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<title>2cho-medayoriのブログ</title>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その36</title>
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<![CDATA[ 修士課程2年生の最後はロックアウトのまま終わってしまった。<br><br>S君の分析は何とか終わらせた。希土類元素のランタノイドの分配を蛍光X線分析法で行う実験は私がやってやった。<br><br>また、高校の先生の実験も何とか終わらせて先生は一年間の研修を終わらせた。<br><br>私の実験は希土類元素の含水正炭酸塩の合成成功後は得られた化合物の様々な物性を調べることで過ぎていった。<br><br>それらの多くは博士課程で引き続き実験していった。さあいよいよ博士課程編になります。
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12671724646.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Apr 2021 22:16:17 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その35</title>
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<![CDATA[ 時間をまた半年前に戻します。夏休みの研究室旅行から帰って来たら化学の院生会の集まりがあって学部生のバリケードについて討議した。<br><br>院生の中でも学部生に同調する人が多く連携をとっていくことになった。<br><br>もっとも学内デモへの参加は自由意思でやっていった。従ってバリケードが理学部本館に構築されても我々院生の本館出入りは自由であった。<br><br>その状況下で博士課程への進学試験が行われた。内部生は語学(英語とドイツ語)の試験のみだった。<br><br>このような状況なので外部からの受験者はいなかったし内部生も定員丁度しか受験しなかったと思う。<br><br>私は大学院に入った時から博士課程への進学は決めていたので迷いなく受験した。<br><br>もっとも語学の出来は良くなかった、教授曰くだが、がパスさせてもらった。入学者数は8名だった。<br><br>父の里の鹿児島の親戚の子が物理にいて大学院を受験したが落ちてしまったと後で聞いた。<br><br>物理の場合、朝永振一郎教授の影響か東大や京大からも受験してくるので内部生も簡単には大学院に合格できないと聞いた。<br><br>彼は学部卒業して大きな自動車メーカーに入り活躍したと聞いた。
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12671531488.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Apr 2021 22:41:17 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その34</title>
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<![CDATA[ S君のことを書いたのでついでに時計を進めて彼の話をたい終わりたい。<br><br>学生側によるバリケードが理学部の建物入り口にも構築され、教官陣はもとより学生も校舎の内に入れなくなった。<br><br>ただ私達院生や4年生には実験があるといえば何とか中に入れた。<br><br>私は勿論入って実験したがS君も中に入って実験してくれた。<br><br>ところが2月の26日、2.26の日、に大学側が機動隊を学内に入れバリケードと反対派学生の排除を強行した。<br><br>これに怒ったS君は学内に閉じこもると言い出した。私は彼を説得し続けた。とにかく今は外に出て機動隊に排除されないようにしようと言い続けた。<br><br>ついに彼も折れて私と一緒に構外に出た。彼の残念な気持ちはよくわかったがとにかく彼を卒業させようと考えるだけで精一杯だった。<br><br>今でも2月26日あたりになるとこの頃のことを思い出す時があります。<br><br>卒業以来彼には会っていないし話も聞いていない。遅い青春の思い出である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12671304580.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Apr 2021 21:12:35 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その33</title>
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<![CDATA[ 4年生のS君はとても真面目な学生だった。だいたいK育大学の学生はあまり豊かでない、どちらかというと貧しい家庭の出身者が多かった。<br><br>それに比べると私学の雄であるK応やW田の学生は学費も高いこともあり比較的裕福な家庭の出身者が多かった。これは高校時代の実感である。<br><br>S君もバイトをしながら勉強したきた口で真面目で実直な人柄だった。<br><br>その彼が卒論実験などやってられないという。その理由が移転決定問題の強圧的進め方に対する反発にあった。<br><br>私は彼を説得した。「とにかく君は卒業しないとお父さんお母さんが困るだろう」と。<br><br>そのことは彼には重々分かっていることだった。なんとか大学に行くことを許してくれた両親に対する感謝の念は私に言われるまでもなく重々分かっていることだった。ただ見て見ぬふりはできないと、抗議の形はなんとしても示したいと。<br><br>私にも彼の言い分は誠によくわかる話であったがとにかく卒業しょうと説得を続けた。
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12671120306.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2021 22:14:07 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その32</title>
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<![CDATA[ 1967年6月に移転問題のストライキが始まったとすると私が大学院に入学してまもなくということになる。<br><br>この事実と私の記憶とのギャップは第一に他大学から<br>入った新入院生としては頭の中が修士論文テーマを如何に理解するかに集中していたからだろう。<br><br>第二に他大学から入ったので移転問題がヒストリーが実感されていなかったからもある。<br><br>さらに都心の大学は色々な問題があってストライキをよくやっていたのでストライキ風景をみ慣れてしまっていたこともある。<br><br>T大学がそうだった。T大学には移転問題はなかったが寮の問題、安保反対闘争の余波などが理由で縦看板、いわゆるタテカン、旗、チラシなどがよく入り口周辺にあった。<br><br>上記の私の記憶のずれの修正は当ブログで行っていくつもりである。<br><br>とにかく修士2年の秋にはかなり大変なことになってきた。この年の6月に開催された全学評議委員会で移転決定を強行してしまったのだ。<br><br>そこで学生側も即座に反発してバリケードをかなりな規模に広げて構築していったのだ。<br><br>さすがに私も理解していった。4年生のS君がかなり憤慨して説明してくれたこともあったので。
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12670927740.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Apr 2021 22:07:46 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その31</title>
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<![CDATA[ ここでK育大学の移転問題をネットで検索して年代と私の記憶のずれを探ってみた。<br><br>移転問題に関する大学の歴史である。K育大学は国立大学としては当時最も敷地面積が小さくかなり前から移転を考えていた。<br><br>5学部全てが移転に賛成あるいは条件付き賛成であった。しかし適当な候補地が見つからず60年代後半も過ぎていった。<br><br>一方、国は筑波に国立研究機関を集め、国立大学もある研究学園都市を作ることを構想していた。そして1963年8月にこの構想を閣議決定した。<br><br>この研究学園都市の中核を占める大学の候補としてK育大を挙げていくことが進められ大学側も1967年6月に全学評議委員会でこの構想に乗ることを審議したとある。<br><br>ただ文学部はこの構想に乗ることに異議を唱えさらに移転賛成派との違いが大きくなり学生も反対運動を行い移転問題が表面化した。具体的には学生によるストライキとなって学内に旗や看板、ビラとなって騒然としてきた。<br><br><br><br><br>　　　
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12670713283.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Apr 2021 18:29:48 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その30</title>
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<![CDATA[ 秋になって論文も完成、投稿した。高校の先生も夏休みが明けてまた通ってこられた。<br><br>4年生のS君もやって来てやっと卒論実験を開始した。彼も実験部屋で私とNさんの指導を受けて鉱物分析をはじめた。<br><br>実験にはどうも向き不向きがあるようである。S君は真面目で時間をかけて実験するが上手くいかない。<br><br>彼の鉱物は希土類元素を含んだガーネットである。ガーネットは珪酸塩鉱物である。<br><br>珪酸塩鉱物の分解法はT大で実験してきた。炭酸ナトリウムによる溶融法で分解できるのだ。<br><br>そこでまず白金るつぼを用いて炭酸ナトリウム溶融分解法でスタートさせた。<br><br>S君は当然初めてだからうまくいかないのは当たり前だけど、なにかちょっと違う。<br><br>余分なことをしでかすところがあり、実験が上手く進まない。<br><br>まぁ彼は彼は4年生だしまだ時間があると思って私は私自身の実験に没頭していった。<br><br>そうこうするうちに大学内が騒がしくなってきた。ついに理学部で移転問題の採決が計られようとしてきた。<br><br>教授会がたびたび開かれるようになってきたから。<br>
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12670526173.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Apr 2021 22:06:09 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その29</title>
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<![CDATA[ ペグマタイト層とは長石や石英がある層なので探すのはそれほど難しくない。<br><br>しかし表面が風化していたり草木や土に覆われていたりすると探すのは結構難しいことになる。<br><br>とにかく教授の地図と記憶を頼りに目的の鉱物を探し回った。でも途中で素晴らしい草花や木々の緑が目を慰めてくれることもあって時間が経つのが早い。<br><br>ところがどこかで二手に分かれてしまったらしく川沿いの開けたところで気がついた。<br><br>携帯などない時代なのでどうしようかと思案しながらとりあえず遅い昼食をとった。<br><br>小一時間くらい経ったろうか対岸から声が聞こえてきた。いた！NさんとY助手さん、それに院生と秘書さんである。<br><br>おーい！おーい！と言い合いながらお互いの無事を喜んだ。<br><br>ただ川はかなりな崖下にあり、双方とも川に降りられるところが見当たらない。<br><br>そこで両方のグループは見え隠れしながらゆっくり川沿いを下ることにした。<br><br>どれくらい歩いたかは覚えていない、とにかくまたまた夕暮れ時に橋を見つけ一つのグループとなって2泊目の山小屋で無事夕食を取ることができた。<br><br>やはり山は危険を伴うものだと実感した。多人数だと誰かが連れていってくれるだろうと勝手に思って安心してしまうものなのだ。<br><br>気をつけましょう！<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12670308762.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Apr 2021 20:01:51 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その28</title>
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<![CDATA[ そうこうするうちに夏になった。恒例の鉱物採取を兼ねたハイキングである。<br><br>この年は南アルプスのペグマタイト層周囲への2泊3日のハイキングであった。<br><br>初日は天気が悪く、そういう気候下での山歩きの怖さを少し実感した。<br><br>というのは東京から乗り継いで登山口の駅に着き歩き出した。<br><br>しばらくは何事もなく景色や草花を見たりおしゃべりしたりして楽しく歩いた。<br><br>夕方早くにはそろそろ山小屋に着くところまで到達していた。<br><br>ところが雲行きが怪しくなったなと思った途端にガスが湧き出でてきて周りが見えなくなった。<br><br>今回は教授の他に4月から時折来られていた研究所の所員のMさんが山歩きの経験者として道案内だった。<br><br>地図では山小屋は近くにあるはずだがとMさん。しかし全く見えないので不安になりそのうち同行者も見えなくなる。<br><br>同行した女性2人が不安げな声を立てていたがその姿も見えない。<br><br>Mさんが大声で皆歩き回らないようにという。そのうちガスが晴れるからと。<br><br>ガスが吹き飛ばされて一瞬、山小屋が見えたときは本当にほっとした。なんとすぐそこまで来ていたのだ。<br><br>あとから考えるとラッキーだった。こういうときが遭難事故になるのだと山小屋に着いてから皆で口々に話した。<br><br>翌朝は晴れて素晴らしい山景色が広がっていた。絶好のハイキング日和ならぬ石拾い日和だった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12670140465.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Apr 2021 21:50:47 +0900</pubDate>
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<title>分析化学は面白い　大学院修士課程編　その27</title>
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<![CDATA[ その試合は軟式テニスの四大大会で全日本屋内軟式テニス大会だった。<br><br>その試合の前はNさんはあまり練習する時間がなかった。<br><br>その為午前中にあった最初の試合は素人目にももたもたしていて良く勝てたという内容だった。<br><br>しかし午後の第2試合は俄然強くなった。玉へのアプローチも速く、鋭いストロークで相手を圧倒した。<br><br>結局優勝したのだが試合後話を聞いてみた。すると1試合目はわざとストローク数が多くなるように試合をしたとのこと。<br><br>練習がたらなかったので試合の中で練習したとのこと。凄いことをするもんだ。<br><br>ただやはり緊張して昼ごはんは食べられなかったとのこと。<br><br>そこで奥様手製の特製ジュースを飲んだとのこと。特製ジュースはニンニクの蜂蜜漬けだそうです。<br><br>とにかくNさんはその後軟式テニスの四大大会を全て制覇し軟式テニス界では東洋一のチャンピオンになった凄い人だった。<br><br>東洋一という意味は軟式テニスはアジアでしかやってないからである。<br><br>Nさんに硬式テニスはどうかと聞いたことがある。すると遊びでやったことはあるけど試合に出たことはないとのこと。<br><br>硬式テニスもせめて高校生くらいからやってないと一流にはなれないとのこと。<br><br>以上、軟式テニスのお話でした。明日の話はまた実験の話に戻ります。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/2cho-medayori/entry-12669931465.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2021 20:45:42 +0900</pubDate>
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