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<title>大阪のクソ親父</title>
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<title>たぶん日本一のだしの取り方教室３　昆布漁の現実</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20241008/15/313487mn/13/34/j/o4268270615495519875.jpg"><img alt="" height="139" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20241008/15/313487mn/13/34/j/o4268270615495519875.jpg" width="220"></a><img alt="" height="129" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20241008/15/313487mn/15/b3/j/o6013353415495519741.jpg" width="220"></p><p>江戸時代の文献による、昆布の種類解説に、道南の真昆布が絶品と記述されている。</p><p>しかし、その天然真昆布も今や収穫高ゼロとなり、今や絶滅の危機に瀕している。</p><p>なんとか養殖で、つないでいる状況だ。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20241008/15/313487mn/9f/d1/j/o4518353315495521725.jpg"><img alt="" height="172" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20241008/15/313487mn/9f/d1/j/o4518353315495521725.jpg" width="220"></a></p><p>上から、天然真昆布、二年養殖、一年養殖。</p><p>厚みを見ればその違いがはっきりする。</p><p>二年養殖には、天然物とそん色ないものもあるが、手間が倍かかる割に、値段はせいぜい二三割高くなるだけなので、生産量は少ない。</p><p>不漁の原因は温暖化だけに限らず、川上の森や林の荒れなども影響していると見られる。</p><p>これは、道南だけの問題ではなく、利尻・羅臼・三石などにも迫っている。</p><p>（写真はいずれも大阪昆布ミュージアム３階にて撮影）</p><p>生産地の昆布漁師や、函館市、北海道大学などが手を取り合って、対策を講じないと、絶滅が現実化してしまうのだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 08 Oct 2024 16:16:02 +0900</pubDate>
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<title>たぶん日本一のだしの取り方教室２</title>
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<![CDATA[ <p>2024年9月14日（土）14時30分～</p><p>大阪昆布ミュージアム4階</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240924/10/313487mn/62/23/j/o5332489815490000308.jpg"><img alt="" height="386" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240924/10/313487mn/62/23/j/o5332489815490000308.jpg" width="420"></a></p><p>たぶん日本一の昆布とかつおの合わせ出し</p><p>2016年産川汲浜の天然真昆布と、一本釣り鰹を使った本枯節。芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、旨味が舌の上を転がっていく。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/44/4f/j/o1853379015488069679.jpg"><img alt="" height="450" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/44/4f/j/o1853379015488069679.jpg" width="220"></a></p><p>主催者の土居純一さんは、空堀商店街こんぶ土居の四代目。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240924/10/313487mn/1e/97/j/o5618362915490000170.jpg"><img alt="" height="142" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240924/10/313487mn/1e/97/j/o5618362915490000170.jpg" width="220"></a></p><p>次は、水出し4種の味比べと、組み合わせ実験。</p><p>それぞれ３％のｓ干椎茸・いりこ・かつお・昆布。</p><p>参加者それぞれが、組み合わせを試す。</p><p>意外にも、いりことかつおの組み合わせが悪くない。様々な組み合わせを試したが、あらためて、昆布出しのまとめる力を痛感した。</p><p>続く</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12868731979.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Sep 2024 11:41:33 +0900</pubDate>
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<title>たぶん日本一のだしの取り方教室　</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>9月14日に開催された、「だしの取り方教室」</p><p style="text-align: left;">まず、一晩浸けた水出し昆布<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/5c/6d/j/o4913397615488069656.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="178" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/5c/6d/j/o4913397615488069656.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/22/6b/j/o2801305215488069671.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="240" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/22/6b/j/o2801305215488069671.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">色合いがわかるように、日本酒用の効き猪口で。昆布だしのインパクトがすごい。さすが、2016年川汲産天然真昆布。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/ac/22/j/o2391489815488069664.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="451" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/ac/22/j/o2391489815488069664.jpg" width="220"></a>主催の土居純一さんは、こんぶ土居四代目。日本一の昆布研究科。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/fd/bc/j/o3674419315488069665.jpg"><img alt="" height="479" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/fd/bc/j/o3674419315488069665.jpg" width="420"></a>沸騰直前まで熱した昆布だし。香りは強くなるが、味は水出しとそう変わらない。ということは、60℃でとろ火で40分がベスト、などというのが疑わしくなってくる。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/4c/6b/j/o4837364715488069659.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="166" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240919/10/313487mn/4c/6b/j/o4837364715488069659.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">次に、タイコウ製本枯節の削りたて花かつおで一番出汁を。</p><p style="text-align: left;">とたんに濃厚な鰹節の香りと味が舌と鼻孔を駆け抜ける。</p><p style="text-align: left;">合わせると旨味成分が7倍にになるというのもうなづける。</p><p style="text-align: left;">後半へ続く</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12868129278.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Sep 2024 11:26:03 +0900</pubDate>
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<title>上岡龍太郎さんのこと</title>
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<![CDATA[ <p>私が1980年に吉本興業に入った頃、関西ではすでに売れっ子タレントで、テレビ・ラジオにレギュラー番組を何本もお持ちだった。</p><p>私は、研修後、桂文珍さんの担当になり、隔週土曜日に「花の新婚！カンピューター作戦」の収録でお会いしていた。12時からの「ノックは無用」に続いて、「ノンストップゲーム」という生放送があり、その番組終わりで、二本撮りをしていたのだ。</p><p>親しく口を聞くようになったのは、道頓堀中座の中村勘九郎（当時）さんの楽屋でご一緒してからだ。「松竹の楽屋に吉本の社員が来てる。」と、少し驚かれたように話し、そのあとニヤリとされた。私が戸惑ったのを見逃さなかったのだ。</p><p>その後も、勘九郎さんの楽屋で何度かお会いした。「君、吉本にしては珍しいな。歌舞伎を見るやなんて。」ともおっしゃられた。</p><p>勘九郎さんと言えば、「EXテレビ」を絶賛していたことを思い出す。「野山ちゃん、あれ面白いねぇ。イーエックステレビ。」ご本人は、タイトルを間違って覚えていたので、余計に印象に残っている。勘九郎つながりで言えば、島田紳助さんに、舞台を見てほしいと熱望していた。その事は、本人にも奥さんにも伝えていた。奥さんとは、何度か松竹座で一緒になった。勘九郎歌舞伎のファンだった。その奥さんが、「これは他の歌舞伎と違って、絶対に面白い。退屈しない。」と無理やり連れてきたのが、松竹座での「夏祭浪花鑑」だった。だけど、紳助さんは、奥さんの懸命の引き留めにも関わらす、中入で退席してしまった。奥さんは「これがだめだったら、しょうがない。」と歌舞伎をあきらめた。</p><p>話がそれてしまった。上岡さんである。落語はもとより、講談、歌舞伎、文楽と、古典芸能に造詣が深く、講談は、ご自分でもおやりになった。漫画トリオを解散して以来、テレビ・ラジオタレントになった上岡さん。自称ではなく、芸は一流であったが、何か芯になるものを望んでいらっしゃったのかも知れない。根はあくまでお笑い芸人であったのだと思う。</p><p>話は戻る。ある時、「カンピューター」の楽屋に弟子のテント（当時）君が来たことがあった。出演者の一人が、テント君を知っていて、あの蜘蛛の戦いを見たい、とおっしゃった。上岡さんは、「ほな見せてあげたら」と軽く声をかけた。テント君は椅子に座り、机の上でおもむろに対決を始めた。何人かが右と左に賭けていたと思う。そのうちにADさんが、まもなく本番ですと呼びに来た。</p><p>「僕ら収録があるから、君、見といて、結果教えて。」とスタジオに消えた。私は、言いつけ通り、勝負の行方を見守った。その見守りは、30分ほど続いた。本当にどっちが勝つか、テント君本人にもわからなかった。やっと勝負がつき、右手が勝った。</p><p>収録が終わり、上岡さんが興味津々に「どっちが勝った？」と聞かれたので「右です。」と答えた。テント君は、「ちょっと左がバテてしまいました。」と真剣に答えていた。そのテント君は、師匠より早く亡くなってしまった。その時、上岡さんは、ほんとうに悲しそうで、相当ショックを受けておいでだった。なにしろ、二代目として上岡龍太郎の名を譲ろうとしたのだから。上岡さんも、まさか断られるとは思っていなかっただろう。</p><p>上岡龍太郎さんとの思い出は尽きない。</p><p>上岡さん、天国でノックさんや米朝さんと、楽しく語らってください。</p><p>ありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12805960650.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Jun 2023 14:55:59 +0900</pubDate>
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<title>落語デイズ　笑福亭銀瓶君の充実～新開地喜楽館～</title>
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<![CDATA[ <p>楠公祭興行の喜楽館昼席へ</p><p>まず、23日。トリの銀瓶君は、「井戸の茶碗」を。この話の留意点は、江戸落語と違い、上方では、演じることが少ない侍だ。侍口調を意識するあまり、若侍の高木佐久座衛門まで、おさまりかえって演じてしまい、浪人で壮年の千代田卜斎と変わらない年恰好に見えてしまうことだ。この点、銀瓶君はよく心得ていて、しっかり演じ分けていた。眼目は、「嫁ぐならあのような若者」と、卜斎が娘と話していたというところ。今時なので、父親が勝手に娘の結婚相手を決めている、という批判をかわしているのだ。</p><p>露の新治さんに習ったという。さすが人権派だと感じさせられた。</p><p>25日は、「はてなの茶碗」。桂米朝師の名演があるので、桂系の噺とのイメージがあるが、最近は流派を越えて、演者のニン（任・人）に合えば、こだわりなくやるようになってきた。六代目松鶴師が、可愛がっていた先代小染にお家芸とも言える「らくだ」を伝授したのは有名な話。六代目は、頑固でわからずや的に思われがちだが、落語や落語家のことは、むしろ繊細に捉えていた。その話は、当代がしっかり受け継いでいる。</p><p>さて、銀瓶君のはてなは、オーソドックスに演じられ、好感が持てた。欲を言えば、茶金に今少し貫禄・押し出しが出れば申し分ない。</p><p>銀瓶君は相変わらず、勉強家で、きっちり描く。それが彼の真骨頂とも言えるのだが・・・</p><p>もう少し、噺を楽しんだり、予定調和的ではなく、破れてもいいのではないだろうか？</p><p>ぼちぼち中堅から脱して、ベテランの域に差し掛かるキャリアだ。破れたり、壊れたりする時間はあまり残されてはいないから。</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12805017008.html</link>
<pubDate>Sun, 28 May 2023 18:32:20 +0900</pubDate>
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<title>さらば寿一実君</title>
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<![CDATA[ <p>今朝福岡のシンガーソングライター野田かつひこ君から、DMが届いた。</p><p>寿一実君が亡くなったと。福岡支社のスタッフに確認すると、3日前に癌で、ということだった。</p><p>彼と初めて会ったのは、私が吉本興業に新入社員として入った、1980年だった。研修でなんば花月に配属され、楽屋に挨拶に行った時だったと思う。岡八郎さん、木村進さんがいたと記憶している。それより印象に残ったのが、お茶子（楽屋の世話係）のおくろさんだった。細面で細身、いつも怒ったような表情だった。中川一美君（当時）も新喜劇に出ていたと思う。あるいは梅田花月だったか？</p><p>当時の中川君は、中堅で、すでに禿げていた。カツラをかぶって出てきて、騒動の最中にカツラが脱げて、暗転、という役柄が多かった。芝居はオーソドックスで、間がよく、ツッコミも正確だった。出会えば挨拶を交わす程度で、特に親しいというわけでもなかった。そのうち研修期間が終わり、私は、制作部のマネジメントと京都花月のアシスタントプロデューサーとして働き始めた。</p><p>時はマンザイブームの前兆期で、仁鶴さん文珍さん以外に、のりおよしおさんも担当していたので、結構忙しかった。仁鶴さんは、週二回東京へ通っていた。当然私も同行した。それ以外に忙しくなり始めていた文珍さんの現場や、毎週日曜日夜には、京都花月に入り、月曜日の初日を迎えていた。その合間に、のりおよしおさんの東京行き（「笑ってる場合ですよ」）にも同行したりと、かなりハードだったと思うが、現場にいるのが楽しかったので、苦にはならなかった。</p><p>あっという間に4年が過ぎ、1984年9月に東京事務所への転勤が決まった。</p><p>それからの6年間は、木村所長の元、現場が3名、事務所スタッフ1名で、東京へ来るタレントをほぼカバーしていた。三枝さんとやすきよさんだけ、大阪からMGが同行したが、ほかの芸人さんは東京駅や羽田空港で、我々が受けた。慣れている仕事に関しては、直接局へ直入りしていただいた。東京での生活は充実したものだったが、それはまた、別の機会に。</p><p>200年1月に大阪本社へ戻ることになり、しばらく、大阪での現場を回っていた。ある時に、先に大阪に帰っていた木村さんに、梅田花月の新喜劇を見てくるように指示を受けた。当時、吉本新喜劇やめよっかな？キャンペーンの真っただ中だった。</p><p>当時の新喜劇は、すでにベテランはいなくなり、若手中心に動いていた。梅田花月では、見たことのない若手が、盛んにフラッシュを浴びていた。板尾創路君だった。ただ、新喜劇は芝居として楽しめるものでは無かった。若い女性客以外は、完全に引いていたのだ。</p><p>次の日、会社に出て、木村さんから感想を求められ、正直に応えたら、「ほな君がやってくれ。」と突然口頭辞令を出された。後で考えたら、こうなることを予測して、木村さんが梅田へ行かせたのだと気づいた。要するに、誰もやりたがらない改革途上の新喜劇に、事情を知らない東京帰りの私があてがわれたのだ。要するに嵌められたのだ。これが、私の長い新喜劇との付き合いの始まりだった。その後、マネジメントや広報などを経て、1997年、福岡事務所への異動が決まった。</p><p>そこで久々に、中川一美こと、寿一実君に再会したのだ。</p><p>彼は劇場で華丸劇団の中心人物だった。座長の華丸君はじめ座員から頼りにされていた。当時彼は、ワンボックスカーに家財道具を積んで、サウナで寝泊まりしていた。後輩の部屋に転がり込んだり、私の部屋にもたまに泊りに来ていた。</p><p>華丸大吉君やその後輩と飲みに行くときには、たいてい中川君もいた。</p><p>（つづく）</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 08 May 2023 13:11:28 +0900</pubDate>
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<title>TV界の言葉がデタラメ　詐欺的誤用の氾濫に目を疑う</title>
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<![CDATA[ <p>テレビ界で使われる言葉が無茶苦茶になってきた。</p><p>NHKの番組でも、普通の工場ロケが”潜入”になってしまう。名前や目的を偽って入社し、その施設で隠し撮りをする、これが潜入ロケだろう。しかし、その番組では、”○○（出演者）が××工場に潜入”とテロップが入り、中に入ると、普通に担当者が待ち受けていて、挨拶して、打ち合わせしたであろう段取りでロケが進んで行く。いよいよ心臓部へ入ろうかというところで、”ここからはカメラNGで”と、取材拒否される。</p><p>ZAZYではないが、「なんそれー！！」と絶叫したくなる。これでは詐欺ではないか？怒るでしかし！やがな。</p><p>昨日もKTV「よーいドン！」の凄腕ワーカーというコーナー（担当は銀シャリ）で、ミズノのミズノテクニクス養老工場へ。バット職人の取材だった。セリーグパリーグでそれぞれ一人が担当しているというバット工房に入り、セリーグ担当の名和さんへの様々な工程やどんなプロ野球選手のバットを作ているかなど、興味深い取材が続く。そして、ロケの核心部分になり、（村上選手とのやり取りを名和さんが）”マル秘エピソードを激白”とテロップが入りCMへ。開けて名和さんのコメント。「村上選手は新人で初めて来た時から、（どんなバッティングをしたいか）要望が的確だった。」と淡々と語った。何がマル秘やねん！？どこが激白やねん！？と呆れた。</p><p>テレビで語って差し支えない内容のコメントがマル秘で、普通のトーンでしゃべっているのが激白なのだ。</p><p>CM明けも見てほしいからと、詐欺的な惹句で視聴者を惑わす、下品なやり口だ。こんな視聴者を馬鹿にするようなことをしていたら、地上波テレビは益々世間から見放されるだろう。</p><p>40年以上この業界に関わっている者として、放ってはおけない、危険水域に入っている。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12794265506.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Mar 2023 12:25:52 +0900</pubDate>
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<title>笑瓶ちゃんのこと</title>
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<![CDATA[ <p>笑福亭笑瓶ちゃんとの出会いは、1981年、彼が鶴瓶さんに弟子入りしてすぐだった。私はその頃、吉本興業入社二年目で、笑福亭仁鶴さん、桂文珍さん、西川のりお上方よしおさん、太平サブローシローちゃん、京都花月のAPなど担当し、忙しくしていた。</p><p>当時は、文珍さんをフォローすることが多く、特に、朝日放送の「The　Big！」という番組は、土曜日の深夜生放送だったので、現場のABCホールへ行くことが多かった。板東英二さんが司会で、文珍さん鶴瓶さんがアシスタント。視聴者参加のビンゴゲームで一番最初にビンゴした方に連絡し、放送終了時までにホールに来れば、車がもらえる、という番組だった。（記憶は曖昧）</p><p>そこで出会ったのが最初だったと思う。年も一緒で、互いにお笑いが大好きだったので、楽屋で生放送を見ながら、ずっとしゃべっていた。</p><p>一番の思い出は、桂楽珍君（当時は中山青年）が文珍さんに弟子入り志望で来ていて、文珍さんから、我々二人に、アドバイスするよう頼まれた。本番中に、中山青年と話をした。徳之島出身で、日本語とは思えないような言語を使う彼に、ふたりがかりで、弟子入りをやめるように説得した。訛りがひどいし、大阪とは文化が異なるので、苦労するのが目に見えていたからだ。</p><p>それでも中山君は、意思を通し、入門が許された。今では東西を通じて、落語界で独自の地位を気づくほどになった。われわれの眼鏡違いだった。</p><p>それから84年に私が東京事務所に転勤したので、「突然ガバチョ！」などでの活躍は知らなかった。濃い付き合いは、MBSのヤンタン金曜日からだ。笑瓶ちゃん、根本要ちゃんと、私が担当していた野沢直子の三人で、88年1月からスタートした。</p><p>ディレクターは、明石家電視台も兼務していた、増谷さん、ベテランの宇野さん、松本務さん、阪大での新人杉浦さんとバラエティ豊かで、今や読売テレビの解説委員高岡君が、アシスタントの学生アルバイトだった。</p><p>すぐに三人と構成の水野君、私と仲良くなり、仕事というより、偏差値低めの大学の緩いサークル活動のようなノリで、楽しかった。まだ、千里に毎日放送があった時代だ。毎回放送終わりで、三人と水野君、私で、飲みに行った。</p><p>ヤン金バンドを募集し、そのライブの打ち上げで、酔っぱらった私は、リクエストに応え、吉本新喜劇のギャグを披露した。岡八郎さんの「隙があったらかかって来んかい！」や、木村進さんの、立ってるところからジャンプして、椅子に正座するやつとか、今考えれば、若いとはいえよくやったものだ。皆がよく笑ってくれたから調子に乗ってしまった。</p><p>90年1月に大阪に転勤になり、私は野沢直子の現場から離れたので、ヤンタンの現場に行くことも無くなった。</p><p>それでも、「大阪ほんわかテレビ」などで、時々顔を合わせた。いつも、「おぉ～！野山ちゃん」と笑顔で迎えてくれた。合うとたわいもないバカ話、最近の互いの身近なネタで盛り上がった。</p><p>最後に会ったのは、笑福亭松之助師匠のお別れ会だった。ゴルフ場で倒れてから初めてだったので、彼の体調を気にかけて、普段と違い、ちょっと真面目な話をした。今となってはそれが最後になってしまった。もっと、いつもの様にアホ話をしておけばよかった。</p><p>年齢が一緒で、芸能界でのキャリアもほぼ同じ。芸能界での数少ない友人と呼べる一人だった。その彼、笑福亭笑瓶が逝ってしまった。残念至極とはこのことだ。</p><p>また、折に触れて、彼のことは書いていきたい。</p><p>笑福亭笑瓶君、ほんとうにありがとう。天国で楽しく過ごしてください。さようなら。</p>
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<pubDate>Tue, 28 Feb 2023 13:04:55 +0900</pubDate>
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<title>大久保正陽調教師　福永洋一騎手　エリモジョージ</title>
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<![CDATA[ <p>先日、大久保正陽調教師（元）が逝去された。ナリタブライアン（南井克己）をクラシック三冠＋有馬記念馬に育てた名伯楽だ。</p><p>また、引退を決めた福永祐一騎手が父洋一と共に、お世話になった方でもある。</p><p>私が忘れられない管理馬は、エリモジョージだ。千鳥ではないが、稀代の癖馬と呼ばれるほど、”クセがすごい”馬だった。気まぐれジョージと呼ばれ、440キロながら、斤量や馬場状態に関係なく、走る時は走り、走らない時は全く走らない、天才福永洋一をしても、「本番でスタートを切るまでわからない」と言わしめた馬だった。</p><p>とにかく、気分良く逃げれば、決してバテない馬で、その気分が調教師も騎手にもわからなかったのだ。</p><p>特に印象に残っているレースが二つある。</p><p>一つ目は、76年の天皇賞春は12番人気で迎えた。淀の3000メートル（芝不良）を、コクサイプリンス（井高淳一）やロングホーク（武邦彦）、イシノアラシ（加賀武見）を従え、3馬身ほどの差をつけ、淡々と逃げた。それでも4コーナーではロングホークに1馬身に詰め寄られる。が、福永の鞭に応え、二の足を繰り出し、猛追してきたロングホークを首差退けた。</p><p>二つ目は、78年の宝塚記念（二番人気）。共に三強と呼ばれたグリーングラス（岡部幸雄）ホクトボーイ（久保敏文）をあざ笑うように、10馬身以上の差をつけ、大逃げを図った。これがまんまと嵌り、4馬身差で勝ったのだ。まさに痛快な競馬だった。</p><p>これら2レースは、天才と気まぐれが、見事に共鳴し合い、まさに、人馬一体となった、福永洋一騎手にも、エリモジョージにとっても会心のレースだった。</p><p>その福永洋一騎手も、落馬事故で復活ならずも、息子の祐一が跡を継いだ。大久保正陽は息子龍志が調教師となり、孫友雅は騎手になった。</p><p>一方のエリモジョージは、引退式で池添兼雄を振り落とすという曲者ぶりを発揮した。その後、種牡馬となり、三代前がハイペリオンとネアルコという良血だったが、目立った産駒は出せず、引退した。</p><p>主戦騎手池添兼雄は、その後調教師となり今も現役で、長男謙一は騎手、次男学は同じく調教師としてそれぞれ活躍中だ。</p><p>ライバルだったロングホークの主戦騎手武邦彦（その後調教師から解説者）の三男は言わずと知れた豊、四男幸四郎は騎手から調教師という、父と同じ道を辿っている。</p><p>ブラッドスポーツと呼ばれる競馬だが、それは馬だけではないことがわかる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12790189345.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Feb 2023 12:56:40 +0900</pubDate>
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<title>ムズイハズイは使わない。使わない言葉が増殖中。</title>
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<![CDATA[ <p>もうすっかり日常語・俗語として定着している、ムズイハズイ。私は決して使わない。発するとなんか気持ち悪いし、決して頭の良い響きではないからだ。</p><p>5分10分も使わない。状況によっては、5分と10分では大違いだからだ。5分ほど、10分ぐらいでいいではないか。</p><p>真逆も使わない。正反対の何がいけないのか？ただインパクトを求めているだけだろう。逆は逆なので、真をつけても意味はさほど変わらない。強調感は出るだろうが。</p><p>それで言えば、インパクトを求めて、強い言葉を使いたがる傾向がある。</p><p>例えば、悲願。これは念願の先にある言葉のはずだが、高校スポーツなどでも使われる。</p><p>東北の悲願、深紅の優勝旗が白河の関を越えました。これは正解。東北の方々にとって、野球人に限らす、長年の念願だったからだ。</p><p>だが、高校生に対して、「○○選手、悲願のインターハイ制覇。」これはいただけない。インターハイは高校総体だから、せいぜい三年。悲願はおかしい。例えば、親子二代かかっての優勝とか親子とも制覇ならば、「○○選手親子で悲願達成」ならば理解できるが。</p><p>いずれにしても、NHKのアナウンサーでも、スポーツ中継で絶叫する時代。正しいかどうかよりも、より強い言葉をより強い言葉を使いたがるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/313487mn/entry-12789424821.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Feb 2023 15:54:24 +0900</pubDate>
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