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<title>青空のブログ</title>
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<title>EMDR</title>
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<![CDATA[ 認知行動療法の応用としてEMDRという眼球運動があります。 <br><br>人は夢を見ている時、眼球を左右に動かして記憶フォルダーを整理と再整理しているようです。 <br><br>その再整理を目覚めている状態で安全に行うのがRDIという療法みたいです。 <br><br>　困っている状態をまずイメージして次に解決している状態を両側刺激(眼球運動の変わり)や身体動作と連動します。 <br><br>　同時に解決状態の身体感覚や意識を言葉や音楽や色などでイメージし達成度を点数で表します。 <br>それを数回繰り返します <br><br>　そうすると、脳が勝手に身体と意識を変容させ脳内記憶フォルダーを再統合して過去の困り感の変容を脳が勝手に行います。 <br><br>　時間が経ち忘れたころに　脳はその時の困っている認知の原因を検索してその原因の出来事にたどり着き、その解決している状態（再整理）を促すことが可能なのです。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-12070638026.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Sep 2015 00:00:57 +0900</pubDate>
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<title>認知行動療法の研修</title>
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<![CDATA[ 認知行動療法の研修は受講料が高いので参加できずにいたのですが会員価格がお手ごろな研修会に参加しました。<br><br>　　一日目は座学と身体的RDIのワーク、二日目も座学と論理療法のワークを体験致しました。<br>身体的RDIは困難で困っているシーンを思い描き、困り状況と決め、困り具合の数値１～７で表します。<br><br>　　次に困りごとを変化させ自分の能力を表す肯定的なジェスチャーや表情や言葉を考えます。例えばビジョンが実現した時は「羽が生えた天使」の自分をイメージしました。<br>そうすると困り場面を思い出したとき困り度は減りましたか？どのくらい役立ちましたか？１～７で表現します。<br><br>　その身体イメージをしながら以前の課題解決前の場面を思い出し、その感覚や情動にアクセスし、「羽が生えた天使」をすると、ビジョンを思い出すことは役立ちますか？どんな感情が浮かびますか？どのくらい役立ちますか？と自分に問います。<br>　<br>　私は、この時、ビジョンが実現した自分を何度も繰り返しイメージして、以前の私だったらどうしていたか思い出し、そこから新しい自分になったイメージをを自分に語り掛け、達成度を点数で表します。<br><br>　苦痛度がなくなれば０点とし、最悪のままだと１０点とします。<br>自分の場合は最初の段階で、重たい課題を思いうかべたので、ビジョンが浮かばず、役立ち度１点だったので振出しに戻って試合放棄しました。<br><br>　２日目は前日の反省から軽い課題で、論理療法のワークに臨み、相方の支援でクリアできました。論理療法は問題分析用ではワークシートに、出来事やその時の気持ち。その時何をした。何を考えたかを書き。問題解決用では、考えたことを合理的に書き直し、書き直した結果、どう気持ちが変わったかを感情面と身体感覚で表し何をしたいかを相方に伝え、相方からいろいろ質問してもらい、修正や解決の糸口を話し合いました。<br><br><br>　　他のグループで複雑なワークではスーパーバイザーが援助して解決しておりました。<br>参加してよかったと思いました。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-12054943760.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Jul 2015 23:23:13 +0900</pubDate>
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<title>幸せになれる方法</title>
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<![CDATA[ 脳卒中を起こし、自分が何をすればいいのか分からなくなり、左脳の機能が失われつつあった時にストレスから解放され、平穏な幸福感に満たされたという記事を見て思ったことがありました。<br><br>それは自分が左脳で作ったトラウマ的な物語をもっと広い視点で作れば幸せになれると考えたことです。<br><br>これはその国の宗教や文化や家庭環境などその時には辛い感情だったかも知れませんが今ここならもっと寛容的で客観的な観察をすることができるからなのではないでしょうか？
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-12001432579.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Mar 2015 15:37:05 +0900</pubDate>
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<title>あけましておめでとうございます。</title>
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<![CDATA[ あけましておめでとうございます。 <br>今年もよろしくお願いします。 <br><br>今年の当面の目標は産業カウンセラー試験に合格することです。 <br>いろいろ傾聴について勉強してわかったことで <br>経験と自己概念とのずれが大きいほど人間関係や社会生活で困難におちいりやすいというものがあります。 <br><br>「私って無能だし。なんてダメだめ人間なんだろう」と思っている人の話を聴いてあげてその人のありのままを無条件に受け入れる聴き方をすると <br>その人はそれまでの自分が他者からのマイナス評価にとらわれていたことに気づくことがあると言われています。 <br><br>私にはこんないいところがある。もっといい人生にしたい、人の役に立ちたいなど自己実現に向かっている自分が他者の悪い評価に囚われて見えなかったことに気づくのです。 <br><br>つまり、自己不一致が大きい不適応状態を修正するときに共感的傾聴は自己一致させるために <br>重要な役割を果たすことができるのです。 <br><br>これを自分自身に当てはめると <br>人を変えることはできないが、じぶんの自己概念を変えると自分の可能性を開花させ <br>変化の怖さを乗り越えることができそうですね。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11972793682.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Jan 2015 22:45:55 +0900</pubDate>
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<title>ダンス鑑賞</title>
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<![CDATA[ お世話になっている先生が出演するアダチマミ×無所属ペルリ<br><br>「うしのよだれ」8・2 土 を鑑賞してきました。<br><br>振付・演出・構成:はアダチマミさんです。<br><br>人間の内側を抉り出すような演出に、私は恐ろしい生命力を感じて、舞台の様子をお伝えします。<br><br>先生はピュアな凛とした雨粒のような息吹を舞台ではすべて殺して、アダチマミさんの世界を演じていました。<br><br>　主題はアダチマミさんの中に有るものだから、観客がそれぞれ感じればいいものだと思います。自分は家族の中の孤独を表現しているのではないかと思います。<br><br>母に認めてもらいたい、母に共感されたい、母にほめてもらいたい、幸せになることが怖い、幸せになると、誰かが壊しにくるような恐怖、その誰かとは母であるかもしれない。<br>　<br>春が過ぎ、やがて私の体の中に一つの命が宿る。しかし幸せを感じれば感じるほど私は怖くなった。心の中に有る母が私に命令するのだ「私の知らないところで、お前だけが幸せになるなんて許さない！この親不孝者め」という母の声がきこえるのだ。<br>　<br>つわりがひどくなるにつれ人間不信の自分が優勢になった。どうしてあの当時、母を捨てられなかったのだろう。わかっていたのに私は母を求めた。<br><br>愛がほしかったのだ。私は母から愛されたかったのだ。私は母の笑顔が強く見たかったのだ。私はすっかり母の奴隷になるように洗脳されてしまった。そんなことを思いおこさせる舞台でした。<br><br>http://www.geocities.jp/azabubu/d16/index.html<br>
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11904850070.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Aug 2014 20:47:18 +0900</pubDate>
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<title>佐世保で痛ましい事件がありました。</title>
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<![CDATA[ 佐世保で痛ましい事件がありました。<br><br>１０年前の長崎事件から何も学んでないのでしょうか？<br><br>　痛ましい暴力を伴う事件が起きても１０年たつと、また人々は「生きる力」より<br>「競争力」にシフトしてきています。<br><br>　児童生徒にストレスをもたらす最大のストレッサーは、友人関係にまつわるいやな出来事、次いで人に負けたくないという過度の競争意識であり、勉強にまつわるいやな出来事が続きます。<br><br>　自分の気持ちや態度を押さえきれない児童生徒は少なくありません。年齢に見合った社会性が育っていない児童生徒には社会体験や交流体験の機会の場の提供が必要になります。<br><br>　他者から認めてもらっていると感じられる子どもは、いたずらに他者を否定することも、攻撃することも減ります。<br><br>　相手を貶めて自分の存在を高めるという必要がないからです。<br>子ども同士が一緒に活動することを通して自ら感じ取っていくものが「絆」であり「自己有用感」ですから、「絆つくり」を行うのはあくまでも子ども同士です。<br><br>　こうした観点で「授業つくり」「集団つくり」を見直してゆけば、このような痛ましい事件もなくなると考えます。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11901063684.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Jul 2014 11:45:55 +0900</pubDate>
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<title>こどもの話を聴ける人になること</title>
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<![CDATA[ 第６回チャイルドラインと「いじめを生まない学級づくり」の講座とウエルネススクーリングで考えたこと、それは、「こどもの話を聴ける人になること。」でした <br><br>なぜなら、自分自身もそうですが、子ども時代は同級生・親・教師・社会からのイジメや無理解などの矛盾にさらされ、自分自身を守る自己受容や自己肯定感をはく奪される時代なので、虐待・非行、自傷・自死などの悲しい結果になることが多いからです。 <br><br>そうであるなら、自己受容や自己肯定感を育てるために自分は何をしなければならないのか？ それは共感力と自己一致力を磨くことだと考えました。 <br><br>「この子は何を求めているのだろう？そこに行きつくにはどんな支援が必要なんだろう、自分ができることはなんだろう？」「この子はああこうなんだときづいていて、必要な場合には、それを言葉にして相手に伝えてあげる」 <br><br>「こうあらねばならない自分（理想自己）」は「こうあらねばならない基準（内的基準枠）」に影響をうけ形成されている自己であり、支援プロセスでは、「こうあらねばならない基準」を修正することも求められる。 <br>そんなことを考えていると、支援者もこどもも自分の内側からふつふつと湧いてくるエネルギーを感じる。それが共感力と自己一致だと考えます。 <br><br>すなわち、じぶんにとって夢を実現させるためのウイルネスとは、共感力と自己一致力つけることであると思います。<br><br>チャイルドラインの聞き手の話では、<br>感情の流れを感じてみましょうということで、ラジオ番組から子どもたちの生の声を聴いて一人一人感想をだしあいました。<br>　子どもの話を聞いた後に言いたくなった言葉は、なぜ自分の中にうかんできたのでしょうか。その理由が話を聞いたときの感情とつながっているというのです。<br><br>　言いたいことは、感情がうごいたあとに頭で考えた結果になります。話の内容について推測したくなったり、分析したりしますけど、その前の感情に注目してくださいと言われました。<br><br>　こどものどの言葉の「なに」が気になったのか、どこにひっかかったのか。自分の感じ方を自分で見つけたときに、こどもと寄り添うきっかけがつかめるというお話でした。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11894043356.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Jul 2014 15:58:37 +0900</pubDate>
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<title>イジメを生まない講座</title>
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<![CDATA[ イジメを生まない講座があったので参加してみました。 <br><br>　その日はスクールカーストの影のボスについて話し合いました。 <br>先生には優等生を装いながら、イジメを支配下の生徒にやらせている現実を検討しあいました。<br><br>影のボスは学校の成績はよいのですが、有名私立合格レベルには届かずイライラしてストレスがたまっており、そのストレスをイジメで紛らわしています。 <br>　 <br>　親も子が塾に行くのは本人の意思ですからと、子どもの痛みより自分の学校時代の公教育への不信感世代（非行・管理教育・落ちこぼれ）（いやなことを自力で解決できない学校・友人関係の悪化・教師と生徒の関係悪化、長崎での中学生による幼児殺害事件）ですから・・・ <br><br>　その世代が今の中学生の親になっており、公立高校へは行かしたくないので有名私立高校への入学を優先するという二重の意味の矛盾に苦しんでいます。 <br><br>　その不信感が、結果として見ず知らずの生徒がイジメで苦しんでいるという負のループが起きているということが話し合われました。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11888305744.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2014 19:19:37 +0900</pubDate>
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<title>マインドフルネスについて</title>
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<![CDATA[ 認知行動療法の第三の波としてマインドフルネスストレス低減法法という実践会があるというので知り合いを誘って瞑想体験をしました。 <br>　 <br>その日は呼吸法の練習でした。 <br><br>　本来のMBSRの８週間プログラムでは、ボデイスキャン（毎日４５分）呼吸瞑想（毎日、約１０分）生活瞑想（歩行、食卓、日常行動にて注意を集中する）（楽しいこと、うれしいことに意識を集中、いやなこと、ストレスを感じることに意識を集中）正坐瞑想（毎日４５分）などなどのプログラムです。 <br>　 <br>　意識的な呼吸法によって物事への自動思考や認知のゆがみを認識します。座る瞑想では、知覚が入ってくる扉をしめ切って、聴覚、視覚、論理的思考を止めてしまうので、心に埋もれている固まりは、感情やイメージという形で意識上に現れる機会が与えられます。 <br><br>　感情がその顔を見せ始め、力をまし、さらに激しくなってくると、心の安らぎや喜び、安心が根こそぎ奪われてしまうように感じます。 <br><br>するとそれ以上見つめることが苦痛になってきます。現代心理学ではこれを抵抗とよびます。 <br>　それらを本物の瞑想の主題にするためには、自分自身の偽りない問題に照らして深く見るべきなのです。瞑想を通して感情の世話をし慈しみと非暴力の姿勢でそれを見守ります。 <br><br>意識的な呼吸で気づきを培い、保ちながら、心に固まりや葛藤が生まれるたびにそれらを意識してください。 <br><br>　自分の持っている、瞑想の本に「ブッダ＜気づき＞」の瞑想（ティク・ナット・ハン）にはこう書いてありました。 <br><br>　・・作家のグエンビンは、「ああ、神のみが恋におちたるものを救いえる」と言っています。それでも恋の強い執着や身勝手さ、支配欲が理解の心に置き換われば、人は要求をしたり見返りを期待することをやめ、恋愛は愛する人を幸福にするものに変わります。」 <br>・・と <br>
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<pubDate>Thu, 29 May 2014 23:20:29 +0900</pubDate>
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<title>ゲシュタルトセラピー体験</title>
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<![CDATA[ 先週にゲシュタルトセラピーのワーク体験をしました。 <br><br>「いま、ここ」の体験や感情の動きを身体や表情や直観で表現し <br>ファシリテーターが「我と汝」という関係でワークを受ける人の <br>言葉にならない感覚を本人が体験するように援助するというものでした。 <br><br>　まず、ワークを受けるひと「我」が椅子に座り、今、ここでの体や感じていることを「汝」つぶやくと、ファシリテーターの「汝」が、我のつぶやきを言い換えたり、 <br><br>　直観的に感じている現象を「我」が直面できるように、隣の空いている椅子に「我」の一部である、「我のもう一人の身体」を移動させ「もうひとりの我」に「いま、ここで」何が言いたいのか、汝が聞いてあげます。それをきいた元の我は、もう一人の我のいっていることをどう感じたか、汝が聞いてあげます。 <br><br>そういうやり取りをするなかで、我ともう一人の我が和解するのです。 <br>和解した我どうしが統合し、涙がでたきたり、観察者に「いま、ここの気分」を表明し、観察者が感想を述べて終了します。 <br><br>自分は「我」に選ばれた観察者でした。なぜ自分が選ばれたか「我」に聞くと目つきがドーンとしていて安心して表明できたからだということでした <br><br>ファシリテーター役の「汝」はこのワークを１０年以上やっているとのこでした。 <br><br>やはり職人技なんだなと思いました。
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<link>https://ameblo.jp/51692315/entry-11862057415.html</link>
<pubDate>Mon, 26 May 2014 18:02:48 +0900</pubDate>
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