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<title>音楽推進のブログ</title>
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<title>[5]You Were On My Mind / Crispian St. Peters</title>
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<![CDATA[ <p>　クリスピアン・セント・ピーターズという名前から聡明な響きを感じます。顔を見ると少しだけジョン・レノンに似ているようです。しかし似ているだけで、この二人に接点があったかどうか、多分なかったと思うのですが、二人の共通する点はイギリス人、これに限ります。改めてクリスピアンの顔を見ると、やっぱりジョンには似ていないように見えてくるのでした。お分かりの通り、別人です。</p><p>　レコーディングにジミー・ペイジが参加したこともあるとか語られるクリスピアンですが、いくらペイジの名を借りたとて彼が有名な存在になるわけではなく、知る人ぞ知る存在と言わねばなりません。第一、英米ともにヒット曲が多くはないのです。第二に、と言いたいのですが、これ以上知ることがないため、勝手ながらここで打ち切りです。</p><p>　クリスピアン・セント・ピーターズのヒット曲といえば、「You Were On My Mind」と「The Pied Piper」です。<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Crispian_St._Peters">ウィキペディアのディスコグラフィー</a>を見ると、「You Were On My Mind」がイギリスで1965年11月に発売され２位、アメリカでは1966年２月に発売され36位。次に「The Pied Piper」が英米ともに1966年５月にリリースされ、イギリスでは５位、アメリカでは４位となっています。次に「Changes」がリリースされていますが、こちらは英47位、米57位と、大したヒットにはなっていません。一旦「Changes」の存在を無視し、「You Were On My Mind」と「The Pied Piper」二曲の英米のヒットの経緯を記します。本国イギリスではどちらも同じ規模のヒットです。アメリカでは、「You Were On My Mind」が新たなイギリスの歌手に注目する契機を与え、「The Piped Piper」で本格的にその存在が認知される、といったシナリオに出来上がっています。「You Were On My Mind」が36位というまずまずのヒットとなっているのは、彼が完全に脚光を浴びていなかったからとも言えますが、前年65年にアメリカのグループ、ウィー・ファイヴが歌ったヴァージョンが３位という大ヒットとなっており、二番煎じ故の結果と判断するのが妥当でしょう。考えるほど、英米ともにもっともなヒットの仕方をしています。しかし、この二曲の実情は、英米とで異なる物語を作っているのです。</p><p>　クリスピアン・セント・ピーターズは、「You Were On My Mind」の前にも二枚シングルをリリースしていますが、いずれも英米ともにノン・ヒットです。彼の転機はやはり「You Were On My Mind」です。先述の通り、アメリカでこそウィー・ファイヴがヒットさせた曲ですが、イギリスではヒットしていません。アメリカでヒットした曲が、イギリスで別人が歌ってこれがヒットするということは珍しいことではありません。同じ英語圏といえど、アメリカは海の向う。イギリス人にとっては、親近感を求めるのでしょう。クリスピアンの「You Were On My Mind」のリリースおよびヒットにも、そういう事情が含まれているはずです。カヴァーされた「You Were On My Mind」ですが、ウィー・ファイヴのヴァージョンとはアレンジがかなり違います。私はビルボード・チャートを集中して聴く人ですから、ウィー・ファイヴのヴァージョンを先に知ったのですが、もしその頃に同時にクリスピアンのヴァージョンを聴いたなら、きっと後者を気に入ったでしょう。それなりに魅力あるカヴァーですので、イギリスで２位という大ヒットとなるのも不思議ではありません。一方、アメリカでは36位……となるはずなのですが、1966年当時、クリスピアンの歌う「You Were On My Mind」をビルボード・チャートで確認したことはありません。つまりノン・ヒットです。ウィキペディアでは確かに36位と記されていたはずです。ウィキペディアが信用ならないのは全世界共通ということでしょうか。しかしウィキペディアの記述は必ずしも間違いではありません。この真相は後ほど。</p><p>　大ヒットした「You Were On My Mind」に次ぐシングル「The Pied Piper」は、前作のフォロー・アップ、言ってしまえば二匹目のドジョウです。この二曲のアレンジはよく似ています。しかしやはり魅力あるアレンジですし、そもそも「The Pied Piper」自体が良い曲なのですから、これもイギリスで５位のヒットとなります。私がクリスピアン・セント・ピーターズの名を知ったのは「The Pied Piper」で、この曲がビルボード・チャートを上昇したためでした。「The Pied Piper」は、イギリス人にとっては（悪く言えば）二番煎じですが、アメリカでは初の感触です。その新鮮さが、ビルボード最高４位という快挙を得たのでしょう。先ほど、ウィー・ファイヴとクリスピアン・セント・ピーターズの歌う「You&nbsp;Were On My Mind」を同時に聴いたなら、きっとクリスピアンのヴァージョンを好むだろうと書きました。しかし、「The Pied Piper」の方を先に知った私にとっては、「You&nbsp;Were On My Mind」の方が二番煎じに思えるため、自然とウィー・ファイヴの方を選んでしまうのでした。</p><p>　「The Pied Piper」は、前作「You&nbsp;Were On My Mind」に追随するどころか、勝っていると思います。より洗練されている感触があります。比較すると前作の方が輪郭がはっきりしていないところがあるのです。元々「The Pied Piper」はThe Changin' Timesというアメリカのグループによって1965年に歌われた曲で、最高87位を記録しています。私はビルボード・チャートを毎週40位までしか確認しませんので、87位という結果に終わった原曲を知るのは後の話でした。聴いてみると、いかにも1965年といった風のフォーク・ロックで、ヴォーカルもきっとディランに影響されているのだろうと微笑ましくなる曲です。</p><p>　クリスピアンのヴァージョンは、「You Were On My Mind」のアレンジを模倣しているのは確かです。しかし、それに加えて、チェンジン・タイムズによる原曲で用いられた笛の音にも影響を受けています。タイトルがそのまま、伝承で有名なハーメルンの笛吹のことを指しているのですから、笛の音が聞こえるのは当然でしょう。歌詞の内容は伝承のように怖くなく、「僕についてきて」と大変ロマンあるものに転じています。こういうアイデアがヒットを招くのでしょう。クリスピアンのヴァージョンは、ヒット性のある「You Were On My Mind」のアレンジと、原曲に秘められた魅力を最大限引き出して、見事に融合したものだったのです。静的なヴァースと動的なコーラス、ここがこの曲の美点です。何度も聴くと、後半がやや繰り返しすぎているようにも思えますが、気分を高揚させてくれるのは確かです。最後に潔く終わってくれるところも好ましいです。　</p><p>　「The Pied Piper」がアメリカでヒットしていた時期は、1966年の７月から８月にかけてです。この頃チャートの上位には、トロッグスの「Wild Thing」、トミー・ジェイムズ＆ザ・ションデルズの「Hanky Panky」、サム・ザ・シャム＆ザ・ファラオーズの「Lil' Red Riding Hood」といった馬鹿げた曲が占めていました。一曲だけなら、こういう曲も面白いよね、くらいで済ますこともできますが、三つも揃われるといい加減嫌気が差します。そんな中で「The Pied Piper」は良い清涼剤になってくれました。</p><p>　大変すばらしい曲を歌ってくれたクリスピアンでしたが、次の「Changes」は先述の通りさほどヒットしていません。良いような気もするのですが、手放して褒められないところがあります。クリスピアンの裏声が気色悪く聴こえるとかそういう原因でもあるのでしょうか。いえ、決して悪いというものではないのです。ただ「The Pied Piper」のような決定的な、フックとなるものがなかった。ヒットのポテンシャルが低いようです。三番煎じをやらなかったところは評価できるかもしれません。</p><p>　イギリスでも大して変わりませんが、アメリカにおけるクリスピアンの人気は一瞬でした。「The Pied Piper」がヒットしたときは、今後もヒット・チャートを賑わしてほしいという微かな望みもあったのですが、その気持ちも時が経つにつれて忘れていきました。そして完全に忘れ去っていた1967年７月22日付のチャートに、再びクリスピアン・セント・ピーターズの名が現れたのです。ヒットした曲は、なんと一年以上前に発売されていた「You Were On My Mind」なのです。なぜ今更？と思いました。確かにウィー・ファイヴは、あれ以降ヒットが続かなかったため、グループもヒット曲も忘れられていておかしくはないです。だからといってクリスピアンが過去に歌ったヴァージョンがヒットする理由になるのでしょうか。きっと何か事情があったはずです。クリスピアンの歌う「You Were On My Mind」は、ビルボード・チャートの36位に二週いただけで、すぐにトップ40から消えました。クリスピアンに興味のない人にとっては、また有象無象の曲が出てきた程度にしか思わなかったでしょう。しかし少しばかり彼のことを知っていた私にとっては、ひどく奇妙な現象に見えたのでした。忘れられた頃に突然やってきたクリスピアンでしたが、その後ビルボード・チャートに顔を出すことは二度となく、アメリカン・ポップは何事もなかったかのように動いていくのでした。</p><p>　ウィキペディアの記述が必ずしも間違っていないと書いたのはこういうことです。イギリスでは順番通り発売され、順番通りヒットした。アメリカでは順番通り発売されたけれど、ヒットした順番は逆だった。これが真相です。しかし無機質な表で表すと、この順序が伝わらないのです。そういうわけで、もしこの事情を御存じない方がいらっしゃいましたら、是非記憶に留めておいてください。得もしませんが損もしないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="The Pied Piper - 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The Complete Recordings 1965-1...</a><div style="padding: 3px 0;">5,461円</div><div style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>　私が所持しているクリスピアン・セント・ピーターズのCDは、これ一枚です。The Complete Recordingsと書いてあるように、二枚組の大容量です。ちゃんと通して聴いたことはないです。私にとってこの人は、やはり「The Pied Piper」一曲に尽きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;2019年10月時点、YouTubeでこの曲を検索すると、クリスピアンのライヴ映像が見られます。これはイギリスで毎年行われていたNMEのショーです。NME Poll-Winners' Showで検索すると、主にビートルズに関する情報が出てきます。映像は66年のものです。ビートルズは64年から66年まで出演していました。それはともかく、クリスピアンの歌唱ですが、恐ろしい音痴です。最初別人がふざけた歌っているのではないかと思ったほどでした。この曲のライヴ・ヴァージョンが見られることに喜んだ自分が滑稽に思えてきます。こんなに音を外せるものなのでしょうか。英米でヒットしていたのですから、間違えることの方が難しいほど歌っていそうなものです。ちゃんと聴いてみると、コーラスの「hey, come on babe」のところはある程度音程がとれています。この曲のヴァースは低い声で囁くのでして、そこがこの曲の魅力でもあるのですが、ひょっとするとクリスピアンは低音になると不安定になるのかもしれません。それにしても不自然な音程ですが。改めてレコーディングされた方を聴いてみると、とりあえずピッチのいい歌手ではないのでしょう。レコードではそういう不安定さも、歌詞の純真さを表していたのかなと、好意的に書いておきたいです。どんなにライヴでの歌唱が不安定だろうと、私はクリスピアン・セント・ピーターズが歌った「The Pied Piper」が好きなのですから。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12540257310.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Oct 2019 08:07:39 +0900</pubDate>
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<title>[4]Like A Baby / Len Barry</title>
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<![CDATA[ <p>　レン・バリーという名が1965年にビルボード・チャートに登場したとき、また一人の新人が現れたと思いました。「1-2-3」という、簡明で忘れようのない曲名。イントロの力強いビート。そんな曲がチャートを急上昇するのを見て、心が躍る気がしました。サウンドは当時隆盛を極めていたモータウンを模したものです。レン・バリーなる男性の歌声も、黒人の姿を連想させ、これもやはりモータウン風。モータウンにありがちな、白人的な黒人のサウンドを巧みに再現しているものでした。しかし後に私は、レン・バリーの正体が、黒人的な白人（つまり白人）であったことを知るのでした。そして、彼が元ダヴェルズのリード・ヴォーカルだったことも同時に知ることになります。</p><p>　60年代前半、カメオ／パークウェイなるレーベルが、アメリカン・ポップを賑わしていました。カメオとパークウェイという二つのレーベルから、いくつものヒット・シングルが生まれていたのです。私は当初、カメオとパークウェイが同一のレーベルとは知らずにいましたが、真相を知ったとき納得しました。どちらのレーベルも、聞こえるドラムの音が同じだったからです。カメオ／パークウェイは、本拠地がフィラデルフィアだそうです。ハリウッドで活躍していたハル・ブレイン、アール・パーマーといった力強いドラムを聞かせてくれるドラマーとは異なる、非常に軽い音のドラムが、カメオ／パークウェイのサウンドの特色でした。軽い音というのは、エンジニアの問題が多分にあり、決してドラマーに原因があるとは言えません。また、軽い音だからといって決して悪いのではなく、名も知らぬドラマーの演奏は、丁寧で安定したものです（フィラデルフィアですから、録音はニューヨークでしょう）。</p><p>　今でこそ私のカメオ／パークウェイに対する印象は良いものになっているのですが、このレーベルが最も繁盛していた頃は、正直好きになれませんでした。レーベル内の最大の稼ぎ頭だったであろうチャビー・チェッカーも、今でこそ好意的に聴くことができますが、売れていた当時は「またチャビー・チェッカーかよ……」と少しうんざりしていました。出すシングルが必ずヒットするのですから、「またチャビー・チェッカーかよ」が永遠に続くかのようでした。チャビー・チェッカーと（やや劣るかもしれないが）同等のヒットを飛ばしていたボビー・ライデルは、今も苦手です。「I'll Never Dance Again」と「Forget Him」は好きですが、それ以外のほとんどは凡庸な曲にしか聴こえないのでした。レーベル内の代表的存在を好く思わないのですから、基本的にカメオ／パークウェイに対して良い印象を抱くことは少ないのです。良いと思うのは、チャビー・チェッカーでもボビー・ライデルでもなく、（この二人と比較すると）二番手の位置にいる人たちの曲でした。それはオーロンズであり、タイムズであり、そしてダヴェルズでもありました。このダヴェルズにレン・バリーがいたのです。</p><p>　ダヴェルズの最初のチャート・インであり、最初のトップ10ヒットは、1961年の「Bristol Stomp」で、これは２位まで上昇しました。１位を阻んだのは、ディオンの「Runaround Sue」で、同系統の曲がチャートの上位にいた、といった趣です。カメオ／パークウェイは、ボビー・ライデルこそ白人ですが、他の歌手は大抵黒人であるため、ダヴェルズもきっと黒人だろうと思っていました。リード・ヴォーカルの歌唱がどうしても黒人にしか聞こえなかったのです。後に写真を見て、全員が白人だったことに驚きました。黒人だと思ったら白人だったというケースは、ほかにジョニー・プレストンを思い浮かべます。「Running Bear」のヴォーカルがどうしても黒人に聞こえたのでした。逆にジョニー・マティスを白人だと思っていたこともあります。後年のジョニー・マティスの歌唱ではなく、初期の「It's Not For Me To Say」「Chances Are」で聴かれる歌声が、白人を思わせたのでした。</p><p>　ダヴェルズのヒット曲は少なく、1963年に「You Can't Sit Down」が、３位とこれまた大ヒットした他に、目立った曲はありません。カメオ／パークウェイは、チャビーとボビーが例外であって、他の歌手はそうヒットは続かないのでした。もっともそれが普通なのですが。ダヴェルズにいたっては、「Bristol Stomp」と「You Can't Sit Down」の間にはややブランクがあり、よくぞ忘れられずもう一曲売れたものだと思います。</p><p>　1964年のブリティッシュ・インヴェイジョン以降、チャビー・チェッカーもボビー・ライデルもヒット・チャートの世界を退きます。その他のカメオ／パークウェイ所属の歌手たちも、おしなべて退場します。ダヴェルズも同様で、レン・バリーもグループを脱退します。私はてっきりブリティッシュ・インヴェイジョン以降に脱退したと考えていたのですが、どうやら63年末のようでした。どういう理由でダヴェルズを抜けたのか詳しく知りませんが、結果論としては良い判断だったのではないでしょうか（レン・バリーのベスト盤のライナーには、グループを去る際、誰も止めようとしなかったと書かれてあるため、メンバー間の関係性の悪化かなと思います）。</p><p>　レン・バリーは脱退後、カメオからシングルを二枚リリースしますが、過去のしがらみから逃れるため、マーキュリーから一枚だけシングルを出します。マーキュリーとの関係は正式な契約ではなく、彼はすぐにデッカへ移籍します。これは二人のソングライター・チーム、ジョン・マダラとデヴィッド・ホワイトの尽力によるものでした。この二人の最初の成功は、1957年の「At The Hop」でした。ダニー＆ザ・ジュニアーズが歌ったもので、このグループのメンバーにはデヴィッドがいました。この二人はチャビー・チェッカーの1961年の「The Fly」というヒット曲も提供しており、カメオ／パークウェイとは縁のある存在でした。これらのほかに、彼らが作曲した代表作は、レスリー・ゴアの「You Don't Own Me」で、この曲はビートルズの「I Want To Hold Your Hand」さえなければ１位になっていた曲でした。こうした曲を並べれば分かる通り、この二人は波乱の50年代後半～60年代前半を闊歩した、実績あるソングライターです。レン・バリーのデッカ時代は、ジョン・マダラとデヴィッド・ホワイトの作曲およびプロデュースによって展開されるのです。</p><p>　デッカ第一弾シングルは「Lip Sync (To The Tongue Twisters)」（1965年５月）ですが、これはビルボードでは最高84位でした。私は後に購入したベスト盤で初めて聴いたのですが、特に気に入っているわけではありません。聴き終わる度に忘れそうです。</p><p>　特筆すべきなのは、やはり第二弾シングルの「1-2-3」でしょう。「Lip Sync」のセールスが不発と分かると、翌月の６月に即座にリリースされました。冒頭でモータウン風のサウンドと書きましたが、1965年は特にモータウンの模倣がなされていた年だったのです。ジャッキー・リーの「The Duck」や、ニュービーツの「Run, Baby Run」、４シーズンズの「Opus 17 (Don't You Worry 'Bout Me)」といった曲は、モータウンの香りが顕著にすることで、私の印象に残っていました。ここまで書いて「Opus 17」は1966年の曲だったと気づきましたが、要するにこの時期までは、モータウンを真似することがヒットの手段になり得たのです（だからと言ってどこもかしこもモータウン化したわけではない）。1964年から66年までのモータウンは、これ以上ないほどに栄えていました。</p><p>　レン・バリーの「1-2-3」も、サウンドは明らかにモータウンを意識しているのですが、決して下手な真似事にはなっていません。フォー・トップスの「I Can't Help Myself」の、有名なイントロのリフレインをパクるような安易な真似はしていません。こう言うと、先述の「Run, Baby Run」は有罪になってしまいます。貶すつもりはありませんが、私にとってニュービーツは「Bread And Butter」であって、「Run, Baby Run」のヒットは余生か何かに見えます。話を戻しますが、「1-2-3」はまるでホランド＝ドジャー＝ホランドが書いた曲のようでありながらも、モータウンにはない個性もいくらか表れていて、そこが面白いと思いました。どういう個性なんだと言われると少し困惑します。しかしあえて言うなら、スプリームズやフォー・トップスに提供された曲には分かりやすい「切なさ」がある一方、「1-2-3」は明るいようでいて「哀愁」も感じられるということでしょうか。「Where Did Our Love Go」や「I Can't Help Myself」を聴いてみると、いかにもHeartacheといった感じがするではありませんか。歌詞なんかいかにもそうでしょう。一方で「1-2-3」はイントロのビートがまず気分を上げますし、歌詞も「さあ恋をしよう、恋するなんて簡単さ」といった簡単なものです。それなのに、どこかHeartacheに通じるものを私は感じます。ご理解いただけませんか？　当時のアメリカ人は、私の感じた微妙な情緒を理解したのかどうか、それは分かりませんが、とにかく「1-2-3」を喜んで迎え、ビルボードで最高２位を記録しました。１位はスプリームズの「I Hear A Symphony」で、モータウンの模倣は、本家モータウンが征す、といった具合でしょうか。とはいえ大ヒットには違いありません。ビルボードでこそ２位のこの曲は、キャッシュボックスでは１位に輝いています。私はキャッシュボックスをあまり見たことがないので、同じアメリカン・ポップについて取り上げているはずなのに、よそ事のように思えます。</p><p>　さて、ここまでのレン・バリー・ストーリーは大いに結構なのですが、問題はここからです。大ヒットを出したのに引退するなんて勿体ないことをする人はこの世界にはいないわけですから、当然次なるシングルが出ることになります。待望のセカンド・シングル、それこそが「Like A Baby」。作曲、プロデュースはやはりマダラ＝ホワイトのコンビです。曲の内容も前回に引き続き、モータウン風です。タイトルに「Baby」とありますが、前作「1-2-3」の歌詞でも随分と「baby」が使われていたのですから、大胆な流用です。こんなことを言うとあまり褒めているように聞こえませんが、私は「Like A Baby」がかなり好きでした。「1-2-3」よりも気に入っているのではないでしょうか。大ヒットした「1-2-3」と曲調もテンポもかなり似ており、よくある二匹目のドジョウというものですが、それでも簡単に馬鹿にしていい出来ではありません。「1-2-3」の歌詞の内容が快活であることは、先にも述べましたが、こちらは感傷的で、そこに情緒があります。メロディーも大変好きです。もし歌唱力があって、この曲を難なく歌えたなら、さぞかしいい心持ちだろうと思います。それは「1-2-3」でも同じですが。</p><p>　ヒット・チャートの世界において、二匹目のドジョウ（Follow upと言おう）は、一匹目と比べて大人しいヒットとなることがほとんどです。そうは言っても、大抵良い数字を記録するのです。思い付く限り書きましょう。ボビー・ヴィーの「Run To Him」（２位）と「Please Don't Ask About Barbara」（15位）。ニール・セダーカ「Breaking Up Is Hard To Do」（１位）と「Next Door To An Angel」（５位）。ニーノ・テンポ＆エイプリル・スティーヴンス「Deep Purple」（１位）と「Whispering」（11位）。ニュービーツ「Bread And Butter」（２位）と「Everything's Alright」（16位）。ナンシー・シナトラ「These Boots Are Made For Walkin'」（１位）と「How Does The Grab You, Darlin'?」（７位）。ベン・Ｅ・キング「Spanish Harlem」（10位）と「Stand By Me」（４位）（←勝ってる！）……このように、チャート・トップあるいは同等のヒットを飛ばした後のシングルは、兄の威光を以ってチャートの世界を健闘するものです。これらの実例を何度も目にした私ですから、「Like A Baby」も必ずトップ20に入るだろうと思っていたのです。ところが結果としては27位。これにはあれ？と思わずにはいられませんでした。どう聞いてもこれ以上にヒットするポテンシャルがあると判断できたというのに。あれこれ考えてみると、曲調が前作と同じであること、それから前作よりも歌詞が憂鬱だった、といった当たり前のことが原因になってしまいます。それはそうとしても、納得できないところがあります。</p><p>　レン・バリーは「Like A Baby」後に、有名なウェスト・サイド・ストーリーの「Somewhere」を歌い、これも26位と「Like A Baby」と同じ規模のヒットとなりました。この曲の出来も結構だと思いますが、個人的にはあまり好んでいません。なんだか当たり前の曲のように聞こえたのです。これがトップ20に届かないのは納得できました。しかしこの次のシングル「It's That Time of Year Again」は良く出来ていると思います。しかしこれは91位という結果に終わりました。以降、レン・バリーのヒット曲は永遠に絶えます。</p><p>　ヒット・ポテンシャルのある曲を続けて出すことができたのにも拘わらず、「1-2-3」の大ヒットでほとんど終わってしまったのは、意外でしかなく、チャートの世界とは予想外の連続ばかりと思い知らされます。好きな曲が思うように上がらず、どうでもいい曲に限って何週も残るものです。私が納得してもしなくてもお構いなしです。</p><p>　冷静に考えてみると、モータウン・スタイルは長続きしないものであると言えます。先述のニュービーツにしても、「Run, Baby Run」が最後のヒットとなりました。４シーズンズはまだまだ頑張ってヒットを出しますが、流行を追い続けるグループですから、モータウン・スタイルは早々に捨て去り、フォーク・ロックとかサイケデリックとかに挑戦するのです。本家であるモータウンですらも、次第にサイケデリックのようなサウンドになっていくのです。そもそも持続してヒットを出せるものではないのです。考えてみれば当たり前で、この激動の時代に、何度も同じことをやっても成功は繰り返せないのでした。</p><p>　レン・バリーは、一応ワン・ヒット・ワンダーと言えるでしょう。しかしダヴェルズの頃のヒットがありますから、合わせると三曲。最初のヒットから年数を言うと、1961年、63年、66年。なんというか、忘れた頃に出てきて、急にいなくなる具合です。しかも出てくる度にトップ３。これはこれで稀有な存在です。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="Very Best of" alt2="Amazon" alt3="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/21K29VBCDYL._SL160_.jpg" alt4="1" 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<pubDate>Tue, 29 Oct 2019 08:16:05 +0900</pubDate>
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<title>[3]I'm Comin' Home, Cindy / Trini Lopez</title>
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<![CDATA[ <p>　トリニ・ロペスが一番売れていたのは1960年代の中頃で、彼がリプリーズに所属して時期になります。リプリーズ・レコードといえば、思い付くのはフランク・シナトラで、自由にレコードを作る環境を得るため、1960年に設立した会社でした。所属するのは、もちろんシナトラ本人と、彼の仲間であるディーン・マーティンとサミー・デイヴィス・ジュニアです。音楽業界の大物たちが集っているのですから、出すレコードもビッグ・ヒットなのかというとそんなことはなく、設立当初はヒットとは程遠い状況が続くのでした。リプリーズからレコードがリリースされ始める1961年です。この時期活躍していた歌手といえば、プレスリー、チャビー・チェッカー、デル・シャノン、ロイ・オービソン、リッキー・ネルソンといった人たちです。また、ゲーリー・USボンズの「Quarter To Three」や、ボビー・ルイスの「Tossin' &amp; Turnin'」がチャート・トップになるなど、黒人の歌う楽曲が、ビルボード・チャートをかなり割合で占めていました。62年にはボビー・ヴィントンやフォー・シーズンズがスターの仲間入りをします。そういう時代に、前時代の大御所たちは何を歌えばいいのでしょうか？　まさかロックンロールでも歌うのでしょうか。もちろんそんなことはありませんでした。同時期にシナトラの娘であるナンシー・シナトラもデビューしていますが、若い彼女も決してロックンロールは歌わされなかったのです。</p><p>　リプリーズから発売されたレコードの中で、どれが最も早くチャートインしたか、私は知りません。とりあえずシナトラの最初のシングル「The Second Time Around」が50位、次の「Granada」が64位、その次の「I'll Be Seeing You」が58位まで上昇したことは調べて分かりました。しかしいずれも、誰もが認めるヒットとは言えない数字です。私が思うに、最初にトップ40に躍り出たのは、1962年１月27日に34位を記録した、シナトラの「Pocket Of Miracles」だと考えています。これでも大したヒットです。一方、ディーン・マーティンは、ほとんどチャート・インもしません。もう一人、サミー・デイヴィス・ジュニアはやや例外で、1962年リリースの「What Kind Of&nbsp;Fool Am I」が、リプリーズ初のトップ20ヒットを獲得しています。初のトップ10ヒットは、ルー・モンテの「Pepino The Italian Mouse」で、1962年９月に発売され、63年の１月12日に５位を記録しています。このように、リプリーズからヒット曲が出ることは何度かありました。しかし私のリプリーズに対する認識は、時々登場するレーベルでしかなく、有象無象の一つとしか思えませんでした。</p><p>　「What Kind Of Fool Am I」は正統派なクルーナー・ヴォイスで、ヒットしたのが快挙と言うべき曲です。一方の「Pepino The Italian Mouse」は、チップマンクス風の高ピッチ・ヴォイスが聞こえるノヴェルティー・ソングでした。サミー・デイヴィス・ジュニアは1964年３月に「The Shelter of Your Arms」（私は「What Kind～」よりこちらの方が好み）で17位のヒットを記録しますが、これ以降安定したヒットは続かず、次のトップ40ヒットは1967年の「Don't Blame the Children」まで待たなければなりません。ルー・モンテに関しては、「Pepino the Italian Mouse」以外にチャート・インした曲があるのか、私にはわかりません。とにかく初期リプリーズは必ずしも順調とはいえない状況でした。まもなく訪れるブリティッシュ・インヴェイジョンは、その不況を決定的なものにしようとしていましたが、リプリーズの大御所たちは底力を見せてくれるのです。が、ここで語るのはシナトラ大逆襲ではなく、影の功労者とも言える存在についてです。</p><p>　1963年まで断続的なヒットしかなかったリプリーズ・レコードの中で、最も安定していたと言える歌手がいました。それがトリニ・ロペスです。トリニとは不思議な名前ですが、これは連想する通り、トリニダードの略です。彼の父はトリニダード・ロペス二世、メキシコの歌手だったそうです。息子であるトリニ・ロペス（トリニダード・ロペス三世）は、ダラス生まれです。名前といい生まれといい、南米の香りが横溢しています。そのため彼の音楽も、実に陽気なものです（南米＝陽気という印象を私はぬぐい切れません）。</p><p>　私の勝手な印象はともかくです。トリニ・ロペスの最初にヒットは、リプリーズ二つ目のトップ10ヒットとなった、「If Had A Hammer」です。1963年のリリースで、最高３位という大ヒットを記録しました。ピート・シーガーの代表曲の一つで、1962年にピーター・ポール＆マリーが歌ったヴァージョンが最高10位を記録しています。トリニ・ロペスが歌った1963年の時点で、PP&amp;Mのヒットはまだ記録に新しいわけです。しかしトリニ・ロペスは、PP&amp;Mのヴァージョンを完全に忘れてしまうほどの、まったく異なる歌と演奏を聴かせてくれます。ヒットしたフォーク・ソングは、PP&amp;Mのハーモニーは、一体何だったのか、そんなことお構いなしのパーティー・サウンドを聞かせてくれます。レコードを再生すると、突然騒々しい演奏と歓声。トリニ・ロペスは最初にリップ・ロールを聞かせ、「ウーウー」と心地よさげに歌うのです。PP&amp;Mのヴァージョンを知った上でこれを聞くと、その破壊力に驚き、笑わされます。このご機嫌なパーティー・サウンドは、ジョニー・リヴァーズへ継承され、フォーク・ロックを生み出すという、アメリカの音楽業界への多大なる影響を与えることになります。</p><p>　さて、私はトリニ・ロペスをリプリーズ最大の安定を持っていた歌手と言いましたが、シングルという観点では安定とは言い難いです。「If Had A Hammer」の次のシングルである「Kansas City」（1963年）は23位を記録しますが、この次にトップ40に届いたシングルは、1965年の「Lemon Tree」まで待たなければならず、それまではハズレの方が多いのです。私の言う「安定」とはアルバムのことで、「If I Had A Hammer」が収録された『Trini Lopez at PJ's』はアルバム・チャートであるビルボード200で２位を記録しています。その後65年にいたるまで、トリニ・ロペスのアルバムは好調な売れ行きを維持するのでした。</p><p>　ここでようやく「I'm Comin' Home, Cindy」の項です。ヒット・アフター・ヒットの続いたトリニ・ロペスでしたが、1966年になると、ヒットもやや緩やかになります。そんな中で突如登場したのが「I'm Comin' Home, Cindy」です。私はビルボード・チャートを40位までしかしっかりと確認しないため、例えば1965年に「Sinner Man」が54位を記録しても、あまり実感がないのです。そんなときに「I'm Comin' Home, Cindy」が40位に出てきました。私の監視の及ぶ限界の数字です。先述の通り、トリニ・ロペスはアルバム中心の人ですから、シングル・チャートばかり見ている私にとっては、トリニ・ロペスはあまり縁のない存在でした。縁はないけれど、彼の曲は好きでした。65年の「Lemon Tree」も大変気に入って、20位に終わったのは残念に思ったくらいでした。そういう私でしたので、彼の曲が再び登場してくれたのは嬉しいことなのでした。聴いてみると、彼の今までのどのヒット曲よりもテンポが速いのです。そして、どの曲よりも派手な仕上がりになっています。常にご機嫌なままで、それ以外は何も変わらないかに思えたトリニ・ロペスも、こうして時代に即してか、サウンドに変化があるのです。トリニ・ロペスの歌唱も、なかなかに力の入ったものになっています。そんなに力を入れるべきなのか、というこちらの疑問をまったく無視してやってくれるのですから、笑うしかありませんし、それが大変心地いいです。</p><p>　理屈抜きに好きになった曲でしたが、ビルボード・ホット100では39位が最高位でした。トップ40圏内には三週しか残らなかったのでした。「Lemon Tree」が20位になったことに残念に思った私ですから、それ以下の39位はそれ以上に遺憾なのでした。そしてこれがトリニ・ロペスにとっての最後のトップ40ヒットになります（ACチャートではこれ以降もしばらく健闘します）。</p><p>　1966年というと、どういう時期でしょう。ブリティッシュ・インヴェイジョンの衝撃はようやく治まり、アメリカの音楽も大いにビートルズたちへ影響を与えるものになりました。そんな中でリプリーズ・レコードはというと、明らかに好調と言えるものでした。プロデューサーのジミー・ボーウェンやリー・ヘイズルウッド、そしてアレンジャーのアーニー・フリーマン、そして60年代のポピュラー・ミュージックを語る上で書かせないドラマー、ハル・ブレインといった優秀な人材が集い、大いに貢献するのです。64年にディーン・マーティンの「Everybody Loves Somebody」がチャート・トップになり、50年代の「Memories Are Made Of This」や「Return To Me」以来の大成功となります。65年には何故かリプリーズと契約したキンクスや、ディーン・マーティンの息子がメンバーであるディノ・デジ＆ビリーのヒット曲が目立ちます。そして66年には、シナトラ親娘がそれぞれチャート・トッパーを獲得するという稀有なことが実現します。まさに大御所たちの大復活です。67年には、エレクトリック・プルーンズの「I Had&nbsp;Too Much Dream (Last Night)」という信じがたいサウンドで構成された曲がヒットし、あのリプリーズがサイケデリックをやったことに驚かされるのです。このようにリプリーズは、ブリティッシュ・インヴェイジョンという逆境から奮起し再興するのでした。しかしそうなる前に、リプリーズを支えていたのは、間違いなくトリニ・ロペスではありませんか。66年に最後の輝きを放った「I'm Comin' Home, Cindy」に、私は賛辞を送るほかありません。</p><p>　最後に。「I'm Comin' Home, Cindy」は、トリニ・ロペスの66年のアルバム『Trini』に収録されています。アルバムの一曲目には「Fly Me To The Moon」が収録されています。有名なスタンダードである「Fly Me To The Moon」も、トリニ・ロペスにかかれば、なすがままに機嫌がよくなるのでした。これでこそトリニ・ロペスです。この一貫した姿勢がトリニ・ロペスの魅力であり、素晴らしいところであると思います。惜しむらくは、彼のアルバムがあまり再発されていないことです。先述の『Trini』もおそらくCD化はされていないと思います。彼の魅力はやはりアルバムに表れるものですから、もう少しなんとかしてほしいものです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12539957068.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Oct 2019 08:26:02 +0900</pubDate>
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<title>[2]3000 Miles / Brian Hyland</title>
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<![CDATA[ <p>　ブライアン・ハイランドと言えば「ビキニスタイルのお嬢さん」というのが定説です。陽気と言うほかないこの曲は、一般的に言われるオールディーズの象徴となっています。ブライアン・ハイランドの甘い声は、これ以外の年代ではまず聞かれないもので、決してシャウトをしない、専門的なヴォイス・トレーニングもきっとされていない、これぞまさに60年代です。1960年から1963年は、実に不思議なポップ・ミュージックで溢れていた時期で、それらは1964年以降のブリティッシュ・インヴェイジョンによってほとんど見事に消え去った、幻の音楽とも言えます。ブライアン・ハイランドの「ビキニスタイルのお嬢さん」、いえもう原題でいいでしょう、「Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polkadot Bikini」も、幻のポップ・ミュージックの一つです。この曲に追随したヒット曲を私は聞いたことがないです。この曲を何かに分類づけるとするなら、ノヴェルティー・ソングでしょう。この曲が1960年８月８日にチャート・トップになる四週間前の７月11日、ハリウッド・アーガイルズの「Alley Oop」という曲が首位になっていることから判断して、この時期ノヴェルティー・ソングが好まれる傾向にあったと言えます。しかし「Alley Oop」は、あまりにもノヴェルティーに過ぎます。そもそもハイリウッド・アーガイルズというグループ自体、「Allep Oop」という曲を発表するために作られた、即席の、実態のないグループだったのですから。それと「Itsy Bitsy～」を比較すると、まずブライアン・ハイランドは実在する人物ですし、この曲のために用意されたわけでもありません（あるいはデビュー当時はそうだったかもしれませんが）。しかもこの曲は「Alley Oops」と比べて、明らかにメロディアスですし、ヴァースやコーラスといった展開が明確に構成されています。メロディとノヴェルティが両立した曲は、あまり思い付きません。そこが独自なもので、その後何かに発展することもなかったのです。進化論を論じようとする際、何にも分類できないような不可解な生き物が時々出てくる。そんな感じに似ている気がします。</p><p>　実際ブライアン自身も、このノヴェルティー路線を持続させませんでした。できなかったと言うのが適当でしょう。大ヒット曲の後にリリースされた「Four Little Heels (The Clickety Clack Song)」は73位と、比較にならない成績です。その後も数枚、やはり陽気な曲がシングルとしてリリースされますが、結果は悪くなるばかり。早くもワン・ヒット・ワンダーの兆しが見えます。チャート・ヒットの世界とは、かくまでに厳しいものです。</p><p>　しかしブライアンは、この過酷な世界の中ではかなり運の良い方です。彼は持続性に欠きますが、瞬発力はあります。「Itsy Bitsy～」の大ヒットから一年経ちました（一年と言うと、なんだそれくらいと思うかもしれませんが、一年間には約五十週ものチャートがあり、毎週目まぐるしく変化していくのです。そんな世界から半年でも姿を消していると、もう大昔のことのように思えてくるものです）。ブライアンは、それまで在籍していたキャップから、ABCパラマウントへ移籍します。７月に「Let Me Belong To Me」がリリースされ、これが20位のヒットになるのでした。20位と言うと、あまり派手な数字には見えませんが、直近のシングルが100位圏内にすら届かなかったブライアンにとっては、大いなるヒットと言うべきでしょう。曲はもうノヴェルティーとは言えないもので、真逆の静謐なトラックとなりましたが、ブライアンの甘い声だけは変わらないのでした。この曲の作曲はゲーリー・ゲルドとピーター・アデルによるもので、以降ABCからリリースされるブライアンのシングル曲は、すべてこの二人が担当することになります。早々とABCへ移籍したこと、「Let Me Blong To Me」を歌う機会が与えられたこと、そしてゲーリーとピーターの曲を継続して与えられるようになったこと、この三つの奇跡があったことによって、ブライアンはポピュラー・ミュージックの世界に永く生き残ることができたと考えます。どれか一つでも欠けていたら、彼はきっと一発屋に終わっていたことでしょう。</p><p>　ABC時代のブライアンに与えられたコンセプトは、「脱ノヴェルティー」だったのではないでしょうか。「Let Me Belong To Me」の後にリリースされた「Ginny Come Lately」（1962年）も、やはり穏やかな曲で、21位まで上昇します。やはり派手なヒットとは言えないながらも、ここでブライアンの新たな方向性は決定したと言えます。</p><p>　その路線を決定的にしたのは、「Ginny Come Lately」の直後にリリースされた「Sealed With A Kiss」でしょう。私が最初にこの曲を聴いたとき、今までとは180度異なるマイナーキーに驚かされました。とても二年前に「Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polkadot Pikini」を歌っていた人とは思えなかったのです。イントロのギターがまず不穏ですし、ハーモニカの音も寂しげです。あんなに甘かったブライアンの声も、この曲では感傷的です。この曲で初めてブライアンのヴォーカルはダブル・トラックになっており、ハーモニーも重ねられています。マイナーの曲をあまり好まない私ですが、この曲には味わい深く感じ、よく口ずさむこともありました。「Sealed With A Kiss」は後にこの曲は、ゲーリー・ルイスやボビー・ヴィントンにカヴァーされ、その度にヒットしています。「Itsy Bitsy～」と「Sealed With A Kiss」という二曲のクラシックを最初に歌ったというのは、ブライアンにとって誇るべき事実と言えるでしょう。</p><p>　しかしマイナーキーというのは難しいもので、そもそもあまり喜んで受け入れられない性質を持つのですから、運の良い時機を見計らわらなければならない手札です。「Sealed With A Kiss」は見事成功しましたが、暗い曲の二匹目のドジョウは成功し難いです。それをレコード会社は理解してか、「Sealed With A Kiss」のようなマイナーソングをブライアンに歌わせることはありませんでした。その後続くシングルは、「Let Me Belong To Me」や「Ginny Come Lately」のような穏やかな曲ばかりでした。しかし人々の心は常に移ろうもので、いつまでも同じ曲をやっていると飽きられるばかりです。これではいけないと思ったのか、1963年10月にリリースされた「Let Us Make Our Own Mistakes」は、打って変わって賑やかな曲になりますが、100位圏内に届かず。これを以ってブライアンのABC時代は終わったのでした。</p><p>　ブライアンはフィリップスへ移籍し、1964年から1965年の間に五枚のシングルをリリースしますがすべて不発。既にビートルズがアメリカに上陸しており、ブライアンの立場は無いも同然です。ビートルズが「イェーイェー」と叫んでいる中で、ブライアンが全然時代にそぐわない、穏やかな曲を歌わされているのを見ると、当時のアメリカの音楽業界がいかにブリティッシュ・インヴェイジョンを困惑して見ていたかが分かります。いよいよブライアンも過去の人となろうとしていました。</p><p>　しかし幸運なブライアンは、ここで終わりません。彼の転機は1965年７月にリリースされた「Stay Away From Her」であると考えます。残念ながらノン・ヒットですが、ここで聴かれるレンディションは、明らかに従来のシングル曲と異なります。時代に即したアレンジになっているのです。ブライアンのヴォーカルも、それまでの甘い声からより力強いものとなり、成長を感じさせるようです。そういえば「Itsy Bitsy～」がヒットしたとき、ブライアンはまだ16歳だったのでした。「Stay Away From Her」のときですらまだ21歳……なんと若いことか。1965年の半ばを過ぎて、アメリカの音楽業界はようやく覚悟を決めたという印象があります。</p><p>　「Itsy Bitsy～」と「Sealed With A Kiss」の成功に次ぐ三つ目の幸運は、彼のシングルのプロデューサー、アレンジャーをスナッフ・ギャレットとリオン・ラッセルが担当するようになったことです。スナッフ・ギャレットと言えば、60年代前半からボビー・ヴィー、ジーン・マクダニエルズ、ジョニー・バーネットのヒット曲のプロデュースを手掛けていた、優秀なプロデューサーです。リオン・ラッセルは優秀なピアニストであり、同時に優秀なアレンジャーです。60年代中盤には、この二人がチームとなって、ゲーリー・ルイス＆ザ・プレイボーイズのレコードを制作し、大ヒットを連発していました。まさに最強の二人です。この二人が最初に手掛けたブライアンのシングルが、今回紹介する「3000 Miles」だったのです。1966年２月のリリースです。前作「Stay Away From Her」の系統をしっかりと引き継ぎ、更に良いものにしています。「Stay Away From Her」は、「おや？」と思わせる箇所もありますが、明快なフック・ラインを持たせられないまま、うやむやに終わってしまったところがありました。２分弱で終わってしまうのもその証拠です。「3000 Miles」はイントロからして、はっとさせられるものがあります。ヴァースもコーラスも感動的なほど良いメロディで徹底されています。構成もレンディションも見事で、楽曲選びには余念のないスナッフ・ギャレットの業と、楽曲の緻密な設計を得意とするリオン・ラッセルの業が融合した結果です。</p><p>　歌詞ですが、身分の違う男女の駆け落ちの歌と言っていいでしょう。自分は貧しく、古郷から遥かに離れている、それでもあなたは幸せですか、というような。なかなか感動的ですね。それにしても3000マイルってとんでもない距離だと思うのですが、一体どこに住んでいるんでしょう？</p><p>　さて、ここまで転機とか幸運とか見事とか、褒め続けているわけですが、じゃあこの曲はヒットしたのかと言うと、残念ながら全然です。驚きの最高99位です。100位でないだけマシというものでしょうか。それにしてもオブスキュアが過ぎます。スナッフ・ギャレットとリオン・ラッセルの尽力も空しいものです。ブライアンは64年から64年の二年から一曲もヒットがなかったのですから、そういう状況から再起させるのは困難でしょう。</p><p>　「3000 Miles」はヒットしませんでした。しかしスナッフ・ギャレットとリオン・ラッセルはただでは転ばないのです。常に最善の道を選ぶというものでしょう。ブライアン・ハイランドに適した曲は、「Stay Away From Her」「3000 Miles」のような、感傷的なメロディの光る曲ではないと判断したのではないでしょうか。そもそも1966年にヒットした曲を見てみると、単にメロディが良いだけのヒット曲は少ないように思います。一つ挙げるならゲーリー・ルイス＆ザ・プレイボーイズの「Green Grass」でしょうか（アレンジャーはリオン・ラッセル）。しかしこの曲のヒットは、ゲーリー・ルイズが人気の絶頂だったからこそ可能だったことと言えます。やはりブライアンにはできるだけ陽気さが必要なのでしょう。そういうわけで（かどうかは分からないが）用意された曲が「The Joker Went Wild」でした。この曲は1966年の６月にリリースされ、ビルボードで最高20位という記録を残すのでした。これも派手なヒットとは言えないのですが、やはり「3000 Miles」とは比較にならないほどの成功です。この「The Joker Went Wild」以降についても詳しく書きたいのですが、いい加減長くなりすぎるので、次の機会に廻したいです。</p><p>　今日ではブライアン・ハイランドといえば「ビキニスタイルのお嬢さん」で、それ以外の曲はほとんど語られません（強いて言うなら「Sealed With A Kiss」）。しかしもっと突き詰めて語るとなると、「The Joker Went Wild」のヒットが無視できなくなります。この曲は、長らく低迷していたブライアン・ハイランドの久しぶりのヒットとして、注目に値するものです。しかしこの曲のヒットは、「3000 Miles」という土台があって初めて可能となったとは考えられないでしょうか。何事にも順序があることを教えてくれます。</p><p>　それにしても、当時のブライアン本人およびレコード会社、あるいはA&amp;Mマンの思惑を知りたいものです。フィリップスで悪くいえば凡庸なシングルばかり出していた中、どのように「Stay Away From Her」へと心機一転できたのか。そしてゲーリー・ゲルドとピーター・アデルと手を切り、どういう経緯でスナッフ・ギャレットとリオン・ラッセルの協力を得ることができたのか。ここから先は推測を大いに含みます。スナッフ・ギャレットは、今までゲーリー・ルイスのレコードのプロデュースを手掛けていたのが、1966年２月発売の「Sure Gonna Miss Her」を区切りとしてプロデューサーを（一時的にとはいえ）解任されます。なんでもスナッフの解任はゲーリーの希望だとか聞きます。ブライアンの「3000 Miles」も発売は２月です。推測ですが「Sure Gonna Miss Her」の時点で、スナッフは自分が辞めさせられることを自覚しており、新たな仕事としてブライアン・ハイランドというこの頃落ち目の歌手に手を付けたのではないか……。いえ、本当のところは分かりません。</p><p>&nbsp;</p><p>　この曲を聴いたのはベスト盤を入手してからです。私はビルボード・チャートを40位までしか確認しないので、はるか下の99位にいたという「3000 Miles」を見つけることはありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="Greatest Hits" alt2="Amazon" alt3="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51NlUVBNxPL._SL160_.jpg" alt4="1" 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style="font-size:0.83em;">Amazon</div></td></tr></tbody></table></div><p>　このCDは、異なるレーベルから発売されたヒット曲を集めたものです。20位圏内に入ったヒット曲は網羅されています。一方で「3000 Miles」のような、ヒットとは程遠いオブスキュアな曲も収録されています。ブライアンのキャップ～ABC時代のチャート成績を見れば、「3000 Miles」以上に売れたシングルが何枚もあります。しかしそれらをオミットして、フィリップス時代のオブスキュア・ヒットを積極的に収録しています。選曲者の工夫が窺えます。ブライアン・ハイランドという歌手が、初期の「Itsy Bitsy～」のようなノヴェルティー路線だけの存在でないことを主張したかったのではないでしょうか。このベスト盤に「3000 Miles」が収録されているのを見ると、ついそう思ってしまうのです。</p>
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<pubDate>Sun, 27 Oct 2019 08:54:09 +0900</pubDate>
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<title>[1]It's Over / Jimmie Rodgers</title>
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<![CDATA[ <p>　私が言っている「ジミー・ロジャーズ」とはカントリー歌手のことではなく、後年のポピュラー歌手のことです。1957年に「Honeycomb」がチャート・トップになって以来、「Kisses Sweeter Than Wine」「Secretly」といったヒットを連発しました。しかし彼のヒット・アフター・ヒット時代は短く、1960年以降ヒットらしい曲は激減します。50年代後半は実に微妙な時期でして、ロックンロール隆盛以前の面影を残していながらも、確実に60年代のサウンドへと向かっているという、言ってしまえば洗練されていないのです。この時代に誰よりも頂点に居たのはプレスリーです。「50年代と言えば？」と問われたとき、プレスリーと答えれば概ね正解で、あとはリトル・リチャード、ポール・アンカ、エヴァリー・ブラザーズ、コニー・フランシスといった名前を挙げていく、といった具合です。この時代に華々しくデビューした人たちの多くは、数年後に名前を見なくなることが多く、過渡期の徒花とでも言いたくなります。Jim Lowe、Tommy Sands、Buddy Knox、Jack Scott……思い出そうとすれば、いろいろと名前が出てきます。彼らには一曲の代表的なヒットがあり、あとはそれに付随する曲がいくつかあり、あとは全然わからない、そういう印象が私にはあります。とにかくプレスリーが時代の帝王でして、やがてロックンロール全盛の時代が終わり、その後デビューした歌手たちが活躍する。その間に、少し前まで旬だった歌手は、急激に過去の人になっていくのでした。書いている自分までが悲しくなります。時々過去を振り返ろうと50年代のチャートを見ると、そういえばこんな曲を歌った人がいたんだっけ……と感傷に浸る気持ちになります。</p><p>　ジミー・ロジャーズは、そんな悲しき時代にデビューした歌手の一人です。彼の全盛期は間違いなく57～58年で、それ以降の顕著なヒットは少ないです。しかし彼にはまだ活路が残されていたのです。60年代以降、彼の曲がアダルト・コンテンポラリー・チャートで上位までのぼるようになったのです。デビュー当時こそ「Honeycomb」のようなカントリー路線だったジミー・ロジャーズですが、確かに彼のヴォーカル・スタイルはアダルト・コンテンポラリーでも通用するものです。実際1958年のヒット曲である「Secretly」は、ACチャートでも５位まで上がっています。この曲はアレンジ次第ではボビー・ヴィントンが歌いそうな曲です（実際何かのアルバムで歌っているのではいないでしょうか？）。そうなるとジミー・ロジャーズが本来行くべき道は、ボビー・ヴィントンのようなスタイルだったのかもしれません。もう少し売れるのが遅ければ、ジミー・ロジャーズの音楽人生は大きく変化していたでしょう。</p><p>　ここでようやく本記事の題である「It's Over」に到着します。この曲はジミー・ロジャーズのAC時代の代表曲の一つと言えます。しかし個人的にこの曲は、ACチャートに記録されたと事務的に記述するだけでは済まされないものがあると感じます。</p><p>　この曲の発表は1966年でした。私はいつものようにビルボードのトップ40チャートを見ていました。1966年６月18日、Jimmie Rodgersの歌うIt's Overが37位として登場しました。私はかなり久しぶりに「Jimmie Rodgers」という名前を見たことに驚きました。ヒットから遠ざかっていた人が再び登場することはこれまでに何度もあったことなため、「Jimmie Rodgers」がHoneycombのジミー・ロジャーズであることを疑いはしませんでした。しかしそれにしてもジミー・ロジャーズはかなり長い間名前を聞きませんでした。最後に彼の名前を見たのは、「T.L.C. Tender Love and Care」が24位まで上昇した1960年です。50年代後半にデビューし、1960年を最後に久しく消えていた人が、1966年になってトップ40に現れる。これはかなり異様なことに見えたのでした。</p><p>　「It's Over」という曲名にも思うところがありました。私は最初、これはロイ・オイービソンの「It's Over」なのかと思いました。そう思ったのは、私がロイ・オービソンの曲が好きだからというのもありますが、それだけではありません。1966年の６月にジェイ&amp;ジ・アメリカンズが、ロイ・オービソンの「Crying」をカヴァーしてヒットさせていたからです。ジミー・ロジャーズの「It's Over」が37位まで上がった頃、「Criyng」は28位でした。</p><p>1966年という年において、ロイ・オービソンとジェイ＆ジ・アメリカンズの名を挙げるのは、喩えようのない感興があります。両者ともに1966年が衰退の年だからです。ロイ・オービソンは1965年以降、トップ20ヒットを生み出せなくなり、古巣モニュメントからMGMへ移籍したことで彼の衰退は決定的なものになりました。1966年にトップ40圏内に入ったシングルは「Twinke Toes」一曲のみで、しかも最高39位と、かなり限界の感じる記録です。一方のジェイ＆ジ・アメリカンズは、1964年から65年にかけての大活躍から一変して、1966年は低迷の年となりました。唯一のトップ40ヒットは先述の「Crying」です。ジェイ・ブラックの歌唱は、ロイ・オービソンと通じるところがいくらかあるかもしれません。実際この「Crying」では、ロイ・オービソンの歌声にかなり似せています。だからといって、ロイ・オービソンの曲をカヴァーすればヒットするのかと言えばそうでもなく、「Crying」は25位までしか上がらなかったのでした。私もこのトラックをさほど良いとは思いませんでした（同じ「Crying」を聴くならロイ・オービソンの方がいいと思います）。1965年のジェイ＆ジ・アメリカンズの快進撃と比較すれば、明らかに劣る成績です。ヒットという観点から見れば明らかに衰退の一途を辿るロイ・オービソンとジェイ＆ジ・アメリカンズ。ジミー・ロジャーズの「It's Over」は、そうした感傷を思わせる効果をなしたのです。</p><p>　「Honeycomb」を代表とするジミー・ロジャーズのヒット曲は、ルーレット・レコードから出たもので、ジミー・ロジャーズと言えばルーレットという認識でいました。しかしこうして「It's Over」がチャートに上がり、レーベルを確認すると、いつの間にかジミーはドット・レコードに移籍していたのです。ドットはルーレットよりも古くからあるレーベルで、パット・ブーンの一連のヒット曲がドットにとっての代表的なレコードです。ドットを説明する際にパット・ブーンの名を出すことから明らかなように、ドットはもう新しい、ヒップなレコード会社ではありません。1965年12月に、バリー・ヤングの「One Has My Name」が最高17位になったのを最後に、ドット産のトップ40ヒットソングは久しく無く、「It's Over」が半年ぶりのヒットとなったのです。余談ですが、1965年のドット発のトップ40ヒットは先述の「One Has My Hame」のみ。1966年は「It's Over」と、サーファリーズの「Wipe Out」（最高16位）の二曲です。「Wipe Out」は1963年に最高２位という大ヒットを記録しましたが、それはもう過去のことで、サーフィンという時代遅れの曲が66年に再び浮上するとは、誠に稀有な現象です。閑話休題。ジミー・ロジャーズは1962年にドットへ移籍したようで、それからはビルボードのHot 100でオブスキュアなヒットをいくつか出しています。</p><p>　そんな中で「It's Over」は1966年にリリースされ、６月18日に37位まで上昇、翌週25日には40位に落ち、その翌週には姿を消しました。きっと41位以下のどこかにいると思うのですが、私は観測していません。一方でACチャートでは５位まで上昇しています。肝心の曲の内容ですが、確かにACチャート向きでしょう。当然、ロイ・オービソンの「It's Over」とは別物です。アコースティック・ギターの音が優しく響くことからもそれは明らかです。ジミー・ロジャーズの少し細く高い声は、少し悲しげに、そしてやはり優しく聞こえます。スネア・ドラムはブラシで微かにリズムをとるのみで、これではどうやってもロックンロールにはなりません。あとはウッド・ベースの音も聞こえます。聞こえる音はこれだけです。歌とギター、ドラム、ベース、本当にこれだけです。ストリングスで感動を喚起することもありません。この淡々としたところが私の気に入りました。私は泣き落としに対して冷静になりたがる人なのです。</p><p>　「It's Over」はレコード会社が違う上に、全盛期から何年も経った、大ヒットとは言えない曲であるため、ジミー・ロジャーズのベスト盤に収録されていないことが多いです。私が持っているCDにも収録されていません。こちらのライノから発売されたベスト盤には収録されていることが確認されました。</p><p>&nbsp;</p><div contenteditable="false" style="border:1px dotted;padding:15px;border-radius:4px;"><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" style="margin:0;table-layout:fixed;" width="100%"><tbody width="100%"><tr><td aligin="center" style="vertical-align:middle;" width="95"><span style="display:block;text-align:center;"><a alt0="AmebaAffiliate" alt1="Best of Jimmie F. 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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12539392638.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Oct 2019 07:48:29 +0900</pubDate>
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<title>1956年ビルボード週間シングルチャート</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://ameblo.jp/1lj/entry-12349370646.html">1955年はこちら</a></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">１．ヒット連発</span><br>　1955年と1956年の違いは、一人(一つ)の歌手/グループが、複数の曲をヒットさせたか否かにあると思います。1955年には、１曲ヒットが出たらもうそれきり出てこないことがほとんどでした(あとは来年以降再登場するかどうか……)。しかし56年になると、それが変わってきます。例えばプラターズは４曲を１年間にトップ10へ送り込んでいます。その他フォー・ラッズは３曲、パット・ブーン、ペリー・コモ、ファッツ・ドミノは２曲ヒットさせています。もちろんわずかな例ですが、こういうことは1955年にはなかったことです。この現象のきっかけの１つには、やはりプレスリーの登場があるのではないでしょうか。<br><br>１．プレスリー登場<br>　1955年にビル・ヘイリーが「Rock Around The Clock」を１位に送りこみ、アメリカの(総合)シングルチャートにロックンロールの土台を作ったかと思いきや、その後再び従来のポップスが多くを占めるようになりました。<br><br>1月7日 トップ10シングル<br>1. Tennessee Ernie Ford / Sixteen Tons<br>2. Dean Martin / Memories Are Made of This<br>3. The Four Lads / Moments to Remember<br>4. Gale Storm / I Hear You Knocking<br>5. Frank Sinatra / Love &amp; Marriage<br>6. The Platters / The Great Pretender<br>7. Art Mooney Orchestra / Nuttin' for Christmas<br>8. The Platters / Only You<br>9. Roger Williams / Autumn Leaves<br>10.Al Hibbler / He<br><br>この通りロックンロールと声を大にして言えるものはありません。強いて言えば「Sixteen Tons」が一番それに近いのでしょうか。いや、どうだか。フランク・シナトラの「Love &amp; Marriage」なんて、音楽の授業(映画『サウンド・オブ・ミュージック』の鑑賞)で聴いたくらいです。<br>　その後２月に、ビル・ヘイリーの「See You Later Alligator」がトップ10入りしますが、「あぁまたあなたですか」といった感じです。その少し前にKay Starrの「Rock And Roll Waltz」という曲も１位になりますが、この人も結局ポップスの人なのです。あと同時期にパット・ブーンが、リトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」を歌っていますね。ですので、決め手となる存在を期待するにはプレスリーを待つしかないのです。ビル・ヘイリーじゃダメなのかという指摘もあるかもしれませんが、彼はただのおじさんに見えるんですよ。1955年当時で30歳だったそうですが。<br>　3月31日、ついにエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」が９位にランクします。待った甲斐があったと思いました。まるで今まで聴いた曲が無駄だったかのようですが、そんなことはありません、大変勉強になりました。<br><br>　さてチャートを追ったことで初めて聴いた「ハートブレイク・ホテル」ですが、最初は意外と普通にも聴こえたりもしました。「こんなものだっけ？」などと思いましたが、私は平成に生まれた人間であって、しかも時代を1955年から急速に追って聴いているのですから、「ハートブレイク・ホテル」も時代の流れに存在した１曲として認識されるのでした(単純に今までに聴いたことがあるというのも原因かもしれませんが)。しかし、何度も聴いていく内に、段々とすごいことだと思うようになりました。やはりプレスリーは持っているものが違うと言いますか、今までにはなかった音楽ができていると感じました。もっとも心理的なバイアスがかかっているのもあるのでしょうが。2017年夏に、週間シングルチャートを聴いていこうと決意したときの目標の一つ、「プレスリーの出現を確認する」をついに成し遂げられたのです。それは感動でした。<br><br><span style="font-size:1.4em;">２．ロックンロールの漣</span><br>　同じ頃、カール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」も上位にランクイン。これは若干カントリーが混ざっていますかね。詳しくはありませんが。それから5月にロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」もトップ10に。ロニーはイギリス人ですし、スキッフル・ブームの立役者だそうです。スキッフルは手作り楽器を演奏するとか言いますが、この曲は立派な楽器しか使っていないじゃないですか。スキッフルって何なのですか？それからジーン・ヴィンセントも「Be-Bop-A-Lula」でヒットしています。この曲は個人的にエヴァリー・ブラザーズのカバーが好きですね。&nbsp;<br><br>　これにてようやくロックンロールが！と思いましたが、やはりアメリカ中に蔓延することはないようです。これはビルボードの総合チャート(Top 100)という、広い視点から見ているからであり、R&amp;Bチャートといった専門チャートを見ていればもっと面白いことになっているのかもしれません。1956年のロックンロールで最強なのはやはりプレスリーで、「ハートブレイク・ホテル」「冷たくしないで」「ハウンド・ドッグ」「I Want You, I Need You, I Love You」(長いので英語の原題で)「ラヴ・ミー・テンダー」と５曲もトップ10にランクインさせています。「冷たくしないで」「ハウンド・ドッグ」に至っては同じレコード(両A面)なのですから、ものすごいです。「ラヴ・ミー・テンダー」は……ロックですか？<br><br><span style="font-size:1.4em;">３．やっぱりポップス</span><br>　当時プレスリーのライバル的存在として売り出されていたのが、パット・ブーンなのだそうです。55年に「Ain't That A Shame」、56年に「I'll Be Home」がヒットしています。しかし私は、この２曲をあまり気に入らなかったのです。ただ普通の曲だとしか思えなかったのです。だいたい「Ain't That A Shame」にしても「トゥッティ・フルッティ」にしても、前者はファッツ・ドミノ、後者はリトル・リチャードの曲ではありませんか(彼の歌唱も、オリジナルのエネルギーとはまったく異なり、"カバー"ではなく"剽窃"に近いと感じました)。そういったことから、パット・ブーンをつまらん人間だと認識していたのです。ところが、それに続く「I Almost Lost My Mind」でそれが急変します。この曲の甘さときたら、なんと素敵なものでしょう。スイートです、はい。私はすっかり魅了されたのでした。単なる優等生ぶったつまらん男でもないのだと見直しました。何様でしょうか？私。<br>　次に、プレスリーのようなロックンロールが登場する前に、アメリカンポップスを支えていた音楽にも着目したいです。54年末から55年はじめにかけて大ヒットしていた「ミスター・サンドマン」を歌ったコーデッツは、56年にもヒット曲を出しています。それが「Born To Be With You」で、7月7日から8月25日にかけてトップ10にランクし最高５位を記録しました。歌声といい、細やかに刻まれるハイハットといい、静けさの中に美しさがあり、個人的には「ミスター・サンドマン」よりも好みの曲です。<br><br>　56年のポップスを語る上で欠かせないのは、フォー・ラッズでしょう。56年には３曲がトップ10にランクインしています。どの曲も朗々とした歌いっぷりです。「モーメンツ・トゥ・リメンバー」という曲は、55年9月～56年2月までトップ10を維持という、とてつもないロングヒットに。<br>その後2月～5月上旬まで「Not Not Much」、5月下旬～7月まで「Standing on the Corner」がトップ10に居続けました。プレスリーが、3月31日から年末まで５曲の強力な武器でトップ10で暴れまくっていた(8月25日、9月1日には「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」「I Want You～」の３曲がランクイン)ため、私は大変驚愕していましたが、フォー・ラッズもそれに匹敵する人気です。ロックサイドがプレスリーなのであれば、ポップサイドはフォー・ラッズということになりますね。<br><br>４．変わり種？<br>　上記のように1956年は、ロックンロール(というかほぼプレスリー)、ポップスともに充実していますが、その中にはノベルティ性の高い、なかなか面白い曲もあります。こういうことも1955年には、まずなかったことです。<br><br>　まずPatience &amp; Prudenceから紹介しましょう。この曲は別に変な曲でもないのですが、個人的にちょっと書いておきたい曲です。最初に聴いたとき、「子供の声？」と思いました。少女、それもかなり幼い声と推測しました。すかさずGoogleで画像検索したところ、出てきました、やっぱり子供！二人組ですが、その内の一人が小学生くらいのようです。次にウィキペディア(英語版)を見ると、生年月日が記載されていました。一人が1942年生まれで、1945年生まれのようです。はっ！？この二人は姉妹のようで、妹は1956年時点で11歳と納得ですが、お姉さんはまだ14歳？私には、お姉さんが成人しているものとばかり思ってしまいました。確かにもう一度画像を見てみると、確かに二人とも(服装やイラストで)子どものような扱いを受けています。いや、実際子どもなのですから！私が14歳、つまり中学二、三年生の頃を思い出しましたが、その頃の女子はみんなガキですよ、このお姉さん(Patienceの方)と比べれば。もっとも、私もガキだったに違いないのですが。<br>　こういう子どもの声による曲は、1955年にも一応ありました。The Cowboy Church Sunday Schoolという名義の「Open Up Your Heart &nbsp;(And Let The Sunshine In)」という曲です。3月26日に８位に上昇しています。Patience &amp; Prudenceのご両人よりも、さらに幼い声です。<br>しかしこの曲、子どもの声かと思いきや、成人女性の声を録音して回転数を上げているとのこと。確かに不自然さは感じていました。<br><br>　続いては、Buchannan and Goodmanの「The Flying Saucer」です。8月25日から9月15日にかけてトップ10にランクインしました(最高７位)。初めて聴いたとき「なんだこれは？」と思った曲です。いえ、曲であるかもわかりません。1955～56年のヒット曲を随所で挿入しまくっているのです。自分たちで演奏しているのではなく、実際の音源を(一部ではあるものの)使用しているのです。著作権的に大丈夫なのかよと思いますが、なんとなくこの時代はそういうのが緩そうです。実際には丁寧に許可をとっているのかもしれませんが。こういうことをA面でもB面でもやっているのですから、徹底しています。今回、使用されている曲を調査したところ、以下の通りでした("*"の印がつく曲は1955年発表)。<br><br>A面<br>Nappy Brown / Open That Door*<br>The Platters / The Great Pretender*<br>Frankie Lymon &amp; The Teenagers / I Want You To Be My Girl<br>Little Richard / Long Tall Sally<br>Fats Domino / Poor Me<br>Elvis Presley / Heartbreak Hotel<br>The Penguins / Earth Angel*<br>Smiley Lewis / I Hear You Knocking*<br>Little Richard / Tutti Frutti<br>The Platters / The Magic Touch<br>The Platters / The Great Pretender<br><br>B面<br>Don Cherry / Band of Gold*<br>Fats Domino / Ain't That A Shame*<br>Don Cherry / Band of Gold*<br>Nappy Brown / Don't Be Angry*<br>Carl Perkins / Blue Suede Shoes<br>Chuck Berry / Maybellene*<br>Bill Haley &amp; His Comets / See You Later Alligator<br>The Platters / My Prayer<br><br>このように合計17曲が使用されています。どうやらR&amp;B系の曲が大半のようです。プラターズなんか３曲も登場している点を見ると、当時のプラターズの人気ぶりがうかがえます。(そういえば細野晴臣が2007年に『Flying Saucer 1947』というアルバムを発表していますが、関係あるのでしょうか)<br><br>　最後に、6月から7月にかけてヒットしたNervous Norvusという名義による「Transfusion」を紹介します。ただ、少し書くのに迷います。その原因は、私が参考したサイトにあります。この記事は<a href="http://hitsofalldecades.com/chart_hits/index.php?option=com_content&amp;task=view&amp;id=1724&amp;Itemid=52">ここ</a>を参考に書いているのですが、実際に聴くために参考にしていたのは<a href="http://tnakao.main.jp/music/">ここ</a>なのです。実は二つのサイトのデータには相違点が多く、例えばこの「Transfusion」は後者のサイトではトップ10(最高８位)にいるものの、前者にはないのです(6月23日の13位が最高)。先述の「Flying Saucer」だって前者のサイトでは最高３位です。これは一体どういうことですか。私は両サイトのデータのズレに気付き、迷った末に1957年から後者の海外サイトを頼ることにしたのです。だってビルボードって海外ですよ？海外の方が正確そうじゃないですか？完全に主観ですが。<br>　この「Transfusion」はシンプルな伴奏と歌に、何度も車がぶつかって壊れる効果音が登場します。その効果音の音が大きく、歌が聴き辛いほどです。このシンプルな演奏＋効果音という一発ネタ勝負は、70年代後半～80年代前半のニューウェーヴのノリに少し似ている気がします。効果音の通り、歌のテーマは自動車事故です。自動車事故といえば、ジャン＆ディーンの「デッド・マンズ・カーヴ」を思い出します。<br><br><span style="font-size:1.4em;">５．１位獲得曲</span><br>1955年11月26日～1956年1月7日(7週):<span style="font-weight:bold;">Tennessee Ernie Ford / Sixteen Tons</span> - キャピトル<br>　これは前回(1955年)でもふれましたね。聴くほどに味が出るタイプの曲だと思います。<br><br>1月14日～2月11日(5週):<span style="font-weight:bold;">Dean Martin / Memories Are Made of This</span> - キャピトル<br>　これも「Sixteen Tons」と同じくスルメ曲だと思います。アコースティック・ギター＆ベースと歌・コーラスという非常にシンプルな曲なのですが、不思議なほどに味わい深いのです。ディーン・マーティンの歌声はもちろん好きですが、絶えることなく続く低音コーラスも印象的です。<br><br>2月18日～2月25日(2週):<span style="font-weight:bold;">The Platters / The Great Pretender</span> - マーキュリー<br>　プラターズは、1956年に４曲トップ10ヒットを記録しています。まず「Only You」は1955年の10月頃からトップ10に長く残り続け、翌年１月までその勢いが続きました。「Only You」の勢いが落ちるかというときに、次のシングル「The Great Pretender」が上昇し、最終的に１位になります。先ほど1956年は、ロックはプレスリー、ポップはフォー・ラッズと書きましたが、黒人R&amp;B部門では間違いなくプラターズでしょう。<br><br>3月3日～3月17日(3週):<span style="font-weight:bold;">Kay Starr / Rock &amp; Roll Waltz</span> - RCAビクター<br>　思い切り「ロックンロール」とタイトルにあるので、どんなロックだと思いましたが、結構ポップ寄りです。アレンジ次第では間違いなくロックなのですが。ケイ・スターという歌手は、別にロックンロールの人でもないので当然でしょうか。1955年にペリー・コモが「ココモ」をヒットさせていたのと同じ現象かと思います。<br><br>3月24日～4月28日(6週):<span style="font-weight:bold;">Les Baxter / The Poor People of Paris</span> - キャピトル<br>　ロックンロール以前つまり1955年までの面影を感じさせられる曲です。実際レス・バクスターは、1955年に「Unchained Malody」をヒットさせています。この「The Poor People of Paris」はもう飽きるほど聴きました。トップ10にランクした期間は2月25日から6月2日。私は合計15回もこの曲を聴いたのでした。なんとなくイオンみたいなショッピングモールで流れていそうですね。イオンでは「狂った時計」やグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」が流れているときがあって、「The Poor People～」にもそれらの曲が連想させられる雰囲気があるのです。<br><br>5月5日～6月16日(7週):<span style="font-weight:bold;">Elvis Presley / Heartbreak Hotel</span> - RCAビクター<br>　レス・バクスターのおだやかなインスト曲からいきなりこれですから、非常に対照的で面白いものです。「ロック」といえば、うるさい音楽という印象を持たれやすいですが、この曲はギターが騒がしく鳴っているわけでもありません。先述のディーン・マーティン「Memories Are Made of This」と同じく、必要最低限の音数なのです。しかし、「Memories Are Made of This」とはまったく違う音楽です。その原因は、単純にエレキギターの有無にもありますが、やはりプレスリーの特異な唱法(少なくとも1955年のトップ10にこんな歌い方をする人はいなかった！)であり、彼の持つ魂なのではないでしょうか。などと言ってみますが、私が生半可に感想を書くのはおこがましい気もします。とにかくこの曲はすごいです、"本物"だと思います。<br><br>6月23日～7月28日(6週):<span style="font-weight:bold;">Gogi Grant / The Wayward Wind</span> - エラ<br>　この曲も名曲です。曲の持つ雰囲気に、惹き込まれるような魅力があります。ゴギ・グラントの歌声も、曲に合っており上手いです。この曲を調べてみたところ、元はカントリーソングなのだそうです。しかし、ゴギ・グラントのヴァージョンからカントリーの雰囲気はありません。<br>個人的に素晴らしいアレンジだと感じます。<br><br>8月4日～8月11日(2週):<span style="font-weight:bold;">Pat Boone / I Almost Lost My Mind</span> - ドット<br>　今までどうでもいい男と見下していたパット・ブーンでしたが、この曲で見直しました。すごく上から目線ですね。歌にはタイトル「I almost lost my mind」と歌う部分がありますが、ここで音程が上がったり下がったりする点が特徴です。つい揃って口ずさみたくなります。これはおそらく私だけではないでしょう。なんといっても堂々の１位を獲得しているのですから。<br><br>8月18日～9月8日(4週):<span style="font-weight:bold;">The Platters / My Prayer</span> - マーキュリー<br>　この曲は以前から知っていました。といってもプラターズではなく、フォー・シーズンズによるカバーによってですが(今後も私の「フォー・シーズンズで知った」現象が発生しますので、そのときはしぶとく報告したいと思います)。前付けヴァースで歌われるメロディが少し暗めで、それが一番印象に残ります。個人的に、それ以降は実はどうでもいいです。いつものプラターズ節だなと。<br><br>9月15日～10月27日(7週):<span style="font-weight:bold;">Elvis Presley / Don't Be Cruel</span> - RCAビクター<br>　プレスリーの代表曲ですね。決して「ハートブレイク・ホテル」だけの一発屋ではないのです。さすがに私もA面B面ともに知っています。<br>カップリングは有名な「ハウンド・ドッグ」で、両A面として発売され、どちらも大ヒットなのですから、すごいことです。どちらも絶対にヒットするという確信があったに違いありません。</p><p>　この「Don't Be Cruel」を最初に聴いたのは、中学一年生だったと思われます。最初に聴いたのは、プラターズ同様原曲(プレスリー)ではなく、細野晴臣だったのです。その頃私は、「ハリー細野　クラウン・イヤーズ1974-1977」というボックスセットを買い与えられました。そのボックスの中のCDにライブ音源が収録されていたのです。そのCDに収録されていたのが、この「Don't Be Cruel」でした。しかし、原曲の邦題が「冷たくしないで」であるにも関わらず、細野晴臣は「つめたく冷やして」と歌います。歌詞はほとんどが日本語で、"つめたく冷やして、飲もうぜビール"などと歌っています。今なら「何だこれは」と思えますが、当時はこの曲がプレスリーによって歌われていたことすら知らず、「そういう曲があるのか」程度にしか思えませんでした。私にはこのような、誰かの特殊なカバーを先に聴いて、後に原曲を知るということが何度かあります。<br><br>11月3日～11月17日(3週):<span style="font-weight:bold;">Jim Lowe / Green Door</span> - ドット<br>　少し可笑しな演奏といいますか、軽い感じが魅力です。ウッドブロックやチェンバロ？の音が効果的です。この「グリーン・ドア」は、ジム・ロウの最大のヒット曲で、あとは中ヒットが数曲といった具合です。なんでも2016年末まで存命だったそうで、こういう人はどうやって生活していたのだろうと、余計なことまで考えてしまいます。<br><br>11月24日～12月1日(2週):<span style="font-weight:bold;">Elvis Presley / Love Me Tender</span> - RCAビクター<br>　これも文句なしの代表曲。プレスリーの初主演映画の主題歌でもあります。この曲は音楽の授業でも習いました。といっても原曲である「オーラ・リー」ですが。私は小さい頃から「オーラ・リー」が好きで、母親にこの曲を訊ねたところ、「プレスリーの曲だね」と返答されました。その後プレスリーのロックの人間と知って、「オーラ・リー」と全然違う音楽性じゃないかと不思議に思ったものです。<br><br>12月8日～1957年2月2日(9週):<span style="font-weight:bold;">Guy Mitchell / Singing the Blues</span> - コロムビア<br>　最初は、またどうでもいい曲が１位になったなと蔑んでいましたが、ガイ・ミッチェルがテレビ出演してこの曲を歌う映像を見て、面白くて良い曲だと掌返ししました。映像にはガイ・ミッチェルと女性が映っており、ガイが女性に必死に言い寄るのですが、ことごとく拒絶されるのです。実際歌詞もそんな内容で、これは非常に面白く鑑賞できます。</p><p>　プレスリー、パット・ブーン、ジム・ロウ、ガイ・ミッチェル(１位にはなっていませんが、ジョニー・レイの「Just Walkin' in the Rain」という曲がヒットしています)と見ていくと、この時代は男性歌手の曲が流行りだったのかと推測できます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">６．総括</span></p><p>改めて見ると、1955年にはあった穏やかさは薄れて、より明るさが強調されているように感じられます。たった一年でそうなるのかと驚きますが、これがロックンロールの力なのでしょうか。プレスリーを代表としたロックンロールも良いですが、それと共存していたポップスにも確かな魅力があります。ここで11月24日のトップ６を見てみましょう。なぜ５ではなく６なのかというと、６位の「ブルーベリー・ヒル」が個人的お気に入りだからです。悪い曲は一曲もありません。</p><p>1. Elvis Presley / Love Me Tender<br>2. Jim Lowe / Green Door<br>3. Johnnie Ray / Just Walkin' in the Rain<br>4. Guy Mitchell / Singing the Blues<br>5. Elvis Presley / Don't Be Cruel<br>6. Fats Domino / Blueberry Hill</p><p>&nbsp;</p><p>実は1956年のはじめに、この週間シングルチャートに飽きつつあったのです。しかし、どうにか峠を越えて、今では完全に日課となっています。続けられて本当に良かったです。さて次は1957年ですね。いつ記事を公開できるでしょう……。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12358327622.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Mar 2018 16:05:00 +0900</pubDate>
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<title>1955年ビルボード週間シングルチャート</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">１．新鮮さと戸惑い</span><br><br>1955年1月8日<br>1. The Chordettes / Mr. Sandman<br>2. Joan Weber / Let Me Go Lover<br>3. The Ames Brothers / The Naughty Lady of ShadyLane<br>4. Eddie Fisher / I Need You Now<br>5. Rosemary Clooney / This Ole House<br>6. The DeCastro Sisters / Teach Me Tonight<br>7. The Fontane Sisters / Hearts of Stone<br>8. Eddie Fisher / Count Your Blessings (Instead of Sheeps)<br>9. Teresa Brewer with The Lancers / Let Me Go, Lover!<br>10.The Four Aces featuring AlAlberts / Mister Sandman<br>　はじめに数週間分を聴き通したとき、女性ボーカルが多いことが印象に残りました。上記のトップ10を見ても分かる通り、コーデッツ、デカストロ・シスターズ、フォンテーン・シスターズと、女性三人組の曲が三つもあります。他にも特筆すべきは、曲のテンポがゆっくりなこと。<br>とはいえ、これは何となく予想はできていました。次にいわゆる"バンド"が皆無だと思いました。今の私はそれが当たり前と思いますが、当時は新鮮に思いました。作曲家や演奏家といった裏方と、メディアなど"表"に出る歌手がはっきりと分かれていた時代なのでした。最初はこうしたことが新鮮で楽しんでいたのですが、徐々に苦しめられていくことになります。それは、一度ランクインしたらしぶとく残り続ける曲の数々でした。1月22日にマグワイア・シスターズの「シンシアリー」、ビリー・ヴォーンの「愛のメロディー (Melody of Love)」がランクインし、前者が13週、後者は14週も残り続けます。この曲に限らず、トップ10にランクインする曲はことごとく長居するのです。私はなかなか変化しない週間トップ10チャートを、日々聴き続けなければならないのでした。<br><br>その他長居曲 (1月8日より)<br>フォンテーン・シスターズ / つれない人(Heats of Stone) 11週(1月8日～3月19日)<br>ジョニー・マドックス / クレイジー・オット 14週(2月19日～5月21日)<br>ジョージア・ギブス / Tweedle Dee 12週(2月19日～5月7日)<br>さすがに10週以上残る曲はわずかなのですが、何度も聴いていると「もういいだろ！」と思ってしまうのです(すべては自分が勝手にやっていることなのですが)。<br><br><span style="font-size:1.4em;">２．さらなる地獄？</span><br>　3月5日にビル・ヘイズが歌う「デイビー・クロケットの歌 (The Ballad of Davy Crockett)」が9位にランク。最初に聴いたときは、特に感想を持たず、次の曲(8位)に移りました。そして3月26日に再び「デイビー・クロケットの歌」が登場します。今度はフェス・パーカーが歌うヴァージョンです。これにて同じ曲がトップ10チャートに存在することになりました。しかし私はまだ驚きませんでした。過去にもコーデッツ、フォー・エーセス＆アル・アルバーツの「ミスター・サンドマン」やジョアン・ウェーバー、テレサ・ブリュワーの「レット・ミー・ゴー・ラヴァー」のように、同じ曲が違う歌手によってランクインすることはあったからです。ところが4月2日にテネシー・アーニー・フォードがまたデイビー・クロケットをトップ10に送り込んでしまいます。いくらなんでも同じ曲がトップ10チャートに３つあるのは、どうかしています。この壮絶なデイビー・クロケットの乱は6月18日まで続き、最も上位にランクインできたのはビル・ヘイズでした(なんと全米1位)。一番ひどかったのは5月14日で、7位デイビー・クロケット(テネシー)、6位デイビー・クロケット(フェス)、(5位を挟んで)4位デイビー・クロケット(ビル)と、ほぼ連続で「デイビー・クロケットの歌」を聴かされる破目になりました。ちなみに私が一番好きなデイビー・クロケットは、ビル・ヘイズ版です。やっぱり1位を獲得するだけあります。<br><br>　デイビー・クロケットの乱が繰り広げられていた4月9日、ペレス・プラードの「チェリー・ビンク・チャチャ」が6位にランク。マンボのリズムで楽しげな雰囲気のこの曲は、10週連続で１位を保ちます。１位でない時期も含めると、19週(4月9日～8月13日)もトップ10に居続けたことになります。これには参りました。ところでこの曲には歌がありません。インストゥルメンタルというものです。今ではインスト曲が１位になるというのは、珍しいことなのではないでしょうか。しかしこの1955年には、「チェリー・ピンク」のほかにも、ビリー・ヴォーンの「愛のメロディー」やジョニー・マドックスの「クレイジー・オット」といったインスト曲がトップ10に登場しています。こういった点が、非常に興味深かった点に挙げられます。<br><br><span style="font-size:1.4em;">３．ついにロックの風</span><br>　デイビー・クロケット、チェリー・ピンクと興味深い曲が1位を飾っていた中、遂にあの曲が登場します。それこそビル・ヘイリー＆ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」です。今まで知らない曲続きだった私ですが、この曲の名前を見て大変安心しました。私がビルボードチャートを遡って聴こうとした主な理由である、"ロックンロール"の登場をついに目撃することができたのです。最初に登場したのは5月28日の10位で、その頃は「チェリー・ピンク・チャチャ」が１位で、「デイビー・クロケットの歌」も３曲揃っている頃でした。余談ですが、有名な「アンチェインド・メロディ」も２曲チャートインしています。いつも思いますが、この曲を書いたアレックス・ノースは、この曲だけでも相当儲かったでしょうね。<br><br>5月28日<br>1. Perez Prado Orchestra / Cherry Pink and Apple Blossom White<br>2. Les Baxter his Chorus and Orchestra / Unchained Melody<br>3. Georgia Gibbs / Dance with Me Henry (Wallflower)<br>4. Bill Hayes / The Ballad of Davy Crockett<br>5. Al Hibbler / Unchained Melody<br>6. Fess Parker / Ballad of Davy Crockett<br>7. "Tennessee" Ernie Ford / Ballad of Davy Crockett<br>8. Nat King Cole / A Blossom Fell<br>9. Roy Hamilton / Unchained Melody<br>10.Bill Hayes &amp; His Comets / (We're Gonna) Rock Around the Clock<br><br>それから「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の勢いは止まらず、7週間後ついに１位となり、8週連続でその座を守ります。この曲は当時かなりの衝撃があったのでしょうか。私にとっては、心弾む音楽だとは思いますが、充分大人しい曲に聴こえます。私のような若者の感想はともかく、ついにロックンロールが到来したのです。しかしその後トップ10チャートが、ロックンロールで埋められるのかというと、そうではありません。1955年の時点では、せいぜいチャック・ベリーが「Maybellene」でデビューした程度です。まだプレスリーも登場していないのです。この時点ではサン・レコードにいたんですよね。<br><br><span style="font-size:1.4em;">４．１位獲得曲</span><br><a href="http://hitsofalldecades.com/chart_hits/index.php?option=com_content&amp;task=view&amp;id=1643&amp;Itemid=52">参考</a><br>1954年12月4日～1月8日(6週)：<span style="font-weight:bold;">The Chodettes / Mr. Sandman　</span>ケーデンス・レコード<br>最初のフレーズが、大滝詠一の「ハートじかけのオレンジ」で使われています。勘の悪い私は、聴いていたにも関わらずそれに気付かず、後に他人のウェブサイトで知りました。なんでもこの曲が、ビフォーロックンロール、アフターロックンロールという二つの時代をつないでいるそうです。確かに2月12日にペリー・コモが「ココモ」(ビーチ・ボーイズの非ず)を歌っていますし(ただしペリー・コモはロック及びR&amp;Bの人ではない)、確実にロックンロールは「ミスター・サンドマン」に迫っていたのでしょう。<br><br>1月15日～1月22日(2週)：<span style="font-weight:bold;">Joan Weber / Let Me Go Lover　</span>コロンビア・レコード<br>「ミスター・サンドマン」がビフォーロックンロール最後の曲だとするなら、この曲はなんなのでしょうか。この曲だって十分ビフォーロックです。この曲が「ミスター・サンドマン」ほど重要視されていないのは、やはり２週間しか首位にいないからなのでしょうね。それでも凄いことだと思いますが。ジョアン・ウェーバーという人は、まったく存じていないのですが、情感たっぷりに歌っているという印象が強いです。<br><br>1月29日(1週)：<span style="font-weight:bold;">The Fontane Sisters / Hearts of Stone　</span>ドット・レコード<br>この時代は一度１位になれば、長らくその座を保つことが多いですが、珍しくこの「ハーツ・オブ・ストーン」は１週のみです。とはいえトップ10チャートには、1954年12月18日から55年3月12日の13週です。個人的には女性三人による歌声よりも、男性の低音コーラスの方が耳に残ります。歌で一番キモとなるのは、"But they'll say <span style="color:#ff0000;">no no no no no no no no no no no no no</span> Everybody Knows"の部分。"No"を13回も言い、"Knows"もおまけで出てきます。何度「ノー」と言えば気が済むのか。そういえば、先ほどこの曲が13週トップ10に残ったと書きましたね。<br><br>2月5日～3月12日(6週)：<span style="font-weight:bold;">The McGuire Sisters / Sincerely</span>　コーラル<br>　コーデッツ、フォンテーン・シスターズと続き、またしても女性コーラスもの。流行っていたんでしょうね。この曲も非常に穏やかな曲です。<br>知らない曲だらけだった1955年ですが、この「シンシアリー」は聴いたことがありました。ただし、このマグワイア・シスターズの盤ではなく、フォー・シーズンズでした。彼らのセカンド・アルバムで、この曲がカバーされていたのでした。マグワイア・シスターズが歌うシンシアリーは、先述の通り13週もトップ10にチャートインしており、耳にタコができるほど聴いた気分でした。「ハーツ・オブ・ストーン」の"no no no..."といい、「シンシアリー」の"never never never never"といい、こうしたシスターズものの曲には、曲のキメとなる部分を意識して作られているのかと思わされます。<br><br>3月19日～4月16日(5週)：<span style="font-weight:bold;">Bill Hayes / Ballad of Davy Crockett</span>　ケーデンス<br>　ビル・ヘイズ、フェス・パーカー、テネシー・アーニー・フォードが各自歌ったこの「デイビー・クロケットの歌」。１位を勝ち取ったのはビル・ヘイズ。ビル・ヘイズの盤は、テンポが早かったり遅くしたりと、色々工夫しています。他二人の「デイビー・クロケットの歌」には、こうした試みはされておらず、この曲が一番売れるのも納得できる気がします。フェス・パーカーの盤は、明らかに二人で歌い分けています。一人で声を使い分けているのかと思いましたが、コーラスの部分では二つの声が同時に聞こえます。その点は気になりますが、曲の長さが1分40秒ほどしかなく、なんだかあっけなく終わります。テネシー・アーニー・フォードは非常に低い声が出せ、曲の中盤と終わりでかなりの低音域で歌っています。<br><br>4月23日～6月25日(10週)：<span style="font-weight:bold;">Perez Prado and his Orchestra / Cherry Pink and Apple Blossom White</span>　RCAビクター<br>　この曲の売れ具合は凄まじく、なんと年間チャート１位です。こんなマンボの曲なんて今ではなかなかチャート上位に上がらないでしょう。時代が進むにつれて、こういう色々なリズムの曲が豊富に聴かれなくなったように思います。<br><br>7月2日～8月20日(8週)：<span style="font-weight:bold;">Bill Haley &amp; His Comets / Rock Around The Clock</span>　デッカ<br>　この曲がトップ10に入ったとき、ついに来たかと思いました。ビル・ヘイリーは一枚だけCDで購入していただけに、喜びがありました。ビル・ヘイリーは、なんとなく一発屋の印象がありましたが、翌年に「See You Later, Alligator」をヒットさせているんですよね。<br><br>8月27日～9月24日、10月8日(計6週)：<span style="font-weight:bold;">Mitch Miller with his Orch &amp; Chorus / The Yellow Rose of Texas</span>　コロンビア<br>　南北戦争時代のアメリカ民謡とのことです。ドラムのせいで軍隊感(？)があります。ところでこの曲は、この時代にしては珍しくフェードアウトで終わります。この時代のフェードアウトは珍しく、どうしてそうしたのか気になります。<br><br>10月1日、10月15日、11月5日～11月19日(計5週、連続3週)：<span style="font-weight:bold;">Four Aces featuring Al Alberts / Love is a Many Splendored Thing</span>　デッカ<br>　55年はじめには、女性コーラス曲が１位になっていましたが、ここにきてようやく男性コーラス曲です。1955年当時、同名の映画(邦題は「慕情」)があり、それのテーマ曲のようです。１位獲得と思いきや、次の週に再びミッチ・ミラーに抜かれます。さらに次の週に再び１位に返り咲きますが、次週に今度はロジャー・ウィリアムズの「枯葉」に抜かれます。あっけない返り咲きと思いきや、二週間後に再々１位になります。上がったり下がったりと忙しい曲でした。<br><br>10月22日～10月29日(2週)：<span style="font-weight:bold;">Roger Williams / Autumn Leaves</span>　カップ(Kapp)<br>　「慕情」を蹴落とし１位になったと思いきや、「慕情」にやり返されたこの曲。この曲も歌がなく、「チェリー・ピンク・チャチャ」に続く１位になったインスト曲です。日本でも「枯葉」という題で有名で、確かに葉が散っているように聞こえるピアノの音は、国境を越えて愛されるものでしょう。しかしこういう曲が１位になる時代があったんですね。<br><br>11月26日～1956年1月7日(7週)：<span style="font-weight:bold;">Tennessee Ernie Ford / Sixteen Tons　</span>キャピトル<br>　55年のナンバー・ワンの最後を飾るのはこの曲。テネシー・アーニー・フォードという名前を見て、「"デイビー・クロケットの歌"の一人だ」とすぐ思いました。「デイビー・クロケットの歌」で、最も低音を効かせていた男です。最初はダルい曲だな(失礼)と思っていましたが、聴き続けるとこれが非常に良いのです。どこが良いか説明しろと言われると困るのですが、彼の声には魅力があるのだと思います。<br><br><span style="font-size:1.4em;">５．その他お気に入りなど</span><br>Perry Como / Ko Ko Mo (I Love You So)<br>　上記の通り、ペリー・コモが「ココモ」という曲をリリースしました。1955年２月と早い段階で、ロックテイストなものが登場したため、私は少し驚きました。ただペリー・コモの歌い方は、ロックのそれとは異なる、実に正統なものに聞こえました。実際に彼はロックンロールの人ではなく、フランク・シナトラと並ぶ大物歌手(Wikipediaがそう言っていた)なのだそうです。どんな世代の人でも、「パパはマンボがお好き」のイントロは耳にしたことがあるに違いありません。軽自動車ハスラーのCMソング＝ペリー・コモという事実や、彼が元々理髪店で働いており「歌う床屋さん」と言われていたというエピソード、そしてこの「ココモ」という名曲によって、私はすっかりペリー・コモのファンになったようでした(まだCDは購入できていませんが)。以来、シングルチャートで彼の曲がトップ10に上がると非常に嬉しくなります。しかし彼は、1955年の時点で約10年の経歴があり、既に旬は過ぎているのです。良く言えば、売上に固執しなくても充分人気はあるのでしょう。ですので、彼の快進撃は今後あまり見られないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>Johnny Maddox / The Crazy Otto<br>　1955年の２月～５月に特にヒットしていた曲。最高２位でした。楽しいインスト曲です。1955年にヒット曲は、基本的にどれも牛歩のごときテンポなのですが、この曲は軽快でかなり安心しました。<br><br>　7月16日、パット・ブーンが「Ain't That A Shame」という曲で８位に昇りました。その後も長期間に渡ってトップ10に居続け、最高２位を記録しています(その頃１位だったのは、ビル・ヘイリーと次にミッチ・ミラーでした)。パット・ブーンといえば、プレスリーなどのロックンロール(＝不良)とは違う、品行方正路線で売り出されていたそうです。この「Ain't That A Shame」だって、決してシャウトなんかありません。しかしこの曲、ファッツ・ドミノが歌っていたではありませんか。いくら無知な私でも、それぐらいは知っています。どうやらこの曲は競作のようで、ファッツ・ドミノ版とパット・ブーン版が同時期に発売されていたようです。結果チャート的には、パット・ブーンが圧勝したようです。しかし現在はどうなのでしょう。この曲はファッツ・ドミノが作ったのですから、ファッツ・ドミノの方が有名な気もするのですが。<br>　1958年までのシングルチャートを知った今の私だからわかりますが、この後パット・ブーンは、快進撃を続けます。この曲はその始まりというわけです(実際には「Ain't That A Shame」の前のシングル「Two Hearts」が16居に上がっています)。<br><span style="font-size:1.4em;">６．総括</span><br>　1955年は、とにかく穏やかな時だったと思います。まだプレスリーも登場していないのです(実際はしてますが……)。週間なので、何度も同じ曲を聴くのが大変ですが、チャートインする曲には多様性があり、楽しめます。インスト曲に、女性コーラス、そしてたまにロックンロール。色々なものが共存していたという印象でした。</p>
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<pubDate>Fri, 02 Feb 2018 22:54:19 +0900</pubDate>
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<title>19歳、ビルボード・シングルチャート制覇を決意</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">１．はじめに</span></p><p>　2017年の夏休み、私はあることを思い立ちました。それは、ビルボードの週間トップ10シングルチャートを遡って聴こうというものです。これにはある理由がありました。高校二年生だった2015年頃から、私は60年代の音楽を本格的に聴くようになりました。そしてより音楽を知ろうと、書籍、ウェブサイト、ブログなどを読むのですが、必ず知らない歌手やグループの名前が出てくるのです。パット・ブーンやらアンディ・ウィリアムズやらエヴァリー・ブラザーズなどなど、名前だけは知っている人から、誰なんだとしか思えない人まで散々でした。特に黒人歌手/グループになるともう壊滅的で、私は何度も知識の無さに失望しました。この状況を打破するには、とにかく古の音楽を探っていくしかない。しかしどうやって？そこで思いついたのが、ビルボードのシングルチャートを週間で聴いていけばいいのだということでした。さすがに週間トップ30とか40だと、あまりにも面倒なので、トップ10にしようと決めました。10曲だけとはいえ、少なくとも今よりは音楽を知ることができます。この電子の時代、ビルボードの週刊チャートをまとめているサイトがあるに違いない。調べた結果、<a href="http://tnakao.main.jp/music/">ヒット洋楽ランキング／ビルボード・データベース</a>というサイトを発見。このサイトは、1955年までのデータしかありませんでしたが、当時の私にとって「1955年」は未知の年でした。古い音楽を知るには、絶好のサイトだったのです。そしてこのサイトを活用して1956年まで辿りました。そんなときに見つけてしまったのが、<a href="http://hitsofalldecades.com/chart_hits/index.php?option=com_content&amp;task=section&amp;id=12&amp;Itemid=52">Barry's Hits of All Decades</a>というサイトでした。そのサイトを見ると、なななんと1935年の週間チャートがあるではないですか(ついでに1900年～1904年のチャートもありますが、もう訳が分かりません)。これを見たとき私は、ガクッときました。とはいえ、当時の私は「1955年」で未知だったのですから、30年代なんてもう刺激が強すぎたと思います。結果的にはよかったのかも？しれません。</p><p>　この昨年夏の思いつきは、現在も続いて行われており、今ようやく1958年の3月まで来ています。まだまだ始まったばかりです。これがいつまで続くか分かりません。私は異常な音楽好きとは言え、飽きっぽさも兼ね備えているのです(そのため一つのミュージシャンのファンで居続けられません)。可能であれば現在(今だと2018年)の週間チャートにまでいきたいのですが、実現するかはわかりません。私は1990年以降の音楽はまず聴かず、今の音楽は正直よく分かりません。だいたい2018年に到達するまでに、どれだけの歳月がかかるのでしょう。まあそう気を張らずに、本格的に飽きるまで続けていく所存です。ちなみに現在の計画は、現在の週間チャートに到達したときに、1935年に戻りたいと思います。時差がとんでもない……。</p><p>　正直ただ一人で聴き続けるのは寂しいので、この場を借りて勝手に報告をしていきたいと思います。一年分の週刊チャートを聴き通した上での感想や、気になった曲などを書いていきます。飽き性なのでいつまで続くかわかりませんが！</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">２．索引</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">・<a href="https://ameblo.jp/1lj/entry-12349370646.html">1955年</a></span></p><p><span style="font-size:1.4em;">・<a href="https://ameblo.jp/1lj/entry-12358327622.html">1956年</a></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12349377478.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Feb 2018 00:34:24 +0900</pubDate>
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<title>チューリップ / I Dream</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　チューリップは1971年から1989年まで長く活動を続けています。そのためファンからは、第一期、二期、三期と分けられることが多いです。それはメンバーチェンジがある度に二期、三期と変わっていきます。私が一番好きなのは二期の1980年から1985年です。一期にも良いところはあるのですが、個人的にどうでもいい曲が多いのと、やたらと仲間意識みたいなのを大事にしている節があるように見えるのです。仲間意識を持つことは別に構わないのですが、歌が上手くない人の曲がポツリと出てきたりするのはいらないと思います。俺達はいつまでも一緒だ、という思いがあったのかは知りません。結局1979年に二人も辞めてしまうのですから、意味がないように思われます。<br><br>　二期の特徴は、シンセサイザーによる宇宙路線と若干のプログレ要素ではないでしょうか。これが昔からのファンにとっては、あまり評判がよくなかったりするそうです。確かに歌詞がダサかったりすることはありますが、彼等のシンセサイザーの使い方は悪くないように思います。YMOのように手が込んでなく、ベタな音色を使うときもありますが、時折面白い音も出しているので嫌いにはなれません。<br><br>　81年に「The Love Map Shop」「The 10th Odyssey」、82年に「2222年ピクニック」83年に「Halo」といったアルバムを発表してきたチューリップ。アルバムを出す度にリーダー財津和夫氏の思想が強まっています。思想というのは、主に宇宙のことでして、壮大な演出がなされています。私はそれでいいと思うのですが、今回の「I Dream」は財津氏の思想が少し抑えられて作られているのです。前作「Halo」では、くどいぐらいに「星」だとか「宇宙」だとか、宇宙要素が入っていました。一曲の収録時間もやたら長い。しかし「I Dream」には宇宙要素も、壮大で長い曲も入っていません。その代わり、シンセサイザーやドラムマシンといった電子楽器が前作以上に使われています。<br>これは80年代を経たミュージシャンの宿命のようなものです。財津氏はシンセ好きであると思われますし、シンセサウンドもすすんで取り入れたのではないでしょうか。ただドラムマシンによって、ドラム担当の伊藤薫の役割はいずこへ･･･…。どうやら伊藤氏は本作で二曲しか叩いていないそうなのです。生ドラムとドラムマシンの使い分けの基準は何なのでしょうか。勝手に想像するなら、当初は生ドラムを使っていたものの、途中でドラムマシンが導入されたため、生ドラムが用済みになったというものでしょうか。多分違うと思いますが。伊藤氏は作詞作曲そして歌を担当することがあるのですが、本作では一曲だけ作詞を担当しているのみ。ほとんどリストラみたいなものではないですか。80年代のドラマーって不憫ですよね。<br><br>1.エジプトの風<br>作詞作曲：宮城伸一郎<br>　「I Dream」というアルバムは、チューリップ史上初であることが多いです。先述のドラムマシンもそうですが、何よりも重要なのは一曲目です。チューリップのアルバムの一曲目は、必ず財津氏が歌っているのです。ところが本作では、なぜかベース担当の宮城伸一郎が歌っています。なぜこの時になって、こんな曲順になったのでしょうか(実際には「心の旅」というアルバムで姫野達也が一曲目で歌っています。しかしこれはベスト盤のような位置づけですし、個人的には例外です)。そんな記念すべき歌のテーマがエジプト。どう生きていたら、普通の日本人がエジプトの歌を作るのでしょう。しかし結構素敵な曲です。ここまで爽快だと、「エジプト」や「スフィンクス」のような単語が飛び交っても気にならなくなります。<br><br>2.愛の迷路<br>作詞作曲：財津和夫<br>　第二期チューリップの特徴として、シングルがあまり売れない点があります。それはチューリップがアルバム中心のバンドだからというのもあります。しかし何より、イントロだけで一分近くかかったり、全部裏声で歌ったり、曲調が暗め(シングル向きでない)だったりする曲をシングルにしていたことが原因にありそうです。結果的にオリコンチャートの三十台に入る、スマッシュヒットぶりを発揮しています。この曲はシングルカットされたのですが、例によってそこまで売れませんでした。この曲はJALのCMに使われており、それを受けてシングルカットしたそうなのですが、発売した頃にはそのCMが終了していたという痛恨のミス(?)。JALのCMに起用された曲は、ヒットする法則があったとかなかったとか。この曲はチューリップのシングル曲にしては一般受けしやすい曲だっただけに残念です。<br><br>3.恋は素顔で<br>作詞作曲：財津和夫<br>　個人的に「エジプトの風」と「愛の迷路」には共通するものがあると思うのです。それは曲に勢いが感じられるといったところなのですが、<br>それに対してこの曲は、少し落ち着いたところがあります。息抜きと言いたいところですが、サビのメロディは実はそんなに明るい流れではないように聴こえます。シンセによるオーケストラの音も、なんだか不安を煽りますし。Aメロと間奏、右チャンネルから「カンッ」と軽い音が聴こえますがなんの音でしょう。ドラムマシンにしては音が貧弱すぎますし、音が均一ではないです。<br><br>4.この小さな掌(詩歩子へ)<br>作詞：財津和夫 作曲；姫野達也<br>　今度は姫野達也が歌います。この頃の姫野氏は、デビューの頃と比べると(見た目が)丸くなっており、髭を生やしていたりするときもあります。そんな顔でこんな甲高い声が出るものなのかと思います。ミュージシャンも年を重ねれば、家族が出来るものです。そして、妻や子供の歌なんかを作ってしまったりするのです。姫野氏にしても同じことで、この曲は自分の娘へ作った曲。曲は美しい仕上がりになっているのですが、たまに受け付けない部分もあります。「君が望むのならこの命あげよう」だなんて重すぎですよ。子供もたまったものじゃないですって。<br><br>5."Feel It"<br>作詞作曲：財津和夫<br>　文の表現でよく"こういう書き方"が見られます「"　"」です。強調ですね。これによって、なんだか意味ありげに思えて来ます。<br>Feel It<br>"Feel It"<br>何か伝わってきませんか。きません。実際には物凄く軽～い歌です。「悩み？大丈夫だって、安心しろよ」といった感じです。ウィキペディアが言うには、この曲のドラムは伊藤氏が叩いたものだそうです。確かにそう言われてみれば、ドラムの音に強弱が見られたりするのですが、ドラムマシンとそんなに変わりません。ハイハットの音なんか、すごく軽い音に加工されていますし。<br><br>6.たったひとりのオーディエンス<br>作詞作曲：財津和夫<br>　レコードではここからがB面となります。CDだと"Feel It"という楽しげな曲から、一転してこの曲へノンストップで続けられるのですから、部屋の空気も変わるってものです。そう感じるだけですが。この曲は本作の先行シングルとして、前年1983年に発売されました。シングルとアルバムとでは若干の違いがあります。単純にアウトロが長くなっているだけなのですが(ちなみにアルバムの方が長いです)。それにしても財津氏はなぜこのような曲をシングルにしたのでしょうか。ゆっくりとしていますし、なんだか闇に引き込まれるようです。魅力的ではありますが、シングル向きでしょうか？メンバーはあえて出したという感じのようですが。シングルのジャケットも、有孔ボードで作られた壁を前におっさん達(チューリップのメンバー)が佇んでいるものです。「この人達ミュージシャンだよ」と言われないと気付かないくらいです。私はこの曲が大好きで、一度カラオケで歌ったことがあるのですが、一緒に行った友人がタイトルを見て「"オーディエンス"って意識高いな」と言いました。「意識高い」というのは、つまり横文字(カタカナ)を多用することですね。でも80年代なんてそんなものですし。「たったひとりの観客」とか嫌です。<br><br>7.黄昏モノローグ<br>作詞：伊藤薫 作曲：姫野達也<br>　伊藤薫唯一の作詞となります。本作においては、「この小さな掌」に次ぐ姫野ボーカル曲となります。非常にあっさりとしていて、淡々とした演奏を聴かせてくれます。シンセサイザーが８分でコードを刻んでいるのが、その原因だと考えています。「この小さな掌」の細く甲高い声とは少し違い、機械を通した(あるいはただのダブルトラック？)、これまたあっさりとした歌声となっています。80年代の姫野氏は、こういった歌声が多く聴けますね。<br><br>8.冬の街<br>　切ない曲調に朗々とした歌が流れるという、"財津節"と言える曲。チューリップというバンドの曲というより、財津氏のソロと言われても信じてしまいそうです。まるでどこかへ消えていくかのような歌声と演奏は、なんだか心細い気さえします。演奏のほとんどはシンセサイザーによるもので、その音色は冬をうまく演出しています。寒さの中に一抹の暖かさがあると言いますか、つまりカイロですね(暴論)。ただ歌詞は別れの歌です。この曲が切なく寂しげなのは、歌詞にもありますね。歌詞はたった十二行。この淡々としたところも魅力です。<br><br>9.夏は終わらない<br>　シングル「たったひとりのオーディエンス」のB面曲。「たったひとりの～」もそうですが、この曲も明るいとは決して言えない曲ですね。この曲はイントロが凝っています。凝っていると断言していいのかはわかりませんが。説明が難しいのですが、要するに裏拍です。拍子がずれています。キンクスの代表曲「You Really Got Me」でもそうですが、ドラムが入ると途端にリズムが変に聴こえませんか？この曲もそれと同じですね。最初の音が一小節の表拍子かと思いきや、前の小節の四拍目の裏だったという・・・そんなこと書かなくても分かると言われそうですが、やはり書くと難しいです(2017年2月13日追記：先述の長々しい説明による演奏を「弱起」というらしいです)。</p><p>　B面はシンセサイザー中心の曲が多いですが、この曲はまだバンドっぽいです。エレキとアコースティックギターどちらの音も聞こえますね。しかしやはりどこか覚めた感じですね。「夏は終わらない」というタイトルですが、歌詞では季節は既に冬になっています。この曲に登場する男は、夏に恋人と別れたため、それ以来(男の中で)時が止まっているという解釈でしょう。サビの「もう一度だけ」の部分は全部裏声なのですが、こういうどこか力が抜けた感じが特徴です。この時期のチューリップも、こんな風に冷めていたのでしょうか。などと深読みしたくもなります。<br><br>10.I dream<br>　珍しく戦争の歌。直接的に戦争について触れているわけではありませんが、財津氏の意思は間違いなく反戦でしょう。この曲には「ぼく」と「君」の二人が登場しますが、昨日今日会ったような関係ではなくなっているようです。私は最初、「ぼく」が戦争に行っているから「君」に会えないと解釈していました。しかし「ぼく」が「君」に会えないのを戦争と結びつけているだけにも思えました。戦争が終わったら君に会うんだという死亡フラグなのか、"会えない"のと"戦争の惨禍"を合わせ、こじつけているのかは分かりません。こういうやや抽象的な歌詞を作る財津氏は良いですね。</p><p>　チューリップにしては珍しく、冒頭でSEが使われています。音は無線？による声と射撃音ですので、実際の戦争の音源なのでしょうか。<br>曲は財津氏の歌と、シンセサイザーのエレピ系の音による伴奏が中心です。それにピチカートとストリングスが加わっていますが、いずれもシンセサイザーで作られた音に思われます。こういうシンプルな音作りですので、なんとなく小曲っぽい印象がありましたが、なんだかんだで三分半ありました。とてもそんな感じはしませんでした。美しさと優しさの混在した曲で、本作は終了となります。<br><br>　収録曲の構成を見ると、A面は明るい曲が多く、B面は暗め/大人しい曲が収録されています。つまりライト・サイドとダーク・サイドということでしょうか。A面の「この小さな掌」と、B面の「黄金モノローグ」(いずれも姫野氏ボーカル)が逆になって収録されれば、ライト/ダーク構成は完璧なのですが、バランスを考えた上であえてこの曲順になったのかもしれません。前作までの宇宙路線を終え、コンセプトはなくなっているはずです。しかし本作の収録曲はどれも一貫したもの(作風など)があり、非常に濃い内容になっていると感じられます。二期のチューリップでこれが一番傑作という意見も頷けます。しかし私個人としては、次作「New Tune」の方が数倍好みです。あまり理解されませんが。</p>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12205091863.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Sep 2016 17:12:43 +0900</pubDate>
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<title>フォー・シーズンズの「シェリー」</title>
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<![CDATA[ 　フォー・シーズンズを初めて知ったのは、2014年とかなり最近のことでした。<br>2015年夏～冬の私は大滝詠一の音楽や言動に関心がありました。<br>「A Long Vacation」収録の一際明るい曲「FUN×4」が、<br>フォー・シーズンズの曲から引用されているとのことでした。<br>その曲はどうやら「シェリー」というタイトルで、<br>さっそく私はその曲を聴くことにしたのでした。<br>これが初めて聴いたフォー・シーズンズの曲となりました。<br>今だからこそ、「シェリー」のリズムパターンが<br>「FUN×4」に引用されていると言えますが、<br>そのときの私はそんなことを考えている暇はありませんでした。<br><br>まず歌が始まってから、異変を感じました。<br>複数人で合唱していますが、妙な声が聴こえる。<br>「なんだこれ？」と思いかけた直後に聞こえたのは、<br>音程が張り裂けるように上へ上へと伸びるボーカルでした。<br>曲は明らかに50～60年代のもの。声に加工などできない時代。<br>正真正銘、それは人の喉を通って出された声なのです。<br>それにしてもこの声は高すぎる。<br>そもそも裏声なのか？普通はそうでしょうが、裏声にしては力強すぎる。<br>声はおそらく男性。しかしこんな声を持つ男とは一体？<br>私はその曲が終わるまで、放心状態でした。<br><br>いてもたってもいられず、すぐさまこの曲について調べました。<br>この曲は1962年の曲であること。<br>歌っているのはフランキー・ヴァリという人。<br>アメリカの非常に有名なグループであること。<br>シェリーはデビュー曲で、いきなり一位を獲得したこと。<br><br>このフランキー・ヴァリという人は、<br>女性でも難しいような高音を、さも当たり前のように出し続けるという<br>特殊な歌手だったのでした。しかしそんな特殊な声を出している<br>彼の姿はなんと堂々としているのでしょうか。<br>これがプロかと思ったものでした。<br><br>他に驚いたのは彼の年齢でした。<br>1962年にデビューしたポール・マッカートニーは現在74歳。<br>同年にデビューしたフランキーはというと、なんと82歳。<br>同年代のミュージシャンより、はるかに年が上だったのです。<br>彼があんなにも堂々としているのは、<br>「シェリー」までに長い下積みがあったからなのかもしれません。<br><br>こうしてフォー・シーズンズは、私に強い印象を残したのでした。<br>しかしこのときは、ビートルズ台頭前のグループの一つとしか思っていませんでした。<br>この認識が変わるまでには、まだまだ時間がかかったのでした。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/1lj/entry-12201216127.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Sep 2016 19:08:00 +0900</pubDate>
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