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<title>■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。</title>
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<description>モラハラ専門カウンセラーacnです。2025年11月1日『「くたばる喜びとっておけ」歪みと支配たちへの長いラブレター』をクエーサー出版より出版しました。https://www.amazon.co.jp/gp/product/4910893512このリンクから購入可能です。</description>
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<title>たまには日常を書くのもいい。【モラハラ全くなし】</title>
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たまには暗い精神の海に素潜りするのはやめて、近況などただ思いつくままに書いてみたくなった。2026年2月に、私の父が逝った。私は見舞いも看取りも、母や妹や弟の意向にて排除された。行こうと思えば行けた。だけど、もはや認知症で管だらけで38キロになった、息も絶え絶えな父を、意図的な家族からの排除をおして会いに行ったところで、父が逝くことは変わらないなと思ったのだ。でも会いたかったよ。だってお父さんやもん。理由はいつもシンプルだ。葬儀も驚くほど意図的に丁寧に丁寧に、「私」の存在が排除されていたよ。父は
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<dc:date>2026-06-09T11:28:29+09:00</dc:date>
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<title>「あなたのため」は、美しくない。</title>
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今なら言える。どんな人が好きか、と問われたら。私は迷いなく答えられる。「主語」を持つ人が好きだ、と。「あなたのため」は、いついかなるときも美しくない、というのは本当だった。本当は嫌だと思いながら、「私は嫌だ」と表面すると、「角が立つから」という正当そうな理由をつける。そうすれば、主語をつけることを恐れる自分のことも見ずに済む。それを更に「相手のため」に変換する。「本当は嫌」だと思った自分からも、実は「恐れから主語を外した自分」からも、あっという間に目を逸らすことができて、「相手を思い遣った自分」
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<dc:date>2026-05-27T16:30:41+09:00</dc:date>
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<title>ポジティブを「使う」ことが、私は嫌いだ。</title>
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ポジティブを「使う」ことが、私は嫌いだ。ポジティブを「使う」ことで、途端に「道具化」するからだ。「波動」とやらをあげるためとか、さげないためなど、それなりに自身の中には色々と納得できる理由はあるんだろう。しかし、それらの欲しいものだけを引き寄せるために、「ポジティブでいる」ことを使うことにとても拒否感がある。「今」まさにここにある、生々しい自分の感情を掬い上げて眺めることもせず「ネガティブはダメ。ポジティブ、ポジティブ」と笑顔でコーティングして、何か良いことを引き寄せようとすることがとても嫌いな
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<dc:date>2026-05-19T22:59:23+09:00</dc:date>
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<title>24年ぶりに見つけた、過去の私の言葉。【詩】【近況】</title>
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メールの整理をしていたら、ふと目についた「詩」のフォルダ。記憶にもなかった。こんなフォルダがあったのかと、驚きつつ開いたら、それは2002年のものだった。24年前だ。24年の時を経て、今の私に届いた。当時の私の中に渦巻いていたものが何なのかはわからないが、24年経っても変わらないものが私の中にあったことだけはわかる。『個は木の下に』個は意識せずともいつもあり続けるあなたの記憶があなたの物であるように受精した瞬間から生命が誕生するように意思の及ばぬ計る事の出来ぬ場所で個を探す心こそ個そのもの迷う道
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<dc:date>2026-05-13T10:42:24+09:00</dc:date>
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<title>実は昨年末、雑誌の取材を受けていた。【ほんとの話】</title>
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何やら怪しげな１通のメッセージが届いた。怪しげに感じてしまうのは単なる私の癖である。そこには「インタビュアーとして吉岡美穂さんが伺う」と書かれてあった。なんとな。吉岡美穂さんのことを私は以前から個人的に好きだった。お会いしたこともないし、テレビで話すのを見たことしかない。しかし好きだった。なぜなら、私のセンサーが「嘘と裏表のない人だ」と判断したからだ。もちろん、ものすごく主観的判断だ。雑誌社は大阪市内のようだった。私は、取材を受けるなら年末に大阪市内に行かねばならないのか、と思った。しかしまさか
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<dc:date>2026-02-17T15:42:07+09:00</dc:date>
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<title>黙らせる言語。【呟き】</title>
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屈辱に苦しみ、悲しみを抱えてもがく人を前にして、放っておけなくてなんとか励まそうとする「優しい人」がいる。私は長く、それを「優しい人だな」と思う世界にいた。だから私もそうしてきた。だけど今はそう見えない。多くの人がそうするのは、「自分が不安だから」なんだ。不安な人を前にして不安になるから、自分が安心したいために言葉を発する。黙っていられない。不安だから。安心したいから。私は若い頃、よく電車内で痴漢された。平成の初期、時代も時代。今のように「警察に」という発想すらない。駅員は言った。「スカートを履
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<dc:date>2026-01-25T14:09:40+09:00</dc:date>
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<title>安心したいために人を使うな。【呟き】</title>
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私は観察が好きだ。だから常に様々な「もの」や「関係」や「構造」を観察している。もちろん自分の身体や精神も、だ。ここ数日、様々なことが起こり、私はとても疲弊していた。言語化すらかなわない、深部で起きている「何か」をただ見つめていた。座っていてもどんどんと脈拍は早くなり、呼吸と合わなくなる。降圧剤がなかなか効かない。心臓の鼓動は意識では操作できない。ただ構造が見える。私が元夫から脱出したことで露呈した全てが見える。私が脱出を決意した時、家族は止めた。「私たちに被害が及ぶかもしれないから、殴られるわけ
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<dc:date>2026-01-13T13:02:44+09:00</dc:date>
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<title>「愛されたいから自分を愛する」は、道具化にすぎない。【自分を愛するとは】</title>
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「愛されたいから、自分を愛する」は、取引だ。道具化した「されたい」を動機にした行動は必ず、取引の形になって求めていない形で再演する。私はそれを「モラハラ」と呼ぶ。「自分が愛されたいから、自分を愛さねば」と確信し、愛したはずの自己はどこにもいない。それは「他者」に「愛されるために自分を道具化して愛するの真似事」をしているため、なぜ自分を大切に愛しているのに愛されないのか、に至る。それは「愛という名の病」とも言える。「不登校を改善するため」に、「自分を粗末にしない」ことが必要だ、として、不登校改善の
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<dc:date>2026-01-08T11:47:43+09:00</dc:date>
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<title>26年続けたお節を「作らない」を選択した私。</title>
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私は26年、お節を作ってきた。みんなを喜ばせたかったのかな。それとも自分がそうすることで存在を感じたかったのかな。どちらか、なんて単純なことではないね。きっと両方だし、様々な想いがあったんだろう。2025年の1月、私は唐突に「それら」が嫌になった。全て嫌になったのだ。自分でも恐ろしくなるほどの静かな決意だった。「私はもう誰ももてなさない」それは怒りのようで、でも怒りではなかった。何か唐突に全てがどうでもよくなる感覚。とても疲れたな、と感じたのだ。美味しいと喜ぶ子どもたちや夫や。その表情を浮かべて
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<dc:date>2025-12-31T23:13:13+09:00</dc:date>
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<title>無自覚な擬態。【ユングはそれをペルソナと言った】</title>
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極めて主観的な話になる。モラハラや共依存や支配や被支配などの話ではない。なので興味のない方には、とんでもなくくだらない話になるだろうから、読んで少しでも目が滑るようなら、この先は是非とも読まないでいただきたい。私が「私」という人間を観察した時、思ったことがある。「バージョンがないな」ということ。「誰か用」の自分がいないな、と最近気づいたのだ。例えば、職場でも家でも同じ。我が子と話しても、モラハラのカウンセリングをしていても、私はひとつのバージョンで存在している。気心知れたゆうちゃんと話していても
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<dc:date>2025-12-26T17:30:51+09:00</dc:date>
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