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<title>あびこかずひろの取材日記</title>
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<description>テレビ番組演出家NPO法人テレビくん代表取材にもとずいたリポート、及び、取材から掘り下げた情報をまとめます。太平洋戦争の取材については、WEBサイト「みんなの戦争証言アーカイブス」にてインタビュー映像をノーカット公開http://true-stories.jp</description>
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<title>真珠湾攻撃の国民のリアクションからみえる現代の選択肢</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><font color="#0000FF">ト書き：驚きと興奮がないまぜになった感じで</font><br><font color="#FF0000">セリフ：「ついにやったか！」</font><br>　　　　　　<br><font color="#0000FF">ト書き：感情を押し殺し小さくつぶやくように</font><br><font color="#FF0000">セリフ：「やったか」</font><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br><font color="#0000FF">ト書き：驚きを隠せない感じで</font><br><font color="#FF0000">セリフ：「まさかアメリカと！？」</font><br>　　　　　　　　　　　<br><font color="#0000FF">ト書き：不安げ、少し涙目で</font><br><font color="#FF0000">セリフ：「これから先どうなるんだろう？」</font><br>　　　　　　　　　<br> 　　　<br>これらは、戦争証言インタビューでお聞きした<br><strong>昭和１６年１２月８日真珠湾攻撃の一報</strong>を<br>ラジオで聞いたときのリアクションの一例である。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>日清戦争・日露戦争と勝利し、領土も拡大。<br>満州国も建国した。<br>そしてアジアで植民地となっていない国はタイと日本の２国。<br>という当時の状況において、<br> 　　　 　　　　　　　　　　　　　<br><font color="#FF0000">「アジアの植民地を解放するんだ」という気概や<br> 　　　　<br>「今度の戦争も勝てる」という驕り。</font><br>　　　　　　　　　<br>そして学校でも習い、映画でも見聞き知っていた<br>物量大国というアメリカに宣戦布告し、<br><font color="#0000FF">「さすがにアメリカには勝てないよ…」という悲観。</font><br>　　　　　　　　　　　　　　　<br>これらが、それぞれが置かれた立場、<br>小さい頃から受けてきた教育などにより<br>感情の違いを生んだのだが、　　　　　<br>この時の日本社会の正しい空気感は<br>もう知ることはできない。<br>　　　　　　　　　　　　　　<br>しかし、まるで１００年前のような帝国主義、<br>自国優先主義の世界に戻っている現代に当てはめると<br>見えてくる共通点がある。<br> 　　　　　　　　　　<br> 　　　　　　　　　　<br><strong>それは、先の見えない将来への期待と不安。<br>　　　　　　　　　　<br><font color="#FF0000">まさか、日本はダメにならないでしょう！</font><br><font color="#0000FF">もしか、日本はダメになってしまうかも…</font></strong><br>　　　　　　　　　<br> 　　　　　　　　<br>２０１６年現在。<br>　　　　　　　<br>隣国、中国は力による領土拡大政策をとり<br>北朝鮮は核ミサイル開発に全力を挙げ、<br> 　　　　　　　　　　　<br>「国境線をなくせば平和が訪れる」とできたEUは<br>イギリスの国民投票によって、<br>”そうではなかったかもしれない”ことを浮き彫りにし、<br> 　　　　　　　　<br>アメリカでは、<br>次期大統領候補が日本への核軍備を促す発言をする。<br>　　　　<br>こんなとても世界平和とはかけ離れた世界において<br> 　　　　<br>果たして、 　　　　<br>５年後、１０年後、２０年後…<br>日本が日本であるためにどうしなければならないのか？<br> 　 　　　　　　　　　　　　<br>それは日本が「国民主権」の国であることを自覚し、<br>国民一人一人が、自分で知識を得て考えを持ち、<br>将来を選択していくことである。<br> 　　<br><strong>他人の意見に流されず<br>報道に流されず<br>感情に流されず 　　　　　<br><br>迷いながらでもいいから、<br>少なくとも自分自身は納得させる考えを持つこと。</strong><br> 　　 　　<br><br><strong>７１年前の日本から見いだせる反省点は、<br>「リアリスト」になることである。</strong><br> 　　　 　 　　　　　　<br>「根拠のない期待」や「抑制なき感情」に<br>振り回されないようにすることが大事なのだ。<br>　　　<br><br>なぜなら「国民主権」は、<br>強大な武器であるがゆえに暴走する危険を<br>大きくはらんでいるものであるからである。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>今では最も尊い政治手法のように<br>位置づけられている「民主主義」は、<br>実はそうではないことを<br>頭の片隅においておかなければならないのだ。<br>　　　　　　　<br>　　<br>今回のイギリスの国民投票のように<br>”感情VS現実主義”の戦いの結果が、<br>　　　　　　　　　　<br>果たして、<br>”正しかったのか？”　”間違ったのか？”<br>　　　<br>それは今の時点では判断できないが<br>ただ一つ言えることは、<br>　　　　　<br><font color="#0000FF"><strong>感情が勝ってしまったが故に<br>間違った未来を選択してしまう</strong></font><br>　　　　<br>ことである。</font>
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<pubDate>Tue, 28 Jun 2016 12:17:12 +0900</pubDate>
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<title>植松乾さん（８９）にインタビュー</title>
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<![CDATA[ <font size="4">本日は、植松乾さん（８９）にインタビュー。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/8e/b8/j/o0800080013682156401.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/8e/b8/j/t02200220_0800080013682156401.jpg" alt="植松乾さん" border="0"></a><br>　 　　　　　　　　　　　<br>昭和２０年３月、１８歳。<br>沖縄の南西諸島航空隊で通信兵をしていた植松さんは、<br>特攻隊が突撃する際に発するモールス信号を受信し<br>上官に報告する任務に就いていた。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>モースル信号は、ツートントン…などのように、<br>ツーとトンで言葉を表すのだが、<br>　　　　　　　　　　　<br>特攻隊が突撃する時は、ツーーーーーーーーと、<br>ずっと発信器を押しっぱなしにする。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　<br>それが途切れたときは、即ち<br>　　　<br><font color="#0000FF">敵艦への特攻が成功したときか、<br>　　　<br>そこまで達する前に敵弾に撃墜されたか、<br>　　　　<br>海面に激突したかのいずれか。<br>　　　 　　　　 　　　　　　　　<br>パイロットの命が尽きた瞬間なのだ。</font><br>　　　　　　　　　　<br>はじめは、「特攻成功」と喜んでいたが、<br>次第に戦死するパイロットのことに感情を奪われ<br>ツーーーーーーーーを受信することが<br>心苦しくなっていったという。<br>　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>その後、米軍の沖縄本土への艦砲射撃で負傷した植松さんは、<br>佐賀県嬉野市の海軍病院に入院。<br>　　　　　　　　　　<br><font color="#FF0000"><strong>８月９日長崎に原爆投下</strong>。</font><br>　　　　　　　　　　　　<br>爆心地から３０kmしか離れていなかった植松さんは、<br>ピカっと光り、その後にドーンと大きな音が鳴り、<br>みるみるうちに真っ黒いキノコ雲ができあがる様を目撃する。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/1e/d5/j/o0773102413682156402.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/1e/d5/j/t02200291_0773102413682156402.jpg" alt="長崎キノコ雲" border="0"></a>　　　　 　　　　　　　　　　<br>病院に次々と運ばれてくる被災者たちは、<br>両目が垂れ下がっている者、<br>肌がドロドロに溶けているもの、<br>とても正視できる様子ではなかったという。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/ce/87/j/o0240032013682156400.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/ce/87/j/t02200293_0240032013682156400.jpg" alt="被爆者" border="0"></a><br>（長崎被爆者）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/e9/aa/j/o0771053613682156403.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160626/08/abiko0310/e9/aa/j/t02200153_0771053613682156403.jpg" alt="被爆再現人形" border="0"></a><br>（被爆再現人形）　　 　　　　<br>　　　　　　　　　　　　<br>学校で教鞭をとられていただけに、<br>そのお話はとてもわかりやすく、<br>原爆投下から１０日後の広島の様子なども資料を交えお話してくれました。　　<br>　　　　　　　<br>　　 　　　　　<br>このインタビューノーカット版は、<br>極力早く<br>Webサイト<font color="#FF0000"><strong><a href="http://true-stories.jp" target="_blank"><font color="#FF0000">「みんなの戦争証言アーカイブス<br>http://true-stories.jp」</font></a></strong></font>で公開できるよう作業を進めて参ります。<br>　　　　　　　　　<br>安彦和弘</font><br><br>
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<pubDate>Sun, 26 Jun 2016 08:44:59 +0900</pubDate>
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<title>渡邉五郎三郎さん戦争証言 「とにかくアジアを欧米列強から解放したくてね 少年兵に志願しました」</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><strong>渡邉五郎三郎さん（９７）<br>戦争証言ノーカット版公開しました。</strong><br><a href="http://true-stories.jp" target="_blank"><font color="#FF0000"><strong>みんなの戦争証言アーカイブス</strong></font><br>http://true-stories.jp</a><br>　　　<br>４月の終わり、ゴールデンウイーク直前。<br>春光うららかな季節と言いたいところだが、<br>もう夏の暑さを予感させる日差しの強い日。<br>ご自宅に我々を招き入れてくれた娘さんに促されリビングに入ると、<br>渡邉五郎三郎さんが一人掛けソファーに座って出迎えてくれた。<br>とても戦争を経験され予備士官学校では厳しい教官で名を馳せていたとは思えない柔和な笑顔に少しだけ緊張がほどけた。<br>　　　　　　　　　　　<br>渡邉五郎三郎さんは、戦後復興に尽力された方である。<br>その源となった大きなきっかけが２つ。<br>　　　<br>まずは幼少期の世界情勢における日本。<br>とりわけ、アジアやアフリカの小国が<br>軒並み欧米列強の支配下におかれ、<br>植民地となっていない国は、<br>アジアでは日本とタイだけという状況。<br>　　　<br>このとき渡邉少年は<font color="#0000FF"><strong>「日本をまもらなければならない」</strong></font>という<br>強い思いから自ら兵役に志願した。<br>　　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/96/a0/j/o0800057613673979429.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/96/a0/j/t02200158_0800057613673979429.jpg" alt="昭和19予備士官学校入校式" border="0"></a><br>昭和19年 豊橋第一陸軍予備士官学校入校式<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/44/f5/j/o0800062113673979428.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/44/f5/j/t02200171_0800062113673979428.jpg" alt="昭和19婚礼" border="0"></a><br>昭和19年 婚礼<br>　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/5f/ec/j/o0800061013673976479.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/5f/ec/j/t02200168_0800061013673976479.jpg" alt="昭和13年熱河省" width="220" height="167" border="0"></a><br>昭和12年 熱河省（現 河北省）<br><br>　　　　　　　　　　　　　<br>そして、所属していた歩兵第78連隊が南方に派兵されるときに、<br>渡邉さんには、日本に戻り<br>”豊橋第一陸軍予備士官学校”の教官になるよう<br>命令がくだされ、仲間とは道を分つことになる。<br>　　　<br>この後、歩兵第78連隊には、戦局厳しい戦場で<br>激しい米軍の攻撃を受け、<br>5000人のうち生還できたのは200人という<br>壮絶な運命が待ち受ける。<br>　　　<br>まさに運命の分かれ道となった このできごとが<br>渡邉さんの心を苦しめ、<br>戦死した多くの仲間に対し、<br><font color="#0000FF"><strong>「生きながらえたこの命を私欲ではなく日本の復興に使う」</strong></font>と<br>心に決めたという。<br>　　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/98/a7/j/o0800056913673979427.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/98/a7/j/t02200156_0800056913673979427.jpg" alt="陸軍時代" border="0"></a><br>陸軍時代<br>　　 <br>これらのことから、渡邉さんは戦後、<br>青年海外協力隊や日本健青会の創設など、<br>武力によらない世界平和実現のために奔走してきた。<br>　　　<br>今回、渡邉さんには、戦前から戦後復興のお話し。<br>そして中曽根元首相に「日本最後の国士」と言わしめる<br>末次一郎さんのお話もしていただいた。<br>　　　<br>末次一郎さんは、陸軍中野学校の出身で、<br>戦後、帰国したシベリア抑留者のお世話し、<br>渡邉さんとともに青年海外協力隊を創設。<br>　　　<br>また沖縄返還、北方領土返還に力を注ぐなど、<br>今の日本を作る大きな原動力となった方である。<br>　　　<br>ご本人は決してメディアに出ることや<br>有名になることを望まなかったことから、<br>日本国民にはあまり知られていないが、<br>歴代政権のご意見番であり、<br>民間人としてアメリカ、ロシアと交渉した、<br>戦後日本の歴史に欠かせない重要人物である。<br>　　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/b2/7b/j/o0800092913673976480.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/b2/7b/j/t02200255_0800092913673976480.jpg" alt="昭和26年末次一郎さん" width="220" height="255" border="0"></a><br>昭和26年 末次一郎氏<br>　　　　<br>　　<br>97歳の今でも<br><font color="#0000FF"><strong>「万世のために太平を開く。道義世界を作る、これが目標です」</strong></font>との<br>渡邉さんの言葉に姿勢を正さずにはいられない。<br>是非ご覧になってください。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/53/20/p/o0655037213673981295.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160616/09/abiko0310/53/20/p/t02200125_0655037213673981295.png" alt="渡邉五郎三郎さん97歳" border="0"></a><br><br><br><a href="http://true-stories.jp" target="_blank"><strong><font color="#0000FF">みんなの戦争証言アーカイブス</font></strong><br>http://true-stories.jp</a><br>
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<pubDate>Thu, 16 Jun 2016 09:13:32 +0900</pubDate>
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<title>元特攻隊 伊藤仁さん戦争証言</title>
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<![CDATA[ <font size="3">本日は東北岩手県で取材。<br>　　　　　　　　  <br><font color="#0000FF"><strong>「永遠の０の、オカジュンのような人もいたかもしれないけど、そうじゃない人もいたんだよ」</strong></font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/cc/9e/p/o0679042713666436082.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/cc/9e/p/t02200138_0679042713666436082.png" alt="永遠の0" border="0"></a><br><br>　　　　　　　　　   　　　　　　<br>と、切り出した伊藤仁さん（８９）は、<br>１６歳で志願し予科練１３期入隊。<br>大井海軍航空隊所属 元特攻隊員。 <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/4f/30/j/o0800106713666437760.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/4f/30/j/t02200293_0800106713666437760.jpg" alt="予科練伊藤さん" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/26/ef/j/o0800060013666437761.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/26/ef/j/t02200165_0800060013666437761.jpg" alt="予科練２伊藤さん" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/40/05/j/o0800106713666436083.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/40/05/j/t02200293_0800106713666436083.jpg" alt="伊藤さん" border="0"></a><br>　　　　　　　　   <br><font color="#0000FF"><strong>「特攻前夜、酒に酔い、<br>気が狂ったようにあたりかまわず長い棒で叩きまくり、<br>お母さんー！と叫んでいた先輩の姿をみて、俺もこうなるだろうなと思った」<br>　　 　 　　　　　　　　　　　　　<br>「とてもオカジュンのような人ばかりじゃなかったよ」</strong></font><br>　　　　<br>と伊藤さんは話す。<br>　　　　　　<br>「お母さんー！」と暴れていた１期上のその先輩は<br>翌日突撃していったという。<br>　 　　 　　　　 　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　<br>続けて伊藤さんは、 　<br><font color="#0000FF"><strong>「戦争は人を人じゃないものに変えるんです」</strong></font><br>と、ご自身のお話しをされた。　　　　　　　　　　<br>　　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>終戦の年 昭和２０年—。<br>　　　　　　　　<br>伊藤さんが特攻機として搭乗する予定だった機体は、「白菊」という練習機だった。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/a5/50/j/o0300020613666436081.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/a5/50/j/t02200151_0300020613666436081.jpg" alt="白菊" border="0"></a><br>　 　　　　　　　　　　　　　　　　<br>この頃、米軍にやられほとんど姿を消した零戦に代わり、海軍は練習機までかりだし特攻作戦を行っていた。<br>　　　　　　　　　　　　　　<br>元々偵察機の搭乗員だった伊藤さんは、複座式の「白菊」の後部座席に搭乗することになっていたのだが、<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/33/c7/j/o0800106713666437762.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160607/08/abiko0310/33/c7/j/t02200293_0800106713666437762.jpg" alt="特攻隊伊藤さん" border="0"></a><br>　　　　　<br>上官から…<br>　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br><font color="#FF0000"><strong>「操縦士が、敵艦隊に狙いを定め、ヨーソローと言ったら後ろから操縦士を撃て」</strong><font color="#000000">と命令され、言葉が出なかったという。</font><br>　　　　　　　　　　　　<br><font color="#000000">どういうことか？<br>　　　　　　　　　<br>特攻機を敵の艦隊に狙いを定めたならば、操縦士が直前で怖じ気づき操縦桿を引いてしまうことなどないよう、後ろから銃で殺し特攻を完遂せよ、という命令なのだ。<br>　　 　　　　　　　　　　<br>操縦するのは同期の操縦士。</font><br>　　　 　　　　　　　　<br><font color="#0000FF"><strong>「撃てるわけがない」</strong></font><br>　　　 <br><font color="#000000">と、伊藤さんは唖然としたという。　　<br>　　　　　　　　<br>誤解のないよう付け加えるが、この命令を下した上官は、特別に過激な人格の持ち主で、部下からもそうとう嫌われ、他の班ではそのようなことはなかったという。<br>　　<br>そして伊藤さんは</font><br><font color="#0000FF"><strong>「戦争だけはやってはいけない」</strong></font><font color="#000000">と、<br>取材中、何度も繰り返した。 　　　<br>　 　 　　　　　　 　　　　　<br>このようにして延べ５時間にも渡り話してくれた伊藤さんに感謝。<br>　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>今日のお話で感じたことは、大東亜（太平洋）戦争は、「かわいそう」とか「特攻が美しい」とか、「誰の責任」とか「これが原因」とか、簡単に言い切れるものではなく、様々な思いが巻き込まれた人の数だけ幾重にも積みかさなり、人間臭い感情が、「戦争」に安易に結びついたり、反対に「戦争」を止めることもできるんだという、恐怖と安心感の２つ。　　<br>　　<br>そして！<br>色町だった宮城県塩竈市尾島町の話。<br>幼少期を過ごした、昭和初期の色町の話はとてもおもしろく、<br>これだけで１時間を費やしたほど！<br>　　　　　　　　　　　　　　<br>他にも、様々なお話をしてくれた伊藤仁さんの戦争証言は、書き起こしや、Webサイト公開までのいくつかの作業手順を踏まえ、極力早くノーカット公開いたします。<br>　　　　　　　　　　　</font><br><a href="http://true-stories.jp" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">みんなの戦争証言アーカイブス</font></strong></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/03/96/j/o0800080013460472836.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/03/96/j/t02200220_0800080013460472836.jpg" alt="ロゴ" border="0"></a><br><br>　　　　<br><font color="#000000">それにしても、89歳の伊藤さんの口から「オカジュン オカジュン」と何度も発せられたのは新鮮で微笑ましかった！<br>　　　<br>安彦和弘</font></font><br><br><br></font>
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<pubDate>Tue, 07 Jun 2016 08:46:58 +0900</pubDate>
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<title>シベリアの抑留されていた與田純次さん戦争証言</title>
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<![CDATA[ <font size="4">與田純次さん（91）に貴重なお話をうかがいました。<br>　　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/97/14/j/o0800060013582700676.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/97/14/j/t02200165_0800060013582700676.jpg" alt="集合写真" border="0"></a><br>　　　　　　<br>列強に侵略されまいとアジアに進出する<br>日本国のために<font color="#0000FF"><strong>「軍隊に入りたい」</strong></font>と、<br>幼少期から考えてたという純次さんは、<br>　　　　　　　　 　　　　　　<br>白兵戦に備え鍛錬を積み、<br>剣道二段、銃剣道初段の段位を取得。<br>　　　　<br>中学時代には、川原の石を手榴弾に見立てて<br>同じような重さの石を遠くへ投げる練習を<br>繰り返していたという。<br>　 　　　　　　　　<br>そんな思いは、純次さんだけだったわけではなく<br>当時の男の子は、義務のようにお国のために戦うと<br>当然のように思っていたという。<br>　　　<br>　　　　　　　　　<br><font color="#0000FF">１７歳。</font><br><font color="#FF0000">高等中学を卒業し、大日本帝国上海大使館に勤務。</font><br>　　　　　　　　<br><font color="#0000FF">昭和２０年１９歳。</font><br><font color="#FF0000">繰り上げ徴兵検査に合格し、陸軍満洲独立工兵隊に入隊。</font><br>　 　　　　　　　　　<br>主に満洲とソ連の国境に陣地構築に任務にあたる。 　 　<br>　　　　　　　<br>　　　　<br><font color="#0000FF">昭和２０年８月９日 　</font>　<br><font color="#FF0000">日ソ不可侵条約を破り、ソ連軍が国境を破り侵攻。</font><br>軍隊に入り初めての交戦。<br>　　<br>手持ちの爆弾がソ連軍の戦車には全く効かず敗走。<br>　　<br>３０人となった部隊で、食料も尽きカタツムリを食べながら<br>約１０日間逃げのびる。<br>　　　　　<br>その後、終戦を迎えソ連軍の捕虜となり<br>シベリアへ抑留。<br>　　　　　<br>冬にはマイナス４０度まで下がる環境の中、<br>強制労働に従事。<br>　　　　　<br>凍死や栄養失調で戦友が多くの亡くなるも、<br>純次さんは３年後日本に帰国。<br>　 　　　　　　　<br>１０年以上も抑留された人もいる中、<br>３年で帰国できたのは幸運だたっという。<br>　　　　　　<br>ソ連ナホトカから、船で舞鶴に降り立つも<br>耐寒に優れたソ連製のコート、ブーツの出で立ちは<br>奇異な目でみられ、出迎えもおらず<br><font color="#0000FF">「ご苦労様」</font>の言葉もかけられず<br>非常にやるせない思いをしたという。<br>　　　　　<br>写真のトランプは、紙も筆もない抑留中に<br>白樺の木の皮で作ったもの。<br>　　<br>唯一といっていい、日本人捕虜たち娯楽となった。<br>　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/73/d7/j/o0800060013582700517.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/73/d7/j/t02200165_0800060013582700517.jpg" alt="トランプ３" border="0"></a><br>　　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/d0/97/j/o0800060013582700516.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/d0/97/j/t02200165_0800060013582700516.jpg" alt="トランプ１" border="0"></a>　　<br><br><br>　　　　　 　　　　　　　　　<br>ジョーカーは、<br>決して笑顔を見せない収容所の所長を描いたという。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/4a/b8/j/o0800060013582700518.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/4a/b8/j/t02200165_0800060013582700518.jpg" alt="トランプ２" border="0"></a><br>　　　　　　<br>　　　　　<br>さらに、７０年経っても体が覚えていると見せてくれた<br>脚絆（ゲートル）を巻く手の動きに迷いはなかった。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/61/97/j/o0800060013582700515.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/61/97/j/t02200165_0800060013582700515.jpg" alt="脚絆１" border="0"></a><br>　　<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/63/ed/j/o0800060013582700519.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160303/14/abiko0310/63/ed/j/t02200165_0800060013582700519.jpg" alt="脚絆２" border="0"></a><br>　　　　<br>　　　　　 　　<br>太平洋戦争中の中華民国、満洲の様子。<br>シベリア抑留のお話は、<br>　　　　<br>WEBサイト<br><a href="http://true-stories.jp" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">みんなの戦争証言アーカイブス</font></strong></a>で<br>近日公開いたします。<br>true-stories.jp<br><br></font><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 03 Mar 2016 14:36:20 +0900</pubDate>
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<title>女優・小山明子さん戦争証言</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><strong><font color="#0000FF">【女優・小山明子さんの戦争証言を公開しました】</font></strong><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160219/11/abiko0310/a3/a1/j/o0800032013571203440.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160219/11/abiko0310/a3/a1/j/t02200088_0800032013571203440.jpg" alt="表紙" border="0"></a><br><br><a href="http://true-stories.jp/?p=947" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">みんなの戦争証言アーカイブス 小山明子</font></strong></a><br>　　　　<br>大島渚監督とご結婚されたことでも有名な<br>　　　<br>女優・小山明子さんは、昭和１０年（１９３５）千葉県に生まれ<br>　　　　　<br>　　　<br><br>小山さんは6歳のとき開戦、<br>　　　<br>10歳で終戦をむかえます。<br>　　　　　　　　　<br>　　<br>その間の１年以上も親元から離れた疎開生活や、<br>　　　<br>目の当たりにしたB29の編隊から爆弾が落とされる様子など<br>　　　<br>戦争の印象は、幼心に刻み込まれました。<br>　　　　　 　　　　　　　　　　<br>　　　　　　<br>お話の中でも印象的だったのは、　<br>　　　<br>玉音放送後の母親の態度に対し湧き上がったという感情。<br>　　　　　　　<br>戦争中は、<br><font color="#0000FF">『子どもたちはみんな軍人にする』</font>と<br>言っていた母が、<br><br>手のひらを返したように　　<br><font color="#0000FF">『戦争が終わってよかった。戦争にいかせずに済んだ』</font><br>と言うのを聞いて、<br>　　　　　　<br><strong><font color="#FF0000">『お母さんはウソツキだ』</font>と思ったそうです。</strong><br>　　　　　　　　　<br>　　　　　<br>お母さんの気持は親として当然。<br>　　　　<br>しかし10歳の女の子がそう感じたことは事実。<br>　　　　<br>つまり、それほど国民が無理をしていたということです。<br>　　　　　　　<br>　　　<br>その他にも、<br><font color="#0000FF"><strong>「勘違いから九死に一生を得たお父さんのエピソード」<br>　　　<br>「家が空襲で全焼するも、<br>　その火でカマドのお米が炊きあがっていたお話」<br>　　　　　<br>「都会っ子といじめられるところから始まった、<br>　大阪での疎開生活のお話」</strong></font><br>　　　　<br>など、興味溢れるお話ばかりです！<br>　　　<br>　　　　　　　　<br><font size="5"><strong>子どもからみた戦争。</strong></font><br>　　　<br>この視点でこのインタビューをご覧になってください。<br><br><a href="http://true-stories.jp/?p=947" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">女優・小山明子さん戦争証言</font></strong></a>　　<br><br></font><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160219/11/abiko0310/e5/36/j/o0691100013571203439.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160219/11/abiko0310/e5/36/j/t02200318_0691100013571203439.jpg" alt="小山明子さん" border="0"></a>
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<pubDate>Fri, 19 Feb 2016 11:27:46 +0900</pubDate>
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<title>末次一郎先生胸像清掃・懇親会にて我那覇真子さんと初対面</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><strong><font color="#FF0000">【沖縄で我那覇真子さんとお話するチャンスがありました】</font></strong><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>我那覇真子さんは…　　<br>　　　　　　<br>翁長知事が国連で行った<br>　　<br><font color="#0000FF">「沖縄県民は日米両政府から米軍基地を押し付けられて差別を受けている」<br>　　　　<br>「その差別は、沖縄県民の自決権を侵害している」<br>　　　<br>「日本政府は沖縄に対しては民主主義も人権も平等も与えていない」</font><br>　　　<br>という趣旨の演説に対し、<br>　　　　　　　　<br>沖縄県出身・在住の県民として同じく国連で演説。<br>　　　　　　　<br><font color="#FF0000">「翁長知事の演説は沖縄県民の総意ではない」<br>　　　　<br>「沖縄の安全を守るために米軍基地は必要である」</font><br>　　　　<br>と反論した２７歳の女性です。<br>　　　<br>　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　<br>翁長知事は<font color="#0000FF">「オール沖縄」</font>という言葉を使い、<br>メディアもそのまま報道しますが、<br>「オール」という言い方は間違っています。<br>　　　 　　　　　　　　　 　　　　　　　　<br>まず、先の知事選の得票数をみても、<br>　　　　　　<br><font color="#0000FF">辺野古移転「反対」</font>の翁長知事３６万票。<br>　　　<br><font color="#FF0000">辺野古移転「賛成」</font>の候補者らの得票総数３３万票。<br>　　　　　　　<br>と、拮抗しており、「オール沖縄」とは言えません。<br>　　 　　　　　<br>　　　　　　　<br>昨年、キャンプ・シュワブ前のテント村を取材した際も、<br>そこにいるほとんどは沖縄県民ではなく、<br>県外からの支援者でした。<br>　　　　　　　 　　　　　　<br>しかし、今の沖縄のメディアは、米軍基地反対の立場での報道がほとんどで、<br>　　　<br><font color="#0000FF">「米軍基地ある限りが沖縄は不幸」</font>という空気を作ってしまい、<br>　　<br>沖縄県民の声にフィルターがかけられた状態なのです。<br>　　　　　<br>今の沖縄では、米軍基地賛成を唱えることはとても勇気のいること。<br><br>　　　　　　 　　　　<br><strong>例えば、タクシーの運転手さんが話してくれた言葉がそれを物語っています。</strong><br>　　　　　　　　　<br><font color="#FF0000">「沖縄から米軍基地がなくなったら誰が守ってくれるの？<br>　　<br>経済はどうするの？普天間の危険を考えたら早く辺野古に移転しなきゃ。<br>　　<br>翁長さんに任せてたら不安でしょうがないよ。<br>　　<br>でも今の沖縄では、誰がどこで聞いてるかわからないから、<br>　　　<br>大きな声では言えないんだよね。<br>　　　　　<br>お客さんが東京の人だから言うんだけどさ」</font><br>　　　　　　　　　　<br>沖縄で自分の意見を発する我那覇さんの存在が<br>　　　　<br>いかに貴重かがわかります。<br>　　　　　　　<br>　　　　　　　<br>米軍基地に「反対」の意見も「賛成」の意見も、<br>　　　<br>両方を取り上げ議論をしなければ、<br>　　　　　<br>間違った反対運動が永遠に展開され、<br>　　　　　　<br>沖縄県民でない、違うどこか、違う誰かが利益を得るという<br>　　　　　　　　<br>それこそ哀しい現実が続いてしまいます。<br>　　　　　<br>　　　<br><strong>まずは、沖縄のメディアは偏った報道をやめて<br>　　　　　　　　　<br>事実を淡々と届けてほしいと思います。</strong><br>　　　<br>　　　　<br>余談ですが、それぞれの演説の動画を見ると、<br>　　<br>我那覇さんの英語の発音のキレイさがわかります。<br>　　<br>それもそのはずで、沖縄では英語の先生をしているんだそうです。<br>　　　　<br>しかも早稲田大学弁論部出身なので演説もうまいw　　<br>　　　<br>　　　<br>それにしてもこの写真はオッサンだなー（自己嫌悪）<br>　<br>そうか今年４５のオッサンか…　</font><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160216/10/abiko0310/6e/4a/j/o0800106713568620427.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160216/10/abiko0310/6e/4a/j/t02200293_0800106713568620427.jpg" alt="" border="0"></a><br>
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<pubDate>Tue, 16 Feb 2016 10:46:22 +0900</pubDate>
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<title>海外向け日本コンテンツチャンネル「WAKUWAKUJAPAN」納品完了</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><font color="#FF0000"></font><strong></strong><strong><font color="#0000FF">海外向け日本コンテンツチャンネル</font><br><font color="#FF0000"><a href="http://idn.wakuwakujapan.tv/ja/" target="_blank"><font color="#FF0000">『WAKUWAKU JAPAN』</font></a></font><font color="#0000FF">への納品完了。</font></strong><br>　　　　  <br>このチャンネルは日本では放送されず、<br>インドネシア、ミャンマー、シンガポールで放送される<br>日本紹介バラエティ番組チャンネルです。<br>　　　　  <br>今回は、<strong><font color="#FF0000">「アジアンジャッジ」</font></strong>という番組を制作。<br>　　　   <br>AAAが、日本に住むアジアの留学生７人を、<br>東京巡りツアーに招待し、観光スポットや、<br>オススメお土産、グルメなどが、「COO！！」かどうか<br>ジャッジしてきました！<br>　　 　　　  <br>それぞれのお国柄が出て、<br>日本人がみてもとてもおもしろい番組なりましたよ！<br>   　　　　<br>言葉はオール日本語ですが、<br>それぞれの国の言葉に、<br>字幕放送のようにテロップがついて放送されます！<br>   <br>海外に向けて、日本をどんどん紹介していきたい！<br>と、新たに自分の気持ちを再認識しました！<br>　　　　<br><a href="http://idn.wakuwakujapan.tv/ja/" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">「WAKUWAKUJAPAN」はこちら！</font></strong></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151227/12/abiko0310/0d/c4/j/o0800060013523430694.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151227/12/abiko0310/0d/c4/j/t02200165_0800060013523430694.jpg" alt="ワクワクジャパン" border="0"></a><br></font>
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<pubDate>Sun, 27 Dec 2015 12:08:27 +0900</pubDate>
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<title>不思議だらけの軽減税率</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><strong>【政治は一番人間臭いのかもしれない】</strong><br><br>消費税１０％に増税することを前提とした軽減税率ですが、<br>　<br>　　　　<br>消費税を１％上げると、約２兆円の税収入増なので、　<br>今回の８％→１０％で計算すると、約４兆円の税収増。<br>　　　　　　　　　　　　　　<br>そして、今回の軽減税率導入による減税は約１兆円なので、<br>上の４兆円から１挑円引くと、　<br>　　　　<br>増える税収額は、差し引き３兆円です。<br>　　　<br>うーん、どう考えても<br>３兆円と引き換えに失うのは景気は大きすぎる。<br>　　　<br>８％に上げた2014年の悪夢再来です。<br>　 　　　　　　　　<br><font color="#0000FF">政府の真意がどこにあるのかわからない。</font><br>　　　　　<br>一説には、軽減税率の線引は混乱を極めるから、<br>制度作成が間に合わず、消費税そのものを見直すための<br>策略だという声もあるが、<br>　　　　 　　　　 　<br><font color="#0000FF">そんな予想屋にすがるのも不安すぎる。<br>　　　　</font><br>　　　　　　　　<br>しかし、来年夏の参院選を見込んでの政治判断なわけで<br>国民が「おかしいだろ！」と、声を上げなければならない、<br>ということだけは間違いない。<br>　　　　 　　　　<br>　　　　　<br>それにもまして不思議なのは、<br>軽減税率を「庶民のため！」と言ってる<br><font color="#FF0000">公明党のみなさんだ。</font><br>どこまで本気なのだろう？<br>　　　<br>まぁ本気なんでしょうけど。<br>　　　　　<br>仮に、加工品までを含めた庶民の食費が<br>月３万円だったとして、減税額は６００円。<br>　　　　<br>６００円ですよ。<br>　　<br>もちろん減税されないよりは、された方がマシですが、<br>　　　<br>高額所得者が、高級デパートで高級食材を購入し、<br>月額５０万円使ったら、１万円の減税です。<br>　　　　　　<br><font color="#FF0000">低所得者のためのはずが、露骨に逆進性です。</font><br>　　　　　　<br>本当に庶民のためを思うなら、増税反対のはずですが…<br>　　　 　　　　　　<br>どこまで本気思っているのか？不思議ですね。<br>公明党の議員さんに直接聞こうと思います。 　　<br>　　　<br>そして、シレっと軽減税率に入ってる「新聞」。<br><font color="#FF0000">これは「あまり批判しないでくれよ」という<br>マスコミ対策なんでしょうか。<br>　　　　　</font><br><br>実に人間臭くて笑っちゃいますね。<br>　　　<br>安彦和弘</font>
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<pubDate>Thu, 17 Dec 2015 11:53:06 +0900</pubDate>
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<title>東京大空襲／石田アヤさん戦争証言</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><a href="http://true-stories.jp/?p=610" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">みんなの戦争証言アーカイブス</font></strong><br><strong><font color="#0000FF">東京大空襲／石田アヤさん戦争証言</font></strong><br></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/b0/e7/j/o0800032013473189143.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/b0/e7/j/t02200088_0800032013473189143.jpg" alt="石田さんTOP" border="0"></a><br><br>-空襲はどれぐらい続いたんですか？-<br>　　　<br>わかんないですね　<br>　<br>そんなに長い時間じゃないんでしょうかね。<br>　　<br>とにかく日は変わって10日にはなったんですよ。<br>　　　<br>０時は過ぎたんですよね。<br>　　　　<br>逃げ出して、夜が白々明けてきてから動き出しました。<br>　　　　<br>すると火がおさまったんで、<br>　　　<br>今度は寒くなっちゃって。<br>　　 　　　　　　　　<br>３月でも寒かったですよ。<br>　　　　　<br>それまでは、走って逃げて、近くで火が勢い良く燃えて、<br>　　<br>熱くって汗かいたりなんかしてんのに、<br>　　　<br>今度は寒くなっちゃってね。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/82/ee/j/o0282017913473189142.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/82/ee/j/t02200140_0282017913473189142.jpg" alt="東京大空襲" border="0"></a><br>　　　　　　　　　　<br>夜が明けて町の様子が見えてきたんですけどね、<br>　　　　　<br>もう真っ黒焦げで、どこにも高い建物が全然なくって<br>　　<br>今の東陽町の駅ありますね、<br>　　　　<br>あの向こうははずっと畑のうねみたいに　<br>　　　　<br>空襲で死んだ人を埋めてね　<br>　　　　　<br>何年間かあったんですよ。<br>　　　　<br>その後、掘り出して全部ご供養なさったそうだけど。<br>　　　　<br>東陽町の区役所の通りありますねコミュニティ通り。<br>　　　<br>あそこらへんまで埋まってたんじゃないでしょうか。<br>　　　　　<br>とにかく焼けて節々が取れちゃって<br>　　　　<br>持ち上げることができないでね、<br>　　　　<br>軍隊がきてスコップでね処理したそうです。<br>　　　<br>　　<br>そしてね私たちは実家に帰るために東京駅に向かったんですけど<br>　　　　　<br>あちこちに死体がころがってて<br>　　　　<br>その死体をよけながら歩きました。<br>　　　　　　　<br>永代通りには鉄塔が立ってたんですよ。<br>　　　　　<br>その鉄塔も飴のように熱でとけて下に落ちちゃってね<br>　　　　　<br>その鉄塔もねよけながら大変でした。<br>　　　　<br>歩いて帰るのに。<br>　　　　<br>（東京大空襲／石田アヤさん戦争証言）<br>　<br>　　<br>石田アヤさんの戦争証言は<br>　　　　<br><a href="http://true-stories.jp/?p=610" target="_blank"><strong><font color="#0000FF">みんなの戦争証言アーカイブス・インタビューノーカット版</font></strong></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/b0/e7/j/o0800032013473189143.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/abiko0310/b0/e7/j/t02200088_0800032013473189143.jpg" alt="石田さんTOP" border="0"></a><br><br>または、<br>　　　　<br><a href="http://www.amazon.co.jp/みんなの戦争証言-みんなの戦争証言アーカイブ…/…/4575309141" target="_blank"><strong><font color="#0000FF">書籍「みんなの戦争証言アーカイブス」</font></strong></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/f3/ec/j/o0800065113460474298.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/f3/ec/j/t02200179_0800065113460474298.jpg" alt="表紙" width="220" height="179" border="0"></a><br><br>　　<br>にて、ご覧になれます。<br>　　<br>ーーーーーーーーーーーーーーーー<br>　　<br>当プロジェクトでは、<br>戦争証言のお話をお聞かせいただける方の<br>ご紹介をお待ちしております。<br>　　　<br>わずかな情報でもいただきたく<br>何卒ご協力お願いいたします。<br>　　　　<br><a href="http://true-stories.jp/?page_id=2" target="_blank"><strong><font color="#FF0000">こちらまで。</font></strong></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/03/96/j/o0800080013460472836.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151021/07/abiko0310/03/96/j/t02200220_0800080013460472836.jpg" alt="ロゴ" width="220" height="220" border="0"></a></font>
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<pubDate>Tue, 03 Nov 2015 15:07:31 +0900</pubDate>
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