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<title>龍が玉を吐くようにいのちを吐く</title>
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<description>龍が玉を吐くようにいのちを吐く/追いつめられると/人間ぬくぬくしはじめるとろくなことをせぬ/台湾精誠の旅で脊髄チャクラひらく</description>
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<title>証言　柳光烈②歌十二番、書き写す間に覚える</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>柳光烈 ― 「貴方様の日に、私の日に」</div><div><p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></p><p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;">日本サンクチュアリ協会公式サイトはコチラ❣️</p><p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><span style="font-size: 1.4em;"><a href="https://sanctuary-japan.jimdoweb.com/" target="_blank" style="color: rgb(151, 102, 151);">https://sanctuary-japan.jimdoweb.com/</a></span></p><p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></p><p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;">二十歳頃のことである。<br></p></div><div>友人のキム・ジョンチョル君が、「ボクナムよ、お前が泣けば私の目から血が流れる」という一節で始まる民謡“十二番”を書き写していた。ところが私は、彼が書き終える間に、その内容をすべて頭の中に記憶してしまった。</div><div><br></div><div>もともと私は暗唱力には自信があった。</div><div>たとえば、日本の明治時代の「教育勅語」や、昭和期に青少年学徒へ与えられた勅語など、「覚えよ」と言われれば、何百人いる中でも二位以下になったことはなかった。</div><div><br></div><div>だが、その反面、忘れるのも早かった。しかも年を重ねるにつれて次第に衰え、最近では人に到底及ばないほどになってしまった。</div><div><br></div><div>幼い頃、故郷にいた時のことだ。</div><div>ある中年の尼僧が家に来て、私を指差しながらこう言った。</div><div><br></div><div>「この子は神様から授かった子だから、絶対に犬の肉を食べさせてはならない。」</div><div><br></div><div>その言葉のためか、私は生涯を通して一度も犬の肉を口にすることなく生きてきた。</div><div><br></div><div>私は、友人キム・ジョンチョル君の粘り強い勧誘にもかかわらず、理論的な是非ばかりを立て、なかなかイエスを信じようとはしなかった。</div><div>しかし解放後、苦学生だった友人・朴永圭（パク・ヨンギュ）の姿を見て、次第に心を動かされるようになった。</div><div><br></div><div>彼は冬でも夏服のまま過ごし、靴下さえ履かなかった。夜遅く帰宅しては、おこげ飯を食べながらも、いつも笑顔で、いつも感謝していた。</div><div>私はその生き方に強く打たれ、もはや反論することもできなくなり、ついにイエスを信じてメソジスト教会の信者となった。</div><div><br></div><div>その年、十九歳。解放翌年の春、私は江原日報の記者になった。</div><div><br></div><div>十九歳の時、アメリカ式学制によって九月一日に春川中学校夜間部へ入学した。そして教会へ通い始めるや否や、日曜学校の班長となり、キリスト学生会（KSCF）の詩演会・合唱会の初代文化部長にもなった。</div><div><br></div><div>ところが、二年も経たないうちにキリスト学生会は有名無実化してしまった。</div><div>私は「このままではいけない」と思い、役員会すら開かれない状況の中で、役員たちを説得し、書類上でも役員会の合意を成立させながら、</div><div><br></div><div>* 日曜学校対抗雄弁大会</div><div>* キリスト学生会雄弁大会</div><div>* 柳光烈文芸作品展示会</div><div><br></div><div>などを次々と開催していった。</div><div><br></div><div>役員たちは形骸化した役員会には出席しなかったが、宴会を開いて招待すれば、不思議と誰も欠席しなかった。</div><div>そして集まった後には必ず役員会を開き、最後には悔い改めの祈りを捧げたりもした。</div><div><br></div><div>そうした中、ある雄弁大会では、後にメソジスト教会の著名な指導者となる金字鐘（キム・ジャジョン）牧師――当時の江原日報社長――と、羅士行（ナ・サヘン）牧師を審査委員として招いた。</div><div><br></div><div>しかし、その方々が当時「進歩派」と見なされていたため、私まで同じ一派と誤解され、極右派の会長たちから暴行を受け、前歯を折られる事件まで起きた。</div><div><br></div><div>私は深く悩んだ。</div><div>「こんな教会にいて、何ができるのだろうか。イエスは信じる。しかし教会はやめよう。」</div><div><br></div><div>そう思い、教会の幼稚園教室で祈っていた時だった。</div><div>その時、心の中に一つの黙示が与えられた。</div><div><br></div><div>「愛とは、荷を下ろすことではなく、荷を負うことである。」</div><div><br></div><div>私はその言葉を受け、静かに立ち上がった。</div>
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<pubDate>Sat, 16 May 2026 14:42:34 +0900</pubDate>
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<title>【証言】柳光烈①坪村（ピョンチャン）に生まれた”天才”</title>
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<![CDATA[ <p style="font-size: 16px; padding: 0px; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%;">日本サンクチュアリ協会公式サイトはコチラ</p><div><a href="https://sanctuary-japan.jimdoweb.com/" target="_blank" style="font-size: 1.4em; caret-color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.05); -webkit-text-size-adjust: 100%; color: rgb(151, 102, 151);">https://sanctuary-japan.jimdoweb.com/</a></div><div>柳光烈 ― 「貴方様の日に、私の日に」</div><div><br></div><div>1．坪村に生まれた“天才”</div><div><br></div><div>1928年旧暦7月25日、私は江原道（カンウォンド）の中でもひときわ辺鄙な農村、春城郡東面坪村里（チュンソングン・ドンミョン・ピョンチョンリ）191番地で生まれた。</div><div>父は漢学者であり、先覚的な農夫でもあった柳根榮（ユ・グンヨン）氏、母は南陽洪氏。四人姉妹の中で、私はただ一人の男の子だった。</div><div><br></div><div>七歳になると村の寺子屋へ通い始めた。年齢は最年少で、まだ幼子のようだったが、「千字文」を覚えるのに二十日しかかからなかった。貼り付け（復習）の段階になると、もはや先生に教わる必要を感じず、一人で進めていった。</div><div><br></div><div>私は一人、「天地玄黄、宇宙洪荒……」と唱えながら必死に暗記した。初日には本の半分、すなわち「鳳八卦」まで覚え、翌日には後半の終わり、「焉哉乎也」まで暗記した。そして三日目には本を閉じたまま、千字文二百五十行を一気に読み通したのである。</div><div>そのため、先生であった申泰燮（シン・テソプ）氏は、私を「坪村の天才だ」と言って噂した。</div><div><br></div><div>その後、東興の寺子屋でのことだ。立ったまま日本語の本を読んでいた私は、ある漢字でつまずき、五分ほど考え込んでいた。ようやく答えが浮かび、口を開こうとしたその瞬間、私よりはるかに体格の良かったビョン・ホソク君が、見かねて先に答えを言ってしまった。互いに運が悪かった。</div><div><br></div><div>私は悔しさのあまり、わんわん泣きながら両拳で坊主頭を何度も叩いた。授業は中断され、教室は修羅場のようになった。</div><div>しかし、その寺子屋で二度試験を受け、二度とも一等を取った。</div><div><br></div><div>また、品安簡易学校では、「年齢が一歳足りない」という理由で入学を断られた。だが私は諦めなかった。</div><div>一ヵ月半もの間、毎日のように校門の外で朝会が終わるのを待ち、泣きながら、時にはいじめられながらも子供たちについて行き、その傍らで勉強を続けた。そして最初の学期には七位になったこともある。しかもクラスの三分の一は前年の落第生だった。私は昔から、少々粘り強い性分だったようだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>最後までお読みくださりありがとうございます🙇‍♀️🌸<br></div><p>応援クリックをよろしくお願いいたします✨</p><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/worldpeaceandunificationsanctuary/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/philosophy/worldpeaceandunificationsanctuary/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ"></a><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/worldpeaceandunificationsanctuary/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank">にほんブログ村</a><br><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/uc/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/philosophy/uc/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ"></a><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/uc/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank">にほんブログ村</a>
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<pubDate>Sat, 16 May 2026 00:29:20 +0900</pubDate>
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<title>「大山君子さんの証」歌にして前線で歌っていました（1988年）</title>
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<![CDATA[ <div>文鮮明先生御言選集 1956年代のアボジの御言を古い順から掲載している「サンク広報局長」ブログの愛読者です。</div><div>https://ameblo.jp/sanctuary-matsudo/entry-12965955457.html</div><div><br></div><div>一つ前の記事に登場する大山君子さんとの出会いは、1988年5月韓国聖地ツアーです。万物復帰でキャラバン部隊にいた私でしたが、春先に伝道部の勤労青年たち少数に混ざって韓国ツアーに参加しました。ツアーのスケジュールの中に「大山君子さんの講話」があったのです。お話をメモしました。忘れないようにと曲もつけました。再びキャラバン部隊に戻った私は前線の合間に歌って記憶している歌です。その年10月30日に祝福の恩恵に預かりました。それから数年後、聖地ツアーで一緒だった兄弟と顔を合わせる機会がありました。大山君子さんの証に曲をつけた歌を披露しました。一気に大山君子さんの世界に浸ることができました。様々な苦労話を次々と思い出されてきたのです。</div><div>…………</div><div>▪️罪を終えました</div><div><br></div><div>エバ国の罪をお金で数えたら/もうそろそろ終わる頃だねと</div><div>(アボジのみ言)</div><div>1987年盧泰愚大統領に背広を選んで/着せて差し上げる夢を見ました</div><div>(大山君子さんがみた夢)</div><div>しもべが終わって妻の時代圏に/復帰されたエバ国の使命は/はるかにはるかに大きな願いがある/すべてを包み込む母親のように/世界にいのちを捧げ尽くして/罪を終えました</div><div>…………</div><div>聖地巡礼ツアーの際、大山君子さんは小型ラジオを持参していらっしゃいました。「日本に留学中の息子に渡して欲しい」と先にあげた兄弟に依頼していたことを思い出しました。<br></div><div><br></div><div>詩人の柳光烈氏(歴史編纂委員会委員長)の詩に関心を持っています。大山君子さんの相対者の方です。いま長文の証を読んでいるところですが、非常に味わい深く面白いのです。これほどまでに優秀なお二人のご子息がどれほど素晴らしい方であるのかと想像します。柳光烈氏の証の恵みを、次回のブログにあげていき恵みを共有します。</div>
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<pubDate>Wed, 13 May 2026 17:38:33 +0900</pubDate>
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<title>「しあわせってなんだろう」野村先生が赤いネクタイを買ってくださいました</title>
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<![CDATA[ <p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">野村先生との出会い。今から30年ほど前のことです。ネクタイ販売3日路程で渋谷ビル街を訪問活動していたら、ある事務所に入っていくことが出来ました。おおよそ皆さんは無反応でしたが、ある方が赤いネクタイを手に取って、すぐに買ってくださったのです。私はどういうわけかすぐにわかりました。「しあわせってなんだろう」の野村先生だということを。先生の効果で周りの方々がどれどれと作業を中断してネクタイを選びはじめました。大盛況でその場をあとにしたのです。野村先生、その節はありがとうございます。先生が協力されたあの時の姉妹は、いま「しあわせってなんだろう」の韓国語バージョンと、中国語バージョンが歌えるように、密かにノートに書き出しています。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">…………</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">【聖歌】「しあわせって何だろう」</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">希望・愛と美・信仰を表現した歌です</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">一九六七年五月のことでした。東洋大学の講師だった野村健二先生は、授業の始まる一時間か三十分前に行って準備をするのが常でしたが、その道で、ふっと、この歌の最初の一行が浮かんできたのだそうです。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">「しあわせってなんだろう」と。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">野村先生はベストセラーになった『窓ぎわのトットちゃん』と同じトモエ学園出身で、創造性費かに育ったかたです。歌を作るときも、言葉とメロディーが同時に浮かんでくるということです。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">「私の関心は愛よりも、創造性とか向上のほうに強く向けられるんです。だから、幸せってなんだろう、という問いかけに、初めに浮かんだイメージは三番の『ひばり』なんです。どんなに高く飛んでも、まだ上には空があるじゃないか。それがとても気に入りました。どれだけ行っても先がある、どこまでも向上していける喜びですね。だから</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">しあわせってなんだろう</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">三番を最初に作って、あとから、一番（愛）、二番（美）、そして四番（仰）というふうに作っていきました。三番は希望を表していたわけです」</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">今は教会員であればだれでも知っているこの歌も、作られた当初はあまりピンとくる人がいなかったようです。げらげら笑う人もいたようです。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">この歌をたまたま柳光烈先生の夫人、大山君子さんが覚えていて、文先生が「君子さん、何かうたってごらん」と言われたときに、初めてお聞かせしたというわけです。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">「それ、とてもいい。とてもいい歌だね」</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">文先生は非常に気に入られ、何度も聞いて覚えられ、ご自分で口ずさまれるようになりました。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">その後、何回か、責任者たちや学生たちが訪韓した際、先生はよく、この歌に合わせて踊るようにと言われました。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">「子どもみたいな気持ちになって踊るんだよ」</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">美しい澄んだ空、清平の湖の色、雪岳山の木々の色…..その中にこだまする歌声。ひばりのまね、羊のまね、狼のまねを、文先生もなさりながら踊り、三六家庭の先生がたも一緒に入り交じってうたい踊る楽しさ。それは今も忘れがたく、日本の教会員の胸に刻まれている思い出です。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">また、マジソン大会の前、アメリカに行っておられた野村先生を、文先生は船で一緒にマグロ釣りに連れていってくださいました。そのころ野村先生はうつうつとした心の状態でした。すると、当時十三歳くらいの孝進様が「あなたが「しあわせってなんだろう」を作った人でしょう。私はとてもあの歌が好きです」と、英語で話しかけてくださったのです。野村先生は、その孝進様の慰めを感じ、優しいかただとしみじみ思ったそうです。</p><p style="border: 0px; font-size: 19px; padding: 0px; vertical-align: baseline; caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">なお、リトルエンジェルスにもこの歌が推薦されたので、各地でうたわれ、レコードにもなりました。これからも「しあわせってなんだろう」は愛され、うたい継がれていくことでしょう。</p><span style="caret-color: rgb(51, 51, 51); color: rgb(51, 51, 51); font-size: 19px; -webkit-tap-highlight-color: rgba(8, 18, 26, 0.04); -webkit-text-size-adjust: 100%;">『聖歌のゆかり』（歌に秘められた主の心情路程 p228〜p230）&nbsp;</span><div><a href="https://philosophy.blogmura.com/worldpeaceandunificationsanctuary/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/philosophy/worldpeaceandunificationsanctuary/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ"></a><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/worldpeaceandunificationsanctuary/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank">にほんブログ村</a><a href="https://philosophy.blogmura.com/uc/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/philosophy/uc/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ"></a><br><a href="https://philosophy.blogmura.com/uc/ranking/in?p_cid=11214788" target="_blank">にほんブログ村</a></div>
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<pubDate>Wed, 13 May 2026 02:10:35 +0900</pubDate>
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<title>「しあわせってなんだろう」野村先生は赤いネクタイを買ってくださいました</title>
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<![CDATA[ <p>野村先生との出会い。今から30年ほど前のことです。ネクタイ販売3日路程で渋谷ビル街を訪問活動していたら、ある事務所に入っていくことが出来ました。おおよそ皆さんは無反応でしたが、ある方が赤いネクタイを手に取って、すぐに買ってくださったのです。私はどういうわけかすぐにわかりました。「しあわせってなんだろう」の野村先生だということを。先生の効果で周りの方々がどれどれと作業を中断してネクタイを選びはじめました。大盛況でその場をあとにしたのです。野村先生、その節はありがとうございます。先生が協力されたあの時の姉妹は、いま「しあわせってなんだろう」の韓国語バージョンと、中国語バージョンが歌えるように、密かにノートに書き出しています。</p><p><br></p><p>…………</p><p><br></p><p>【聖歌】「しあわせって何だろう」</p><p>　　　　　希望・愛と美・信仰を表現した歌です</p><p><br></p><p>一九六七年五月のことでした。東洋大学の講師だった野村健二先生は、授業の始まる一時間か三十分前に行って準備をするのが常でしたが、その道で、ふっと、この歌の最初の一行が浮かんできたのだそうです。</p><p>「しあわせってなんだろう」と。</p><p>野村先生はベストセラーになった『窓ぎわのトットちゃん』と同じトモエ学園出身で、創造性費かに育ったかたです。歌を作るときも、言葉とメロディーが同時に浮かんでくるということです。</p><p>「私の関心は愛よりも、創造性とか向上のほうに強く向けられるんです。だから、幸せってなんだろう、という問いかけに、初めに浮かんだイメージは三番の『ひばり』なんです。どんなに高く飛んでも、まだ上には空があるじゃないか。それがとても気に入りました。どれだけ行っても先がある、どこまでも向上していける喜びですね。だから</p><p>しあわせってなんだろう</p><p>三番を最初に作って、あとから、一番（愛）、二番（美）、そして四番（仰）というふうに作っていきました。三番は希望を表していたわけです」</p><p>今は教会員であればだれでも知っているこの歌も、作られた当初はあまりピンとくる人がいなかったようです。げらげら笑う人もいたようです。</p><p>この歌をたまたま柳光烈先生の夫人、大山君子さんが覚えていて、文先生が「君子さん、何かうたってごらん」と言われたときに、初めてお聞かせしたというわけです。</p><p>「それ、とてもいい。とてもいい歌だね」</p><p>文先生は非常に気に入られ、何度も聞いて覚えられ、ご自分で口ずさまれるようになりました。</p><p>その後、何回か、責任者たちや学生たちが訪韓した際、先生はよく、この歌に合わせて踊るようにと言われました。</p><p>「子どもみたいな気持ちになって踊るんだよ」</p><p>美しい澄んだ空、清平の湖の色、雪岳山の木々の色…..その中にこだまする歌声。ひばりのまね、羊のまね、狼のまねを、文先生もなさりながら踊り、三六家庭の先生がたも一緒に入り交じってうたい踊る楽しさ。それは今も忘れがたく、日本の教会員の胸に刻まれている思い出です。</p><p>また、マジソン大会の前、アメリカに行っておられた野村先生を、文先生は船で一緒にマグロ釣りに連れていってくださいました。そのころ野村先生はうつうつとした心の状態でした。すると、当時十三歳くらいの孝進様が「あなたが「しあわせってなんだろう」を作った人でしょう。私はとてもあの歌が好きです」と、英語で話しかけてくださったのです。野村先生は、その孝進様の慰めを感じ、優しいかただとしみじみ思ったそうです。</p><p>なお、リトルエンジェルスにもこの歌が推薦されたので、各地でうたわれ、レコードにもなりました。これからも「しあわせってなんだろう」は愛され、うたい継がれていくことでしょう。</p><p>『聖歌のゆかり』（歌に秘められた主の心情路程 p228〜p230）</p>
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<pubDate>Mon, 11 May 2026 02:24:24 +0900</pubDate>
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