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<title>アホリズム</title>
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<description>身近なことから、多少小難しいハナシまで書き散らす、個人的雑記帳です（とは言え、読んでくれると、とても嬉しいです^ ^;)</description>
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<title>判決は、「妥当」としか言えない・・・福岡３児死亡、危険運転認めず</title>
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<![CDATA[ <a target="_blank" href="http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008010802077931.html">福岡３児死亡、危険運転認めず　元市職員に懲役７年６月</a><br>(2008年1月8日 夕刊 中日新聞)<br><br>法律の専門家ではないので、単純には言えませんが・・・<br><br>wikipediaの<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E9%99%BA%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA">「危険運転致死傷罪」</a>　の説明は、非常によく、まとまっていると思います。<br><br>そして、上記の内容に即して考えると、私は、この判決は、「妥当である」と、思います。<br><br>何故なら、ここに書いてある構成要件では、<br><br>「道路交通法の酒酔い運転罪の規定（同法117条の2第1号）にいう、「正常な運転ができないおそれがある状態」では足りず、現実に前方注視やハンドル、ブレーキ等の操作が困難な状態であることを指す」ですから、これが「明らかに立証」できないなら、この罪は、適用されない訳です。<br><br>少なくとも、この裁判においては、事実、検察は、この構成要件を「立証」できなかったのでしょう。<br><br>そして、裁判官は、「業過致死傷の併合罪（という、適用しうる法の範囲内－引用者注）では最高刑」（上記新聞記事）を、与えたことにも、留意すべきです。<br><br>＜裁判官も、辛かったと思います・・・＞<br><br>むろんのこと、「飲酒したら、無条件に、この罪を適用する」というのは、この法律に即してません。と言うのも、この法律では、飲酒のみならず、「薬物の摂取」も適用され、その薬物とは、<br><br>「本条文における「薬物」とは、麻薬・覚せい剤などの違法な薬物だけでなく、精神安定剤や解熱剤などの市販されている医薬品・処方箋も含まれる」（上記wikiより）<br><br>なのだから、「解熱剤を飲んだら、無条件に、この罪を適用する」となれば、それこそ、喧々諤々の議論になるでしょう。<br><br><br>逆に、端的に言えば、<br><br>「ある一定期間の中で、飲酒して運転を行い、かつ、＜その因果関係が、あろうとなかろうと＞事故を起こしたならば、無条件に、その法を適用する」<br><br>という法律ならば、すっきりするわけです。何故なら、この判決に不満を感じるのは、<br><br>飲酒という「勝手な欲望」を抑えきれずに、それ自体が潜在的な危険性を持つ、「運転」という行動を起こしたこと自体が、悪い<br><br>という、「世間一般マインド」に、反しているからです。<br><br><br>＜で・・・もちろん、上記は、単に「すっきり」するだけで、「暴論」です。何故なら、現行の法律の根拠となる、「法の精神」とは、全く異なるものなのですから・・・＞<br><br><br>しかし・・・私は、以前の<a href="http://ameblo.jp/aholism/entry-10060923843.html" target="_blank">エントリー</a>　でも書いたのですが、<br><br><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E9%99%BA%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA#.E8.84.9A.E6.B3.A8" target="_blank">「何故、証拠隠滅と思われる行為が、問題にならないのか？」</a>　です。<br><br><br>たぶん、これにも、深い意味があるのでしょうが、今の私には、その根拠が、判りません。<br><br>なんだか、全く、煮え切らない文章に、なってしまいました・・・<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10064673303.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jan 2008 21:57:04 +0900</pubDate>
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<title>いっそのこと、「徴介護士制」を義務化しましょう</title>
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<![CDATA[ <a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080107-00000959-san-soci" target="_blank">「孤独死防止に見守り役配置　全国１００カ所に厚労省」</a>　（1月7日21時56分配信 産経新聞　via yahoo ニュース）<br><br>昔、日本が律令制の頃、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8%E8%AA%BF#.E5.BA.B8" target="_blank">庸</a>」　という租税制度がありましたが・・・<br><br>いっそのこと、徴兵制ならぬ、「徴介護士制」の義務化を導入したらどうですかね。それこそ、「週に一回、指定された高齢者の所へ行き、介護すること」とか。<br><br>少なくとも、私なんぞは、週に一回、会社を休もうが、会社にとっては、屁でもありませんから。むしろ、中途半端な「ボランティア休暇」なんぞを取得する勇気のない私にとっては、そのほうが、好都合です^ ^;)<br><br><br>介護ヘルパーへの人件費は浮くし、それゆえ、少しは我々の介護保険料負担も減るし、企業は、月平均4日分の人件費も削減できるし、お金持ちは、それこそ、「庸」の代わりに、自分のおカネを税金として払えばいいんだから、まさしく、「"うぃん・うぃん"ソリューション！」では、ないか、と（苦笑）。<br><br>（まあ、個人的には、その日一日分の、食費くらいは、国家から、支給して頂きたい、と、さもしくも思っておりますが(笑)）<br><br><br>しかし・・・「庸」という考え方の導入は、悪くないんじゃないか？と、ある意味本気で、私は、思います。<br><br><br>「徴兵制」を、即「軍国主義」とか、「国家の横暴」とやらに結びつける人たちも、たぶん、「徴介護士制」なら、何も言えないでしょう。<br><br>だって、それを反対すること自体が、高齢者に対する「人権侵害」であり、それこそ、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E6%93%81%E8%AD%B7%E6%B3%95%E6%A1%88#.E4.BA.BA.E6.A8.A9.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A.E6.A6.82.E8.A6.81.EF.BC.88.E6.A1.88.EF.BC.89" target="_blank">「人権委員会」</a>　に、告発されちゃいますから^ ^)<br><br><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E6%93%81%E8%AD%B7%E6%B3%95%E6%A1%88#.E4.BA.BA.E6.A8.A9.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A.E6.A6.82.E8.A6.81.EF.BC.88.E6.A1.88.EF.BC.89">&nbsp;</a><span style="text-decoration: underline;"><br></span>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10064485544.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Jan 2008 22:15:12 +0900</pubDate>
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<title>大「東南」亜共栄圏（笑）</title>
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<![CDATA[ <a href="http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071231/plc0712312344006-n1.htm" target="_blank">「日本、メコン東西回廊に２０００万ドル　“南進”中国に対抗　外相会談で表明へ」</a><br>（<span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__">2007.12.31 23:44　産経ニュース　via MSN)<br><br><a href="http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071231/plc0712312347007-n1.htm" target="_blank">「日本、東南アジア外交再構築　ばらまきに対し着実援助」</a><br></span></span><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__">（</span></span><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__">2007.12.31 23:47　</span></span><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__">産経ニュース　via MSN)</span></span><br><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__"><br><br>やや古い記事で恐縮ですが、単純に、嬉しいじゃないですか、この記事(^-^)/<br><br>総理が中国へ「朝貢の儀」を振る舞いつつ、同時期に、まさに、この記事にあるような考え方をもって、動き、そして、「敢えて」発表したのなら、とても嬉しいです。<br><br>＜逆に・・・中国へのご機嫌伺い、みたいな観点で、この記事がリークされたのなら、とても悲しいですが・・・何にしても、総理の訪中時期と重なっているので・・・＞<br></span></span><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__">&nbsp;</span></span><br>以下は、この産経の記事の趣旨に沿った形で、書きますが・・・<br><br><br>政府には、こうした海外における投資事業について、その投資に見合ったものを、本当に、しっかり「回収」してもらいたいです。<br><br>もちろん、この「回収」は、単にお金だけではなく、我が国への、「目に見える形での評価・支持」という観点において。<br><br>東南アジアは、我々にとって、地政学的にも重要な地域であることは論を俟ちません。<br><br>それゆえ、当時の大東亜共栄圏が、対欧米への社会・経済的対抗措置であったとしたら、現時点での東南アジア諸国との連携は、まさに、これら諸国に対し、露骨に「進出」する中国に対する、正当な対抗措置だと考えます。<br><br>その意味で、この、メコン東西回廊という重要なインフラ構築を成功させ、かつ、<br><br>この成果を、「横取りされないように」<br><br>しっかりと固めて頂きたいと思います。<br><br><br>また、本記事にもあるように、「初のＰＫＯ（国連平和維持活動）要員を派遣してカンボジア和平を主導するなど、東南アジアの発展に大きく寄与してきた」などのような、＜一般に、国民からは、そう評価されていないような活動＞が、ODAなどと共に、意義があったことを、改めて、思い知らされました。<br><br>（かく言う私も、その頃は、その意義などを、全く判っておりませんでした）<br><br>しかし・・・自分の浅学さに対し、改めて恥ずかしさを感じると共に、政府も、上記のような活動の意味を、国民にしっかりと説明するような「正当な広報を行う手段」を、持つべきではないか？とも、思います。<br><br>よって・・・NHKを、早く、国営放送とすべきである、と、思います（笑）。<br><br><br><br><br><br><br><br><span class="timestamp"><span id="__r_publish_date__"><br><br><br></span></span>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10064198864.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Jan 2008 14:36:11 +0900</pubDate>
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<title>「ぶって、ぶって」のメカニズムとは？</title>
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<![CDATA[ 新年、明けましておめでとうございます&lt;(_ _)&gt;<br><br>なんと言うこともない、お正月でしたが、今年は、思いの他、本が読めた正月では、ありました。<br><br>そこで・・・<a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F%E8%84%B3-%E3%83%96%E3%83%AB-%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B1%A0%E8%B0%B7-%E8%A3%95%E4%BA%8C/dp/4062575388/ref=sr_1_2?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1199502870&amp;sr=1-2" target="_blank">「進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線」</a><a　href="http: target="_blank" ref="sr_1_2?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1199502870&amp;sr=1-2&quot;">　（朝日出版社 (2004/10/23)　by Amazon）<br><br>まずは、とても、面白かったです。と言うのも、<br><br>1.脳に関する知識が増えたこと<br>2.聴講生である、中高生の質問のレベルが、総じて高かったこと<br>3.著者の「思想」に興味を惹かれたこと<br><br>だからです。<br><br>＜しかし、上記2については、正直、「日本人の若者も、捨てたモンじゃねえ！！」と、素直に嬉しくなりました・・・つか、聴講生の中高生は「慶応義塾ニューヨーク学院」て書いてありますが、もちろん、日本人ですよね？まあ、それは、横に置いといて・・・＞<br><br>で、まだ中高生レベルに達していないかもしれない私においては、1に対しては、当然、著者に敬意を表しなければなりません。「先生の博識と、平易なご解説、誠にありがとうございます&lt;(_ _)&gt;」と、本気で、心から。<br><br>その上で、3についてです。ここで「思想」と言うのは、著者の、脳の研究と、その他もろもろから来る、「考え方」についてです。<br><br>「"意識"とは、"表現を選択できること"」<br><br>―私は、いつも「意識」を考える際に、これをどう定義づけすべきか、個人的に悩んでいたのですが、この定義は、現時点の私においては、最も、秀逸な定義であるように思えます。その意味で、非常に感銘を受けました。<br><br>と言うのも・・・そうであれば、グルシェフなどの言う、「ある外部作用に対し、決まった反応しか示すことのできない、不細工な機械」でしかない「人間」（<a target="_blank" href="http://ameblo.jp/aholism/entry-10055745415.html">「人間は、「機械」である by グルジェフ」エントリご参照</a>）は、<br><br>文字通り、「表現が選択できない」という点において、「意識」はなく、それゆえ、「機械」である<br><br>と、言えることになります。これは、脳「科学」と、（頑張っても）ある種の思い入れにしか、見えない部分を持つように思われる「哲学」との接点ができた、と言う意味において、とても、意義があるように思えます。<br><br>しかし・・・<br><br>「動物は、（自身に危害を加える可能性のある、ある物事に対し－引用者注）「こわいから避ける」んじゃなくて、「こわい」（という「クオリア」≒感情・感覚－引用者注）かどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけなんだ」<br><br>この著者の言葉を、どのように－どのような、彼の趣旨として－理解すべきなのか？<br><br>まず、前後の文章を読むと、上記の説明は、「あくまでも、脳の活動のメカニズム」である。つまり、脳のメカニズムとしては、<br><br>ある外的物事→（動物の脳内での）恐怖感生成→（生成された恐怖感に基づく）回避行動<br><br>ではなく、<br><br>扁桃体の活動→回避行動　と、扁桃体の活動→大脳皮質内での恐怖感生成　が、ほぼ同時に行われれる<br><br>ということを言っています。そして、そのことが上述の、「こわいから避けるんじゃなくて、こわいかどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけなんだ」という、言葉に至っているのです。<br><br>で・・・「こわいかどうかとは無関係に、単に扁桃体が活動したから避けているだけ」という言葉が、非常に、私にとっては、気になる言葉です。<br><br>何故なら、この言葉だけ取れば、「人間の全ての行動は、外的な物事に全く関わりなく、扁桃体の"勝手な活動"によって「支配」されている」、と「読めてしまう」からです。<br><br>＜そして事実、扁桃体を破壊された動物の、ヒジョーに無秩序な行動の例が、後段で記述されているのですが、これは割愛＞<br><br>私は、メカニズムとしては理解し、同意もできますし、また、扁桃体が破壊されたり、破壊までは行かなくとも、それを何らかの方法でコントロールされれば、「自分でなくなってしまう」ことは、全く同意できます。<br><br>しかし、私なら私が、「ある人の文章なり記事を読み、それに対して不快感を持ち、そして、それに反論する」という行為は、<br><br>＜外的物事＞ある人の文章なり記事を読み→＜感情＞不快感を持ち→＜行動＞それに反論する　のではなく、<br><br>"扁桃体で勝手に生まれた"行動（を促進させる、芽）→＜行動＞それに反論する<br><br>ということに、なるのでしょうか？<br><br>キーは、「扁桃体は、本当に"勝手に活動"をしているのか？ある外的物事に対して、何がしかのルールに基づき、恐怖なり何なりの行動の芽が、促進されるのでは、ないのか？」ということと、<br><br>「扁桃体の反応に影響を与えるような、扁桃体と大脳皮質間での、やり取り（相互コミュニケーション）は、本当に、働いていないのか？」<br><br>だと思います。<br><br>これは、SMプレーの「快感」の本質は、<br><br>「扁桃体で発生した＜「痛み」ではなく＞快感の芽→行動表現としての<a href="http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1188557467/101-200" target="_blank">「ぶって、ぶって」</a>行動　なのか、それとも、<br><br>「扁桃体で発生した「痛み」の芽→大脳皮質での、何らかの「痛み」から「快感」への変換→「ぶってぶって」行動<br><br>の、いずれか？という、大問題でも、あります（苦笑）。<br><br><br>しかし、非常に、含蓄に富む、刺激的な本でした。<br><br>そして、取り敢えずは、「もっと、頭を使いましょう！」ということで、新年最初のブログを締めたいと思います（笑）。<br></a　href="http:>
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<pubDate>Sat, 05 Jan 2008 10:00:17 +0900</pubDate>
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<title>ヒト売り稼業</title>
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<![CDATA[ <a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071228-00000110-mai-soci" target="_blank">＜派遣労働者＞０６年度は最多の３２１万人　人件費圧縮映す</a>　(12月28日19時27分配信 　毎日新聞)<br><br>いわゆる、派遣労働者の中にも、「やむなく派遣のヒト」と、「望んで派遣のヒト」が、いるとは思いますが・・・<br><br>「一般派遣の料金は平均で前年度比２．１％増の１日１万５５７７円なのに対し、賃金は０．５％と微増の１万５７１円にとどまった。日雇い派遣が多い建築物清掃の仕事では、料金は２．６％増の１万１３０３円に対し、賃金は８．７％減の６９９５円に下がっている」（記事より引用）<br><br>要は、平均で32%～38%、派遣業者は、抜いている、と。で、<br><br>「派遣会社の年間売り上げは５兆４１８９億円（同３４．３％増）となった」（記事より引用）<br><br>実際にデータを見ていないのと、「平均」概念の問題はありますが、「集めて、転売する」だけの仕事で、やっぱ、これは、あまりにも、ボッタクリでしょう。<br><br>この「ボッタ」の内訳は、「調達コスト」＋「維持管理コスト」に加え、<br><br>「派遣労働者に逃げられた場合に備えた、それこそ、"貸倒れ引当"」<br><br>ということでしょうか？（苦笑）<br><br>この「派遣業」、結局のところ、「ビジネスモデル」としては、昔の、奴隷売買やら、身売りやらと、全く同じですね。違うのは、「期間」の問題と、「本人の同意」。そして、この「本人の同意」と言ったって・・・<br><br>＜この「料金－賃金」、それこそ、貸金業で上限金利規制を敷いたのと同様、何とかならないものか、と、個人的には思ってしまいます（苦笑）＞<br><br><br>まあ、企業が、「人"財"」とか、「ヒトは資本」とか何とか言いながら、結局は、P/L上では費用でしかない「人件費」の削減に着手してから、こうなることは判りすぎるくらい、判っていたことですが・・・<br><br>また、単なる福祉予算だけのセーフティネットではなく、「人的流動性」を前提とした社会的インフラ整備　－社会人教育とか、社会保険体系などの見直し、明確な「ホワイトカラー」の定義、更には、受け入れ側になおも存在する、転職回数などによる「制限」などなど －が、進んでいない現状においては、恐らくは、この状態が、更に続くことは、容易に想像できます。<br><br>しかし、これで企業が儲かってるとか、景気は堅調な動きとか言われても・・・笑うほか、ないですね。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10062741850.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Dec 2007 12:13:17 +0900</pubDate>
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<title>「姫路に新工場」の意味</title>
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<![CDATA[ <a href="http://http://www.asahi.com/digital/av/OSK200712270050.html" target="_blank">&nbsp;</a><a href="http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20071227p302.htm" target="_blank">松下、姫路に液晶工場…シャープ堺に対抗</a><!--// date_start //--><!--// date_end //-->　（2007年12月27日  読売新聞）<br><br>こういうことの社会的・政治的意味が、全く判っていないので、「どうでもいいハナシ」カテゴリーにしたのですが・・・<br>たぶん、絶対的に、何らかの意味があるのでしょうね。<br><br>「液晶テレビパネルではシャープが堺市に作る工場に次ぐ世界２位の規模となる見通し」と、上記の記事には書いてあります。<br><br>何が言いたいかというと、「なんで、わざわざ、"人件費の高い"日本に、こうした工場を作るのか？」ということです。逆に言うと、それこそ、製造業が"果敢にチャレンジしてきた"、人件費の安い、中国には、作らないのか？という観点で。<br><br>私は、液晶テレビパネルで求められる技術水準とか、この分野で求められる競争力とかについて、全く全く無知なのですが、<a href="http://bcnranking.jp/news/0608/060807_5069.html" target="_blank">こうした記事</a>　を読むと・・・<br><br>「やはり、世界で戦ってきた製造業サマは、（勝負の厳しさを知っているから）見事なほど、"最適なリソース配分"を、しているのかな・・・」と、<br><br>嫌味ではなく、マジで感心してしまいます。<br><br>で・・・そうであれば、私の考える「国益」にも、適っているし・・・<br><br>＜もし、そうであれば、とても嬉しい・・・(^ ^;)＞<br><br>近年の、対中投資の停滞と相俟って、やや長期的観点で見た場合、日本において、真の意味での"リスク管理"ができているのは、「金融」分野ではなく、やはり世界で戦った「製造業」（特に、自動車、家電）ではないか？と、さえ、思いました。<br><br>
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<pubDate>Thu, 27 Dec 2007 22:56:51 +0900</pubDate>
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<title>&quot;神のために芝居をやれよ&quot; - by サリンジャー</title>
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<![CDATA[ クリスマスなんで、「神様」という訳ではないのですが・・・<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC-%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC/dp/4102057021" target="_blank">「フラニーとゾーイー」</a>　(新潮社; 改版版 (1976/04) by Amazon)<br><br>カスタマー・レビューの中にもあるように、私も、サリンジャーの最高傑作だと思います。もっとも・・・そもそもの分母が少ないので、「読書家」として、自慢できたものでは、ないですが（苦笑）。<br><br>で、その中にある、名言、"神のために芝居をやれよ"　という言葉・・・<br><br>もちろん、この"神様"が、「全てを救ってくれる神様かどうか？」は、判りません。と言うよりはむしろ、<br><br>「単純な論理で考えれば、物質的な宝をほしがる人間と－知的な宝でも同じことだけど－それと精神的な宝をほしがる人間との間に、ぼくの目に見える相違は全然ないね」<br><br>なのですから。<br><br>えげつない言葉ですね（苦笑）。私は、以前のエントリーで、ニーチェの<br><font size="2"><br>「自分自身を軽蔑する者も、やはり常にその際なお、軽蔑者として自分を尊敬する」</font><br><br>を話しましたが、全くもって、それと通底する言葉です。<br><br>そりゃ、そうです。何故なら、<br><br>「何がエゴで何がエゴでないか　これは、キリストを待たなければ決められないことなんだぜ。この宇宙は神の宇宙であって、きみの宇宙じゃないんだ。何がエゴで何がエゴでないかについては、神が最終決定権を持ってるんだ」<br><br>だからです。<br><br>じゃあ、なんで、"神のために芝居をやる"必要があるのでしょうか？<br><br><br>ここからは私の「想い」でしかありませんが、私の言葉で言うと、以下の通りです。<br><br><br>「神のために芝居をやる」ことすら、「物質的な宝をほしがる人間と、精神的な宝をほしがる人間との間に、（精神構造的な意味での）相違は全然ない」と言う観点において、「同じである」ことは、判りすぎるくらい、十分、判っています＜むしろ、「人間」こそが、世界においての欠陥品である＞。<br><br>しかし・・・我々、人間は、「それしか、やり方がない」・・・だから、その意味で、「救いを求める資格は、ない」が、それでもなお、「その想いを、気づかせてくれた神様に感謝する」と同時に、（そうしたことも考える）人間として生まれたこと、そして、そうした人間を作り出した、神さまと、（その最高の欠陥品でしかない可能性が高い）自分に対し、ほんのわずかの可能性を信じ・・・<br><br>"神のために芝居をする"<br><br>ということだと、私は、考えます。<br><br><br>私の尊敬するマイケル・ポラニーは、大著「個人的知識」の中で、こう言っています。<br><br>「（自分の知的自己投出は）自らの"天職"を果たすことになるという希望によって満足する人々は、よく反省してみれば、それは希望に過ぎないという認識によって、希望を挫かれることはないことを、見出すだろう」<br><br>「（キリスト教的な救済のテクニークは）自ら受容する責務の遂行の中に、自らを滅却すること－－省みれば、それが遂行不能に思われようとも－－で、ある」<br><br>と。<br><br>----------------------------------------------------<br>たぶん、後で読み返すと、言葉足らずの、訳のわからない文章の可能性が・・・(^ ＾;）<br><br>クリスマスのセンチメンタルなプレゼント？にしては、全く、似つかわしくない、ハナシでした（苦笑）。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10062156949.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Dec 2007 22:56:33 +0900</pubDate>
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<title>「民度格付機関」の創設は、どうよ？（笑）</title>
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<![CDATA[ クリスマスイブということで、小市民である私は、多少"豪華な"夕食を取りつつ、ポケーと、ＴＶを見ていたのですが・・・<br><br><a href="http://www.tv-tokyo.co.jp/tokumei/" target="_blank">「THEトクメイ記者!」</a> (TV東京　<font size="2">2007年12月24日（月） 夕方6時30分～夜8時48分）を見て、「義憤」に駆られてしまいました。<br><br>それは、台湾－香港、そして中国を舞台とする、NEC製品を騙る詐欺事件についてでした。<br><br>この事件が発覚（報道）されたのは、確か2年前くらいだったかと思います。<br>そのときも私は、禿げしく激昂したのですが、それから、すっかり忘れておりました。<br><br>＜オレ、NECの経営者とか、社員じゃ、ないし・・・と、思っていました</font><font size="2">し(^ ^;)</font><font size="2">＞<br><br>これは、要は、製品偽装のみならず、契約からライセンス料の徴収まで、全て「NEC」の名義で行っていたという、極めて、確信犯的詐欺事件でした（「でした」と、取り敢えずは過去形で話していますが、「過去」になったのかどうかは、知りません）。<br><br>また・・・個人的には、哲学の「認識論」にも、関わる問題でもありました（笑）。何故なら、「何を持って、"NEC"と言うか？」という、「他者からの認識」という観点に関わる問題を提起した、と言う意味において。<br><br>＜本当に、少し、考えさせられたのです。「法人」という"人格"とは、何か？と。また、これが新手の「会社乗っ取り」になったら・・・とｶﾞｸﾌﾞﾙしたのも、事実です＞<br><br>------------------------------------<br>それは、ともかく・・・こうした事件や、その他諸々の、諸外国絡みの事件を見るにつけ、私は思います。<br><br>「民度」は、存在する、と。<br><br>もちろん、「何をもって、犯罪とするか？」を突き詰めれば、法的解釈や、それこそ文化人類学の領域にまで至るのですが、当然、ここでは、そんなハナシではなく、それこそ「己の欲せざる所、他人に施すことなかれ」における、国際常識的な合意レベルにおいてです。<br><br>で・・・企業の格付機関があるのだから、「民度の格付機関」も、作ればいいのでないか？と。もちろん、「リスク管理」の観点において。<br><br>指標は、「勤勉性」とか「コミュニケーション能力」のような、一般的指標だけではなく、「礼儀度」とか、「親切度」とか、「犯罪発生率」なども含めて。<br><br>もちろん、「犯罪発生率」の「犯罪」カテゴリーは、国家内での取り締まり対象である「犯罪」ではなく、前述の</font><font size="2">国際常識的な合意レベルにおける「犯罪」です。</font><font size="2">そして、その国自体の発生率もさることながら、「他国における、自国民の犯罪発生率」という指標も、重要であることは、「比較」という観点から、当然のハナシです。<br><br>そして当然、犯罪レベルでウェイト付けすることは、言うまでもありません。<br><br>「リスク」は、単に企業の財務状況レベルだけ存在するのではなく、「カントリー・リスク」というのも、あるのですから。そして、その</font><font size="2">「カントリー・リスク」は、政治だけではなく、それを構成する国民にも、関連するハナシですから。</font><br><font size="2"><br></font><font size="2">------------------------------------<br>もちろん、こんな指標を作っても、意味がないことは、重々承知しています。<br><br>しかしながら、グローバルスタンダードというのも、"最初に、誰かが作り、それを誰かが、「グローバルに」広めたもの"でしか、ありません。<br><br>であれば、我々も、我々の価値観で、「グローバルになりえる」ものを、「</font><font size="2">グローバルスタンダード」とすべく、主張するべきだと思うのです。<br><br>「武士道」や「禅」が、ほんのちょっとですが、国際的に認知された人生哲学であるように・・・<br><br>我々日本人は、経済のみならず、その我々の持つ考え方、マインドというものについても、「文化」という観点で、「グローバルに貢献できるもの」があると、個人的には、考えます。<br></font><br><br>もっとも・・・国内の最近の社会的事件を考えるにつけ、BB以下ではないか？と、懸念致します・・・(&gt;&lt;)
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10061946522.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2007 20:53:18 +0900</pubDate>
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<title>C型肝炎訴訟－「議員立法による救済」は、&quot;叡智&quot;かもしれない・・・</title>
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<![CDATA[ <a href="http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-29494020071223" target="_blank">薬害肝炎患者を一律救済へ、首相が議員立法での解決表明</a>　（2007年 12月 23日 19:41 JST　Reuters）<br><br>で、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%AB%8B%E6%B3%95" target="_blank">「議員立法」</a><br><br>この決断と方向性は、私は、"叡智"であると思います。「あるべき姿」を守りつつ、「今後の狙い」という点において。<br><br>しかし、後者においては、私も確信できる部分は少ないため、まずは前者の観点で、考えたいと思います。<br>＜それに、それを、「うまく使えるか否か？」は、今後のやり方次第ですし（苦笑）・・・＞<br><br>私が、これを評価する意味は、<br>・「救済」が、お上＝行政＝内閣　の「お慈悲」とは、ならないこと<br>・「立法府」と「行政府」の立場を、明確にしていること<br><br>だからです。<br><br>我々は、世の中がよくないと、「政府が悪い（アホ）」とか、「政治家が悪い（アホ）」とか言いますが、その前に、「三権分立」を、本当の意味で、判っていません。<br><br>「政府」は、本来、法を執行する立場です。だから、政府というのは、ある問題に対し、これが法に適っていると判断したとき、それを執行するだけの役割しか、「本来は」ありません。<br><br>そして、この問題では、「政府」は、自身に賠償責任なしと考えた・・・しかし、「法の適用を判断する役割である」司法は、ある程度において、「国＝行政」の責任を認めた。その上で、その司法が、あのような、和解案を出した・・・<br><br>本来ならば、これで終わりです・・・もちろん、原告は、不服であれば、まだまだ「司法」に対し、「ＸＸの法律に照らし合わせれば、明らかにおかしいじゃん！」などと、異議申し立てをすることはできますが、「和解勧告」と言うのは、ある意味、司法が、「原告さん、被告さん、このまま争っても、完全に勝ちとか、完全に負け、なんてことはないのだから、ここは、"痛み分け"ということで、やったほうが良いでしょ？」と、文字通り「勧告」しているわけです。<br><br>で、その後、「政治決断、政治決断」と、ワーワー言われた・・・しかし、実は、この「政治判断」こそ、非常に問題があるのです。「三権分立」という観点からすれば。<br><br>そして「議員立法」・・・これは、「"立法府"である議会」が、この問題に対する解決策を法案として成立させれば、「単なる法の執行機関である行政府である政府」は、淡々と、それに従いますよ、ということです。<br><br>・・・この考え方は、「まさに、民主主義の根幹のひとつである、"三権分立"」に、見事に適っています・・・<br><br>------------------------------------------------<br>では、マスコミが言っていた「政治決断」とは、いったい、何でしょう？それは、<br><br>「代官サマにお慈悲を請う」こと以外の、何物でも、ありません。<br><br>で・・・「政治決断を求める」と、＜知識人と、自他共に自負している＞マスコミが言うことは、彼らも含め、日本が未だに、この「お上のご慈悲」というマインドで、政府を見ていることの証左でしか、ないのです。<br><br>私は、これを全て、全否定するつもりは、ありません。例えば、それこそ、「凶作」の時には、食うだけで精一杯なので、「年貢の取立てを行う役目である」お代官様に、慈悲を請うことは、やむなしかと思います。<br><br>しかし、判っていないといけないのは、それは「お慈悲」、つまり、大目に見てもらう、ことでしかないのです。何故なら、時代劇と違って、「司法」という、「法の適用の妥当性を判断するところ」で、既に、行政の責任に対し、大枠の決着が着いているのですから。<br><br>そして何よりも・・・この「政治判断」が、いつでもOKならば、三権分立などの概念は、全く、意味がなくなります。<br>要は、「行政府の法の執行の匙加減こそが、全て」と、なってしまうからです。<br><br>＜これは、実は、マスコミ殿の恐れる「権力の集中」に、他なりませんが、彼らは、「何故か」司法判断を批判せず、行政をやたら批判していましたね（苦笑）＞<br><br>ローマ末期の「パンとサーカス」は、まさしく、このパターンです。そして、もっと恐ろしいことは・・・クレバーな人間ならば、この「政治判断」を、行政府の権力集中に、いつでも繋げることが、容易なのです。<br><br>------------------------------------------------<br><br>福田総理が、いかなる観点で、この「議員立法」という手段での解決を考えたのか、定かではありませんが、先の意味では「賢明な判断である」と、思います。何故なら、彼は、彼の「政治判断」により、もしかしたら、「慈悲のある代官様」として、人気を博したのかも、しれませんから。もちろん、それは、後に、より大きなツケを、生み出すものでしか、ないのですが。<br><br>その意味で、この方法は、賢明であり、評価すべきだと思います。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10061758289.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Dec 2007 20:49:54 +0900</pubDate>
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<title>「織田信長」の意味</title>
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<![CDATA[ 先週、テレ朝で放映された<a href="http://www.tv-asahi.co.jp/honnouji/" target="_blank">「敵は本能寺にあり」</a>　は、ご存知、加藤　廣氏著の<a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%A3%BA-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E5%BB%A3/dp/4532170672" target="_blank">「信長の棺」</a>　（日本経済新聞社 (2005/5/25)　by Amazon)　を原作として作られた作品です。<br><br>番組の出来はさておき、この番組に限らず、近年のＴＶなどでの「信長」の描き方は、昔の<br><br>"日本統一と平和のために、敢えて鬼となった"偽悪者"であり、本当は心優しく、思いやりがあった、颯爽として、さわやかなヤツ"<br><br>だけでは、なくなりました。<br><br>記憶が定かではないのですが、私がショックを受けたのは、NHKの大河で、緒方直人が演じた「信長」と、渡哲也が演じたそれ、だったと思います。<br><br>ショックの理由は、「自分を神になぞらえた信長」を、ＴＶで放映した、という意味において、です。<br><br>これは、「總見寺の盆山」などの例で、歴史ファンには、ある程度、「常識」だったのですが、これを、一般ピープルが娯楽で見るＴＶで取り上げたことに、「もしかして、タブー破り？」と思い、とても驚いたのでした。<br><br><br>------------------------------------------<br>何故、我々は、「信長」に、魅せられるのでしょうか？<br><br>もちろん、諸々のタブーやシガラミ（ここには、あの「虐殺」も、含まれる）を打ち破る、果敢な決断力と実行力、そして大きな先見性、更には、これらの知力や胆力に支えられたカリスマ性、そして本能寺の変での「是非に及ばず」という言葉に代表される潔さは、いずれも一般には、「日本人に欠けている」特性であり、それがある種の、「ないものねだり」と、「自分の、現実に置かれた鬱屈感」を、思いっきり吹き飛ばしてくれるものだからです。<br><br>しかし・・・本当に、それだけでしょうか？<br><br>ここからは、私の妄想かもしれませんが、先の「日本人に欠けている特性」を、もう一歩、踏み込んだ上で、<br><br>「信長的なるもの」は、「日本人に欠けている特性」ではなく、むしろ、日本人（「の一部」かもしれないが）が、過去に持っていたかもしれない特性、志向であり、それに対する「郷愁」、或いは、忘れていた何か、を、思い出させるものなのでは、ないか？<br><br>とさえ、思うのです。<br><br>歴史ファンならずとも、信長には、ある種の憧れの気持ちを抱くこと、また、信長に対する興味を持ち、研究する市井の歴史家が、ことのほか多いのは、それを間接的に示唆しているのではないか、と思えます。<br><br>そして・・・たぶん、これは、「戦国時代だけではない、日本史を巡る問題」と、「日本人とは、何か？」に関わる問題に繋がっているようにも、思われます。<br><br>彼がやろうとしたこと、そして、その彼の熱情を支えた「思い」とは、いったい、何だったのか？<br><br>＜判っている人には判っていることなのかもしれません・・・もちろん、私は、判っていませんが(^ ^;)＞<br><br>この混迷した時代において、少なくとも個人的には、これを理解することが必要である、との思いを、強くした次第でした。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aholism/entry-10061669623.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Dec 2007 12:17:21 +0900</pubDate>
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