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<title>仕事とA-yaと人生と</title>
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<description>A-yaの音楽に触発されて、いろいろ書きたくなったこと</description>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その97</title>
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<![CDATA[ <p>明けまして　おめでとうございます。</p><p>本年もマイペースでボチボチやっていきますので、よろしくお願いいたします。</p><br><p>前回は「この想い届け」について少々書きましたが、もうひとつ　あーやがあの震災の被災者に寄り添う中で生まれた作品が「あいのうた」ですね。</p><p>これは震災でお子さんを亡くされた　お母さんの心を歌ったものということですが、「この想い届け」と同様に胸に迫るものがあります。</p><br><p>　今年も君がいない季節を</p><p>　過ごすのはつらくて</p><p>　何度も自分を責め続けた</p><p>　あの時君を守れなくて　ごめんね</p><br><p>つらい想いを抱えているひとに寄り添う　ということが見事に表現されていると思います。</p><p>ただ、この２作品については　言葉の表現によって　余すことなくその想いを伝えていますので、このブログで　ああだこうだと　書く必要は全くないですね。</p><p>つらい状況にあるひとに　心から寄り添う　あーやの心情にただただ感動しています。</p><br><br><p>さて、話題は変わりますが、例の「信長の野望」　始めてしまいました。</p><p>予想通り、はまってしまいます。</p><p>このシリーズは　３０年前の第一作から、全部とは言いませんが、かなりの作品をプレイしています。</p><p>ただ、始めてみての感想ですが、過去の作品より難易度が上がっているようです。</p><br><p>ゲームですから　コツがあるのですが、過去のプレイ経験のコツが通用しない要素があり、結構苦戦しています。</p><p>当然、武将・平原綾香を配下武将にしてプレイしたくなるわけですが、どのシナリオ（ゲーム開始年によって状況がすこしずつ違う）でも、河越城下の浪人として登場するので、初めから配下に加えるには「北条氏」でプレイしなければなりません。</p><br><p>このシリーズは慣れているので、上級で始めてみましたが、２度失敗。</p><p>諦めて中級でプレイすることにしました。</p><p>シナリオも　１５６７年でやってみると　織田氏が強すぎてムリ。</p><p>結局、始めてすぐに本能寺の変が発生する１５８２年１月スタートのシナリオで挑戦していますが・・・・</p><br><p>武将・平原綾香殿は　非常に能力値が高いのですが、Aクラスの武将を何人か配下に持っていても　戦略を誤ればクリヤはとてもムリですから、周囲の状況をしっかり観ながら、戦略戦術を考えなければなりません。</p><p>キャラクターがチャンバラするようなシーンは全くないゲームですので、反射神経や指先のテクニック、年齢は全く関係ありませんので、ご興味のある方は是非お試しあれ。</p><br><p>・・・武田に責め立てられ、北からは伊達が迫ってきているし、徳川との同盟はもうすぐ切れるし、う～ん・・・思案のしどころです。　</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11745803259.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jan 2014 16:26:28 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その9６</title>
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<![CDATA[ <p>　会いたいのに　あなたはいない</p><p>　なぜあのとき　手を離したんだろう</p><br><p>「この想い届け」の冒頭の一節ですが、あの東日本大震災を経験したひとなら、これがどのような作品かは　この一節ですぐに感じます。</p><p>強い「揺れ」は経験したものの、自身が直接の被害を受けたわけではない私も　あの津波の惨状を連日TVで目の当たりにしていると　この一節はいきなり胸に突き刺さります。</p><br><p>あーやもあの瞬間は　東京のラジオ局にいたと発言していますが、そうすると私と同様、自身は揺れを体験したものの　直接の被害は受けていません。</p><p>あーやファンはよく知っていることですが、あの震災後、あーやは被災地を精力的に訪問し、歌を届けることで、被災者に寄り添うという活動をしてきました。</p><br><p>「私は歌で寄り添うことしかできない」とあーやは発言していましたが、何もできない私からすれば、それはとてもすごいことということになるのです。</p><p>どんなにつらい状況の人を目の当たりにしても　我々人間はその人のつらさを肩代りすることはできないのですから、「寄り添う」というのは我々にできる最大限のことなのです。</p><br><p>そしてそうした想いを「歌う」だけではなく、作品として残すという行為は　誰もができるものではありません。</p><p>また、この作品の言葉を見れば、そうした想いが表面的な軽いものではなく、傷ついた人々に深く寄り添ったものであることがわかります。</p><br><p>「この想い届け」は　あーやの活動の中で、被災した石巻の高校生達と出会い、２０１１年１１月に早稲田祭で彼らと「Jupiter」をコラボレーションした体験から生まれた作品です。</p><p>私は幸いにも　大隈講堂でのその公演を直に鑑賞することが出来たのですが、彼ら高校生は震災で肉親や自宅を失っていながら、音楽をすることによって　前向きに生きているという姿に感動しました。</p><br><p>また、この作品は　作詞家あーやの言葉の表現力に今更ながら敬服するものです。</p><br><p>　壊れたまま　もう動かない</p><p>　止まったままで　すべてを刻んだ時計</p><br><p>聴いた誰もが　「あのとき」　を思い出します。</p><p>そして　どうにもならないつらい想いを　見事に表現している一節、</p><br><p>　どうか怒りを　この悔しさを</p><p>　行き場のない悲しみを　鎮めてください</p><br><p>改めて「想い」を言葉にし、さらに作品にし、歌うという行為は　単に感受性が豊かで心に愛が溢れているというだけではなく、それを音楽にしていく力がなければできないことであり、あーやはそれを高いレベルで実現できる稀有の存在ということでしょう。</p><br><br><p>では続きはまた</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11738725363.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Dec 2013 15:39:38 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その95</title>
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<![CDATA[ <p>１７日に　あーやはデビュー１０周年を迎えました。</p><p>おめでとうございます。</p><p>あーやにとって、とても充実した、濃密な１０年だったのではないでしょうか。</p><p>新たな１０年のスタート、これからの　あーやの活動が楽しみです。</p><br><p>さて、このブログでは　過去、マイクラシリーズにおける　あーや作詞作品について　書いていましたが、その後長らく休止していました。</p><p>その休止の間に　あの東日本大震災がありました。</p><br><p>あーやの作品についていえば、震災後　はじめのリリースが「おひさま～大切なあなたへ」でしたが、あーやの作詞作品に限って言えば、アルバム　「ドキッ！」に収録されている　「ナミダオト」　「あと少し　あと少し」　「この想い届け」　からということになりますね。</p><br><p>そして　今回のニューアルバム　「What I am」　まで　共作を含めると10曲の作詞を行っています。</p><p>前回書いたように　それまでのマイクラシリーズでの作詞と　傾向に一部違いが出ていますが、この９曲もいくつかの種類があるようです。</p><br><p>はじめに　震災後のあーやの被災地での活動、被災者との交流から生まれた作品がありますが、これが</p><br><p>　・この想い届け</p><p>　・あいのうた</p><br><p>の２曲です。大切な人を失った被災者に寄り添うあーやの心が胸にしみる作品です。</p><p>そして　あーや自身の想いを詞に現しているのが</p><br><p>　・ナミダオト</p><p>　・スマイル　スマイル</p><p>　・MADE of STARS</p><p>  ・What I am</p><br><p>ということだと思いますが、「ナミダオト」　「スマイル　スマイル」 は震災での被災者との交流での体験がベースとなっていると思われるように感じています。</p><p>あーやのその時の想い、今の想い、そうしたものが　現れている4作品であり、このブログでも　ゆっくり触れてみたいと思っています。</p><br><p>そして　あとの４作品はあーや作品では　過去あまりなかった　いわゆるラブソングですね。</p><br><p>　・あと少し　あと少し</p><p>　・Wedding Song</p><p>  ・You and I ...</p><p>　・それでもあなたを愛してた</p><br><p>これらの作品、あーやの夢かな？　このベースになっている体験でもあるのかな？</p><p>特に悲しい恋を描いた　「それでも・・」は　　え！？</p><p>いやいや、あーやの創作でしょう。</p><p>楽曲としては　大好きですし、まるで映画でも観ているようなドラマチックな展開ですが、「What I am」で「これが今のありのままの私」という　あーやの心に打たれ、涙していると　この「それでも・・・」はファンとしてドキドキしてしまいますね。</p><br><p>次回から　具体的に各作品について考えてみたいと思います。</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11731819888.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Dec 2013 19:55:14 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その94</title>
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<![CDATA[ <p>ファン待望のニューアルバム　「What I am」　がリリースされました。</p><p>あーやが　今のありのままの私　と言っていましたが、感動的な曲あり、軽快な曲あり、泣かせる曲あり、でいいですね。</p><br><p>あーやの作詞作品としては</p><p>　・You and I</p><p>　・Wedding Song</p><p>　・それでもあなたを愛してた</p><p>　・What I am</p><br><p>の４曲ですが、このほかに共作として</p><p>　・MADE OF STARS</p><p>　・あいのうた</p><p>　</p><p>の２作品が収録されています。</p><br><p>さて、そろそろこのブログの本題に入っていこうかと思うのですが、マイクラシリーズでの作詞の傾向と　その後の作詞の傾向は　明らかに違ってきています。</p><p>最近の傾向は　むしろマイクラシリーズに入る前の作品群に近いように思っています。</p><br><p>あーやの作品は　人生に真正面から真摯に向き合う姿勢が貫かれていると思っていますが、その視点の位置が大きなサイクルで　動いているように感じています。</p><br><p>初期の作品では　高校時代の苦しかった経験などが　元となっている作品などが多く、それがマイクラシリーズで一気に　人生の真相に非常に高い視点から迫るような作品を生み出し、さらにそこから見えてくる　生きるヒントを描き出していました。</p><br><p>そして　その後　今回のアルバムに至る作品では　もっとずっと近い　言わばあーやの地上の視点から人生を見た作品と感じています。</p><br><p>どれもが　あーやであり、言葉の紡ぎ方そのものは　どんどん洗練されてきていると思っています。</p><br><p>マイクラシリーズまでの作品については　このブログで過去に書いていますので、詳しくは触れませんが、</p><p>人生の実相、存在の実相にまで迫るような　大きな視点を感じた作品としては</p><p>　・ロミオとジュリエット</p><p>　・仮面舞踏会</p><p>　・mamas'lullaby</p><p>  ・私という名の孤独</p><p>などがありました。</p><p>さらに　そうした視点から生まれる人生を生きるキーワードを示した作品として</p><p>　・新世界</p><p>　・Ave Maria!～シューベルト</p><p>　・What will be will be</p><p>などを挙げたいと思います。</p><br><p>こうした視点は　おそらく作曲家のすべてを調べ、その想いに迫っていくという　とてつもなく大変な作業をして作詞に至った　という経過によって　あーやは深い部分で触発され、到達したのだろうと思います。</p><br><p>ただ、こうした視点に気づいたからと言って、人生が楽に展開するようになるかと言えば　そんなことはないのです。</p><p>言わば、今現在を生きる　生身の人間としての　あーやの視点、地上における視点に立ち返り、その苦しみや悩みを表現しているのが　その後の作品群ということだと思います。</p><br><p>その大きな契機となったのが　東日本大震災なのではないでしょうか。</p><br><p>さて、こうした　あーや作品への概観はこの辺にして　次は具体的な個々の作品について　触れて行ってみたいと思います。</p><br><p>地上に舞い降りた天使が　そこで感じている世界です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11727475325.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Dec 2013 17:45:32 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その93</title>
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<![CDATA[ <p>あーやがマイクラシリーズで示したような世界観を　私自身が形成していったのは　３０代の頃でした。</p><p>「すべては自分が選択している」　という人生の観点です。</p><p>だからといって、楽な人生が送れるようになるわけではないのですが、自分の置かれた状況に対して　それまでとは違った視点を持てるようになったと言えるかもしれません。</p><br><p>我々は自分の意志とは無関係の状況の変化に翻弄され、壁に当たって困惑し、悩み、苦しむということを人生の中で経験していると　感じています。</p><p>しかし、「すべては自分が選んでいる」　という観点を持つことによって　自分の見ている世界の様相が変わります。</p><br><p>このブログで何度か書いているように　私は仕事が全くないという状況を過去に経験しています。</p><p>その只中にある時は　状況にオロオロし、どうしたらこの窮地を脱することができるのか全く見えず、不安に苛まれる自分が確かにいましたし、それがリアルに感じる自分です。</p><br><p>しかし、平時に感じることはないのですが、その時は明らかに「もうひとりの自分」を感じていたのです。</p><p>自分を鳥瞰している自分と言いますか、オロオロしている自分を見ている自分という視点です。</p><br><p>その視点から見ると　人生を双六に例えるなら、「今、”困ったゾーン”を通過中で、あと一回サイコロを振れば、このゾーンは通過できる」　というような感覚、うまく表現できませんが、未来が見えているというのとは全く異なりますが、合理的根拠は何もないのに　「必ずナントカナル」　という確信です。</p><p>こうした感覚のおかげで、不安で夜も眠れないということは　一度も経験しませんでした。</p><br><p>単に脳天気なだけで、その後、うまくいったのは偶然、運が良かっただけと言われれば、返す言葉はないのですが、私はそのようには　捉えていないのです。</p><p>「すべては自分が選んでいる」　・・・人生は　その取り巻く状況も含め、自らが創り出している　という観点は　主観こそが実体であり、究極の客観性というのは　そこにあると感じています。</p><br><p>私は　あーやが主にマイクラシリーズで示した　人生の本質を突く　幾つものキーワードを紡いでいくと　こうした視点にたどり着くと　考えています。</p><br><p>つまり、私が想像するに、あーやは　若くして既に　こうした視点や感覚を身に着けていると思うのです。</p><p>移籍を廻る動きの中で、あーやも全く先が見えない状況を　体験しているようですが、こうした感覚も体験しているのではないでしょうか。</p><br><p>であるとするならば、音楽家「平原綾香」を　プロデューサー「平原綾香」が観ているという視点を持つことは出来る　ということだと思っています。</p><br><p>自分の人生を振り返っても感じることなのですが、人生の新しい視点に気づき、それを「知」として得ると　つぎは　それを体験することに　なるようですね。</p><br><p>　今、やっと気づいたの　試されていたと　（Ave Maria !  ～シューベルト）</p><br><p>試しているのも　「自分」　です。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11715571328.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2013 09:48:04 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その92</title>
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<![CDATA[ <p>あーやの移籍を廻って　もう少し書いてみようと思います。</p><br><p>現在の　あーやのプロデューサーはどなたなのでしょうか。</p><p>以前のレーベルにおいては　デビュー以来、大物プロデューサーN氏が　非常に大きな後ろ盾として　存在していたことは　多くのあーやファンが承知しているところです。</p><br><p>そして１２月にリリースされる移籍第一弾のアルバムでは　デビュー以来、多くの　あーや作品でアレンジを担当されていた　S氏の名前が　あーやと連名で登場しているようです。</p><p>S氏は　あーやが最も信頼を寄せる音楽関係者のひとりでしょう。</p><p>では　Sさんが以前のNさんのように　今後のあーやのプロデュースを担当されるのでしょうか。</p><br><p>ここからは　私の全くの憶測でしかありませんが、少々それとは違うのではないかと思っています。</p><p>私は音楽の世界のことは全く知らない門外漢ですが、プロデューサーには２通りのあり方があるように思います。</p><p>ひとつは　アルバムやコンサートなどのような　個別プロジェクトにおける構成や企画を担当する、言わば戦術レベルのプロデューサーと　もうひとつはアーティストの活動の方向性を考え、企画していく戦略レベルのプロデューサーです。</p><br><p>以前のレーベルでのコンサートやアルバムのプロデューサーは　Ｎ氏若しくはＮ氏とあーやの連名のいずれかでした。</p><p>個別プロジェクトにおいては　あーや自身がプロデュースをしていた　ということですね。</p><p>おそらく今後も　今回リリースされるアルバムのように　あーや自身とＳさん　あるいはまた別の方との　共同プロデュースという形が　多くなるのではないでしょうか。</p><br><p>さて、そうなると　アーティストにとって　最も大きな存在である　常任の戦略レベルのプロデューサーは　どなたなのでしょう。</p><br><p>私はそれは　あーや自身なのではないかと思っています。</p><br><p>４年ほど前のファンクラブイベントの際、あーやとＮ氏の対談がありました。</p><p>その際、Ｎ氏が　「平原綾香は　プロデューサーとしての骨格を　初めから持っていた。」　と発言したのを記憶しています。</p><p>そうした資質を備えた　あーやが　この１０年間、数多くのアルバムをリリースし、毎年コンサートツアーを行っているのですから、音楽家としての成長と共に　企画、構想といった面でも　力をつけてきたことに　疑いの余地はないでしょう。</p><br><p>今年の　「Dear Jupiter　ツアー」　の　パンフレットにはプロデューサー名がありません。</p><p>エグゼクティブ　や　ゼネラル　といった冠詞のつくプロデューサー名はありますが、・・・・</p><p>実際のところは　あーや自身だったのでは・・・・・</p><br><p>こと戦術レベルのプロデュース、つまり個々のアルバムやコンサートのプロデュースを　あーや自身がおこなうことは　今までも十分にやってきていることですし、さらに才能を開花させていくであろうことは　想像に難くありません。　とても楽しみです。</p><br><p>ただ、戦略レベルのプロデュースは簡単なことではないでしょう。</p><p>今後のアーティスト「平原綾香」の方向性を考え、企画していくということは　客観的にアーティストの実力、可能性を把握し、人脈や資源を有効に活用して　道を拓いて行く仕事ですね。</p><p>会社で言えば、まさに経営トップです。</p><br><p>客観的に自身の可能性までをも把握して　活動の方向性を考え、企画し、具現化する道筋を考える、というのは並大抵のことではありません。</p><br><p>でも、私は　あーやならばこそ　出来ると思っています。</p><p>そのあたりのことは　また次回と致しましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11711214770.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Nov 2013 12:43:15 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その９１</title>
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<![CDATA[ <p>　・つくり出す運命、自分で決めて生まれた宿命　（ロミオとジュリエット）</p><p>　・あなたを選んで生まれてきた　この名前もこの生き方も　（mama`s  lullaby）</p><br><p>マイクラシリーズに現れている世界観から考えると　我々は両親、環境、性別、等々の人生の宿命といえるものを自ら選んで生まれ、そして自らの選択によって　運命を切り拓いていく　というものです。</p><br><p>すべては自らの選択であり、すべての責任は自分にある。</p><p>一見すると　非常に厳しい見方のようですが、すべての責任が自分にあるということは　どのような人生を送るかは自分で決められるということ、つまりそこには完全なる自由があるのです。</p><br><p>　・ここから　何処へだって　飛び立てる自由が　あなたにはある　（翼）</p><br><p>ここまで人生を理解していても　なぜ、次々と困難に直面し、苦しむことになるのでしょう。</p><p>人生をミッションと考えるならば、そのミッションを果たすために次々とハードルが現れるのは当然のことであり、それを体験するためにこそ　生まれてきた　ということなのでしょう。</p><br><p>逆に言えば、だからこそ　「背負いきれない荷を　背負わされることはない」　ということですね。</p><p>つまり、あーやにとって　今回の移籍は言わば人生における必然であり、そこで困難に直面し、乗り越えて行くということを「体験」することを選択していた、ということなのかもしれません。</p><br><p>そして　さらに言えば、人生における個々の出来事の「結果」は人生というミッションのなかでは　大した意味はないのです。</p><br><p>　・終わりが良くなくても　それはそれで　また良い　（what will be will be）</p><br><p>もちろん、我々は個々の人生の課題で　良い結果を出すために全力を尽くすのが当然であり、それでなければ　ミッションを果たすための「体験」にはならないのですが、そこでの個々の結果は　何が良いかはわからないといことです。</p><br><p>我々は生まれてから、いや、生まれる前から、今まで無数の選択をしています。</p><p>そのすべての選択、個々の結果の積み重ねの果てに　今、この瞬間の自分が存在します。</p><p>つまり、今の自分を肯定的に捉えることが出来るのであれば、過去のすべての選択、結果は「それでオッケー！」だったということになります。</p><br><p>人生の価値は　「結果」ではなく、「動機」にあるということになりますね。</p><p>その選択は　「愛」に基づくものか、「怖れ」に基づくものかといことです。</p><br><p>　・愛と怖れをを二つ並べたら、迷わず愛を選ぶだろう　（私という名の孤独）</p><br><p>私は人生を切り拓き、自分が自分に課したミッションを果たすための方法は　これしかないと思っています。</p><p>　１．チャレンジすること</p><p>　２．努力すること</p><p>　３．我慢すること</p><br><p>これを見事に体現しているのが　平原綾香だと感じています。</p><p>あーやは自らの人生を自らの選択として　「主体的」に生きている人だと思っています。</p><p>これからも　あーやから目が離せません。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11696700655.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Nov 2013 14:57:02 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その90</title>
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<![CDATA[ <p>　まだしてないなにかがあるはずだよ</p><p>　時はいつも開かれている</p><br><p>「翼」をはじめて聴いたときから　この一節が頭から離れません。</p><p>「翼」は人生の壁にぶつかって　悩んでいる人への応援歌という内容ですが、同時にレーベル移籍に至る過程のなかで、困難に直面していた　あーや自身への応援歌でもあるわけですね。</p><br><p>上の一節が私の心に突き刺さったのは　同様の感覚を体験しているからです。</p><p>私も先にブログに書いていますが、１０数年前、文字通りのフリーランス、まさに無所属となった当初、全く仕事がありませんでした。</p><p>手帳は真っ白、家族を抱え、ローンを抱え、このままでは生活破たんすることは明らかで、そのXデーへのカウントダウンが始まる中、考え付くことはすべてやりつくし、それでも出口が見えてこない。</p><br><p>何週間も鳴ったことのない電話を眺めながら、部屋の中をウロウロと行ったり来たり、</p><p>「まだしてない何かがあるんじゃないか」</p><p>と考えたものです。</p><br><p>そうするとこんなネガティブな考えも出始めます。</p><p>「自分はもう、社会から必要とされることはないのではないか？」</p><p>一方では</p><p>「いや、そんなことはない。私の持っているノウハウ、知識を必要としている人たちは必ずいる。」</p><br><p>揺れ動くのです。</p><p>おそらく、あーやも無所属となって、出口が見えてこない状況では　似たような心境を経験しているのではないかと思われます。</p><br><p>そして　その時期の　あーやの心の支えは家族であり、周囲の人であり、さらには我々ファンの存在だったのではないでしょうか。</p><br><p>そうした　あーやのその時期の心境を想像すると　「翼」はまさに　あーやがあーやに向けて歌った作品と感じています。</p><br><p>さらに　あーやを支えた最も大きな要素は　このブログでずっと触れてきた　マイクラシリーズなどに現れた　あーやの人生観、世界観からくる　「自分への信頼」　と　「人生への信頼」　だったのではないかと思っています。</p><br><p>そのあたりのことについては　また次回、もう少し触れてみたいと思います。</p><br><br><br><br><p>因みに　私の場合は　今も完全に「無所属」です。</p><p>幸い、今は仕事に困ってはおりませんが・・・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11674006468.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Nov 2013 23:02:20 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その89</title>
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<![CDATA[ <p>久々にブログを書いてみることにしました。</p><p>前回の更新が２０１２年４月ですから、一年半ぶりですね。</p><br><p>この間、あーやは激動の時を過ごしていたということになりますね。</p><p>２０１２コンサートツアー　「ドキッ！」</p><p>２０１３コンサートツアー　「Dear Jupiter」</p><p>そして、あーや最大の試練であったであろう「移籍」</p><br><p>昨年のツアーの最中に　あーやのデビュー時からの後ろ盾であった大物プロデューサーN氏が　ドリーミュージックを退社したとのニュースが流れ、我々ファンの間でも　あーやへの影響を懸念する声がありました。</p><br><p>今、思えば、その時すでに　あーやもそうした出来事の渦中にあったということなのでしょう。</p><p>昨年のツアーでは　あーやは一度体調を崩していますが、これらの出来事のストレスが無縁ではないのではないでしょうか。</p><br><p>事のいきさつについては　当事者しかわからないことであり、部外者が推測することは厳に慎むべきことがらですが、移籍後の今年のツアーでのあーやの言葉からは　ドリーミュージックからの離脱は　あーや本人にとっては本意ではなかったのではないかと思っています。</p><br><p>「無所属の期間が結構ありました。」</p><p>「自分の飛べる空が見えなかった。」</p><br><p>あーやはそのことについてあまり多くは語りませんが、大きな試練の時期であったことは間違いないようです。</p><br><p>実際のところ、あれほど精力的に創作活動を行い、次々に作品を発表していた　あーやが　「スマイル　スマイル」から「翼」まで一年間　新曲を出せなかったわけですし、アルバムに至っては　この１２月に「ドキッ！」から１年９か月ぶりの　ニューアルバムです。</p><br><p>レコード会社に所属していないというのは　音楽の世界でメジャーな創作活動をするのには致命的であるということなのでしょう。</p><br><p>しかし、何はともあれ、無事ユニバーサル・ミュージックに移籍し、新たに活動を再開できたわけですから、めでたしめでたし、これからも　あーやの活動に思いっきり注目していきたいと思っています。</p><br><p>さて、このブログにおける　あーやの作詞作品についての考察は　マイクラシリーズで終わっていますが、実際のところ、その後のあーやの作詞作品は　あまり多くはありません。</p><br><p>「ドキッ！」に収録されている</p><br><p>・ナミダオト</p><p>・あと少し　あと少し</p><p>・この想い届け</p><br><p>の３作品と</p><br><p>・スマイル　スマイル</p><br><p>の計４作品です。</p><p>これらについては　追々触れていきたいと思っていますが、実は私が注目しているのは「翼」なのです。</p><p>ご承知の通り、「翼」は　あーやの作詞ではありません。</p><p>しかしながら、内容をみると　この移籍の時期のあーやの心情を歌っているものに違いないのです。</p><br><p>あーやも　「自分の思いを託して　作詞をしてもらった」　と発言していましたが、まさにその通りの内容だと感じています。</p><br><p>というわけで、次回はこの「翼」について　少し書いてみようと思っています。</p><br><p>そして　最後にひとつご報告です。</p><p>ハワイであーやから直に聞いたところによると　今度のアルバムは　ほとんど　あーやの作詞作品になるということです。</p><br><p>楽しみですね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11659436719.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Oct 2013 15:42:58 +0900</pubDate>
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<title>作詞に見る　平原綾香学　その８８</title>
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<![CDATA[ <p>ラヴ・ラプソディーの続きです。</p><br><p>　ありのままの　私を　愛してくれる人がいる</p><p>　ありがとう　出会ったその日からずっと</p><br><p>「愛」の本質は　「無条件の受容」　です。</p><p>つまり、ありのままの自分を受け入れ、相手を受け入れることが「愛すること」なのですね。</p><p>「こうしてくれたら愛してあげる」とか、「こういうあなたなら愛してあげる」というのは「愛」ではありません。</p><br><p>ただ、相手を受容するということと　そのすべての行為を許容するということは全く異なります。</p><p>親子の関係を考えれば、これはすぐにわかりますね。</p><br><p>あーやはブログや携帯サイトなどを見ていると、おちゃめなあーや、落ち込んでいるあーや、すべてをありのままに見せてくれているようですね。</p><p>ありのままであること　が最も重要であるということですね。</p><br><p>　抱きしめて　何度でも</p><p>　そう　いつだって　繋がってる</p><br><p>我々は全体で一つであり、ひとりひとりが全体を包含している（ホロン、ワンネス）存在なのです。だから「いつだって繋がってる」のです。</p><br><p>　愛することは　生きること</p><p>　感じること　信じること</p><p>　恐れない　あなたは私の光だから</p><br><p>以前にも何度か書きましたが、「愛」だけが普遍的な真理です。</p><p>「善悪」や「正邪」には普遍性はありません。時代や環境によって「善悪」「正邪」の基準は変わってしまうのです。</p><p>条件付きの愛は「愛」ではありません。</p><br><p>だからこそ、「愛すること」　は「生きること」であり、「感じること」「信じること」・・・我々のすべてなのです。</p><p>この作品は　ラヴソングのようでありながら、もっと大きな「愛」の本質を表現しているように感じています。</p><p>大好きな作品ですね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/3ka3ka2/entry-11102012134.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 14:35:46 +0900</pubDate>
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