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<title>思ったことを書く場所</title>
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<description>完全に雑記帳だと思います。</description>
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<title>ピンキーフック(物理攻撃)</title>
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<![CDATA[ <p>まずはこちらの動画をご覧いただきたい。見てくれた人も、興味ない人も一回見て。損はしないから。お願いします。ちなみに私は、公開されてから狂ったようにリピートしている。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/1KFkAUmLcMU" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>来月リリースの麻倉ももさんニューシングル、ピンキーフックのMVである。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、ダメでしょこんなの。可愛さにも限度ってものがある。完全に致死量。</p><p>&nbsp;</p><p>先駆けて公開されていたTV SPOTやサムネの時点で、ある程度覚悟のうえで一回目の視聴に臨んだわけだが見事にKOを食らった。</p><p>&nbsp;</p><p>「いや、殺す気か？」とリアルに口に出したのは多分、ユメシンデレラの2番を聴いた時以来だ。こいつ、定期的にもちょにキルされてんな…。</p><p>&nbsp;</p><p>MVの中で、4パターンのもちさんが登場するわけだが皆さんはどれが一番お好みだろうか。私は答えが出ない。だって全部可愛いんだもの。</p><p>&nbsp;</p><p>SWEET　MOMO。その名の通り甘々なこの格好、こんなハマる27歳いる？近頃こういったテイストを地雷系と称したりするらしいが、こんな地雷なら進んで踏み抜く所存。</p><p>&nbsp;</p><p>SHY　MOMO。実をいうと私、いわゆる眼鏡属性というやつが2次3次問わずあまり得意ではない。はずなんだが。すごいよね、個人の嗜好とか平気で貫いてくるんだもの。理屈ではない問答無用のKawaiiは個人的な好みを凌駕するんですね…。</p><p>&nbsp;</p><p>MYSTERIOUS　MOMO。みんな、イケもちょ好きでしょ？私も好き。「ギャップ萌え」なんて古典的かつ安易な手法に乗ってたまるか、という捻くれたオタクも完堕ちする魅力。ソースは私。</p><p>&nbsp;</p><p>VIVID　MOMO。ウィンク飛ばしてくるこの子ですよ。もちさん、何気に衣装とかでショーパンなこと多いよね。あんまり突っ込んで語ると気持ち悪くなっちゃうので一言だけ。いつもありがとうございます(手遅れ)。</p><p>&nbsp;</p><p>と、いった具合に3分に満たない動画で多角的かつ効果的にダメージを負い、私は殴打されボロボロである。フックってそういう…。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ここから完全に余談であるが、「麻倉もも」に「可愛い」という表現を使うことに私は違和感を覚えている。いやもちろん、今の日本語でそれ以上に適した形容がないから私も使っているのだけど。なんというか「自明」すぎて、これ形容になってる？と思ってしまうのである。</p><p>&nbsp;</p><p>感覚的には「麻倉もも」という言葉、存在に既に「可愛い」という意味、概念が内包されているのに二重表現では？という気がしているんだろうな…。概念のレイヤーで言えば、「可愛い」より「麻倉もも」が上位にあるのに下位が上位を形容しているから違和感があるのかもしれない。…この感覚、伝わってる気がしないな。日本語、難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>余談にさらに蛇足を付け加えると、そもそもTrySailに麻倉ももに出会うまでの私はカラーで言えば「ピンク」の正統派ヒロイン的なキャラにあまり惹かれないオタクだった。魔法少女とかプリキュアとか信号機トリオとかそういうので大体真ん中、主人公ポジションにいる女の子の魅力を理解できていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、実のところトラセを気になりだして応援し始めた当初、もちょにそこまでピンと来ていなかった。天さんきっかけだったのもあるけど、今にして思えば実に愚かである。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな私が、真剣に麻倉ももさんの魅力とはなんぞや？と気になりだしたのは多分TrySailセカンドライブツアー福岡公演。連れて行った弟が、初めは私に合わせて青のブレードを振っていたのに、終盤につれてピンクに変わっているのに気付いたあの時だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>それ以降、自ら深みにはまり見事に沼に沈んでいった。そう考えると、弟グッジョブである。</p><p>&nbsp;</p><p>余計な話を重ねた結果、何を言いたかったのか分からなくなってきたが、要は全人類ピンキーフックのMVを見てくれということだ。みんな可愛い女の子好きでしょ？その極致だから。ね？あわよくば一緒に沼に沈んでくれ。よろしく。</p><p>&nbsp;</p><p>そろそろ私も他のオタク達に倣って、4種のもちょとの恋愛妄想を膨らませに戻るとしますか…。</p><p>&nbsp;</p><p>それでは。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/96tsukamo/entry-12688137121.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Jul 2021 20:21:53 +0900</pubDate>
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<title>すみれちゃんがかわいい。</title>
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<![CDATA[ 可愛いが過ぎるっちゃ！！！<br><br>…失礼、取り乱しました。感情のあまり山形弁が出てしまうほどにおかしくなりそうなので、久々に文章を書いてみる。<br><br>私の心を惑わすのは、先月リリースされたスマホアプリ「IDOLY PRIDE」である。元々、推しが関わっているので知ってはいて、手を出していなかったコンテンツなのだが、友人に圧力をかけられたので触ってみた。結果、見事に沼で溺れている。そういえば私、泳げないんだ…。<br><br>沼に沈んだ要因は、間違いなく奥山すみれちゃんの存在である。<br><br>簡単にキャラクターを説明すると「アイドルに転身した元天才子役」である。あれ？と思ったアイマス勢のあなた。そう、この設定は周防桃子と酷似している。なんなら両者ともにマネージャー(プロデューサー)を「お兄ちゃん」と呼ぶところまで同じだ(すみれちゃんは二人でいる時限定だけど)。じゃあ、好きじゃん…と早合点した皆さん、一旦待ってほしい。いや、結果的にはそうなんだけどちょっと話を聞いてくれ。<br><br>桃子の魅力は、長い芸歴にプライドがあってそれに見合った振舞いをしようとするけれど隠し切れない年相応の幼さ、にあると思う。<br><br>一方で、すみれちゃんはスタンスとしては真逆と言える。なるべく幼さを隠したがる桃子と反対に、すみれちゃんの振舞いはあくまで普通の無邪気な中学生だ。気負いや背伸びは感じられず、極めて等身大の女の子であるところが、桃子との決定的な差異だ。もちろん、桃子も可愛い。言うまでもないけれど。<br><br>(ところで「等身大」という表現は私が、すみれちゃんの中の人こと夏川椎菜さんの魅力を語る際に用いる言葉である。同じ魅力を感じたのは偶然か、はたまたミューレの策略か…。オタク特有の勝手な同一視だろ、という至極真っ当なツッコミの槍は納めて欲しい。突き刺さるから。)<br><br>そんな等身大の、都会の流行に憧れ、水着の撮影は恥ずかしがり、地元と家族を愛し、感情が昂ると思わず山形弁が出ちゃう女の子が、振る舞いの中で不意に、かつシームレスに見せる「大人」な部分が私を沼に突き落とした。<br><br>彼女の見せるそれは「プロとしてこうしなきゃいけない」といったある種強迫観念的な意識から引き出されているようには見えない。無意識に、あくまで自然に、普段の振る舞いの延長線上で、突然に年齢不相応な「しっかりした大人」「芸能界で生きるプロ」な部分が垣間見える。<br><br>私は元来、本人の意思に関係なく環境によって「まだならなくてもいい大人」になってしまった「歪さ」を抱えた人間を愛しく思わずにはいられない。<br><br>それを！こんな！そうでなくても可愛い子が！持ってたら！<br><br>好きになるに決まってるじゃんさ…。ズルじゃん、そんなの。ダメだ、文章に起こしてたらあまりに可愛くてまた頭おかしくなってきた…。<br><br>数日前から、山形にふるさと納税しようかな…と検討し始めている。いやほら、私の愛するホークス長谷川勇也さんの出身地でもあるし…とよく分からない理屈で自分の行為の正当性を自分に説いている。もう駄目かもしれない。<br><br>さて、特にオチも思いつかないので宣伝だけ。みんな、ちょっとでも余裕があったら是非アイプラ触ってみてくれ。ゲームシステム的にはそこまでガッツリやり込まなくても、半放置ゲーみたいな要素もあるし、たまに触るくらいでも大丈夫そうな感じ。あと、女の子がみんな可愛い。よろしくお願いします。<br><br>とりあえずあれだな、そういえば私、昔から妹が欲しかったんだよなぁ、って今思い出した。すみれちゃんに「お兄ちゃん」って呼ばれてぇなぁ…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/96tsukamo/entry-12686258846.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jul 2021 21:46:00 +0900</pubDate>
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<title>自分磨きに対する一つの考察。</title>
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<![CDATA[ <p>ここ数年思うところがあり、というか「いい加減多少はマシな人間にならないとヤバくね？」と謎の焦りが生まれ、少なからず自分を良い方向へ向かわせようとしてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>とはいえ、これがなかなか難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも私という人間の精神構造に「自分磨き」とやらが上手くマッチしていない感覚が拭えない。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、その原因を少しだけ真面目に探ってみた。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、自分を高めるための正しいアプローチは図解すると大体こういうことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/19/96tsukamo/e4/ae/p/o1840089114840505088.png"><img alt="" contenteditable="inherit" height="203" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/19/96tsukamo/e4/ae/p/o1840089114840505088.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>現在自分がいる地点があって、そこより上の準位へ「なりたい自分」の姿を設定する。</p><p>&nbsp;</p><p>あとは、その差(ギャップA)を埋めるべくしかるべき努力をして自己研鑽を重ねる。</p><p>誠に健全で理想的な生き方だ。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、頭の中でこの図を整理してみると、朧気に問題の根幹が見えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>思春期に人間性を拗らせた私のやってきたアプローチはいわば真逆なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/19/96tsukamo/41/fc/p/o1840089114840505257.png"><img alt="" height="203" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201025/19/96tsukamo/41/fc/p/o1840089114840505257.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>天邪鬼で斜に構えて、世のすべてに期待をせず、あまつさえ自分自身に対しても「どうせ俺なんて」と自己暗示をかけて本来あるべき位置より下の準位に期待値を設定する。</p><p>&nbsp;</p><p>厄介なことに、そうやって生まれた現在値と期待値の差(ギャップB)の分だけ自分が高い位置に上ってきたように錯覚してしまえるのである。</p><p>&nbsp;</p><p>元来、「頑張る」だとか「努力する」といった行為が苦手だったのも良くなかったのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>正しいアプローチによってこれから埋めていくべきだったギャップAを、これまでに埋めてきた(ように見える)ギャップBにすり替えて、そのぬるま湯に満足して生きてきたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>長いことそうやって凌いできたから、染み付いた精神構造に反する正しいアプローチを試みても上手くいかないんだろうな、というのが現状の問題点を整理した結果である。</p><p>&nbsp;</p><p>閉じた世界で独りで生きている分にはかつてのアプローチで困らなかったのかもしれないが、今の私は外の世界に大いに興味を持ってしまっている。恥を忍んで言えば、その一部になりたいとさえ思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>そうなってくると、自分を高めることを長く怠った今の戦力じゃ、やっぱり色んな意味で回りと対等に生きられないなと思うので珍しく「頑張って」いるのだが、上手くいかないもんだなぁ。</p><p>慣れないことはするもんじゃないのかしら…。</p><p>&nbsp;</p><p>尖っていたあの頃の私がみれば「随分と丸くなったものだな」と鼻で笑うだろうなと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>けれど、一つ言えることは今の私はそんなに私が嫌いじゃないということである。</p><p>&nbsp;</p><p>それだけでも、まぁ多少は成長しているのではないかなと思う今日この頃。</p><p>&nbsp;</p><p>この「成長」を第三者視点で評価してもらいたくて、どうにかして昔の知り合い(できれば中学以前の)とコンタクト取れないかなぁと思っていたりするのだが、もうこの時点で過去一取り留めがないので、その話は今度にして今回はここで筆を置くことにする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/96tsukamo/entry-12633865388.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Oct 2020 21:02:10 +0900</pubDate>
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<title>素敵なクライマックスへのプロローグ。</title>
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<![CDATA[ <p>タイトルは、私の大好きな雨宮天さんの楽曲「チョ・イ・ス」の歌詞の一節である。</p><p>&nbsp;</p><p>この曲は、時にはつまずき転びながらも自分を「ヒロイン」だと言って憚らず、全てはドラマチックで素敵なクライマックスへのプロローグだと信じて、自分のやり方を貫き通す女の子の歌である。</p><p>&nbsp;</p><p>この文章を書くにあたって改めて歌詞をじっくりと見直してみたが、清々しいまでに明るく楽しくポジティブな女の子である。この曲が収録されたシングルの発売時、天さん自身は歌詞の中の女の子について「赤いスニーカーも履いているし、自分とは違う感じ」と述べていたらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし私は初めてこの曲を聞いた時、何故だか迷いなく「雨宮天さん自身の曲だ」と解釈していた。てっきりそういうコンセプトの曲なのだろうと思って調べたら、上記の天さん自身のコメントが見つかり、かつ私と同じ意見はほとんど見当たらず、「私の解釈違いか…」とへこんだのを覚えている。だから「チョ・イ・ス」が好きだと言っておきながら、あまり深く語ることは避け続けていた。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに当時はそれがラジオのコーナーになるくらい天さんのネガティブ面が全開の頃だったし、仕方ないというか、当たり前だと思う。けれど、近年の天さんを見ていると、私の解釈はあながち間違いではなかったと思うし、今なら共感してくれる人も増えたんじゃないかなと思う。そうだったら嬉しいな…。</p><p>&nbsp;</p><p>実はかなり昔のブログで、天さんはこんなことを述べている。(以下抜粋）</p><p>『自分の意識の中ではまだ色んなことが途中だから、毎日充足して幸せ！と思って生きているわけではないけれど、ふと客観的に見た時に、苦しいけど楽しそうで幸せだなと思うし、きっと未来の幸せな私が振り返った時、今の私を、幸せだったと思ってくれる気がします。未来の私が幸せ前提なのは、未来の幸せのために今苦しむことも泣くことも厭わないわけで、だから幸せであってくれなきゃ困るんですよね』</p><p>&nbsp;</p><p>雨宮天という人間の魅力は数多あるけれど、私はこういった天さんの内面的な部分、「生き様」のようなものに強く惹かれてファンになった。</p><p>&nbsp;</p><p>きっとこれまでもこれからも、私たちに教えてくれる分もそうでない分も含めて色んな壁に直面して、その度にもがいて苦しんで必死に努力して、そして最後には必ず乗り越えて強くなって、私たちに色んな景色、色んな「ソラ」を見せてくれる天さん。そんな彼女の積み重ねてきた「チョイス」の一つ一つを私は心の底から尊敬するし、これからも応援していきたいなと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ここまでが駄文でここからが蛇足なのだが、私はこの「素敵なクライマックスへのプロローグメソッド」(と、勝手に私が心の中で呼んでいる)メンタリティーは最強ではないかと思う。理論上、それを信じ続けている限り、どんな困難も苦にはならないはずなのだ。強い。羨ましい。私のようにどうしても明るい未来を想像できない人間からすればなおさらだし、実践できている人はとても素敵で、是非とも幸せになっていただきたいと心から願う。私は、自身の幸せを願う全ての人のスペシャルサポーターです。</p><p>&nbsp;</p><p>…文章がふわふわしてきたので、今回はこのあたりで筆を置くことにする。</p><p>&nbsp;</p><p>最後に一つ。みんな「チョ・イ・ス」を聴いてくれ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/96tsukamo/entry-12626126809.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Sep 2020 21:00:52 +0900</pubDate>
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<title>「僕の心のヤバイやつ」をヤバい奴が読んでみた。</title>
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<![CDATA[ 「僕の心のヤバイやつ」を読んだ。<br><br>いわゆる陽キャ×陰キャのラブコメであり、今どき珍しくもないプロットだけどなぁ…と思いながら一話冒頭の中二秒全開市川を読み始めた所から、私は瞬く間にどハマりした。<br><br>細かい感想は無限に出てくるが、作品通して一番感じたことは「あまりにも丁寧に描かれている…」というものだ。<br><br>「丁寧な描写」という評だけ聞くと、人物の心情や行動の理由が詳細に記載され、誰が読んでも解釈を間違えないような構成、と捉えることもできるが、この作品に感じた丁寧さは少し違う。<br><br>むしろ逆で、言ってみれば「曖昧さ」に対する「丁寧さ」である。基本はセリフと市川の独白のみであり、説明的な部分は少ない。それでいて、読者が「どういうこと？」と置いてけぼりになってしまう描写や展開はない。ここの「バランス」に細心の注意を払って丁寧に描いているなぁ…というのを強く感じた。<br><br>現実とは曖昧なものだ。その曖昧さを創作物で表現するのは難しいが、この作品は見事にやり遂げている。<br><br>例えば、文化祭準備回の「ごめんね」という山田のセリフ。展開的に何もおかしくはないが、よくよく考えると「疑ってごめん」なのか「気を遣って罪を被ろうとしてくれてありがとう、ごめんね」なのかあるいはその両方なのか、別の意味があるのかは判然としない。<br><br>この「分かりそうで分からない」という、現実を生きる私たちが日々感じている感覚を作品通して保ち続けているところに、否応なく魅力を感じてしまう。<br><br>また「曖昧さ」は「解釈の余地」を存分に我々に与えてくれている。市川の置いたティッシュを使ってお菓子を食べてニヤつく山田、自分にボールをぶつけた相手を知らなかった山田、市川のジャージにご飯粒を付けた山田。これらは作品の中で、市川視点での解釈という一応の答えが示されているが、サードパーソンたる読者には別の答えを導くことが許されている。ティッシュをくれた相手に気付いている山田や、知らなかったフリをした山田、匂いを嗅いでいたかもしれない山田の可能性を想像する楽しさたるや…。つくづく、よく出来ている。<br><br>こう書くと、市川がいわゆる「鈍感系主人公」のようだが、そうではないことも主張しておこう。事実彼は、ファストフード店でわざわざ山田が自分に話しかけにきた可能性にも、わざと傘を忘れたフリをした可能性にもきちんと気付いている。置かれた状況や得られた情報次第で都度解釈は異なり、それが正解だったりそうでなかったりするだけなのだ。考えてみれば、これも「リアル」そのものではないだろうかと思う。<br>もっとも、市川の場合「陰キャフィルター」とでも呼ぶべきものが、解釈に至る過程を歪めてしまっていることは否定できないが…。<br><br>そういえば、市川の陰キャ特有のネガティブ思考を読者はどう感じているのかはかなり気になる。「LINEやってる？」と聞かれて「友達の少なさをバカにされている…」と考えてしまう思考回路を、私のような者はそれこそ市川的に表現すれば「わかる〜〜〜〜〜」なのだが、他の人はどうだろう。読者層からすれば同じように共感、あるいは理解できる人間が大半だと思うが、全員がそうとも限らないだろう。理解できなかったり、あるいは完全に漫画的誇張表現として捉えている人間もゼロではないのではないだろうか。先に述べたように、解釈の幅が広いこの作品に「正解」はないので悪いことではないし、むしろその人らにはこの作品がどう見えているのだろうと非常に興味がある。残念ながら、私の周りはことごとく陰キャなのだが…。<br><br>さて、ここまで勢いだけで書いて、そろそろ纏まりが無くなってきたので、まだまだ語り足りないが筆を置こうと思う。<br><br>そもそも何が言いたかったのか分からなくなってきた。最初は「山田杏奈の実在性について」というタイトルで書こうとしていた。あんなのフィクションの存在であって実際にいるわけないじゃん…と考えるのは簡単だが、それこそ市川や我々の抱える陰キャマインドの発露ではないだろうか。世界を歪めて見ることなく真っ直ぐ向き合えば、それぞれにとっての山田杏奈は存在していたかもしれないし、これから出会うかもしれないのだ。ていうかそうであってくれ。マジで。じゃないと現実辛すぎる…。<br><br>無理やりオチをつけたところで、今度こそ本当に終わろう。これがブログかどうかは微妙な気がするが、また何か気が向いたら書こうかな…。たぶん、そのうち…。
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<link>https://ameblo.jp/96tsukamo/entry-12620262616.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Aug 2020 21:01:54 +0900</pubDate>
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