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<title>Abe</title>
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<title>【舩越園子コラム】スコットの魔法</title>
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<![CDATA[ <br>2013年08月26日12時05分<br> <br> 今やスコットの代名詞ともなった長尺パターはさながら魔法のステッキだ(Photo by Darren CarrollGetty Images)<br><br>今やスコットの代名詞ともなった長尺パターはさながら魔法のステッキだ(Photo by Darren CarrollGetty Images)<br> 今やスコットの代名詞ともなった長尺パターはさながら魔法のステッキだ(Photo by Darren CarrollGetty Images)<br>　米ツアーは早くもレギュラーシーズンが終了し、トッププロたちは4試合に渡るプレーオフシリーズに突入している。フェデックスカップランクでも世界ランクでも現在1位につけているのはタイガー・ウッズだ。今季すでに5勝を挙げたタイガーがプレーオフ4試合で好プレーを続け、フェデックス王者に輝くことができるかどうか。<br><br>【関連ニュース】タイガー2位も緊急事態！ショット後に腰の痛みで崩れ落ちる<br><br>　だが、その注目は、タイガーが物理的に10ミリオンを取るか逃すかと言うことよりも、タイガーが本当の意味で完全復活と言えるかどうかを判断するための注目みたいなものだ。<br><br>　タイガーは今季5勝を挙げているものの、肝心のメジャーは勝てずじまいだった。メジャーに勝てないタイガーは、かつてのタイガーと同じ強いタイガーと言っていいのかどうか。年間5勝はメジャー0勝に匹敵するのか、上回るのか、下回るのか。このプレーオフシリーズでさらに勝利を挙げたら、タイガー完全復活？フェデックスカップの王者になれば、タイガー黄金時代？<br><br>　そんな「？」の数々に決着を付ける意味で、タイガーが今週のバークレイズを制することを切望するファンや関係者は多かった。そして、その可能性は限りなく高かった。だが、またしてもタイガーはファンの熱い期待に応えることができずじまいに終わってしまった。<br><br>　最終日。今季のメジャーチャンプ3人が揃って猛追をかけた姿を見て、好調であることの強さ、メジャーを制して得られる自信の大きさとその影響を感じずにはいられなかった。全英オープン覇者のフィル・ミケルソンが6アンダー、65をマークして6位へ浮上したと思ったら、マスターズチャンプのアダム・スコットが5アンダー、66で単独首位へ浮上し、全米オープンチャンプのジャスティン・ローズもスコットを追いかけてきた。<br><br>　一方のタイガーは前半の3バーディを後半の3ボギーで帳消しにして意気消沈。上がり3ホールすべてでバーディを奪えば、スコットとのサドンデス・プレーオフという状況下、16番と17番でバーディを奪い、18番に望みをつないだところは、さすがだった。<br><br>　が、フェアウエイを捉えていながら8Iによる第2打で「あんなに飛んでしまうとは思わなかった……」と、あっさりグリーンを外すところが今季のタイガーの象徴。グリーン外からパターを握った第3打は、ラインに乗り、カップに向かっていったけれど、カップのぎりぎり手前で止まってしまい、タイガーもファンも、みな頭を抱えて悔しがる。それもまた今季のタイガーの象徴だった。<br><br>　ローズ、タイガー、ゲーリー・ウッドランド……。スコットを捉えるチャンスに到達した選手は居たというのに、あと一歩のチャンスをモノにできた者は誰一人おらず、結局、スコットが逃げ切り優勝。サドンデス・プレーオフに備え、すでに練習場に身を置いていたスコットは屋外モニターで自らの勝利が決まったことを確認し、キャディのスティーブ・ウイリアムスと抱き合って喜んだ。<br><br>　思えば、昨年の全英オープンでも、それ以前のメジャーやビッグ大会でも、スコットはしばしば、あと一歩のチャンスを逃し、勝利を逃してきた。だが、今年、マスターズを制し、ついにメジャータイトルを獲得したら、スコットは最後のチャンスを「逃す人」から「生かす人」へと、すっかり変貌。そして、いつしか他選手たちを「ラストチャンスを逃す人」へと変えている。<br><br>　それほど大きな変貌、変身を遂げているというのに、スコット自信は「いやあ、信じられない。いいプレーができたとは思っていたけど、まさかここでこうして勝てるなんてね」と屈託のない笑顔。それをスコットの魔法と呼ぶとしたら、タイガーもスコットの魔法にやられ、最終ホールでラストチャンスを逃し、肩を落としたと言えるだろう。<br><br>　その年にメジャーを制したか、否か、そこからどれほど自信を得たか、否か。その自信に裏打ちされたプレーができるか、否か。その有無が、今日の最終日に猛追をかけた3人のメジャーチャンプとタイガーとの差。そして、最後に笑ったスコットと最後に唇を噛んだタイガーとの違いだった。<br><br>文　舩越園子（在米ゴルフジャーナリスト）
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<pubDate>Fri, 03 Jan 2014 16:59:45 +0900</pubDate>
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<title>北朝鮮代表、日本戦に賭けるさまざまな思い 世界を知った選手たちにもはや弱小の面影はない</title>
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<![CDATA[ ツイート<br>日本と北朝鮮の因縁<br>約６年半ぶりの来日となる北朝鮮代表。多くの在日同胞たちが駆けつけ、選手たちを歓迎した<br>約６年半ぶりの来日となる北朝鮮代表。多くの在日同胞たちが駆けつけ、選手たちを歓迎した【写真は共同】<br>　そこに重苦しい空気はなかった。８月２９日、朝鮮民主主義人民共和国（以下、北朝鮮）の首都・平壌から北京経由で羽田空港へ降り立った北朝鮮代表の選手たち。当初は日本政府が入国を許可するのかという心配もあり、空港にはおびただしい数の警備員がいて重々しい雰囲気が漂っているのではと勝手に想像していた。<br><br>　だが、現場の雰囲気はそれとはまったくかけ離れたものだった。<br>　到着ゲートには、９月２日のワールドカップ（Ｗ杯）・アジア３次予選で日本と戦う北朝鮮選手たちを出迎えるため、多くの在日同胞たちが駆け付けていた。その中には、南アフリカＷ杯を戦ったボーフムのチョン・テセ、柏レイソルのアン・ヨンハ、ベガルタ仙台のリャン・ヨンギ、そして新たに代表入りしたセレッソ大阪のキム・ソンギらの姿もあった。彼らは来日した北朝鮮の選手たちと笑顔で抱き合い、戦友との再会を心の底から喜んでいた。<br><br>　同国代表の来日は、ドイツＷ杯アジア最終予選で日本と対戦した２００５年２月９日以来、約６年半ぶりだ。この時の北朝鮮は１－１で迎えた後半ロスタイムに大黒将志に決められ、１－２で敗れている。３次予選の初戦が日本に決まってから、当時の試合がどうしても頭から離れない。それは今回の北朝鮮代表が日本との因縁をさまざまなシーンで感じているに違いないからだ。<br>ジーコジャパンを苦しめた監督が復帰<br>　６年前のチョン・テセは、朝鮮大学校のサッカー部所属。Ｊリーグのスカウトにも目に留まらない全くの無名選手だった。<br>「あの日、埼玉スタジアムで見た光景は今でも忘れません。敗れはしましたが輝かしい舞台で、日本代表と対等に戦う誇らしい朝鮮代表。その中には同じ在日選手のアン・ヨンハ、リ・ハンジェ（ＦＣ岐阜）が名を連ねていましたが、心の底からうらやましかった。２人がピッチで戦う姿を見て、代表への思いがもっと強くなりました」<br><br>　観客席から試合を見るしかなかったチョン・テセが、次は同じ埼玉スタジアムで日本と戦うことになった。そこに賭ける思いは人一倍強い。<br>「あれから６年がたちましたが、日本代表と対戦したのは０８年の東アジア選手権での一回だけ。その試合でゴールは決めましたが、それ以降も何度か対戦してもよかったと思います。チャンスは２回あったのですが、去年の東アジア選手権と前回のＷ杯最終予選。前者は予選で負けてしまい、後者は抽選で２分の１を外しました。対戦が少し遅過ぎた感じもあります。でも、キャリアも折り返しに差しかかった時点で、当時夢見ていた埼玉スタジアムでプレーできるのは、因縁というよりも縁を感じますね」<br><br>　そして、代表チームで最年長となったアン・ヨンハも日本との縁を感じていた。<br>「もちろん、６年前の試合は忘れていません。だからといって因縁や雪辱というよりは、楽しみの方が強いですね。南アフリカが僕にとっては最後のＷ杯になると思っていましたが、結果についてはどこかで悔しさが残っていて……。それで、３次予選で日本と同じ組になり、こうして代表にも呼ばれてからは、次こそ本当に最後のＷ杯の舞台にしたいと思っています。まずは日本戦でしっかり結果を残したい」<br><br>　そして何より雪辱を果たしたいのが、今年２月から代表指揮官に就任したユン・ジョンス監督だろう。６年前、ジーコジャパン相手に引き分けに持ち込めるところを、アディショナルタイムで決められて敗れたのだから、苦い思い出を払しょくしたいに違いない。<br>　ユン・ジョンス監督は０５年のＷ杯アジア最終予選敗退後、国内でユース代表の監督を務めるなど、若手の育成に着手していた。そんななか、南アフリカＷ杯では実質「５バック」という超守備的な戦術を駆使したキム・ジョンフンが指揮を執っていたのは記憶に新しい。今年１月のアジアカップでは、Ｕ－２０Ｗ杯での監督経験もあるチョ・ドンソプが４－４－２や４－５－１などを試し、ベテランと若手の選手たちをテストしていたが、最終的にユン・ジョンスが代表監督に返り咲いた。<br><br>　その理由について、在日本朝鮮人蹴球協会理事長で、朝鮮サッカー協会副書記長を務めるリ・ガンホンはこう語る。<br>「ユース育成の実績もさることながら、彼が育てた若手がＡ代表にも選出されています。ベテランの中にも彼の指導を受けていた選手がいるので、選手を把握しているという点では適任です。彼は国内では５本の指に入る指導者として認知されており、手腕には定評があります」
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<pubDate>Thu, 07 Nov 2013 11:35:32 +0900</pubDate>
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<title>対立を深めていったさまざまな障害</title>
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<![CDATA[ <br>バティスタ（写真）はマラドーナを法廷で訴える意思を示した<br>バティスタ（写真）はマラドーナを法廷で訴える意思を示した【写真：ロイター/アフロ】<br>　第２の障害は、大苦戦の末にＷ杯・南アフリカ大会への出場を決めた直後に生じた。ＡＦＡがビラルドにマネジャー職を任せたのは、チームが結果を出せなかった際に自身をクビにし、彼に後任監督を任せるためではないか。そう理解したマラドーナは、さらにバティスタとブラウンから１００パーセントの信頼を得られていないとも感じるようになり、アルゼンチン代表の慣例に反して、２人が率いるユースチームより下のカテゴリーのチームを練習試合の相手に選ぶようになる。この時点で既にマラドーナと２人、そしてビラルドとの間にコミュニケーションは存在しなくなった。<br><br>　３つ目の障害はアルゼンチン代表がＷ杯・南アフリカ大会へと出発する直前、マラドーナが同じく１９８６年世代の１人であるオスカル・ルジェーリのコーチ就任をＡＦＡに要請した際に生じた。ルジェーリはグロンドーナとの関係が良好ではなかった上、サンロレンソの会長時代に彼を招へいして失敗したオスカル・サビノは、彼の代表スタッフ入りを拒否するようＡＦＡに働きかけていた。<br><br>　マラドーナとルジェーリ、そして同じく１９８６年世代の１人としてルジェーリの代わりに代表スタッフ入りしたエクトル・エンリケは、グロンドーナに対して自分たちを擁護しなかったビラルドを痛烈に批判した。いずれにせよルジェーリは、アルゼンチン代表のベースキャンプ地となるプレトリアにて非公式にチームとの接触を繰り返していたという。<br>崩壊していく関係、もう後戻りはできない<br>　マラドーナと彼のスタッフがＷ杯後にＡＦＡを去り、バティスタとブラウンが後任に就いたことで両者の対立はさらに際立っていった。マラドーナは自身が去った後に後任を引き受けた元チームメートの２人、そして自身とともにＡＦＡを去らなかったビラルドを裏切り者とみなし、バティスタが代表監督を務めた１年弱の間に何度も彼らを批判するコメントを発してきた。とはいえ、彼が特定の代理人からわいろを受け取っていたという衝撃的な告発を行ったのは今回が初めてのことだ。<br><br>　マラドーナがこのコメントを発してすぐ、バティスタは彼を法廷で訴える意思を示した。これまで数々の批判や皮肉を我慢してきた彼をしても、今回の発言は許し難いものだったようだ。一方でブラウンは「心が痛む」と心境を明かし、ブエノスアイレスにおける政界の中心地であるプラサ・デ・マヨ（５月広場）にて証拠を提出するようマラドーナに要求した。<br><br>「わたしの在任中にプレーした選手は２０人だ。もしわたしが彼の言うようなコミッションを受け取っていたのだとしたら、２００人は招集していただろう」。常に庶民的なイメージを保ってきたバティスタは、そう言って１年半の間に１０８人の選手を招集したマラドーナとの違いを強調した。<br><br>　アルゼンチンのサッカーファンは、１９８６年に世界の頂点を極めた仲間たちの関係が崩壊していく様子を、ただぼうぜんと見つめている。１９８６年組は求めていたチャンスを与えられながら、それを生かすことができなかった。もう後戻りはできない。
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<link>https://ameblo.jp/a3b0e/entry-11674996012.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Nov 2013 11:35:15 +0900</pubDate>
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<title>マラドーナを中心に崩壊した１９８６年世代</title>
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<![CDATA[ <br>セルヒオ・レビンスキー／Sergio Levinsky2011年9月21日 10:00<br><br><br>ツイート<br>マラドーナが投下した爆弾<br>マラドーナの発言が、１９８６年組の対立問題を引き起こした<br>マラドーナの発言が、１９８６年組の対立問題を引き起こした【写真：アフロ】<br>　アレハンドロ・サベーラの代表監督就任により落ち着きを取り戻したかのように思えたアルゼンチンサッカー界に、新たな火種がまかれた。チリとのワールドカップ（Ｗ杯）南米予選の初戦まで１カ月を切った先日、ＵＡＥ（アラブ首長国連邦）から届いたディエゴ・マラドーナの発言が、１９８６年のメキシコＷ杯優勝メンバー間の対立問題を掘り起こしたのだ。<br><br>　２００８年から２０１０年のＷ杯・南アフリカ大会までアルゼンチン代表を率いたマラドーナは、同大会の準々決勝でドイツに０－４と大敗した後に職を追われた。直後に後任となったセルヒオ・バティスタはそれまでＵ－２０やＵ－２３代表の監督を務めていたが、この時点で既にマラドーナとの関係はかなり悪化していた。<br><br>　ドバイにてアルゼンチンのテレビ『ＴｙＣスポーツ』の取材を受けたマラドーナは、バティスタが代表監督を務めた２０１０年半ばからコパ・アメリカ（南米選手権）までの間に「特定の選手を招集する引き換えにわいろを受け取っていた」と告発し、そこに現役時代はボカ・ジュニアーズとアルゼンチン代表で共にプレーした元選手の代理人カルロス・マカリスターが関与していたと語った。<br><br>　マラドーナのバティスタに対する一連の痛烈な批判はアルゼンチンサッカー界に爆弾を投下すると同時に、メキシコＷ杯の優勝メンバー間に存在する問題を再燃させた。その渦中には、当時監督を務めた現代表チームマネジャーのカルロス・ビラルドも含まれている。<br>チャンスを与えられた１９８６年世代だが<br>　すべては２００８年、Ｗ杯予選での低迷を理由にアルフィオ・バシーレが代表監督を辞任した時に始まった。当時はあらゆるメディアが行ったアンケートで一番の人気を有したカルロス・ビアンチがバシーレの後任を務めるものと見られていた。だが、ビアンチとの不仲が有名なアルゼンチンサッカー協会（ＡＦＡ）のフリオ・グロンドーナ会長と彼の２人の息子、フリオ（アルセナル会長）とウンベルト（代表チーム副ディレクター）は、以前からＡＦＡの強化部における職を求めていた１９８６年世代にチャンスを与えることを選んだ。<br><br>　グロンドーナはマラドーナを代表監督、カルロス・ビラルドを各年代の代表チームを統括するマネジャーに任命し、ほかの２人の１９８６年大会優勝メンバー、セルヒオ・バティスタとホセ・ルイス・ブラウンにユース代表の指揮を任せた。そしてマラドーナはＷ杯１９９４年大会のチームメートである友人のアレハンドロ・マンクーソをアシスタントコーチとして迎え入れた。<br><br>　だが、マンクーソとビラルドの関係は以前から良くなかった。マンクーソは常にビラルドと対立関係にあるセサル・ルイス・メノッティのサッカーに対する信望心を口にしていたし、ビラルドはこのアシスタントコーチがマラドーナとの会話の妨げになると感じていた。
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<pubDate>Thu, 07 Nov 2013 11:34:45 +0900</pubDate>
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<title>Ａは上杉、Ｂは久保が優勝／アマゴルフ</title>
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<![CDATA[ 日刊スポーツ 11月5日(火)18時34分配信<br>＜ゴルフ：関東アンダーハンディキャップ選手権・ＫＧＡ杯決勝＞◇５日◇埼玉・嵐山ＣＣ◇６６１３ヤード、パー７２◇出場＝男子Ａ７６人、同Ｂ５０人<br><br>　関東ゴルフ連盟（ＫＧＡ・竹田恆正理事長）主催で行われ、男子Ａクラスは上杉昌棋（柏崎）が６６・８（グロス７７、ハンディ１０・２）で優勝した。同Ｂクラスは久保勝広（高根）が６８・８（同９４、同２５・２）で勝利を飾った。<br><br>　各クラス上位４人が１２月３日、千葉・鷹之台ＣＣで開催されるＪＧＡ杯Ｊ－ｓｙｓゴルフ選手権の出場権を獲得した。<br><br>＜男子Ａクラス上位成績＞<br><br>【１位】上杉昌棋（柏崎）＝６６・８（グロス７７、ハンディ１０・２）<br><br>【２位】黒沢三郎（美里）＝６９・０（同７７、同９・０）<br><br>【３位】山田俊彦（つくばね）＝７０・７（同７９、同８・３）<br><br>【４位】丸山文雄（妙高高原）＝７１・１（同８１、同９・９）<br><br>＜男子Ｂクラス上位成績＞<br><br>【１位】久保勝広（高根）＝６８・８（同９４、同２５・２）<br><br>【２位】小谷野利三（飯能）＝６９・８（同９８、同２８・２）<br><br>【３位】秋田弘之（新バークレイ）＝７０・９（同１００、同２９・１）<br><br>【４位】小海寿太郎（諏訪湖）＝７２・２（同９４、同２１・８）<br><br>　※本競技の参加資格はＪＧＡ／ＵＳＧＡハンディキャップインデックス取得者で、（１）男子Ａクラス１２・４以下（２）男子Ｂクラス１２・５以上と種別される。これらのハンディキャップをもとにネットスコアで順位が決定された。
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<pubDate>Wed, 06 Nov 2013 15:16:00 +0900</pubDate>
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