり方はまずいんだ。きっと他にやり方があるはず。<br><br>目標達成、願望達成。人生ヴィジョン、人生の役目使命、幸せとは幸福とは生きるとは。<br>新たなニンジンを探して、心理学から自己啓発、脳科学から精神的(エセ)量子力学、スピリチュアや宗教の精神世界まで、１０年間必死で探し回った。<br><br>そして出た答えは、ニンジンをぶら下げようとしている限り、私は絶対に自由にはなれないということ。<br><br>わかりやすく極端に言えば、ニンジンが邪魔で「何も見えてないし、何も見ていない。」<br><br>たとえば兄が、まともな人間で普通の人間で、「仕事大変だな」とでも言葉を掛けてくれる人間だったら？私はこんなに苦しくも悲しくもない。<br>もし兄が、他人だったら？別に痛くも痒くもない。<br><br>そう、「私の兄」だから辛いのだ。<br>兄がどんな人間なのかが問題ではなく、私が辛いかどうかが問題なのだ。<br>兄がどんな人間なのかが問題ではなく、私にとって兄というニンジンが甘いか苦いかが問題なのだ。<br>兄がどんな人間なのかが問題ではなく、私にとって兄が都合が良いか悪かが問題なのだ。<br><br>私は兄を見ていない。<br>私は、私の都合だけを見て生きている。<br>私は、目の前のニンジンだけを見て生きている。<br>私は何も見えていないし、何も見ていない。<br>都合良い世界だけを望み、それだけを見ようとし、それが本当の世界だと思っている。<br><br>兄は兄だ、どんな言動もそれが兄だ。<br>それ以下でもそれ以上でもない。<br>それが、本当の世界だ。<br><br><p>目の前のニンジンが、どれだけのまがい物かを家族が教えてくれた。</p><p><br></p><p>経験からすれば、自分を強固にするほどニンジンはどんどん甘くなる。<br></p><p>そして、そのニンジンにどんどん夢中になる。</p><p>だから、もっとそのニンジンが欲しくなる。</p><p>だから、もっともっとと人間は因果を繰り返し、人生山あり谷ありと自分に言い聞かせ走り続ける。</p><p>延々と走り続ける、そのニンジンに走らされているとは思わずに。</p><p>「快楽を求め」「苦痛を避ける」というニンジンに走らされているとは思わずに。</p><p>いつかの日に向けた自分への矢印は、本当の幸せではなかった。</p><p>「偽りの自由」というニンジンでしかなかった。</p><p><br></p><p>家族によってこの１０年、愛情とは何かを必然的に考えさせられた。</p><p>愛情が素晴らしく、万能で唯一ならば、全てにあてはまるはずだ。</p><p>それがどんなに、臭くても汚くても醜くても、全てにあるはずだ。</p><p>愛情はあるけど、汚いのはイヤだし醜いのは受け付けないのなら、それは愛ではなく願望や欲望だ。</p><p>本当の愛情なら、全てのものを愛せるはずだ。</p><p>それこそ家族なんてものも超えて、他人だろうが、なんだろうが、全てのものを分け隔てなく受け入れらるはずなのだ。</p><p>「私の母」だから、「私の兄」だから、「私のパートナー」だから、「私の子供」だから、「私の友達」だから、「私の同僚」だからと、「私の誰か」、「私のための誰か」と分ける必要などないはずなのだ。</p><p>それが出来ないのが、「自分に都合のいい世界」だ。</p><p>「私」と「私以外」を分け、「自分の人生」「自分という存在」という幻想を生み出す元凶。</p><p><br></p><p>最近、この「自分に都合の良い世界」に関してなるほどなーと思うことがあった。<br></p><p>あるブログを見たら、なかなかの人生経験を積んだらしく、「愛なき人生はもう送りたくありません！」と書いたすぐ数行あとに、宿泊先のディナーで「お肉は残しました、体が受け付けなくて」と書いてあった。</p><p>それ、最初からホテル側に言っとけば残飯にならなくて済むし、他の人に多く行き渡ったのではないか？それは愛じゃないのか？</p><p>料理をきれいに写真で撮って載せてるけど、そのゴロゴロと美味しそうに煮込まれた肉は自己顕示欲を満たすための道具か？</p><p>食べ物で遊んではいけないと教わらなかったか？</p><p>ちょっとその愛、都合良すぎないか？</p><p><br></p><p>幻想の中を生きてもいいけれど、どうしてもそうはいかなくなった。<br></p><p>自分という世界を越える必要があった。</p><p>幸か不幸か、私は全ての元凶である「自分という概念」を外さなければならなくなったのだ。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 08 Apr 2022 18:13:34 +0900</pubDate>
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<title>鳥かごの中の愛情</title>
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<![CDATA[ ずっと疑問だった。<br><br>ブッタの言葉に愛欲は苦しみを生む、子を成すことは苦しみを生むとあった。<br><br>苦しみから脱する為にそれらを捨てれば、人類は滅んでしまうよなーと思っていた。<br>そういうことを言っているのではないのか？<br>そういうレベルの発想ではないということか？ <br>と、いろいろ考えていたが、ふと思った。<br><br>たとえば、パートナーを愛すこと、子を愛すこと、家族を愛すこと、「私の大事な誰か」を愛すこと。<br><br>「私の」大事な誰か、「私の」大事なもの、あくまで「私の」。<br>「私の」という鳥かごに閉じ込め眺める、「私の」ための愛情。<br><br>それは慰めでしかなく、自我の自慰行為だとしたら。<br>私が今まで思っていた愛情は、ただ満たされない心を癒したい、慰めたいと香らせる、アロマの香りレベルのものだったとしたら。<br><br>愛情をなぜ誰かに限定する？なぜ我が子に限定する？<br>なぜ、都合の良いものだけに限定する？<br>なぜ、自分を満たすものだけに限定する？<br><br>なぜ、鳥かごの中のものしか愛せないのか。<br>なぜ、鳥かごの外のものは愛さないのか。<br>なぜ、心の温かさを「ここ」と「あそこ」で区別するのか。<br><br>それは、自分に都合がいいからだ。<br>それは、病的に快感だからだ。<br>私が思っている愛情は、満たされない、渇望する心が苦し紛れに使ったアロマのようなものかもしれない。<br><br>どんなに素晴らしい香りでも、故意の香りは真実ではないし、一時的なものだ。<br><br>もし、これが真実だとしたら、今まで見てきた私の世界はひっくり返る。<br>私の目に映るものは全ては慰めであり、世界は「私」を慰めるためのもので溢れていることになる。<br>まるで自分の渇望を覆い隠すように、愛情を連呼していたことになる。<br><br>自分に都合が良かろうが、悪かろうが、そんなものは関係なく、全てのものをそのまま受け入れる。<br><br>ブッタの言う愛情とは、そういうものかもしれないと思った。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12735172495.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Apr 2022 07:16:46 +0900</pubDate>
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<title>神の戯れ</title>
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<![CDATA[ <p>今になって思うけど、自我(自分だと思っている自分)って本当に面白い。</p><p><br></p><p>確かにこれは、個性って言いたくなる。</p><p>自我の正体は、自分という夢を見ている自分なんだろうけど、これが本当に面白く感じる。</p><p><br></p><p>いろんな感情、心情、信念、想念、その他諸々、あの手この手で、まぁいろいろと作る作る。</p><p>時間、観念、概念、学問も国も人種も歴史も建物も文化も、とにかくどんなものだって想像しては、現実世界っていうラベルを貼って作ってしまう。</p><p><br></p><p>ものすごいエネルギーだ。</p><p>どこかの本で、人生は神の戯れの為に作られたと読んだ気がするが、確かにそうかもなと思う。</p><p>まるで、全てはドラマだ</p><p><br></p><p>昔、小説家になりたくて、一生懸命プロットや設定考えて書いてたけど、本当に全く、まんま自我の言いたいことを書いていただけだ。</p><p><br></p><p>もう一度、小説を書いてみようかと思ってしまった。</p><p>自我の言うことって、本当に面白い。</p><p>全てを創造しようとする、できると思ってる。</p><p>想像という脚本、創造という演出で世界を作っていると、大真面目に思っている。</p><p>誤解がないように言えば、世界は壮大な撮影現場だ。</p><p><br></p><p>全ては神の戯れで、自我は優秀なシナリオライターだとすれば、なんか面白いのが書けそうな気がする。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12733272160.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Mar 2022 14:42:49 +0900</pubDate>
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<title>直感の話</title>
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<![CDATA[ <p>探求をはじめてから、いろいろな本を読んでいるが、結局、私はガンダムのモビルスーツみたいなものなのかと思う。</p><p><br></p><p>いつの間にか生まれて、いつの間にかこの体だったわけで、ガンダムと違い有機物ではあるけれど、少なくとも自分の意思で自分が始まったわけじゃなく、やっぱり作られたものなのではないかと思う。</p><p>だからやっぱり、「私という意識」の中で私を生きてはいるけれど、それは意識を持ったモビルスーツということになるのではないかと思う。</p><p>隅から隅まで高感度センサーが張り巡らされ、自動修復機能と、代謝による常時部品交換を可能にし、それらを脳ミソという基盤で制御している、必要なエネルギーさえあれば自動で修繕しながら起動し続けることができる、超高性能モビルスーツみたいなものではないかと思う。</p><p><br></p><p>じゃあ、操縦席のアムロは魂かと言えば、それは違うんじゃないかと最近思う。</p><p>たぶん、操縦席には誰もいないのではないかと思う。</p><p>悲しいけれど、本当は制御盤しかないのではないかと思う。</p><p>「生命を維持する」という回路が組み込まれた制御盤が人間の正体なのではないかと思う。</p><p>そして常に、「生きる」と信号を出し続け、感覚器官、思考、感情が反応し起動して、私というモビルスーツを動いているのではないか。</p><p>だから、私が自由意思だと思っているその意思は、制御盤の信号ではないのか。</p><p><br></p><p>じゃあ、私は何処にいるのだと言われると、たぶん何処にもいない。</p><p>やっぱり、私はいないことになる。私という物理的個体は有るけれど、「私という自由意思」は無いことになる。</p><p>自由意思の世界は、妄想ということになる。</p><p><br></p><p>じゃあいったい、この有機型モビルスーツどこから作られたのかと言うと、たぶん空気からだと思う。</p><p>空気と言っても、吸って吐いての酸素ではなく、全てに充満している何か。</p><p>全く私の直感で感覚の話なので、「何か」がなんなのか説明できないけど、とにかく何かが充満している。</p><p>じゃないと、なんの現象も起きないし、何も現れることが出来ないじゃないかと直感的に思う。</p><p>全く何もないところから、いきなり何かが発生することは、ないんじゃないかと思う。</p><p>私達の元は、その充満している「何か」なのではないかと思う。</p><p>そういう、直感の話。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12733238264.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Mar 2022 11:20:13 +0900</pubDate>
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<title>概念作り</title>
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<![CDATA[ <p>それさえあれば生きていけると、強く握りしめるのではなく、</p><p>これだけあるんだから、人間の私は充分生きられると、表面上だけど「無」を受け入れる訓練をしてみる。</p><p><br></p><p>まずは、食器器具類を、まな板、包丁、鍋、お椀、箸とスプーンの六つ、調味料を醤油、ゴマ油、塩、胡椒の四つにしてみた。</p><p>フライパンや皿、キッチンバサミみりんなど数点は、ギブアップ用に収納にしまっておく。</p><p><br></p><p>早速、冷蔵庫の食材をどう調理するか、頭が算段を始めた。</p><p>栄養が偏らないか、味付けに飽きないか、ボイルと蒸しで美味しくできるかと、諸々考える。</p><p><br></p><p>非常時に対応できるか？サプリやプロテイン揃えるか？栄養管理アプリ使うか？食事管理ノートつけた方がいいかもななど、次々と新たな概念をつけ足そうとする。</p><p><br></p><p>やってみただけで、物事はまだ何一つ始まっていないのに、マイライブラリー(脳ミソ)を使ってえらい念の入れようだ。<br></p><p><br></p><p>これが苦しみの原因だと言われても、「何かあったらどうするんじゃい！」と思ってしまうよなー、生身の私は。</p><p><br></p><p>そして、上手くいったらいったで、「物を減らしたら意識が変わった！人生変わった！」と新たな概念にすり替えてしまうんだろうな、生身の私は。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/19790417m/entry-12732668297.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Mar 2022 06:12:39 +0900</pubDate>
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