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<title>africanmamaさんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>目的と探求</title>
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<![CDATA[ 「人が何かを探求している時、探し求めているものしか見えないのはよくあることだ。<br><br>自分の求めているものについてだけ考え、<br><br>目的をもち、<br><br>その目的にとりつかれているため、<br><br>他のものを見つけることも吸収することもできない。<br><br>探求とは目的をもつことを意味するが、<br><br>発見とは自由になり、物事を受け入れる姿勢を持ち、<br><br>目的を持たないことを意味する。<br><br>あなたはおそらく、まったくの探求者なのだ。<br><br>自分の目的に向かって奮闘し、すぐ目の前にある多くのことは見えていないのだから」<br>(ゴータマ・シッダールタ)<br><br>私は自分について、思考に過ちを持っていたことに気がついた。<br><br>気づかなかったのが不思議なくらい不思議。<br><br>望むことと望まないことのバランスが崩れていた理由が見えた。<br><br><br>私の性別は女である。<br><br>男か女かのふたつの選択のうち、女として生まれてきた。<br><br>私の思考の過ちというのは、女であることに苦痛を感じ、“男だったらよかったのに”と思ったことが発端となり、それからいろいろなことでバランスを失った出来事が起こり出したように思う。<br><br>女でありながら女であるのが嫌だけど、理想の女を慕い、そして男になることに憧れる反面、男に反感を持っている。<br><br>望むことと、望まないこと。<br><br>選びたいことと、選びたくないこと。<br><br>そんなふたつのものがあって世の中はつくられていて、それで世の中はちょうどよくバランスがとれて宇宙が成り立っているのに、わたしの宇宙はバランスを崩していた。<br><br><br>これと似たようなことで、<br><br>人を好きになるのは、その人が夢中になって楽しんでやりたいことをやっていて、それで輝いて周囲の人は惹き付けられてその人のことを好きになるのだが、<br><br>周囲の人に好かれようとして好かれるようなことを選んで物事をやるのとでは全然ちがう。<br><br>好かれるのを目的としていたら自分の好きなことなどいつまでたってもできないし、それによって不満を持ち、自信を失い、人を妬み、人の幸せを喜べなくなる。<br><br><br>客観的にみると豊かさのなかにいて、たくさん捨てられるほど有り余るものを持っているのに、足りない、充分ではない、と不足の感情がついてまわる。<br><br>不安という感情の底には、欲求不満が隠されているのだといわれる。<br><br>あるのに足りないと思うのは、心から自分の望むものを手に入れていないからだけど、<br><br>心から望んでいるものをもうすでに手に入れているのに、ただそれにきづいていないことのほうが多いのかもしれない。<br><br><br>女であるのに、女になろうと奮闘しているようなものだ。<br><br><br>望むこと、<br>望まないこと、<br><br>そのどちらかひとつが気に入らないからと目をつぶったところで消えることなどなく、<br><br>常に両方存在しているけれど、どちらかを選ぶのが相対性のこの世。<br><br><br>ごめんなさい<br>許してください<br>ありがとう<br>愛してます<br><br>ラーチ／ウォルナット／ワイルドオート
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10534694511.html</link>
<pubDate>Fri, 14 May 2010 18:24:51 +0900</pubDate>
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<title>『性格』とは『症状』のこと？</title>
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<![CDATA[ 個性って何だろうか？<br><br>個性なんてあるんだろうか？<br><br>大まかに〈こういうタイプ〉というのはあると思う。<br><br>わたしは今まで自分で自分の性格だと思っていたことが、実は、自己評価の低い人、うつの人、AC(アダルトチルドレン)の人の特徴的な症状だったことを知ったときは驚いたものだ。<br><br>自分の『性格』だと思っていたものが『症状』だったなんて思いもよらなかった。<br><br>ということは、わたしと同じ『症状』をもつ人が、たくさんいるということになる？<br><br>環境によってつくられた後天的な性格もあるだろうし、それ以前の先天的な性質のものを知りたいと思うのだけど、<br><br>どっからどこまでが先天的で、どっからどこまでが後天的なのやら。<br><br>自分の性格って？<br><br>自分に自分なんてあるんだろうか？<br><br><br>ひとくくりにされると『私はみんなと違うわ』と思うくせに、<br>みんなと一緒の価値観をもっていないと不安になる。<br><br>個性なんてほんとはないんじゃないのかと思う。<br><br>個性とは、人同士のなかにみつけるものなんかじゃなくて、人と人以外の生命との区別、分けられたものではないのかと思う。<br><br>自分で自分を認められている人は、個性、個性と騒ぐことはしないのではないかと思う。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10514000280.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 11:42:58 +0900</pubDate>
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<title>生きづらさ</title>
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<![CDATA[ 自分はなぜこんなにまで生き方にこだわるんだろうか？<br><br>と考えたとき、<br><br>自分の生き方や自分自身に自信がないからなんだろうと思った。<br><br>いろんなことをやってみるのも自信がないからだし、考えてみるとそもそもこうなった一番の要因は、自信を持つための経験の繰り返しを子供時代に得られなかったことではないかと思う。<br><br>親から護られているという安心感から生まれる好奇心を持てず、<br>何かをしようとする意欲の起きない家庭環境であった。<br><br>いつも周囲は不安定であったから、私は常に不安感を持っていた。<br><br>そして私は家族から興味をもたれない存在であった。<br>親はわたしがなにをしようと無関心。<br><br>褒められることも、注意されることもない子どもは、『なにをしたって仕方がない』と思えてくるものだと思う。<br><br>なにも望まなくなる。<br>それは、なにも望まれなかったから。<br><br>生きることがつらくなる。<br>『生きていたって仕方がない、なにをやっても結局は死ぬだけだ。』<br><br>そんな無気力な心の状態が常になる。<br><br><br><br>今の私は人からみると自由そうでいて、実は全然、心が開けてなくて、自由ではない。<br><br>子供の頃に言いたいことを言えず、家族とコミュニケーションのとれない家庭で我慢が身についてしまい、それが当たり前の自然体になってしまって自分を表現することができなくなった。<br><br>自分の思ったこと、感じたことを、素直に表現しても、誰に対しても恐れることも不安になることも嫌われることを気にしなくてもいいんだ、と思えるようになることがわたしにはむずかしいこととなった。<br><br>だから、安心して平和を感じながら自分を表現できることが私には魅力あることで、そういうことに対して執着が強い。<br><br>そういったものを克服して、自分をしっかりと持ち、もっと現実的に人とコミュニケーションをとりたい…<br>と、思うのだが…。<br><br>私はやはりこれも子供時代のことからきているもので、お金に対しても執着がある。<br><br>生活していくこと、生きていくことに対して不安が大きい。<br><br>でもそれは他に依存しているからなんだともわかっている。<br><br>子供のときは親に依存しなければ生きていけないけれど、今の自分は自分で働いてお金を得ることもできるし、人と協力することもできる、ということはわかっている。<br><br>けれどどこかで依存していて、きっとまだまだ心のなかは傷ついた小さな子供のまま成長していない。<br><br>自立心を育ててもらえなかったのだ。<br><br>人の人生は子ども時代に大きく左右される。<br><br>生き方にかなりの影響力があるのだとつくづく感じる。<br><br>人が苦しむことになるクセをもつ原因は、子供時代にあるといっても過言ではないと思う。<br><br><br>自己表現は人と人を結ぶ大切な要素。<br><br>自己表現を怖れているうちは人との良いコミュニケーションをとることはできないだろう。<br><br>親の力を借りられず、こうした問題を克服することは容易なことではない。<br><br><br>こんな私のような人間はこの世にはたくさんいると思う。<br><br>健全な思考を持てる人間に子どもが育てられるなら、生きづらいと思う人間にはならなくてすむ。<br><br>今の世の中、健全な思考を持っている親となる人間が果たしてどれほどいるのだろう？<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10510555079.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 09:58:42 +0900</pubDate>
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<title>女性性と男性性と母性</title>
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<![CDATA[ 愛とはシンプルなものだ。<br><br>与えること<br>と<br>与えられること<br><br><br>そしてそれらをやりとりする背景は自由さの中にある。<br><br>受けとることも<br>与えることも<br><br>自由な意志にまかされている。<br><br>愛に形はない。<br><br>形づけるのは人の意識。<br><br><br>男性性と女性性。<br><br>私も含め、皆、それらを両親から与えられている。<br><br>その他にもうひとつ。<br><br>与えられるものはそのふたつの性と、もうひとつは神性とよく言われるけれど、私が思うには母性ではないかしらと思う。<br><br>父性は男性性と同一のもので、男性にもまた、母性という性質を持ち合わせているのではないか。<br><br>母性とはすなわち無償の愛、慈しみの愛、見返りを求めることのない与える側の愛の象徴だ。<br><br>もちろん男性性も女性性も男女どちらにも備わっているものだと思う。<br><br>男性性はつくりだす(＝破壊する)性質をもち、女性性はそれを維持、持続、守る性質をもっている。<br><br>それらはもともとあるもので、母性とは育てていくものだと思う。<br><br>自分次第の力で育むものが母性＝慈愛。<br><br>母性が自分のなかでどんどん大きく育つと、外に母性愛を求めなくてもよくなる。<br><br>母性によって支配されるとき、どんな自分であろうと自分を認め受けとめ、そして自分を癒し、真の自立ができるのではないだろうか。<br><br>宗教や教義や神秘に頼り、すがることなく、自己のなかにある母性のなかに安らぎを見い出せたとき、人は始めてほんとうの癒しが得られるのではないかと思う。<br><br>一時的な楽な癒しは真の癒しとはいえない。<br><br>真の癒しに到達するまでにはたくさんの涙を流かし、過去の傷にも正面から向き合うものだからとても苦しいものだ。<br><br>しかしやはりそういったことを抜きにしては、表面的に人の言葉でなぐさめられても同じ感情はぐるぐるとめぐり、また戻ってきては周囲や状況が変わっても本質は変わってないから同じようなことでまた悩み苦しむ。<br><br>本質を見ようとするには勇気がいる。<br><br>またそれを解決できる時期というものもある。<br><br>解決できるかどうかは、何度ももたらされる出来事によってわかる。<br><br>それが機会だ。<br><br>その時が解決できるときだ。<br><br>何度もやってくるチャレンジに感謝しよう。<br><br>その時解決できなかったら、次の機会で解決すればいい。<br><br>またその次に解決できなかったら、その次に…。<br><br>解決できないのは自分にはまだ用意がないだけ。<br><br>準備段階なだけ。<br><br>そうやって転んで転んで、立てる心構えを育んでいくんだ。<br><br><br>与えられる<br>与える<br><br>ことは、それはとても自然なことであり、<br>だけどとても特別な愛が背景にあることを忘れずにいよう。<br><br>与えられたものは男性性と女性性であり、<br><br>与えるものは他人にも自分にも、母なるものを与える。<br><br><br><br>ごめんなさい<br>許してください<br>ありがとう<br>愛してます<br><br>○本日のレメディ<br>ゴ-ス<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10468443578.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Feb 2010 15:03:39 +0900</pubDate>
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<title>捨てる</title>
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<![CDATA[ 私は何年か前に、<br>「あなたは自分に厳しいよね」<br>と言われたことがある。<br><br>それは紛れもなく低い自己評価からきていたものであったと思う。<br><br>自分に厳しい＝自分を批判する<br><br>“他の人からみたら自分はどんなふうに判断されるのだろう？”<br><br>自分を批判する裏にはそんなものが隠されている。<br><br>ありのままの自分がわからないと、自己評価はいつまでたっても上がらない。<br><br>→ほらね、私は“やっぱり”ダメな人間→落ち込み→人のあらを探して攻撃、人を批判する→落ち込む→自己評価が低くなる→<br><br>こんな繰り返しの方程式がいつしか出来上がっていた。<br><br>わたしの“厳しさ”は、批判的なだけのもの。 <br><br>なにかを成すために努力しようという高尚な厳しさではない。<br><br>むしろ、努力しないための、努力したくないための言い訳に用意したものだったのかもしれない。<br><br>根底にあるものは<br>【愛されなかった】いじけ心。<br><br>無条件に愛されなかった、無償の愛を満足に与えてもらえなかった自分の存在への疑いと、どうせ自分はこんなもんだというあきらめ。<br><br><br>どうせ駄目<br>なにやっても無駄<br><br>だから厳しくなる。<br><br>人にも、自分にも。<br><br>自分の思い描く理想とは、<br>(それはあくまでも自分個人の主観的な理想像で、人からみるとそこまで追い求める意味がわからないもの)、<br>を完璧なまでに追い求めようとし、そしてそれは虚しくも手に入るものではない。<br><br>思い込みという魔法にかけられ、我を見失う。<br><br>たとえ手に入れても、人の価値観に合わせたものなので本当は自分が求めていることじゃなかったり、限界がわからないから満足感がなかったり、現実感がなかったり。<br><br><br>人にも、自分にも。<br><br>こうじゃないと 愛を もらえない<br><br>こうしなかったから 愛してもらえなかった<br><br>親から無償の愛を満足に与えてもらえなかった愛情欠乏症状は、自己評価を下げる。<br><br>満足がいかない。<br>いつも不安。<br>いつも虚しい。<br><br><br>いつかは終わるときがくるこの人生。<br><br>それまでに今より少しでも生き易くなっていればいい。<br><br>そのために少しずつ何かを捨てる。<br><br>苦しめる言葉、苦しめる思考を、毎日捨てていこう。<br><br>春になったら冬のコートが要らなくなるように。<br><br>今までそれによって守っていたものを、今必要かどうか？<br><br>暑い夏に寒い冬のコートを着ていれば苦しいのと同じ。<br><br>今の自分に合った守るものを探し、<br><br>必要なときには変えていく。<br><br>少しずつ<br>少しずつ<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10463391383.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Feb 2010 08:41:46 +0900</pubDate>
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<title>自己批判</title>
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<![CDATA[ 【人から愛されているという気持ち】<br><br>これが自己評価を左右する決め手となるものらしい。<br><br>子ども時代には失敗しようが成功しようが、<br>自分がまちがったことをしようと、<br>自分が褒められることをしようと、<br>やったことそのものに対してではなく、<br><br>ただ『私』という存在を認め、愛してくれる『親』や『大人』が必要である。<br><br>この『私』だから愛してくれる。<br><br>この『私』を愛してくれている。<br><br>この『私』だけを大事に、誰よりもなによりも先に一番に思ってくれる。<br><br>この『私』という存在を祝福し、認めてくれ、喜んで、どんなときでもやさしく受けとめてくれる手。<br><br>この私だけを、<br><br>世界でただひとりのこの私だけを愛してくれるかけがえのない人。<br><br><br>そうした存在がいないで育つと、<br>自分がどこまでやってもいいのか、とか、<br>自分に合ったものはなにか、欲しいものはなにか、<br>など、境界やニーズがわからなくなり、<br>なにより自分に対して自信がなくなる。<br><br>ひどくすると、自分はこの世に価値のない人間だと思い込むまでにもなってしまう。<br><br>自己評価の低い人はこれ以上自己評価を落としたくないためにいろんな防御法を身につけていくわけだが、<br>私の場合は、<br><br>身近な人を否定、批判することで自分の低さを見ないようにする。<br><br>それは無意識のうちにそのようになるので、客観的に自分を観察していないとわからない。<br><br>自分は人に受け入れられていないとか、認められていないのではないかと不安になると、私が気に入らない相手のあらをみつけて攻撃する。<br><br>攻撃すればイヤな気持ちになる。<br><br>そしてまた自己評価は下がる。<br><br>以前はそんな繰り返しだった。<br><br>そんなとき、おまじないの言葉をみつけた。<br><br>「これは歪んだ自己評価のせいだ」<br><br>そんなふうに意識するだけで不思議と気持ちが落ち着く。<br><br>認めることで冷静に自分をみることができる。<br><br>言葉は意識のかたまりだ。<br>わたしは自分を見ていない。<br>わたしはいつも逃げていた。<br><br><br>ごめんなさい<br>許してください<br>ありがとう<br>愛してます<br><br>わたしはわたしを許します<br><br>わたしはありのままのわたしを愛します<br><br><br>○本日のレメディ○<br>クラブアップル／ホリ-／ヘザ-<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10463003126.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 20:16:46 +0900</pubDate>
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<title>自己評価</title>
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<![CDATA[ わたしたちは毎日毎日、<br>自分は認められているだろうか？<br>自分は受け入れられているだろうか？<br>と、大なり小なり気にかけて暮らしている。<br><br>職場でも、家庭でも、<br>それは常に。<br><br>人が存在しているかぎり、<br>人の目によって自分というものがどうであるかを知っていたい。<br><br>自分はこれでいいのだろうか？<br><br>例えば、自分が投稿したブログへのコメントが少なかったとする。<br>それを“認めてもらえなかったのだろうか？”と解釈する。<br><br>そして認められなかったことに対し不安になり、改善点をみつけようと奮闘する。<br><br>しかしその改善点とは、人の目線にあったもの、大勢の人に気に入られるものを探す、ということにすぎない。<br><br>人が気に入るものを探す。<br><br>自分が気に入ったから投稿した内容であるのに？<br><br><br>外側ばかりの、見せかけだけの、人の目を、人の評価を気にしたものが、今の大半の人々の自己評価の基準となっている。<br><br>高級な服、車、食事、家、子供の学校や成績、旦那の仕事、趣味、化粧品、若く見せる、痩せる、…<br><br>そうした基準をクリアしないと安心できない。<br><br>クリアしてなければ自分は認められない、評価の低い人間だと思い込む。<br><br>世間で知らないうちに決められた基準をもとに、自分の姿を照らしあわせて、基準に忠実であれば自己評価が高まる。<br><br>だけどそれって、虚しくないか？<br><br>自己満足が満たされれば良い？<br><br>そうだね、そういう人もいるよね。<br><br>だけど世間の評価は、流行りは常に流動的で虚ろいやすくかわりゆくものだ。<br><br>その波に乗ってしまったら最後、その止まることのない流れを追い求め続けなければならない。<br><br>もう、やめよう、こんなことに何の価値がある？<br><br>そう思わないかぎり。<br><br>うわべばかりを追っていれば、疲れる。<br><br>基準に満たなければ自分を否定する、家族を否定する、社会を否定する。<br><br>ストレスになる、病気になる。<br><br><br>自分に満足するためには、<br>なにより自分自身に興味をもつことではないだろうか。<br><br>一瞬の喜びより、長期的な喜び、死ぬまで続く喜びは、自己が成長していると感じられることを続けられるかどうか。<br><br>内面性の充実。<br><br>白髪が生えたら白髪に喜び、しわが出てきたらしわができるまで無事にここまで生きてこれたことに感謝できるような生き方。<br><br>そんなふうに潔く生きていれば、きっと笑顔がきれいな人になれるのじゃないかと思える。<br><br>自分を省みることとして他人の助言はもちろん必要なことだし、自分の技術や才能を高めたいと切磋琢磨している人にとって他人からの評価はありがたい。<br><br>主観的になりすぎることを正してくれるよき理解者がそばにいれば良い。<br><br>目標にしていること、<br>理想としていること、<br><br>自分が楽しめることがなによりの基準。<br><br>しかしなにごとも ほどほどにすることが 秘訣かもしれないな<br><br><br>○今日のレメディ○<br>バ-ベイン ／クラブアップル<br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10460328782.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Feb 2010 13:25:44 +0900</pubDate>
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<title>許容する</title>
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<![CDATA[ 明けましておめでとうございます。<br><br>今日は旧暦では新年。<br><br>しかも新月とバレンタインが重なりました。<br><br>わたしのつたないブログを読んでいただいた見知らぬ方々へ<br>今日という日に改めて感謝の言葉を述べさせていただきます。<br><br>ありがとうございます。<br><br>ブログを書くことはわたしにとって自分の内側にある整理できていないことを文字に表し表現することによって確認し、そして整頓する、という意味をもっています。<br><br>なので、コメントをしていただかないことを望んでいるわけです。<br><br>一方通行のブログですが、わたしのブログを読んでわたしの考えを『知った』人も、もしかして共感してくれて、その人が<br><br>「ひとりじゃないんだ」<br><br>って思ってくれたらうれしいし、<br><br>私自身も“ぺた”の数を見て読んでくれた人がいることを知って<br><br>「ひとりじゃないんだ」って思える。<br><br><br>ひとりじゃないんだ<br>ひとりじゃないんだよ<br><br>見えないけど<br>ひとりじゃない<br><br>いつも いつも<br>支えてくれてありがとう<br><br>ひとりじゃ生きられない<br><br><br>だけど <br><br>「人に認めてほしい<br>愛してほしい<br>信頼してほしい<br><br>と求めるときは、自分自身が自分を認められず、愛せず、信頼できていないとき。<br><br>自分が自分を認めてあげることができないので、人から認められることによって、ぽっかり空いた心残り欲求を埋めようとしている。<br><br>世の中で自分をいちばんよく知っているのは自分自身にほかなりません。<br><br>周囲に対して“いい人”であり続けるために、無理をして周囲に合わせる必要はありません。<br><br>なぜなら人に合わせようが合わせまいが、<br>あなたは本質的に“いい人”だからです。<br><br>相手の気分や感情を害したら あなたは悪い人でしょうか？<br><br>そうではありません。<br><br>あなたの感情があなたの観念や思考によってつくりだされているように、<br><br>相手の気持ちや感情は相手が自由な観念や思考の選択からつくりだされているものであり、<br><br>その責任はあなたがとるべきものではなく、<br>相手のみが取り得るもの。<br><br>周囲の評価や対応が気になってストレスに陥るような場合は、<br><br>あなた自身が自分自身をまず認め、愛し、信頼する習慣を身につけることが大切です。」(サイモントン療法の創始者-カール・サイモントン博士)<br><br><br>わたし自身、無性に人に認められたくなったり、人にほめられたくなったり、人の幸せを素直に喜べなかったり嫉妬したり、“私を見て！”と思っている時って、<br><br>たしかに自分自身を嫌っている時。<br><br>自己チューになっている時の淋しさは、自分の内面をちゃんと認めてあげられていない時。<br><br>人とは違うのはあたりまえ。<br><br>自分らしさってなんだっけ？<br><br>自分が幸せなときってどんな時だっけ？<br><br>人の目を気にせず、自分がやりたいことってどんなことだっけ？<br><br>それらを日頃抑え込んでいるのはなぜなんだろう？<br><br>理想ってほんとうに自分自身が望んでいる理想なんだろうか？<br><br>人から羨ましがられたり、人から認められたいためだけのための理想を追い求めているのではないだろうか？<br><br>こたつでお茶すすって、幸せを感じていたいのに、本当は求めてもいないことになぜそんなにあれやらなきゃこれやらなきゃ、と焦らなくてはならないのだろう？<br><br>焦っていろんなことやって、疲れて、中途半端におわったり、または目的に達しないからと自分は脳なしだと責めたりする。<br><br>かわいそうだね<br><br>かわいそうだよね<br><br>自分はそんなに悪いことをしたのかな？<br><br>自分自身を責めてしまうほどのことをしたのかな？<br><br>かわいそうだね<br><br>かわいそうだよね<br><br>なにも悪いことしてないのにね。<br><br>なんでこんなに怒られるんだろね。<br><br>自分の声、<br>自分であるために発している声に<br>耳を澄まして聞いてみよう<br><br>遠くに遠くに行かなくたって、<br><br>幸せはいつでもそばにある。<br><br><br>ごめんなさい<br>許してください<br>ありがとう<br>愛してます<br><br>○本日のレメディ○<br>ホリー／ヘザー<br><br><br>本年もどうぞよろしくお願い致します<br>
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<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 10:24:28 +0900</pubDate>
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<title>未消化の恋のかけらとピンク色</title>
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<![CDATA[ 燃えつきることなく<br>未消化に残っていた<br>恋のかけらを心の底にみつけた。<br><br><br>今読んでいる色彩心理学の本のなかで、<br>ある女性のピンク色と失恋とローランサンの絵について書かれた箇所を読んだ。<br><br>本に書かれていた女性のように、私も以前はピンク色が嫌い、というか、大の苦手だった。<br><br>ピンク色は自分も他人も肯定する色。<br>そんな解釈からもわかるように、わたしは世界のすべてを否定的にみていたからピンク色が嫌いだったんだと思う。<br><br>だけどどこかにピンク色を慕っていた自分も知っていた。<br><br>素直に向き合えない色が、ピンクという色だった。<br><br>ピンク色の思い出といえば、<br>小さい頃に両親が離婚をして父方にひきとられたのだが、別れた母が一度だけ、持ってきてくれた思い出深いお誕生日ケーキ。<br><br>そのデコレーションケーキの上にのっていた、クリームで本物そっくりに形つくられたバラの飾りの色が、薄くて淡いピンク色だった。<br><br>わたしはそのクリームのバラがなかなか食べられなくて次の日もお皿の上に置いて残して、ながめていた。<br><br>幸福感<br>やすらぎ<br>甘え<br>安心感<br>うれしさ<br>やわらかさ<br>…<br><br>母を慕う想い<br>そんな想いを思い返す。<br><br>そんな気持ちにフタをするようになった。<br><br>寂しすぎて耐えられなかったんだと思う。<br><br>それでピンク色も嫌いな色、苦手な色になったんだと思う。<br><br>そうだ、失恋のこと。。。。。<br><br>わたしは大失恋をし、何年もその想いをひきずっていた。<br><br>ついこの間まで。<br><br>いや、さきほどの女性の話を読むまでだ。<br><br><br>それは思いの残るような別れ方だった。<br>私にとっても、彼にとっても。<br><br>これでいいのか？<br>ほんとにいいのか？<br><br>友人にも散々言われたけれど、頑固さは変えられなかった。<br><br>このまま一緒にいてはダメなんじゃないかと思った。<br><br>別れたあとも遠い友人のようなつきあいをしていて、それから何年かして私は結婚をし、彼も結婚をして、子どももできた。<br><br>彼の子どもが産まれたとき、ベッドに横たわる奥さんと赤ちゃんの写メールが送られてきた。<br><br>わたしはその写真をみて落ち込んだ。<br><br>わたしはまだ彼のことが好きだったことに気がついた。<br><br>気がついて落ち込んだ。<br><br>かなり落ちた。<br><br>嫉妬。<br><br>もうとっくに自分の気持ちの整理をしたと思ったのに。<br><br>そしてしばらく落ちこみと嫉妬が続いた。<br><br>あきらめなければ<br>もう終わったことだ<br><br>そんなふうに言い聞かせながら、<br><br>今自分の目の前にあるもの、今自分の足下にあるものに感謝して生きよう、<br>そう自分に言い聞かせながら<br><br>毎日やっとのことで生きていた。<br><br>１日が長い時のように感じられた。<br><br>それからそうした毎日の思い込みを積み重ね、<br>少しずつ今ある幸せを感じられるようになってきたところだった。<br><br>「私の恋もローランサンと同じ５年で終わってしまいました。<br><br>もう彼から愛されることはないのかと思うと、自分の存在が消えてしまいそうでつらかった。<br>…(中略)<br><br>でも、ローランサンの絵を見て彼女の生き方を知って、喪が明けた気がするんです。<br><br>彼女の絵から感じたことは、愛っていうのは自分のなかからあふれてくるものだし、それは愛されること以上に幸せなのかもしれないということ。<br><br>それに誰かに愛されることばかり求めないで、まず自分で自分を愛してあげなくちゃ、ね。<br><br>何だか私、これからは自分のためにピンクが着られそうです。」<br>(『色の力 色の心理』著者／末永蒼生 大和書房 より引用)<br><br>私もこれからは自分のためにピンク色でハートをいっぱいにしたい。<br><br>母を慕う<br>彼を慕う<br><br>恋慕。<br><br>それは愛ではなく、恋に近い。<br>恋は自分が満たされたいもののように思える。<br><br>見返りを求めた感情。<br><br>愛は見返りを求めない。<br>外から求めなくてもよいもの。<br>なぜなら内側にたくさんなくなることなく溢れでてくるものだから。<br><br>生きている限り。<br><br><br>○今日のレメディ○<br>ハニーサックル／スターオブベツレヘム／ウォルナット<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10456099336.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Feb 2010 12:40:02 +0900</pubDate>
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<title>またかよ もういいよ</title>
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<![CDATA[ とか 言いつつも<br><br>やっぱり甘いものはやめられないんだ。<br><br>ああ～～～～～～～～～<br>いやになっちゃう！！！<br><br>わかっているんだ、原因は。<br><br>そのことを考えると、考えたくなくて甘いもので紛らわそうとするの。<br><br>すべては自分で選んだことの結果。<br><br>過去の結果が 今。<br><br>過去を引きずりつつの現在進行形だもん。<br><br>バっカみたい。<br><br><br>一秒前に、せめて少しでも一秒後の未来が良くなるようなことを考えられるようになれればいいんだけどさ。<br><br>今はムリ。<br><br><br>ネガティブなときに人生を左右するような決断はすべきではない。<br><br>自分自身の調子が良くなってくると、<br>『もうどうでもいい』となげやりだった自分が決めたことが、『どうしてこんなことになってしまったんだ？』と後悔するようになるとは…<br><br>『なんでこんなくだらない人たちとわたしは一緒にいるんだ？』<br><br>“それは自分がくだらない人間だからさ”<br><br>そんな声を聞きたくなくて、甘いものでごまかしたくなるんだ。<br><br>自分を知ること、<br><br>自分を認めること、<br><br>自分はこうだと認め、受け入れることって、<br><br>なんでこんなにも嫌悪感や、怒りや、手がつけられないほどのどうにもならない激しい感情がわきおこってくるんだろう？<br><br>「でも、なにがくだらないの？」<br><br>「ほんとうにくだらない人たちなの？」<br><br>「じゃあいったいなにがくだらなくない人なの？」<br><br>「どんなことがくだらなくないの？」<br><br>「じゃあわたしはそんなに立派な人間なの？」<br><br><br>「なにと比較して言ってんの？」<br><br>「誰と比べてるの？」<br><br>いつまで比べる世界にあなたはいるの？<br><br>「比べる必要なんてあんの？」<br><br>比べる必要なんてないんじゃない？<br><br>そう、比べる必要なんてないの。<br><br>そうだよ、わかってるよ。<br>そんなこと、<br>わかってるんだけどね<br><br><br>ああ～～～～～～～～～<br>いやだ いやだ<br><br>わたし は いやな にんげんだ<br><br>“しょうがないよ”、では、納得したくない。<br><br>あきらめること、<br>自分の運命を受け入れることも、<br><br>自分を肯定的にもっていけるような自分に合った納得の仕方、納得の言葉をみつけるまでは、<br><br>まだしばらく<br><br>ああ～～～～～～～～<br>いやだ いやだ な日々が続く。<br><br><br>○今日のﾚﾒﾃﾞｨ○<br>ﾋﾞｰﾁ／ｳｨﾛｰ／ﾁｪﾘｰﾌﾟﾗﾑ／ｺﾞｰｽ<br><br><br>ごめんなさい<br>許してください<br>ありがとう<br>愛してます<br><br>自分と闘わない
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<link>https://ameblo.jp/africanmama/entry-10453046586.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 18:14:33 +0900</pubDate>
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