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<title>フミヤ的談笑的断章</title>
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<description>足元の日常から宇宙の大構造に至るまで。そんな様々な事態を契機として脳裏に浮かんだ談笑ネタを断章として綴っていきます。</description>
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<title>メーテルネタと平成生まれ（２）</title>
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<![CDATA[ <div>　以前からよく物忘れ現象はあったが、最近、それがますます顕著になってきたように思う。</div><div>高齢者ならいざ知らず、相対的に若い者の一人としてはじつにナサケない限り。しかし「物忘れが激しい」という事実さえ忘れなければ、たいした影響はあるまい、とも思う。</div><div>&nbsp;</div><div>　とはいえ我が物忘れのありようは、メガネは？カギは？というような、モノに関する物忘れではなく、人名・地名その他の固有名詞を思い出せないことが多いというものだから、場合によっては、（特に対人的に）マズイ事態を招きかねない面がないとは言えない。</div><div>&nbsp;</div><div>　閑話休題。</div><div>&nbsp;</div><div>　さて、前回の更新からは、体感的に２～３日しか経っていない。</div><div>&nbsp;</div><div>　にも関わらずこうしてまた更新するのは、ワケがある。タイトルにある「メーテルネタ」とは？それと「平成生まれ」がいったい何だというのか？という問い合わせが多く寄せられたからに他ならない。</div><div>&nbsp;</div><div>　あまり日が経ちすぎれば、「なーんだ、そんなツマらないことなのにモッタイぶっていたのかー。あー、アホらしい」などと非難されるのは明らか。それを避けるために、わずか体感的２～３日のうちに（その２）をアップしようと思い立った次第。これが３カ月も４カ月も経ってようやく・・・というのでは非難や批判は甘受しなければならないトコロだから、我ながらエライと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、例の企業の立ち上げに携わるようになってから、体感的に一週間ぐらい経ったところである。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが先日、度重なる面接を経て採用した者の多くが平成生まれであることをあらためて知って、愕然とした。平成生まれということは、このほど11歳になったばかりで小学五年生の我が娘と同じ、ということなのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　かくいう私は平成生まれでこそないが、じつに惜しいことに、平成のわずかひとつ前の元号の御代の生まれだ。えーっと・・・、そういえば平成のひとつ前の元号といえば・・・・・・、あれ？たしか「和」が付いていたような気がするけど、「平和」だったか「和平」だったか・・・。いずれにしても、「元和」や「元禄」ではなかったように思う。まあとにかく、ひとつ前だから、準「平成」といっても差し支えないだろう・・・と無理やり思いなしつつ、娘と同じ平成生まれの者たちと仕事をする日々なのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが、やはり強烈なジェネレーションギャップを感じざるを得なくなった。</div><div>&nbsp;</div><div>　ひと言で言うなら、彼らはじつにナマイキかつ無礼なのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　例えば、こういうことがあった。彼らが何かの楽器の話をしているようだったから、「それは何の楽器？」と訊ねたところ、いきなり口に手を当ててゲラゲラ大笑いしながら、「楽器じゃないですよ、ガッキーですよ、ガッキー！」と言う。思わず「なに？ガッキー？なんだ、そりゃあ」と返せば、ヒトを小馬鹿にした表情で、「えー？ガッキーのこと知らないんですかぁ！」「ガッキーを知らない人なんていないでしょー。訊いてみて下さい、お嬢さんだって知ってるはずですよー」ときたもんだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　いわゆる「ガッキー」が何者であるかをひととおり教えて貰った私は、悔しマギレに「それじゃー、ナニかい？君たちは平成生まれのくせに、いまだにテレビなんか見てるってワケか？」と口走ったのだが、彼らはそれにコタえた様子も見せず、シレっとした顔で、「テレビはフツーに見ますよー」「お嬢さんも見てるでしょ」などとのたまうのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　ふんっ、あー、そーですかっ！である。これがナマイキかつ無礼でなくして何がナマイキで無礼か！・・・そんな思いに苛まれる日々が訪れるとは体感的一週間前には思ってもみなかったのだが、そんなある日の帰路。いつものように地下鉄のホームで電車の到着を待っているときに、この構内広告が目に飛び込んできた。</div><div>&nbsp;</div><div>　ちなみに、駅は東京の渋谷である。渋谷といえば、陳腐な形容ではあるが、「若者の街」としてつとに有名だ。じじつ、センター街だのスペイン坂だの公園通りだの、渋谷近辺は若者がつねにタムロするエリアばかり。おそらく駅の利用者に占める平成生まれの比率は日本一、ナンバーワンではないだろうか。にも関わらず、この広告である。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171105/21/79048110/e9/8c/j/o1280072014064021017.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171105/21/79048110/e9/8c/j/o1280072014064021017.jpg" width="420"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　はたして平成生まれは、「メーテル」のことを知っているのか？</div><div>&nbsp;</div><div>　そんな疑問が我が念頭に浮かんだのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　この広告は、いったいどういう年齢の消費者をターゲットにしているのだろう。平成生まれ利用率No.1（であろう）渋谷の地下鉄駅構内に掲示されているが、この広告メッセージは、はたして平成生まれ世代に訴求できるのか。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかもテキストメッセージは、お世辞にも上出来とは言えないビミョーなダジャレ（というより、オヤジギャグもどき）である。若者たちにウケるとはとても思えないのだが、はたしてどうだろうか。</div><div>&nbsp;</div><div>　それとも「メーテル」は既に世代を超えたヒロイン的地位を獲得しているだけでなく、この種のオヤジギャグもどきも、普遍的な価値をもつ日本文化として、平成生まれの者たちにも受け容れられているのだろうか・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　私は思わず考え込んだものの、一方では、メーテルの名を「メーテル」と正しく認知できていること、ちゃんと覚えていることに安堵したりもした。</div><div>&nbsp;</div><div>　折しもこの週末、トランプだか花札だかＵＮＯだか忘れたが、そんなカードゲーム的お名前の大統領がどこかの国から訪日する直前だということで、渋谷の地下街の警備はものものしかった。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかし平成生まれたちは異様な雰囲気をものともせず、いつもと同じように「フツーに」、広告には見向きもせずにホームの縁を小走りに移動していた。そんな若者たちの様子をボケーっと目で追っていると、特別警備員に注意された。その注意は、私の耳にはこう聞こえた。</div><div>&nbsp;</div><div>　「お客さん、なに突っ立っテルんですか？電車が入ってきますから、もう１メーテルほど下がって待って下さい」</div>
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<pubDate>Sun, 05 Nov 2017 21:39:21 +0900</pubDate>
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<title>メーテルネタと平成生まれ（１）</title>
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<![CDATA[ <div>　うーん、かなり更新が滞っているなぁ・・・。別に誰に約束したわけでもないけれど。</div><div>&nbsp;</div><div>　そんな思いにときどき襲われながら５月を過ごしているうちに６月となり、「最低でも<br>月に一回ぐらいは更新できるだろう。できないワケがない・・・とタカをくくっていたの<br>は誰だ？」などというプチ自責とともに６月が過ぎ去り、気が付いたら７月に入っていた。</div><div><br>　光陰矢の如し、とはよく言ったものだ。暦の上ではほぼ２カ月だが、体感的には、ほんの<br>２～３日に過ぎない。</div><div>&nbsp;</div><div>　というワケで、２～３日ぶり（←あくまで体感ベース）の更新となる。</div><div>&nbsp;</div><div>　この間、ナニをしていたかといえば、企業の立ち上げに携わっていたのである。いや、今<br>でも携わっているのだが、ようやくペースが落ち着いてきた、というところか。</div><div>&nbsp;</div><div>　私よりも若いかつての同僚から１０年ぶりに連絡があって、「一生のお願いです。あなた<br>しかいない。私が社長を仰せつかった新設企業の常任顧問に就任して貰えませんか」という、<br>まさに降ってわいたようなハナシがもたらされたのが３月だった。</div><div>&nbsp;</div><div>　登記したてのその企業は、100%外資のIT系ベンチャー。事業内容は完全にイマドキ風のそ<br>れであり、その運営には高度なイマドキ風の専門知識が不可欠。ところが私のわずかな知識<br>と経験は、周辺業界のものではあっても、ソレ自体に直接関わるものではない。</div><div>&nbsp;</div><div>　それを理由にいったんは断ったものの、結局は相手の熱意にほだされ、引き受けざるを得<br>なくなった。</div><div>&nbsp;</div><div>　というより、彼の買いかぶりに負けたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　自慢じゃないが、私はこれまで人から「見放される」ことは数限りなくあったとしても、<br>誰からも「買われた」ためしはない。家人には瞬間的に「買われた」かもしれないが（その<br>結果が結婚という形か）、すぐに「見放された」のだ（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが相手は、「ソレに関するコマゴマした知識も経験も求めません。会社と私に対して、<br>大所高所から適切なアドバイスをして頂けるだけでいいんです」という。さらには、ともにかつて同じ組織に在籍していた頃のハナシを持ち出して、「当時のお仕事ぶりから、とても尊敬<br>していました」などと、歯の浮くようなことまで言い出した。</div><div>&nbsp;</div><div>　自慢じゃないが、私はこれまで人から「軽蔑」されることは数限りなくあったとしても、<br>誰からも「尊敬」されたためしはない。家人には瞬間的に「尊敬」されたかもしれないが（そ<br>の結果が結婚という形か）、すぐに「軽蔑」されるに至ったのだ（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、「買いかぶり」以外のナニモノでもないのは火を見るより明らかなのだが、<br>買いかぶられるのもひとつの経験だと観念して、引き受けたのだった。</div><div>&nbsp;</div><div>　かつて組織がイヤで飛び出したはいいが、失敗に次ぐ失敗を重ね、最終的には個人事業主として糊口をしのぐ道を選んだ者が、あろうことか、会社組織を構築する手助けをするという皮肉な事態となった・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　というのが、この２～３日（←あくまで体感ベース）のことである。</div><div>&nbsp;</div><div>　タイトルの「メーテルネタと平成生まれ」にはかすりもしなかったけれど、今回はここまで<br>として、この間のあれやこれやを引き続いて綴っていきたい。できれば、この２～３日中にで<br>も・・・・・・とは思うけれど、これが暦ベースになるか体感ベースになるかは神の味噌汁（笑）、<br>ということで！</div><div><div>&nbsp;</div><img alt="神のみぞ知る　画像 に対する画像結果" class="mimg" data-bm="145" height="181" src="https://tse3.mm.bing.net/th?id=OIP.H3IzB9Qc-Hhn8J-4ZmnNCgEsC7&amp;w=290&amp;h=181&amp;c=7&amp;qlt=90&amp;o=4&amp;dpr=1.5&amp;pid=1.7" style="color: rgb(98, 32, 18);" width="290"></div><div>&nbsp;</div>
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<pubDate>Wed, 05 Jul 2017 23:47:44 +0900</pubDate>
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<title>「忙しい」を口にする男に関する断章</title>
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<![CDATA[ <div>　更新ペースがガクンと落ちてきた。といっても、べつに一定のペースをキープする必要はないし、もちろん誰に咎められるわけでもないのだが、もう少しなんとかしたいという思いが湧いてくる。</div><div>&nbsp;</div><div>　では、なぜ更新ペースが落ちたのか。</div><div>&nbsp;</div><div>　そう自問すると当時に、あらためて思い起こされたことがある。</div><div>&nbsp;</div><div>　これまで私はややもすると、「忙しい」を口にする男を意識的に遠ざけてきた、ということだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　「忙しい」のひと言を口にする男を遠ざけてきたのは、ともに何かを語る気になれないからだ。ハッキリ言えば、キライなのである。もっとも、それは、長きにわたる私の思い込み的価値観にすぎないのだが。また、そうであることは明確に自覚できるのでもあるけれど・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　にも関わらず、どうしても、</div><div>&nbsp;</div><div>　「男のくせに、“忙しいんだよね～”“最近忙しくて”などというセリフを口にするとは、男の風上にも置けない女々しいヤツだ！」　とジャッジしてしまうのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　どうしてそんな価値観が形成されたかといえば、それはやはり経験則に基づくとしか言いようがない。早いハナシが、簡単にそんなセリフが出てくる男は、ことごとく「言い訳がましい」ところのあるヤツだったから、ということに他ならない。</div><div>&nbsp;</div><div>　では、女性ならいいのか？</div><div>&nbsp;</div><div>　いいのである（笑）。女は本来、いつでも「忙しい」のだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　だから、もともと「忙しい」のが当たり前の女性が「あー、忙しい忙しい」と10回繰り返しても、「そうだろうなー。さもありなん」と、私としては鷹揚に受け容れてしまえる。しかし男は本来、忙しくない生き物。むしろ、忙しくしてはならないのだ。いや、正確にいうなら、たまにしか訪れない「忙しい瞬間」に最大限の成果（例えば、獲物を捕獲するなど）を挙げるために、ふだんはあえてゴロゴロしている必要がある。そう、女は連続的かつ継続的な忙しさに生き、男は瞬間的な忙しさに生きるものなのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　・・・・・・などともっともらしいことを書くと、同性から、それは暴論だ、根拠を示せという叱責を受ける可能性もあるが、私としては、そんな気がしてならないのだ。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170426/19/79048110/8f/05/j/o0253024513922876204.jpg"><img alt="" height="245" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170426/19/79048110/8f/05/j/o0253024513922876204.jpg" width="253"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　そんなワケで、やたらに「忙しい」を口にする男に対しては、ついつい「女々しいヤツ」という烙印を押してしまうし、いざという時には役に立たなさそうだな・・・などという評価を下してしまう。のみならず、自らはけっして「忙しい」の語を口にしないように戒めてもいる（その結果、娘に対しても、「忙しいから」と言えば済むのに、「お父さんはいまちょっとアレだから～」などと言うクセがついてしまっているー笑ー）。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかし、そんな所謂ジャッジを手放せれば、いまよりラクチンな人生が待っている・・・・・・と思わなくもない。</div><div>&nbsp;</div><div>　そこで、長い間の禁句を用いて自問自答してみた。</div><div>　<br>　「更新ペースが落ちたのは、最近、あれやこれやと忙しいからじゃないのか？」</div><div>&nbsp;</div><div>　「うーん、そうだよねー。だって、ここのところアレもあってコレもあるんだから、本当に忙しいんだもん！」</div><div>&nbsp;</div><div>　「あー、いま忙しいって言った！オマエは、つまりオレは、なんて女々しいヤツなんだっ！」</div>
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<pubDate>Wed, 26 Apr 2017 19:48:16 +0900</pubDate>
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<title>春の夜の夢</title>
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<![CDATA[ <p style="margin: 0px; text-indent: 10.5pt;">夜空を見上げて驚いた。昨晩九時すぎのことである。<br>&nbsp;<br>　といっても、なにもＵＦＯの大群を目にしたというわけではなく、ただの星空に小さく驚いたにすぎないのだが・・・・・・。<br>&nbsp;<br>　多くの人にとっては「どうでもいいこと」でしょうが、しし座の四辺形が南天にクッキリ、ハッキリと視認できたことに加えて、冬の夜空の主役を務めたシリウスが西の地平線に吸い込まれるように沈んでいき、さらにふたご座のカストル、ポルックス兄弟も西に傾いていく様子が、これまた明瞭に確認できたのである。<br>&nbsp;<br>　それだけではない。東に視線を転ずれば、オレンジ色の光芒を放つアルクトゥルス（うしかい座）と、真っ白に輝くスピカ（おとめ座）までがきれいに見えるではないか。しかもスピカは、-2.5等級ほどの明るさで輝く木星を、その真上に戴いて昇ってきているのである。</p><p style="margin: 0px; text-indent: 10.5pt;">&nbsp;</p><div><div>　これほど贅沢な春の夜空には、めったにお目にかかれない。冬の夜空を彩っていた星たちと春の星座が入れ替わっていくのは当たり前なのだが、それを見事に一望できるチャンスは、そうそう巡ってはこないのだ。<br>&nbsp;<br>　なぜなら、年間を通じて、夜空の観望に最も不適なのがこの時期だから。「春霞」や「花曇り」などという風情のある言葉が示すとおり、春の大気は水蒸気や塵、ダストを多く含むために（もちろん雲がかかることも多い）、けっして清澄とは言えないのである（花粉症の方の大敵も大気ダストの一部）。<br>&nbsp;<br>　にも関わらず、昨晩はスッキリした大気条件だったためか全天に一点の曇りもなく、東京の片隅からではあっても、星々のきらめきを存分に堪能できた。そのことに驚いたのだが、もしかすると、4月中旬のその時間帯の見事な星座配置を目にできたのは、我が人生で初めてのことかもしれない。<br>&nbsp;<br>　というわけで、昨晩は文字どおり「春の夜の夢」かと思ったほど。<br>&nbsp;<br>　さあて、今晩ははたして、二晩つづきの「春の夜の夢」といきますかどうか・・・・・・。<br>&nbsp;<br>　心にゆとりがある方は（いや、ゆとりなどないと仰る方ほど、かな？）、ぜひ夜空を見上げてみて下さい（東南の空にひときわ大きく明るく輝いて見えるのが木星で、その真下の白い星がスピカ）。</div></div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170416/14/79048110/54/b1/j/o0320028913915150911.jpg"><img alt="" height="289" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170416/14/79048110/54/b1/j/o0320028913915150911.jpg" width="320"></a></div><p style="margin: 0px; text-indent: 10.5pt;">&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/79048110/entry-12266134331.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 14:27:02 +0900</pubDate>
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<title>スッキリ疑問解消リポート</title>
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<![CDATA[ <div>　どこか腑に落ちないけれど、どこがどうして腑に落ちないのか分からない・・・・・・。そんなもどかしい思いや疑問の一つや二つは、誰にでも経験があることだろう。</div><div>&nbsp;</div><div>　私にもそんなことがある。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかしそれは、特に重要な事柄でもなければ深刻な事態に関することでもなく、言うならば、どうでもいいことに属する。逆にそうだからこそ、どこかヘンだなぁ、どうしてなんだろう、何がおかしいのか・・・・・という疑念はいつまで経っても解決されることなく、思念の片隅に居座り続ける。そして折に触れて思い起こしては、その度に首を捻ることになる。私は便秘というものにはまったく縁がない体質なのだが、おそらくこの「スッキリしない」感は、あたかも便秘に苦しむ人のそれに近いのではないか。</div><div>&nbsp;</div><div>　今回報告するのは、まさにそんな長年の疑問が、一瞬にして氷解したという経験である。</div><div>&nbsp;</div><div>　二十一世紀に入って十年以上も経った現在、生まれた時からトイレは水洗だったという人も多いだろうが、水洗トイレなるものが日本中に普及し始めたのはそれほど昔ではなく、１９７０年代頃だった（かな？）。しかしそれは瞬く間に公共の場に導入され、各家庭にも設置されていった。そんな激動のトイレ革命（←大袈裟な！）のさなか、まだ少年だった私は、それを喫茶店や学校、スーパー、レストランなどのいわゆる公共の場で使用させて貰う度に、「あれ？なにかおかしいぞ」という思いを味わったものである。</div><div>&nbsp;</div><div>　・・・・・・というわけで、以下やや尾籠なハナシになるため、尾籠系が苦手だったり抵抗を覚えたりする読者とは、このあたりでお別れした方がいいかもしれません。結論もオチも何もないままでお別れするのは誠に忍びないのではありますが、ここまでお読み頂き、ありがとうございました（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　えー、したがいまして、以下、多少の尾籠バナシはＯＫでっせ、という方だけに向かって報告を続けます。</div><div>&nbsp;</div><div>　私が何に対して「おかしい」「どうも腑に落ちない」と感じたのかといえば、じつは他でもない、</div><div>&nbsp;</div><div>　「備え付けの紙以外は流さないで下さい」</div><div>&nbsp;</div><div>　という、お約束の注意書きである。</div><div>&nbsp;</div><div>　なかには「～以外は“絶対に”流さないで下さい」と強調するものもあれば、「配管が詰まる要因になりますから」などと要請の理由を明白に示すものもあるが、どのパターンであろうと、この種の注意書きに接する度に、私は違和感を覚えるのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　いや、命令されているようでイヤだという方向の違和感ではない。そうではなく、書かれている内容そのものの何かが、どこかがオカシイような気がするけれど、それがどうしてだが分からない、どうも腑に落ちないという、じつにキモチの悪い違和感なのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　これらの注意書きは、文章的にはまったくオカシくはない。文法的な誤りもなく要請の内容もきわめてクリアなのだから、ロジックとしても充分に理解できる。にも関わらず、何かが奇妙なのである。そんな疑問はどうでもいいことであり、我が人生に何らかの影響を与える類のものではない。したがって深く考えられることもなく、このトシになるまで（どのトシだ？というツッコミはなし！）、その疑問はわが胸中にくすぶり続けていた。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが、このほど、その疑問が一瞬にして見事に氷解したのである。それは、某外食チェーンの店舗内トイレでコレ（<span style="font-weight:bold;">↓</span>）を目にした瞬間だった。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170409/17/79048110/43/72/j/o1280072013909905771.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170409/17/79048110/43/72/j/o1280072013909905771.jpg" width="420"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　ああ、そういうことだったか！「備え付け」であろうがなかろうが、なにも好き好んで「紙だけ」を流す人（＝「紙以外」のものを流さない人）などいないのだ！それに気がついて積年のワダカマリを解消した私は、思わず口にした。</div><div>&nbsp;</div><div>　「あー、スッキリした！」と。</div>
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<link>https://ameblo.jp/79048110/entry-12264084445.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Apr 2017 17:48:26 +0900</pubDate>
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<title>四つ葉のクローバー</title>
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<![CDATA[ <div>　世間で言うところの「期末」の影響もあって、身辺がやたら忙しい。こちとら個人事業主であって、政府機関でも役所でもなければ、上場企業でもない。にも関わらず、なぜ期末とやらの影響を受けなければならない？それこそ末期的症状ではないか・・・などと憤ってみても始まらない。関係先がそういうものなら、いくら個人事業主といえども、影響を受けないワケにはいかない。そういう構造だから仕方がないのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、あっちはこうして、こっちの方はどうしてこうして・・・などと、乏しい知恵を絞りながらバタバタしていた。そんなさなかの今日の昼すぎ、春休み中の娘から電話があった。</div><div>&nbsp;</div><div>　「おとーさん、いいお天気だから、一緒に“四つ葉のクローバー”採しに行こうよー」</div><div>&nbsp;</div><div>　眉が吊り上がりきったところに、いきなりメルヘンの世界への招待状が舞い込んできたというわけだ。娘は四月になれば五年生だが、まだまだ子どもなのである。それはそれで父としては微妙に嬉しかったりするのではあるが、さすがにこのバタバタ状態である。</div><div>&nbsp;</div><div>　「えーっとね、お父さんはいまちょっとアレなんだけど、どこで探したいの？河川敷だったら、今日はちょっとムリかも・・・」</div><div>&nbsp;</div><div>　「ううん。河川敷じゃなくて、Ｔビルの裏の植え込みだよ。この間、Ｍちゃんがあそこで見つけたって言ってたの」</div><div>&nbsp;</div><div>　河川敷なら行き帰りを含めて一時間はたっぷりかかるが、互いにすぐ近くのＴビルなら３０分程度でなんとかなる・・・・・・かもしれないし、ならないかもしれない（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　「うーーーん、Ｔビルなら行けなくはないけど、そーだなー、うーん、うーーーーん（←唸りに唸った）、それじゃーねー、お父さんは３０分ぐらいで戻らなきゃいけないけど、いい？」</div><div>&nbsp;</div><div>　「わーい、行こう行こう、いますぐ行こう！Ｔビルの裏で待ってるねー」</div><div>&nbsp;</div><div>　娘は有無を言わせず、いきなり喚声を上げた。あーあ、しょーがねーなー。その勢いに負けてメルヘンランド行きの招待状を受け取ってしまった私は、「えーーーい、ままよ！」と立ち上がるしかなかった。ジタバタせずに開き直ることにしたのである。そしてＰＣ画面上の仕事ネタに向かって、「待ってろよ。３０分で戻るからなっ」と内心で声をかけ、ジャケットに袖を通して競輪選手のように自転車に飛び乗った。</div><div>&nbsp;</div><div>　自転車をすっ飛ばしながら、「“四つ葉のクローバー”狂いはもう終わったかと思っていたのに、仲よしのＭちゃんのひと言で再発したということかぁ・・・・・・」と、思わず溜め息をついた。</div><div>&nbsp;</div><div>　娘の“四つ葉のクローバー”好きは、絵本の『くまのプーさん』（四つ葉のクローバーの巻、だったかな？）を読んだ三、四歳の頃からだから、筋金入りだと言えなくもない。</div><div>&nbsp;</div><div>　思い起こせば、小学校に上がる以前、だだっ広い河川敷からあちこちの公園まで、何度も何度も一緒に探したことがある。もちろん見つかったためしがない。そりゃそうだろう、私はハナから「ないもの」だと思っているのだから。というよりむしろ、“四つ葉のクローバー”などというものは「いかにもありそうだけど、実際には存在しないもの」の代表であり、植物生態的にも存在し得ないものだと決めてかかっていたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　だから、幼い娘の前では一生懸命に探すフリをしながら、「なかなか見つからないねー。今日はきっと地面の中に隠れちゃったんだよ。さーて、暗くなってきたから、そろそろ帰ろうか。また今度探そうねー」などと言ってゴマかしていたのである。というわけで、当然のことながら、そんなものを私は一度も目にしたことがない。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　「おとーさん、見て見て！あったよ、四つ葉のクローバー！いま見つけたの！」</div><div>&nbsp;</div><div>　私がＴビルの裏に到着するや否や、先に到着していた娘が、すっかり興奮した様子で叫びながら駆け寄ってきた。</div><div>&nbsp;</div><div>　「えーーーっ！」　</div><div>&nbsp;</div><div>　「ほらっ！」</div><div>&nbsp;</div><div>　思わずのけぞった。娘の掌にあるソレは、私にとっては存在しないはずのもの、まさに“四つ葉のクローバー”だった（↓）。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170328/21/79048110/0e/32/j/o1280072013900575970.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170328/21/79048110/0e/32/j/o1280072013900575970.jpg" width="420"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　「へー、ホントにあるんだねー、“四つ葉のクローバー”って。お父さんも初めて見たよ、こんなの！」</div><div>&nbsp;</div><div>　「やったやったー、見つけた見つけたーっ！」</div><div>&nbsp;</div><div>　まさしく欣喜雀躍といった風情で喜んだ娘は、私に向かってさらにこう言った。</div><div>&nbsp;</div><div>　「おとーさん、ありがとう！おとーさんが一緒に探してくれるって言ったから見つかったんだよー、きっと！」</div><div>&nbsp;</div><div>　不覚にも涙ぐみそうになった私は、それを隠すように、「よーし、今週中はダメだけど、お父さんのお仕事が一段落したら、Ｈレストランで、“四つ葉のクローバー”発見のお祝いだーっ！」と言った。</div><div>&nbsp;</div><div>　「わーい、それがいい！そうしよう、そうしよう！約束だよ、おとーさんっ」</div><div>&nbsp;</div><div>　そんな娘を家まで送って↑の写真をスマホに収めた私は、期末仕事が待つ我がワンルームに戻った。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが・・・・・・、仕事はまだ終わらない。なぜなら、「鉄は熱いうちに打て」じゃないけれど、まさにコレを書き始めたから（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　いったん開き直ったら、とことん開き直るのが吉だと私は信じる。期末もお粗末もなければ、雲来松も風来松もないのだ。仕事が終わるか終わらないか？んなこたぁ、娘がようやく念願かなって見つけた“四つ葉のクローバー”にでも訊いてくれ！・・・・・・という心境（←ほとんど末期的心境）なのである。はたして、結末やいかに？</div>
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<pubDate>Tue, 28 Mar 2017 21:48:13 +0900</pubDate>
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<title>春分的戯言的断章</title>
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<![CDATA[ <div>　春分である。秋分もそうだが、この日、太陽は真東から昇って真西に沈み、ヨコ文字の"equinox"が示すとおり、昼と夜の長さがほぼ同じとなる。</div><div>&nbsp;</div><div>　そんな春分と秋分には、「オマエはもっと平衡、バランスを意識せよ」と宇宙から勧告を受けているような気分になるのがつねだ。というわけで私は毎年二回、その前後に、自らのいかにも極端な、そう、あたかも夏至と冬至の間を振り子のように行き来し続けるかのような生き方への反省を迫られることになる。</div><div>&nbsp;</div><div>　今回は、昨日やってきた１０歳の娘が宇宙の代理人だった。</div><div>&nbsp;</div><div>「お仕事の邪魔しないから、おとーさんちで塾の宿題やっていい？」と電話があった。妻と娘が暮らす家とワンルームの我が居所（兼仕事場）は自転車で５分の距離であり、娘はよく「ママに叱られた～」とか「ちょっと寂しくなっちゃった」とか言いながら、テレビもビデオもない我がワンルームに来るのである。</div><div>&nbsp;</div><div>「いいよー。でも、おやつが何もないから、お母さんにお小遣い貰って、途中で買っておいで」と言うと、「わかったー。ありがとう！じゃー、これから行くね・・・・・・。あ、それから、おとーさんのお仕事の合間に、ちょっとだけ動画みてもいい？」ときた。</div><div>&nbsp;</div><div>「うん、いいけど、動画で何を見たいの？」</div><div>&nbsp;</div><div>「へーせージャンプ！」</div><div>&nbsp;</div><div>「平成ジャンプ？なんだそれ？お笑いグループか？」</div><div>&nbsp;</div><div>「えー、おとーさん知らないの？平成ジャンプじゃなくて、ヘイ！セイ！ジャンプだよ。歌と踊りのグループ！」</div><div>&nbsp;</div><div>「そんなの知らないよ。スナップだかスマップだかみたいなものか？」</div><div>&nbsp;</div><div>「そうそう、もっと人数多いけどね。それじゃー、これから行くね！」</div><div>&nbsp;</div><div>　そんなやりとりの後しばらく経ってポテトチップスを手にやってきた娘は、泣き顔をしていた。訳を訊けば、出がけに、部屋を片付ける片付けないで母親にこっぴどく叱られたという。</div><div>&nbsp;</div><div>「そうかー。そんなことで・・・・・・。じゃー、そんなツマラナイことでいちいち小言を言うなっておとーさんが言おうか？」と言えば、「やだやだ！言わないで！またママとおとーさんが喧嘩になっちゃうから、絶対言わないで。私、我慢するから！」と。</div><div>&nbsp;</div><div>　争いごとをとことん嫌がる、心根の優しい娘だ。親ばかではあるが、どうしてこんなに気持ちの優しい子が生まれたのだろう、と思う。諍いの絶えない父と母の間で育ったにも関わらず、である。それとも、そんな父と母の間だからこそ、「かすがい」としての使命を帯びてやってきたのか。</div><div><br>　いずれにしても、まだ１０歳の女の子に「私、我慢するから！」と言わせているのはいったい誰だ！という自責の念には、なかなか根強いものがある。これを解放するのは容易ではないが、そんな状況こそ幻想であり、フュージョン、ホログラム、マーヤに他ならないという量子力学的認識を強化するしかない。そこで大切になるのが、バランス、平衡または中庸を希求する意識・・・・・・、ということか。</div><div>&nbsp;</div><div>「そうそう、金曜日の給食は“おはぎ”だったんだよ。もうすぐ春分の日だからって先生が言ってた」</div><div>&nbsp;</div><div>　ヘイ！セイ！ジャンプとやらの動画を見て笑顔を取り戻した娘は、私にそう告げて帰って行った。</div><div>&nbsp;</div><div>　今日は、その春分である。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170320/10/79048110/44/80/j/o0600042013894164774.jpg"><img alt="" height="294" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170320/10/79048110/44/80/j/o0600042013894164774.jpg" width="420"></a></div>
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<pubDate>Mon, 20 Mar 2017 10:31:09 +0900</pubDate>
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<title>「たまご割り人形」を求めて（その２＝完結）</title>
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<![CDATA[ <div>　我が脳裏に閃いた名案とは・・・・・・？</div><div>&nbsp;</div><div>　それは卵を割る動作をリズミカルなものにすれば、つまり“音楽”を用いればどうだろう、ということだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　一定のリズムに乗って卵を割るということは、「せーのっ！」「あらよっ！」「ハッ！」などの掛け声とのオサラバを意味する。それは即ち、いかにも肩に力を入れて「さあ、これからいよいよ卵を割りますっ！」と気張ることに他ならないのだから。軽やかなリズムに身を任せれば、腕と肩はもとより身体全体を柔軟に動かせる（ハズだ）し、私のような者でも、結果的には、多くの主婦と同じように自然かつ華麗に卵を割れる（ハズだ）、と考えたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　ああ、どうして、これほど単純な手法をこれまで思いつかなかったのか！</div><div>&nbsp;</div><div>　そう思った私は、早速それをトライすべく、卵を割るに相応しいリズムを選曲することにした。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかし、いくら“卵割り”（←こんな名詞化は大袈裟か？）に相応しい曲といっても、それがもともと下手クソなのだから、そうやすやすと思い浮かぶものではない。というわけで、私はキッチンに立って、ああでもない、こうでもないと、身体全体と両腕をゆらゆら動かしてみた。すると、あーら不思議、♪タ～～ラ～、ラララ～という、はるか昔に聞き馴染んだメロディが口をついて出てきた。</div><div>&nbsp;</div><div>　なんと、「スケーターズワルツ」である！</div><div>&nbsp;</div><div>　おお、これはピッタリ！この軽やかで優しいメロディに乗れば、氷上を風のように滑るスケーターよろしく、スムーズに卵を割れるに違いない！と確信した私は、早速、卵をひとつつまんで、♪タ～～ラ～、ラララ～と口ずさんだ。そして上体を軟体動物のように揺らしながら肩と腕の力を抜き、ごく自然に、卵をフライパンのへりにあてた。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが、その強度が不足していたのか角度が悪かったのか、卵は中途半端にしか割れず、こぼれた中身がフライパンのへりから緩慢にズルズルズルっと滑り落ちていく事態と相なった。しかも、やはりカラの小片をいくつか伴って・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　「スケーターズワルツ」だけに卵が滑った、ではシャレにならない。呆然と立ち尽くして、私はしばらくナサケない気分に陥ったものの、意外にもこの曲は卵割り向きではなかったのだと考え直して、早速、新たな選曲に着手（←何を大袈裟な！）したのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　もっと流麗で静謐なメロディはないかと思いを巡らせることしばし、またまた神の啓示のように、名曲の調べが脳裏に甦った。</div><div>&nbsp;</div><div>　世界三大ヴァイオリン協奏曲のうちのひとつ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲（ホ短調）である。</div><div>&nbsp;</div><div>　おおおーっ、そうだっ！あの第一楽章の流れるような主題メロディこそ、卵割りに求められる流麗な動作にマッチするに違いない！</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170310/07/79048110/3d/f9/j/o0354046613886319705.jpg"><img alt="" height="466" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170310/07/79048110/3d/f9/j/o0354046613886319705.jpg" width="354"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　というワケで、今度は口ずさむのではなく、手許にあるその名曲のＣＤを再生してトライすることにした（←いわゆる「本気モード」である）。もしかすると泉下のユダヤ人作曲家は、わずかに憂いを含んだ<span style="font-weight:bold;">↑</span>のような顔で、「キミキミ、我が作品を卵割りＢＧＭに用いないでくれたまえ！」と言うかもしれないと思ったが、ソレはソレである（その際は、「ゴメンデルスゾーン！」と言って謝るしかない）。</div><div>&nbsp;</div><div>　息を整えてＣＤをオンにすれば、第一楽章の主題のヴァイオリン独奏が直ちに始まる。はたして私は少し慌てながらキッチンに走り寄り、奏でられる曲調に合わせて、卵をもつ腕を振り子のように揺らした。すると我が右腕は、アタマが何も意図しないうちに、最高のタイミングで、自然に卵をフライパンにあてていた。</div><div>&nbsp;</div><div>　パカッ！という音がしたわけではないが、手の感触からはそう感じられた。うまく割れてくれたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　無心に左手を添えた私は、最終的にフライパンの真上で卵を落とすことに成功していたのだった。卵の黄身がフライパン面のド真ん中に見事に着地したのを確かめると、我が心身はともに、この上ない喜びに浸された（←コレも大袈裟だろっ！）。</div><div>&nbsp;</div><div>　ここまでの道のりは、じつに長く険しいものだったが（←またまたっ！）、一連の卵割りに関する試行錯誤の経験は、きっと私に何か貴重なメッセージをもたらしてくれたハズだ。それは、「汝、外に“たまご割り人形”を求めるなかれ。むしろ自ら“たまご割り人形”となれ！」（←なんのこっちゃ？）という教訓か。それとも、「人間の身体動作には、それぞれに適した音楽やリズムつまり周波数の移動がある」（←いかにももっともらしいけど・・・）という認識か。はたまた、これまで誰にも気づかれなかった「台所仕事とックラシック音楽の相性のよさ」（←サンプル数が足りない？）に関する深い洞察か・・・・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>　いずれにしても、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が、いまのところ目玉焼き以外のメニューがない我がキッチンに欠かせないものになったのは事実。というわけで私はいま、マッチする曲さえ見出せれば、包丁を使ってまな板の上で野菜を切るという、身の毛もよだつほど恐ろしくて危険な作業も可能になるかも・・・という気がしている。</div><div>&nbsp;</div><div>　これまでの自分では到底考えられなかったことだが、そんな前向きなチャレンジに対する意気込みの報告を以て、この一人暮らし不器用男キッチン奮闘記を締め括ることと致します。お後がよろしいようで～～。</div>
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<pubDate>Fri, 10 Mar 2017 07:15:50 +0900</pubDate>
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<title>「たまご割り人形」を求めて（その１）</title>
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<![CDATA[ <div>　ズボラでメンドクサがりの私のような者にとって、一人暮らしはラクチンで快適なのだが、困ることがないわけではない。</div><div>&nbsp;</div><div>　キッチン系の事柄である。</div><div>&nbsp;</div><div>　じつは私は、包丁や果物ナイフなどをうまく扱えない。生来の不器用もあるが、育った家庭環境が「男子厨房に入るべからず」的な価値観をベースにしていたことが大きいと思う。子どもの頃は、ヘタに包丁やまな板に触れようものなら、「男の子はそんなことするもんじゃない」と叱られたものである。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、いまだにリンゴの皮ひとつ剥けないでいる（リンゴは丸かじり主義を通している）。長じてから皮剥きにトライしたことはあるけれど、当然の如く、指の腹を剥いて出血する事態となった。それ以来、怖気づいて、果物ナイフは一度たりとも手にしたことがない。</div><div>&nbsp;</div><div>　そういえば、以前こんなことがあった。</div><div>&nbsp;</div><div>　本人としてはまったくそんなつもりはなかったけれど、私はある女性に対して批判的な物言いをした（らしい）。すると、「リンゴの皮も剥けないような人に、そんなこと言われたくないっ！」という反撃を喰らったのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　彼女のその台詞を聞いて私ははじめて、「リンゴの皮を剥けない」ことは、世間では相当に恥ずかしいことに違いないと認識した。そうかぁ・・・・・・、「リンゴの皮も剥けない」というのは、馬鹿にされるようなことだったのかぁ！というわけだ（リンゴの皮は剥けなくても、ブドウの皮なら剥ける！などと再反論しそうになったが、それはやめた）。</div><div>&nbsp;</div><div>　まあ、それぐらいキッチン系は苦手なのだが、コトはそれに限らない。</div><div>&nbsp;</div><div>　目玉焼きを作ろうとしても、卵がまともに割れないのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　いや、割れることは割れるのだが、かなりの確率で、卵の中身にカラの小片が入るのだ。フライパン上にソレを見つけては取り除こうとしても、高粘性の白身の内部に取り込まれたカラを除くのは至難のワザ。指ではムリであり、箸を使ってもうまくいかない。ピンセットでもあればいいのだが、生憎そんなものはない。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、フォークを左右の手に一本ずつ持って交差させながらカラをすくい上げようとする。首尾よく取り除ければいいのだが、なかなかうまくいかないこともある。そんなときは、悪戦苦闘しているうちに、透明の白身が加熱によってあれよあれよという間に白色化して、カラの小片との見分けがつかなくなってしまうのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　その結果、えーい、面倒だ！とギブアップし、最終的にはカラ入りの目玉焼きを食べるハメに・・・・・・ということが、少なからずある。</div><div>&nbsp;</div><div>　我ながら、アホか！と思う。泉下のチャイコフスキーに「えーっと、“くるみ割り人形”じゃなくて、“たまご割り人形”みたいなものはどこかにないでしょうか？」と訊きたくなってしまうが、おそらく大作曲家は、↓のようなコワい顔をして、「このアホタレコフスキーがっ！そんなものはどこにもないっ！」と、私をどやしつけるに違いない（その際は「ゴメンナチャイコフスキー！」と言って謝るしかないか）。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170308/08/79048110/fd/8f/p/o0217030013884946505.png"><img alt="" height="300" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170308/08/79048110/fd/8f/p/o0217030013884946505.png" width="217"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　ことほどさように、私は卵を割ることに抵抗とストレスを覚えるのである（世間には、そんな人はめったにいないだろうけど）。</div><div>&nbsp;</div><div>　しかしある日、卵を割る動作に対する意識が過剰なのではないか、ということにハタと気がついた。</div><div>&nbsp;</div><div>ーーーじつにコトもなげに、容易かつ華麗に卵を割る家庭の主婦をはじめとする世の人々を見てみよ。あたかも自転車に跨る如く、無意識に割っているように見えるではないか。ところがお前はどうだ？<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3" target="_blank">ヴィパッサナー瞑想</a>じゃあるまいし、「右手に持った卵をほどよい強度でフライパンのへりにあて、そして割れた片方のカラに素早く左手を添えて・・・」などと考えながらコトを行っているではないか。</div><div>&nbsp;</div><div>ーーー自転車訓練中の幼児かヴィパッサナー瞑想者でもなければ、「私は左足を片方のペダルにかけている。そして右足を・・・」などと意識しながら自転車に乗る者があるだろうか。お前は卵を割るに際して、まさに、それと同じことをやっているんじゃないのか。</div><div>&nbsp;</div><div>　自らの内から、そんな声が聞こえたのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　なるほど！意識過剰、考えすぎだったということか！と納得した。そういえば卵を割る際、私は「あらよっ！」「ハッ！」「ほいさっ！」など、思わず何らかの掛け声を発してしまうけれど、これも意識過剰の証しかもしれないとも思った。</div><div>&nbsp;</div><div>　ヴィパッサナー瞑想には以前トライしたことがあるが、如何せん、ツマラナくなったのでやめてしまった（面白さを求めて行うものではないけれど）。</div><div>&nbsp;</div><div>　日常的な一つひとつの動作を意識化することによって余計な思考を排除することがその目的だが、専念すればするほど動作が不自然でぎごちなくなるという面があって、必ずしも社会生活向きではない（瞑想法だから当然といえば当然だけど）。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、我が不器用はウィパッサナー瞑想を試みたことにも原因の一端があるかも・・・と、きわめて無礼かつ失礼なことを考えたりもしたけれど、とにもかくにも、過剰になりすぎていた意識を改める必要があるという認識には至った。</div><div>&nbsp;</div><div>　さて、では、どうするか？</div><div>&nbsp;</div><div>　掛け声もかけず無言で、ひょいと自転車に乗るように自然に卵を割るためには・・・・・・と思いをめぐらすことしばし、はたして、思わず「おおっ！」と膝を打ちたくなるほどの名案が浮かんだのだった。</div>
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<pubDate>Wed, 08 Mar 2017 08:50:16 +0900</pubDate>
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<title>「神であるとはどういうことか」(その9=完結）</title>
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<![CDATA[ <div>“自己イメージを含めたヒトのイメージとして、なぜかドーナッツ状が思い浮かぶようになった”と書いたが、なぜドーナッツ型なのか、当初は自分でもよくわからなかった。</div><div>&nbsp;</div><div>　ところが、それを考えていたある日、「ああ、そういうことか！」と腑に落ちた。ドーナッツ状の形態は、「いのち」の現象形態に違いない！と感じられたのだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　ドーナッツや浮き袋のような形状は、必ず穴のような中空領域を伴うが、穴は穴として存在しているわけではなく（穴は、穴というモノとしての物理「存在」ではない）、周囲の広大な背景領域の一部なのだ。つまり、一つひとつのドーナッツが個別に有しているかに見える穴は、穴である以前に、背景領域そのものである、というのが本質に違いないと。しかしそれは同時に、現象としてのドーナッツが直接取り囲む「内部領域（ヨコ文字的には、インナーフィールド、インナースペースまたはインナーレルムと言うこともできるだろう）」でもある、というわけだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　広大な背景領域としての「空」が森羅万象を現象化させる「神」だとすれば、現象化されたものはすべて「神の化身」！。しかも現象としての「いのち」の中心には、それとして限定的かつ物理的に「存在」するわけではないけれども、必ず「空」＝「神」が「ある」のだ。</div><div>&nbsp;</div><div>　換言すれば、万物はすべて「神」を「伴っている」のであり、「神」を伴う万物の一つひとつ自体は、本質的に、「神」と、まるごと「神の化身」と、で構成されているということに他ならない。</div><div>&nbsp;</div><div>　もっと単純化すれば、この世界や宇宙の何もかもがすべて「神」であり、「神」でないものは何ひとつない・・・・・・というのが普遍的な真理なのではないか。だから、路傍の小石や草花、空の雲や雨のひとしずくはもとより、そのへんに漂う花粉、ウイルスや病原菌から、ヘビやカエルとその小便の一滴一滴に至るまで、「神」の顕在なのである。</div><div>&nbsp;</div><div>　そんなふうに考えると、心も気分も妙に落ち着くから不思議だ。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで私は、「神」という言葉は、どんな定義も付与できない「定義不能語」であることを念頭に置きつつ（そういえば、誰にとっても、「私」という第一人称は「神」と同様に定義不能語なのだ）、「神である」という事態を以上のようなことだと理解している。だから私は、自らの中心にはつねに「神」がおわす、という認識を明瞭に意識しながら、日々を過ごしていきたい。</div><div>&nbsp;</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170305/21/79048110/b4/26/j/o1152064813883151556.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170305/21/79048110/b4/26/j/o1152064813883151556.jpg" width="420"></a></div><div>&nbsp;</div><div>　そして、そんな、「自らの中心にはつねに“神”がおわすという認識」を、個人的には、上のお絵描きにあるように、“「神」識（しんしき）”！と呼ぶことにしたいと思う。</div><div>&nbsp;</div><div>　えーっと、・・・・・・、ここで、やれやれ！とひと息。</div><div>&nbsp;</div><div>　とにもかくにも、これでようやく、「神」という概念をいかなる組織宗教的文脈からも引き離す、いや、イデアとして独立させることができたような気が致しますが、はたしてどんなものでしょうか（笑）。</div><div>&nbsp;</div><div>　というわけで、「神であるとは・・・」シリーズはめでたく（？）ここに完結！、パチパチパチ（と空しく一人拍手ではあるけれど）！、ということにして、次からは、この種の抽象論を離れて、我が身辺のあれこれを記していきたいと思うのであります。</div>
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<pubDate>Sun, 05 Mar 2017 21:21:47 +0900</pubDate>
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