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<title>PARALLE WORLD!!</title>
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<title>遠くにいぬ</title>
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<![CDATA[ &nbsp;<div><br></div><div>初めての個展が終わって、うーんとだいたい一週間！！！！？</div><div><br></div><div>春休みになって一週間なわけだけど、わたしは休みに会ったりするような友達がいなくて、まじで、ずーっとひとりで、なんかね、なんだかね、ずっとひとりだと、変なテンションになるんです！！！！</div><div><br></div><div>一日人に会ってないだけで、人に会うと久しぶりに人に会った！ってなって、大丈夫？って言われるくらい、変なテンションになっちゃうのにね！！</div><div><br></div><div><br></div><div>映画に行くにも展覧会に行くにもひとりなんだも。人と行くのは、それはそれで面倒なんだけど。っていうのは、時間を決めなくちゃいけないから。やっぱりひとりでゆっくり自由に行動するのが好きなんだけど、っていうか映画見た後にカフェで本を読むっていう流れが好きなんだけど、でも、好きな友達と行動するのも好き？！って感じで、わたしはすっごいわがままなんだなあ</div><div><br></div><div><br></div><div>最近は用もないのに学校の図書館行ったりカフェ行ったりして、ずーっと本読んでる！！！あとは、インターネット依存症！！（笑）ずーっとハロプロアンテナみてるの、困るなあ。</div><div><br></div><div>何もない時に本読むのは久しぶりって気がする。何もない時っていうのも久しぶり。</div><div>個展の準備をしてる時の方が、やることいっぱいあっても意外と本を読む。っていうのは、本読まないと何も出てこない！！みたいな状況になるからで、やることいっぱいなんだけど、それをやるために本を読まないと！！って感じになる。</div><div>でもやることのために本を読むわけだから、漠然と何か探しながら読むし、ただおもしろいって風にゆっくり読んでられないし、そういう時に読む本はだいたいなんて言うんだろ、業書だし、だから、そういう時はいつも、ただ本を読むだけの時間が欲しい！！とか、小説が読みたい！！って思うんだけど、でも実はそんな時は無くて、時間があっても本って読まない気がする。小説は特に隙間の時間で読むイメージ。今は一日単位、いや一週間単位？！で隙間の時間ってイメージだ。隙間の時間、あと１ヶ月まるまる欲しい！！（笑）</div><div><br></div><div><br></div><div>いまは中上健次の鳳仙花と、ウニベルシタスの未来批判あるいは世界史に対する嫌悪っていうのを読んでる。中上健次は、中上健次以前村上春樹以降って言われるような、節目の小説家らしいです。初めて読む。</div><div>ウニベルシタスは業書で、今まで読めたためしなかったけど、未来批判は、初めて完読できそう。むずかしくてなかなか進まないし付箋だらけになってるけど。あまり頭が追いついてなくて、業書なのにこういう本ですって説明ができないけど。がーん。でも、おもしろいです！！</div><div>これが読み終わったら、ゴドーを待ちながらっていう、ベケットのちょっとおかしな戯曲を読むんだけど、ゴドーを待ちながら読むのめっちゃ楽しみ！！！ジャン=ジュネ伝っていうのも読むの！！！</div><div>読みたい本はたくさんあるよ～🌟🌟</div><div><br></div><div><br></div><div>とか、言ってても、漫画も大好きだしモニター依存症だし、時間があると、本当にモニター依存症になるけど、なるべくiPhone触るよりも本を読むのだ！！できるな～？！って感じだけど、出来る範囲で！！</div><div><br></div><div>今年はiPhoneをやめるの！！！ちょっと本当にモニター依存症を断つために、、、だって本当にやばいだもハロプロアンテナ一日何回見てるよ、、、</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>久しぶりに友達に話そう！って言われて会ったら、何も話すことがなくて、多分個展で全部出しちゃったから、しかも空っぽな部分を出しちゃったから、何かストックというか、話したいことができるまで、本を読んだり何かに出会いたいと思ったの、、、</div>
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<pubDate>Mon, 16 Mar 2015 22:58:40 +0900</pubDate>
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<title>インターステラー</title>
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<![CDATA[ <br>2014年に劇場で２回観た、＜インターステラー＞<br><br>愛と重力の話だった。重力とともに愛は次元を超える。非科学的な、とても分かりやすいヒューマンストーリー。<div><div><br></div><div>まずとにかく初めに愛と重力が同じスケールの中に同じ質量で並ぶことに驚きました。なんだ、この組み合わせは？！と思った。<br><br>インターステラーを観た友達が、結局愛だぜ！とツイッターでつぶやいていたの見て、なんだそれ。と思ってた。どういうことなのか、ずっと気になっていた。</div><div>結局○○だぜ、という言葉は、既に分かっていることやお決まりのことを表す趣旨の言葉だと思う。「結局」は、いろいろなことがあったうえで、最後に落ち着くさまを表す。という意味の言葉だ。<br>結局愛だぜ！<div>最後に、全部を愛という言葉で回収した。結局愛だぜ！結局、愛という言葉に落ち着くのだろうか。愛が分かるだろうか。</div><div>インターステラーの中でそれがどうだったかというよりも、現実世界の中でこれからどうなるのだろうかと思った。</div><div><br>シンデレラや眠りの森の姫、白雪姫。ディズニープリンセスの映画は、愛の話というよりも、白馬に乗った王子様が迎えに来るとかいう類の、女の子の理想を描いたのか、それともそもそもの理想はディズニーからきているのか、とにかく当たり障りのない女の子を夢心地にするような物語に思える。だから、愛の話でも何でもない（と、わたしは思う）。<br>アナと雪の女王は、王子様が登場するようなディズニーの今までの愛の話ではなく、自己犠牲の愛の話だった。<br>ディズニープリンセスの話の愛も自己犠牲の愛も、自分のこととして考えてみるとちっともよく分からない。そして、インターステラーを観て、もっとよく分からないということが分かってしまった。わたしには分からないし、もしかしたら無いかもしれない。</div><div><br></div><div>父であるクーパーが娘のマーフと再会するシーン。相対性理論によって、自分よりも倍以上年老いているが娘であるマーフの手を握り涙するクーパー。その時、マーフは父に向かって、父親が娘の最後を看取るものではない。残されたブランド博士を迎えに行ってと言う。マーフには90年分の時間がしっかり流れていたのだと思う。</div><div><br><br>ある友達は言いました、インターステラーはファンタジーだと。人間の限界を感じたと。</div><div>ファンタジーに思えるのは、愛の力に任せて問題解決をしたからでしょう。<br><br>あれが人間の限界なのか、それとも次への可能性なのかわたしには分からない。けど、</div><div><br></div><div><br>例えば、数式をあげて解決することと、愛に任せることと、どちらを信用するのか。テクノロジーと愛は、どちらが信用にあたいするのか。数式やテクノロジーは可能なのか、愛は可能なのか、ということになるのだろう。</div><div><br><br>数学博士であり理性の塊として描かれていたブランド博士が、愛は観察可能な力なのよ、と言うシーンは、初めて見たときも２回目に観たときもじっとしてしまった。古橋さんの言葉を思い出したからだ。映画の中ではそれが可能であったけど、現実世界の中で可能なのかは分からない。でも、わたしは、生きることにがっかりしない、って思う。</div><div><br>世界はあんぱんだ。と、ある人が言いました。あんぱんは窮屈だとも言いました。<br>あんぱんのあんがふわふわのパンにくるまれてしまった窮屈なもの、または窮屈な思いをしているものだとしても、あんの中にも窓はある、風を吹かせることはできるのだ、と。<br><br>途端にナイーブになるから、わたしは何も言いたくない。わたしは何も分からない。</div><div><br><br>インターステラーを観て、古橋さんの言葉を思い出した。</div><div><br>LOVE POLY-TICS<br>愛は情報に還元できるのか。<br>愛は身体に還元できるのか。<br>情報と身体の間には未だ越えることのでいない次元のズレがある。<br>その間には欲望というものに明確なメカニズムを与えられないでいる人間の本質が見え隠れする。　<br>出会いに対する欲求は元来アブストラクトで偶発的である。そこにシステマティックな合理性を与えようとするのが情報資本主義の不可能な挑戦であった。<br>そこにはテクノロジーの進歩と普及が大きく関与している。<br>そして世界はINFO-RICHとINFO-POORに分割されていく。我々はテンキーにより世界をコントロールできるような幻想を与えられているが実は既に与えられた世界をテンキーによって選んでいるだけなのだ。限りない組み合わせを選択、実行し続けることが現代人に残されている“欲望”という化け物を手なずける唯一の方法なのかもしれない。<br>与えられた欲望のチョイスの集積、欲望のカタログ<br>なんでも可能なようで、何も可能でない我々のユートピア<br><br>愛はこのマキシマムな情報交換を越えたところで行われる厳格なコミュニケーションの方法である。そして愛の名のもとにあらゆる情報も、身体さえも捨てることを人間に可能にさせる。愛は誘惑の絶えまない連続にあり、相手の欲望をきわめて下品なレベルで引き出す欲情のパルスのデザイン作業である。テクノロジーは唯一このデザインという作業にのみ関わることのできる有能なツールである。<br>パルスの発信機には未だになれないのである。<br>シミュレーションとリアルの間に横たわるこのほんの僅かなようで膨大な壁は身体の不可逆性があらゆる欲情にストップをかけるこのより厳格な身体のメカニズムの存在である。この些細なメカニズムによってあらゆるネクスト・エイジの野望は打ち砕かれる。そこを越えるために既に愛という時代遅れの貧相な言葉しか残されていない。あるいは情報交換というメカニズムのベースを捨て去ったところで成立しているいまだ見ぬ新種のテクノロジーを発明しなければならない。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div></div></div>
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<pubDate>Mon, 19 Jan 2015 15:12:09 +0900</pubDate>
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<title>ラララのピピピ</title>
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<![CDATA[ <div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br>人生ってすばらしい、そう肩を組みながら軽やかに歌う女の子たちがいる。<br><br>I WISHというモーニング娘。の歌だけど、これは、アイドルにしか歌えない歌だと思う。もっと本当のことを言うと、アイドルしか歌っちゃいけない歌だと、わたしはそう思う。（アイドルでなかったら最低だよ。絶望しちゃう。人生ってすばらしいなんて、そんなことわたしは誰にも言われたくない。）</div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br>ある人にそれを言うと、だからアイドルが好きなんでしょう？と言われました。<br>その通りだ。だからわたしはアイドルが好きで、モーニング娘。が好きなのです。<br><br>それが何を意味するのかを考えることは、今は置いておいおく……のではなく、考えることを放棄しちゃう。</div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;">ああ、そういえばわたしはももクロのライブ映像を見ることできなかったな。見ると発狂したくて堪らなくなった。鬱になりそうな気分になった。ももクロはすごく好きだったのに。自分のアイドルを好きな理由を紐解くために必要な気がするので、また考えよう。</div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;">切実なことです。</div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;">「かわいいは正義だ」とはよく言ったものですが、「足りないものはたくさんあるの。かわいくたってあるのよ～」と黒髪ロングのさゆが歌ったのを見たときに、さゆこそが正義だと思ってしまったのでし<font face="Helvetica"><span style="font-size: 16px;">た。</span></font></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><font face="Helvetica"><span style="font-size: 16px;"><br></span></font></div><div style="font-family: UICTFontTextStyleBody; font-size: 15px; -webkit-text-size-adjust: auto;"><font face="Helvetica"><span style="font-size: 16px;"><br></span></font></div>
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<link>https://ameblo.jp/aaaym0425/entry-11977686714.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2015 23:29:21 +0900</pubDate>
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<title>さゆがモーニング娘。を卒業した</title>
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<![CDATA[ <br><br>気持ちは冷めないうに書いた方がいいって言うけど、今になってしまった。<br>映画館に向かうバスの中から書いてた。その時も、今も、多分あまり変わってないと思う。<br><br><br>ずいぶん前に、モーニング娘。を好きになりました。正確に言うと、道重さゆみが好きなモーニング娘。を好きになった。またその中でまーちゃんのことを好きになったりした。いつでも道重さゆみというフィルターを通してモーニング娘。を見ていたわけではないけれど、でも、モーニング娘。が好きだと思う気持ちには、道重さゆみというフィルターが常に一枚あるのだと思う。さゆ無しにモーニング娘。を語ることが、わたしにはできない。<br><br>きっかけはさゆのブログでした。暇を持て余して覗いたさゆのブログで、写メのさゆのかわいさに驚いた。この際、自分の好みとか好きな顔立ちとか、そんなことはどうだってよくなるくらいにさゆは完璧にかわいった。見つけたという焦燥感すらない。わたしは写メだけで、さゆのことを好きにならずにはいられなかった。こんなことは初めてだった。ドキドキして、さゆの可愛さに感動した。感動したのは、さゆの佇まいに対してだと思う。なぜなら、ここまで完璧なかわいさ、それもきっと作られた（意識した）かわいさを持続しているとは一体どんな精神を持った人なのかと、わたしのさゆへの興味はそこから始まったからだ。それから遡ってさゆのブログを見てた。さゆはいつも自分で完成させた世界の中にいた。これがアイドルなのか、とはその時は思わなかった。<br><br><br>さゆは、変に心を鼓舞したり波立たせたりするブログを書いたりしない。そういうトークをしたりしない。だからさゆへの妄想は膨らむに膨らむし、自由に解釈させてくれるさゆの佇まいにはいつも安心する。<br>さゆみのことを好きなみんなが好きだと言うさゆのそれに感服する。損得勘定をわきまえているかどうかは分からないけれど、これはものすごい契約であり取り引きだと思う。それでも最終的に、さゆみのことを見つけてくれてありがとうだとか、さゆみのことを好きなみんなが好きだと言うさゆは本当に女神さまみたいだと思う。<br><br><br>わたしの好きな道重は、今日も黒髪ロングでかわいいなあ。と、毎日ブログを見て思っていた。さゆは一日２回くらいブログを更新してくれるから、わたしは毎日５回は確認していた。ブログ更新されてるかなあって、それが日課になってた。さゆが今日もかわいくてわたしは幸せ。<br><br><br>さゆが卒業するまで、実はいつも道重と呼んでいた。さゆって呼んだことは数えるほどしかなかった。名字で呼んでいたのは単に、ミチシゲという響きが好きだったからだと思う。後輩がさゆを呼ぶときの「ミチ(ニ)シゲさ～ん」には安心感があるような気がしていた。それも好きだった。でも卒業ライブが終わってからは、ミチシゲよりもさゆと呼びたくなった。<br>ファンのことを変な人たちと呼びつけたさゆの顔はなんだか嬉しそうで満足げに見えた。<br>さゆが娘。を卒業した今、さゆのことをアイドルとしてめちゃくちゃ愛でたい。今までは、他の娘。メンバーと同じようにさゆのことを慕いたかったのだと思った。でも今はただただ愛でたい。さゆがいっちばんかわいい。<br>けれど、さゆは徹底的に与える側の人間で、準備を怠らない人で、わたしはさゆのことを尊敬せずにはいらなれない。そういう意味で、さゆはわたしの手に負えない位置にいる。さゆに対して敬虔な気持ちを抱きます。これから、敬虔な態度を忘れないように気を遣いながらさゆのことをアイドルとしても愛でるという技術を身につけようと思いました。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aaaym0425/entry-11976309999.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Jan 2015 16:12:18 +0900</pubDate>
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