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<title>もときのブログ</title>
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<title>”‥またもしよろしかったら‥よろしくお願い申し上げます‥”</title>
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<![CDATA[ 音楽活動充実しているようですね。僕も時々LINEで歌っていますが、僕の単身赴任先には歌える場所が少なく、ここしばらくLIVE出来てません。😿 また林君のピアノを聴かせて下さいね。
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12438487703.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Feb 2019 18:45:20 +0900</pubDate>
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<title>”‥またもしよろしかったら‥よろしくお願い申し上げます‥”</title>
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<![CDATA[ 音楽活動充実しているようですね。僕も時々LINEで歌っていますが、僕の単身赴任先には歌える場所が少なく、ここしばらくLIVE出来てません。😿 また林君のピアノを聴かせて下さいね。
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12438486704.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Feb 2019 18:45:20 +0900</pubDate>
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<title>”‥１拍目‥”</title>
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<![CDATA[ <div>何処で聴けますか？私はあなたのピアノが30年以上前から大好きですよ！</div><iframe class="reblogCard" height="234px" width="100%" scrolling="no" frameborder="no" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/takuya-hayashi/entry-12304682147.html?reblogAmebaId=334623" data-ameba-id="takuya-hayashi" data-entry-id="12304682147"></iframe><div><br></div>
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<pubDate>Fri, 25 Aug 2017 23:34:36 +0900</pubDate>
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<title>”どこでもピアノ”</title>
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<![CDATA[ <div>久し振りです。岡本です。君のピアノが今でも大好きです。僕もまだ歌っていますよ。君程活躍していませんが、もし良ければまた一緒にやりたいです。</div><iframe class="reblogCard" height="234px" width="100%" scrolling="no" frameborder="no" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/takuya-hayashi/entry-12283961743.html?reblogAmebaId=334623" data-ameba-id="takuya-hayashi" data-entry-id="12283961743"></iframe><div><br></div>
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<pubDate>Wed, 23 Aug 2017 00:20:58 +0900</pubDate>
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<title>ベーシストに戻る！セッションの嵐！</title>
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<![CDATA[ “九月”を離れて僕はベース＆ヴォーカルに戻った。羽中の家はいつの間にか同年代のロッカーのたまり場になり、色んな音楽仲間と知り合うことが出来た。僕は”九月”のような特定のバンドは組まなかった。その音楽仲間達の中でいくつかのセッションバンドが生まれ、僕は複数のバンドのベースやヴォーカル（ベース兼ヴォーカルが大半）をやるようになった。（もちろん小川や羽中ともセッションとして一緒にやったバンドもあった。）今から思えば、熱い時代だった。毎晩熱く音楽を語った。音楽的に一番充実していた時期かもしれない。これとは別に、アコースティックの世界でもソロシンガーとして活動を続けた。学校のライブではベーシストとして、ベース＆ヴォーカルとして、ソロシンガーとして何度も同じライブで出演した。この頃やった音楽は本当に多様であった。アーティストで言えば、ユーライアヒープ、ツェッペリン、ディープパープル、ＫＩＳＳ，ウルトラボックス、サンタナ、ジミー・ヘンドリックス、ビリー・ジョエル、ｔｏｔｏ、松任谷由美、浜田省吾、ハウンドドッグetc・・・。本当に色んな音楽の勉強をした時代だった。
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<pubDate>Sat, 19 Jun 2010 08:54:19 +0900</pubDate>
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<title>&amp;#34;九月”の解散</title>
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<![CDATA[ <div>“九月”の解散、それは突然やってきた。17歳の夏、僕は祖母のいる母の実家（和田山）に遊びに数日行っていた。そして夜帰って来たら、ドラムの小川から電話がかかって来た。「俺はもう我慢できない。九月を脱退する。」との宣言であった。話を聞くと僕の留守の間に、宮木宛にＫＧＦＦから急なライブの出演依頼があり、僕抜きでライブをやるので小川に時間を作れとの依頼が有ったそうだ。小川は僕の居ない“九月”のライブは出演できないとの返答をしたところ、かなり強引に出演命令?!が宮木から有ったらしい。小川もバンドよりもプライベートを優先させる部分も多少あるので気にはなっていたが、宮木の強引さは僕も我慢できない程になっていた。僕は“九月”離脱を決意した。その日の夜、羽中にもその話を伝えたところ、羽中も僕たちと一緒に脱退する意思を表明した。その後宮木から電話がかかって来た。小川のバンドに対する熱意が足りない、小川を外すとの事だった。彼は何も知らなかった、自分以外の全てのメンバーが離れ、事実上“九月”を解散する事が決まったことを・・・。</div><div>翌日僕は宮木の家に行き、僕と小川が“九月”を脱退する旨を伝えた。羽中は宮木と同じ学校なので、この場では脱退する事を告げなかった。（羽中は後ほど別の理由で宮木に脱退する旨を伝えることになっていた。）宮木はあくまでも強気だった。自分と羽中で“九月”をメジャーにすると宣言した。僕にとって中学時代から仲間であり、ライバルであった宮木との別れは辛かったが、彼の強引さや、優秀なドラマーである小川との別離を考慮したらこうするより仕方がなかった・・・。</div><div>“九月”は本当に良いバンドであった。今でもそう思っている。15歳からオリジナルに拘って活動をし、それなりの曲を作り、演奏してきた実力を考えると、あのまま活動を続けていたらいつかプロとしてデビューしてもおかしく無いレベルであったと思う。</div><div>この後、“九月”を解散したことを後悔する事も有ったが・・・、1979年8月、バンド名の由来である9月を待たずに“九月”は事実上解散した。</div>
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<pubDate>Sat, 05 Jun 2010 15:51:09 +0900</pubDate>
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<title>代表曲“君が想い出に・・・”発表！</title>
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<![CDATA[ <div>当時のKGFFのスターバンドの異人館はMCが上手く、ファンが多くいた。僕たち“九月”もそれにまねてMCを多くしたが全く受けなかった。そればかりかライブで与えられた時間を大幅にオーバーする等、厄介なバンドになってしまった。そんな中で更にエンディングがムチャクチャ長い“君が想い出に・・・”が完成した。なんと20分もかかる曲であるが、そのほとんどはエンディングであった。当然、KGFFのなかではヒンシュクをかったが、当時の僕たちはそんなことにも気がつかなかった。異人館が1時間演奏しているのに、何で俺たちが２０分しかもらえないのか・・・と言うのが当時の僕たちの考え方だった。今から思えば実績の無いバンドのくせにエラソーなことを考えていたものだ・・・。自分でライブを企画したり運営したりするようになった今から思えば申し訳ないことをしたと思っている。しかし、当時高校１年生だった僕たちにとって“君が想い出に・・・”は楽曲としては優れた曲として認知された。（もちろん長いエンディングを除いて・・・のことだが＜苦笑＞）　作詞・作曲は僕が担当した。</div><div>&nbsp;</div><div align="center">“君が想い出に・・・”</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">君が想い出の中に消えてゆく・・・　</div><div align="center">残された僕は成す術もなく　</div><div align="center">ただ小さな部屋の片隅で煙草などをふかしながら・・・</div><div align="center">自分を想い出の中に閉じ込めて　</div><div align="center">偽って生きる　ただ毎日こうやって　バカなくらしを送る</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">別れた女を忘れられずに　こうしてスネてみても</div><div align="center">バカだった自分への悲しみが込み上げるだけ</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">今では君が編んだセーターが</div><div align="center">崩れそうな僕の心を支えている</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">誰かを愛した女は主人公・・・</div><div align="center">悲しい物語は静かに終わる</div><div align="center">別れの後に残る涙は・・・</div><div align="center">ののしりと裏切りの裏返し</div><div align="center">愛の言葉もみんなうそっぱち</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">あの時君が死のうとしたあの剃刀は・・・</div><div align="center">今でも机の引き出しの奥にしまったままさ</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">君が編んだセーターが燃えてゆく</div><div align="center">僕の心がそれと一緒に崩れてゆく</div><div align="center">もう僕には生きる術もない</div><div align="center">新しくやりなおす力もない・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12550046283.html</link>
<pubDate>Wed, 26 May 2010 18:12:00 +0900</pubDate>
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<title>新バンド“九月”初ライブ、そしてKGFFに・・・</title>
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<![CDATA[ <div>最初の頃の“九月”はオリジナルは“九月のテーマ”だけで、主にビートルズのコピーから始まった。始めて合わせた曲は“ノーウェアマン”だった。当時三ノ宮の繁華街に有った、少しボロい?!みなと楽器が経営するスタジオで練習が始まった。歌・コーラスはガタガタでだった。本格的に電気楽器で合わせるのは僕を除いて始めてだった。その後練習場所は当時僕と小川が通っていた赤塚山高校の土曜日の授業が終わった後の教教室だった。</div><div>僕は当時未だ同好会だったフォークソング同好会と軽音楽同好会に、小川は軽音楽同好会に入っていたので、学校の機材を借りて練習した。違う学校でコミュニケーションがとりにくかった羽中にも少しずつ仲良くなっって行った。コミュニケーションが深まるにつれてバンドとしてのまとまりが出来てきていた。そして夏が過ぎた辺りに、ライブ出演のオファーが来た。1978年10月15日場所は昔ヴォーカルのレッスンを受けていたヤマハ神戸センターのエキジビションホールだった。同時フォークソング同好会でソロとして弾き語りをしていた僕のライバルだった、男性三人のアコースティックバンド“フリージア”も出演する事になった。出演バンドは神戸各地の高校で、初めての他流試合となった。僕たちは当時KGFF（神戸・ガッツ・フォーク・ファミリー）と言う音楽サークルのバンド“人力車”がライブで演奏していた“あなたの吸殻”をアコースティックで演奏した後、楽器をエレキに持ち替えてビートルズの“ティキット・トゥ・ライド”、新しく作ったオリジナル曲“街角”、そして“九月のテーマ”を演奏した。エレキバンドは僕たちだけだったので、ライブのトリを勤めさせてもらった。ライブは盛り上がった。生まれて始めて女子から声援をもらった。（笑）　このライブで今後ヴォーカルの良きライバルとなる東灘高校の岡田と出会った。彼はブルースが得意で、バラードが得意な僕と好対照の存在になる・・・。とにかく初ライブは好評のうちに終わった。その後前述のKGFFに入らないか？と宮木が提案した。当時のKGFFはあちこちのイベントで引っ張りだこのスターバンド“異人館”がいた。異人館は中学の時、放課後の教室で行われたライブで人気だった“人力車”のヴォーカルの村上先輩がメインボーカルを勤め、赤塚山高校のOBと在校生で作られたバンドだった。僕たちの憧れのバンドだった。僕たちは同じステージに立ちたくてKGFFに参加した。そしてデビューライブは12月2日に決まった。12月のライブは僕が書いた“冬の雨”と宮木が書いた”もどれない”を加え、当時の高校生バンドでは珍しく全曲オリジナル曲で構成した。</div>
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12550046279.html</link>
<pubDate>Wed, 19 May 2010 11:09:09 +0900</pubDate>
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<title>オリジナル曲中心バンド“九月”結成</title>
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<![CDATA[ <div>高校生になった。ビートルズのコピーバンドだった、宮木と山本とのバンドは解散の危機に直面した。なぜならば、三人とも違う高校に入ったからだった。そして山本から「柔道部に入るからバンド辞めたい。」と言って来た、何度も慰留をしたが、彼の決意は固かった。彼は少しヒョロっとしたところがあってひ弱そうだったので、中学のときは「ヒヨ」と呼ばれていた。このあだ名が嫌だったのだろう･･･。ギターとメインヴォーカルをしていた山本がバンドを辞めるのは、バンド解散を意味した。しかし、僕と宮木はむしろアコースティックギターのコピーバンドから、本格的に電気楽器を中心にしたバンド、それもオリジナル曲を中心にしたバンドを結成しようと画策した。</div><div>そして宮木は同じ学校（葺合高校）の羽中（彼とは生涯を通しての親友となるのだが･･･）をリードギターとして、そして僕は同じ学校（赤塚山高校）の小川をドラムとしてこの新しいバンドに迎えた。曲は中学のときから既に１００曲はオリジナル曲を作っていた僕が担当し、メインヴォーカルも僕が担当する事になった。（ヴォーカルレッスンの成果かも知れない･･･。）既にベースギターを買っていたにもかかわらず、宮木は僕がヴォーカルに専念できるようにサイドギターに回るよう希望した。ようやくベースがおもしろくなって来た頃だったので苦渋の選択だったが、当時ベースを弾きながらリードヴォーカルを取ると言う前例がまだ無い頃だったので、渋々ベースギターを宮木に貸して、僕は兄のエレキギターを借りた。</div><div>そして始めて4人が顔を合わせた1978年4月の事だった。ここに“九月”は誕生した。</div><div>バンド名の“九月”は僕が一年の中で夏が終わり少しもの寂しさが漂う“９月”が好きだったからだ。</div><div>そして“九月”として始めてのオリジナル曲“九月のテーマ”を発表した。これは中学時代に書いた曲をアレンジしなおしたもので、メンバー全員でアレンジをした。</div><div>&nbsp;</div><div align="center">九月のテーマ</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">通り雨に打たれながら　あなたはたたずむ</div><div align="center">両手に持ったスーツケース　その場におろして</div><div align="center">二人の愛の季節は今終わりを告げた</div><div align="center">君は今泣きながらさよならを言った・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">二人の愛の想い出詰まった</div><div align="center">僕の部屋の合鍵テーブルにおいて・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">次のバスが来れば君はもう僕の手の届かない</div><div align="center">どこか遠くの空の下で幸せになれるんだ・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">もう少し僕が大人で立派な人だったら</div><div align="center">きっと君を幸せにできただろう・・・</div><div align="center">そして君を誰にも渡さなかった</div><div align="center">さようなら　幸せになるんだよ・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">窓に隠れて涙を抑えて</div><div align="center">君の姿をまぶたに焼き付けたい・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">次のバスが来て見えなくなるまでは</div><div align="center">君はまだぼくの素敵な恋人だよね・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">君と出会ったあの日のことや</div><div align="center">二人暮らした日々が　走馬灯のように・・・</div><div align="center">君と写した写真も大切にしておこう・・・</div><div align="center">そしてまた今日からは一人ぼっちの暮らしに・・・</div><div align="center">灯の消えた暮らしに・・・</div><div align="center">&nbsp;</div><div align="center">&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12550046272.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 19:08:57 +0900</pubDate>
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<title>ヴォーカルメイツへ</title>
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<![CDATA[ <div>中学３年生になって、自分の不得手だったヴォーカルを習いたいと言う気持ちが強くなった。そして、親に頼んででヴォーカルの勉強をさせてもらえることになった。本当にベーシックなクラスではあったが、当時（今でも有るかな？）神戸の貿易センタービルの隣にあったYAMAHA神戸センターでヴォーカルメイツに入った。ヴォーカルメイツは当時はまだ多かったボプコンの作詞作曲の部に応募してくる作品を歌うのが主な役割だったが、第4回ポプコンで「あなたの心のかたすみに」と言う曲で入賞し、ヤマハがスポンサーをしていた深夜のラジオ番組「コッキーポップ」で年間人気曲ベスト５に入るという偉業？を成した松田晃先生が講師をしていたのが魅力的だった。ここで兄と共に大学生や社会人に混じって歌の勉強をした。実は当時までバスで一人で遠くまで通った事がなかった僕は、２系統と言うバスで通ったが、この路線が好きになり、沢山のオリジナル曲をこのバスに乗りながら考えたりした。また、時にはバスに乗らずにボーっと歩いたりもした。（この路線は歩いてもとても気持ちの良い山の手を走る路線だった事もあり、よく歩いた。特に秋は良い！）</div><div>いつしかこのクラスで２番目に上手い生徒となり、よくトップの女性とデュエットしたりもした。この頃学んだ事は今でも活きていると思う。冬休みに入ると、親から受験勉強に専念するように言われ、泣く泣くこのクラスを中退したが、最後の日に行われたクラスのクリスマスパーティで、始めて僕が中三である事を講師も兄以外の人も始めて知ってびっくりさせた事も今となっては良い想い出である。（みんな大学生だと思っていたみたいだった。）</div><div>高校受験を終えてクラスに帰ろうとYAMAHA神戸センターに行ったら、もうクラスは解散した後だった。既にポプコンで作詞作曲の部の応募や入賞曲がほとんど無く、自作自演の部が中心になったことも大きな要因だったと思う。既に基礎的なことは教えてもらっていたが、ヴォーカルを独学で磨いて行かなければならなくなった。</div><div>（今と違い、当時はヴォイストレーニングを行っているような楽器店はほとんど無かった。）</div>
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<link>https://ameblo.jp/334623/entry-12550046264.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Apr 2010 19:16:59 +0900</pubDate>
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