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<title>a0216a0216のブログ</title>
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<title>探し出したこのURL</title>
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<![CDATA[ <p>月日が経ち、このブログを書くほど暇もなくなっていた。</p><p>でもここに来て、またわたしに時間ができた。</p><p>&nbsp;</p><p>最近のことを書いていこう。</p><p>気がむく限り。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>前回の更新から、もうすぐ１年が過ぎる。</p><p>わたしは外資の会社員になった。</p><p>音楽活動はしていない。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日労働し、生活に必要なお金を稼いで過ごしている。</p><p>しかし、やはり休みの日は何かしたいものだ。</p><p>家の掃除、料理、編み物、英会話、ジム通い、いろいろやって来た。</p><p>だが、編み物のシーズンが終わりかけた頃また「何か新しいことがしたい」</p><p>という衝動に駆られていた。</p><p>&nbsp;</p><p>編み終えて余った毛糸を見つめながら、何ができるだろうと考えながら眠ったある日。</p><p>わたしは夢を見た。</p><p>ライブをしている夢だった。</p><p>それから毎日のようにわたしはまたステージに立って歌っている夢を見るようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>今の生活に不満はない。</p><p>好きなものも買えるし、犬のぷーたろうは癒してくれる。</p><p>怒りたいこともあるが、大事な存在も居る。</p><p>不足はないはずだ。</p><p>でも、やっぱり何かときめきがない。</p><p>夢に見るようになり気がついた。</p><p>&nbsp;</p><p>やっぱり歌いたい</p><p>&nbsp;</p><p>バンドが解散してからも周期のように歌いたくなることはずっとあった。</p><p>しかし、ここまで本気でまた歌いたいと思ったのは久しぶりだった。</p><p>好きなアーティストのライブを見たり、音楽を聴いたり、当時の音源を聴いてみたり。</p><p>それだけでテンションが大いに上がったのだ。</p><p>音楽ができない、という悲しみや悔しさよりも、音楽がしたいという感情の方がうわまったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな風にまた、心が躍ることがあるなんて思っても見なかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そこでわたしは、知り合いのつてをたどって一人のギタリストと会った。</p><p>昔わたしがやっていたバンドの曲を痛く気に入ってくれていて、話しやすい関西人の人だった。</p><p>&nbsp;</p><p>近々、スタジオで他のメンバーも踏まえてセッションをすることになっている。</p><p>&nbsp;</p><p>形はどうあれ、また歌えるかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>少しの希望と不安を抱えて、わたしはまた曲を練っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 23 Mar 2017 18:11:30 +0900</pubDate>
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<title>これこそが独り言</title>
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<![CDATA[ 音楽したいわけじゃないのかも<div><br></div><div>でも</div><div>唄いたいなぁ</div><div><br></div><div>お金は勿論欲しいから</div><div>仕事も辞めないけど</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>唄いたいよ</div><div>待ってるだけじゃダメなのは知ってる</div><div>沢山の人に会ってはガッカリしてきた</div><div><br></div><div>ああぁ</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>なんだかもう</div><div>ただ生きてるだけだな</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>毎日</div><div>ときめくこともなく</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>わたしはなにをしているのだろう</div>
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<pubDate>Sun, 10 Jul 2016 01:50:40 +0900</pubDate>
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<title>ごめんね</title>
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<![CDATA[ ごめんね<div><br></div><div>とか</div><div><br></div><div>ありがとう</div><div><br></div><div>とか</div><div><br></div><div>ほんとに意味わかってんのかな</div><div><br></div><div><br></div><div>ああ</div><div><br></div><div><br></div><div>信じられない</div>
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<pubDate>Fri, 22 Apr 2016 01:05:56 +0900</pubDate>
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<title>前のこと</title>
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<![CDATA[ 専門学生時代のことは今パソコンのメモに書いて<br>整理している。<br>前々回のものがあまりに主観的に感じたためだ。<br><br>この１ヶ月、沢山のことがあった。<br>この１ヶ月、人生を考えた。<br>この１ヶ月、先のことを考えて、不安になった。<br><br>暴力は嫌いだ。<br>罵声も嫌いだ。<br><br>わたしは今日、意味もなく大泣きした。<br>犬に抱きついて、ひたすら「どうしよう」と云っていた。<br><br>ホルモンバランスでも崩れたのかしら。<br>不安。<br><br>最近「不安」なのか「不満」なのかわからないことが多い。<br>自分のことなのに、如何してだろう。<br><br>ヒントは何処にあるのだろう。<br><br>よく、こんな風にブログに自分の過去を書いたり、<br>直筆での日記を書いたり、<br>それらを読み返して自分のことや他人のことを分析する。<br><br>そしてその結果をつらつらとその相手や自分にぶつけることがある。<br>そうすると、云われた相手も、わたし自身でさえも、その分析に対して<br>何も云えなくなる。<br><br>その所為でえらい人とは喧嘩別れをすることもあった。<br><br>でもその所為で愛するものや人を失いかけると<br>分析して冷静にものを云うことが億劫になる。<br><br>おそらくわたしは今、「不安」なのか「不満」なのか<br>わかっているけれどわからないふりをして<br>自分を分析しないようにしているのだろう。<br><br>これって「自分にうそをついている」のかなあ。<br><br>そんな心算はないのに。<br>どんどんしんどくなっていくのはその所為？<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/a0216a0216/entry-12124810534.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 01:03:50 +0900</pubDate>
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<title>最近のこと</title>
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<![CDATA[ 最近わたしは音楽活動をしていない。<br>アドレナリンというバンド（少し仮名）が解散して、それから<br>色んな活動をさせてもらったが、どうも意欲がわかないのだ。<br><br>どうしたんだろう。<br><br>バンドが解散して、守るものもなくなったわたしは、仕事をやめた。<br>アルバイトで何とか生活できればそれでよくなってしまったのだ。<br><br>活動が止まって７ヶ月程経つ。<br>わたしは就職活動をして、某外資系会社に契約社員としての内定が決まった。<br>お金がほしくなったのだ。<br><br>新しい会社はわくわくするようなところなので、今、不足はないが。<br>アルバイトも全て辞めてしまった今、会社での勤務が始まるまでの2週間ほど、時間がある。<br><br>毎日彼を起こして犬にごはんをあげ、掃除、洗濯、料理。<br>犬と散歩に行ったり、会社に要求されている書類を揃えに役所に行ったり。<br><br>こんなことを考えたり、云われてもおかしくない。<br>「何しに上京してきたの」<br><br>夢って、もう、破れたのだろうか。<br>わたしの生きていく目的やアイデンティティは、今、どこにあるんだろう。<br><br>彼と犬とやっていくこと？<br>それはそれでひとつの判断と信念をもっているが、<br>果たして、わがままで欲張りなわたしに、この生活だけを守っていくことは<br>満足なのだろうか。<br><br>そして、いつになってもひとりの女性としてみてくれるわけではないであろう彼と、<br>このまま一緒に居て他に目移りしたりすることは、<br>本当にないのだろうか。<br><br>人に聞かれれば、わたしはすぐに頷くだろう。<br>しかし、こうして落ち着いて考えてみると不安なところもある。<br><br><br>未来が不安で仕方がない。<br>このままで大丈夫なのか。<br><br>皆にある悩みだろう、わたしだけではない。<br><br>何か、すべきことを探さねば。<br><br>
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<pubDate>Tue, 02 Feb 2016 17:49:24 +0900</pubDate>
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<title>専門学校生活２年目その弐</title>
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<![CDATA[ 専門学校２年目。<br>毎日がただ楽しければそれでよかったんだと思う。<br>それを思うと、今のわたしからしたら、何故もっと音楽に真剣に向き合わなかったのかを<br>問いただしたいぐらい。<br>ただただ、楽しく生きていて、最早将来の夢とか、今にして考えてみると<br>何も考えてなかったのではないか、とさえ思う。<br><br>専門学校２年目は、そう、学校内でのﾊﾞﾝﾄﾞのことや、交際相手のこうすけのことで<br>埋め尽くされていた。<br><br>ﾊﾞﾝﾄﾞはギターのたぐと主に二人で曲を作って、皆でセッションしながら決めていた。<br>ロック色の強いバンドだった。わたしは自分のキーに合わないようなメロディばかり<br>作っていた。わざとではなかったが、それで妥協していたのだと思う。<br>唄えれば何でもよかったのだ。<br>彼とはたくさん揉めたし喧嘩もしたが、今も仲のいい友達だ。<br>楓か椿は、大変は大変だったが、自分の中ではうまく行っていたほうだと思う。<br>ただ楽しければいいだけのﾊﾞﾝﾄﾞだったから。<br><br>こうすけは、今のわたしからしてみれば、わたしとは全く合わない人間だった。<br>彼をいい男という人は沢山居る。だが、わたしには最低な男だなと思う。<br>これは振られて最後を迎えたからではない。完全にわたしとは合わなかったのだ。<br><br>こうすけとは、付き合う前から関係をもち、最初は学校の皆にはバレないように<br>していた。<br>それがどんどん苦しくなって、問いただそうと決めた夏に、丁度告白されたのだった。<br>彼が体調を壊せば看病しに行き、彼が逢いたいと行って来れば終電でも家に行った。<br>自分のﾊﾞﾝﾄﾞやﾊﾞｲﾄで疲れてイライラしていたとしても、彼に八つ当たりしたりすることなんて<br>考えられなかった。<br>彼の前でわたしは、完全にアンドロイド妻のように、毎日笑顔で料理などをこなし、<br>その「無理」がわたしにとっては「愛」だった。<br>そして、わたしはそれに対しての見返りは、一切求めないことをモットーにしていた。<br><br>だが、付き合って１年もしてきたら、「逢いたい」と云われる回数もどんどん減り、<br>不安になっていくばかりだった。<br><br>彼の性格だが、「無口」「気分屋、気まぐれ」「甘えんぼ」「何を考えているかわからない」。<br>少なくともわたしにはそう写っていた。<br>だが、「逢いたい」というﾒｰﾙが減り、わたしは不安になったので、「如何して最近逢う頻度が減っていってるの？わたしに興味がなくなったの？」と聞いた。<br>すると、彼は「付き合いたては沢山逢って大好きでも、どんどん冷めていって、それで別れたっていう経験ない？」と聞いてきたのだ。<br>わたしは、「は？」と思った。怖くて聞けなかったが。確かに「は？」と思った。<br><br>それって、ハナから遊びで付き合ってるんですけど、って云っているようなものじゃない。<br>そう思ったのだ。悲しかった。<br>１９、２０歳そこらで、真剣な付き合いをしているカップルこそ少ないのは最もだが、<br>それでも最初から遊ぶつもりで付き合われていたなんて、ショック極まりなかった。<br>何でこの人と居るんだろう、とさえ思えた。<br><br>思えばこの段階でわたしは踏ん切りを付ければよかった。<br>無駄な時間を過ごした。<br><br>それでも結局彼とはそのまま続いて、お付き合いを続けていた。<br><br>彼のﾊﾞﾝﾄﾞ、ＷＥＳＴＥＮＤは学校内の人気ナンバー１で、わたしはうれしかったが<br>悔しくてたまらなかった。<br>それでもカバーバンドでコラボすることでその人気に肖ることも出来たので、<br>楽しかったは楽しかった。それでも悔しくて、自棄酒をよく飲んだものだ。<br><br>楓か椿も、投票で２位を貰うなどして、わたしたちはそれなり楽しくやっていた。<br>だが、ゆりは誰ともバンドを組むことすらせず（出来ず）、ただＷＥＳＴＥＮＤかっこいいと<br>云っていただけだった。<br>そんな彼女を見てわたしは「何だ、こいつ」と思っていた。が、学校内で唯一の<br>女友達だ、表面上の友達だったとしても周りの目に彼女と仲が悪く写ったら、不器用なわたしが<br>標的にされる。わたしは彼女のことを気にしないようにしていた。<br><br>彼女はすすむと付き合う前、腕を切って登校したり、薬を一気に飲んだりして、<br>周りの注意を引こうとしていた。<br>そのとき、わたしは高校の頃付き合っていた薫が脳裏に浮かび、イヤな予感と心配が<br>一気に襲ってきた。<br>彼女を守らないと、という気持ちと、構ってほしいだけだろ、という気持ちが交差した。<br>学校の男達は馬鹿なもので、彼女のことを心配して連絡をしたりしていたようだが、<br>結局彼女は復活し学校に通っていたが、学校に行っていてもバンドをせず(出来ず）、人目を<br>ひくために来ていたように思える。<br><br>どれだけ彼女のことが嫌いなのか、と、書いていて、読んでいて思えるが、<br>きっと彼女ともこうすけ同様、「合わない」のだろう。わたしは。<br><br>バンドが出来なかった彼女は、学校２年目の後期で、わたしにとって恐ろしいことを始める。<br>ＷＥＳＴＥＮＤのメンバーとバンド(ｵﾘｼﾞﾅﾙ枠）を組む、ということだ。<br>中にはわたしの彼も居る。<br>それは最早どうでもいいが、ＷＥＳＴＥＮＤは、彼らの音楽であり、わたしのコラボ先だと<br>思っていたので、何の話もせずに「勝手に」バンドメンバーを取られた気分になった。<br>文章にして書くとバカみたいだが、実際カバーとは云えバンドを組んでいる人たちを<br>勝手にオファーされると、乗っ取られたような、とられたような気分がして、<br>イヤな気持ちになるボーカリストはわたしだけではない。<br><br>こうすけはわたしに気を遣い、二人で居るときもその話はしなかった。<br>ゆも、彼ら伝にわたしにそれを伝えたつもりなのか、それとも何も云わないつもりだったのか、<br>その話はしてこなかった。<br>だが、たまたまこうすけとわたし、すすむとゆり、という４人で呑みにいった時のことだ。<br>ゆりはわたしにそのバンドの話を何もしてきていなかったのに、いきなりこうすけに<br>「どう？曲進んだ？」と話題をふりだしたのだ。<br>わたしの目は一切見ずに。<br>わたしはさすがに頭に来て黙り込んだ。<br>こうすけもさすがにそれは空気を読んで、話を変えていた。<br><br>なんだ、こいつ<br><br>としか思えなかった。<br>その日を堺にわたしは彼女の行動全てがしたたかで、うそで、自分のことを認めさせるためなら<br>どんな汚い手でも使うんだという目でしか見られなくなった。<br><br><br><br>思い出すだけでも疲れた。<br>今日は寝る。
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<pubDate>Tue, 02 Feb 2016 02:07:54 +0900</pubDate>
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<title>振り返る</title>
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<![CDATA[ 幼稚園や小学生低学年のころをブログにつづり、後から自分で読み返す。<br>当時の心情などいろんなことを思い出す。<br><br>「ななちゃん」とは結局疎遠になった。<br>彼女とは小学校中学年あたりから何故か自然に仲が悪くなっていった。<br>今のわたしが思うに、わたしが彼女に嫌われていると感じ出していたことや、<br>彼女も実際わたしのことを嫌っていたことが原因だったと思う。<br><br>ななちゃんとは殆ど話をすることが無くなっていき、小学校５年生のときも違うクラスだったが、<br>クラス関係なく鬼ごっこをしていたとき、いきなり彼女に背中を押され、わたしは転倒。<br>それに怒ったわたしもやり返し、結局わたしが皆に責められたことがあった。<br>彼女に話を聞けば、わたしが何か気に障ることをしたのかもしれないが、<br>わたしは何もしていないのに無言でいきなり押されたと記憶している。<br>その事件を機に、わたしたちは冷戦状態が続き、自然に仲が悪くなっていった。<br><br>ななちゃんとは同じ塾や習い事も一切していなかったので、接点も殆どなく、<br>わたしは幼稚園の頃あれだけ執着していたのにもかかわらず、彼女への友達としての想いは<br>いきなり消えていった。<br>小学校の卒業式でも話をすることもせず、また、写真を撮ったりも一切せず、別の中学に進んでから<br>一切連絡をとることもなくなった。<br>これは２５歳になった今もだ。母親同士は未だ仲がよく、今現在のななちゃんの様子も<br>ごくたまに聞くこともあるが、全く持って興味がない。<br>不思議。何だろう、小学校のころは言ってしまえば嫌いになっていたが、中学にあがってからは<br>どんどん興味すら消えていった。<br>成長していけば色んな人と出会ったり出来事があって、そうなっていくことも自然なことなのだろうか。<br><br>ただ、「あやかちゃん」に関しては、連絡先こそ知らないが、ＦＡＣＥＢＯＯＫなんかで<br>見かけたことが、最近ある。<br>「げ」と声に出ていた。笑<br>何だろう、自分でもわからないが、彼女とは小学校に上がってからもそりが合わず、<br>相手がわたしをどう思っていたかは知らないが、わたしはずっと苦手意識がぬぐえなかった。<br><br>そして、小学校の頃の幼馴染の「ふみとくん」も、連絡先など知らない。<br>夏休みのキャンプの家族の組の中に、ふみとくん一家も居たほど仲がよかったし、<br>それこそわたしが小学校の頃嫌われてひとりぼっちになったときも、彼は<br>わけ隔てなく接してくれて、とても好きな友達だったのに。<br>彼もななちゃんと同様、親同士は未だ仲がいいので、今現在の彼の様子を自分の母親から<br>聞くことはあるが、これもまたあまり興味がない。<br>ただ、彼は今、かなりのイケメンになっているそうだ。笑<br><br>幼少期の頃のことを書いた回でも云ったとおり、わたしは「うるさい威張る子」として<br>周りから嫌われていたことは、小学生の地点で何となくわかっていた。<br>だが、それをはっきり云われたことがなかったし、皆と何が違うのか、<br>そんなにも自分は目立つのか、納得がいかなかった。<br>そのせいで、悩んでいても、寂しくても、親などに何て言えばいいのかわからなかった。<br>この頃から、もう既に親に「素の自分」を見せられない子だったと思う。<br><br>中学受験のために勉強をしていたときは、毎日が苦しかった。<br>月曜日：英語塾<br>火曜日：くもんで算数と国語<br>水曜日：バレーボール<br>木曜日：ピアノ教室<br>金曜日：くもんで算数と国語<br>土曜日：バレーボールと秀英(予備校）<br>日曜日：秀英で授業や模擬試験<br>この繰り返し。<br><br>英語塾は中学に上がったときのための塾だったが、公立中学用の教科書だったので、<br>あまり意味がなかった。家から遠い場所だったのがすごく嫌だった。<br><br>くもんは幼稚園の頃から強制的にずっと続けさせられていた。<br>くもんの先生が大嫌いだったし、表裏ぎっしり問題の詰まっているプリントを５枚やって、<br>採点してもらい、全部の間違いを直さないと帰れないという地獄の習い事だった。<br>くもんの宿題が苦痛で、破って隠して捨てたりしたこともあった。<br>親にばれたときは、実家の廊下で寝させられたこともあった。<br>くもんはわたしにとってサボり癖がつく最低の習い事だった。<br><br>ピアノは小学校２年の頃から始めて、好きなことだったので、木曜日が唯一好きな日だった。<br>先生が妹の同級生のお母さんで、きれいでやさしい先生だった。<br>発表会ではほめられて、お調子ものだったわたしは天狗になり、これでまた学校では嫌われたが。<br><br>バレーボールは親戚のおじさんが教えている地域のチームだった。<br>ジャンプしてボールを打つことが出来ず、笑われたりしていたので、辛かった。<br><br>秀英は静岡にある受験のための予備校で、本来わたしが行った中学高校よりも、<br>ずっとレベルの高い学校を目指すような子がいくところだった。<br>小学生なのに、日曜日は毎週８時間塾で勉強をしていた。泣くほどいやだった。<br><br>振り返ってみると、中学受験で受からなかったら、わたしはきっと<br>今のわたしとは違う人間だったんだろうなと思う。<br>それは、いい意味なのか悪い意味なのか、わたしにはわからないが。<br><br>それでも、中学高校の母校はわたしにとって宝物だし、とってもとっても楽しい６年だったので<br>両親には感謝している。<br><br><br>何となく書いていて思ったのが<br>小学生の頃はある意味妬まれていたような気がする。<br>そして、わたし自身もそれを分かっていて、一人ぼっちになっても<br>悪口を言われても、悩んでも、悲しくても、強気で居たんだろうな、と思う。<br>うわ、性格、わる！<br><br>中学受験してよかったーー。<br><br>とりあえず振り返りここまで。
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<link>https://ameblo.jp/a0216a0216/entry-12124076863.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Feb 2016 01:17:47 +0900</pubDate>
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<title>専門学校生活２年目</title>
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<![CDATA[ そんな、あやととの奇妙な生活が続き、<br>わたしは音楽が満足に出来ず、家に引きこもっていた状況だったので、<br>周りから目もどんどん冷ややかになっていった。<br><br>そんな中、あやとが用事で実家に帰る日があった。２日間、わたしは自由だった。<br>１日目、わたしは行きたかった学校に行った。<br>心配してくれていたゆりや、先生、学校のスタッフに最近の調子がどうなのかと<br>聞かれた。<br>その中には、わたしと同じ同期の人間で、ドラム科のこうすけも居た。<br><br>彼はわたしと同じ静岡県出身のﾄﾞﾗﾏｰ。わたしのことを心配してくれていたと聞いた。<br>喫煙所でわたしは、彼に最近のことを話した。<br>ゆりのことも含めて。<br>彼はそのとき黙って聞いてくれただけだったが、学校が終わり、帰ろうとしたら、　<br>「飲みにこいよ」といわれた。<br><br>その誘いはとってもうれしかったが、あやとが帰ってきたらわたしはどんな目にあうのか<br>想像しただけで怖かったので、断った。<br><br>しかし、あやとは実家に帰っていたので、わたしの家には勿論居ない。<br>そして、再度こうすけから「今たいち(彼の友達）と飲んでるから、こいよ」と誘われ、<br>もうわたしは何を怖がっていたんだろうと思い、家を出た。<br><br>ある程度酔ったこうすけは、わたしを自分の家に連れて帰ることが目的だったらしく、<br>しつこくわたしに「今日泊まりにおいでよ」と誘ってきた。<br>わたしも少し酔っていたのと、あやとのことを裏切りたい気持ちがでていたので、<br>その日はこうすけの家に行くことにした。<br><br>勿論、家に泊まり、何もなかったわけではなかった。<br>次の日の朝、わたしたちは二人揃って学校に行った。　<br><br>こうすけは云ってしまえばチャラいところがあったが、<br>やさしくて筋の通ったところがあったので、あやとなんかと比べると相当いい男だと思った。<br><br>しかし結局２日後にあやとが帰ってきて、それまでの生活と変わらない生活がまた始まった。<br><br>こうすけはそれでもわたしに連絡をよこしてくれたり、心配しているよ、<br>早くそいつからは離れたほうがいい。など、わたしを気にかけてくれた。<br><br>そうこうしているうちに、専門学校の１年目が終了した。<br>卒業ライブに参加したわたしとゆりは、そのまま２年の先輩達の飲み会に参加した。<br><br>その場にはこうすけ、後にゆりの彼となるすすむが居た。<br>そして、あやとは当然家で引きこもっていた。<br><br>わたしはその日、結構酔っ払っていたらしく、こうすけやすすむ、ゆりに<br>いままでのあやとの仕打ちをかなり愚痴っていたようだった。<br><br>最終的にわたしは泣いてしまい、こうすけは「俺がいるから」と<br>わたしに肩を貸してくれた。<br><br>こうしてわたしはあやととの別れ(付き合っていたわけでもないが）を決意。<br>どちらにせよ、その一年間住んだ家は、わたしのひとつ年下の妹が上京してくるのをきっかけに、引き払い、専門学校２年目には妹と一緒に、違う場所でくらすこととなった。<br><br>その頃あやとはわたしと別れ、一人暮らしに戻ったそうだったが、<br>わたしの金で買った洋服や、わたしの金で買ったアクセサリーは全部引き取りたかったので、<br>ゆりについてきてもって、彼の家まで足を運んだ。<br><br>彼はその日家にはおらず、高田馬場に居るとのことだったので、<br>高田馬場まで行き、家の鍵を借り、荷物は貰って鍵はポストの中に入れておくという話で<br>彼の家までゆりと二人で向かった。<br>そして彼の家にあったわたしのもの、わたしの金で買った彼のものは全て回収することに<br>成功した。<br><br>これで、暴力男との縁は切れたのだ。<br><br><br>わたしはゆりやこうすけに多大なる感謝の言葉を述べた。<br>２年生にあがってから、わたしはすぐにこうすけに告白をされ、しっかりお付き合いすることになった。<br><br><br>こうすけがわたしと付き合ったきっかけは単にそれだけではなかった。<br>その頃わたしがやっていたバンド、「ｍｉｌｋ」のドラム、めーぶんが<br>父親を亡くし、そのまま静岡に帰ってしまったのだった。<br>そこで、決まっているライブがあと１週間後に控えていて、わたしが困っていたときに、<br>ﾄﾞﾗﾏｰのこうすけが「俺がたたくから安心しろ」と云ってくれたのだった。<br><br>わずかな練習時間しかなかったものの、彼を含めたﾊﾞﾝﾄﾞメンバー４人で、精一杯の<br>ライブを下北沢ＲＥＧでした。<br>その日のライブにはあやとも見に来てくれていたが、わたしは完全に無視をし、<br>こうすけと一緒にわたしの新しい家に帰ったのだった。<br><br><br>２年目が始まった。そう、２年目。<br>今度こそ、しっかりと学校に顔を出して、楽しく学んでいこうと決めたのだ。<br>学校内でのﾊﾞﾝﾄﾞ活動も始まり、アルバイトも始まり、とっても楽しい１年だった。<br><br>わたし学校内でのﾊﾞﾝﾄﾞ活動はあまりやる気がなかったが、<br>他のパートの同期たちに誘われて、楓か椿というﾊﾞﾝﾄﾞを組んだ。<br>こうすけは、ＷＥＳＴＥＮＤというﾊﾞﾝﾄﾞを組んだ。<br><br>それぞれのﾊﾞﾝﾄﾞがｵﾘｼﾞﾅﾙ曲を作り、ライブをし、人気投票を集めるというｲﾍﾞﾝﾄが<br>１年のうち数回開かれるという内容だったが、<br>それとはまた別に、カバー曲をライブでやって人気投票を得るというｲﾍﾞﾝﾄもあった。<br><br>そう、わたしはｵﾘｼﾞﾅﾙ勝負のﾊﾞﾝﾄﾞでは完全に自分のﾊﾞﾝﾄﾞで臨んでいたが、<br>カバー曲もやるバンドのくくりでは、そのＷＥＳＴＥＮＤとコラボを組んでライブに出ていた。<br><br>じつはＷＥＳＴＥＮＤのメンバー、ギターのみやまというやつが、<br>これがまた素晴らしいブルージーなギター弾きで、そのギターに魅せられていたのが、<br>わたしの友達、ゆりだった。<br>ＷＥＳＴＥＮＤとコラボするわたしを見て、ゆりはわたしには想像できない程の嫉妬を<br>覚えたのだろう。<br>ここからわたしたち二人の仲は、表面上だけのものになっていった。<br><br>そして、ゆりはその頃、このＷＥＳＴＥＮＤのメンバーの一人、飲み会で一緒だった<br>すすむと付き合いだしていた。<br><br>わたしは皆が仲良く、楽しく、好きな音楽を共有しながら学校内でのライブに参加することが<br>とっても楽しかった。<br><br>だが、それは後にわたしにとって、最悪な結果をもたらすことにもなっていたのだった。<br><br>今日はここまで。
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<pubDate>Mon, 01 Feb 2016 02:53:32 +0900</pubDate>
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<title>上京してから</title>
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<![CDATA[ 花魁は上京すると同時に所謂自然消滅をしかけていた。<br>新しい専門学校生活、一人暮らし、新しい友達。<br>わたしは寂しがっている場合ではないほどに、新しい生活に追われていた。<br><br>専門学校は渋谷にあり、田園都市線沿いに住みだした。<br>学生マンションで六畳の部屋。<br>駅からも近く、住みやすい場所だった。<br><br>専門学校には、高校の頃何度か体験入学に行ったりしていたので、<br>先生達とはもともと仲良くしてもらえた。<br>学校は無認可で、高校卒業と同じ扱いになるようなところだった。<br>講師としての免許を持った人達ではなく、現役のバンドマンが講師のほとんどだった。<br><br>わたしの学年は、男子８０人、女子４人。<br>女子校に６年通っていたわたしには、あまりの環境の変化が大きくて、戸惑った。<br>最初半年は、高校の頃にやっていたバンドメンバー以外に同年代の男の人と話をしたことが<br>なかったため、かなり緊張した。<br><br>わたしは上京した頃は喫煙者ではなかったが、同じ科の男の子達が<br>喫煙者で、よく喫煙所に居たので、一緒にいたりしていた。<br>そこでは男子達の下ネタが続き、わたしは耐えられず、一人で怒って帰ったこともあった。<br><br>同じ科で女の子も居た。ゆりだ。<br>最初はお互い人見知りをしていたが、後に仲良くなった。<br>ゆりは、広島出身の女の子。宇多田ヒカルが好きで、どちらかというと、<br>バラードをキレイに歌うようなイメージの子だった。<br>わたしとは正反対だったので、変な対抗意識もなく、すぐに仲良くなれた。<br>ゆりもわたしと同じ女子校出身だったので、そこでも意気投合した。<br>お互い彼氏が居たこともなく、経験もなかった。<br><br>同じ科の男の子で、同じ静岡出身の人が居た。<br>あやとだ。<br>彼はビジュアル系の男の子で、女の子にモテそうなタイプだった。<br>わたしもゆりも何の興味もなかったが、あやとには友達が沢山いて、<br>一緒に飲みに行こうと誘ってくれたりしたので、彼とも仲良くなった。<br><br>新しい友達も出来て、新しい生活。<br>そんな中、たまに思い出す相手。<br>高校の最後に付き合っていた先生だ。<br>彼女のことを思い出し、泣きはらす日もあれば、学校に行き皆と楽しい日もあった。<br>そんな毎日の繰り返し。<br>半年なんてあっという間に過ぎ去った。<br><br>ある日曜日。<br>知らない電話番号から電話がかかってきた。<br>携帯電話の番号だったので、誰かがわたしに用事でもあるのかと、電話をとった。<br>すると、あやとだった。<br><br>「今何してるの」という内容。<br>少しびっくりしたが「休みだからごろごろしてる」と返事をする。<br>意味のない話を２時間ほどし、電話は終わった。<br>翌日聞いてみると、なんと彼は女の子と２人で居たのにもかかわらず、<br>その女の子の携帯電話のプランが無料電話し放題だったため、その子の<br>携帯電話からわたしに掛けてきたという。<br>わたしはそれを聞いて<br>「女の子、ムスッとしたでしょう。かわいそうなことをした」<br>と注意しつつ、自分も申し訳なかったことを伝えた。<br>だが、彼は<br>「お前と話がしたかったからいいんだよ」<br>と云ってきた。<br><br>どうだろうか、わたしからしたら最初から興味のない彼だったが、<br>明らかな好意を寄せられ、それから二人で遊びにいったりすることになった。<br>家に行ったり、来たりする関係になった。<br>しかし、所謂愛の告白は特にされず、付き合うことは宣言しなかったため、<br>仲のいい友達で終わると思っていた。<br><br>しかしある日、わたしは彼に体の関係を迫られた。<br>これに対して断ろうとしたら、いきなり押し倒されて<br>大声で「何の為にいままで一緒に居たと思ってるんだよ」と<br>怒鳴られ、こわくてそのまま体を許してしまった。<br><br>これがわたしの初体験だった。<br>今思い出しても吐き気がする。<br>しかしわたしは、弱くも高校の頃の先生のことを忘れたかったのと、<br>彼が怖くて離れることが出来なかった。<br><br>結局彼はわたしの家に居座り、光熱費も家賃も、最終的には<br>彼のお洋服代までもわたしもちで、奇妙な生活を送ることになった。<br><br>抜け出したくても寂しさと恐れで抜け出すことが出来ない日々。<br>ついには学校に行こうと朝起きると、彼から<br>「学校に行くな」と脅され、学校にも行けなかった日々もあった。<br>周りの友達は心配し、わたしの家まで来てくれたり、先生もたまに学校に行けば<br>話を聞いてくれた。<br><br>そんな中、ゆりも別の男と、全く同じ状況に陥っていた、<br>たまに二人で逢うと、彼女の顔には大きなあざがあった。<br>結局体の関係を持ちたければ、付き合ってくれないとイヤだ、と彼女は言ったそうで、<br>殴られたりの暴力を受けながらも、付き合っていた。<br>わたしとゆりは、どうしたらいいんだろうね、といつも悩んでいたが、<br>お互いお互いの話を聞けば「やめたほうがいい」と言い合っていた。<br><br>不思議だった。<br>如何して人のことならすぐにわかるのに、自分のことはわからないんだろうと。<br>この場合、相手も自分とまったく同じような状態に居るのに。<br><br>今日は遅い時間なので、この辺で。<br>
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<pubDate>Fri, 29 Jan 2016 02:46:18 +0900</pubDate>
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<title>高校生になってから</title>
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<![CDATA[ 高校生になってわたしはＢ組になった。<br>みゆちゃんやまみちゃんたちは、皆Ａ組になった。<br>最初は苦しかったが、その頃わたしには音楽があったので、中学生の頃より苦しさはなくなっていた。<br><br>高校の頃。それはまたいろいろあった。<br><br>ﾊﾞﾝﾄﾞをやっていたこともあって、所謂パンクの格好をしていた。<br>黒い洋服や、チェックのスカート、白いシャツなんかをよく着ていた。<br>５月、わたしがたまたまみゆちゃんと日曜日に静岡のゲームセンターのプリクラコーナーで<br>並んでいたら、知らない女の子たちの集団に出くわした。<br><br>１０人以上でそれこそパンクな格好や、ロリータを着ている同世代ぐらいの子達だった。<br>その中の一人、カナメに声を掛けられた。<br>カナメはみゆちゃんと同じぐらいの身長、細身でわたしより少し背が大きい子だった。<br>キレイなビジュアル系の男の子みたいだった。<br>「プリクラ一緒にとりませんか」と云われた。<br>みゆちゃんとわたしはノリよくＯＫし、一緒に撮った。<br>それをきっかけに連絡先を交換し、カナメとその友達、チカと薫、ユリアと友達になった。<br><br>みゆちゃんはわたしと違って、パンクな格好をしていなかったので、主にわたしに連絡をくれたようで、<br>チカとユリアと一緒に遊ぶことになったり、薫と遊んだり、カナメと遊ぶことも増えた。<br>音楽の話やカラオケに行ったりすることが多かった。<br><br>あるときチカに云われた。<br>「薫とカナメは付き合ってて、カナメが別れたがってるんだー」と。<br>わたしはびっくりした。<br>勿論、薫もカナメも女の子だったから。<br>だが、すぐにそういう世界もあるんだと受け入れ、話を聞いた。<br>後日２人はすぐに別れ、何の問題もなくわたしは分け隔てなく友達で居た。<br><br>他校の友達も出来、バンド、部活と忙しく楽しい毎日だった高校１年。<br>冬になり、またある出来事。<br>薫に愛の告白をされたのだ。<br><br>あとから聞けば、わたしがみゆちゃんとゲームセンターに居た時、<br>わたしを見た薫がカナメに指示をしてわたしたちに声を掛けさせたとのことだった。<br><br>びっくりしたが、薫は真剣だった。<br>わたしは無碍に出来なかった。<br>わたしの性格からというものもあったが、薫はその頃静岡のビジュアル系好きの高校生たちの中では<br>有名で、ある意味影響力のある子だったのもあった。<br>わたしは特にビジュアル系に興味もなく、椎名林檎にしか興味がなかったが、<br>その界隈での友達が多かったので、薫とのお付き合いを断ることが怖かった。<br>みゆちゃんに対しての気持ちは、その頃の充実した日々にまぎれてなくなっていた。<br>結局、わたしは薫と付き合うことになった。<br><br>薫は富士のお嬢様の学校の子で、お金持ちの家の長女だった。<br>学校帰り、お菓子やお洋服を買ってくれたりして、何かと尽くされた気がする。<br>わたしは薫が自分のほうが女の子らしくしていたいのだろうと思い、<br>髪を短くしたり、男の子みたいな格好、振る舞いをして頑張っていた。<br>同性愛の中での用語だが、「ネコ」が薫で「タチ」がわたしだった。<br><br>「寂しい」とﾒｰﾙが来れば電話を掛けたり、逢いに行ったりしていた。<br>高校生だったがキスもしていたし、それ以上も。<br>ファーストキスが薫だったなあと思い出すと少し複雑だ。<br><br>わたしは何の気なしに半年近く「タチ」をやっていたが、<br>後にそれがかなりのストレスになっていたことを知る。<br>ある日朝学校に向かっている途中、めまいがして、血を吐いたのだ。<br>保健室に連れて行かれ、３時限まで休んで、なんとか復活し、親には報告されたものの、<br>元気に誤魔化していたが、高熱を出し、寝込んでしまった。<br><br>その頃勿論親には薫のことは一切云わなかった。<br>薫のことはかわいかったし、楽しい時もあったが、恋愛感情が芽生えることはなかった。<br>すぐに別れようと思った。<br>が、彼女の周りからにらまれたら大変だというプレッシャーもあった。<br>わたしは部活で仲のいいえりなちゃんと、薫の友達のユリアにだけ相談した。<br><br>そこでユリアから聞いた情報によれば、薫は実は嫌われているんだということだった。<br>わがままでそれが通らなければ腕を切って見せてくるような子だったのだ、当然だ。<br>そしてわたしは一気に薫と別れようと決意し、全面的に無視をしたのだ。<br>３日ほどたった後、「わかれよう」と云い、いろいろ云われたが、別れようと決めていたわたしの心には<br>何も響いてこなかった。<br>無音で知らない女の子が暴れているようにしか見えなかった。<br>それでそのまま別れ、周りの友達とも何も変わらず、無事だった。<br><br>高校に入って１年目のほとんどが、薫に吸い尽くされた気がする。<br>薫と喧嘩して大変だった日は、それを詩にして曲を一人で作ったり、<br>ﾊﾞﾝﾄﾞﾒﾝﾊﾞｰに話を聞いてもらおうとしても、恥ずかしくて云えなかったり。<br>薫と会っているせいで学校の帰りが遅くなり親に怒られたり。<br>薫に掛ける携帯電話代金が高くなり親に怒られたり。<br>薫とのデートのために他の友達との約束を断ったり・・・。<br><br>思えば部活中だけがやすらぎの場だったような。<br>高校２年になって、わたしは１年の頃やっていたﾊﾞﾝﾄﾞﾒﾝﾊﾞｰとは解散し、<br>違うバンドを組んでいた。クローバーという名前で、椎名林檎の曲をカバーしたり、<br>自作の曲をやったり。ライブ活動も本格的に始めていた。<br><br>この、クローバーというﾊﾞﾝﾄﾞ。初めて男の人とﾊﾞﾝﾄﾞを組んだ。<br>学校の外部で。<br>これまで小学校を卒業して以来まともに男と話をすることがなかったので、<br>結成当初は結構していた。<br>すぐに打ち解けて、楽しく出来たが。<br><br>最初は主に椎名林檎のカバーをやってライブをしたり、<br>あとはスタジオに入って皆で曲を作ったり、してきた。<br>ｵﾘｼﾞﾅﾙの曲は何曲か作ったものの、結局このﾊﾞﾝﾄﾞでｵﾘｼﾞﾅﾙ曲を披露することはなかった。<br>それでも、毎週ギターを担いで東静岡駅まで行き、歩いてスタジオに行って<br>練習をして。。という流れが大好きだった。<br>他のメンバーも彼女が居て彼女との相談事を聞いたり、ごはんを食べに行ったり、<br>とっても楽しかった。<br><br>しかし、このﾊﾞﾝﾄﾞﾒﾝﾊﾞｰのうち、一人、あずまくんという男の子が<br>脳の病気になってしまったのと同時に、彼女が妊娠したことから結婚。<br>流れで解散になってしまった。<br>そこからわたしはまた、一人で作曲をしながら好きな時に好きな場所で弾き語りをするという<br>活動をしていた。<br><br>高２の頃の主な思い出はそのクローバーというﾊﾞﾝﾄﾞのこと。<br>そして、部活のことだ。<br><br>中１の頃、単純な動機で入った合唱部だったが、<br>わたしはこの高２になって合唱部の部長になった。<br><br>実は、この合唱部は楽しいだけの合唱部ではない。<br>学校の中でも目立つ部活で、大会やら文化祭やらで、引っ張りだこな部活だったのだ。<br>いろんな問題を抱えつつも、わたしはこの合唱部が好きで、ずっと続けていたのだった。<br>中１から高３になって引退の会をやるまでなので、高２になったその時が部長だったのだ。<br><br>教師たちからしたら、わたしは風紀は最低の見本とまで云われるぐらい「眉なし　下着透てる　スカート短い」<br>だったので、生活指導の教師には「お前が部長で大丈夫なのか」とも言われ、<br>信用していた顧問にすら「他の下級生たちの悪い見本になるなら部長はやるな」とまで云われたのだ。<br><br>しかし、わたしはこの愛する音楽部を、本音で言えば是非ともまとめて<br>もっといい部活にしたいと心から思っていたので、何を云われても引き受けたのだ。<br><br>部活ともあれば、勿論夏と冬に合宿もある。<br>その合宿で上級生が下級生と呼び、問題がないかどうかを聞いたり、<br>いろいろまとめ役なんかもしないといけなかった。<br>わたしは皆の意見や現状を聞いて、皆がどうしたいのに何が出来ないのかを聞いて、<br>相談役なんかも買って出た。<br>これだけは、中２になってからの少し消極的な自分を抑えてはいけないと思ったからだ。<br><br>それは見事、正しかった、<br>われわれの合唱部は、年間でかなりのペースでｲﾍﾞﾝﾄに行ったり、合宿やコンクールで<br>忙しい部活だったので、当然辞めたいという子もたくさん居た。<br>毎年平均５人の部員が去っていっていた。<br>が、わたしが部長として１年間部活をまとめていた年は、１人の退部も出さずに、<br>高３になった春に行う最後のお別れコンサートまでたどり着いたのだ。<br><br>部長をやると報告したときに真っ向反対してきた顧問や生活指導の教師たちに<br>「文化祭、クリスマス礼拝、コンクール、お別れコンサート」、よく<br>最後までやりきったな、お前がここまでやってくれるとは、と褒められた。<br>部活卒業のときには涙して同じ学年の部員の子、教師、後輩達にお礼を言ったものだ。<br><br>音楽部は本当にわたしの中学高校生活の中での大きな宝物であり、大きな達成感だった。<br>今でも思い出すと、すぐにでも戻りたくなる程、部活の仲間は皆仲がよく、楽しく、青春できた。<br><br>高３．部活も終わり、わたしの進学は、クローバーのサポートギターで入ってくれた<br>ヤっさんという方が当時通っていた、東京にある音楽専門学校と決まっていた。<br>親とも教師とも揉めたが、それは勉強して成績を上げて説得することに成功した。<br><br>行きたかった東京の専門学校の体験入学のｲﾍﾞﾝﾄにも顔を出し、<br>そこでも色んな友達が出来た。<br><br>だが、その頃は決まったﾊﾞﾝﾄﾞメンバーが居なかったため、<br>わたしは自分の曲をﾊﾞﾝﾄﾞ形態でしっかり演奏、ライブしてくれる協力者を探していた。<br>いきなり清水のスタジオに一人で行き、自分の曲を鳴らし、<br>「どのﾊﾞﾝﾄﾞでもいい。わたしに力を貸してほしい。ライブがしたい。音源が録りたいんだ」<br>と申し出たのだ。<br>そこではデンジャーレンジャーという静岡のﾊﾞﾝﾄﾞ、スカルショッカーという静岡のﾊﾞﾝﾄﾞに<br>出会うことが出来た。<br>彼らとは少しの間活動を共にしてきたが、その頃のわたしはかなりの椎名林檎教だったので<br>あまり親しくはなれなかった。<br>それでもそこで、初めて自分ひとりで作った曲を他の人と一緒にアレンジするという経験が<br>出来たので、かなり感謝をしている。<br><br>高３になって進学する学校も決まって、部活もなくなったわたしは、<br>最早残された高校生活を、遊ぼうと決めた。<br><br>まず、学校では本来禁止されているアルバイトを始めた。<br>板前てんぷら屋さんで、親方とお上さんの二人で経営されている小さな高級店だった。<br>わたしはそこの店員として、週３程度でアルバイトをし始めた。<br>お二人には娘のようにかわいがっていただき、本当に楽しいﾊﾞｲﾄだった。<br><br>そして、進学予定の東京の専門学校の男の先輩と<br>遠距離恋愛なるものを少ししてみたり。<br>親に黙って東京に会いに行ったり。楽しかったが、その先輩がＤＶだったので、<br>関係はすぐに破綻した。<br>その頃は何が好きだったのかは分からなかったが、破綻したときは辛かった。<br><br>破綻して辛かった頃、なんとまた、薫と少しの間付き合うことになった。<br>それでも、わたしは「タチ」をうまくやっていくことは無理だと思ったので、<br>頑張ったがすぐに別れた、、何をやっていたんだ、きっと、寂しさを紛らわせることが出来れば<br>誰でもよかったのだろう。<br><br>高３のとき、新任教師があらわれた。女性で、科目は体育。<br>バスケ部の顧問だった。<br>みやた先生だ。<br>みやた先生は顔はかわいかったが、化粧もせず、髪も短く、いつもジャージだった。<br>所謂女子校のかっこいい先生だった。<br><br>わたしはそのときみやた先生が同性愛者だとすぐにわかった。<br>そして、彼女はわたしのドンピシャリなタイプだった。<br>だが、うちのクラスの顧問になることもなく、仲良くなることはないだろうと思っていた。<br><br>しかし、授業の顧問にはならなかったが、宮田先生がわたしの掃除の場所の監督になったのだ、<br>そこで提出物が間に合わないよーとか、単位が取れなかったらどうしようーとか<br>そんな話を聞いてもらっているうちに、結構仲良くなれた。<br><br>だが、みやた先生には彼女自身の問題を抱えていて、高校に入学してきてから、<br>５月あたりには学校を長期休むという決断をしていた。<br>わたしは到底そんな事情も知らず、ある放課後の日、自転車でﾊﾞｲﾄ先に向かおうとしていた時、<br>元気のないみやた先生を見かけたが、明日も会えるだろうと思い、<br>そのままスルーしてバイト先まで自転車を走らせた。<br><br>しかし、みやた先生は次の日から来なくなった。<br>半年以上、来なかったのだ。<br>わたしはあの、最後の日の放課後を思い出し、何度も声を掛けなかったことを悔やんだ。<br><br>みやた先生が復帰してきたのが１１月。ひさしぶりの再会だった。<br>大丈夫かよ先生ー？と、声を掛けに、体育教官室に顔を出した。<br>そこには真っ青な顔をしたみやた先生が居た。<br><br>だが、元気に「おうー久しぶり！」と返事をしてくれた。<br>そこから何の気なしに、体調悪かったのー？とか、あの、最後に先生を見かけた日、わたしは<br>声を掛けなかったことを思い出し何度も後悔したんだということなど、<br>色々話をしていた矢先のこと。<br><br>みやた先生にいきなりキスされたのだ。<br>当時、わたしは１８歳、先生は２３歳。わたしは当然生徒で、みやた先生は当然教師。<br>好きだと云われて、わたしは「これからﾊﾞｲﾄだから！」と云ってとりあえず部屋をあとにしようと<br>したら、彼女は携帯電話の番号を書いた紙をわたしてきて、<br>「終わったら電話してきて」と云ってきたのだ。<br><br>悩みながら仕事をし、終わった頃。<br>わたしは先生とのやり取りが頭から離れず、電話を掛けてしまったのだ。<br><br>先生はわたしが<br>仕事が終わる時間まで学校の教官室で寝たりしながら待っていてくれたとのことだった。<br>少し夜道を散歩して、家まで送ってくれた。<br>ただそれだけの出来事だったが、とってもよく覚えている、2008年の11月12日。<br><br>気づけばわたしはみやた先生に惹かれていっていた。<br>結局先生とは少しの間付き合ったりもしたが、わたしの上京をきっかけに、<br>お友達になることになった。<br>それでも彼女の存在はわたしの中ではあまりにも大きく、憧れで、<br>それなのに弱いところも見せてくれた。いきなり現れた、同性の王子様のようだった。<br>幼く、何も知らない少女だったわたしには、理想的すぎる相手だった。<br>わたしは彼女のことを想い、毎日のように泣いていた。<br><br>そのころやっていた花魁というバンドは、他校の男子生徒2人と、他校の女の子とわたし。<br>花魁の皆には、みやた先生との話を前面的に相談したり、皆の話も聞いていた。<br>それなりに真剣にやっていたバンドだったが、皆が仲良くなるスピードが速かった。<br>わたしの中学からの友達、えりなちゃんがスタッフをやってくれて、<br>皆でいろんなところでライブをやっていた。<br><br>わたしには部活という宝物の青春があったが、もうひとつ、花魁という青春の宝物もあったのだ。<br>毎週日曜日に静岡のパルコの島村楽器のスタジオを借りて、練習し、皆でごはんを食べ、<br>ライブもして。。<br><br>楽しい高校生活を送っていたなあと書いていて思う。<br>
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<pubDate>Fri, 29 Jan 2016 02:43:58 +0900</pubDate>
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