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<title>現地係員のブログ</title>
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<description>なんだかんだ言ってもハワイっていいね。</description>
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<title>ホノルル物語【ホンダ社長 ベースボールを語る】</title>
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<![CDATA[ 我らがホンダツアーズを率いるホンダ社長は、年齢的に長嶋・王世代なのだが、不思議なくらい野球を知らない。<br>一度だけご招待を受けてハワイ大学のスタジアムへ、UH Rainbowsの試合をホンダ社長と共に観戦した時のこと。彼にとって人生初の体験であり、僕達はまだその事実を知らなかった。<br><br>１回の表、一番打者が１塁ゴロに倒れた。その時である。<br><br>社長　「ねえ児島、今打った人はどうして球が転がった方向にわざわざ走って行ったの？逆の方（つまり３塁）にも同じ白い箱（つまりベース）があるのに。頭良くないね、あの人。」<br><br>児島GM　「いやだな、ホンダ社長。打ったら一塁に走るのがルールじゃないですか。もしかして御存知ないんですか？」<br><br>社長　「あぁそうね。そういう考え方があったわね。」<br><br>傍らにいた誰しもが思わず目を合わせてしまった瞬間だった。<br>ご招待という立場だったのに、２回が始まろうとした時点で席を立ってしまったホンダ社長にシンパシーを覚えつつも、内心失礼な大物オヤジだと思った夜だった。<br><br>何日か後、ある日のマネージャー会議。なんだか不機嫌な顔つきのホンダ社長がいた。どうやら経理上に問題を見つたとかで鼻息が荒いらしい。<br><br>社長　「先月の経費の中にある”ユニフォーム作成代”とか”野球関連備品”って何？！」<br><br>児島GM　「業界で開催されてる野球大会に我が社も参加する旨は既にお伝えした通りです。ユニフォームなどは会社持ちということで、社長からも決済いただきましたが？」<br><br>社長　「そうなの？じゃ、改めて聞くけど、そんなの楽しいの？」<br><br>児島GM　「会社のメンツもかかってますからね。真剣勝負です。」<br><br>社長　「なるほど。で、うちは何て名前なの？」<br><br>児島GM　「とりあえず皆さんも通常の社名で参加されてますからねぇ。我々も普通に”ホンダツアーズ”です。」<br><br>社長　「甘いわね。こういうのは名前が大切なのよ。強そうな名前で向かっていかなくてどうするの！！」<br><br>なんだか最初は無駄遣いと怒っていたところから、随分話が変わってきたなと他のマネージャー達もニヤニヤしながら聞いている。<br><br>社長　「ホンダ巨人がいいじゃない？」<br><br>児島GM　「はっ？ホンダジャイアンツじゃなくてですか？」<br><br>社長　「だめだめ！日本で一番強いのは巨人でしょうが！ジャイなんとかじゃないのよ。」<br><br>かなり自慢げである。もしかしたら前回の野球観戦のあと、少しばかりお勉強をされたのかもしれない。<br>と、突然…<br><br>ハリー　「ホンダ巨根っていうのはどうでしょう？」<br><br>オペレーションのスーパーバイザーのハリーは、日頃から社長と余り折り合いが良くない。児島GMに睨まれながらも、面白そうに茶化し始めた。<br><br>社長　「ハリー、いい事言うじゃない！それそれ！」<br><br>ハリー　「ホンダ巨乳というのもありますよ（笑）」<br><br>社長　「そうそう、その調子！！」<br><br>会議室の一同、笑うに笑えないこの状況に、肩を震わせ腹筋がよじれそうになりながらも必死に耐えていた。書記の社長秘書も、タイプの手を止め、困惑した面持ちで社長を見ていた。<br><br>結局この不毛な会議から結論（チーム名）を導き出すような愚かなことはせず、社長には内緒で普通に会社名でリーグ戦参加となった。また、ハリーは罰として、暫くの間キャッチャーという不人気なポジションを仰せつかった。<br><br>その後、いかなる会議においても、野球の話は御法度になったのは言うまでもない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11536029012.html</link>
<pubDate>Thu, 23 May 2013 01:55:20 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【佐藤夫妻の場合】</title>
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<![CDATA[ 「ヨシさん、昨日のアライバルのゲストなんですけど、ちょっとマズイ事になってます。」<br>と、ハイアットリージェンシーワイキキのツアーデスクから電話連絡が入った。のどかなホノルルの午後だった。<br><br>「どしたの？」<br>「子供さん２人をお部屋に置き去りにして、ご夫婦でどっか行っちゃったみたいです。」<br>「あらら。マズイということは、警察沙汰？」<br>「はい。責任者に立ち会って欲しいって…」<br><br>佐藤さんご家族のお部屋は、ハイアットの高層階、オーシャンフロント。<br>お客様のプロファイルを確認する間もなくその部屋へ急行した僕を待っていたのは、ホノルル警察のオフィサー２名。ドアを塞ぐように立ちはだかっていた。<br>名刺を渡して簡単な自己紹介を済ませ状況を伺うと、ご両親はまだ戻って来ていないとのこと。<br><br>脇に控えていたハイアットのセキュリティーオフィサーが説明してくれた。<br>ホテル周辺を定期巡回していた時、この部屋のラナイ（ベランダ）で小さな子供が２人遊んでいるのを発見、しばらく観察していたが大人の動きが全く見えなかったため、直接確認することにした。<br>お部屋をノックしても応答がないため、ドアを開けたところ、室内にはその２人の子供（４歳と６歳）のみであることが分かった。<br>ゲストの許可なしではあるが、子供の安全を第一優先とし、ホテル側で一時的に保護する措置が取られた。<br><br>ここからがアメリカなんだけど、この状況は多くの州で「犯罪」として扱われる。<br>ハワイ州も、「児童虐待及び放棄または放置」に関して、ものすごく厳格に反応する。<br><br>結果、僕がホテルに到着してから小１時間くらいの後、たくさんの買い物袋を抱えて佐藤夫妻が帰って来た。そして部屋の前にいる我々を訝しげに見た。<br>そして、ホテル側の通訳を介した状況説明がなされ、彼等はそのままホノルル警察へと連行された。<br><br>数時間後、ダウンタウンに程近いホノルル警察署で、僕は佐藤夫妻と面会が許された。隣には日本領事館の担当者が同席していた。<br><br>憔悴しきった様子のご夫妻。<br>「子供たちはどうなっているのでしょう？」<br>「ハイアットさんが保護してくれてますからご心配には及びませんよ。」<br>「私たちはどうなっちゃうんでしょう？」<br>「残念ながら、警察側はお２人を起訴する様子です。今日は一旦ホテルに戻ることが出来ますが、明日指定された時間に裁判所へ出廷しなくてはなりません。」<br>「犯罪者になっちゃうんでしょうか？！」<br>泣き崩れる佐藤夫人…<br><br>翌朝、ホテルでご夫妻をピックアップし、僕はダウンタウンのホノルル地方裁判所へ向かった。<br>一晩休んで少しは冷静になったのであろう佐藤さんと、以下のような会話があった。<br><br>「子供を置いて買い物に行くと警察に捕まるなんて、日本でも現地でも旅行会社からは全く説明がありませんでしたよね。あなた達はどう責任取ってくれるの？」<br>「佐藤さん、それは責任転嫁が過ぎませんか？」<br>「納得いかない。説明してくれてたら犯罪者にならずに済んだはず。日本じゃ考えられないよ。」<br>「佐藤さん、あなたのお子さんは、放っておかれてベランダで遊んでたんです。ご一緒だったら危ないと注意しますよね？昨日お買いものに行かれている間にもし彼らが転落してたら、同じ事を仰るんでしょうか？外国の法律や、他所の責任所在を議論する前に、親としてのモラルの問題を考えるべきじゃないですか？」<br>「でも…」<br>「なにより、今から出廷して一番大切なのは、ご自身が猛省しておられる点を分かってもらうことなんです。最悪の場合、お子様の管理能力を疑われ、今度は当局にお子様が保護されてしまうことも考えられるんです。それだけは回避する努力をしませんか？」<br><br>車中は堂々巡りだった。<br>この方は、レンタカーで誤って左側を走って事故を起こしたら、ハワイは右側通行なんて旅行会社は教えてくれなかった！と迫るんだろうなと想像した。<br><br>裁判所では、領事館の方がとても上手に立ち回ってくれ、裁判官の前で素直に罪を認めることによって、罰金を支払う形でケースクローズとなった。が、程度の差はあれ犯罪履歴がついたのは間違いないと思う。<br><br>２日後のご家族の帰国日、僕はホテルへお見送りに行った。<br>日本の旅行代理店へも事の顛末はレポートしてあるので、もし今後何か必要な事柄があるようだったら連絡頂けるようお伝えして送り出した。<br><br>それから佐藤ご夫妻から何も聞こえてこない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11502645209.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Apr 2013 15:54:15 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【成田離婚②】</title>
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<![CDATA[ この「成田離婚」は、当時結構注目された社会現象だった（らしい）。<br>そこまで発展すると、やはり救済措置を考える向きもあって、某電鉄系旅行会社が「成田離婚防止ツアー」なる企画型募集旅行商品を考えた。<br><br>ホノルル現地でのケアは、我等がホンダツアーズが受注した。<br>-------------------------------------------------------------------<br>最小催行人数：　１０名<br>参加資格：　１年以内に結婚が決まっている男性<br>添乗員：　日本から同行<br>日程：　ホノルル滞在型３泊５日<br>ホテル：　シェラトンワイキキ<br><br>【到着日】　着後、専用車にて半日市内観光および滞在中の説明会（ランチ付）<br>　　　　　　　市内レストランにてウェルカムディナー<br>【２日目】　終日、ホンダツアーズ会議室にて講義（ランチ付）　　<br>　　　　　　　夕食は、市内ファインダイニングにて実践訓練<br>【３日目】　オプショナルツアー参加<br>　　　　　　　夕食は、各自で体験<br>【出発日】　午前、専用車にてホノルル空港へ<br>------------------------------------------------------------------<br>このような内容で、現地受け入れ態勢の注文を頂いた。<br>正直なところ、社会現象とは言え、本当に参加する男子っているの？などと疑問を抱きながら仕込み作業に追われたのを覚えている。<br><br>で、蓋を開けてみたら、２班に分けて合計２０名前後の結婚を間近にひかえた男性諸君がやってきた。しかも１班目には、某局の「ニュースの森」という報道番組の取材付きだった…<br><br>当初のお遊び気分は吹き飛びましたね。<br>なんせ参加者全員のお顔は真面目そのもの。「必ず学んで帰るんだ」なんて気迫に満ちた雰囲気だったし。<br><br>おそらく初めてハワイ（もしかしたら初海外旅行）の地を踏んだ方も少なくなかったはず。<br>だから、同じ温度差の同姓に囲まれての現地視察は、多少の出費を考えても「有り」だったのかな。<br>僕たちは、そこに可能な限りのスパイスを加える役割（かな）。まだガイドブックも今ほど詳しくなかったし、無理のない程度にローカル情報もインプットして頂けたら、本番のハネムーンに役立てて貰えるかもなんて思ってた。<br><br>この「成田離婚防止ツアー」の旅費が幾らだったとか知らないけど、参加された皆様が満足して頂けたのなら良かったし、本番もクリアされたのならなおのこと。<br><br>でも、そう言えば本番もホンダツアーズでお世話したなんて話は覚えてないなぁ…（涙）<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11489615127.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Mar 2013 17:15:31 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【成田離婚①】</title>
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<![CDATA[ バブル景気の最中、「成田離婚」なる現象がクローズアップされた。<br>ラブラブなカップルが新婚旅行に出かけ、帰国直後に離婚作業に入るという醜い現象である。<br><br>不思議と関空離婚とか福岡離婚などとは呼ばれなかったな。<br><br>いろんな方のお話を簡略にまとめると、「愛する旦那様と海外旅行に行って、その先で余りにも頼りない姿を見て幻滅」するのが大部分の要因だという。<br>株価絶好調の中、余暇を見つけては海外へ出かけたバブル娘達。もうワイキキなんて私の庭よ！なんて感じ。<br><br>その彼女等も、やはり新婚旅行では旦那様方に引っ張って貰いたいと考えてたらしい。<br>でもね。女性と違って、日本男児ってお友達と海外旅行しないのよ。ハワイなんて、波乗り男子チームを見ることはあっても、２人とか３人単位でワイキキに泊まるレジャー男子は稀。<br>なので、ワクワクのハネムーンも、内心ドキドキものな旦那様って多いと思う。下手すりゃ初めての海外旅行。<br>そんな旦那様だから、２人で着飾ってロマンチックなレストランに入ったって、おそらく英語のメニュー見ただけで眩暈しちゃったのね。食事のオーダーすら覚束ない状況。<br>お嫁さんはというと、ホントは自分でさっさと注文も出来るのに、なんだか旦那様の能力テストみたいになっちゃって、出るのは溜息ばかり。<br>この一連の試験にパス出来なかった旦那様は、帰国直後に離婚届けに判子を押すことに。<br><br>これは他社のお客様に纏わるエピソード。こういうケースも少なくなかったみたい。<br>３０代後半の新婚さん。お互いバツイチ同士で子供はナシ。<br>もう双方大人だから、出会ってからめでたく結婚するまでは、敢えて婚前交渉はしないという約束事があったらしい。<br>だから、ホノルル到着日がまさに新婚初夜。<br><br>夕食を終えてお部屋に戻ると、オーシャンフロントの景色と波の調べが二人を更に盛り上げた。<br>シャワーを浴びた奥様は、この日のために用意したナイトガウンを身にまとって．．．<br>（あれ？旦那様がベッドの上に正座してる。何事？）<br>その旦那様の目の前には、５ペアのピンヒールが並べてあった。<br>（彼のスーツケースって重いなって思ってたけど、もしかしてこれ？）<br><br>おもむろに旦那様がのたまった。<br>「好きなタイプを履いていて欲しい。実は、そうじゃないとオレ、出来ないのよ」<br><br>無言で着替えた奥様は、夜間緊急連絡先に電話をかけ、別の部屋の用意と翌日の帰国手配を申し出たとのこと。<br>「１００年の恋も冷めるってこの事です」と泣きながら、バカ高い旅費を新たに支払って、彼女は翌朝帰国の途についた。<br><br>非日常を味わうのが旅行の醍醐味。<br>でも、どこに落とし穴があるのか分からないのも、これまた旅行の恐ろしさかな。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11489002971.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Mar 2013 19:21:37 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【嗚呼　ロストバゲージ】</title>
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<![CDATA[ Ｌｏｓｔ　Ｂａｇｇａｇｅ．．．なんて憂鬱な響き。<br>僕の約１０年間のホノルル現地係員生活の中で、Ｍｉｓｓｉｎｇ　Ｂａｇｓは多々あるけど、最終的にＬｏｓｔとなってしまった事案が１件ある。<br><br>日本からのフライトのほとんどは、ハワイ時間の午前中に到着する（当時の羽田発は中華航空だけだった）。<br>パッケージ旅行利用者は皆、税関を抜けた後、各フライト用のターンテーブルから受け取った荷物をゴロゴロ転がしながら、パカパカ開閉する団体出口から溢れ出る。<br>何千人もの観光客が、実に手際良く各社のグリーターに仕分けされ受付カウンターへ誘導される様は、まさにシルシルミシル状態。<br>受付カウンターでは、名前と人数および帰国便の確認そして荷物の回収が行われ、チェックイン時間までは身軽に過ごして頂けるという段取りであった。<br><br>各社カウンター背後には様々なバゲージ運搬トラックが待機してて、溜まった荷物をどんどん搬送するんだけど、搬入前に配送先のホテルが識別出来るよう全ての荷物にホテル名を記したタグ付け（ステッカーだったり）が行われる。<br>この工程での単純ミスがＭｉｓｓｉｎｇ　ｂａｇ発生源だったりしてた。<br><br>「スーツケースが部屋にないんですけど．．．」<br>なんて連絡は大抵夕方に入り始める。<br>ワイキキ中のツアーデスクは基本的に１７時までの営業だったから、それまではスタッフ総動員で探すわけ。その日にチェックインがあった全ホテルのベルに確認したりして。<br>これで９割方発見できる。<br><br>残りの１割はマネージャークラスに引き継がれ、残業手当のつかない彼等が夜通しの探索を行う。<br>運悪く深夜までチェックインしなかったゲストが部屋に入ってみると、見知らぬスーツケースが運ばれていたなんて珍しくなかったしね。<br>たとえ夜中の２時でも、発見された荷物をデリバリーにうかがうと、お客様のお怒りも収まるものでしたわ。<br><br>母娘でのハワイ旅行だった鈴木さんからＭｉｓｓｉｎｇ　ｂａｇの一報が入ったのは、やはり日没後だった。その日の唯一の案件。<br>すでにＣＳスタッフは帰宅後であったため、残っていたマネージャー数名と共にワイキキ中をしらみつぶしにあたった。ホノルル空港と運搬トラックも念のため確認をしたけど、何処からも出てこなかった．．．<br><br>お部屋で待機されていた鈴木親子には、ホテル内にて夕食および当面の必需品を購入してもらい、且つ支払は部屋付けにして頂くようお願いしながら、必死の捜索が続いた。<br><br>結果、スーツケース（２個）は間違いなくホテル側が受け取っているとの結論に至った。<br>こうなるとベルに更なる協力を仰ぎ、全部屋をチェックするしかない．．．が、相手はハワイ最大の部屋数を誇るヒルトン・ハワイアン・ビレッジだった。<br>当時でも既に２，０００以上客室が４つのタワーに分かれていた。<br>それに２４時間フル稼働しているベルの面々は、相当なストレスを抱えているらしく、他ホテルと比較してお世辞にも親切とは呼べなかった（涙）<br><br>でも諦めるわけにはいかない。<br>粘りに粘ってベルキャプテンを口説き、先ずチェックインがされていない全部屋を一緒に見て回ることになった。それだけでも２時間くらいかかったけど、結果は出ず。<br><br>時刻は２２時になろうかという頃。<br>インハウスゲストの部屋をあたるに関し、日本人ゲストの部屋を訪問する許可は出たけど、アメリカ人並びに他国籍のゲストの部屋へ行くのはＮＧだという。もちろん国籍関係なくスイートは論外。<br><br>で、新たに３時間程度かけてベルキャプテンと共に日本人ゲストの部屋を訪ねてまわった。怒鳴られたり同情されたりしながらね。<br>でも見つからなかった。<br><br>再度、日本人以外の部屋に行きたい思いをぶつけてみたけど、時間も時間だし、やはり断念せざるを得なかった。<br>付き合ってくれているキャプテンも、彼のシフトが終わって数時間も残ってくれている。<br><br>鈴木親子へは経過報告を伝え、荷物が発見されるまでホテル外で購入した必需品に関しては必ずレシートを貰うようお願いをし、重い足取りのまま帰宅することになった。<br><br>翌朝には、御礼の意味も含めてヒルトンのベルへ大量のマラサダを持参し、引き続き協力して貰うようお願いした。<br>どんなゲストでも必ずチェックアウトをする。その際に間違いなく不審な荷物は発見またはレポートされる。是非鈴木親子の滞在中にそうなって欲しいと望むばかりだった．．．<br><br>そして、鈴木親子の帰国日の朝がやって来た。あの重い空気は忘れられない。<br>滞在中に御所望されたオプショナルツアーは全てＣｏｍｐで提供させて頂いた。必需品購入による払い戻しも。<br>海外保険でもカバー出来るよう、ヒルトン側で荷物紛失に関する書類も作成して貰った。<br>ホノルル空港に出向き、出発ゲートで改めて謝罪をした（当時はまだゲートまでお見送りが可能だった）。<br><br>結局その後も鈴木さんのスーツケースは２個とも発見されることはなかった。<br>皮肉にもヒルトンのベルとは随分仲良くなったのは確かだけど。<br><br>個人的に忘れらない苦い経験。それはきっと鈴木親子も同様だろな。<br>現地係員として、いろんなお客様の記憶に残るんだったら、良い思い出として残りたいと切実に感じた出来事であった。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11478235666.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Feb 2013 15:39:58 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【哀愁のウォーキートーキー】</title>
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<![CDATA[ １９９０年前半。<br>まだ携帯電話なんて、会社の偉いさんかドラッグディーラーくらいしか日常ツールとして持っていなかった頃（彼らの携帯端末も恐竜並みにでかかったけど）。<br><br>我々現地係員のみならず、ＨＰＤのお巡りさんのウォーキートーキー（トランシーバー）も、ダンベルかと思わせるようなサイズ＆重量だった。しかも電池は短命。<br><br>老若男女限らず日本の旅行会社の現地係員は、そのダンベルもどきを手に手に日夜ワイキキ界隈を走り回るのであった。<br>カラカウア通りやクヒオ通りで大音響のウォーキートーキーを片手に歩いている現地係員は、まさにハワイの風物詩たる存在であった。<br>それに比べると今はずいぶんスマートになったよなと、改めて通信機器の進化に感心。<br><br>各社、新旧老若男女入り乱れてウォーキートーキーを使用するんだけれど、いくら旅行会社の社内通信用とは言え、やはり電波を使う手段だからその利用方法には一定の決まりがあるらしい。<br><br>まずとりあえず皆が覚えるのは、「了解＝Ｔｅｎ－ｆｏｕｒ」。でも、その後が続かない。<br>どこにでもいる小姑みたいな先輩係員が、いちいち会話の終了時に「Ｉ’ｍ　ｏｕｔ」とか「Ｔｅｎ－ｔｅｎ」とか言う。でも誰にも分かって貰えず、ホノルル空港やらドライバーさんやらワイキキの係員からの入電が入り乱れる（特に午前中）のを聞くと、「てめぇら、人の会話の邪魔すんじゃねぇ！」なんて怒鳴ってたりする。<br>或いは、「Ｗｈａｔ　ｉｓ　ｙｏｕｒ　Ｔｅｎ－ｎｉｎｅ？」なんて聞き方をするから、色んなスタッフからその質問の意味を逆に聞き返されたりして、実にくだらないやり取りが発生する。シングル回線を使ってるから、方々で会話の大渋滞ですわ。<br>ちなみに「Ｔｅｎ－ｎｉｎｅ」は、「現在地」という意味でした。<br><br>そんな或る日、僕はクヒオ通りをダンベルを腰に歩いていた。<br>ワイキキの喧騒の中だから、比較的音量は大きめにして。<br><br>「……………　バカ野郎！」って聞こえた。<br>ありゃって感じで、慌ててボリュームを絞って耳元へダンベルを持ってくる。<br><br>「今、バカって言ったか？！このバカ野郎！」<br>エアポート部マネージャーのキムさんの声だ。<br><br>「バカにバカって言って何が悪い！大バカ野郎！！どうぞ。」<br>対戦相手はＣＳ部のレイさんだった。<br><br>数分間、この唾が飛んできそうな会話が続いた。二人とも普段は温和なシニア達なのに。<br>ウォーキートーキーの通話は、電話回線と違い一方通行である。互いのボイスを重ねることは出来ない。<br>さすがにそこはおさえておられる御仁達。罵り合いながらも、ちゃんと相手の発言が終わるまで待っていらっしゃる。<br>しかも「どうぞ」と送ったりもする。<br>本部オフィスも含め社内全体が耳にしているであろうお二人の会話を聞きながら、つい微笑んでしまったのは僕だけじゃないはず。<br><br>満を持したよなタイミングで介入してきた児島総支配人の一言で、この礼儀正しくラブリーなウォーキートーキー合戦は幕を閉じた。<br><br>「キムさん、レイさん、１時間後にＧＭ室へいらして下さい」<br><br>現地係員にとって、業務上必要不可欠なウォーキートーキー。<br>いかに簡略に且つ正確に伝達作業を行うかが大切である。<br>余計な事は言わない。そして周囲に耳があることも忘れちゃいけない。<br><br>僕は（前述の）ジョニーさんとウォーキートーキー越しに話をするのが好きだった。<br><br>「ジョニーさん、お客様乗せ忘れてますよ。どうぞ。」<br>「えーっ？！どうじょ。」<br>「次の便だと遅くなるので戻ってきてもらえますか？どうぞ。」<br>「あちゃー。どうじょ。」<br>「待ってます。どうぞ。」<br>「テンポー」<br><br>ジョニーさんは、Ｚの発音がＪになったり、ＦがＰになるのである。<br>しかも連発される感嘆語のお返事が、妙に癒し系だったのである。<br><br>
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<pubDate>Sun, 10 Feb 2013 16:06:06 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【早朝のワイキキ】</title>
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<![CDATA[ 現地係員の朝はとにかく早い。①オプショナルツアーに参加するお客様のお見送り（他島行ツアーやゴルフとか早い！）②帰国されるお客様のお見送り③帰国されるお客様のバゲージの確認おそらく③については、２００１年の９１１が発生したのをきっかけに、その方法が変わってしまったと思う。現在は、出発日当日、ホノルル空港に向かう車両に各お客様のバゲージを満載してるんじゃないかな。９１１以前は、ホノルル到着日と同様に、帰国日もあらかじめバゲージを事前回収してホノルル空港へ別搬送していた。もし、ハワイ旅行の帰国日は朝早くから起こされた、なんて記憶がある方はこの荷物回収が原因の一つに違いない。たとえばホノルル発が午前１１時で、専用車送迎のお客様。指定の集合場所にチェックアウトをして集まって頂くのは、遅くとも８時半。その場合、お部屋にベルマンが荷物回収に伺う時間が…　６時かな…ホントによく怒られました。「なんでそんなに早いの？！」ってね。ちなみに混載大型バス利用のお客様は、更にそれぞれの時間が早まります（涙）９０年代のハワイ絶頂期には、日本からの観光客がオフ時期で毎日３千名程度。お盆や年末のピーク時はほぼ１万名。ということは帰国される方も同数なので、あの小さな空港でその入れ替えをするのは、やはり効率化を目指すしかなかった。つまり、５４人乗りの大型バスが、ほぼ同じ午前の時間帯に５０台以上出発ロビーを目指して来るわけだから、各バスがお客様と荷物を降ろしている時間の余裕はありませんよという理屈だった。それで編み出されたのが、悪評高かった出発日の「バゲージダウン」。で、ワイキキの係員は早朝から何をするかというと、出発するお客様の宿泊ホテルに行ってバゲージの個数を調べてタグ付をするわけ。どのお部屋から幾つ荷物が下りて来てるか把握して、万が一お客様が空港で荷物を見つけられないなんて事がおこらないように。それでも、やっぱり、毎日のように空港で騒ぎが起こった。大抵の場合、ベルがお部屋に伺った際に荷造りが間に合っていなかった、とかバゲージトラックが積み忘れたとかが理由。不思議なもので、荷造りが遅れたお客様って、集合時にご自身のスーツケースをお部屋に置きっぱにして来る人が多かった。そのうちベルがまた来るだろうと思い込むのね。ワイキキ係員は、バゲージトラックがホテルに来る前にタグ付しなきゃだから、早い日には午前３時くらいからの出動だった。大体１時間くらい担当ホテルをまわって、荷物をチェックして…　ワイキキの空がだんだん夜明けの色になってきた頃、次のアサインまで暫し暇になる感じ。だから、ホントは御法度なんだけど、ハレクラニのホスピタリティルームあたりで、顔見知りが集まってコーヒー飲みながら時間を潰してた。無料で飲めるコーヒーにありつける場所は幾つかあったけど、やっぱりハレクラニの用意するものは美味だった。今思うと、この作業は必要だったのか疑問にすら感じるけど、当時は各社一生懸命だったからね。ま、朝靄のワイキキをウロウロするのは、なかなか清々しいものでしたわ。
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11451416799.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Jan 2013 00:55:51 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【愛しのジョニーさん】</title>
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<![CDATA[ <p>僕の入社当時（９０年前半）、ホンダ社長率いる現地手配会社「ホンダツアーズ」は急成長の真っただ中にいた。</p><br><p>僕の所属はカスタマーサービス（CS)部。ワイキキを走り回りながら、日本各地から訪れるお客様のお世話をするチームである。</p><p>入社したての頃は、一日の到着が５０名超えることはなかった。</p><p>パシフィックビーチホテルにあるツアーラウンジを基地として、平均５人程度のCSスタッフでチェックインのお手伝い等を手分けしてハンドルしていた。でもたまに翌日のアライバルリストが１００名超えてたりすると、心配で夜寝れなかったこともある。</p><br><p>この規模の会社が、９０年後半には年間１２万人の観光客を受け入れられるまで成長したんだから、本当に日本の旅行業界の拡大と、その中にあってハワイ人気が際立ってたのが伺いしれる。</p><br><p>ホンダツアーズは、自社でバンやミニバスを所有・運行を行い、他社よりも機動力性の高いサービスを提供していた。社内にはトランスポーテーション部があり、フルタイムのドライバーさんが１０名前後いた。</p><p>ほとんどのドライバーさんは、年配で韓国出身者だった。</p><br><p>その中に、いつも（本当にいつも）ニコニコ笑ってる「ジョニーさん」がいた。</p><p>携帯電話なんてまだ支給されてない時代だから、勤務中のコミュニケーションはウォーキートーキー利用なんだけど、彼の「ハイハイ、ジョニーでございますぅ」というシャガレ声は今でも覚えている。</p><p>背丈１６０センチくらいの痩せぎすの体型で、２４名乗りのミニバスを器用に運転してた。</p><br><p>ある朝、ホノルル空港で一緒だった際、ジョニーさんの両鼻穴から大量のヘアが出ているのに気付いた。注意したとしても、サッと引っ込めて貰えるような量じゃなかった。しかも、たまに、風になびいていた…</p><br><p>「北じゃ防寒のために鼻毛を切らないじゃないの」と、同僚のドライバーさんがからかった。</p><p>「北？」と僕。</p><p>「はいぃ、私はね、北鮮出身ですぅ」と、ニコニコ顔のジョニーさん。</p><p>「またどんな経緯でハワイで仕事することになったんですか？」と聞いてみた。</p><br><p>「ヨシさんの歳だと知らないと思いますが、私は強制連行という制度で日本に行きました～　その時に日本語を覚えさせられました～～　その後、どさくさに紛れて中近東に石油を掘りに行きました～　で、縁あってアリゾナに移住することになって永住権ももらえたので、今はハワイに住んでいます～～」</p><br><p>ジョニーさんはニコニコしながら説明してくれたけど、僕は笑えなかった。</p><p>この人幾つなんだろうとか、ホントは物凄く妖しい人なんじゃとか…　でも少なくとも僕が持ってた典型的な北朝鮮の人達とは、まるでイメージが異なる御仁だった。</p><br><p>その後、ジョニーさんとは１０年近く職場を共にするんだけど、結局一度も彼が怒ってるところを見ることはなかった。</p><p>彼のおかげで、ハワイ時代の僕には、北と南の違いが分からなくなってしまった。メディアも日本ほど北朝鮮を取り上げてなかったような気がするし。</p><br><p>今でも何処かで元気に笑ってるかな、ジョニーさん。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11447831710.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Jan 2013 00:08:07 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【現地係員デビュー】</title>
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<![CDATA[ <p>１９９２年　夏</p><br><p>当時のヘッドオフィスは、ワイキキのシーサイド通りにある雑居ビルの中にあった。</p><p>午前８時前。</p><p>それなりに緊張の面持ちでドアを開けると、気持ち悪いくらい満面の笑みをたたえたホンダ社長が僕を迎えてくれた。もうすぐ直属の上司が来るのでコーヒーでも飲んでなさいなどと、丁寧にもてなしてくれた。</p><br><p>遡ること数か月前、僕は友人達とカラオケパブで飲んでいた。</p><p>カウンターで一人お酒を飲みながら、店のマスターと談笑をしていたのがホンダ社長。</p><br><p>「お金が無くて時間だけはある若い子、知らない？」</p><p>「ホンダ社長、後ろに丁度いいのがいますよ（笑）」</p><br><p>彼等の視線の先には、４、５人で乱痴気騒ぎの真っ最中だった僕がいた。</p><p>折しも、コンチネンタル航空が成田―ホノルルのデイリー運行を始めたばかりの頃。ホンダ社長は右肩上がりで増える日本からの観光客の受け入れにアップアップしていた。</p><p>猫の手よりはまし（？）という事で、翌日からの僕の採用が決まった。カラオケ屋さんで。</p><p>そんな時代だった。</p><br><p>「Do you speak English?」</p><p>カスタマーサービス（CS）部のマネージャー、ケンさんの第一声。</p><p>互いに簡単な自己紹介を済ませたあとは、早速ワイキキの現場へ向かった。いきなりのOJT開始である。</p><br><p>一見まるっきりの白人のケンさんは、日本人の母親をもつハーフで、日本語はずいぶん達者だった。</p><p>日本からのお客様は、ハワイで外人とのふれあいにときめくことが多い。まして、その外人が日本語が通じるとなると、老若男女問わずたいそう喜んでくれる。</p><p>陽気なケンさんはいつもお客様の人気者だった。</p><br><p>あの頃、ハワイのパッケージツアーには、ホノルル空港到着後に必ず市内観光が付いていた。</p><p>ウェルカムランチと滞在中の説明会がそれに続く。ホテルのチェックインは午後３時。</p><p>日付変更線を越えてやってきたお客様は時差ボケと戦いながら、ひたすらお部屋に入れるまで耐えるしかなかった。</p><br><p>現地の旅行会社にとっては、この説明会がオプショナルツアーとお土産を販売する大切な機会でもあった。</p><p>「ブリーファー」と呼ばれる説明会運営のプロがいて、旅行会社は彼等に外注するのだ。で、プロ集団は鬼神のごとくツアーとお土産を売る（捌く）のである。今考えると、説明会という名目での軟禁状態であった。</p><br><p>もちろんお客様の中には説明会場から出して欲しいと希望される方もおられたが、大半は会場にとどまり注意事項やオプションの説明を熱心に聞いて頂けていた。</p><p>事実、今では考えられないくらい、オプショナルツアーやお土産は売れに売れた。</p><p>お部屋でのんびりとか、ビーチでまったりとか、そんなハワイの過ごし方は眼中にない時代だった。</p><br><p>CS部の午後は、到着客のホテルチェックインのアシストに忙殺される。</p><p>特に、悩ましいのがスーツケース等のバゲージ。</p><p>朝、ホノルル空港でお客様とバゲージは別行動となる。預かったバゲージは各ホテルへ配達され、ベルマンによって各ゲストのお部屋へと運ばれる。</p><p>この工程の正確性は平均８割程度だろう。</p><p>ほぼ毎日スーツケースが届いていないというクレームが数件発生する…</p><br><p>そんな目まぐるしい一日の中で、ケンさんから僕に特命が下った。</p><p>サンセットディナークルーズ行のバスに乗り遅れたお客様のアシスト。シェラトンワイキキに直行するよう命じられた。正面玄関でお客様とミート、一緒にタクシーでカカアコの船着き場まで送るのがミッションだった。</p><br><p>「出航は遅らせられないから兎に角急いで！」と、ケンさん。</p><p>シェラトン正面でお客様を見つけると、挨拶もそこそこにタクシーに飛び乗った。</p><p>ワイキキからカカアコまで夕方の渋滞を考えると約３０分。ギリギリで間に合った。</p><br><p>時刻は既に午後５時を回ってた。</p><p>携帯電話なんてまだ普及してない頃だから、アラモアナBLVDを公衆電話を探しながらトボトボ歩いた。</p><br><p>「もう５時過ぎてるから帰っていいよ～～」</p><p>妙に間延びした言い方でケンさんは電話を切った。労いの言葉も、ピックアップの申し入れもなかった。</p><br><p>財布の中にはほとんど現金もなかった。市バスにすら乗れない。</p><p>カピオラニのアパートに帰ったら冷えたビールあったっけ…　なんて考えながら、きっと１時間はかかるだろう家路についた。</p><br><p>アラモアナ公園の向こうに見えるサンセットが改めて綺麗だなぁって思った。</p><p>BBQの匂いが漂ってた。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11445152103.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jan 2013 00:39:11 +0900</pubDate>
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<title>ホノルル物語【田中夫妻の場合①】</title>
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<![CDATA[ <p>ゲストサービスのノブさんから携帯に連絡があったのは、確か２２時になるかならないかという頃。僕は珍しく自宅でのんびりしていたと思う。数週間後に控えた帰国準備もそっちのけで。</p><br><p>「ヨシさんとこのゲストなんだけど、転落事故だよ。もうホテルの周辺はロードブロックされちゃってて、TV中継も入ってさ、大わらわだよ。直ぐ来て貰えるかな？」</p><br><p>通常だったら、この手のトラブルが発生すると、ホテル側はできるだけホテル名とかが報道されるのを避けようと手回しをするはずなんだけど、今回はどうやら手遅れだったようだ。間違いなく、２２時からのローカル局のニュースではライブ中継になりそうだった。</p><br><p>隣で電話のやり取りを聞いていたマリーが不安そうに僕を見ていた。「また出動？」という本音と、「大丈夫なの？」というゲストへの心配が入り混じった表情。</p><p>「理由は分かんないけど、３０階以上の部屋から落ちたみたいだから、まず間違いなく亡くなってると思う。もしかしたら今夜は帰れないかもしれないけど、心配しないで先に寝ててね。」</p><p>そう彼女へ伝えると、ユニフォームのアロハシャツに着替えて家を出た。</p><br><p>ワイキキの中心に、そのホテルはあった。</p><p>駐車場への入り口周辺もHPDによって封鎖されてて、本当に物々しい雰囲気だった。乱雑に駐車してあるHPDのパトカーが放つ幾つものブルーの警光灯が眩しかった。</p><p>正面玄関から入る際に、幾つか番号付きの小さな黄色いコーンが置いてあるのが異様な景色だった。</p><br><p>ノブさんに声をかけると、先ず営業部長がセキュリティオフィスで待ってるので会いに行って欲しいとのこと。普段はあまり馴染みのなかったオフィスのドアを開けると、日頃にこやかなトクヤマ部長が固い表情で座っていた。</p><br><p>「ヨシ、来てくれて有難う。３４XX号室に宿泊してた田中さんご夫婦なんだけど、旦那さんが２時間くらい前にラナイから転落してね。明日チェックアウト予定の御社のお客様だよ。」</p><br><p>部長の説明によると、事故発生は２０時前後。多数のホテルゲストは自室にいる時間帯だったせいで、田中氏が落下してゆくのを運悪く目にしたという人達も少なくなかったようだ。それらのゲストから、ゲストサービスへ連絡が何本か入ってるらしい。</p><p>決定的なレポートはルームサービス係からもたらされた。この不運なスタッフは、田中夫妻の部屋へ苺のチョコディップを運んでいる最中だった。彼の目の前で、田中氏は死のダイブを決行したようだ。</p><br><p>因みに、このルームサービススタッフは、今回の騒動が原因でPTSDに悩まされ、後にホテルを去ることになった。</p><br><p>実際にはあまり知られていないかもしれないが、観光地ハワイには自殺目的での来島者が意外と多い。</p><p>トクヤマ部長達がメディアを押さえられなかった理由の一つに、田中氏の落下地点を特定するのに時間がかかった点がある。不謹慎な言い方になるが、彼等がそれまでに経験したゲストの投身自殺は、不思議とその落下地点が同一エリアだったそうだ。</p><br><p>今回は違った。懸命の捜索にも関わらず、第一報から１時間近くたっても田中氏を発見できなかった。</p><p>「僕が最初に見つけたんだよ…」と、悲しそうにトクヤマ部長が言った。駐車場に停めてある自身の車へ向かう途中、メインダイニングの屋根にあたる部分にいつもと違う光景があったそうだ。ちょうどホテル玄関の真上あたりになる場所だ。</p><br><p>そう、正面玄関に置いてあった黄色いコーンは、田中氏が部分的に飛来落下した箇所の印だった。</p><p>ワイキキの夜もこれからという時間帯、ホテル正面玄関にはどれくらいの人で賑わってたんだろう。</p><p><br>「ヨシ、これから田中夫人に会いに行く。一緒に来て欲しい」と、トクヤマ部長。とりあえず夫人はお部屋にいるらしい。</p><p>HPDによる現場検証は、ホテル側のセキュリティオフィサー立ち合いのもと、既に終了したというから少し驚いた。サラッと説明されたんだけど、件のルームサービスという第三者がいたおかげで、田中夫人に余計な嫌疑がかけられることもないという話だった。つまり、殺人事件ではないという結論。</p><p>この確信犯的な惨劇に巻き込まれたスタッフの心中を察すると、ホテル側としては遣り切れない気持ちだったんじゃないかな。</p><br><p>大人数で押しかけて夫人を余計に動揺させてはいけないという配慮で、トクヤマ部長と僕の二人だけで３４XX号室へ向かった。</p><p>ドアを開けた田中夫人を見た瞬間、僕はショックのあまり言葉が出なかった。</p><p>たった４泊だけのハワイ滞在だけど、このご夫妻のことはよく覚えていた。</p><p>本当に楽しそうで、仲の良い快活なご夫婦に見えた。担当ツアーデスクのスタッフ達とも愉快に話をしていた場面の数々を思い出すことが出来た。</p><br><p>その田中夫人を目の前にして、僕は図らずも固まってしまっていた。</p><br><p>【続く】</p>
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<link>https://ameblo.jp/411hobron/entry-11433527050.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Jan 2013 02:42:04 +0900</pubDate>
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