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<title>230714kamiokandeのブログ</title>
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<title>薬剤の毒「その２」</title>
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<![CDATA[ <p>薬剤の毒（２）<br>人間が病気に罹るとする、熱が出る、痛み、不快、咳・痰などがである。薬を飲むと軽くなる。丁度、薬によって病気が治るように見える。然し、度々言った通り、薬と称する毒を飲んで全身を弱らせる、弱らせるから浄化作用が弱る、苦痛が軽くなるーーというわけである。処がそれだけならまだいいが、その飲んだ毒はどうなるであろうか、それが問題なのである。<br>　ここで説明しておくが、人体には毒素を嚥下すると解毒又は排毒作用が行われるようになっている。然し毒と言っても殆どが食物の毒である。であるから、人体内には食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒その即時解毒作用の力はないのである。であるから食物以外であるところの薬毒の解毒作用は全部行われないので、ある程度体内に集溜する。それは矢張り天然痘毒素の場合とひとしく、神経の集中箇所である。故に、こういう理屈にある。陰性天然痘毒素の溜結が浄化、排除作用が起こったとき、それを止めて新しき薬毒を加えるーーそれが薬物療法の結果である。従って、今度は二元的毒素となって溜結する。それの浄化作用が起こる。故に第一次浄化作用より第二次浄化作用の方が毒素の加増によって悪性なのは勿論である。故に、第二次浄化作用即ち再発の場合は初発より押しなべて悪性であるのは、この理に因るのである。右の理由によって、第三次、第四次も起こり得るのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12585441424.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2020 19:22:19 +0900</pubDate>
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<title>薬が効かなくなる時が、人類の新しい出発となる</title>
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<![CDATA[ <p>薬はすべて毒である。<br>　もし薬で病気が治るとしたら、病気は漸次減らなければならないはずなのに、逆にますますふえるのはどうしたわけか。これほど理屈に合わない話はあるまい。元来薬というものは、地球上ただひとつもないのであって、ことごとく毒物であり、毒だから効くのである。それはどういう意味かというと、薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るのではないのである。<br>　では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口に入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そうして食物にも食うべきものと、食うべからざる物とはおのずから分けられている。すなわち食うべき物には味を含ませ、人間には味覚をあたえられているのであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は十分とれるので、これだけを考えても造物主の周到なるはわかるはずである。この意味において生きんがために食物をとるというよりも、食物をとることによって生きていけるので、神秘極まるものである。<br>　右のごとく人間の体内機能は、食物として定められたもの以外の異物は完全に処理できないようになっている。これが薬毒であって、しかもやっかいなことにはこれが各局部に集溜し、ときの経つにつれて固結してしまう。その集溜箇所としては神経を使うところに限られている。神経を使うところといえば、もちろん上半身とくに首から上で、頭脳を中心として、耳、鼻、口などであるから、そこを目掛けて毒素は集中しようとして、いったん首の周りに固結する。いかなる人でも首の周り、肩の辺りにかならずをみるであろう。これが凝りであって、ある程度に達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。その場合発熱によって毒結は解けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿などになって排除されようとする。これを名づけて感冒というのである。<br>　故に感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に任せておけば順調に排泄され、体内は正常化し、治るという実に結構なものであるから、感冒とはまったく簡易な生理作用で、おおいに感謝すべき物であるにかかわらず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を却って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考えだしたのが医療であるから、いかにまちがっているかが分かるであろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であればあるほど起こりやすいので、これを止めるには人体の活力を弱らせるに限る。そこで薬と称する毒をもちいたのである。昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器などから探り出し、煎じたり、丸薬、塗布薬、注射薬など色々な形にして浄化停止に応用したのである。これには毒が強いと生命にかかわるから、微弱にして少しずつ飲ませる。このため一日何回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起こさない程度に毒を強めたものである。<br>　このように薬毒を以て溶解排除せんとする毒素を固めてきたので、今日の人間が如何に有毒者であり、病気が起こりやすくなっているかは、近来予防衛生などと喧しくいったり、感冒を恐れるのもそのためである。また人間の寿命にしても６０才となったと喜んでいるが、これもたいへんな誤りである。というのは人間病いさえなければ百才以上は楽に生きられるのに、百才以下で死ぬのは病による不自然死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生きするのは当然である。右のごとく医療とは病を治すものではなく、一時的苦痛緩和手段で、そのため絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法など、すべての療法は固め手段である。その中に一、二違うのは御灸と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺激によって、その箇所へ毒素を誘導されるので楽にはなるが、時間が経てば元どおりになるから何にもならない。以上のごとく現在迄の療法は、徹頭徹尾固め療法であって、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12585439963.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2020 19:15:31 +0900</pubDate>
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<title>薬が病気を作る</title>
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<![CDATA[ <p>病気とは何か　　病気と薬の発生<br>「いよいよこれから病気についてに一切を解説する順序となったが、そもそも病気とは何かというと、一言にして言えば体内にあってはならない汚物の排泄作用である。したがって体内に汚物さえなければ血行はよく、無病息災で年中溌剌たる元気を以て活動できるのである。としたらいったい汚物とは何であるかというと、これこそ薬剤の古くなったもので、毒血または濃化した不潔物である。ではなぜそのような病気の原因となるところの薬剤をし使用しはじめたかというと、これにはおおいに理由があるから詳しく書いてみるが、そもそも人類は未開時代はともかく、漸次人口が増えるに従って、食物が不足になってきた。そこで人間は食物を探し求め、手当たり次第にとっては食った。もちろん農耕法も漁獲法も幼稚のこととて、山野、河川至る所で木の実、草の実、虫類、貝類、小魚等を採ったが、その良否など見分ける術もないので、やたらに食欲を満たそうとしたので、毒物にあてられ、その苦痛を名付けて病気といったのである。そこでなんとかしてその苦痛を逃れようとし草根木皮を試みたところ、たまたま苦痛が軽くなるものもあるので、これを薬と称してありがたがったのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12585439413.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2020 19:12:56 +0900</pubDate>
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<title>最後の審判</title>
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<![CDATA[ <p>もうひとつ私がいいたいことは、キリスト教にある最後の審判です。お釈迦さまのいう仏滅の世です。最後の審判というのは、地獄でなく、この世に閻魔さまが出てきて裁くんじゃないかというように思うのですが、そうじゃない。この我々が物質を触ったり、見えたりするのはこれは物質界です。それからその奥に霊界がある、その中間に空気界がある。空気界まではわかっているけれども、霊界はわからない。ちょうどさっきの野蛮時代から文化時代、文明時代とこういうような順序です。その三段階のうちのその物質界、それから空気界、霊界と、これも三段階になっています。ところが世界の循環率によって明暗がある。暗くなったり明るくなったり、これが一昼夜の二十四時間にそれがあるのではなくて一年にも明暗がある。一年の明暗というものは、仮に冬は暗いということになると夏は明るいということになります。太陽の光線からいっても夏はいちばん強烈なのです。冬はいちばん薄いんで、これも明暗になってます。これがまた、十年にも明暗があり、百年にも明暗がある。歴史上平和時代もあるし、また暗黒時代もあるのは、やはりそういった１つのリズムなんです。<br>　それから今度は千年にも万年にもある。それで今までは闇の時代であった。暗い時代だった。今度は明るい時代です。そこでさっきの文明時代の明は明るいという字なんです。明るい時代になると、今までの暗い時代のものが整理される。夜の文化でいらないものが沢山できてくる。昼間になると電灯や色々なものがいらなくなるように、夜の時代のものがここでいらなくなることが滅びるということです。<br>　審判ということはその夜昼のを分けるのです。いらないものはしまうか、壊してしまう。これから明るいものを作っていくと、こういう具合です。霊界が明るくなるとどういうことになるかというと。人間には体と霊との間に空気に相応すべき水分というものがある。水蒸気。これが人間の体に非常にある。そういう三段階になっているうちの人間の霊です。魂といってもいい、それが霊界に属している。霊界が明るくなると、それの明るさに相応しない魂の人は、どうしても相応するように、その曇りをとられるのです。とられるといっても、故意にとるわけではなくて、自然に浄化すべき、汚いものが、きれいにかえなければならない。そうすると魂の汚い人は、霊界が明るくなるにつれて掃除をされる。それが苦しみです。病気の原理もそういう原理です。　<br>　今までは霊というものを知らなかった。霊の曇りを明るさに相応するようになる時に、病気くらいで済めばいいけれども、そうでなくてもっと強く、すると、もう病気なんかには耐えられないで、その人は死んでしまう。病気というものも、すこしずつ来るから病気で、あれでいいのですが、一遍にきたら倒れてしまう。最後の審判というのはそれなんです。そこで段々段々この霊界が明るくなるにつれて、そして一遍にやられることになると、そのために命を失うことになる。それが大量になる。大量になってはかわいそうだからというので、そのことを知らせる、と。知らせて助けなければならないというのが、神様の御意志である。段々段々夜から昼間になる時代が迫ってきています。それで、人を救うには早く大勢の人に、それを耳に入れなければいかんというわけで、今日初めて大勢にお知らせするのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12585202412.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Mar 2020 19:23:07 +0900</pubDate>
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<title>感冒とは何か</title>
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<![CDATA[ <p>感冒とは何か<br>　人間が社会生活をするうえで、風邪を引かないようにすることは可能であるかどうかを考えてみるべきである。恐らくこれは絶対不可能であろう。どうしてかというと、風邪を引くということは寒い思いをするためとされている。ゆえに就寝の際寝巻を着替えるとき、起床の際衣服に着替えるとき、入浴の場合または降雨や寒風の際の外出などはいずれも風邪引きの機会になるからである。だから、風邪を引く機会を一日といえどもまったく避けることは誰にもできない。<br>これについて、わたしは人があまり気が付かない点を説いてみる。それは実際上、必ずしも寒い思いをしても風邪を引かない場合もあり、また風邪を引く場合もあることである。それはどうしてかというと、寒い思いをしても風邪を引かないのは全然熱のないときであるが、寒い思いをして風邪を引くのは、微熱のある時である。その理由はこうである。微熱があって風邪を引くという場合は、実は風邪を引きかけているとき、すなわちその前駆としての微熱であるから、その場合寒い思いをしてもしなくても風邪を引くことになっているのである。またとくに微熱のある場合は、寒い思いをしなくても悪寒があるから、どこにいても、厚着をしても非常に寒いのである。<br>　しかし、ここでとくに知っておかなければならないことがある。それは気候が変わり、寒気に触れる場合、その寒気に順応すべく浄化作用が発生する。そのための感冒もあるが、これは予防不可能である。<br>　以上のごとき理由を考えるとき、風邪に罹らないようにすることは絶対不可能であることが分かる。したがって、風邪を引かないように注意するなどということはできない相談で、何らの意味をなさないばかりか、寧ろ神経質になるという悪影響さえこうむるのである。わたしは思う。世の中に注意によって風邪を引かぬようにでき得る人がひとりでもいるだろうか。<br>　そもそも感冒とはいかなるものであろうか。医学においては今以て原因は不明とされている。先ず人間の健康及び不健康はいかなる原因によるかというと、それは血液の純不純によるのである。人体は不断に浄化作用が行なわれており、その結果として血液中の汚濁分子は一定の局所に集留、凝結する。すなわち先に説いたように第一浄化作用であり、ついで第二浄化作用が起こり、凝結毒素の排除作用が始まる。これを称して感冒というのである。そうして発熱によって凝結毒素が溶解し、液体化し、喀痰となるが、喀痰はいったん肺臓内に滞留する、それを咳というポンプ作用によって吸出排泄する。この理によって、感冒とはもっとも簡単なる浄化作用にして、健康は増進されるのである<br>　ゆえに、感冒とは自然生理作用である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12583453212.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Mar 2020 10:44:53 +0900</pubDate>
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<title>古代中国では、長寿のために、</title>
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<![CDATA[ <p>水銀やヒ素を薬にしていた。２０１９年マグネシウムやアルミニウムを薬にしている。未来の人は、嗤う。なんと愚かなと。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12542082966.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Nov 2019 07:54:48 +0900</pubDate>
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<title>二十一世紀</title>
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<![CDATA[ <p><br>　私は今朝六時に眼がさめた。それは枕の中から微かな音楽が聞こえるかと思うと、段々大きくなって寝ることができないので起きたのだ。「なーんだ、枕の中に目覚まし時計が仕込んであった」のだった。それから顔を洗い、和洋折衷の朝飯を食った。味噌汁のスープ、米でできたパン、魚と肉が少々、野菜、コーヒー、緑茶などで済ました。まず新聞を見た。「ははー、これは面白い」。一面にはデカデカと世界大統領の選挙戦の記事が出ていた。投票日は数日後に迫っている。各国の大統領候補者十数人の名前が写真入りで出ている。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、南米、印度支那、日本、ソ連（この時代ソ連の国家名は変わっていた）。やはりアメリカの候補者が第一位を占めるらしい、とかいてある。三面を見ると誠に意外だ。犯罪記事などはほとんど見当らない。重なる記事としてはスポーツ、旅行案内、音楽、美術、演劇、映画その他の芸能など、娯楽方面は遺憾なく出ている。そうして頗る気の利いた編集ぶりで文章もくどくどしいところはない。簡潔で、要を得ており、昔の新聞のようなくどくどしい冗漫な記事がないから短時間で読み終り、読者を疲れさせないよう意を払っている。また昔と大いに違うことは写真の多いことで、記事と写真と半々位である。次に広告欄はと見れば、これも余程違っている。売薬の広告は全然ない。化粧品は極わずかで、多いのは書籍、衣食住に関するもの、機械類、新発明品等々であるが、これも記事は極わずかでほとんど写真である。こんな訳で、私は十五分間位で全部読了した。私は快適に新聞を読み終った。それもその筈だ。窓が非常に大きく明るい事に気が付いた。何らの防備設備もないからだ。後に聞いた話だが、盗賊の侵入などは昔語りにすぎないとの話で、なるほど素敵な世界だと思った。<br>　私は外出すべく自動車に乗った。私は美美しく着飾って外出をしたが、町の美しさには驚いた。まるで花園のようで、面白いことには自動車以外、他の車の類は一台も見えない。それもその筈で、汽車も電車も地下を走っていて、車道は自動車だけである。しかもその自動車も音が少しもしない。これは不思議と思ってよく見ると、車道はキルクで舗装したようである。よく見るとゴムのなかへオガ屑を混ぜたような物質で、弾力があり、頗る柔軟性であるから、その上をゴムのタイヤで走り、自動車の窓枠や、一切無音装置となっているから、騒音などは有り様わけがない。しかも雨が降れば沁み込んでしまうから水溜りができない。そうして、自動車を走らす動力は指の頭位の鉱石で、何十哩も走らせることが出来るから素晴らしい。これはウラニュウム、プルトニュウムのごとき鉱石で、原子破壊の原理を応用したものである。私はまず自動車に乗った。運転手など要らない。乗客が片手で一寸棒を握っただけで快く走らせ得るからである。尤も贅沢な人は運転手に操縦させる事は勿論である。<br>　まず町を見ると何と美しいことよ。驚いたことは果樹が人道と車道の間に、昔の銀杏やプラタナスのように並んでいる。無花果、柿、枇杷などで、その間に蜜柑、桃、梨など低い樹が見える。車道の行き来を分けて一条の土手があるのは昔の通りであるが、この土手のあらゆる種類の花の潅木が並び、その縁はあらゆる草花で彩り、徐行する私の鼻には時々なんの花だか知れないよい香がする。最も美しいと思ったのは、ある町の右の土手を一マイルの間、紫陽花のみが咲き乱れていたことである。次に美しかったのはダリヤの花盛りの続いた道であった。それから両側の人道の上は、葡萄の実がたわわに下っている所もあり、藤棚も見えたが、それは既に花が咲き終わって葉ばかりになっていた。町の所々には人道の端に小型の喫茶店が椅子、テーブルなどを並べて花を見ながら簡単な飲み物で、道往く人を楽しませるなどは気が利いている。また小公園がどこにもあって、子供等は嬉々として遊んでいる。一つの町に二、三箇所は必ずあるから子供の天国でもある。また中央花壇の所々の、人造石で作った池があって、睡蓮が浮かんでいるのが面白い。以上のようなあらゆる植物に対しては、一日数回時間を決めて水まきをするが、それは水道が自由自在に花壇の縁に設備してあり、勿論セメントで出来た角型の帯で無数の穴が開いており、ネジを捻ればその穴から噴水のように花壇を濡らすのである。　<br>　もう一つ私の驚いたことは、晴天も雨天も自由に出来るようになっており、何曜日の午前或いは午後に雨を降らせ、何日まで晴天を続けるということである。風も何日目に丁度よい微風のごときを吹かせることになっているが、時々強風を吹かせることもある。これは樹木の根を張らせるためで止むを得ないのである。昔から五風十雨の不順序ということは、今の時代のことをいったものであろう。これらは勿論科学の進歩によるものである。町を走っている中に面白いものを見た。それは大きなガラス箱のような小住宅位の大きさのガラス張りのものが所々にあって、その中には松、杉、桧、落葉松などの針葉樹から常磐木の類が多く見える。摂氏十度位の温度が保たれている。勿論完備せる冷房装置で、夏の炎天下を往来するものに対する人工的オアシスである。以上述べたような諸設備は各町会の役員中から、植物知識の豊富な者が選任され、その主任の指示の下に各青年が分担活動しているのである。<br>　次は各商店が並立している町で、徐行しながらよく見たが、その整然とした建築様式や美と品位に富めるには全く快いものがあった。毒々しいような色彩はなく、マッチ箱のような無趣味な家屋は見当らない。明るい窓、軟い照明等は勿論、絵画、彫刻の美は極度に応用され、少し大きな店舗となるとさながら美術館のような感じである。そうこうするうち夕暮に近づいたようであるが、あまり夜のような感じがしない。それもその筈である。街路の上一定の間隔を置いて頗る高いアーク塔が輝いている。その光線たるや、電灯とは違い、電灯よりもずっと白色で驚くべき明るさである。全く昼間太陽の光に紛うばかりで、あらゆる色彩そのままが眼に映る。<br>　読者諸君、以上説いた所の町の光景を想像されたいことである。百花爛漫と咲き乱れ、馥郁たる芳香町に漲り、諸々の果実は裕かに実り、都市と想えぬ静かさでなんと快い散歩であろう。商店のウインドをのぞけばさながら美術展覧会を見るようで、相当大きな店舗でも店員は一人か二人位で用は足りている。何となれば商品は定価を付してあり、何人も手を取って見られ、客は定価と説明書を見るだけで気に入れば、店の入り口にある金銭収納箱に正札と金銭をいれ、包装は自動機械があって、品物の大中小により自動的に包装され紐で下げるようになるのであるから、実に買物がしやすいのである。<br>　私は空腹を感じたので、とあるレストランへいった。見回すと店員は一人もいない。入り口の一方にうまそうな料理が並んでいて、いずれもＡＢＣの符号がついている。空いている椅子にかけてテーブルを見ると番号がついている。そこでテーブルの隅に着いているボタンを押した。勿論ボタンのＡＢＣの符号とテーブルの番号を押すと、間髪を容れず料理が目の前に出てきた。なるほど見るとテーブルの真ん中に皿位の穴が開いており、そこへ自動的に下から上って来るので、注文したものは次々上ってくる。何らの説明も要せず、迅速で気持ちのいいこと夥しい。最もこの方法は二十世紀時代もあったとはきいていたが、これほどに完備しているとは思えない。勿論酒も飲物も同様穴から出てくるが、酒は一定の限度以上は出てこない。見るとボタンが今一つある。会計と書いてある「ハハアー、これを押すんだな」と押してみると、たちまち勘定書が出てきた。その通り金を載せ引込んでしまうと、すぐに受取りになって出来た。何と簡単ではないか。私は満腹したし時間も早かったので、どこか劇場へ入りたいと思った。処が劇場の多いこと驚くべきものがある。如何なる町といえども至る所に劇場があり、驚いたことには観覧料のあまりに安いことである。到底収支償うとは思えないので、私は支配人に聞いてみた。すると支配人の答えはこうである。あらゆる劇場は富豪の社会事業として経営しているので、入場料などは必要がない位だそうである。処がその豪壮なる建築設備などは善美を尽くし、観客も椅子の数以上は余分に入れないから、実に快く見物が出来る。私の入った時は映画興業であったので非常に面白かった。その時の映画は日米共同の映画会社の制作で、米国映画と日本映画の二本立てであった。米画は英国の清教徒が米国へ渡来し開拓をし、独立戦争までの歴史画であった。日本映画はある一個の宗教科学者とも言うべき人物が、医学を革命し、あらゆる病気を解決するという苦闘の生涯を描いたもので、どちらも面白いと思って見た。また余興としてテレビジョンがあったが、これはどこかの劇場での劇であろう。私は草臥れたので帰宅して寝に就たが、私は今日観ただけのことを考えてみたが、全く人類の夢が実現したに違いない。人類が長い間理想としたユートピアはこれであると、つくづく感激に堪えなかった。私の探求心は抑えきれない程に燃え上がった。それは新時代のあらゆる文化を知らなくてはならない。先ず徐に研究してみようと決心した。読者も私と同様、この新しい世界のあらゆることを知識されたいと思うから、私の知り得たことを逐次報告することにしよう。<br>　その翌日であった。近所にいる友人の話に、面白いところがあるからぜひ来いと勧められたので、ともかく友人と共にいくことにした。とある町の中程に壮麗眼を驚かすような建物があった、そこへ私は案内された。なるほど劇場もあり、レストランもあり、遊技場も完備していて、友人に尋ねたところ、これは町の公会堂であって、どこの町にも一個所や二箇所は必ずあるということだ。友人は言葉をついで言うには、「この公会堂は一週に一回会員が集まり、語り合うのである。勿論町の発展策や、衛生、娯楽等々町民の福祉を増進さるべき議案を審議するのである」私は先ず食堂へ案内されて馳走になったが、料理の美味、芳醇な酒等、百年前とは較べものにはならぬ程の最高の食事であった。友人に聞いてみると、一週一回幸福デーと称え会員が集まり、口に美食、耳に音楽、眼に演劇舞踊などを見、歓楽に耽るのである。この際舞踊、音楽など各家の令嬢が平常磨いた技芸を誇りとして出演するのであって、職業芸能人も素人芸能人も共に出演するのである。これらの費用は全部町の富豪が社会公共のためとして、全費用を寄付するのである。<br>　そうしてこの新世界においては、旅行の盛んなることは驚くべきで、各地の国立公園、高山地帯、風致のよい海岸島嶼等には、各国人の遊覧者夥しく、したがって、交通機関の発達は如何なる僻地といえども、電車、ケーブルなどの設備は勿論、鉄道汽船などはすばらしい豪華版であるにかかわらず、その賃金の安いことこれまた驚くべく無料同様の低賃金である。それもその筈で、これらも富豪の社会奉仕によるものである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12530504276.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Sep 2019 17:08:34 +0900</pubDate>
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<title>坂本龍馬がそうであったように、安保徹は霊界から大いに働く。</title>
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<![CDATA[ <p>逆効果ですね。最大の失敗として、語り継がれることでしょう。残されたものは、明治維新を彷彿とさせる活躍をすることになる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12530227790.html</link>
<pubDate>Sat, 11 May 2019 17:23:18 +0900</pubDate>
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<title>肉食を多くすると肉毒により、がんのもとになる。</title>
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<![CDATA[ 野菜を多く食べないとね。ライオンや欧米人より腸の長い日本人はとくに。
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12530227787.html</link>
<pubDate>Wed, 01 May 2019 07:14:57 +0900</pubDate>
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<title>つるぎは、つきを意味している。たまは、たいようを意味している。</title>
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<![CDATA[ けんじとうしょうけいのぎ、明治は日と月が治める世。令和は、霊和であり、和せよ、という意味がある。
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<link>https://ameblo.jp/230714kamiokande/entry-12530227786.html</link>
<pubDate>Wed, 01 May 2019 07:11:52 +0900</pubDate>
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