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<title>自殺志願者の母が急死した。～母ロスから立ち直るまで～</title>
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<description>令和2年2月5日、体は弱いけど普段は元気だった母が原因不明の突然死した。悲しみと後悔と祖父母からの酷い言われように耐えて、それでも誰にも相談できないこの苦しみを吐き出したい。いつになったら立ち直ることができるのかはわからないけど。</description>
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<title>エンディングノート</title>
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<![CDATA[ 前回の投稿から数日しか経ってないが、今のところ祖母から電話はかかってきてないので私は死ぬ事なく生きてます。<br><br><br>そして今日なんとなく思いついて、エンディングノートを作ることにしました。<br><br>ついさっきSeriaで買ってきたばかりなのでまだ何も手をつけていないので、出来上がったらモザイク修正はしますが大まかな書き方などを載せようと思います。<br><br>エンディングノートにするために買ったlogicalノート、30ページ、裏表にすると60ページ。<br><br>さすがにこんなに書くほどたいした人生歩んでないので(まだ20歳というのもありますが)エンディングノートに書く内容を書ききったら、<br><br>「死ぬまでにやりたいことリスト」<br><br>も、書こうと思います。<br><br><br>Seriaまで歩いている時、やりたいことかぁ、何かあるかな、と思っていましたが、マインドマップを頭の中に広げてみると、意外と出てくるものですw<br><br><br>そう思うと祖母の電話1つで死ぬのは馬鹿らしく思えてきますが、昨日久しぶりに車に乗って夜食を買いに行こうとしてたら単独事故を起こして「もう免許捨てよ」と、まじで捨てました、そっから鬱がひどくて今日の朝コンサータを飲むまで死人のように布団からピクリとも動きませんでした、ヘビースモーカーなのにタバコ1本すら吸わず。<br><br>まぁとりあえず今は少し元気になったのでエンディングノートを描き始めることにします。<br><br>エンディングノートを作ろうと思った理由も書きますので、また次の投稿で掲載しようと思います。
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<pubDate>Thu, 12 Mar 2020 18:39:54 +0900</pubDate>
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<title>１ヶ月経ちましたね。</title>
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<![CDATA[ もう１ヶ月、それともまだ１ヶ月、どっち？<br><br>祖母からの罵倒は酷くなるばかり、旦那さんの解離性同一性障害も酷く、今の旦那さんは誰なんだろう？そんなことばかり考えて眠れない毎日。<br><br><br>現在処方されてる薬。<br>コンサータ27mg １回2錠<br>ベンザリン錠5mg １回2錠<br>ソメリン錠10mg １回1錠<br>ミルタザピン錠15mg １回3錠<br>コントミン糖衣錠25mg １回1錠<br>オメプラゾール錠20mg １回1錠<br>モサプリドクエン酸塩錠5mg 1日3錠<br>ワイパックス錠0.5mg 1日3錠まで<br>ドンペリドン口腔内崩壊錠10mg 1日1錠<br>ブロチゾラム錠0.25mg １回1錠<br><br>こんなに飲んでるのにメンタルは安定しない。<br><br><br><br>3月1日起きたら右腕が痺れて動きが鈍かったので袖を捲るとこれまでリスカしすぎて固くなった皮膚の中に、過食期に入って１ヶ月で10キロ太った脂肪が詰まってたからか、浅い傷なのにぱっくりと割れて目のような傷口があった。30本くらい切れてたけど、そのうち10本くらいは白い、脂肪の上の組織が見えていた。<br><br>リスカを始めたのは小学4年生の頃、それから半年もリス禁出来た試しはない。<br><br>けどブツブツと脂肪が溢れ出てきてる腕を見て、腕から中指までの神経が鈍ってるのを感じて、初めてヤバいと思った。<br><br>でも、起きたら切れてた、時々ある健忘だった。ちょっと躊躇ったけど旦那さんにここまではいつも通りでしょ？と少し袖を捲って見せて、その後ゆっくりと肘上まであげた、旦那さんも縫ったこともあるし縫わずにほったらかして大きな傷が残ってる人だから、怒られたりはしなかった。<br><br>ガーゼを貼ってくれて、その日は外科に行った。時間が経ってるから縫うよりテープがいいと言われ、無理やり皮膚を引っ張って強力なテープで止められた。その後久しぶりに楽しくドライブにいった。<br><br>映画も沢山借りてきた。<br><br>ただ、今日まで祖母のことは忘れかけていたのに、朝になって突然電話がかかってきた。<br><br>「しょーもないことしてあんたはどうしようもない子。」<br>「あんたがどうなろうが知らん。」<br>「遺産分割協議書を早く作り直せ、送ってこい。」<br>いつも以上に声が鬱陶しく感じて、どうしようもない子だったらほっといてくれたらいいのに、お前の娘じゃない、あたしはママの娘だ、どうなろうが知らんって言うけどどうにかしてほしいなんか頼んだ覚えない。<br><br>苛立ちは何故か祖母だけでなく自分にも向いていた。<br><br>ママをストレスで殺したのはあたしだ、その罰なんだ、元々ママ以外からは嫌われてたことに気づかなかった自分が悪い、さっさと死ねばいいってみんな思ってる。<br><br>そんなことばかり考えていて、決意した。<br><br><br><br>次、祖母から電話が来たら電話を繋げたまま「お前は今から人を殺すんだよ」と言って飛び降りてやる。<br><br>どうせ祖母の性格だから、私はあの子のことを思って言っていたのに、なんて言い出すだろうから1字1句全て言われたこと、遺書に残す。<br><br><br>もういいんだ、もういい。<br>旦那さんに出会ってから、人生で初めて幸せだと思えた、沢山長距離ドライブに連れてってくれた。北海道に旅行に連れていってくれた、初めてカニも食べた、嫌いな食べ物すら美味しく作ってくれる旦那さん、精神的にも支えてくれてた。<br><br>じゅうぶん人生謳歌した。<br><br>だからあたしは祖母を人殺しにするために死ぬことを選ぶ。
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<link>https://ameblo.jp/7792-0605/entry-12580988030.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Mar 2020 22:38:04 +0900</pubDate>
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<title>眠るとあたしは死んでいる</title>
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<![CDATA[ ママが死んだと聞いたあの日から、眠ると毎日夢を見る。<br><br>内容は詳細には覚えていないのに、毎回同じことがある。<br><br>夢の中のあたしは死んでいる。<br><br><br><br>こんな夢を見る原因はわかってる。<br>「生きたかったはずのママじゃなくて死にたかったあたしが死ねば皆喜んで平和になったのに」<br>毎日そんなことばかり考えてるからだと思う。<br><br>ボロボロの右腕や二の腕を見て、切る気持ちは起きなくなった。<br><br>もう1週間家を出てない。<br><br><br>食べて、タバコ吸って、酒飲んで、寝る。<br><br>毎日それだけ。<br><br><br>なんの楽しみもなくなった。 <br>楽しみを共有するひとがいなくなった。<br><br>昨日もばーちゃんから不在着信が何件もあった。<br><br>消えたい。<br><br><br>何を見ても、聞いても、ママを思い出す。<br>ママが見ることの出来なかった世界をあたし一人で見るのが嫌だから、苦しいから、だから家から出たくない。<br><br>
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<pubDate>Sat, 22 Feb 2020 05:25:12 +0900</pubDate>
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<title>ママが死んでから後悔したこと</title>
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<![CDATA[ タイトルの通り、後悔したことをリストアップする。どうか今、親と仲が良くなかったり連絡を取ることも少ない人はこれを見て子供の頃のように親と仲良くして、後悔がないように生きて欲しいと思います。<br><br><br>・もっと沢山ママの写真を撮っておけばよかった。<br>(死んでしまってから思い出を探しても、一緒に写った写真は1枚もなかった。これが1番悲しく思った。)<br><br>・ちゃんと病院に行くように言えばよかった。<br>(個人の医院で原因不明の高血圧や治らない逆流性食道炎、不整脈があったのに総合病院で精密検査を受けることを薦めなかったのか後悔が残る。司法解剖の結果に、「心臓肥大」「子宮筋腫」など内蔵の至る所に不調があった。)<br><br>・ママの愛に気付くのが遅すぎた。<br>(実家を出てからどれだけ愛されて育てられてきたのか分かって、これからは沢山親孝行しようという矢先に死んでしまった。1番後悔している。)<br><br>・毎日心配かけることばかりしたこと。<br>(毎日「死にたい」「生きる気力がない」「リスカしちゃった」「昨日処方された薬全部飲んだ」なんて言って心配ばかりかけてしまった、これがストレスでつもりに積もって過労も重なり死んでしまったのだと思ってしょうがない。)<br><br><br>他にも色々後悔することはあると思います。でも、やっぱり自分のことを世界で1番愛してくれてるのは親なんだってもっと早く気づくべきだったと思って、悲しいです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/7792-0605/entry-12575393604.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Feb 2020 19:59:17 +0900</pubDate>
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<title>自宅に帰り、仏壇を作ってあげた</title>
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<![CDATA[ 昨日、一通りやるべき事務的な手続きが終わって日付が変わる頃(2月15日になってから)愛知の家に着いた。<br><br>昨日と一昨日は祖父母に嫌味を言われるのが嫌で、弟のことは心配だったけど誰もいなくなった静かな実家で寝ていた。<br><br>お腹が空いて冷蔵庫を漁っていると、焼き芋やヨーグルト、あたしの好きなコンビニに売ってる瓶のお酒。他にも弟のお弁当に入れようと思って買ったであろうハンバーグや肉団子があった。<br><br>生まれてから実家を出るまで、というか同棲してからも自分のことを自分でしたことはなかった。いつもママが布団を敷いてくれて、電気毛布をつけてくれて、ご飯を用意してくれて、寝巻きを用意してくれて、家事を手伝ったことすらなかった。だから、寒いのに寝巻きがどこにあるのかも分からないし、電気毛布の付け方もわからなくて毛布にくるまって震えながら寝ていた。<br><br>そういう事を考えると、やはりママが死んでしまったのは、あたしがストレスをかけて、過労死させてしまったとしか思えなかった。<br><br>ママが死んでしまってからずっと思っていることがある。<br><br>｢人に愛され必要とされ、誰にでも優しく尽くしてきたママがなんで死なないといけなかったのか。仕事も出来ない家事もしないペットの世話すら出来ず人に迷惑ばかりかけてママ以外の人から愛されたことも無いあたしが何故生きているのか。｣<br><br>でも、時々ママが話しかけてきてくれるんです。いつものように、タバコを半分くらいで消した時「まだ吸えるやん！勿体ないから頂戴や〜」とか、焼き芋をレンジで温めすぎて激アツになってるのに食べようとした時「火傷するよ！ふーふーしてから食べなさい！」とか、すぐ側にママがいる気がするんです。<br><br><br>家に着いて、1Kの社宅には仏壇なんて置けないし、あたしは結婚して苗字はN、祖父母は琉球王国からのしきたりがあるからと仏壇にママを入れることは出来ないという、理由はママが離婚した時、ママの兄弟がヤーさんだから旧姓に戻したら子供たちの将来が心配だからということで、ママの苗字はS、祖父母はTと、全員違うので、仏壇を買うことも考えたがあたしはADHDと自閉症、旦那はASDで、子供を作る気はないからあたし達が死んだ時、仏壇がどうなるのかと思うと買えなくてこんな簡易的な仏壇を作ってあげた。49日が過ぎたら白い仏具でなくてもいいので、ママの好きな可愛いお花の柄の仏具を購入するつもり。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200215/07/7792-0605/74/53/j/o1920108014713262537.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200215/07/7792-0605/74/53/j/o1920108014713262537.jpg"></a><br><br><br>可愛いママでしょ、「もうこの歳になって明るい色は似合わないから」と言って暗い色の化粧品や服ばかり買うので、いつも最先端の若者が使う化粧品などをプレゼントして、服も一緒に買いに行って綺麗な黄緑色の服や明るい可愛い服を選んであげてたの。<br><br>あたしは髪が15歳の時からほぼずっと青色で、ママはそれを気に入ってくれて好きな色は青色って言ってくれてたから、写真の右に写ってるオイル漬けのお花(名前は忘れた)はママの誕生日に少し奮発してプレゼントしてあげたものなんだけど、年末に大喧嘩した時に連絡してこないで、とまで言われていたから捨てられてると思っていたのに実家に丁寧に飾られていて泣きそうになった。<br><br>死化粧もプロに任せずにあたしがしてあげた、可愛いピンクのチークに、ゴールドと濃いピンクのアイシャドウ。キラキラのピンクのリップクリームを塗ってあげた。葬儀屋の人も「とてもピンクが似合っていて綺麗なお顔ですね」と言ってくれて嬉しかった。自慢のママだから。<br><br>唯一地元にいるリア友は小学校一年生からの付き合いで、ママとも仲が良くてお通夜に来てくれたんだけど、「7792って「ブサイク、汚い、陰キャ」っていじめられてたけど、お母さんにそっくりで可愛いよ、ただの妬みなんだから気にしないでお母さんの産んでくれた顔を大事にしてあげてね」と言ってくれた。<br><br>正直今でも自分のことは可愛いとは思えない、9年間ブサイクと言われ続けてたから。それでもママはいつも「あんたはどんな色も似合うしメイクも上手でべっぴんさんやなぁ」って言ってくれていた。そんなわけないやろといつも言っていたけど、内心嬉しかったのに生きてるうちに1度もありがとうと言えなかった。<br><br><br><br>仏壇を作ってあげて、ご飯とママの夢に見るほど大好きな唐揚げをお供えして、お酒も一緒に飲んだ。ずっと一緒に暮らしたかったから、こうやって家にママが居ることは嬉しいけど、けど生きて一緒に暮らしたかった。<br><br>ママは、あたしに無償の愛をくれる唯一の人だった。物心つく前に離婚した父親の顔は覚えてないし、父親との思い出もない。あたしの親はママ、たった一人だった。<br>
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<pubDate>Sat, 15 Feb 2020 06:52:08 +0900</pubDate>
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<title>ほとんど覚えていない</title>
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<![CDATA[ 何日の事だったのか覚えていない。けど、警察署に行って遺品を返してもらったのは覚えてる。その時に司法解剖の結果も知らされた。死亡推定時刻だけはハッキリと覚えてる。2月5日の9時だった。<br><br>あたしに電話をかけてくれた30分後。<br><br>その時あたしの中にあった疑問が確信に変わった。ママは最後に助けを求めてたか、もうダメだとわかってあたしに最後に何か言い残したかったんだと。<br><br>そこからはもう後悔しかなかった。<br><br>「何故あの日に限って寝る前にサイレントマナーを解除しなかったのか？」<br>「前日の晩、おやすみと言ってあげなかったのか」<br>「あたしがのんきに寝てる間にママは誰にも気づかれずにどんどんと冷たくなっていってしまったのなら、電話に出れなかったあたしがママを殺したのも同然だ」<br><br>極めつけは、警察官が司法解剖の結果を説明してる時の一言でした。<br><br>「たしかに体の至る所に不調はありましたが、どれをとっても急死するような病気はありませんでした。」<br><br>おばあちゃんはストレスと過労が重なって体が限界やったんやろね…と言っていた。ストレス、過労、全てあたしのせいだとしか思えなかった。<br><br>毎日のように死にたい辛い苦しいと言って悩ませてしまった、年末には泣かせる程の酷いことをして、喧嘩になって散々酷いこと言って連絡先も消してしまった。<br><br><br>結局寂しくて謝りたくて、会いに行った。本当にいくら自分の子供とはいえ許せないようなことをしたのに、それなのにママは…<br><br>「ママはいつでもあんたの味方やからね」<br><br>そう言ってくれた。その時、こんなに優しくて、大事に育ててくれて、家を出てからも毎日電話してくれるママを大事にしないと。そう思った。元からママのことは好きだったし母の日や誕生日は、綺麗なものが好きなママにいろんなプレゼントを送っていたけど、昨年10月にようやく免許を取れたから、歩くのが辛いと言って行きたいところも行けないママを車で色んなところに連れて行ってあげよう、沢山苦労してきたから、沢山幸せになる権利があるんだから。そう思っていた矢先に、突然天国へ旅立ってしまった。<br><br>ちょっと前に「まだ死なへんわぁww」って言ってたのに、なんで？？？<br><br>元気に仕事に行って、帰ってきたら楽しそうに職場の話や弟の学校生活の話をしてくれてた。亡くなった週は、弟は実習でママは朝早く起きてお弁当を作らないといけないーってめんどくさそうに言ってたけど、誰もいない実家には、沢山のお弁当の飾りや食材があった。<br><br>自分が死ぬだなんて、ちっとも思ってなかったんだろうなって思うと、未成年の弟を残して旅立ってしまったこと、死にたがりで年に数回薬の過剰摂取で救急搬送されるあたしを置いていってしまったことで成仏出来ないんじゃないかと心配になった。<br><br>だから決めた、どれだけ辛くて悲しくて寂しくて、どうしようもなくなっても、もうリスカもODもしないと。<br><br>じゃないとママが安心して天国で休むことが出来ないと思うから。
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<pubDate>Wed, 12 Feb 2020 23:32:45 +0900</pubDate>
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<title>突然の知らせ</title>
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<![CDATA[ ちょうど7日前、2月5日のこと。<br><br>最近はまる1日寝れなくて、次の日まる1日寝る。そんな生活でした。その日はまる1日寝てる日で、17時過ぎに旦那が帰ってきたのに気がついて寝ぼけながら動き出しました。いつも通りママから朝8時30分にLINEで電話がきてたけど、17時30分頃には仕事から帰ってきて「ヾ(〃ﾟωﾟ)ﾉﾀﾀﾞｨﾏ☆」って送ってくるだろうと思いタバコを吸ってぼんやりしてました。<br><br>ママからLINEがきたから返信しようと思ってスマホを見ると、「身が固まって反応ないんやけど…」咄嗟に頭に浮かんだのは、実家に置いてきたアルビノのオスのモルモット。<br><br>「つついてみた？目は開いてる？」って送ろうとしたら続いて「ままが固まってうごかん…」ときた。一瞬意味がわからなくてポカーンとしてたけど、弟がママのスマホからLINEしてきてることに気がついてすぐに返信した。「ん？」「大丈夫？」「まま？」電話もかけた。でも、返事はないし既読もつかない。弟にもLINEしたけど既読がつかない。<br><br>ママも弟も、スマホは契約しないでWiFiを使ってLINEやmy050というアプリで電話をしていた。<br><br>18時になってようやく弟のLINEに既読がついて、電話をかけた。何を話したのかは正直ほとんど覚えていない。ただ、警察を呼ぶためにおばあちゃんちに向かってる途中というのを聞いた時、軽度の知的障害のある弟でも、‘死んだら’救急車じゃなくて警察ということをわかっていたのかと思った。<br><br>熟睡したらなかなか起きないママだから、布団かぶらずに寝てて体が冷えてるんだろうと思っていたけど、呆然としてるあたしにどうしたの？と声をかけてくれた旦那には、「今から大阪行く…ママ、死んじゃった…」と答えたらしい。<br><br>その後おばあちゃんから電話があった、これも何を話したかほとんど覚えていないけど、頭に残ってる単語はあたしが死ぬまで忘れられないと思う。<br><br>「もうあかん」<br>「病斑」<br>「死後硬直」<br>「司法解剖」<br><br>おばあちゃんたちには未成年で18歳も年上の人と結婚したなんて言ったらめんどくさいことになるからってことで、20歳になるまでは内緒にしてて、と、ママと約束してた。あたしの誕生日は1月9日で、ついこないだ20歳になったばっかりだったけど機会がなくて黙っていた。けど、弟に「おばあちゃんに、お姉ちゃん本当は結婚してる事知ってるのか聞いてくれ」ってLINEしたら「知ってたらしい」と返事がきたから、旦那と住む愛知から大阪に行くことになった。<br><br>旦那は、弟が心配ならちゃんとご飯食べてお薬飲んでからじゃないと、と言ってご飯を作ってくれた。そこからはあまり覚えてないけど、高速に乗ってる間はあたしもママも好きな米津玄師をかけて歌ってたり旦那と楽しく話をしてた。だってまだ、生きてる、大丈夫、着く頃には目が覚めてる、そう思ってたから。<br><br>大阪に着いたのは6日になってからだった。実家は警察が居て入れないと弟から聞いて、ネットカフェに行く事にした。普通そこまで言われればもう無理なのは分かるはずなのにあたしはまだ「早くママに会いたいなぁ」なんて思ってた。<br><br>朝になり、ここもほとんど覚えていないけど、昼から弟と合流して、3人で喪服を買いに行ったのは覚えてる。それでもまだあたしはママは生きてるのになんで喪服？と思っていた。<br><br>ここまであたしは一睡もしてなくて、様子がおかしかったのか、旦那に帰って少しでも寝るように言われた。この時はもう実家に入れる状態だった。実家にはつい2週間前にも、その前の成人式の時も来ていたのに何故か懐かしく感じた。でも、いつもリビングのどまんなかで寝っ転がってコーヒーを飲みながら、タバコを吸って小説を読んだりゲームをしてるママがいなかった。不思議な感覚だった、あたしの中にもう1人誰かがいるようで、その子は「ママは司法解剖されてる、寒いところに放置されてないか心配だ」と思っているのに、あたしは「ママ仕事中かな、なんであたし大阪来てるんやろ？」と思っていた。<br><br>夕方、たしか16時くらいだったと思う。身内が亡くなった時にいつもお世話になってる葬儀屋に来るようにおばあちゃんから言われた。「○○です。」と名乗ったのは、「○○(の親族)です。」と言った訳じゃなかった。普通に、名前を聞かれたから名乗っただけだった。<br><br>案内された部屋に入るとお線香の香りが漂ってきて、奥に綺麗な緑の刺繍が施されたお高そうな布団で寝てる人がいた。何故か顔に白い布をかけられていて、この時も、「誰のお葬式？」と思っているあたしと、「ママにやっと会えた、お線香立ててあげないと」と思っているあたしがいた。<br><br>おばあちゃんにお線香立ててあげて、と言われ、手を合わせて、現実を見たくない気持ちとママの顔を早くみたい気持ちが混ざってよく分からないまま白い布をそっと持ち上げると、少し顔が赤黒くなったママが寝ていた。<br><br>ずっと心の中で「はよ起きてや会いに来たで」「なんなんこんな良い布団で寝て、ずるいわ」って言っていたけど、号泣してしまった。<br><br>その日は、日付が変わって7日の3時くらいまで旦那とママのそばにいた。おばあちゃんが来て、家に布団敷いてあるからというので旦那と一緒に寝ることにした。<br><br>なかなか寝付けなかった。色々あって昨年末から旦那はあたしのことを嫌っていて寝てる時に触れると怒っていたのに、その日は無言で背後から抱きしめると手を握ってくれた。<br><br>起きたらママも起き上がってて、死人が生き返ったとニュースにでもなるだろうと意味のわからないことを思いながら眠りについた。
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<link>https://ameblo.jp/7792-0605/entry-12574746274.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Feb 2020 22:36:29 +0900</pubDate>
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