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<title>片親環境の「すくすく成長期」</title>
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<description>◆安らかに幸福な母子家庭◆母子家庭の親の在り方◆母子家庭の注意欠陥多動性障害/学習障害の子育てなどデミおかあさんの母子家庭の親の在り方日記</description>
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<title>『ADHD/LD』育児が楽しくなる法則　</title>
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<![CDATA[ <p>わたしは、幼いころから祖母・両親から非常に抑えつけられ、<br>非常に厳しく育てられました。<br><br><br><br>わたしは産まれてまもないころからの記憶だけではなく、<br>母親の産道を通ってきた記憶も鮮明に覚えています。<br><br><br><br>そして、わたしが23歳で親になり、3ヵ月で離婚を決意。<br>子どもがすくすくと成長するにつれて、育児・しつけ・教育など、<br>子どもを育てることについて、様々な疑問を抱いたのです。<br><br><br>それはわたしは幼少期のトラウマがひどく<br>親になっても幼少期の心の傷を抱え、自己肯定感は<br>尋常じゃないほどに低く、親になるには値しないような<br>酷いありさまでした。<br><br>しかし、心の傷が他人にバレないように精一杯の虚勢をはり、<br>鎧を着て、常に精神的に苦痛な生活をしていました。<br><br><br>自分がいざ親になり、幼少期を振り返った時、祖母や両親と<br>同じような教育やしつけをして我が子を育ててもいいのか？<br>それが正しい親の在り方なのか？という疑問が浮かび、<br>自問自答の日々を過ごすようになりました。<br><br><br><br>しかし、自分が育てられたように同じ方法で息子を育てたとしても、<br>息子もわたしも決してシアワセにはなれないのではないかと思ったのです。<br><br><br><br>そこから、わたしはあらゆる本を読みました。<br>たくさんの人の話を聞きました。<br><br><br>20歳の頃、児童養護施設に単独でボランティアに行って時の</p><p>子供たちの「発した言葉」もジックリと思い返しました。</p><p>児童養護施設の職員の先生にもお話を伺いました。</p><p><br><br>しかし、わたしが求めている答えには全く到達することができず、<br>いつも見えない答えにフラストレーションがたまる一方。<br><br><br><br>そんな中、コツコツとコツコツと何度も失敗を繰り返しながらも、<br>人生を変えるキッカケになる出来事があり「幸運と感謝」を<br>過ごすことになったのです。<br><br><br>そこで、「私だけが得られる結果」なのかと思いきや、周りの方達にも</p><p>伝え、実践すると変化が訪れたのでした。<br><br><br>それは、占いや心理学や統計学や何とかカード？などではなく、<br>どこにでも売っている白い紙と鉛筆で行えるもので、自己が願う</p><p>幸運を得るだけではなく自分を知るということにもなったのです。<br><br><br>「自分は誰」で「自分の天命？宿命？は何」で「なぜここに生まれてきたのか」<br>「なぜ、我が子がこの子なのか」「なぜ自分の環境はこんな環境なのか」を知るきっかけ。<br><br><br>それはまるで自分の取扱説明書です。<br><br>私は占いもリーディングもチャネリングも行わずスピリチュアルではありませんが<br>「人生に偶然はなく、全てが必然」と確信を抱いています。</p><p>&nbsp;</p><p>『ADHD/LD』の子どもがいる方が1人でも2人でも、「幸せで豊かな人生」を</p><p>過ごせますように。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12240574824.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2017 23:02:08 +0900</pubDate>
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<title>『注意欠陥多動性障害/学習障害』の子どものしつけ①</title>
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<![CDATA[ わたしは、幼いころから祖母・両親から非常に抑えつけられ、<br>非常に厳しく育てられました。<br><br><br><br>わたしは産まれてまもないころからの記憶だけではなく、<br>母親の産道を通ってきた記憶も鮮明に覚えています。<br><br><br><br>そして、わたしが23歳で親になり、しつけについて、<br>ふと疑問を抱いたのです。<br><br><br>それはわたしが親になった頃は自己肯定力が尋常じゃないほどに低く、<br>幼少期の記憶はズタズタな記憶しか残っていません。<br><br>私の内面や心の傷が他人にバレないように精一杯の虚勢をはり、<br>鎧を着て、常に戦闘態勢な生活をしていました。<br><br><br>そんな過去を振り返り、祖母や両親がわたしにしてきたような同じ教育<br>しつけをして子どもを育ててもいいのか？<br>それが正しい親の在り方なのか？<br>また「親の成功は何？」という疑問が浮かび、<br>自問自答の日々を過ごすようになりました。<br><br><br><br><br>しかし、自分が育てられたように同じ方法で息子を育てたとしても、<br>息子もわたしも決してシアワセにはなれないという確信がありました。<br><br><br><br>そこから、わたしはあらゆる本を読みました。<br>たくさんの人の話を聞きました。<br><br><br><br>しかし、わたしが求めている答えには全く到達することができず、<br>いつもフラストレーションがたまる一方。<br><br><br><br>そんな中、コツコツとコツコツと何度も失敗を繰り返しながらも、<br>人生を変えるキッカケになる出来事があり「幸運と感謝」を<br>過ごすことになったのです。<br><br><br>私だけが得られる結果なのかと思いきや周りの方達にも変化が訪れた<br>のでした。<br><br><br>それは、占いや心理学や統計学や何とかカード？などではなく、<br>どこにでも売っている白い紙と鉛筆で幸運を得るだけではなく<br>自分を知るということにもなったのです。<br><br><br>「自分は誰」で「自分の天命？宿命？は何」で「なぜここに生まれてきたのか」<br>「なぜ、我が子がこの子なのか」「なぜ自分の環境はこんな環境なのか」を知るきっかけ。<br><br><br>それはまるで自分の取扱説明書です。<br>そして、以外にもしつけにリンクしているのが実に興味深いところなのです。<br><br><br>私は占いもリーディングもチャネリングも行わずスピリチュアルではありませんが<br>「人生に偶然はなく、全てが必然」と確信を抱いています。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12055532695.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jan 2017 15:16:39 +0900</pubDate>
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<title>『注意欠陥多動性障害/学習障害』の子ども高校受験・ひとり語学留学 ②</title>
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<![CDATA[ <font size="4">【受験の年】<br><br>3年生2学期の期末テストは無残な結果となり、息子<br>と中学卒業後の進路について親子で話し合いました。<br><br>わたしは息子が幼いころから「大学は卒業しなさい」<br>といって育ててきました。<br><br>しかし、現実問題。<br><br>学習塾でのプライベートレッスンや家庭教師をして<br>も、全く成績の伸びない子どもに無理やり大学どこ<br>ろか高校に進学させても良いものかと考えました。<br><br><br>何がなんでも高校は卒業しなければならないと<br>わたしひとりが思っていても、本人に行く意思が<br>ないのに無理やり高校に進学しても、子どもは<br>「親が行けというから行ってやってる」という感<br>覚しか持たない気がしました。<br><br><br>そして、卒業後の進路を親子で話し合った際、息子<br>が自分で自分の道を決めることに対して、わたし<br>が長年口にしてきた思いを残すことで息子の真<br>の判断にブレーキをかけてしまうのではないかと<br>考えました。<br><br><br><font color="#0000FF"><strong>人間は支配されたり束縛されたりすると、頭が働<br>かなくなります。</strong></font><br><br><br><br>わたしが長年息子に植えつけた”しなければなら<br>ない＝must”の壁を取っ払うために「今までお母<br>さんはあなたに対して絶対に大学を卒業するもの<br>と言ってきたけど、現時点で高校進学に価値を見<br>出すことができないなら、無理して高校受験をし<br>なくても良い。<br><br><br>むしろ、自分が嫌と感じるなら行かなくていいよ。<br><br><br>ただし、世界は学歴社会。学歴がないならないな<br>りの人生の壁を乗り越えて生き続けなければなら<br>ない。<br><br>そして、高校に行かなくて良くなったからといって<br>も”学ぶ”ことをやめてはいけない。<br><br><br>進学しないと選ぶなら学歴というライセンスがない<br>ぶん、生きていくための多くの学びを身につけるこ<br>とを忘れてはいけない。<br><br><br>だけど、学びとは苦しいものではなく、知ることで<br>大きく開く道がある。だから学びとは実にに楽しい<br>もの」とわたしの楽しかった経験を添えました。<br><br><br>今までわたしが子どもに様々な手引きをしてきて、<br>中学3年の子に、突然全てを自分で判断して決断し<br>て全て責任を持ちなさいと息子にいっても、まず<br>何をどのように選んで何をすればよいのわかりま<br>せん。<br><br>わたしは息子に、3つの選択技を与えました。<br>（息子は早生まれのため卒業してすぐにはアルバ<br>イトが出来ないため）<br><br><br>①息子が選択する内容として、改めて進学する道<br>を選ぶのであれば家庭教師と塾通い、遅れを取り<br>戻す為に毎日朝から晩まで勉強をする。<br><br>②職人の道を選ぶのであれば知り合いの大工さん<br>のところで、大工修行をする。<br><br>③語学を伸ばす道を選ぶのであれば留学をして、<br>平日は朝から晩まで英語三昧にする。<br><br><br>一週間の期限で自分は何を選ぶのかを息子に選<br>択させました。<br><br><br><br>この経験により、わたしは息子に、これから先<br>生きていく為に自分の判断で人生を決断していく<br>ということを身をもって感じてほしかったのです。<br><br><br>そして、周りが息子に与え続けるのではなく、自<br>分で様々なものを掴んでいけるのだということも<br>体感してほしかったのです。<br><br><br><br>息子の下した決断は、語学を伸ばすということで<br>した。<br><br><br>今回の留学で2回目。<br><br>今回は前回と違い、息子にとってはスパルタな学校<br>を選びました。<br><br><br>息子は高校受験をするのではなく、語学を伸ばすと<br>決め、夏休みを使ってセブ島に4カ月間1人留学する<br>ことを決めました。<br><br><br>前回の留学先とは違い、月曜日～金曜日のスケジュ<br>ール管理がされており、毎日2コマのプライベート<br>レッスン・毎週月曜日のテスト・毎週金曜日のプレ<br>ゼンテーション（カンペなし）・復習時間などカリ<br>キュラムがきちんと決まっていました。<br><br><br>今回の留学でもなかなか思うようにはいかず、こころ<br>が折れそうになったそうですが、今回の留学で息子は<br>人生で初めて尊敬できる人物に出会い、その人の影<br>響を受け、飛翔的に語学力が伸びました。<br><br><br>そして以前よりも増して、身も心もとても大きく成長し<br>て帰国してきました。<br><br><br><br><br><br>わたしたち親は、こどもに対して<strong>自分の過去を刷り合<br>わせて、子どもを見ている</strong>場合があります。<br><br><br><br>しかし、親と子は全く違う人間です。<br><br><br><br><br>そして<br>『注意欠陥多動性障害/学習障害』を持ちながらでも<br>子どもは未知なる可能性をたくさん秘めています。<br><br><br>それは、どんな子どもでも素晴らしい可能性を秘めて<br>いるのは同じです。<br><br><br>少し立ち止まり、ありのままの子どもの姿を見つめて<br>あげることが、とても大切とわたしは感じています。<br><br><br>それが、わたしに教えてくれた、息子からの素晴らしい<br>メッセージです。<br><br><br><font color="#0000FF"><strong>子どものありのままの姿を見ることで、イライラするこ<br>とが減りました。<br>喧嘩も、全くしなくなりました。<br>会話が驚くほどに増え、息子のクリエイティブな発想<br>にはいつも驚かされ、家に笑いが絶えなくなりました。</strong></font><br><br><br><br>最も重要なのは、<br><br><font color="#FF0000"><strong>わたしたち親がもっている『注意欠陥多動性障害/<br>学習障害』という、こころの傷を癒し、真っ直ぐなここ<br>ろで子どもを見つめるということです。</strong><br></font><br><br><br>いつでも、どんな時も、必ず解決策となるキーワードが<br>あります。<br><br><br><br><br>-----------------------------------------------------<br><br><br>【日本の漢字の素晴らしさ】<br><br><br>日本にも素晴らしい「四季折々」や「わびさび」など１つの１つの漢字から情景を表し感じるという「心」があります。そして人の心や感情を表してくれる漢字も多くありますが、その中でも「よろこび」という漢字は実に鮮明に表現されていると感銘をうけました。<br><br>その「よろこび」の漢字には「４つのよろこび」の表現があり、英語ではこの微妙な表現が難しいといいます。<br><br>① 【喜び】→一般的なよろこび<br>② 【悦び】→ひとりにんまりとよろこぶ<br>③ 【慶び】→慶事（祝い事）によるよろこび<br>④ 【歓び】→にぎやかによろこぶ<br><br><br>生きていく中で幸福感を得る”よろこび”<br>たくさんのよろこびが、 波紋の如く拡がりますように。<br><br><br><br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12055329046.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Jan 2017 23:25:18 +0900</pubDate>
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<title>『注意欠陥多動性障害/学習障害』の13歳の子ども、ひとり語学留学 ①</title>
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<![CDATA[ <font size="4">息子は小学校3年生で<br>念願のリトルリーグに所属しました。<br><br><br>リトルリーグは少年野球とは違って中学1年の夏<br>に卒団式があります。<br><br>息子は無事、リトルリーグの卒団式を終え、次の<br>スポーツの進路を決めるために、シニアリーグや<br>ボーイズリーグ・ヤングリーグなどの体験入部を<br>しました。<br><br>しかし、息子の気持ちがのらず、中学のクラブ活<br>動もいくつか入部もしましが、どんなスポーツを<br>しても続かず毎日がのらくらのらくらする日が続<br>きました。<br><br><br>学習面では塾のプライベートレッスンを受けても<br>成績は伸びずじまいでした。<br><br><br>そんな息子が中学2年になり、部活に行くわけ<br>でもなく毎日のらくらする日々を過ごしました。<br><br><br><font color="#0000FF">子どもは、打ち込むことがないと、体力も余り、<br>刺激を求めるようになります。</font><br>そして、興味本位で、おもしろおかしいもの<br>を求め、<font color="#FF0000"><strong>悪さをはじめる傾向がとても高く</strong></font>なり<br>ます。<br><br><br>小学校とは違い、中学になると交友関係や行動<br>範囲が広くなります。<br>急にオシャレに興味がわいてきたり、身も心も<br>成長していきます。<br>特に中学生・高校生の夏休みは、悪い誘惑が満<br>載です。<br><br><br><br>そんな時、ふとフィリピンの語学学校を経営し<br>ている知人のことを思い出しました。<br><br><br>そこで息子に「もし知人の語学学校で中学２年生<br>がひとりでフィリピンの留学受け入れをしてくれ<br>るとしたら、夏休みを使ってフィリピン留学をし<br>てみたい？」と聞いてみました。<br><br><br>すると息子はとても興味を持ち、死んだ魚の目に<br>活力が戻りました。<br><br><br>早速、知人に連絡を取り、未成年で中学2年生<br>の受け入れも可能かを問い合わせてみました。<br><br><br>知人の返事は「受け入れ可能!!」でした。<br><br><br>息子は夏休みを使って2か月間フィリピンに1人<br>留学することになりました。<br><br><br>息子が留学した語学学校は、日本人オーナー<br>です。食事は3食・掃除・洗濯付。<br>講師とお手伝いさんは、全てフィリピン人です。<br><br><br><strong><font size="5">なぜフィリピンなのか？</font></strong>～<font size="5">7</font>つの利点～<br><br><strong>理由1：</strong>アメリカ・イギリス留学料金でリーズナブル<br>な料金と比較しても10分の1の価格で語学留<br>学ができる。<br><br><strong>理由2：</strong>日本からフィリピンまでの所要時間4時間<br>10分で近い<br><br><strong>理由3：</strong>フィリピンでは小学校から大学まで英語教<br>育が行われている教育環境にある<br><br><strong>理由4：</strong>フィリピンで目や耳にするものがほとんど<br>英語<br><br><strong>理由5：</strong>息子が留学した時は、物価が安かった<br><br><strong>理由6：</strong>LCCで格安航空チケットが入手しやすかった<br><br><strong>理由7：</strong>アメリカから洋楽・洋画・ゲームなど情報が<br>日本より1年ぐらい早いので、洋楽・洋画・ゲーム<br>好きには嬉しい。<br><br><br><br>息子が滞在した日本人経営の語学学校は、大学生<br>以上社会人ばかりで初の中学生の受け入れでした。<br><br><br>息子は、1人でフィリピン留学したものの、引っ込み<br>思案な性格で、天下の一人っ子体質「僕ダメデス!!」<br>スイッチが入ると部屋で引きこもりになり、案の定<br>2日程部屋から出てこない状態に陥りました。<br><br><br>しかし、フィリピン人のお手伝いさんやフィリピン人の<br>英語の先生、滞在中の大学生から社会人のみんな<br>が仲良しな環境で、息子を連れて外出に誘ってくだ<br>さったり、遊ぶ時も息子を誘って一緒に遊んでくだ<br>さったりすることで、息子は大人の座談会の輪にも<br>参加するようになり、息子は異国の地で年齢問わず<br>のコニュニケーション力を学びました。<br><br><br>英語の学習面で息子は、根本的な勉強をするという<br>方法が身についていなかったので、勉強の仕方がわ<br>からず悩み、かなり苦労した様子でした。<br>息子は、日本にいるのとは違い、自分の責任で行動<br>しなければいけないフィリピンでは、自分自身と向<br>き合わなくてはいけないという環境は子どもにとって<br>実に良い機会に恵まれたと思います。<br><br><br>そして、知人からの特別レッスンでは毎回大きな雷を<br>落とされ、泣きながらレッスンを受けた日もあった<br>ようですがADHD/LDの子どもが不得意とする何度も<br>同じことの繰り返しで反復して頭に叩き込むという<br>意味が理解できました。<br><br><br><br>そんな、息子は、はじめて親と離れて暮らし、2ヵ月<br>ぶりの息子との再会にわたしの胸の高まりは、凄かっ<br>たです。<br><br><br>わたし、1人でいてもニヤニヤして、周りから見ると、<br>かなり"気持ちの悪い人に"見えたに違いありません。<br><br><br>2ヵ月ぶりの再会で息子は「おかぁあさぁん♡<br>元気やったーぁ？」とハグでご対面～と想像<br>していたのですが、母は拍子抜けです（笑）<br><br><br>たった2ヵ月なのに、やけに大人っぽい雰囲気を醸し<br>だし、素っ気ない挨拶に、わたしは驚きました。<br><br><br>帰国後、徐々に息子らしさが戻ってきましたが、以<br>前にはなかった男らしさが、ほんの少し芽生え、や<br>っと土台作りがはじまろうとしているのだと感じま<br>した。<br><br><br>それを機に、息子にわたしの相談事をもちかける<br>ようにしました。<br><br><br>それに対して息子は自分の意見を述べてくれます。<br><br><br>そこで、わたしは「力になってくれてありがとう。<br>あなたの意見をもとに少し考えてみる」と息子に<br>伝えます。<br><br><br>そして数日後、息子は「結局どうしたの？」と<br>聞いてきます。<br><br><br><br>この会話の一連にどのような期待が見込まれる<br>かと申しますと。<br><br><br>親が子どもに相談していくことによって子どもは<br>自分のことを頼りにしてくれていると思いはじめ<br>ます。<br><br><br>また、子ども自身が考える力を養えたり、親が子<br>どもに対して子ども扱いから大人扱いをしていく<br>ということは、<font color="#FF0000"><strong>子ども自身が自分の言葉や行動に<br>責任を持つという意識を芽生えさせていくこと</strong></font><br>につながっていきます。<br><br><br>そして、息子の意見を聞くことで息子の考え方を知<br>る事ができたり、意見交換をしたり、親子のコミュニ<br>ケーションを図ることができます。<br><br><br><br>中学2年時の初留学で、英語を話すというスキルは、<br>ほとんど身にはつきませんでしたが、ヒアリングス<br>キルや異国の地で、知らない人たちと生活するのは<br>息子にとって貴重な経験になったと思います。<br><br><br><br>また息子が豊かな日本で産まれ、テレビではなく<br>自分の目で路上で生活する子どもたちを見たり、<br>靴を履いていない子どもたち、お風呂に入れず<br>泥だらけで敗れたTシャツを着ている子どもたち、<br>物乞いをしている場面に遭遇して、貧富の差の<br>ある異国の地で実際に見て感じたこともたくさ<br>んあったと思います。<br><br><br><br><strong>経験はその人の歴史を創ります。</strong><br><br><br><br>天下のひとりっこが異国の地フィリピン留学へ<br>１人留学に行くと決めた決意は素晴らしいと<br>今でも思います。<br><br><br><br>息子の決断がなければ、異国の地でも出会いもな<br>ければ、その人たちとの思い出もありません。<br><br><br><br><br>親の立場としてADHD/LDの子どもに対してたくさ<br>んの心配事や悩みを抱えています。<br><br><br>ADHD/LDの子ども対して放任になり、子どもの可<br>能性を信じるという行為はとても親として難しい<br>ことかもしれません。<br><br><br>しかし、<strong><font color="#FF0000">子どもは皆愛されている実感がほしいのです。</font></strong><br>子どもは、「自分の存在を認めてもらえている」という<br><strong><font color="#0000FF">安堵感</font></strong>を求めて生きています。<br>そして、信用され頼りにされたいと感じています。<br><br><br><br>ADHD/LDの子どもを持つ親は、子どもの将来を考えると<br>心配でしかたがないと思います。<br>中には過去に、子どもをはたから見ていて心配で胸が<br>張り裂けそうになった経験をされたお父さん・お母さん<br>もいらっしゃると思います。<br><br><br>しかし、ADHD/LDの子どもにとって最も大切なことは<br><br><strong><font color="#0000FF">子どもを信ること。<br>子どもを温かい心で見守ること。<br>子どもに対して放任主義で心広く愛することです。<br></font></strong><br><br>わたしは、ADHD/LDの子ども親として子どもに対して<br>のネガティブな感情を少しづつでも手放していくこと<br>と思っています。</font>
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<pubDate>Wed, 11 Jan 2017 16:50:10 +0900</pubDate>
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<title>ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）治療で「薬投与を激しく拒んだ理由」</title>
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<![CDATA[ <font size="4">わたしは、医者ではありません。<br><br>薬剤師でもありません。<br><br>かといって医療関係の専門家でもありません。<br><br>前回、TITLE「<a href="http://ameblo.jp/adhd-ld-children" target="_blank">ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）<br>②　病院での出来事」</a>のブログで書きましたが、<br><br>私は息子と総合病院と小児の精神科個人医院を訪れました。<br><br><br>その2つの病院での治療方法は「投与薬とカウンセリング」で経<br>過を見るという方法のみ言われました。<br><br><br>私は、この治療方法を自分の子どもに施すのは考えられません<br>でした。<br><br><br>当時、息子はまだ小さかったので、試験的に幼いわが子のカラダ<br>を薬づけにはしたくないというのが第1の理由となりますが、<br><br><br><br><font color="#0000FF">ナゼわたしがここまで、「薬投与を激しく拒んだ理由」とは、</font><br><br><br><br>--------------------------------------------------------<br><br><br><br>今から16年前、わたしはかけがえのない人を亡くしました。<br><br>その時わたしは臨月であり、息子を出産する数日前でした。<br><br><br>わたしのかけがえのない人とは、わたしの従弟です。<br><br>昔と違い今は、核家族化が普通となり、わたしのような環<br>境はなかなか想像できないと思いますが、わたしたちは幼<br>いころ家が隣同士で、祖母の代から家族経営でお店をして<br>おり、従弟の父と私の父は一緒に仕事をしていました。<br><br><br>そんな環境にいたわたしたちは姉弟のように同じ保育園に<br>通い、同じ小学校に通い、ほとんど毎日を一緒に過ごしま<br>した。<br><br><br>成人してからも、いとこ全員があつまり、その従弟の彼女<br>・幼なじみで旅行に行き、楽しく賑やかに過ごしました。<br><br><br>それは、わたしが結婚してもその交流は続き、わたしたち<br>にとってはそれが普通の環境でした。<br><br><br><br>1999年3月2日の夜、従弟から「母子ともに元気か？」とい<br>う電話がありました。<br><br>いつも通りの会話にバカ話に花を咲かせました。<br><br><br><br><br><strong>次の日。<br>従弟は突然、不慮の事故で帰らぬ人となりました。<br></strong><br><br><br><br>わたしは、その1週間後、<br>従弟が突然この世を去り、悲しみの中、陣痛を迎え息子<br>を出産しました。<br><br><br><br>念願の長男誕生の喜びよりも、わたしは、来る日も来る<br>日も泣き続けました。<br><br><br>人はここまで、泣けるものなのかというぐらいに深い悲し<br>みに溺れ、わたしにはどうすることもできずただ、泣き続<br>ける日々を過ごしました。<br><br>ある日、あまりに状態が良くないということで親に連れら<br>れ病院に行きました。<br><br><br><br>産後のホルモンのバランスが乱れと従弟との死別のショッ<br>クで、わたしは<strong>自律神経失調症</strong>と医師から診断を受けまし<br>た。<br><br><br><br><br>半年程、わたしは精神安定剤と睡眠薬の薬づけの日々を過ご<br>しました。<br><br><br><br><br>わたしは心ここにあらず状態で、実家の家族に助けられな<br>がら育児をしました。<br><br><br>息子はハイハイをするようになり、やがてつかまり立ちも<br>出来るようになりました。<br><br><br>しかし、息子の成長を見ても、「嬉しい」「楽しい」など、<br>何も感じない私がいました。<br><br><br><br>そして、無邪気に笑う息子の笑顔を眺めていると<br>「私は、来る日も来る日も薬づけで何をやってるんだろう？」と<br>自分自身がバカバカ しくなり、むなしくもなりました。<br><br><br><br>そして、こんな母親、息子にとって絶対に良いはずがない思いました。<br><br><br><br>わたしは、とっさに家にある精神安定剤と睡眠薬を全て外<br>のゴミ箱に捨てに行きました。<br>その日から３日間、<font color="#0000FF"><strong>薬からの禁断症状</strong></font>は、<strong>言葉では言い表<br>せないほどに<font color="#FA8072">酷い体感</font></strong>をしました。<br><br>※絶対にマネをしないでください。突然薬をやめるのでは<br>なく必ず医師と相談をしてから行うようにしてください。<br><br><br>薬を手放し、徐々に回復していきましたが7年間、こころ<br>の傷と薬の後遺症と薬の副作用が癒えず、精神的不安定でした。<br>毎日の精神的不安定な状態は、地獄をみているような感<br>覚で不安と恐怖に見舞われるのでした。<br><br><br><br>わたしは、薬をやめ、すこし経ってから仕事をしながら徐々<br>に社会復帰をしました。<br>総合病院受付に採用されたわたしは精神安定剤や睡眠薬を服<br>用している多くの無表情な患者さんたちに毎日会いました。<br><br>毎日訪れる患者さんたちを見ていても良くなっている気配が<br>一向に感じれませんでした。むしろ、初め受診されたときよ<br>り悪化しているようにしか見えませんでした。<br><br><br>勤務中わたしは、患者さんをふと自分に置き換えてしまうこ<br>とがあり、とても胸が痛くなることがありました。<br><br>もしあの時、薬をやめていなければ、きっとわたしは、息子<br>の成長の喜びも、笑いも、近い未来息子との喧嘩で感じる<br>怒りや悲しみもなく、生き続ける。<br>それは、薬を飲み、薬が効いている間は従弟の死に対して悲<br>しみを感じる感覚が一切失われるという経験をしたわたしが<br>現実にいるのです。<br>薬から醒めると、酷い悲しみが押し寄せ、また薬を飲むとい<br>う悪循環を繰り返しました。<br><br><br>しかし、わたしは、息子と楽しい時間を共有したい。<br>息子と一緒にいろんなことがしたい。<br><br><br>ちゃんと<strong>自分を生きていこう</strong>と思いました。<br><br><br><br>両親に支えられ、ようやく精神的に安定にも落ち着きを見せ<br>たころに、息子の「ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）」<br>の診断結果が出たのでした。<br><br><br>その当時、もし神が本当に存在するのであれば神はわたしに、<br>どこまでの不運を押しつけるのかと正直うらみたくもなりまし<br>たが、そんなこともいってられず、無我夢中、何がなんでも<br>息子と共にいきるという思い一心でした。<br><br><br><br>実際に「ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）」の子ど<br>もが、どのような薬を服用して、どのような結果が出るのか<br>は一切わかりません。<br><br><br>医師や薬剤師、専門家から言わせると「何て無知な母親だ‼」<br>「親の責任として何て母親だ‼」と言われるかもしれません。<br><br><br>しかし、わたしは、一次の母として、幼い息子を守りたいという。<br>思いのみです。<br><br><br><br>自分が自ら体感した危険性と隣り合わせになる状況から幼い子どもを<br>守りたいと思ったのです。<br><br><br>しかし、わたしが、あの時に「自律神経失調症」を患っておらず<br>薬であのような経験をしなければ、「息子の将来を考え、普通人<br>に育てるのが親の義務」と、藁にもすがる思いで医師の言葉のまま<br>「薬投与とカウンセリング」治療を受けていたと思います。<br><br><br>しかし、<br>わたしは薬を全てを否定しているわけでは決してありません。<br><br><br>わたしも息子も、風邪を引いたときや、歯を抜いて痛みが激<br>しい時など、薬に助けられています。<br><br><br>ただ、勉強ができない、注意力散漫という理由だけで依存性の高い薬<br>や自分の感情が失われてしまう薬に対して服用するのはできることなら<br>避けたいとわたしは思うのです。<br><br><br><br><br><br>そして、今回息子を通して、そもそも「普通」のひとって何を基準にしての<br>普通なのだろうという事を考えさせられました。<br><br><br><br>「普通」を辞書で調べると、特に変わっていないこと。ごくあり<br>ふれたものであること。と記載がありました。<br><br><br><br><br><br><br>わたしは、息子に”普通の人”になって欲しいと願っていません。<br><br><br>わたしは、息子に<br>「自分を卑下することなく、欺く（あざむく）ことなく、傲慢になることなく、<br>学び、問い、真心を持ち、たくましく、自分との約束を守り、心豊かに人生の<br>花を咲かして欲しいと思っています。<br><br><br><br></font><br>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12051501237.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Jan 2017 14:23:22 +0900</pubDate>
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<title>ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）②　病院での出来事</title>
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<![CDATA[ <font size="4">学校からの指示通り息子は市役所での検査を受けました。<br><br>検査結果は「注意欠陥多動性障害検査枠内」<br>精神科に受診してくださいと言われました。<br><br>後日、息子を連れて子どもの精神科を取り扱う総合病院に受診<br>しました。<br>検査が数日間かけて行われました。<br><br>検査結果が数日間で行われる間、昼も夜もなく不安と恐れなどの<br>様々な感情がこみ上げ落ち着きのない日々を過ごしました。<br><br>そして、何より私の私生活では、またインターネットがある生活など<br>でもなく、誰にどこに、何を相談すれば良いのかわからず、<br>心が闇へと閉ざされていくような思いでした。<br><br><br>数日間わけられた検査も無事終わり、検査結果は<br><strong>「ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）」<font color="#FF0000"></font></strong><br>と診断されました。<br><br><br>市の方からは検査結果と病院の紹介状が渡され、総合病院で小児科の精神病<br>を受信しました。<br><br>わたしは、小児科精神科医の主治医に『ADHD/LD（注意欠陥多<br>動性障害/学習障害）』の治療は主にどのような治療を息子に施<br>していくのかを根掘り葉掘り尋ねました。<br><br>主治医は「投与薬とカウンセリングです。ただADHD/LD（注意欠<br>陥多動性障害/学習障害）といっても、子どもさんに、どの薬が<br>効果的なのかわからないので、試験的に薬を投与して経過を見<br>ていきます」といいました。<br><br>わたしは、主治医に「どの薬があうかわからないからと言って、<br>こんな小さな身体に薬を投与していき、ただ経過を見るだけが、<br>治療方法ですか？しかも、”クスリ”は、飲むだけの”リスク”<br>がありますよね？<br>そして、このくすりは、依存性はないのですか？」と尋ねました。<br><br><br>主治医は「ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）の治療法は<br>息子さんにどの薬があうのかを経過を見るのみです。そしてお母さんが、<br>おっしる通り正直クスリはリスクがあります。また、薬の依存性に<br>関しては、<strong>麻薬効果</strong>があります」といわれました。<br><br><br>わたしは、主治医の言葉を聞き、正直不信感と違和感を抱きました。<br>目の前も真っ暗になりました。<br><br><br>その当時は、安易にネット検索できる環境でもなければ、どこに<br>いけば、私たち親子が抱える悩みが解消されるのかと、本当に悩みました。<br><br><br>わたしは主治医に「息子を、ここでの治療を受けさすかは少し考<br>えます。考えて受診するようなら、また予約を取ります」といって<br>診断書を受け取り帰宅しました。<br><br>診察後、市と学校に報告義務があり、その旨を伝えました。<br>それでも、治療を受けるべきだという意見に対し、わたしは<br>「こんな小さな子どもに、リスクと背中合わせで試験的に薬を<br>投与し、薬に麻薬効果という依存性があると聞いても、あなた<br>は、自分の子どもに同じことができますか？」といってその場<br>を去りました。<br><br>後日、市の方から評判の良い病院があると勧められ、息子と<br>一緒に病院を訪ねました。<br><br>息子が検査を行っている間に院長からわたしに話がありました。<br>それは、院長が行う『ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）』<br>のセミナー紹介がありました。<br><br>わたしは、次回の息子の受診日までに『ADHD/LD（注意欠陥多動<br>性障害/学習障害）』のセミナーの受講をして、この病気に対する<br>理解を深めようと思いました。<br><br>『注意欠陥多動性障害/学習障害』セミナーを受け理解することで、<br>気持ちにわずかのゆとりを持つことが出来ました。わたしは、この<br>病院で治療を受けたら息子は『普通の子』になれると明るい希望が<br>見えました。<br><br>息子の受診の日を迎えました。<br><br>わたしたち親子に待っていたのは、総合病院の精神科医の治療法<br>と同じ「薬投与とカウンセリング治療」でした。<br><br><br>わたしは院長に、以前受診した総合病院でのことを必死に伝えました。<br><br><br>しかし、院長は、「当院の治療は薬投与ですが他院とは違う治療法<br>と認識をしています。僕の治療方法に従って頂けないなら<font color="#FF0000"><strong>当医院で<br>の治療をお断りします</strong></font>」と言われ、途方に暮れながら帰宅をしました。<br><br><br>わたしは、学校の懇談からのことを思うと、途方に暮れ、辛くて、悲<br>しくて、苦しくて来る日も来る日も涙が止まりませんでした。<br><br><br>また、治療を断られた病院の院長に、「あなた、お母さん本人も『AD<br>HD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）』の系があります。息子さん<br>の『ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）』はあなたからの遺伝<br>の可能性が高いでしょうね」と言われ、息子は、わたしのせいでこん<br>なふうになってしまったと自分自身を心底恨みました。<br><br><br>次回、<strong><a href="http://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12051501237.html" target="_blank">息子の治療で薬投与を激しく拒んだ理由</a></strong>のブログになります<br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12050758326.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Jan 2017 16:22:59 +0900</pubDate>
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<title>ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）① 愛するわが子の脳に障害 ?</title>
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<![CDATA[ <font size="4"><br><strong>息子は小学3年のときに、AD/HDと診断をされました。</strong><br><br>   -------------------------------------------------------<br><br>わたしの息子は現在17歳です。<br>学年でいうと高校3年生になります。<br><br>   -------------------------------------------------------<br><br>息子は、幼いころ、なかなか言葉を覚えられませんでした。<br><br>そこでわたしは息子が幼いころから教育系ビデオを買ったり、楽し<br>く学んでいけるに幼児教材を買って、できるだけ一緒にするように<br>しました。<br><br><br>そんな息子も4歳になり入園の時期になりました。<br>高額であっても様々なものが充実しているものを優先順位として<br>和文化に触れる事ができるお茶・お花・空手・礼作法を学べる<br>幼稚園を選びました。<br><br><br>息子は毎日とても楽しそうに幼稚園に行きました。<br>息子はお話するのが大好きで、1度口を開くと会話が永遠と続き、<br>毎日幼稚園で何をしたのかを報告してくれました。<br><br><br>息子が年長さんになりました。<br><br>しかし、息子は幼稚園で絵かきや工作をしても、楕円やなめらかな<br>曲線を描くことができなかったり、お絵かきで人の顔を書いても<br>両目が左右対称に書くことがりませんでした。<br><br><br>わたしは息子の作品を見て、違和感がありながらも息子には息子の<br>個性がある。<br>それに、早生まれの3月だから差がでても仕方がないと思っていま<br>した。<br><br><br>そんな、息子も小学校に入学しました。<br><br>初まりのチャイムがなっても息子1人だけが教室に着席し<br>ていないことがしばしばありました。<br>担任の先生が息子を見つけると、いつも職員室の前にある<br>水槽を眺めていたそうです。<br><br><br>そして授業がはじまると、ふでばこの中のものが全ておもちゃの<br>代わりとなり、鉛筆を転がしたり消しゴムをバラバラにしたり<br>授業など一切聞かず、自分の世界で手遊びをはじめるのでした。<br><br><br>授業中に先生が配ったプリントの問題を解きなさいと息子に指示を出しても、<br>目を離すと息子のプリントがお絵かきがだらけになっていました。<br><br><br>そして、息子が小学校2年生になり、クラスの担任の先生との懇談で<br>「息子さんを学校の養護学級に入れてはいかがですか？」と突然言われました。<br><br>その担任の言葉で正直ひどく傷つきましたが、<br>わたしは先生に「息子は授業態度も成績もよくありません。それにク<br>ラスメートと比べても息子は成長が遅いと思いますが、息子の個性の<br>1つです」と言い残し教室を後にしました。<br><br>今から、振り返れば私が傷ついたのは、私自身の中で、息子に対する<br>不安と言われたことに対して思い当たるふしがあったからです。<br><br><br>翌年息子の担任の先生が変わりました。<br><br>小学校3年生の個人懇談では「息子さんの学校生活を見ていると、普通<br>の生活をする上で問題があります。何か特定の障害の可能性が疑わ<br>れます。<br>息子さんがどんな障害を持っているか市役所で事前検査を行っている<br>ので受けて下さい。その検査結果によっては精神科での治療を受ける<br>ことをお勧めします」と先生は言いました。<br><br><br>わたしは去年同様、今回も「息子が授業態度が良くないのはわかりま<br>す。先生が息子の授業態度を見ていてイライなさるのもわかります。<br>息子は全てにおいてとても無器用なんです。それも息子の個性の1つ<br>です」と激しく反論をしました。<br><br><br>しかし、担任の口から出た言葉は、「教育者としての立場で見ると、<br>お子さんのような子は<strong>犯罪者</strong>になるケースが多い。<br>お母さんは息子さんを犯罪者にしたいのですか？それに、こちらの<br>伝えたことが理解できない、学校の学習についてこれないとなると、<br>学校側としても息子さんへの責任は持てません。<br>しかし、市で行っている検査を受け、精神科から病名がつけば、<br>学校側からの支援があり、息子さんの学習面で援助します」<br>と言われました。<br><br>わたしは怒りと悲しみの感情を抑え込み、できるだけ平常心を保ちな<br>がら「わたしは息子の個性と思っています。しかし、先生がそこまで<br>言われ息子のためだとおっしゃるなら、市の検査を受ける手続きを進<br>めてください」と言って帰宅しました。<br><br>教育者から「息子が犯罪者になる可能性がある」と言われ、胸の中を<br>引き裂かれる怒りとショックで帰宅後泣き崩れました。<br><br><br>23歳で息子を産み、3ヵ月で離婚したわたしは息子に対して何が悪かっ<br>たのか？と後悔と反省の思いでしばらくは、落ち込む日が続きました。<br><br><br>次回のブログは、<br><strong><a href="http://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12050758326.html" target="_blank">ADHD/LD(注意欠陥多動性障害/学習障害）病院での出来ごと</a></strong>です</font>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12050735396.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Jan 2017 15:07:53 +0900</pubDate>
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<title>ADHD/LD（注意欠陥多動性障害/学習障害）念願のリトルリーグに所属</title>
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<![CDATA[ <font size="4">息子は硬式野球に興味深々で、念<br>願のリトルリーグに入団したいとわたしに言いました。<br><br><br>「息子は頑張ります!!」という意気込みがありましたが<br>母子家庭のわたしには正直腹をくくらないといけない<br>ことが溢れるほどにありました。<br><br><br>それは、リトルリーグは、少年野球より、<strong>とにかく会費<br>が高い・遠征がある</strong>・当番がある・試合の際、車を出し<br>運転手をしなければならない・先輩父兄の上下関係が<br>厳しい・夏は氷を大量に作り・冷たいお茶作りをしな<br>いといけない・週末土日祝日の朝が早すぎる・遠征と<br>なればよりもっと朝が早い・週末は野球でつぶれ母子<br>ともにヘロヘロになる・年1回地方の選手のお泊り受け<br>入れをしなければならない・父兄会という会議がある<br>何かと出費がかさむ。<br><br><br>あげればキリがない雑用が満載にあるのでした。<br><br><br>そして、何よりリトルリーグは、甲子園を目指す少年や<br>プロ野球選手を夢見る少年の集団で、どちらかというと<br>天真爛漫な息子にあの闘争心の集まりの中で精神的・<br>体力的に耐えられるのかが心配でなりませんでした。<br><br><br>しかし、母は息子の熱意に根負けし、息子は晴れてリト<br>ルリーグに所属することになりました。<br><br><br>息子は平日2回週末2回で1週間のうち計4回を片道1時<br>間、往復2時間かけて自転車でリトルリーグのグランドに<br>通い続けました。<br><br><br>息子は練習が休みの日は、家の前で素振りをしました。<br><br><br><br><br>息子はあいにく目立つ成績を残す訳ではありませんで<br>したが、努力の甲斐があり地道に功績を残しました。<br><br><br><br>はじめは当番でイヤイヤグランドに上がっていたわた<br>しも、小さな身体でひた向きに硬球を追いかける息子<br>の姿に何度も感動しグランドでよく涙しました。<br><br>そして、わたしは気がつけば自主的にグランドに上がる<br>日もしだいに増えました。<br><br><br><br>そんな息子がある時、チーム内の選手とポジション争い<br>になった際、息子は「どーぞ。どーぞ」とライバル選手<br>に自分のポジションを譲り、監督・コーチに「こらー!!い<br>とー!!お前は何いうとんじゃー!!」とグランドで叱られて<br>いる息子の姿がありました。<br><br><br><br><br>息子のそんな性格が気に入られたのか代表や監督から<br>1番よく叱られていました。<br><br><br><br>本人は「監督が僕をいじめるー!!」と泣いて帰って来<br>る日もありましたが、周りの選手から見ると息子が監<br>督に一番気にかけてもらっているように映りっていた<br>ようで、息子のチームメイトの父兄のみんなから「う<br>らやまし」がっているという情報がいつもわたしの耳<br>に入ってきていました。<br><br><br>息子は、先輩からや後輩ともとても仲良く、息子の周<br>りにはいつも誰かがそばにいて楽しそうでした。<br><br><br><br>引っ込み思案の天下の一人っ子息子は野球での成績<br>よりも、リトルリーグに所属しとても大切なことを<br>多く学びました。<br><br><br><br><br>それは、<br>チームでの一挙団結。<br>監督・コーチを敬うこころ。<br>先輩に対する礼儀。<br>チームでの、思いやり。<br>後輩への心配り。<br><br>そして、息子の野球環境の良さでの恵み。<br>父兄の支えに対する感謝。<br><br>地方選手との交流で感じたこと。<br><br>何より、学び続けるという謙虚さと姿勢。<br><br>悔しさの涙。<br>チームメートでの真実の喜び。<br>感動の涙。<br><br><br><br>厳しい練習や厳しいしきたりと礼作法をひと際ちいさ<br>な体で、小学校3年から中学1年の卒団までよくやりき<br>ったと本当に思いました。<br><br>卒団式には、母はもう涙が止まりませんでした。<br><br><br>息子よ!!母に最高の感動をありがとう!!<br><br>わたしは、むすこと共に感動のストーリーを体感でき<br>たことに感謝です。</font><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/adhd-ld-children/entry-12051659849.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Dec 2016 21:45:39 +0900</pubDate>
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