<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>wedの遊身八卦連環生活</title>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/64-8gua/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>退屈な日常と武術練習、練習会の告知、出版物の告知などなど</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>年末の事だから、稽古についてちっとした話</title>
<description>
<![CDATA[ <p>一年を振り返ってとか、そういう高尚なことは致しません。</p><br><p>　いや、もう、年末暇な人向けに武術の練習に関する、なんとなく今思ってる事、現時点でこれがいいと思ってる事なんていうのを少し書いてみようというだけの話なのです。</p><br><br><p>一つ目は力のキープ。</p><br><p>　これはまあ発勁できる人向けの話なのですが、普通に練習していたらできるはずなので、書きます。</p><p>　この課題は大きな問題で、おもいっきり全身を合わせて動けば簡単な発力はすぐにできるけど、これじゃあ疲れてしまう、もしくは神経使いすぎて実際こいつを使いこなせないぜ！！ということになってしまうと言うのは結構あると思います。</p><br><p>　おそらく、内家拳において、勁が継続的に出るのは当たり前なので、そんなに頑張って出すのは実は過集中でダメなんではないかと思っています。そこで、大事なのが出せる状態をキープすると言う事。</p><br><p>　具体的な方法は、各門派で伝わっていると思うし、うちのことに関しては、套路でさんざんやっているので、大雑把に言ってしまうと、丁寧に練習しましょう！としか言えなくなっちゃうのですが、さらに雑に言うと、おそらくバランスのとり方に気を使うということなんではないかと思います。</p><p>　</p><p>　自分がその状態の実感を持つかは置いておいて、前述のように勁は打てるけど使いこなせないのは力みが出ているか、バランスが保てなくて次の動作ができない状況に自分を追い込んでいるというのが大きい気がします。これは身体バランスではなくて意識的なことに対しても同じで、偏りや力みがあると使えません。その場その場に応じたバランスを心がけて練習するしかないと思います。</p><p>　</p><p>　さて、そんなこと言われてもたぶん、ピンと来ない時はピンと来ないと思います。</p><p>　</p><p>　ここからは、私の勝手な意見ですので、そのあたりはご了承ください。</p><p>　</p><p>　そこで、大事なことは自分を追い込むこと。これは追い込むことによって気張ってやるとか気合いが入る等の理由からではなくて、追い込まれた状態を作りつつ、それを気にしない、もしくはそこからリラックスするのが目的と考えたほうがいいです。　</p><p>　例えば、套路で要訣であるとか、要求であるとかを意識してガチガチに縛ると、緊張してしまったり、意識が偏ったり、体が悲鳴を上げたりします。問題はこれを無理して押し通すのではなくて、ここを入口に楽になるところを探すということ。自然に楽にを探しつつ、次のストレスを求めていくと、割とバランスが取れてきますし、大事な要訣も守られているわけですから、上達しないわけがありません。</p><p>　これをもし、組手を含めた対練でやるなら、自分の手詰まりのところをよく繰り返してもらうのが良いのではないでしょうか？ 推手でも排打功でも様々なストレスやアンバランスができますし、なにかそれを狙ったところがあるはずです。どんどん崩してもらってその中にリラックスを求めていきましょう。</p><p>　そして、気が付けば、なんとなく蓄勁と運勁が整ってきているはずです。</p><p>　</p><p>　ただし、怪我だけは注意してください。真面目な人は追い込みすぎて、自分で参ってしまいますから、自然に追い詰めて自然に抜け出す、もしくは誰かに見てもらいながらやりましょうね。</p><br><p>　そして、こんなんで本当に力のキープができるのかよ！と思った方は、自分のやってることを信じるのがいいと思います。ちゃんとした武術はだいたい、大事なことは入っているのだから。</p><br><p>　ちなみに、いきなり全部はできませんので、そのへんは各々のレベルと相談するのは大事です。</p><br><br><p>二つ目、筋をよく伸ばすほうがいい。</p><br><p>　これはストレッチということもありますけども、体の調整や柔軟性の確保だけでなくて、発勁の強化にも必要だし、見た目もかっこよくなるし、もちろん柔軟性がまして怪我をしにくくなります。</p><p>　とにかく、割といいことづくめだから、暇だったり、気合の入った練習がしたくない時にはやるといいと思います。</p><p>　中国武術の方でしたら、圧腿、提腿がすごくいいです。あと、架式もかなり柔軟の要素がありますし、中の方の筋が伸びます。ぶっちゃけ変形のヨガみたいところがありますので。</p><br><p>　ヨガやってしまうのも手かもしれませんが、中国武術の人はあんまり本格的なヨガをやっていいのかは私にはわかりかねます。</p><br><p>　上半身なら腕回しもよいかと思います。これも各門派の独特な運動がたくさんあるんでしょうね。</p><br><p>　おそらく、内家の方はこの辺あまり伝わってないところもあると思うので、特にお若い方は別に探してたまにいじってみるのものいいかと思います。</p><br><br><p>三つ目、収功しようぜ！</p><br><p>　練習のしっぱなしはダメです。しっかり収めましょう。</p><p>　ようはクールダウンですね。</p><p>　季節柄、風も引きやすいし、あったまった体が冷えるのも早いので、要注意です。ちなみにやってる人はわかるはずですが、気功的な側面もあるので、そのへんも踏まえてきちっとやったほうがいいです。自分も忘れがちですので注意しています。</p><p>　何をすればいいのか？はこれまた門派によるんじゃないかな？</p><br><p>　私はちょっと站トウをして、簡単な気功をして、気持ちが落ち着いて爽快になったらそれでおしまいにしてます。</p><br><br><br><p>以上三つがなんとなくいいと思っていることです。</p><br><p>保証はしかねますが、そんなに間違ったことはないと思っています。もちろん自分の先生の教えが一番大事ですので、そのあたりは胸の内に思い出してみてください。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11969220677.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Dec 2014 10:31:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>形意拳名人、義士李存義の話　</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">李存義先生は河北派形意拳の達人です。彼もまた河北省深県の生まれであり、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1847</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年に生を受けて、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1921</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年に亡くなりました。後に形意拳の著作を残しますが、口述筆記だったそうです。彼もまた裕福な生まれではなかったのでした。確か若い頃は車夫をしていたそうです。以前文献でそのように読んだことがありますが、どの本であったか失念してしまいました。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">幼年期に武術に目覚めた李は長拳や通背拳を学びましたが、劉奇蘭について形意拳の門に入ります。彼はこの門派で大成するのですが、その間に劉の師兄弟で半歩崩拳遍く天下を打つと言われた郭雲深や八卦掌の董海川からも学びました。なおこの時に董との間を取り持ったのが程廷華であり、実質的に八卦掌を教えたのもほぼ程であったようです。そして、その縁で程派八卦掌には併伝として李存義派形意拳が伝わっているのです。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">彼は</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1890</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年に清朝総督劉坤一の兵に武術を教え匪賊を討ち功績を挙げますが、昇任を辞退して万通鏢局という保鏢の会社を創立します。その後、各地を回りその折にはいつも単刀手に自ら戦いそのさまがあまりに激しいので盗賊は彼の名を聞くと襲撃を諦めたと言われています。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">また、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1900</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年の義和団事件の際に民衆の側につき激戦区の天津において各国軍相手に単刀をひっさげて大活躍しました。この二つの話どちらかのためか、もしくは両方のためなのかはわかりませんが、やがて李は単刀李と称されるようになりました。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">彼は義侠の人で己を顧みずに人助けに邁進します。その性、財を軽んじ、義を重んじた彼は金に困窮する人がいると理由も聞かずに金を貸したそうです。また戦いにおいても生涯偽りを用いなかったと言われています。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">しかし、おそらくそのためでしょう。設立した鏢局も資金繰りに困るようになり閉鎖してしまうのでした。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">しかし、その後、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1912</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年の辛亥革命の後に袁世凱の親衛隊の武術教官李瑞東に招かれて、天津で設立された中華武士会の教務主任になります。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><font size="3"><span lang="EN-US"><font face="Century">1918</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年には北京でロシア人ボクサーを破り、政府より一等金質賞を受賞されたのでした。この時の年齢を考えるとおおよそ</span><span lang="EN-US"><font face="Century">71</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">歳というから驚きます。ロシア人ボクサーは万国比武大会と称して随分中国人とその武術を馬鹿にしていたのですが、李に一蹴されて小さくなってしまったようです。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">彼は老いても試合を受けたことで有名ですが、その最晩年の挑戦者は査拳と彈腿の若き名手、回族の楊鴻修といいます。結果は李の敗北に終わりましたが、その挑戦をまっすぐに受け止めて、彼を評価したために義気人に優る李存義は今もそこにあると却って世の中の人は尊敬したのだそうです。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">余談ですが、形意門は山西派の車永宏、河北派の郭雲深、孫禄堂、同じく河北派で彼の弟子の尚雲祥など貧しい出身の達人が多いのですが、そのため人の痛みを知っていたのでしょう。李だけでなく、大成して人に施しをしながらも貧しい暮らしを続けたようなエピソードや克己して文を修め、後世の人に本を残したなどの話がいくつもあります。その中でさらに義気の人と呼ばれた彼はどれだけ人を愛し、正義を愛したのでしょう？</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">激動の時代にどう生きるか？</span><font face="Century">&nbsp;</font><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">自らも決して楽ではなかった生の中で己を磨きまっすぐに生きた男、それが単刀李こと李存義なのです。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0; tab-stops: center 217.85pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11963067119.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Dec 2014 22:07:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>清朝と満洲族　始まりの概説</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">さて、我が八卦掌は清朝にゆかりの武術ですが、清朝とはなんなのでしょうか？ あくまでもかなり大雑把な説明なのですが、少しその始まりを取り上げてみましょう。</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">まず、清朝を作った人々ですが、彼らは満洲族と言って、中国の所謂漢人（夏華の民でも良いのですが）ではありません。彼らの起源は今の中国東北部から朝鮮の北方にあります。今はそこは中国の一部ですが、かつてはそうではありませんでした。万里の長城があることでもわかると思いますが、そこは北方の人々が暮らす、中華世界の外側だったのです。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">とはいえ、歴史的には何度も中国と関わりを持った土地でもありましたし、関係を持った人々でした。きっと騎馬遊牧民の中原への侵攻は中国史を眺めてみた方なら必ず目にしたことがあると思います。満洲族は騎馬遊牧民ではありませんでしたが、小規模の遊牧や農耕を伴う狩猟採集生活を送る人々でした。北東アジアに住む、所謂ツングース系の人々であり、長白山（朝鮮系の人々には白頭山と呼ばれています）を聖地として、北方ユーラシアに伝統的なシャマニズムとチベット仏教を信仰していたのです。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">その前身は女真族と言って、やはり、中国北方に現れて、かつては“金”という帝国を築きました。金はやがてモンゴルに滅ぼされます。金の人々はどうしたかというと、概ね漢族に吸収されたか、あるいは故地に帰れたものは帰ったようです。王朝時代に随分と中華文化を受け入れていますので、かなりの数が漢化したことでしょう。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">しかし、それでも女真族は故郷で生活を続けているグループが多くいました。それらは元、つまりモンゴルに従って、日本に攻めてきたものもいました。しかし、そのモンゴルの覇権も終わりに近づくと、彼らは小さな部族ごとのまとまりで生活をするようになり、モンゴルの後の中国の支配王朝である“明”に朝貢するようになるのです。その間に度々朝鮮と国境争いをしていたりもします。ちなみにこの頃の女真は女直と書かれていることが多いようです。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">女直は明も後半になると、大きく三つの文化的まとまりと十三の部族にまとまっていきました。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">建州女直…５部、自称をマンジュ（満洲）といいます。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">海西女直…４部、自称はフルンといいます。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">野人女直…４部、あまり自覚的なまとまりは薄かったようですが、一番勇猛な人々でした。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">このうちの建州女直から出た、ヌルハチという指導者は、明の政策を乗り越えて女直族をまとめあげると、後金と言う王朝を立てます。ヌルハチは明との戦で死んでしまいますが、その息子であるホンタイジはモンゴルのチャハル部を倒すと、そこに元より伝わっていた伝国玉璽を手に入れて、民族の名前を正式にマンジュ、つまり満洲と改名します。その時に王朝名も後金から“清”（満州語ではダイチン・グルン）に改名し、明の内乱に乗じて、長城の内側に侵攻すると中国の政治的中枢を掌握します。そもそも自壊しかけていた明に抗う術もなく、一部の人々は広東や雲南、台湾に逃げてその後も抵抗活動を続けますが、それもやがて潰えていき、ついに中国は満洲族の皇帝の支配する国になるのでした。満州人は中国を征服しましたが、この時に中国にもたらされたものはといえば、辮髪というおさげ、旗袍という今のチャイナドレスの原型と言っていい服装、そして、長く平和な治世でしょうか？</span><font face="Century">&nbsp;</font></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">辮髪は満州族の習俗で前髪を剃って、後ろの髪を三つ編みにしました。また、両把頭というお団子頭も満州女性の髪型だったようです。旗袍は満洲族の服装で、ズボンに横にスリットの入った長い上着を合わせたもので、騎馬する満洲族の生活に密着した服装です。風が懐に入って体が冷え無いように合わせが横にあるのもそのためでした。今もチャイナドレスはスリットと独特の袷ですよね？</span><font face="Century">&nbsp;</font><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">また、八旗という軍隊もつくり、満洲族やモンゴル族を八旗に振り分けて、北京周辺を固めました。これとは別に緑営という漢人の軍隊もありました。行政では明からも多くを受け継いでいました。科挙などもその一つです。</span></font></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">そのほかにも清は多民族国家でしたので、様々な称号を持って、多くの民族の上に君臨したのですが、大雑把に言えば、中華世界、モンゴル高原を中心とした北東アジア遊牧世界、チベット仏教界の三つが大きなところでしたので、中華皇帝、大ハーン、護法王の三つとなるでしょう。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">もっとも、遊牧世界とチベット仏教界はかなり密接な関係がありました。その話はまた別の機会にいたしましょう。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">また、南方に逃れた漢人勢力の中から反清の秘密結社が多数生まれ、これが南方武術の成立に大きく寄与することになりますが、これもまた別の機会に。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 10.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">本当はこの中にいくつもの戦争や事件を含むのですが、今回は概要までで切り上げたいと思います。</font></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11954417450.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Nov 2014 19:42:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>遊　後編</title>
<description>
<![CDATA[ <p>さて、後編です。</p><br><p>遊という字が、本来どこかへ動き回ることと言うのは、ご説明しましたね。</p><br><p>なんで、西に赴けば西遊、東に赴けば東遊となるのですね。西遊記は有名ですが、八仙東遊記はマイナーです。まあ、それは置いておきましょう。</p><br><p>今回は八卦掌の話です。</p><br><p>八卦掌はそのさまを途切れなく、上下が自在であり、歩法は自由に動き回ると言われます。</p><br><p>練習も動功と言って、動くことから始まります。特に足を動かして歩き続けるのです。</p><br><p>このことはまさに遊の字義そのままだと言えます。</p><br><p>また、八卦には方角の意味もありますので、あちこち動き回るそのことを昔の人は、なるほどこういう形容がふさわしいものだと思ったのでしょうね。</p><br><br><p>ここからは、私の物思いの一つですが、練功によって、精を練り、気に化し、気を練り、神に化し、また虚に還すという言葉があり、また、一つの表現に人を超え神に入るという言い方もあります。</p><br><p>もし、このように言われるようになったとしたら、本当の意味での”遊”の域に達したと言えるのではないでしょうか？</p><br><p>そういった練習がいつもできるとしたら、きっといろいろな条件の重なった幸福な生活を送れているのではないでしょうか？</p><br><p>そして、それは本来遠くに求めるものではなくて、誰にでも隣にある積み重ねの果てに、いつか手に入れられるかもしれないそんな気がします。</p><br><br><br><p>まあ、これは個人的な楽しみであり、大げさに考えることではないですね。</p><br><br><p>ともかく、八卦掌はたくさん歩きます。歩いて歩いて歩きましょう！！</p><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11953827354.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Nov 2014 10:30:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>遊　前編</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今回は厳密に言うと、武術カテゴリーではない内容も多いかと思います。</p><br><p>程派八卦掌は正式には”遊身八卦連環掌”というのですが、この遊身のところ、さらに言うと遊という字についての話です。</p><br><p>私はこの字が大変好きなのですが、なにしろブラブラ遊んでいるのが好きですから、あまり褒められたものではないかもしれません。</p><br><br><p>ただこの字、もともとの意味は、今で言う”あそぶ”という意味ではありませんでした。</p><br><p>白川静の”字統”が今手元にありますので、少し紐解いてみましょう。少し、出てこない字もありますので、一部翻案して行きます。</p><br><p>――声符はしんにょうを取った側、その字は氏族の旗を立てて外に旅立つことを意味する。</p><br><p>これは古代世界において、旗竿を立てて、一種のお祭りとして外を練り歩いたのをいうようです。厳密にはいろいろあるのだけど、日本風に言えばお神輿を担いで練り歩くのなんかもそうなのかもしれません。</p><br><p>――〔説文〕には遊の字を収め座ず、游字条七上に「旌旗の流なり」とし、重文として遊の字を上げている。</p><br><p>ここは古代の文字解説書である説文では遊ではなく、游の字が載っていて、それの同じ意味の違うじとして上がっていると書いてあります。私はきちんと読んでいないですが、説文も重要な古典の一つですから、機会があれば呼んでみるのも良いと思います。</p><br><p>さて、ここからが肝心です</p><br><p>――遊とは遊行移動するものをいう。〔詩、周南、漢広〕「漢に游女あり、求むべからず」とは、水の女神。その詩は漢水の女神の祭祀を歌うものである。〔秦風、兼葭〕も詩意不明のものとされるが、これも水神祭祀の歌で、女神を追迹して諮（言偏のないもの）嗟詠嘆するのは。女神祭祀の基本的な形式である。全て自在に行動し、移動するものを游といい、もと神霊の遊行に関して用いた語であった。</p><br><p>少々長いですが、昔の詩集である、詩経（あるいは単に詩といいます）という書物にもその使用法の原型が見られ、水の女神の自在に動き回る様をたたえて歌うときにそう形容したのでしょう。そこから日本でも同様の用法が見られるわけです。</p><br><p>――我が国の遊部が喪祝として神事に与るものであったことは、遊の古義をなお存ずるものである。遊君・遊女なども、もと神に仕えるものであった。うかれ・遊びはすべて人間的なことを超える状態を言う。また「あそぶ」という語も、神遊びが原義であり、「あそばす」という敬語もそこから生まれる。神とともにある状態を言う。</p><br><p>とあって、今で言う遊ぶの意味に通じてくることが書かれています。まあ、大雑把に言えばお祭りの状態が遊んでいることになっていったのでしょうね。そもそも、お祭りも神様を祭ることですから、その一部の状態をさして、日常を超越した状態、神と共食しているような状態を指したわけで、ハレとケの話からしても、あんまり遊んでばかりではいけないんでしょうね。つかれちゃいますから。このつかれるは少々多義的であると思いますが、普通に疲労するでも間違いではないと思います。</p><br><p>――すべて、故郷を離れることを遊学、遊宦、遊子といい、天子が地方を巡るのを遊予、他界に優遊するのを遊仙、心を楽しむのを遊心という。〔論語　術而〕に「仁に依り、藝に遊ぶ」とあり、「藝に遊ぶ」ｌことを、孔子も人の至境としている。</p><br><p>この辺は例示と余談的ですね。本来あるべき場所から、別の場所にそぞろいでて行く。良くも悪くもかもしれませんが、その浮かれた有様もまた遊であることなのでしょう。そして、藝に遊ぶことはのくだりは、我々がやっている武術もまた武芸といいますから、人間生活の中に至境と言えるような楽しみを見出していくための手段にもなりうるのだと思わせてくれます。</p><br><p>さて、八卦掌の話は全然出てきませんでした。</p><p>それは後編に譲りたいと思います。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11953817328.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Nov 2014 09:18:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>河北の人々　八卦と形意</title>
<description>
<![CDATA[ <p>さて、前回は意図的に出さなかったのですが、河北の武術には形意拳と八卦掌があります。</p><br><p>形意拳は河北派として一派をなしていますし、八卦掌に至っては宗師董海川が河北省の生まれで、もちろん我らが程廷華も河北の人です。</p><br><p>話に聞く所によると、形意の李存義や郭雲深と程廷華や董海川の所在は意外に近くにあったという事で、このあたりにも北京で存在感を持てた理由があるのではなかろうかと思います。</p><br><p>河北省は農村が多くて、人が割と素朴、北の田舎のイメージですが、都会である北京と天津が近いという地理的な話があり、もしかしたら、田舎ではあるけれど独特のプライドがあったのかもしれませんね。</p><br><p>拳風は剛強だったり、大らかで雄大であったりすることが多いように思います。</p><br><br><p>そんな河北の流れを引く北京武術を私たちは練習しています。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11937085975.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 13:29:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>伝聞から河北省と山東省の事を考える。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>正直な話、伝聞というか受け売りなのですが、興味本位で書きます。</p><br><p>中国武術には南北の区別が有り、ちょっと毛色が違いますよということになっています。これは生活習慣の違いだとも、実は征服者と被征服者の違いだとも言いますが、まあ、それはさておいて、私のやっている武術は北の武術、総称して北派武術と呼ばれるものです。</p><br><p>さてはて、そんな北の武術といえども、この区分になっているのが黄河の周りか長江のあたりかみたいな区分なので、だいぶ広いのです。なので、その中でもいささかの傾向があります。</p><br><p>ここから、山東河北両地域の話になります。</p><br><p>私の師は中国で機会を得てあちこちの武術家を紹介されて、いろいろ見て回ったそうですが、風格として北の武術は山東っぽいのと河北っぽいのにわかれるそうです。人の往来もあるから複雑でしょうが、ここは大雑把に行きます。</p><br><p>山東</p><br><p>蟷螂</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=8LeRpk37kfI">https://www.youtube.com/watch?v=8LeRpk37kfI</a></p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=EhKY_YMSA-s">https://www.youtube.com/watch?v=EhKY_YMSA-s</a></p><p>孫賓</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=cr7eDo9nK7U">https://www.youtube.com/watch?v=cr7eDo9nK7U</a></p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=B-BGk1hxFbI">https://www.youtube.com/watch?v=B-BGk1hxFbI</a></p><br><p>河北</p><p>たっきゃく</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=JxUyYoVv6I0">https://www.youtube.com/watch?v=JxUyYoVv6I0</a></p><p>八極</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=lH69XARsNkk">https://www.youtube.com/watch?v=lH69XARsNkk</a></p><p><u><font color="#800080">https://www.youtube.com/watch?v=0iCMJbjUo7o</font></u></p><br><p>通備</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=nCXvxedUp8Y">https://www.youtube.com/watch?v=nCXvxedUp8Y</a></p><p>華拳　これはちょっと河北かあやしいかなぁ</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=UdWt28MFzwE">https://www.youtube.com/watch?v=UdWt28MFzwE</a></p><br><br><p>並べてみても一目瞭然とはいかないですね。</p><p>一応、手の出方に特徴があるといいますね。自分は腰の雰囲気がだいぶ違うように感じます。</p><br><p>いろいろ見ていくと、自分の好みみたいなものがわかってくるかもしれません。</p><br><br><p>門内にはいればそのあたりの話も聞くことがあるのかもしれません。</p><br><p>ちなみに地理的には河北と山東はたいへん近いところであります。</p><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11937081195.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Oct 2014 12:39:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>程派八卦掌のちょっとマニア向けの話</title>
<description>
<![CDATA[ <p>まず、八卦掌とはなんぞや、ということはもう了承済みの人向けの話です。</p><br><br><p>今回は程兄弟の話。</p><br><br><p>　程派八卦掌を創ったのは誰か？と言えば、もうこれはみんな程廷華であるということは中国武術に関わりのある人なら、大変有名な話です。</p><p>　彼は四人兄弟の三番目でしたので”程三”または痘痕顔であったので”程三麻子”とも呼ばれましたが、もっとも有名なあだ名は”眼鏡程”でした。八卦門は職業があだ名になってる場合が多い気がしますが、ここでは触れないでおきましょう。</p><p>　程廷華は北京でメガネ屋をしていた職人でしたが、本籍地は実は河北省深県程家村というところでした。幼い頃より北京で学び、北京内の嵩外花市四条というところでお店を開いていたのですが、昔からの武術好きでシュワイジャオという、まあ中国式のレスリングで鳴らしていたところへ、友人の誘いもあって八卦宗師董海川に入門し頭角を表します。</p><p>　その後、董公が世を去り、程廷華は自分の修めた武術を教えて、それを名づけて”遊身八卦連環掌”としました。これが所謂”程派八卦掌”です。</p><br><p>さて、これがおさらい。</p><br><p>ここで、気が付いて欲しいのは兄弟がいたというところ。</p><br><p>　上の兄二人については武術をやっていた話は聞かないのでわかりません。</p><p>”程四”こと程殿華は程三の郷里、程家村で武術でならしていたそうです。元々体も大きく、身長も高かった殿華は村では負けなしで、少々うぬぼれていました。</p><p>　ある日、幼い頃に北京に行った程三が母を訪ねて郷里に帰ってくると、腕比べを挑んだのです。ところが、程三の腕前はその時の殿華の及ぶところではなく、程三にこれを習いたいというと、程三は殿華を董公に紹介したのでした。</p><p>　その後、八卦掌を練り続けた程四は功を完成させ”程老四”と呼ばれるようになります。</p><p>　殿華の功は大変なもので、またその性格もあって道場にやってきた挑戦者の多くは殿華の洗礼を受けて帰ることになったようです。</p><br><p>　当然ながら、これは程派八卦掌ができる前の話です。</p><p>　</p><p>　程四は程三の元で暮らして武術の腕を研鑽したわけですが、二人は協力して北京の嵩文門に一大道場を建設しました。</p><br><p>　ここでわかると思います。</p><br><p>程派八卦掌創出の影の功労者は実は程四なのです。兄弟の協力によって、この門は技法を深めて、世の中に広く知れ渡ることになったのでした。</p><br><p>　残念ながら程廷華は義和団事件とそれに続く連合軍の北京侵攻の折に、連合軍と戦い５７歳で亡くなり眼鏡屋もその時に破壊されて北京での拠点はなくなりましたが、殿華は郷里にて程派八卦掌を教え続けます。</p><br><p>　これを知らない人は稀に夭折した程廷華の派は途中で途絶えているというようにいうこともありますが、数多くの弟子、友人に恵まれ、素晴らしい弟を持った”遊身八卦連環掌”は共に武術を練った数々の人の思いによって今でもその真価を世に送り続けています。</p><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11929525692.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Sep 2014 12:12:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>暗腿のはなし。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>どうも、他派では暗腿自体に七十二暗腿みたいな名称がついた技法郡があるみたいですね。</p><br><p>うちの派では特には言いません。</p><br><p>もちろん、それに類した技はありますけれど。</p><br><br><br><p>割と、各人の工夫と練功から得られたものである程度の出来になると思います。</p><br><p>工夫については、他門他派でもよくしているだろうし、八卦っぽいのがいいのなら八卦をやればよいのですが、面白い足技なら螳螂でも弾腿でもいっぱいあるので参考になりますよ。</p><br><br><p>と書いておいて、なんですが八卦の脚はそれはそれで面白いものです。ベーシックに隠す意識のあるどんな門派でもやってる出来る蹴りのその先にその門派に特徴的な技法が乗っかってくる事がありますが、今思えばそんな感じなのかもしれない。</p><br><br><p>稽古を工夫して、得意手？を探してみるのも大変面白いものです。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11928978076.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Sep 2014 10:01:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>程派八卦掌ていうか、八卦掌ってなにかな？　という簡単な説明</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">まず、最初に言えば、八卦掌とは、中国武術の一つであり、中国では太極拳や少林拳とならぶ有名な武術です。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">その特徴は円周を歩きながら套路（日本武術でいうところの形）を行うもので、大変健身効果の高いものです。八卦掌は後述するように、大変実践的な武術として始まりましたが、</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">董海川の初期の弟子には同僚だった宦官などもおりました。なので、健康法として実践する方法もあるのです。</span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">イメージとしては、歩きながら行う太極拳と言った感じで想像していただけると、わかりやすいかと思います。</font></span></p><br><br><br><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">【八卦掌の簡単な歴史】</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"> </font></p><p></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">八卦掌は比較的新しく成立した伝統武術の門派（流派の事）です。</font></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.25pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">具体的には清朝末期（十九世紀の初め）に成立したので、日本で言えば幕末から明治の初期に出来た武術です。柔道が出来る少し前の出来事です。</font></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　この時、清王朝の王族の一つである、粛親王府に仕えた宦官である</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">董海川によって創始されました。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">　董はその腕前から、王府の護院の長に命じられ、その腕前を慕って沢山の入門者が出ました。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">　董には沢山の弟子がいましたが、その中でも特に有名なのは護院の長をついだ尹福と市井に八卦掌を深く伝え、北京にこの人在りと歌われた程廷華です。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 5.5pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: .5" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">　</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"></span></p><p> </p><p></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">【私の教える八卦掌について】</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"></span></p><p> </p><p></p><p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">　日本八卦掌協会教える八卦掌は程廷華の嫡流の“程派八卦掌”です。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 11pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">正式名称は“遊身八卦連環掌”と言って、動作は大きく上下の運動のある大変ダイナミックな動きを特徴としますが、健康法として行う場合には必ずしも、上下動を強調しません。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 11pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; FONT-SIZE: 11pt; mso-ascii-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial">大きな動作はおおらかでゆったりしたものとなり、全身の筋を心地よく伸ばしてくれます。また、身体を腕で擦るように動くためセルフマッサージの効果もあり、歩きながら行うため下半身から血流をあげていきます。練習が終わる頃には身体がぽかぽかしているのが実感できるでしょう。</span><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"><br></span></p><p style="TEXT-INDENT: 11pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0" class="MsoNormal"><span style="FONT-FAMILY: Arial; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"></span></p><p> </p><p></p><p><br></p><p>というのが、当たり障りのない簡単な説明ですが、これではあんまりつまらないと思いますので、今後少し詳しく話して生きたいと思います。</p><br><br><p></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/64-8gua/entry-11928969820.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Sep 2014 09:44:02 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
