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<title>3iderのブログ</title>
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<description>映画や本、日々の暮らしの中で考えたことを書いています。</description>
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<title>自然への逃避行</title>
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<![CDATA[ <h1>自然への逃避行</h1><h3>何気ない日常への憧れ</h3><p>いつか田舎に住みたい。</p><p>縁側で日向ぼっこをして、野良猫に餌をあげる。お昼になったら、近くの海辺まで出かけて、波の音を聞きながら昼寝をする。</p><p>社会の雑音に疲れたら、森に入り、木々のざわめきや鳥の声に耳を傾ける。</p><p>いつか、そんな暮らしをしてみたい。<br>&nbsp;</p><h3>何から逃れたいのだろう</h3><p>頭の中がうるさくて、眠れない夜があった。</p><p>深夜、車に乗り込み、星を見に出かけた。</p><p>何時間もかけて、ほとんど車の通らない高速道路を走り、獣たちも寝静まった夜の山道をひたすらに進んだ。</p><p>時折、物音に反応した動物が、何事かとこちらを覗き込むことがあった。</p><p>不思議なことに、そんな瞬間も恐怖は感じなかった。</p><p>ただ、夜の山を走り続けていた。</p><p>あのとき、私は何かから逃げていたのだと思う。</p><p>それは社会なのか、親なのか、友人なのか。</p><p>それとも、私という人間そのものなのかもしれない。</p><p>何から逃れたいのか、自分でもよくわからない。</p><p>ただ、自分のことを誰も知らない土地で、誰にも気を遣わず、誰からも気遣われず、ただ時間を過ごしたかった。</p><p>何者でもない自分でいたかったのだと思う。<br>&nbsp;</p><h3>自然という隠れ場所</h3><p>私は自然の中へ行くことを、勝手に「逃避行」と名づけている。</p><p>頭の中を埋め尽くす言葉や思考、社会や人との関わり。そして、自分自身からも逃れるための時間。</p><p>自然は何も答えてくれない。</p><p>ただ、そこにある。</p><p>それなのに、自然の中にいると、何者でもない自分に戻れるような気がする。</p><p>誰にも見つからず、何にも縛られず、ただそこにいる。</p><p>自然は、そんな私をあらゆるものからそっと隠してくれる。</p><p>だから私は、今日も自然へ向かいたくなる。</p><p>逃避行。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ider/entry-12983524890.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Nov 2026 23:24:58 +0900</pubDate>
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<title>自分の中の辞書を増やしていく</title>
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<![CDATA[ <h1>自分の中の辞書を増やしていく</h1><div>&nbsp;</div><h3><b style="font-weight:bold;">やらない善より、やる偽善</b></h3><p>「やらない善より、やる偽善」という言葉が好きだ。</p><p>『呪術廻戦』の主人公、虎杖悠仁が口にした、</p><p>「一度人を殺したら『殺す』って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」</p><p>という言葉も好きだ。</p><p>&nbsp;</p><p>この言葉を聞いたとき、見て見ぬふりをすることにも、</p><p>どこか似たものがあると思った。</p><p>一度見て見ぬふりをすれば、「見て見ぬふりをする」という選択肢が</p><p>自分の中に入り込んでしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、いつでも正しい行動ができるわけではない。</p><p>踏み出す勇気が出ないこともある。</p><p>そんなとき、「やらない善より、やる偽善」という言葉に背中を押される気がする。</p><p>完璧な動機でなくてもいい。</p><p>誰かに褒められるためでも、立派な人間だと思われるためでもいい。</p><p>まずは行動してみることに意味があるのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><h3><b style="font-weight:bold;">正義感があるわけではない</b></h3><p>決して、正義感が強いわけでも、責任感が強いわけでもない。</p><p>仕事をさぼれるなら少しでもさぼりたいし、早く帰れるなら早く帰りたい。</p><p>いつも立派な人間でいたいわけではない。</p><p>ただ、自分の人生の中で、これだけは曲げてはいけないと思う考えがある。</p><p>それを守れるかどうかは、日々の小さな選択の積み重ねなのかもしれない。</p><p>誰かにどう見られるかよりも、自分自身がその選択をどう思うか。</p><p>そんなことを大切にしていたい。</p><p>&nbsp;</p><h3><b style="font-weight:bold;">自分の中の辞書を増やしていく</b></h3><p>アニメや映画、本は、実に多くの知恵や気づきを与えてくれる。</p><p>何気なく見ていた作品の中に、ふと心に残る言葉があったり、</p><p>今まで考えもしなかった価値観に触れたりする。</p><p>&nbsp;</p><p>そうして少しずつ、自分の中の辞書に、大切にしたい言葉が増えていく。</p><p>その言葉が、いつか迷ったときの判断基準になったり、</p><p>一歩踏み出すためのきっかけになったりする。</p><p>&nbsp;</p><p>娯楽から学んだっていい。誰かとの会話でも、日々の暮らしの中でもいい。</p><p>自分が大切にしたいものを、いろいろなところから見つけていきたい。</p><p>知識は少しだけ自分を賢くしてくれる。</p><p>そして、知ることや考えることは、自分の人生を少しずつ彩ってくれる。</p><p>これからも、自分の中の辞書を増やしていこう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ider/entry-12983204197.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Oct 2026 17:49:58 +0900</pubDate>
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<title>なぜ人は、人を理由にするのか 「あなたのために」という違和感</title>
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<![CDATA[ <h1>なぜ人は、人を理由にするのか</h1><h2>「あなたのために」という違和感</h2><div>&nbsp;</div><p>「あなたのために」</p><p>その言葉に、違和感を覚えた。</p><p>素朴で質素なものが好きなのに、高価で立派なものを買い与えられる。</p><p>けれど、私が欲しいのはそういうものではない。</p><p>どうしてそこに「あなたのために」という言葉を添えるのだろう。</p><p>それは本当に、私のためなのだろうか。</p><p>あなたがしたいことであって、私には必要のないことかもしれない。</p><p>それなのに、受け入れなければ責められる。</p><p>「せっかくあなたのためにしたのに」と。</p><p>&nbsp;</p><h2>善意という正当化</h2><p>誰かを思って行動すること自体は、悪いことではない。</p><p>けれど、自分が相手のためだと思ってしたことと、相手がそれを望んでいるかどうかは、別の話だ。</p><p><strong>善意は、相手に受け入れる義務を負わせるものではない。</strong></p><p>「誰かのために」という言葉は、ときにとても卑怯で、暴力的だ。</p><p>その言葉を盾にすれば、自分の行動を善意として語ることができる。相手が望んでいなかったとしても、自分は間違っていないと思える。</p><p>けれど、その言葉を受け取った人がどう感じたのか。何を強いられたのか。</p><p>そこには、目が向けられているのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><h2>相手を思うということ</h2><p>相手を思うことと、相手の気持ちを尊重することは、同じではない。</p><p>誰かのために何かをするのなら、その人が何を望んでいるのかにも目を向けてほしい。</p><p>そして、自分が選んだ行動は、自分の言葉で引き受けてほしい。</p><p>私はただ、自分の好きなものを好きだと言いたい。</p><p>自分が望まないものを、望まないと言いたい。</p><p>それだけで、誰かの善意を否定したことになるのだろうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ider/entry-12982830470.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Oct 2026 11:18:27 +0900</pubDate>
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<title>『イントゥ・ザ・ワイルド』が問いかける、自由になるということ</title>
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<![CDATA[ <h1 data-pm-slice="1 1 []">『イントゥ・ザ・ワイルド』が問いかける、自由になるということ</h1><div>&nbsp;</div><p data-pm-slice="1 1 []">映画の冒頭に流れる言葉。</p><p><em>Now I walk into the wild.</em></p><p>直訳すれば、「今、私は荒野へと歩き出す」。</p><p>その言葉が、まるで自分自身の人生を表しているように感じた。</p><p>漠然とした理想や目標を追い求めながら、社会という荒野を歩いている。</p><p>社会は私を縛りつけ、簡単には解放してくれない。何度、社会など無視してしまえばいいと思ったことだろう。しかし、社会を無視すれば、私は生きていけなくなる。</p><p>社会の中で生きることと、自分の思いに従って生きること。その間で答えを見つけられずにいる私にとって、『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画は、深く心に響くものだった。</p><p>&nbsp;</p><h2>本質と真実を求めて</h2><p>この物語の主人公は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉を引用する。</p><p><em>Rather than money,<br>than love,<br>than fame,<br>give me truth.</em></p><p>お金よりも、愛よりも、名声よりも、真実を与えてくれ。</p><p>彼が求めていたのは、社会的な成功や他人からの評価ではなく、物事の本質と真実だったのではないだろうか。</p><p>そして彼は、その答えを自らの人生を通して確かめようとした。</p><p>社会の中で生きていると、朝が来れば服を着て、仕事へ向かう。休日になれば、なんとなく友人と会い、なんとなく時間を過ごす。</p><p>それ自体が悪いわけではない。けれど、日々の生活を繰り返すうちに、私たちはいつの間にか、自分が何を大切にしたかったのかを忘れてしまうことがある。</p><p>社会は、ときに私たちの目を曇らせ、本当に見たいものを見えなくさせる。</p><p>&nbsp;</p><h2>自由になるということ</h2><p>なぜ働くのか。その意味を常に問い続けるべきだと言いたいのではない。</p><p>ただ、社会の中で生きていくとしても、自分自身を見失わずにいたい。何を大切にし、何を大切にして生きていきたいのか。それを考えることを、やめたくないのだ。</p><p><em>Now I walk into the wild.</em></p><p>今、私は荒野へと歩き出す。</p><p>私たちの歩みは、止めてはいけない。</p><p>それは、社会から逃げ出すことなのだろうか。それとも、社会の中に身を置きながら、自分自身の答えを探し続けることなのだろうか。</p><p>自由になるということは、何もかも捨て去り、簡素に生きることなのか。</p><p>それとも、社会と折り合いをつけながら、その中に自分を見失っていくことなのか。</p><p>まだ、答えは出ていない。</p><p>けれど、自分にとっての自由とは何か。その問いを持ち続けることから、始めてみたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ider/entry-12982742918.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Oct 2026 14:32:10 +0900</pubDate>
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