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<title>5101-56のブログ</title>
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<title>Trump's Administration...</title>
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<![CDATA[ <p><font face="Arial, sans-serif"><font size="4">&nbsp; &nbsp; Will we have to endure to keep watching, at least two to four years, this third-rate Western-style-movie-like Trump's Administration Show ? </font></font></p><p><font face="Arial, sans-serif"><font size="4">&nbsp; &nbsp; By the way, that is the choice of the half of the American electorates, though. </font></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/5101-56/entry-12894164736.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Apr 2025 01:46:26 +0900</pubDate>
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<title>＃ニッポンの「ん？」: No.２</title>
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<![CDATA[ <p>★　手遅れかまだ間に合うか過ちをなぞる政治家選ぶ国民</p><p>　　　　　　　　　　　　五十井梧楼　（朝日歌壇・永田和宏選）</p><p>&nbsp;</p><p>　２０１７年５月の朝日新聞に掲載された短歌だが、以来</p><p>５年経っても、未だに改善される気配は見えない。</p><p>　２２年７月には参議院議員選挙があるが、与野党の勢力</p><p>が劇的に変化する事はないのだろう。</p><p>　しかし、考えてみれば、政治家と云うのは何と崇高な職</p><p>業なのだろうか。</p><p>　政治の目的は、国民が豊かに穏やかに生活出来る様にす</p><p>る、このひと言に尽きる。</p><p>　その為に、自分自身を犠牲にしてまでも、ひたすら国民</p><p>の幸福を目指して努力を続けていればこそ、現状を考えれ</p><p>ば、夜もおちおち眠れないだろう。これを崇高と云わずし</p><p>て何と云おうか。</p><p>　ところで、日々それ程苦労しているにも拘らず、改善す</p><p>べき問題は次々に出てくるわけで、これでいいという事</p><p>はない。永久にない。</p><p>　つまり、永久に批判にさらされるのだから、並みの神経</p><p>ではとても持ちこたえられないだろう。</p><p>　どんな政党のどんな政策でも、恐らく十全という事はな</p><p>いだろうから要求と批判は続く。</p><p>　また、批判のないところに改善は生まれないのだから、</p><p>野党にとって政権与党を批判することは、政権を運営する</p><p>のと同様に、非常に重要な事だ。</p><p>　従って、「野党は批判ばかりしている」と云う批判自体が</p><p>とんでもない大間違いなのであって、野党は常に建設的な</p><p>批判を続けなければならないのだ。</p><p>　しかし、特にここ数年来、野党の無力さに歯痒い思いを</p><p>している国民も少なくないだろうと思う。</p><p>　与野党の中間の「ゆ党」よりも更に、政権与党の権力にす</p><p>り寄る「え党」に成り下がった「自称野党」の政治家がゴロゴ</p><p>ロしている様にが、彼らは一体全体な～にを考えているの</p><p>だろうか。</p><p>　「政治ごっこ」をしているに過ぎない様にしか思えないの</p><p>だが、もしかしたら、多分、恐らく、国会議員には必須の、</p><p>物事を深く考えるという能力が欠如している人達なのだろ</p><p>う。</p><p>　そして、もしかしたら、多分、恐らく、選挙民たる我々</p><p>国民にも、この能力が欠けているのだろう。</p><p>　各種選挙での投票率の低さが、日本国民の思考停止の状</p><p>況を示している。</p><p>　さればこそ、庶民の暮らしは少しもよくならないのだ。</p><p>崇高ならざる政治家達だけを責めるのは間違っている、と</p><p>云いつつ、ただ瞑目、歎息する次第に御座候。</p><p>　　　　　　　　　　 ( 2022-05-11 )</p><p>　　　　　　＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿</p>
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<link>https://ameblo.jp/5101-56/entry-12742275008.html</link>
<pubDate>Wed, 11 May 2022 22:51:41 +0900</pubDate>
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<title>＃ニッポンの「ん？」: No.1</title>
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<![CDATA[ <p>「赤い夕陽に照らされて」2022-03-11<br><br>　東日本大震災から11年、復興は未だ途(みち)半(なか)ば。<br>　中でも、地震津波に加えて、原発事故の被害に遭(あ)った福島では、今でも多くの方々が、帰還できずにいると云う。<br>　住む人のない住宅と、草に覆われた田畑の跡地が、赤い夕陽に照らされている。そんな映像が、私に古い軍歌を想い出させた。<br>　日露戦争の時の、満洲の赤い夕陽に照らされている、荒涼(こうりょう)たる戦場の光景を詠(うた)った「戦友」と云う歌だ。〈作詞・眞下飛泉(ましもひせん)、作曲・三善和気(みよしわけ)、発表・１９０５年〉<br>　明治３８年の歌なので、出来るだけ元歌の表記を残したが、若い人にも読んで貰(もら)えたらと思い、「送り仮名」をば付けてみた。<br>　中学・高校時代の「古文・漢文」の時間と思って、お付き合いを願いたい。<br>　但し、文法的には聊(いささ)か心許(こころもと)ないが、そこはひとつ『♪笑ってぇ許してぇ～♪』という事でご容赦を…。<br>　今となっては元歌を、知らない人が殆(ほとん)どだろうが、YouTube でも聴けるから、一度は聴いてみて下され。<br>　　　______________________________________________________________________<br>　<br>★「軍歌『戦友』に寄せて＝117年後の福島で」<br>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　・ここは皇居を７０里、離れて遠き福島の、赤い夕陽に照らされて、友は野末(のずえ)の石の<br>　　下。<br>　・思えば悲しあの日まで、皆それぞれがひたむきに、命を懸けてコツコツと、真面目に生きて来たものを。<br>　・畑耕し田を起こす、果物作る鶏を飼う、牛を育てる魚獲る、生業(なりわい)数多(あまた)ありたるを。　&nbsp;<br>　・ああ運命と言うなかれ、にわかに起こる原発の、爆発事故のそのために、避難せよとぞ言われける。<br>　・詳しいことは知らされず、避難の場所も知らぬまま、すぐに帰って来るものと、着の身着のまま出でにけり。&nbsp;<br>　・あとに心は残れども、残るはならず許されず、それじゃ行くかとバスに乗り、体育館の避難所に。<br>　・だからあれほど言ったべさ、今はいいけど原発は、何か起きたらもうダメだ、ただ逃げるしかないんだと。<br>　・はて幾日が過ぎたるや、高き濃度の放射能、まだ当分は帰れぬと、次は仮設の住宅に。<br>　・名は住宅というけれど、プレハブ造りの収容所、その人籠(ひとかご)に入れられて、近所の人も散り散りに。<br>　・たとえ豊かにあらずとも、日々穏やかに暮らせしは、笑い励まし助け合う、地域の仲間がありてこそ。<br>　・いつになったら帰れるべ、これからどうしたらいいべな、仕事生甲斐(いきがい)奪われし、身の行く末の佗(わ)びしさや。<br>　・地震津波は天災と、諦めようもあるものを、人が造った原発の、事故は人災にあらずや。<br>　・仮の住まいの明け暮れも、ようやく慣れて来た頃に、一人あちらでまた一人、見えずなるのも傷(いた)ましく。<br>　・空しく今日も日が暮れて、する事もなき夜の闇、時計ばかりがコチコチと、動いているも情なや。<br>　・避難指定が解除され、賠償金も打ち切られ、追わるるごとき扱いに、途方に暮るるばかりなり。<br>　・ろくな補償もないままに、元の所に帰れると、云われたところであの頃と、同じ暮らしは出来まいに。　<br>　・ある酪農の友人は、絶望の果て板壁に、「原発さえなければ」と、書いて命を絶ちにけり。<br>　・思いもよらぬ出来事に、後に残りし輩(ともがら)は、赤い夕陽の福島で、声を忍んで哭(な)くばかり。<br>　・あふるる想いこみあげて、言いたき事は尽きねども、別けて悲しは故郷(ふるさと)を、ひと諸共(もろとも)に失える。<br>　・くまなく晴れた月今宵(こよい)、相馬の山野見渡せば、過ぎし事ども偲(しの)ばれて、思わず落とすひとしずく。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【完】<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/5101-56/entry-12731331563.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Mar 2022 16:03:53 +0900</pubDate>
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