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<title>wAinの考えるブログ～答えを模索しながら～</title>
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<description>不定期ですが、考えるブログということで、様々な事柄を情報発信したいと思います。</description>
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<title>『個の自由』</title>
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<![CDATA[ <br><br>東京に住んでいると、疑問に思うことが多い。<br>よく、『東京の人はまわりに無関心だ』という言葉を聞く。<br>たしかにそう思う場面は多い。それは、個が確立され、相互に干渉せず、個の自由が存在するということだろう。<br>しかし、時にそれが行き過ぎになっている場面も見かける。他人の干渉がない自由を勘違いして、自分勝手になっている人が多いような気がする。<br>他人に干渉しないことは、相互が、一定の最低限度の制約を守ることを約束していることが、条件となる。<br><br>社会性を持って、生きる人間にとって、集団の和を守ることは大切である。<br>その和を乱さないように、警察権力があり、法律や罰則がある。これは、今に始まった話でなく、かつての村八分などの罰にも現れるように、自分の存在が他人に認められないことは辛いものである。自分の存在自体も、他人に由来しているところも多い。<br><br>しかし、他人の目ばかりに注視して、自分を持てなくなることは問題である。<br>自分の信念は何人も持つべきである。<br><br><br><br>社会性を持ち、集団に属する人間社会にとって、個と集団、個と個、集団と集団の間には、利害が衝突する可能性は否めない。<br>だから、統治機構があり、法律がある。ルソーが、『社会契約論』において、自然状態を理想化し、自然に帰れと叫ぶ。自然状態は理想だからこそ、今の在り方に疑問を問い続けなければならない。社会に生きる人間にとって、それが課題であり、そこに本当の、自由・平等を精査する必要があるのではないか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ain-ske48/entry-11217214393.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Apr 2012 13:11:22 +0900</pubDate>
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<title>『続ける』</title>
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<![CDATA[ <br><br>『続ける』<br><br><br>今、始まる<br>ゴールはない<br><br><br>自分の信念を突き通せ！<br>自分は自分<br>焦るな<br>惑わされるな<br>落ち込むな<br>『誠心誠意』で<br>今を歩み続けるのだ<br><br><br>人間色々だ<br>色々でいい<br>だから人間なんだ<br>その中で生き続けるのだ<br><br><br>不安<br>恐怖…<br>人間にはつきものだ<br>完璧でなくていい<br>不器用だけれども<br>試行錯誤しながら<br>一生、考え、学び続けるのだ<br><br><br>何かを見つけ、何かに取り組む<br>何でもいい<br>意味を探して生きる<br>わからないことだらけでも<br>人間は在り続けるのだ<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ain-ske48/entry-11214908568.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Apr 2012 13:10:34 +0900</pubDate>
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