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<title>kontextのブログ</title>
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<description>言いたい事を言いたい、というブログなんですが……。なかなか難しいですね。どちらかというと、メンタル系だと思います。</description>
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<title>干物</title>
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<![CDATA[ 　ここ数日間にわたって書いたものを、読み直しました。<br>　恐ろしい……恐ろしくつまらない。というか、何を言いたいのかよく分からない。<br>　何も表現できていない。<br>　干物です。こんなのは干物です。<br>　カサカサに乾燥した、記憶のミイラなのです。<br><br>　どう書けばいいのか。<br>　文章力の問題なのか、構成力の問題なのか、ネタというか事件の問題なのか。<br><br>　だめだ。独り言にすらなっていない。<br>　もう死にたい。<br><br>関係ないですが、年末に大英博物館に行ったら、エジプトのミイラがたくさんありました。<br>古代エジプトではミイラが大流行しており、人間のミイラだけでなく、動物のミイラもたくさん作られていました。<br>牛や猫、鷹などのほか、魚、ウナギ、小さなクロコダイルのミイラなんかもありました。<br>魚のミイラって、要するに魚の干物……。<br>小動物はどれも専用の可愛らしいケースに入っており、ファッションというか、お守りの一種だったっぽい。<br><br>　砂漠で餓死したら、ミイラっぽくなれそうです。<br>　問題は踏ん切りがつくかどうかです。生存本能に対して、意志の力が試されている。<br>　国境の地雷を踏むよりは、強情な私なら、砂丘の裏でテント張って居座るだけの餓死が適していると思う。実際、ジブラルタルを渡ってしまえば、あとは南下するだけ。バイクは墓石になるからちょうどいい。<br>　もう少し時間はある。<br>
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10825168033.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Mar 2011 08:55:08 +0900</pubDate>
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<title>看守的性格　～収容所家族～</title>
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<![CDATA[ 　父の脳内世界は、何かおどろおどろしいもので出来ているのです。<br>　強迫観念があって、常に緊張してなくてはならない、常に戦時でなくてはならない、常にサバイバルでなくてはならない、と。（彼の背景にあるものに関しては、別の記事で書きます）<br><br>　私が幼児の頃、エチオピアで大飢饉があったんです。<br>　新聞に、餓死寸前の子供の写真が載りました。黒人の子供。栄養失調で腹だけが異常に膨れている。蝿がたかった顔には、半開きの虚ろな目と口。まさに地獄絵図。<br>　父はその地獄絵図を、切り抜いた。<br>　私と兄の、ちょうど枕元に見える位置に貼りました。<br>「これを見ろ。おまえたちは恵まれている。誰のおかげか、忘れるな」<br>　父は、父の偉大さを教育したかったのです。<br>　アフリカの子供の写真を貼った初日は、この写真に向かって正座させられました。二時間だった気がする。<br>　でも私は、自分が恵まれているとは、ひとかけらも思いませんでした。<br>　生きているのか死んでいるのか分からない子供、異常に膨らんだ腹、あの目。それに、なんの落ち度もない私が折檻されている理不尽さ……。アフリカの子供と見詰め合って、恐怖と疑問だけを感じました。<br>　このように、父の教育はことごとく別の効果を発揮したのですが、彼はそれを知ろうともしない。知ったら、もっと激しい折檻で頭脳の底まで矯正しようとしたでしょう。<br><br>　こういった見当違いは父の基本姿勢です。<br>　あるとき説教の最中に、「なんだその目は！」と怒鳴られました。直後、反抗的な目をしたという罪状で、マンションの地下の自転車置き場に曳きずられていきました。<br>「この野郎、一人前に父に意見があるのか！俺を打ち負かしたら聞いてやる。やれ！」<br>　剣道の竹刀を持たされた。親子で果し合い？が始まりました。<br>　時代劇大河ドラマのようなことを、父は本気で考えていました。なので、こっちも本気でかかる以外にない。<br>　でも私は病弱な小学校二年生であり、父の竹刀で好きなだけメッタ打ちされました。<br>　倒れていると、<br>「サボるか！いい加減なヤツには、容赦しないぞ！」<br>　そう怒鳴られて、本当に容赦なく叩かれる。そこでまた立ち上がって、突きかからないといけないのです。<br>　漫画のようにピキーンと私の才能が目覚めてくれたら良かったのですが……現実は非情です。最後はうずくまった背中をバシバシ叩かれました。<br>　父は興奮して我を忘れており、子供を打ちのめす事を明らかに楽しんでいた。サディストだから、しかたありません。<br><br>　勉強も、看守による捕虜の洗脳のようでした。<br>　テストの点が悪い時など、母から連絡がいきます。すると父が、「教科書を持ってこい！」　と叫ぶ。<br>　ひとつ誤答したら、一発殴り、罵倒する。あるいは制限時間をオーバーしたら折檻。勉強なのか、イジメなのか、まったく分からない。緊張感でまともに考えられない。とにかく殴られないようにするのみです。<br>　それに加えて父の場合、単に問題に答えればよい……では終わらないのです。<br>　たとえば英語。同じ読み間違えを続けたら一発殴るのは当然ですが、直訳しか認められない。<br>「お前が意訳など百年早いんだ！バカタレが、いい気になりやがって！」<br>　直訳しかさせてもらえないのですが、直訳では日本語にならないのです。<br>　しかし、「お前にはそれで充分なんだ！」　と怒鳴る。直訳すると父は喜びました、「やっと身の程が分かってきたか」　と。頑なに、「コイツはバカだから、バカのための基本だけ叩き込む」　と考えているのです。<br>　ひたすら時間が過ぎ去ってくれるのを待つだけ……では済まないのです。結果を出さないとエンドレスなので、積極的に参加しなくてはいけません。恐怖のため進んで洗脳に参加する捕虜のように、私は必死で直訳します。<br><br>　私は勉強が嫌いでした。本当に大嫌いでした。絶対勉強なんかするもんか、と思っていました。反面、勉強しなくてはならないという非常に強烈な義務感がありました。勉強しない選択肢など、人間には存在しない。これが当時の「呪い」で、勉強以外の何をやっていても罪悪感しか感じないのです。そのため、自分が劣等生であるという事が、毎日、毎時間、毎分、毎秒、証明され続けるのです。<br>　学校の授業中は、かくれて奇妙な行動をとりました。算数の時間には社会科の教科書を読む。理科の授業では国語の教科書を、国語では算数を……といったように、いつもまったく別の教科書を読んでいました、ごく自然に。別の教科書は、ただ別だというだけで、面白いように思ったのです。もちろん成績が上がるはずもなく、無駄な雑学？が増えるだけでした。<br><br>　ある連休のことです。<br>　私と兄は中学校の中間試験を控え、父の監視下で勉強の日々でした。<br>　その日はたまたま、母親は朝から外出。昼ごろになり、父も出かけました。<br>「ゴルフの練習に行く。夕方帰る。サボるんじゃないぞ」<br>　ということは、ようやく監視の目から逃れ、息抜きができそうです。<br>　どうせまた明日も閉じ込められる。そこで兄と共謀して、私は篭城用のお菓子を買いに出ました。チャリンコをこいで、娑婆の空気はうまいっ！とか言いながら。30分ほどして、私が買い物から帰って来ると……<br>　家の前に、父がいる！玄関前の路上でゴルフの練習をしているではありませんか！なんで！？血の気が引いた。<br>　父の顔面は激怒に震えていた。しかし、抑えた声で言いました。<br>「お前らの考える事なんざ、その程度だ」<br>　激怒しつつも、勝ち誇っていたのです。バカなガキどもの裏をかくなど、このように簡単というわけです。父の支配力の誇示のために、わざわざそんな計略を講じたと思うと、私は絶望的な気持ちになりました。<br>　でも父は慢心したのか、折檻はありませんでした。買った物をすべて没収され、再び部屋に閉じ込められました。<br><br>　父のセリフの「お前」を、ひどい表現で申し訳ないですが「ユダ公」とか「非国民」と置き換えても、全然違和感がない。キャラ的に。<br><br>　父のようなスパルタ教育を、「これだ！」と喜ぶ人はいるでしょう。子供の性格によっては、適している場合もゼロではないかも知れません。<br>　ですが、適不適を見抜けなかった場合、次のような結末を覚悟すべきです。<br>　確か小学校六年生か、中学一年生だったと思います。学校で配られたプリントで、アンケートがありました。家に持って帰って、親と一緒に書かないといけないものです。<br>　アンケートに、「尊敬する人は誰ですか」　という項目がありました。<br>　困った事に、私にはまだ尊敬する人がいなかった。それどころか、「尊敬ってどういう意味だよ！どういうレベルから尊敬って言えるんだよ！」　と、国語的に悩むバカっぷり。頭脳の中に、尊敬という概念がなかった。私は脳の発育が遅かったんです。<br>　でも、何か書かなきゃいけないので、その頃好んでいた小説家の星新一さんの名前を書きました。<br>　すると！お待ちかねの大激怒です。<br>「誰だこれは！こんなのが、お前の尊敬する者なのか！情けない！まったく嘆かわしい！他にいないのか！言え！言ってみろ！」<br>　机と紙をバンバン叩いて、怒鳴り散らす。「こんなの」って、ひどくないですか？きっと戦国武将の名前でも言っておけば良かったのでしょう、本当に失敗した！と思った。<br>　著わした書物の内容ではなく、その本人の生き様をお手本にしたいという人物、それが尊敬する人なのだと父は怒鳴りました。やっと私は、さっきの国語的な悩みが解消された気がした。そして、では誰を「お手本」にするのか？新たな悩みが発生しました。<br>　しかし、ここで母親登場し、予想外の展開を迎えます。<br>「お父さんです、と言ってみたら？少しはお父さんを喜ばせてあげても」<br>　……お母さん、それは演技指導でしょうか。<br>　私は硬直した。父は、初めから選択肢に入ってなかったのです。だって父のイメージは、ナチスの猟犬か、収容所の看守なんですよ。尊敬とか……どう結びつけていいか分からず、私は混乱しました。<br>「誰が食わせてやってると思ってんだ！」　と、毎日のように怒鳴って、殴ってばかりいる父です。食わせてもらっているという意味では、もちろん感謝すべき道理ですが…… しかし……感謝を強要すればするほど、素直に感謝の気持ちなど起こらないのが心理です。自分で作った子供のくせに、そんなにイヤなら、捨てるなり殺すなり施設にでも預けろよ……と思ってしまうのです。なんと言っても、すでに彼は一人抹殺しているのですから。（そのことは、別の記事で書きます）<br>　尊敬する人は父です、と言え。私は不気味な馴れ合いに加担できない。散々に殴り、罵倒し、全裸で放置させておきながら、尊敬？子供にお世辞を強要するのか？そうまでしてガキに尊敬されたいのか？あからさまな嘘で喜べるバカって、有り得るのか？見慣れた人の中に未知なる人格を見て、寒気がしました。<br>　私は、絶対に言うものか！と心に誓いました。たぶん殴られる、と歯を食いしばって来るべき瞬間に備えた。殴られる方がマシなのです。言ったら自分がダメになる気がしたのです。<br>　緊張感みなぎる沈黙の後、父は憤懣やるかたないといった調子で、「もういい！」　とあきらめました。<br><br>　この「尊敬する人事件」を境に、私の不服従が多くなり、比例して折檻が激化しました。生意気なガキの心をへし折ることが教育の目的になり、本当に捕虜収容所のようになっていった。<br>　そのことに、誰も異を唱えなかった。兄は完全に対象からはずされ、私というターゲットが完成したのです。<br><br>　父のスパルタ式について、戦国時代なら当たり前とか、タカ派の意見もあるでしょう。<br>　しかし、それならば、虐げられ恨みを抱いた者が食事に毒を盛る、寝首をかく、敵と共謀する、という事も覚悟すべきです。実際、私は何度も考えた。父親を抹殺することを、具体的に計画しました。父の単身赴任を機に、実行しないで済むようになったのですが……。<br>　子殺しを正当化するとき、親殺しも正当化される。逆もまた然り、です。<br>　私と父は、本当は殺し合いすべきでした。手段を問わず。<br><br>　殺し合いを避けるなら、こんな家の場合は、むしろこの言葉に従うべきでした。<br><br>「もはや愛せざるときは、そを通過せよ」<br><br><br><br>　また何か書きます。
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10824178921.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Mar 2011 10:36:42 +0900</pubDate>
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<title>猟犬的性格　～サンタ狩り～</title>
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<![CDATA[ 　私にとって父のイメージキャラクターは、ナチスの猟犬であり、捕虜収容所の看守でした。監視、罵倒、尋問、折檻といった父の得意技。それでいて世間体は良かった。<br>　猟犬サイドと、看守サイドの両面から記述しようと思います。<br><br>　私が　「サンタ狩り」　と呼んでいる事件があります。<br>　ある日、父は急にクリスマスを憎むようになったのです。<br>　その年のクリスマス直前、「今年からクリスマスは止めだ！」　と一声吼えました。以降、我が家からクリスマスは消えた。<br>　クリスマス中止の理由は、「お前らも、もうそんな年齢じゃないだろうが！」　との事です。私は小学校三年生でした。<br>　まさに「狩り」。ツリーやお飾りをかき集めてゴミに出すオペレーションが、唐突に開始しました。<br>　私たちを尋問し、クリスマスグッズのありかを聞き出す。母親も動員して、血眼になって自宅を家宅捜索しました。見つけ次第、没収、廃棄。没収、廃棄。<br>　本当に意味が分からない。<br>「これで全部かっ！まだあるんじゃないのか！」<br>　こうなると、特に大切にしていたわけでもない小さなサンタの飾りなんかが、とても重要なものに思えて、思わずポケットに隠してしまうのです。しかし父の捜査に例外はありません。<br>「おい、隠してないだろうな」<br>　ガキの浅知恵などお見通しなのです。凄まれたら、出さないわけにはいきません。<br>　その行動は、まさにナチスの猟犬でした。どこから秘密指令を受けていたのか、母でさえ知りません。<br><br>　楽しみ＝幸福＝軟弱と決め付けて、敵視していたフシがあります。<br>　まだ私が純真だったころ、小学校二年くらいだったと思いますが、父の誕生日にプレゼントしたんですね、ハンカチを。最近の子供のようにたっぷりお小遣いをもらってなどいません。コツコツ貯めた小銭で買ったのです。その日はご馳走でした。<br>　ですがプレゼントした二分後、まったく無関係な些細なことで、父は激怒。怒鳴り散らす。食事抜きだ、正座だと、いつもの折檻コース。珍しく母が父をなだめに入ったのは、やはり誕生日という特殊な事情によるのでしょうか。<br>　その事件が発生するまで、私は、誕生日や父の日、母の日には自主的にプレゼントしていました。でもイヤになってしまいました。そうすると、母がしつこく「家族愛」とやらを説いてくるようになりました。このため、しばらくは半強制的な形でプレゼントの儀式は継続したのです。<br>　でも、だんだん立ち消えになります。お祝い事を否定する者に、お祝いをして何になるのか。<br>　長じて私は「買収」という言葉を学びました。つまり、あのとき私は父の「買収」に失敗したのだと、そう考えても合点がいきます。父は、「ご機嫌取りも、買収もムダだ。ガキが小賢しい真似しやがって」　と言いたかったのではないか。<br>　真相は誰も知りません。<br><br>　サンタ狩りのように、見せしめとして物を捨てられるのは、非常に辛かったです。<br>　あるとき私は、お笑い小説を読んで、くすくす笑ってたんですね。これに腹を立てた受験生の長男様が、勉強に集中できないと申し立てた。<br>　父は激怒。<br>　なぜか家の階段を降りたところで、それは行われました。<br>　私の本を取り上げて、「お兄様の受験に協力しないのか！」　と怒鳴る。<br>「こんなくだらんモノは、いらないだろう！　いりません、と言え！」<br>　叫びながら父は本を投げ、床に叩きつけ、踏みにじった。「そんなものは、いりません」　と私に言わせようとして、躍起になりました。<br>　私が言えずに泣き出すと、本の綴じ目から真っ二つに裂いた。<br>　何度もブチブチと千切り、放り投げる。千切っては投げ。こうしてやる！ほら、いらないだろう！と、見えない何かに復讐するように、徹底的に本を破壊した。<br>　父の顔は怒りに歪んでいましたが、どこか楽しそうでもあった。忘我するほど興奮しているのです。今なら分かりますが、サディストなんですね、父は。<br>「次に兄の邪魔をしたら、ただじゃ済まさんぞ」<br>　さっきまで読んで笑っていたはずの、かつて本だった紙くずが、バラ撒かれた。<br>「掃除しろ」<br>　私は自分で掃除させられ、自分でゴミ箱に捨てました。<br><br>　ところで私はレゴブロックが好きでした。いや、好きというか、ほとんど逃避してたんですね、この遊びに。<br>　知能の発達が遅かったのか、中学生になってもやめない私を、もちろん父が許すはずもない。<br>　猟犬的な才能を発揮し、私を尋問して徹底的に家宅捜索し、かき集め、私の目の前でゴミ捨て場に出しました。<br><br>　兄もまた、父に物を破壊されていました。<br>　兄は手癖が悪く、よく私の貯金を盗んでいましたが、親の金まで盗んでいたようです。あの凶暴な親からよく盗む気になるよなぁ……ってのは置いといて。<br>　そうやって貯めた金で、趣味のカメラの望遠レンズを密かに購入していた。<br>　これが嗅ぎつけられ、没収されたのです。<br>　父は庭に出て、兄の望遠レンズを、狂ったように何度も石に叩きつけた。割れる音と飛び散るレンズの破片。イヤなものを見た。いちおう、私は親切にも兄に教えてやりました。レンズ割られてるよ、と。兄は、「知ってる」　とだけ言いました。<br><br>　こんな風にして、常に父は獲物を追い求め、噛み殺していました。<br>　何が彼をそうさせるのか……ハッキリした事は分かりません。<br>　父は、タクシーに乗車していたときに追突事故に遭い、むち打ち症になったことがあります。確かにその時期から暴力のグレードは上がり、折檻の理由はただの言いがかりになりました。（その下地は以前から充分すぎるほどあったのですが……）<br>　事故が原因だから我慢しろと、母は事あるごとに私たちを諭しました。<br>　もちろん受け入れられません。<br>　私は家を出てから、二十代の初めから半ばにかけて、都内でバイク便をしていました。危険な仕事で、出来高制のため、金のため、無茶ばかりしていました。死と隣り合わせのスリルが快感で、失敗して死んでもいいやと思っていたのです。しかも暴走するほどお金がもらえる。私は仕事に熱中しました。<br>　このとき、単独、自損のほかに、幅寄せで潰される、ワゴン車の横腹に突っ込む、左折巻き込みなど、大小あわせて、多い年には、年間１４回の交通事故を経験しました。骨折などはありましたが、走りかたが狂ってたこと以外は後遺症もありませんでした。仕事以外でも、骨を４本同時に骨折する事故に遭いましたが、性格が凶暴になどならない。<br>　車に座ってて、むち打ち症？<br>　それで凶暴になっただと……？<br><br>　次は、収容所の看守としての父について書きます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10823141811.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Mar 2011 10:13:42 +0900</pubDate>
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<title>ターゲット</title>
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<![CDATA[ 　ある夕食。<br>　ダイニングテーブルで、父、母、兄の三人が、普通に食事をしています。<br>　そのテーブルの足元で、私は壁に向かって正座をしている。もちろん、エサ抜き。<br>　家族の食事が終わる。母が皿を洗う水音を聞きながら、私はずっと正座している。口を利いてはいけないし、身動きも禁じられている。<br>　歩くとき、みんな普通に私を避けて歩く。私は生ける置き物です。<br>　兄が部屋に戻る。　父と母が見るテレビの音声が、うしろから聞こえる。私はずっと正座で、視界は壁です。ときおりバレないように足をずらす。<br>　幼児期に比べてトイレを我慢できる時間が長くなり、「トイレに行ってもよろしいでしょうか」　と恩赦を願い出るリスクは減っていました　（サボるのではないか、と父は常に疑っています）。それと同時に、私の強情さも育ちました。我慢の限界まで、理不尽な折檻で謝罪などしない。だからこそ、父はこんな折檻を考案したのです。どうにかして、クソ生意気なガキの心をへし折ってやろう、という魂胆。<br>　母が、「強情張ってないで、もう謝ったら？」　などと、たわごとを言ってくる。「お父さんも、話の分からない人じゃない」的なことを言ってくる。虫唾が走る、というのは、こういうことです。両親の自作自演。ひたすら薄気味悪い問答。いっそ殺せ、そうして新聞に載ればいい、と私は思いました。<br>　そうして、正座している私の背後で、両親が片づけをして、寝る準備を始める。<br>　……ですが、私も案外ヘタレでした。だいたい夜中になる前にギブアップしてしまうのです。<br>　折檻から解放されたいばかりに、自分が悪くないことでも、謝罪してしまうのです。謝罪のときには、自分のどこが悪かったのか、もっともらしい理由を述べなくてはなりません。いうなれば毎週のように、強要された自白によって冤罪裁判に負け続けていました。本当に情けなかった。肉体的な苦痛より、私には、こういう精神的苦痛の方が、よほど堪えた。<br><br>　そのまま両親が寝てしまい、暗くなった居間でずっと正座を続けたこともあります。いったん寝た父が起きてきて、「いつまで座ってんだ！」　と激怒した。これは、私が勝利した数少ない例です。<br><br>　このような折檻が常態化すると、私に対して、誰もなんとも思わなくなりました。そもそもみんな父が恐ろしい。私という生贄がいれば、母と兄は助かるわけで、あえて問題視したくなかったはずです。家族愛、家族の絆という言葉が、いかに「ウソ」なのか、よく分かりますね。<br>　ともあれ、家庭内において、私はターゲットの役割に決定した。ターゲットはターゲットであるがゆえに、何をしても良い。なぜなら、ターゲットだから。日々醸成される、私＝ターゲットに対する彼らの特権意識。その特権意識は、私を「透明人間」にしました。両親も兄も覚えてないと思います、団欒のうしろでひとり正座する私の背中など。<br><br>　幼児期には、私も兄も等しく折檻を受けていました。しかし長男様である兄が中学受験の準備を始めると、兄をそっとしておいてやらねばなりません。<br>　そこで虐待は私が一手に引き受けることになったのです。折檻のたびに、私＝ターゲットという既成事実が確立していきました。<br>　小学校四年生の頃、一軒家に引っ越してからは、悪夢の全裸放置プレイはなくなりました。<br>　そのかわり、秘密警察の尋問のような問答は先鋭化し、殴る蹴るといった直接的な暴行も増えた。正座やエサ抜きの折檻は「丸一日」が基本単位になりました。<br>　<br>　ある夜、父は私に腕立て伏せをさせました。<br>「なんでそんなに太ってるんだ！」　と怒ってのことです。ほかの記事でも書いた通り、父は私に、よりたくさん、より早く食べるよう強制していた。太っている理由は明白なのですが……。<br>　ともあれ、腕立て伏せ十回です。<br>　最初に普通に十回やったところ、やり方が間違っていると言って、NGでした。<br>　父が言う腕立て伏せは、胸を地面スレスレまで下げ、一旦止めてから、ゆっくり持ち上げる、というもの。<br>　きつくて、五回くらいでへこたれました。<br>　父は激怒した。<br>　十回できるまで、何度でもやり直しです。疲労は蓄積するから、時間が経つほど実現困難になりました。<br>　さらに大激怒しました。<br>　父のやり方で十回できるまで寝るな。朝まで時間をやる、それまでに十回できるようにならなかったら……と、たっぷり脅迫された。そうして、父は寝ました。<br>　恐怖です。折檻はどんどんエスカレートしていたので、何をされるか分からない。<br>　ですが結局、無理でした。<br>　疲労困憊した夜半過ぎ。革張りソファの裏の床で、寝てしまいました。<br>　しかし、父の恐ろしいのはこういうところで、わざわざ見回りに来るのです。監視が好きで。<br>　蹴られて目が覚めました。なめてんのか、やっぱりサボりやがったな、おまえごときの考えなどその程度だ、と。<br>　真夜中の応接間。部屋の隅に追い詰められ、蹴られた。母も兄も、誰も見てない。蹴りたい放題でした。<br>　蹴る、というのは、幼児の頃は父もなるべく避けていたんですが、今までとルールが変わってきているのを実感した。<br><br>　次の日から、鍛錬のための特訓メニューが用意されました。<br>　でも、父の方針で米を多量に食べ続けているから、痩せるはずもない。<br><br>　私が中学生だったある日のこと、それが理由で、父の部屋での暴行に至りました。<br>　特訓メニューを父の見ている前でやらされた時です。<br>　疲れ果てて、腕立て伏せの途中で、私がぐしゃっと潰れる。<br>　すると父が、唐突に叫びました。<br>「この豚が！醜くブクブク太りやがって！」<br>　腹を蹴り上げられた。そのあとは文字通り、踏んだり、蹴ったり。<br>　このときの父の顔が、凄かった。野獣です。今までの折檻とはレベルが違う。二人しかいない密室で、本性がでたのです。<br>　一回やってしまうと、二度目から実行に際して困難はない。周囲に誰もいなければ好きなように蹴り飛ばせる、という事を学習したのです。日を追うごとに、人間の心のタガが外れていく過程を見た。<br><br>　ところで、「光線治療器（説明省略）」　という医療器具？があります。父の愛用品で、父の部屋に置いてあるのです。<br>　暴行が終わったとき、光線治療器に、土下座するよう命令されました。<br>　父の怪我を治してくれる有難い機械様だそうで。これに感謝を捧げろ、と。<br>　強要されたセリフは、こんなものでした。<br>「お父様の怪我を治していただき、有難うございます。これからも、よろしくお願いします」<br>　私は、その物体に、土下座をしました。<br>　父はやっと満足したようです。<br>　命令通り、その日の残りは、ずっと正座で過ごしました。<br><br>　折檻の理由は、昔から些細なことだったのです。しかし、経年劣化か、日々輪をかけてくだらなくなっていく。<br>　いいがかり、因縁レベルに落ちたのです。自分の大声で興奮する、自分の言葉に激怒する。一度決め付けたら、こちらが何を発言しようと、言い逃れ、言い訳、ウソ、親をバカにしている、などと、一声ごとに罪状が重くなるばかり。最後は折檻される以外に選択肢はないのです、初めから。教育の大義名分さえないこともありました。<br><br>　これには、後日談があります。ターゲットとしての私の立場と、彼らの特権意識がよく表れています。<br>　私は生命の危機さえ感じていました。父の野獣の顔、本当に何をされるか分からない、と思った。死ねば楽になるとは分かっていたけど、私には無駄に強力な生存本能があるのです。本当にムダですが……。<br>　そこで、連日、密室で何が起こっているのかを、母に報告しました。すると、母は言いました。<br>「あんたは、恨み深い子ねぇ」<br>　ターゲットの分際で、甘ったれた被害妄想などいちいち言いに来るな。そういうことなのでした。<br>　私は、恨み深い……。執着心が強すぎるのでしょうか。何が正常で、どこから異常なのか、自信が無い。本当に、何が正しいのか、全然分からない。もしかしたら、世間では大した事がない出来事で、私が考えすぎなだけ、私の性格上の問題に過ぎないのかも知れない。自分の感覚も信用できない。<br>　でも、ただひとつ、私は、私の記憶力だけは、信じている。<br>　そして私は彼らを許さない、私が間違っていたとしても。<br>　救いがないですね。それでいいんです。こんな家族は、滅亡すればよい。<br><br>　ああ、この時期は本当に大変でした。<br>　家では見ての通り折檻。中学校では、イジメです。<br>　逃げ場なしでしたが、結果から見ると、私は結構タフだったみたいです。ありがたくもない、うれしくもなんともない。とっとと死んでおけばよかったのに！本当に生存本能が無駄すぎる……。<br><br><br>　今朝は餓死の予行演習よろしく寝転がっていたら、日が沈んでしまった。<br>　死体のように無気力です。<br>　どうにか自分を強いて食事をとり、漸くPCに向かいました。<br>　とにかく、書かなければならない事は、書かなくてはならない。砂漠に行く前に。<br><br>　また何か書きます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10823005901.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Mar 2011 02:03:33 +0900</pubDate>
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<title>身体と食事と折檻と</title>
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<![CDATA[ 　電極付近が黒ずんだ、蛍光灯の輪っか。<br>　眠っていた私は起こされました。<br>　父親に担ぎ上げられ、何枚も服を着せられて、連れ出された。母親も血相変えて慌てて、尋常じゃない空気。<br>　寝ぼけた私が、「どこ行くの？」　と聞くと、「いい所だ」　と父が答える。「テレビある？」　と訊ねたら、「なんでもある」　と言う。<br><br>　私が　「蛍光灯」　と名づけているこれが、自身の最古の記憶です。<br>　当時私は二歳、川崎氏病で入院・手術する時の一幕です。それまで死に至る病だったんですが、画期的な手術が完成した頃でした。<br><br>　手術台と思しきベッドに寝ている場面も、うっすらと記憶があります。<br>　医者っぽいオッサンに、むやみに褒められている。太股に手を当てられた。手術内容とは一致します。大腿の内側から心臓カテーテルをしたので。<br>　でもこっちの記憶は、自分で自分を見ている記憶です。その後の情報を元に意識のどこかで捏造しているのかも知れない。また、寝ていた台は、レントゲン台かも知れない。夢みたいで、あやふやです。<br><br>　川崎氏病、不整脈、アトピー性皮膚炎、各種アレルギー。私は病弱でした。体格も貧弱で、がりがりだった。<br>　そこで両親は過剰に私を鍛えようとしました。それはまぁ、自然なことです。<br>　しかし、やり方が問題で、暴力と説教、というよりは、収容所の看守による私刑みたいなやり方で追い詰める。従わない時や、異論を挟んだら折檻。というものでした。<br><br>　私の家族は、食事に執着していました。<br>　全員が揃って食べなくてはならないという鉄則。より多く食べる、より早く食べるという原則。食べる姿勢、箸の持ち方、おかずを食べる順番、あいさつ、騒音規制、会話など、多くの決まりがありました。違反すれば折檻です。<br>　食事中のルール違反は、軽いものならビンタなどで終わりですが、重度の犯罪？なら即座に食事は中止、折檻です。もちろん食事は取り上げられます。<br>　たとえ親の目の前でなくとも、幼稚園で弁当を食べるのが遅かったと報告があれば折檻、あるいは私を尋問しては折檻でした。<br><br>　折檻の理由は様々です。たいがいは言いがかりのようなもので、どういう態度をとろうとも、折檻するときはされる。両親は、「自分の言葉で興奮する」　ので。<br>　実施される折檻は、長時間の裁判に似た説教、張り手、殴る蹴るといったオーソドックスなもの以外に、関節技や、土下座、自己批判の強要などがありました。しかし、子供時代にもっとも多くの時間を割いたのが、正座です。<br>　裁判の結果、たいがい一時間から三時間の範囲で実施時間が決定され、これに様々なオプションがつくのです。<br><br>　たとえば、敷居の上に正座。<br>　出っ張った敷居が向こう脛に食い込むので、より多くの苦痛を与える事ができる。敷居の種類によって痛み方も異なります。昔の時代劇でやってた、あれみたいなものです。<br><br>　追放刑と組み合わせて、屋外で正座というのもよくありました。<br><br>　ほかの記事にも書きましたが、全裸で衆人環視にさらす正座は、重度の違反の場合です……が、どのへんから「重度」なのか、私には分かりませんでした。両親にも明確な基準はなかったと思います。ルール違反にくわえて、反逆罪というか、親に反抗したときに、この制裁が加えられたように思う。<br><br>　シンプルなのに意外なほど精神的苦痛を味わえるのが、「壁に向かって正座」　でした。膝と壁の間は、拳一個分の距離。真っ直ぐ前を向いていないといけないので、目の前15センチ先は一面の壁です。身動きすると怒鳴られ、時間延長のペナルティが課される。これを三時間続けると、なぜかヘトヘトになります。<br>　ときどき、理由もなく、これをやらされました。ちょっと座ってみろ、と。折檻でさえなく、開始時に「正座X時間」という宣言もないのです。父の気が済むまで座っていなくてはならない。後ろで父母が、私の姿勢がいいとか悪いとか、品評会をしている……意味が分からず、涙が出ます。<br><br>　頻発する　「食事を与えない」　というオプションは、私が大食いになってから、大きな効果を発揮するようになりました。<br><br>　食が細い私を暴力で強制したおかげで、私は大食いになりました。中学生の頃がピークで、食うわ、食うわ。しかも早い！鍛えられましたので。早く大量に食べないと、拳骨だの全裸だのが待っていたら、食べるようになるのです。<br>　食べまくる私に父はたいそう喜んで、「米ならいくら食っても大丈夫」と奨励ししました。私は米を食って食って食いまくった。<br>　このとき誰も知らなかったのですが、米って、炭水化物なんですね。茶碗に何杯もの砂糖を食べているようなものです。でも、「肉は太る、米で太るはずがない」　というのが父の持論でしたから、たとえ知っていたって、指摘された瞬間に逆切れ激怒、折檻されて終わりだったでしょう。<br><br>　そうして、私は、太りました。<br>　がりがりだった幼児期など想像できないほど、太った。<br><br>　もちろん、中学校ではイジメのターゲットになりました。<br><br>　さらには父から　「どうしてこんなに太っているんだ！」　という理由で、折檻されるようになりました。<br>　そう、父はデブが大嫌いだったのです！<br>　この時期に父の暴力はピークに達します。日曜日は殴って蹴ってストレス解消したあと、丸一日食事抜きで正座などというのも、頻発しました。それでも私が痩せる事はなかった……ある意味すごい。<br>　加えて長男様である兄がターゲットから外され、私は折檻用の犬、というか豚の立場に落ちていきました。犬とか豚と形容するのには根拠があるんですが、別の記事で書きます。まぁ、たいした事ではないのですが……。<br><br>　のちに心療内科に通い出してから、体重はみるみる下がりました。一気に二十キロ以上落ちてゲッソリ。<br><br>　私は、誰かと一緒に食事をするのが苦手でした。一人暮らしを始めて、一人で食べる食事が、なんと自由で気楽なものか！孤食最高！って絶賛した。<br>　家族の食事は全員一緒に、という鉄則だったから、夕飯は父が帰宅するまで絶対に食べてはいけない。そうして始まる食事は、ギチギチのルールに縛られ、ちょっとした不用意な言動に激怒する父の顔色を窺いながら、緊張の綱渡りでした。ぶすっとしていると、「なんだその仏頂面は」「いっちょまえに、ふて腐れやがるのか」「父親に文句があるのか！」　などとくるので、表情にも気を使わないといけないのです。<br>　噛み締めるのは、「一家団欒」　という言葉のウソ臭さだけ。<br><br>　それにしても、あのとき川崎氏病で死んでおけば、こんな事にはならなかったのに……と思うと、やり切れません。<br>　大病で両親は心配したというが、その後の展開を見れば、折檻するために助けたのか？と追求したくなる。<br>　あのとき心配してやったのに、助けてやったのに、というセリフは、命で購われた奴隷のように感じました。中二病と言われようとも、折檻の最中に私は本気でそう思っていた。そう思ってしまうことを、私は否定しませんし、絶対に撤回しません。<br><br>　そして今、なんの意味も希望もない人生を生きています。<br>　ただ息をしているからという、たったそれだけの理由で、生きていなくてはいけないのか。<br>　自然淘汰に逆らう罪深さを、この先も生きていかねばならないのか。<br>　無駄な生命というのは、本当にあるのです。<br><br>　また書きます。<br>
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<pubDate>Sun, 06 Mar 2011 04:25:19 +0900</pubDate>
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<title>ドアノブは恐怖の合図</title>
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<![CDATA[ 　家のドアノブを、どうやって回すか。<br>　ガチャガチャッという音で、父の怒りレベルが分かります。怒っていない日はない。<br>　私は今でも、ドアノブの音には敏感です。<br><br>　単に乱暴に回すのではありません。怒りを込めて、回すのです。ガチャッと回すのか、ガチャガチャッと回すのかは、全然違います。そのうえ、鍵がかかっているのを承知で何度もノブを引っ張るなど、狂気としか思えない。引っ張り方も、怒り度で変化します。<br>　ガチャガチャッ！バンバン！という一連の音が、恐怖の時間の合図。父が帰宅したのです。<br><br>　怒りが大きすぎると、私が眠っていても、叩き起こされます。<br>　折檻のための折檻です。寝ている子を叩き起こしての折檻なら、より攻撃性が増して、より父のストレス解消力が高まるのでしょう。そんなの、「教育」「躾」などとキレイごとを言おうが、明白です。<br>　折檻の理由というのは何でもよくて、こんな感じです。<br>「きのう、父のいないところで、母親に口答えしたな？陰に隠れてコソコソしやがって！<br>　してないだと？親に嘘を言うのか！覚えてない？おまえは低脳か！思い出させてやる、来い！」<br>　この問答、どう答えても最後は折檻される。<br>　書いてみると、漫画の一シーンにしか見えない。でも、実際に、私の家はこうでした。<br>　それが教育だと、両親は頑なに信じていた。<br><br>　運が良い日は、必死の寝たフリでやり過ごせる。でもこれは諸刃の剣です。寝たフリがバレると、新たな罪状が加わって、折檻のグレードが上がる。だから一度寝たフリをしたなら、最後まで貫き通さねばなりません。寝たフリも必死なのです。<br><br>　父が帰ったとき、玄関に出て鍵を開けるのが私だと、怒り倍増です。<br>　そこで、たとえば、いきなり私にビールの栓を開けさせ、「待て、手を洗ったのか？」　と聞く。洗っていない事が発覚すると、「蟻ほどの衛生観念もないクズが！」　などと罵倒モード開始。父は罵倒が大好きなのです。<br><br>　またあるとき、ドアの鍵を開けた私が、逃げるように部屋に戻ろうとする。と、父は、「親父様が帰ってきたのに、水も出さんのか！」　と怒鳴る。（自分で「様」付けです）<br>　私はコップに水道の水をジャーッと入れて、ドン！と机に置きました。睨み合って、一触即発。さすがにこっちが高校生にもなると、簡単には手が出せません。緊張感で全員ピリピリして、チキンレースみたいな毎日でした。<br><br>　あまりドアノブと関係ない話になってしまいましたね。<br>　しかたありません、ドアノブなんて、本当はどうでもいいんです。<br><br>　またなにか書きます。<br>
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<pubDate>Sun, 06 Mar 2011 00:44:56 +0900</pubDate>
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<title>私という牢獄</title>
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<![CDATA[ 　たとえば、「渡る世間は鬼ばかり」の登場人物が、全員「自分」だったら……と考えると恐ろしい。<br>　人物のみならず、机や椅子も自分で出来ている。家、電車、地面や空、太陽も、ぜんぶ自分で出来ている。踏まれるのは自分、踏むのも、空でニヤニヤ笑っているのも自分。厨房で料理される肉は自分、料理人は自分、食べている客も自分。トイレで気張っているのは自分、座っている便器は自分、便器に投下される物体も自分。空気や臭気でさえ自分を溶かした何かでできている……。<br><br>　これが、慢性的な呪い状態です。<br>　他人への興味・意識が一切なくなる。脳内に自分しか存在できない。自分中心とは違い、他者を利用する気はない、利用できるほど他者を意識できない。自分についてしか考えられない状態で、自分地獄なのです。自分でできた自分の牢獄なのです。<br>　関係ないけど、私は「渡る世間は鬼ばかり」を視聴したことがありません。すいません。題名が好きなだけなのです。<br><br>　以前に書いたように、まず、急性の呪いがやってきます。発作的な激情に囚われ、後に残るのは追憶と無力感、生きている限り続く敗北、自己抹殺の誘惑。そのあと、残留毒のような、慢性的な呪いに冒されていきます。<br><br>　その発生メカニズムをたとえるなら、中心に丸い穴の開いたテーブルに、一枚のテーブルクロスを敷いたところ。穴は自分の無意識、布は自分の意識です。<br>　通常、テーブルクロスは表を向いています、意識は外界に向けて開いています。<br>　では、穴の上の布に、重石＝急性の呪いを置くと、どうなるか。<br>　布を巻き込みながら、重石が穴に沈んでいきます。巻き込まれた布は、穴の中で向かい合い、内向きに接触します。<br>　かくして布＝意識は自分の中に閉じ込められ、お互いに向かい、永遠に噛み付き合う。<br>　これが、自分にしか興味がもてない状態、自分にしか意識を向けられない状態です。<br>　自己卑下、自己憐憫、自画自賛と自己否定だけが育っていく。<br><br>　要するに、自意識なのです。<br>　自意識過剰を通り越し、自意識しか存在していない状態。<br>　慢性的な呪いとは、そのようなものです。<br><br>　ストレスを取り除けば、たぶん軽減できるのでしょう。ストレスとは、他人に理解されない事、誰にも言えずに蓄積する閉塞感、過剰な自己過小評価、屈辱感や無力感、敗北感、世間による否定といったものです。<br>　しかし、軽減する方法を、私は知らない……いや、知っていたが、それは敗北した。<br><br>　自意識の牢獄から逃れるため、私は放浪を続けました。<br>　動き続ける世界、めまぐるしく変化する環境。放浪健康法は効果的でした。外国語をしゃべるようになると、自分の中にもうひとりの自分が発生した。英語で考える時と、日本語で考える時は、どこか違っている。文法と表現作法の違いが、価値観に影響を及ぼすのです。私の外国語が未熟でボキャブラリーが足りないせいなのかも知れませんが、やはりどこか異なるようです。<br>　だが敗北してしまった。<br>　逃げ切れなかった、私は。<br>　逃げた先で、自分の牢獄に閉じ込められてしまった。<br><br><br>　「病的だが、病気ではない」<br>　十代の終わりに、精神科医にそう云われました。言い得て妙というか。この中途半端さのおかげで、医者にかかろうとも治療はない。カウンセリングに関しては、おかげで　「放浪健康法」　にまでたどり着いたので、多少は効果があったようです。それももう無効になってしまいましたが……。<br>　根治せず、器用に遣り繰りしている。本質的な問題を先送りしながら、巧みに延命しているだけ。自分の器用さに生かされている。<br>　でも、もう疲れたのです。<br>　無駄な生存本能のせいで自殺もできず、無駄に器用に生きているおかげで誰にも理解されず（むしろ「自由に旅をしてうらやましい人」などと言われる）、ただただ虚無と孤独が蓄積していくのです。生きてて楽しい人が理解できない。希望はない。早く終わらせたい。<br>
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10821797621.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Mar 2011 22:22:37 +0900</pubDate>
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<title>表現の不能</title>
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<![CDATA[ 　言いたい事がありすぎて、何も言えなくなる現象。やがて、どうせ伝わらない、何を言ってもムダと思い始める。すると頭が空っぽになる。初めから何も無かった気さえする。結局すべては幻で、なにか重要な事があったという気分だけが漂い続ける。喫煙者の部屋に染み付いたタバコの悪臭のように、いつまでも無力感を反芻させる。<br><br>　私はいつもそんな感じです。<br>　何かを言おう、書こう、作ろうとすると、必ず最後はそのようになってしまう。目的が頓挫し、心と頭脳が停止した後で、意欲の残り香だけが無力感をジクジク分泌させる。「やはりダメなやつだ、存在する意味がない、早く死んでしまえ」と自分を責め続ける。もう、行動する前から負けが決定しています。<br>　そのせいで、なにひとつ、物事を完成できないで、今日に至ります。<br>　これから先も、ずっと負け続けるのでしょう。<br>　早く死にたい。無駄な生存本能を麻痺させられればいいんですが……。<br><br>　今回も、実は他に書こうとした事があったのです。しかし、知らない間に潰えてしまった。<br>　いまは慣れてしまった敗北感に苦笑しています。こうして枯れていく。<br><br>　これでは、「言いたい事を言ってストレス軽減」　という当初の目的を果たし得ない。<br>　そんなことさえできないとは、本当に、どうすればよいのでしょうか……。<br>
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<pubDate>Sat, 05 Mar 2011 01:23:57 +0900</pubDate>
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<title>呪いの源泉</title>
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<![CDATA[ 　治らない病は、「呪い」　と形容するのが正しいかも知れません。<br>　呪いに追いつかれないように、私は旅をしていた。今もまだ旅の途中です。旅の間は健全でいられたからです。<br>　ですが、ついに、呪いに追いつかれてしまった。<br><br>「呪い」に囚われるとどうなるのか。<br>　間歇的に怒りと憎しみの発作が襲ってきます。心拍数が上がり、体温は上昇し、頭がくらくらして、殺意さえ覚える。、「なぜ今こんな所にいるんだ！こんな所にいる場合じゃない！」とムダに切迫してしまいます。拳は固く握られ、机を叩き割りたい衝動を抑える。<br>　それらが行き過ぎるのを、じっと待つ。<br>　次に来るのは、虚無感、恥。哀しさと罪悪感です。<br>　心無い発言や行為が追憶を呼び覚まし、玉突き衝突のように悪感情はインフレする。<br>　そういった悪感情から逃げるだけの人生には、希望がない。<br><br>　ああ、どこから書いたらいいのか分からない！<br><br>　書くべきことが多すぎて、まるで整理できない。<br><br>　この無力感！<br>　死に値するほどの、この無能さ！<br><br>「私は劣等生です」　と、何べんも、父親に言わされた通り、私は立派な劣等人間になりました。お喜びください。<br>　自覚が足りない、声が小さいと、手首の関節を小手返しでひねられ、床に押さえつけられて、あの日私は何度もそれを言った。大声で叫んだ。<br>　他にも色々あったはず。<br>　そうだ、父は音楽を憎んでいた。<br>　音楽の成績が良かったとき、土下座で謝罪しなくてはならなかった。<br>「音楽の成績が良くて、申し訳ありませんでした」<br>　すごく良かったのではありません、父の好きな算数と体育の成績よりは良かったのです。これが、「父をバカにしている」　というわけで。他、図工と国語に関して、「得意科目は、もう二度と勉強しません」　と宣誓させられたんですが、それもこれも、素質のない算数、数学、体育のためです。<br>「嘘も繰り返せば本当になる」　という話は本当です。自己批判は効果的で、すぐに成績は下がった。他の科目も全部まとめて下がる。すると新たな折檻という無限ループです。<br><br>　正座の折檻にもいろいろあって、幼稚園児のころは、よく全裸で正座させられた。<br>　服を脱がされ、玄関の外に正座。<br>　パンツを脱がされるのが本当にイヤで、抵抗しては殴られた。だいたい三十分から二時間、座らされた。<br>　折檻の理由は、たとえば　「もたもたと、いつまでも食事をしていた」　から……。なぜ、見知らぬ人に、裸で正座しているのを、見られなくてはいけないのか。<br>　とはいえ、案外みんな見て見ぬフリをしてくれます。冷たいのはコンクリートも視線も同じで。変態の家族だと思われてたんですかね。今なら聞いてみたい気もする。<br>　幼児期に限れば、長男様である兄も等しく折檻されていました。<br>　全裸で屋外放置も、よく二人並んで正座してましたよ。「なんでこんな事するんだ！もういやだ！」って私が怒って泣くと、兄は、「黙れ！黙って座ってろ！」　と泣いてましたね。<br>　屈辱感、無力感はありえないレベルですが、防犯のため　「人さらい」　の話をたっぷり聞かされていたので、恐怖感も半端なかったです。幼稚園児だって、そんぐらいのことは分かる。<br>　親がボケ老人になったら、同じ事をしてやりたい。する権利があると思う。死ぬまで放置したやりたい。<br><br>　折檻が好きな家でした。<br>　殴り、ひねり、自己批判。私にエサを与えるかどうかの裁判。何時間どんなシチュエーションで正座させるかの裁判。持ち物を取り上げて破壊する、捨てる。ただ追い詰めるための説教。<br>　私は密かに、あの家は「捕虜収容所」、父を「看守」と呼んでいました。両親が私をコントロールするのに食事を武器に使うので、食事は「エサ」と呼んでいた。それを責めないで欲しい。事実だから。<br>　折檻されずに育った普通の人たちが憎い。<br><br>　だめだ、思い出すと手が震える。<br>　暖房ついてないのにこの暑さはなんだ。<br><br>　父は、私と兄を、相当なバカと考えていました。<br>　あるとき父は出張から帰り、私たちにお土産を下賜します。それが焼き物の鈴なんですね。狛犬のような顔をしている。<br>　何かの神様を象ったものだそうで、「何の神様か当ててみろ」　と父が謎かけします。<br>　答えられずにいると、ヒントをくれました。「お前らに、一番足りないものだ」　と。<br>　下手な事を言えば殴られる。父が好きそうな、努力とか向上心とか、言ってみたんですが、全部外れでした。<br>　答えられない愚かな子供らを、父は鼻で笑った。<br>「知恵の神様だ」<br>　勝ち誇った。<br>「お前らに一番足りないものだと言っただろうが」<br>　私たちに、お土産をよこしました。「ありがとうございます」　と言わなくてはならない。<br>　世界で一番うれしくないお土産です。<br>　後年、私が発狂したときに、真っ先に鉈で破壊したのが、この焼き物の鈴でした。<br><br>　そうやって追い詰めてせせら笑うのが父の楽しみだったようで。<br><br>　十代の終わりに、私が心療内科に通い出したころのことです。<br>　私は自分の人生の無意味さを、なんというか、ついに「実感」しました。理屈で分かっていたけど、内面世界が崩壊するほどの「余裕」が無かったんですね、それまでは。<br>　捕虜収容所の生活はサバイバルで、外敵・外界に対する緊張感で余裕が無かった。強力な自衛本能が私を支えていた。同時に、強すぎる両親の支配が、自我の発達を阻害していた。怒り憎みつつも、両親を信用していたし、たぶん愛していた、飼い犬が主人を慕うように。<br>　でも、医者に通いだして、きっと少しだけ緊張がほぐれて、それが忍び込んでくる余裕ができてしまった……。<br>　ある日、父に説教されている最中に、つい吐露してしまいました。<br>「今まで、自分は何をやってきたんだろう。生まれてから今までの自分の人生は、ムダだった。自分の存在がまったく無意味な気がして、恐ろしい」<br>　泣きながらそう言った私に、父はこう答えました。<br>「今ごろ分かったのか、馬鹿者」<br>　父は嘲笑いました。<br>　まぬけにも見事に人間敗北宣言をした私は、引きこもりになった。<br><br>　サメのような終わりなき逃走生活を始めたのは、その数年後です。<br>　何から逃げるのか。<br>　消えるはずもない追憶。怒りと憎しみの激情。無力感と、安楽死への憧憬。<br>　つまり、「呪い」　からの逃走です。<br><br><br>　ちょっとダイジェストっぽく書いてみたけれど、実際にこうして文字にしてみると、案外たいしたことない事で悩んでいる気がする。なんだ、その程度か……無力感が倍増です。<br>　みみっちい人間なのでしょうね。<br><br>　どう書いたらいいのか。<br>　食事に関するルールと、異常な執着。<br>　折檻と支配への執着。<br>　教育が虐待に堕していく過程。<br>　封建的な思想と、長男様主義。<br>　最後は私だけが虐待用の犬になったこと。<br>　兄との葛藤と、ドロップアウト。<br>　家族全員が心療内科や精神科に通った事。<br>　兄に詐欺の片棒を担がされ、はしごを外されたこと。<br>　父の母に対する支配方法。<br>　母のヒステリーと、いつも愚痴を聞かされていた事。<br>　折り紙を捨てられてしまった事。<br>　目の前で本を破いて捨てる事。<br>　……<br>　ナマの感情を、感覚を、どう書いていいのか分からない。<br><br>　なんか色々出てくる。<br>　まぁ、まだ始まったばかりというか。<br>　また書きます。<br>
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<pubDate>Fri, 04 Mar 2011 08:11:15 +0900</pubDate>
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<title>旅に疲れて……</title>
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<![CDATA[ 　このストレスを、どこにぶつければいいのでしょうか。<br><br>　本音を話せる人がいません。友人たちの間で、私は「悩みがないキャラ」「「行動的な人」と決めつけられている。内面はドロドロな人間にも関わらず。　<br>　友人が多ければ多いほど、心にもなくニコニコしなくてはならない場面が増える。日常的に嘘をつき続ける。何かが枯れる。<br>広大な土地があっても、それが砂漠なら、心が乾いていくだけなのです。<br><br><br>　そもそも私は人間不信、人間嫌いがすさまじく、自分不信、自分嫌いがこれまた激しい。<br>　性格が悪いのか、家庭環境の悪さゆえか、子供の頃から友だちは少なく、中学ではいじめられっ子でした。<br>　高校をどうにか卒業して、ひきこもりになり、心療内科に通いました。<br>　数年間をもぐらのように生きてから、爆発的に行動を始めます。暗い追憶と発作的な激情から逃げるため、世界中を旅をしたり、職を変えたり、引っ越したり、いつも動き続けました。<br>　これを「放浪健康法」と勝手に命名した。精神衛生のため、常に進んでいくのです。<br>　そうしないと自滅してしまう。停滞すると、自分が腐敗してくるのを感じます。<br>　泳ぎ続けるサメのごとく、そんなライフスタイルを続けるだけの「器用さ」がありました。<br>　ですが……ひとりの「器用貧乏」にすぎなかった、私は。<br>　もう限界に来ています……。<br><br>　真面目に考えぬいて動くほど、傍目にはいい加減に見えるこの人生。<br>　その切実さと虚しさを誰かに分かっていただきたいのだが、どうしたらいいのか分からない。<br>　理解されないから言えない。<br>　恥かしいから言えない。<br>　変に同情されたくない。<br>　笑われたくないから言いたくない。<br>　しかし、言わないとストレスで死にそうだ。いや死にたい、本当に死にたい。死ぬ以外の解決が見出せない。<br>　どこまで行っても、希望がない。<br>　ただ逃げるしかない人生、何が楽しいのでしょうか。つまんない延命措置、いいかげん辞めりゃいいのに。<br>　私は、旅にくたびれたのです。<br><br><br>　自分の本家ブログに書こうにも、写真ブログなので場に相応しくないし、自身の写真も出ている。それに、あれは、嘘の記録です。行動の記録としては事実なのに、人間の記録としては嘘。表面的すぎて見るに堪えない。私は本音を書きたい。<br>　匿名掲示板に書こうと思ったけど、できませんでした。どうせ「自分語りきもっ」とか「甘え」とか、笑われて終わりです。<br>　それで。追憶＆愚痴ブログ。<br>　少しずつ、書きます。<br>　そうして人生の終結への踏ん切りがつけば、と思う。<br>
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<link>https://ameblo.jp/42zo571/entry-10819845710.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Mar 2011 06:26:23 +0900</pubDate>
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