<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>アラフォー女性の膝の奮闘記</title>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/5265ka/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>症例のない膝になってしまっても前向き！膝の痛い方の参考になれば！</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>自分に打つ鞭。</title>
<description>
<![CDATA[ 私の足は、競技に耐えるまでの回復は望めませんでした。<br><br>今振り返っても、あの頃の落胆といえばとてつもなくて…思い出すと泣けてしまいます。<br>でも私のいいところは、今も昔も、ポジティブで前向き、発想の転換が早く、忍耐強くて努力を惜しまないこと。<br>ある種のハングリー何だと思います。<br><br>進路を変更しなければならない状況で私が選んだのは看護への道です。<br>しかし、当時は不況真っ直中で、看護学校の倍率は凄まじかった。しかし、わたしはあえて目指したのは看護大学でした。<br><br>20年前、全国にまだ数校しかなかった看護大学。<br>ももりん、やっぱりただでは転びません。<br>センター試験に標準を合わせ、勝負に出ます。<br>塾通いに加えて、県庁所在地のある市まで高速バスを使い片道4時間。土日は予備校に通いました。<br>一日、10時間机に向かいました。<br>それほどしなければ、私が当時の難関看護大学に受かるなど、夢のまた夢だったんですよね。<br>もっと頭がよければ医者になりたかったですね。私の同級生の友達数人は、医師として活躍しています。かっこいい😄<br>そんな友達が自慢だったりします。<br><br>脱線しましたね、すみません。<br><br>で、結果ですが、飛行機の距離の大学に合格します。<br>努力は実ったのですが、残念ながら行くことはできませんでした。<br>家庭の事情としておきますが、これをきっかけに両親は離婚するんです。<br>私には妹がいて、夢を叶えるために進学を希望していたので泣く泣く諦めました。譲ったんだすよね。<br>長女って、不思議と自己犠牲的なところがあります。<br>ま、こんな話おもしろくないので、このへんでやめましょう。<br><br>そんなこともあって私はバイトでためたお金を握りしめて家出したんです。<br>そのお話はまた次回のします。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12165026138.html</link>
<pubDate>Sat, 28 May 2016 20:16:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>術後の経過。</title>
<description>
<![CDATA[ 根治術が終わった日、膝から2本の管がでていました。包帯でぐるぐる巻きにされ、動けませんでした。痛かったと思うのですが、術後どうだったのか覚えていません。<br>母も来てませんでしたし…多分痛がったと思うんですがね。。<br><br>翌日、傷がどんな風になっているかわからない状況でいきなりCPMが始まりました。<br><br>CPMとは→ベッド臥床状態で膝の屈伸を機械で強制的に行うやつ(^_^)現在も健在ですよ！<br><br>割と浅い角度からスタートしたと思いますが…ぎゃー！！！！！けたたましく叫んだ覚えがあります。まさに悶絶！絶叫！！！<br><br>前に書いた記事の中で私の膝の写真を掲載しました。膝の皿の下に20センチ程の大きな傷があります。それは真横に一直線ですから、それの沿ってステープラ（人体に使用するホッチキス）が30本以上打たれていました。その状態で屈伸運動を容赦なくやるわけですから…想像できるかと思います。<br><br>術後、リハビリが地獄だったことは、今でもしっかり覚えています。術後の足の腫れなども良くなるのに時間がかかったり…。<br>結局夏休み中に退院できず、リハビリに専念するため病院から午前中だけ学校に行っていました。午後はスパルタリハビリ。<br>いやー、辛かったのを覚えています。<br><br>でも、このリハビリのお陰で社会復帰は出来ました。でも、選手復帰は出来なかったんです。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12164663105.html</link>
<pubDate>Fri, 27 May 2016 17:31:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>今も昔も強い私。</title>
<description>
<![CDATA[ アスリートのメンタルトレーニングは幼少期から始まります。競技において、必ず一番にならなければいけない。皆を蹴落としてでも！と教えられます。特に個人競技は自分が一番にならなければ意味がないとまで叩き込まれるのです。<br>だから、競技以外でも、とびっきりの負けず嫌いになります。<br>一番になるために努力をします。そして極限まで自分を追い込んで試合に挑むのです。メンタルが弱ければ、競技で上位は狙えません。これらは私の人生において、人間としての人格形成や成長という場面で大きな影響を与えました。<br><br>さて、母と電話で話した内容に戻ります。<br><br>私の記憶では、手術室に向かう時に、肩に注射をしました。（プレメディってやつです）初めてだったので怖くて痛くて泣いたら、同室のおばちゃんが「痛いの痛いの飛んでけー！」と私の肩を門でくれた覚えがあるのですが、確かに…母がいたのか覚えがない！！<br>母との会話で事実を知ります。<br>母は、手術前日18時からの医師からの説明に来れないため、私一人で説明を聞き、手術当日も母は来れず、私一人で出棟、帰室し、オペ後を乗り切ったのだそうです。<br><br>はい？…そうだったんですかー…。<br><br>母曰くインフルエンザになってしまて、高熱で来れなかったそうです。<br>でも…夏にインフルエンザってどうよ？(笑)<br><br>とにかくは、母にしたら、何も心配のいらないしっかりした娘…以上。<br>そうなったのは、冒頭にも書きました、あの経験があっての、高校生にして度胸がすわってるというか…。昔も今も変わらない私です。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12164530444.html</link>
<pubDate>Fri, 27 May 2016 08:29:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>膝蓋骨脱臼の根治術について。</title>
<description>
<![CDATA[ 高校3年生の夏休み、忘れもしない8月4日、私は手術をしました。<br>「左脛骨粗面内方移動術」というものです。<br>習慣性の膝蓋骨脱臼の方に多くやられる術式です。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160527/08/5265ka/6d/8d/j/o0540096013656594634.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160527/08/5265ka/6d/8d/j/o0540096013656594634.jpg" width="427" height="759"></a></div><br>この写真は、現在の入院前に撮影したものです。<br>膝の下に横にきれいな切り口がありますね？<br>膝蓋骨を支えている膝蓋腱という靱帯があります。今の状況だと外れてしまうため、膝蓋腱を骨ごと剥離し内側に移植してテンションを掛けるというものです。<br>結果、膝の内側に負担がかかるということ。<br>最近医師に言われて発覚したショッキングな出来事？<br>通常内側に移動する距離は1～1.5センチ、私は3センチの移動だったそうです。<br>「これやった先生、匠の技だよ！！こんなに移動できるもんなんだなー…」と感心されていましたが、あたしには初耳だったし、普通じゃない手術だったのかと、知るところになりました。<br><br>今回手術するにあたって、母と当時を振り返りました。<br>実家は飛行機の距離の為電話ではなしたんですが、自分が忘れていたことを母が話してくれました。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12164519428.html</link>
<pubDate>Fri, 27 May 2016 08:02:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>選手復帰を目指して。</title>
<description>
<![CDATA[ 高校2年生のスキーシーズンは全滅。<br>高校総体、国体など…あらゆる大会欠場。<br><br>この時私に課せられた課題は、膝の根治術のために筋肉強化を図ることでした。<br>そのために毎日リハビリに通うことになりました。片松葉で歩行できるようになったくらいだったと思います。<br>そこで私は沢山のものを失う事になりました。<br><br>4歳から続けたエレクトーン。<br>中学からスキーと並行して頑張ってきたバスケ。<br>将来を見据えて頑張ってきたスキー。<br>そして、リハビリの時間を割くために、これらの青春と、普通の女子高生として楽しむということができなくなったのです。<br>学校は地元ではそこそこの進学校でしたから、勉強も頑張らなければならず。<br>でも、松葉杖を付きながらも続けたのは、高校進学と同時に始めたコンビニでのバイト。日にちや時間の指定はあったけど、月に3万円程稼いでいました。<br><br>こうして、失うものもありながらも、放課後のリハビリが開始されました。<br><br>16時半～19時までびっちり。<br>毎日黙々とメニューをこなしていきました。基礎体力と運動神経だけはよかったので、やっただけの成果は付いてきました。<br><br>高校3年生になり、雪も溶けた4月末。<br>私は自転車で通学することにします。<br>隣の市の高校でしたから、片道12キロ。<br>夏の手術に向けてのリハビリを続けました。<br>そして、受験生です。<br>スキーを頑張ってあわよくば推薦で大学に行こうとしてた人間ですから、普段からあまりお勉強は得意ではありませんでした。<br>なので、塾に通い出し、勉強にも力を入れるようになりました。<br><br>選手として復帰できるのか…またスキーやれるのかな…そんな思いの中で、私の貴重な高校生活はあっという間に駆け抜けていきました。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12164481376.html</link>
<pubDate>Fri, 27 May 2016 01:37:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>写真の貼り方の練習がてら…</title>
<description>
<![CDATA[ 貼れた！！<br>ハンドルネームのももりんは、我が家のハリネズミちゃんです🍑<br>…が、この写真はあるハリネズミの集まりの中で飼われてる子で、許可を得てdownloadしました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160526/10/5265ka/13/98/j/o0800060013655842417.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160526/10/5265ka/13/98/j/o0800060013655842417.jpg" width="100%"></a><br>きゃー！！かわいい💠<br>ももりんはこうもじっとはしてくれません(^_^;<br>入院中、こうした画像に癒されて頑張ってまーす🙆
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12164218891.html</link>
<pubDate>Thu, 26 May 2016 10:27:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>流れる膝？</title>
<description>
<![CDATA[ 総合病院に転院し、膝内腔の内視鏡検査が決まりました。<br><br>人生で初めての麻酔をかけた手術です。<br><br>内視鏡手術では脊椎麻酔（以下ルンバール）だったのですか、手術台でエビのように丸まり、背中を突き出す。<br>そのうちに医師が背中を消毒し、針を刺します。<br>表面麻酔もしてるのでイタくはないんですがググッとと押される感じですね。<br>麻酔薬が注入されると片足から熱くなり感覚が足の感覚がなくなりました。<br><br>ルンバールでは意識はしっかりありますから、医師や看護師の話している内容も聞こえます。<br>当時は内容はさっぱりわかりませんでしたけどね(^_^;<br><br>手術が始まってしばらくした頃、医師がお大きな声で叫んだのです。<br>「なんだ、こりゃー！！！」<br><br>脊椎麻酔をして自由を奪われた私の膝は、遂にその答えを示したのです。<br><br>膝蓋骨（膝の皿の骨）が外れて外側に流れてしまったそうです。<br>本来、靱帯や筋肉によって支えられているはずの膝蓋骨が、無抵抗な状態で流れるなんて、ありえないのです。<br><br>レントゲンやその他の意識下では私の膝蓋骨は所定の場所に納まっていました。<br>しかし、これでようやく確定診断がついたのです。<br><br>「外傷性膝蓋骨脱臼、及び亜脱臼症候群」
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12163980853.html</link>
<pubDate>Wed, 25 May 2016 16:23:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>医療者の勝手な憶測と私の心。</title>
<description>
<![CDATA[ 外来での検査を一通り終えた結果は原因不明（仮病とおもわれていたらしい）。<br>動かなくて困っているのは私自身です。<br>他の誰でもない。<br>どんな理由でわざと歩けないふりをしなければならないのか、憶測で物を言う大人たちに憤りを覚えました。<br><br>高校2年生だった私は、将来を見据えて競技を続けていました。<br>夢は警察官でした。<br>3歳から始めたスキーを頑張って体育で大学に進学する。でも、競技でご飯を食べれる人なんて一握りだから、警察官になって人のためになる仕事をしたい。<br>当時から現実思考の強い子供でしたが、地に足を着いて誠実、実直に生きなさいという、母の教育あっての性格故、負けず嫌いで頑固だったと思います。<br>だから、大人が本人の思惑を無視して、憶測で適当なことを言っている現実を許せませんでした。<br>生意気な高校生だと思われたでしょうね。<br>でも、しっかり言いましたよ。<br>「私が歩けない理由がわからないなんて、どれだけ時間とお金をつぎ込んだら分かるんですか？私は受験生ですし、ゆっくりしてる暇はないんです。」こんなニュアンスだったと思います。<br><br>医師の顔色が変わるのが分かりました。<br>市内の総合病院に紹介状が出され、ようやく前が開けた気がしたのを覚えています。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12163828414.html</link>
<pubDate>Wed, 25 May 2016 04:27:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>歩けない原因が不明</title>
<description>
<![CDATA[ 事故後、他県より搬送され地元に戻りました。<br>事故の現状を考えると奇跡としか言えず、私は元気でした。<br>しかし、一点を除いては…。<br><br>私の左足には力が入らず、歩けなくなってしまいました。<br>これが、わたしの膝との付き合いの始まりです。<br><br>足の指は動かせます。<br>膝の屈伸運動が一際弱く、立位は取れても一歩踏み出そうとすると左膝に力が入らず膝崩れを起こし転倒してしまうのです。<br>痛みはありましたが、そこまでひどいものではなかったように記憶しています。<br>地元の整形外科に通院するようになります。<br>両松葉杖を使用しないと歩行できません。<br>家の中でも杖を使い、伝い歩きをしていました。<br>私は病院でたまたまこんな言葉を耳にします。<br>「わざとじゃないのか？？」<br>まだ17歳の子供だった私には非常に辛い言葉でした。しかも、本人にはそんなことは言わないんです。看護師同士？医師？がたまたま立ち話しているのを聞いてしまいました。<br>悔しいのと悲しいので号泣したのを覚えています。<br>その後も外来で様々な検査を行いました。<br>各種レントゲン、CTも造影やアルトロなんて特殊なものや、MR、骨シンチまでやりました。（今考えると脊髄の損傷や腫瘍も考えたのでしょう。）　平行してリハビリも始めました。ゆっくりではありましたが、じわじわと成果はありました。<br><br>外来でやれる検査は一通り終え、この時点で発症から2ヶ月。<br>未だ原因不明。<br>だから、仮病と思われていたり…前が見えない不安と、言い掛かりに私は人間不信、医療不信に陥りました。<br><br><br><br><i>アラフォー女性の膝の闘病日記</i><br><a href="http://s.ameblo.jp/5265ka/"><i>http://s.ameblo.jp/5265ka/</i></a><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12163507671.html</link>
<pubDate>Tue, 24 May 2016 06:31:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>17歳、怪我は突然に。</title>
<description>
<![CDATA[ 今から20年前の高校2年生。<br>私はアルペンスキーの競技者でした。<br>ある都道府県の選抜メンバーで、部活はスキーとバスケを掛け持ち。地元のスキー学校にも所属し、脳みそ筋肉と言われるほど運動の好きな女子でした。<br><br>その年の冬、私は選抜の合宿で他県に遠征に行きました。<br>私の種目はアルペンスキーの中のスーパースラローム（大回転）という競技です。<br>100キロ近いスピードで山を滑降し、関門をくぐるんですが、下手すると転んだら死にます。<br><br>タイムトライアルをやりました。<br>タイムガンで速度を測るんです。<br><br>危ないので、コースを仕切ります。<br>私の時も、仕切られていたんですがね。<br><br>私の動体視力はとてもいいです。<br>動いている電車の外から、どんな人がどんな服を着て乗っていたか言えるほどです。<br><br>私のトライアルの時、目の前に人が出てきたのです。<br>100キロ近いスピードで接触すれば、恐らくどちらも死亡していたと思います。<br><br>私は咄嗟にブレーキを掛け、崖に滑落していったんです。<br>救助された時、意識はありませんでしたが幸いな事に怪我をしたのは左足だけだったのです。<br><br>左膝はおかしな方向を向いていました。<br>膝から下、180°捻れていたそうです。<br>その時は痛みもわからない状況でした。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/5265ka/entry-12163429268.html</link>
<pubDate>Mon, 23 May 2016 22:09:30 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
