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<title>2013年のぶるーす</title>
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<title>ＵＮＫＮＯＷＮ～無名戦士のGettysburg～</title>
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<![CDATA[ 南北戦争真っ最中の1863年<br><br>当時、鉄道や主要道路の交差点として重要な都市であったゲティスパーク。<br>この重要な拠点を制覇する事が戦局を左右するとは分かっていたものの、あまりの利便性に大規模な戦いになる事が予想された為、当初は南北両軍とも意図的に？この地での戦いを避けていた。<br>6月3日 いつもの小競り合いが起き両軍とも兵を派遣、衝突を繰り返すようになった。<br>7月1日 午前5時<br>南軍の歩兵が北軍の騎兵を射撃、いつもの小競り合いが始まる。<br>ところが、便利が良すぎた為か、両軍とも大規模な兵が集結し戦いも大規模に発展してしまう。<br><br>当初は、南軍の優勢で進んでいたものの、3日に渡る戦いで、北軍は侵攻を食い止める事に成功。<br>両軍合わせて5万人にも及ぶ死傷者を出した白兵戦は、人的資源に劣る南軍に大きな痛手をもたらし、その後の戦いにも影響を及ぼす事となる。(食糧も満足に支給出来ないばかりか、奴隷を10人以上保有もしくは監督している市民は徴兵を免除という不公平な南軍は脱走兵が続出、一か八かの賭けだったとも言われている)<br><br><br>それから4ヶ月後の11月19日。<br>甚大な戦死者を祀る為に、隣接するエバーグリーン墓地の後継として買収され国立戦没者墓地として生まれ変わったゲティスパーク。<br>ハーバード大学学長や国務長官を務めたエドワード・エヴレットの２時間に及ぶ大演説の後を受けてスピーチを行った人物が誰かはマイクもない時代で、演説者の声も小さく誰も気付かなったが、<br>わずか２分間の演説をたまたま書き留めていた記者が記した記事は後に大きな波紋を呼ぶ。<br><br>そのスピーチの最後の一節。<br>government of the people,by the people,for the people.<br>演説者リンカーンは、このスピーチで敢えて、Ｃｉｔｉｚｅｎ国民ではなくＰｅｏｐｌｅ人民、Ｕｎｉｏｎ合衆国ではなくＮａｔｉｏｎ国家と言っています。<br>戦争中の南部諸州に配慮して、北部合衆国でも南部連合国でもない全てのＰｅｏｐｌｅと言いたかったのです。<br><br>約80年後、マッカーサー(GHQ)が織り込んだ日本国憲法草案。<br>その前文はそのまま和訳され、憲法前文の一部になっています。<br>｢そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する｣<br><br>我々は福利を享受出来るはずなんですけどね…。
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<pubDate>Sun, 09 Jun 2013 00:46:00 +0900</pubDate>
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<title>危険な２択</title>
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<![CDATA[ 一か八かではありませんが、<br>２択というのは非常に危険なモノであります。<br>他に選択肢が有るにも関わらず、<br>視野が狭くなってしまったが故に、<br>Dead or liveな危険を冒すと大抵悪い方の目が出るもので…。<br><br>1860年11月 米大統領選で争点の1つになったのが｢奴隷制｣。<br>当時、農業などでの大規模生産方式によるプランテーション経済中心に労働力が不足、安価な黒人奴隷で利益を膨らませ、更なる利益を求めて自由貿易を望んでいた南部。<br>1812年から14年にかけての米英戦争により工業製品を自前で賄わざるを得なくなり、それによって工業化が促進、欧州との競争力で優位に立つ為に保護貿易を望んだ北部。<br>経済(カネ)を巡る両者の思惑の違いは対立を生み、<br>これに、度重なる戦争で財政難に陥っていたナポレオンからフランス領であったルイジアナを買収した事で南北の政治バランスが崩れ、北部が断然優勢になり対立が決定的となります。<br><br>結局、大統領選は、奴隷制の拡大に反対していたリンカーンが当選。<br>奴隷制を失いたくなかった南部は、<br>12月にサウスカロライナ州が連邦からの離脱を表明すると次々に離脱。<br>61年2月4日<br>7州によるアメリカ連合国の結成にまで至ります。<br>3月4日 リンカーンが大統領に就任すると、4月12日 テンパった南軍は北軍が陣取るサウスカロライナ州チャールストン港サンター要塞を砲撃、南北戦争が始まってしまいます。<br><br>この時点で北部の人口は約2200万(兵力400万)人に対し南部は奴隷400万人を含めて約900万(兵力100万)人。<br>既存の政府組織が存在し中央集権的な政治体制が確立。意思決定もスムーズな北軍に対し南軍は、各々の州が｢俺が俺が｣と主張し合い、連合国大統領に任命されたジェファーソン・デイビスも取り纏めに苦労していたようですから既に結果は見えていたのかもしれません。<br><br>当初は3ヶ月で終わらせるつもりだったリンカーンの意に反し戦争は長期化。<br>1865年9月 約4年半もの歳月を費やしやっとの事で終結しますが、<br>最終的な動員兵力は北軍156万人、90万人で両軍合わせて62万人の死者を出した史上最悪の戦争となってしまいました。<br><br>62年9月に出された｢奴隷解放宣言｣により、南部で奴隷となっていた黒人は解放されますが…。<br><br><br>誰それの失言に限らず根強く残る差別や偏見。<br>我々に今必要なのは、｢ココロ｣を解放させる事なのかもしれません…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ahhou/entry-11543254566.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jun 2013 22:31:46 +0900</pubDate>
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<title>五月雨や 今日も今日とて 明日も明日とて</title>
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<![CDATA[ To you～梅～雨～。<br><br>この不快指数の高い蒸し暑い日に<br>のっけから訳の分からないオヤジギャグを書いてしまい、読まれた方には大変申し訳なく思います。<br>m(_ _)m<br>どうか、華麗にスルーして、快適な精神状態をイメージして下さいます事をお祈り申し上げます。<br><br>さて、いつものように本題からかなり逸脱して、何処へ行ってしまうのか分からなくなる前に…。<br><br>五月雨…旧暦の５月に降る雨。<br>つまり梅雨時の雨の事でございます。<br>巷では、早くから『アメ(リカ万歳)ノミクス』なる、不快指数ＭＡＸ的なマネーゲームが一部のご身分の方々の間で流行しているようですが…。<br><br><br>｢五月雨を集めて早し最上川｣は、1702年の『奥の細道』の松尾芭蕉。<br>｢五月雨は 露か涙か不如帰 我が名を上げよ雲の上まで｣を辞世の句として、無念にもこの世を去ったのは室町幕府13代将軍の足利義輝。<br>1565年6月(旧暦5月)に殺害された時の(死後に誰かが心境を察して詠んだ？)句です。<br><br>更に遡る事570年余り。<br>996年頃、清少納言の『枕草子』にも五月雨が書かれ、<br>905年頃と言われる『古今和歌集』にも ｢五月雨の 空もとどろに郭公 何を憂しとか 夜もただ鳴くらむ｣<br>と詠まれている程に、五月雨と言う言葉は季節の象徴だった？ようです。<br><br><br><br>湿気が多くなると、雲や空気だけでなく身体もどんよりと重くなるものです。<br>ジメジメ、ベトベトとした気が体内外にこびりつき血流が停滞、胃腸の冷えによる食欲不振や消化不良、肩こりなど体のあちこちに重苦しい不調和が生じます。<br>これは水分(血液も)が停滞している為に起きている現象であり、冷たい飲み物をガブガブ飲むと、更に水分代謝が落ちて、益々スッキリしない停滞現象を引き起こします。<br><br>では、どうする？<br>まず食べ物は身体に停滞している余計な水分を排出する効果のあるはと麦やスイカ、キュウリ、もやしなどと、<br>胃腸機能を高めるカボチャ、大豆、人参などを積極的に摂り、<br>水分は午前中から昼過ぎまでに摂取して、良く歩く(下半身を動かす)事で体内の水分を排出させるように心がけた方が良さそうです。<br>植物のように、根である臍から下に水分が行き渡る事をイメージすれば納得していただけるかと…。<br><br>因みに私は医者でも学者でもありませんので、信じるか信じないかはあなた次第なんですけどね！<br>(-.-)y-~~~<br><br>｢五月雨よ 嫌な事 全部流してよ｣<br>お後が宜しいようで…
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<pubDate>Wed, 29 May 2013 20:09:02 +0900</pubDate>
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<title>たまには更新…。</title>
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<![CDATA[ 本日のネタは｢やちまた｣。<br>八衢と書き、文字通り、道が八つに分かれている所。<br>いくつもに枝分かれしている所。<br>分かれ道が多くて迷いやすい事の喩え。<br><br>八(や)衢(ちまた)と読み、<br>衢の｢ち｣が道で、｢また｣が股だそうどす。<br>因みに、千葉県の八街の名は、<br>明治2年に江戸幕府の軍馬の放牧地であった、佐倉や小金の｢牧｣を開墾する事が決まり、明治5年から開墾が開始され、その開墾の順番で名付けられた事に由来するとか。<br><br>現在の鎌ヶ谷市にある旧初富村に始まり、(現在の)船橋市二和、三咲。<br>柏市豊四季。<br>松戸市五香、六実。<br>富里市七栄と続き、八番目という事で八街になったようです。<br><br><br>さて、またまた本題から逸れてしまいますので、この辺で本筋に戻します。<br>今回の『物申す』(エガちゃんか！)は、<br>分かれ道、分岐点の事にございます。<br>大震災以来、<br>政(府)、官(僚)、報(道)、経(済界)の見え見えの嘘に気づき始めた我々国民。<br>ある者は、今日もデモに勤しみ、<br>ある者は、聞こえないフリをして精一杯の作り笑いで日々をやり過ごし、<br>ある者は、｢どうせ何も変わらないさ｣と<br>ふて腐れて昨日の続きの愚かな時を過ごし…。<br><br><br>ヒンドゥー教の教えにある有名な言葉を引用します。<br>『心が変われば、態度が変わる。<br>態度が変われば、行動が変わる。<br>行動が変われば、習慣が変わる。<br>習慣が変われば、人格が変わる。<br>人格が変われば、運命が変わる。<br>運命が変われば、人生が変わる。』<br><br><br>逆に考えると、<br>『心が変わらなければ、態度は変わらない。<br>態度が変わらなければ、……、<br>人生は変わらない。』<br>とも言えるわけです。<br><br>さて、あなたは、<br>そして私は、変わる事はできるのでしょうか？<br><br>心⇒態度⇒行動⇒習慣⇒人格⇒運命⇒人生。<br>壁は大きいようですが、果たして…。<br><br>皆様の、そして私の幸運を祈ります。<br>('◇')ゞ
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<pubDate>Sat, 25 May 2013 01:11:25 +0900</pubDate>
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<title>国益って？ 明治4年11月 政府首脳の長期外遊～岩倉大使節団～</title>
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<![CDATA[ 明治4年7月 廃藩置県により中央集権への足場を固めた政府は、<br>11月 岩倉具視を特命全権大使とする欧米先進国への外遊団107名を派遣。<br>岩倉始め、木戸孝允、大久保利通といった首脳クラスに加え、伊藤博文、山口尚芳を副使として、<br>表向きは欧米先進国の視察、友好を目的としたが、翌年に控えた条約改正の予備交渉として各国を訪問し元首に国書を提出するという裏事情(改正するには１年の猶予をもって通告するという取り決め)もあった。<br><br>元々は大隈重信の発案で、小規模な交渉の為の使節団の派遣を予定していたらしいのですが、政治的思惑などから、<br>｢こいつが行くならあいつも｣<br>｢俺も俺も｣などとなり？人数が膨れ上がってしまったようですが、これ、国民から集めた税金なんですよね。<br><br>横浜港を11月に出発した一行は、太平洋を渡りサンフランシスコに上陸。<br>様々な施設等を見学した後、大陸を横断してワシントンD.Cを訪問。<br>交渉などを行いながら何と8ヶ月も滞在。その後に大西洋を渡ってイギリスでも4ヶ月、フランスで2ヶ月と(結果的に)無駄に？時間を費やし、12ヶ国を訪問し終え、帰国したのは、明治6年9月ですから、約1年10ヶ月の長期外遊となってしまった訳です。<br><br><br>無論、これにも得たモノは沢山あったでしょう。<br>しかし、何も結果を持ち帰る事が出来なかったのも事実です。<br>欧米側にとっては非常に美味しい条約を簡単に改正できるはずもない事は、聡明な木戸や大久保らにも分かってはいたでしょうが…。<br><br><br>憲法改正や、橋下氏の発言で霞んでしまった感のあるＴＰＰ。<br>一度結んでしまったら、後から｢不平等条約だから改正して！｣と言っても簡単に変えられないのは歴史が証明しているのですが…。<br><br>｢国益｣を楯に、また詭弁で強行するのでしょうか？<br>何と言っても、支持率70%らしいですから…。（；￣Д￣）
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<pubDate>Tue, 14 May 2013 23:50:44 +0900</pubDate>
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<title>５月病をブッ飛ばせ！</title>
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<![CDATA[ 今日、たまたま聴いた♪ファイト♪(吉田拓郎版)<br>何度聴いても歌詞が心に突き刺さる歌だと感じたので１番だけ文字起こしします。<br>作詞作曲 中島みゆき『ファイト』。<br><br><br>あたし中卒やからね<br>仕事をもらわれへんのやと書いた<br>女の子の手紙の文字は<br>とがりながら震えている<br><br>ガキのくせにと頬を打たれ <br>少年たちの眼が歳を取る<br>悔しさを握りしめ過ぎた<br>拳の中、爪が突き刺さる<br><br>私、本当は目撃したんです<br>昨日 電車の駅、階段で<br>転がり落ちた子供と突飛ばした女の薄笑い<br>私驚いてしまって<br>助けもせず叫びもしなかった<br>ただ恐くて逃げました<br>私の敵は私です<br><br>ファイト！<br>闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう<br>ファイト！<br>冷たい水の中を震えながらのぼって行け<br><br><br><br>様々な局面で日々戦いに明け暮れる日常という戦場。<br>自宅の玄関を一歩出れば、<br>そこは他人の思惑なども蠢く戦場です。<br>『私の敵は私』<br>考え方１つで思考も行動も変えられます。日々、自分に後悔しないように生きていけばそれで良いのではないでしょうか？<br>棺桶に入る時は自分ひとりになるんですから…。<br><br>ファイト！<br><br>
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<pubDate>Tue, 07 May 2013 00:12:55 +0900</pubDate>
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<title>廃藩置県、そして天下の台所大阪の没落。</title>
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<![CDATA[ 廃藩置県という一種のクーデターにより、最も割りを喰ったのは商人であった。<br>藩主連中を県令などに祭り上げ、実務を仕切ったのは元武士の新官僚。<br>旧勢力に取って変わったのが、同じ武士や公家だったと言う所が維新のあざとさだったようです。<br><br>平安時代後期から続いた特定領主による領地支配は変革したものの、<br>当然そこで発生する利権に群がるわけで、『金が集まる所に人が集まる』のは古今東西変わらぬ癖のようです。<br><br>特に、ほとんど詐欺に遭ったのが大阪商人。<br>信用貸しで旗本や御家人などに貸していた金が、廃藩置県により藩から新政府の債務と代わり、<br>政府側は、とても払いきれない莫大な債務の返済に条件をつけて誤魔化してしまいます。<br>明治元(1868)年以降の債務は公債を発行し元利を3年間据え置いた後から年利4%で政府が25年で返済。<br>弘化(1844～47)年間以降の債務は無利息で政府が50年返済。<br>天保14(1843)年以前について(全体の債務の半数以上)は、旧幕府が棄損令を発していた事を理由に全てチャラにしてしまうと言うヤクザな手法で踏み倒してしまいます。<br><br>これによって、貸し倒れが続出。<br>破産する商人も出る始末で、当時｢天下の台所｣とまで言われ日本の商業の中心であった大阪が最も被害を被り、繁栄を極めた街の賑わいは消えていった。<br><br><br><br>時は流れて、2013年<br>国民向けには、｢交渉で聖域を勝ち取る｣<br>と宣いながら、｢どうか仲間に入れて下さい｣と頭を下げてＴＰＰに強引に参加しようとしている時の政権。<br>アメリカの国債は死ぬほど買い付け、<br>やがてチャラにされてしまうのは自明の理ですが、損失は消費税の増税と破綻させる年金で埋める気でしょうか？<br>パンダ一頭１億円。<br>オスプレイを始めとする使えない防衛システムにウン十億円。<br><br>全て、国民から巻き上げた税金だと言うのに…。<br>軽減税率の適用と引き換えに散々消費税の必要性を煽っていた朝日あたりが、今さらこの増税のおかしさを批判するフリをしていますが、｢決まった事は仕様がない｣と言う姿勢を変えるつもりはないようです。(読売に至っては現政権とズブズブの仲ですから｢アベノミクス万歳｣を唱えるだけですけどね)<br>増税の必要条件を満たす為の｢アベノミクス劇場｣<br>官民一体となった猿芝居をいつまで許すのでしょう？<br>7月21日に予定されている参議院選挙。<br>我々の意志を示す最後のチャンスに<br>どういう行動で示すのでしょうか？
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<pubDate>Thu, 25 Apr 2013 20:55:17 +0900</pubDate>
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<title>穀雨～春雨降る頃～</title>
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<![CDATA[ 二十四節季の第６弾、穀雨。<br>今年は4月20日頃だそうですが、<br>季節的には、｢田畑の準備が整い、それに合わせて雨の降る頃｣とあります。<br>北風や冷たい空気の終わりを告げる、本格的な季節の変わり目の雨といったところでしょうか。<br><br>この二十四節季を約5日毎に、3段階に分けたのが七十二候。<br>江戸期に二十四節季の本場中国と日本との時差に(日蝕予想を外す事で)初めて気づいた渋川春海ら暦学者によって改訂され、季節を表す分かりやすい表現へと変わっていきました。<br>この春海、国産初の暦や地球儀なども開発。天文学に基づいた知識をあらゆる場面で日常に当てはめ、もともと幕府に仕えるきっかけとなった碁の打ち方にも用いて殿堂入りするほどの腕前だったようで学問を万事に応用できる、数少ない学者と言えるでしょうか。<br><br>明治7年 更に改訂された｢略本暦｣が現在も使われているようですが、それによると、<br><br>初候(最初の5日)で、葦の芽が吹き始め、<br>次候(現在の｢みどりの日｣前後)で、霜が終わり稲の苗が生長。<br>末候(5月の最初)で、牡丹の花が咲く頃とあります。<br><br><br><br>2013年4月20日 昼過ぎから降り始めた冷たい雨は冬の終わりを名残惜しんでいるかのようで、冷たい空気に切なさをも感じてしまいます。<br>冬物のコートも明日でお役御免といったところでしょうか…。<br><br>
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<pubDate>Sat, 20 Apr 2013 22:25:45 +0900</pubDate>
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<title>明治4年7月14日 廃藩置県のクーデター</title>
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<![CDATA[ 各藩独自の貿易(密貿易)を行って、財政難を解消していた維新前夜。<br>脆弱な明治新政府は、反乱を起こしかねない武士の特権を取り上げ、権力を集中させようと画策。<br>明治2年の版籍奉還に引き続き、藩の名称を廃止、中央に服従させる自治体(県)にして金と権力を握り、中央集権の官僚制度を確立を目指した。<br><br><br>明治3年 大蔵大輔の大隈重信が<br>｢全国一致之政体｣を求める建議を太政官に提出。<br>これが認められ、<br>翌年7月14日(1871年8月29日)14時 <br>明治政府は、在東京の知藩事(旧藩主)を皇居に集め廃藩置県を命じ知藩事は失職。<br>各県には、政府から任命された県令が派遣されます(現在も元官僚が｢○○県知事はどうだ？｣と声を掛けられ立候補。政党や業界団体の支援、広報と化したマスコミによる好意的な報道で知事になっていますからあまり変わっていないのですが…)。<br><br><br>この廃藩置県の成立までに、<br>政府内では、木戸、大隈派と、<br>大久保、西郷派の権力闘争があり、<br>結果、西郷を説得？した木戸派の推進する政策が実行に移されるのですが、<br>鹿児島藩の政務に勤しんでいた西郷を中央政府に引っ張り出す為に双方が望んで行ったのが御親兵。<br><br><br>木戸、大隈の急進派は、親兵の力を背景に廃藩置県や官僚、租税制度の整備による中央集権を目指し、<br>大久保らは逆に、その流れを変えるべく出身藩である薩摩藩の親兵入京と西郷の入閣を歓迎。<br>これを受けた西郷が、<br>明治4年1月4日 鹿児島を出発し東京へと向かう。<br>当初、急進派に批判的な西郷は、<br>途中、大久保、木戸と合流。<br>両者の意見を聞き双方の思惑も理解。<br>政争の深刻化を危惧し、自らは一歩引いた形での新制軍隊の編成に力を注ぐとして、<br>2月13日 正式に御親兵が発足した。<br><br>ところが、この御親兵の維持費に困窮し<br>早くも3月には、宮内省の予算10万両が兵部省に移され、<br>皮肉にも、木戸、大隈の主張する行政組織と税制改革を後押しする事になる。<br><br><br>一部の声高な人々が画策、主張する道州制と憲法改正からの徴兵制。<br>明治政府の権力掌握を模倣しているようで、何とも不気味な腹黒さを感じてしまうのですが…。<br>政党の名前が｢維新｣だけに尚更…。<br><br><br>利用された事に絶望？した西郷さんが、<br>最後には、負けると分かっていながら戦わざるを得なくなってしまった気持ちが分かると言ったら傲慢でしょうか？<br><br>｢いつか来た(過ちの)道｣を通りたくはないんですけどね…。<br>
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<pubDate>Tue, 16 Apr 2013 16:51:37 +0900</pubDate>
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<title>｢春眠、暁を覚えず｣で良いのか？</title>
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<![CDATA[ 気候が良い春の夜は<br>心地よい眠りが更なる眠りを呼び、<br>朝になったのも忘れ、つい寝過ごしてしまう。<br>と言う事のようですが…。<br><br>眠り過ぎる事は健康的に見えて、<br>実は健康に悪いのです。<br>｢眠り過ぎは頭がボケる｣と言われるように、長時間横になる事で血行が悪くなり、身体も圧迫、血液が流れにくくなる事で内臓機能にも悪影響を及ぼし不健康の原因を作っているようです。<br>皆さまも経験がおありかと思いますが、<br>眠り過ぎた後の尿は黄色く濁り、<br>顔色もいくぶん悪く、<br>水分代謝の不良でむくみなども現れ、<br>体温も低下(低血圧の人が良くお分かりかと)。<br>血行が悪い為に、頭は冴えず、当然身体のキレもなく、食欲もあまりないと言う状態でブレイクファーストを迎えるわけです。<br>医学的には、体内に余分な脂肪が蓄積され動脈硬化などを招くようですから、眠り過ぎに注意ですな。<br><br>理想の睡眠はどんなモノか？<br>これには、肉体的、精神的な個人差がありますから一概には言えませんが、<br>90分サイクルで考えて、<br>最低1時間30分。3時間、4時間30分、6時間あたりがよろしいようです。<br>7時間30分までは何とか許容範囲としても、次の9時間になってしまうと、身体に悪いのはもちろん、時間ももったいないように感じてしまいます。<br><br><br>寝不足と感じたら、<br>うたた寝で脳を休めると回復します。<br>電車内で15分、昼休みに15分でかなり回復するのですが、問題はこの時眠り過ぎることですね。<br>乗り過ごしや寝過ごしで時間オーバーになってしまっては本末転倒ですから、<br>日頃から身体で15分感覚を覚えるのも良いかもしれません。<br>3分1ラウンドを身体で覚えるボクサーのように我々も訓練で覚える事は可能なはずですからね。<br><br><br><br>では、心地よい熟睡で、眠りだけでなく人生をも快適にお過ごしくださいませ。<br>('◇')ゞ<br>春だぜ、ベイベ！<br>(-.-)y-~
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<link>https://ameblo.jp/ahhou/entry-11509718106.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Apr 2013 05:39:38 +0900</pubDate>
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