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<title>aisakiranのブログ</title>
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<title>遺書続き6　まとめ</title>
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<![CDATA[ 　最後に、まるっきりくり返しになりますが、「哲学面＝人間論」と「経済・社会・歴史面」それぞれの纏めをしておきたいと思います。<br>　　<br>　【 人 間 論 】<br>　資本主義における「自由」って、「商品」が「自由」に流通するために必要になって現れたものでした。「人間」そのものから生まれ出たモノなんかじゃなかったんですね。で、「商品」のためって、「私有財産」のためでもありますょね、「私有財産」あってこその「商品」なんです｡ 大元は「私有財産」｡｡｡ <br>　だから、この「自由」って、「私有財産」「商品」の都合によるモノだったんです、決して「人間」優先なんかじゃアリャシマセンでした。「商品」様のご都合、「私有財産」様のご都合、優先です。<br>　前にも触れました、「家族制度」に縛られて、人間の♂♀関係は、決して「自由」なんかじゃありません！！　人間さんの「心」なんかより「私有財産」様のご都合の方が先なんです、エライんです。<br>　一方で、この「自由」、他面では、人を、人と人との本当の人間関係からも「自由」にしちゃいます。人間同士の繋がりも断ち切って、「自由」にしちゃいます。人間をバラバラにしちゃいます。<br>　資本主義において、ヒトは基本的に勝手です!!　それでいいのが資本主義!!!　迷惑さえかけなけりゃ｡｡｡<br>　これ、本当に「人の世」ですか？　人の世って本当は「共同社会」なんじゃないですか。オランウータンは殆どひとり暮らしみたいだけど、ヒトとかチンパンさんとかは、仲間ナシでは済みません。「自由」な個人が "共同" する社会、「自由意志」で "助け合う" 社会です、本当は、本来は｡｡。<br>　でも、これも前に書きましたけど、ボク以外アタマのいい人類は生産力 上げました、で、「私有財産」作っちゃいました、で、自分の「財産」で ････つまり、他人と区別したところで････ 生きることになりました。････ここで「人間関係」の分断が始まります。勿論、助け合うことだってあるでしょうけど、それも「私有財産」を通じて････ って事になっちゃいました。常に「利害」の絡む仲｡｡｡<br>　生産力の発展は「私有財産」の交換も発展させることになりました。いま極限まで発展して、100%交換の世になりました。ボク達 何も持たない人間は、「労働力」と「賃金」、交換して生きる世になりました。遂に、「自分」の「労働」という「行動」までが他人様のものになったんですね。何も持たなきゃ、それ以外にありません、それ以外、「売る」もの、「売れる」もの、なんてありゃしません。<br>　ところで、自分の「行動」が他人の物になるって、それ、「自分」そのものを売ってることになりませんか？ 「人格」を売ってることになりませんか？ 自分が自分でなくなってる、って事ではないですか？これも書きました、「疎外労働」｡｡｡「自己疎外」｡｡｡ 「労働力」売っちゃった結果、自分の「労働」が他人のものになる････って、奴隷とどこが違うんです？ 形の変わった、表面上「自由」な「奴隷」｡｡｡ 「自由意志」で自らなる「奴隷」！！！　まさに、「人格」まで「他人」のものになっちゃった！！！　「自分」を「売る」「自由」です!!　それを「買う」のも「自由」です!!!! 「売春」「買春」なんてものじゃない! 「売人間」「買人間」です!!!!　････ それが資本主義の「自由」！！！<br>　こうして、バラバラになった人たちが結果だけ結びついてる｡｡｡　そういう「共同社会」＝結果として結びついてるだけの社会｡｡｡　･････「売買」を通じて､､､ 「お金」を媒介にして､､､､　「利害」の関係として､､､､全世界が 結びついてる人間の「共同・協力」関係｡｡｡　「自由」な資本主義社会は、個人を「自由」だょ、としてすべての人から「自由」にします、「共同」からも「自由」にします、････バラバラに切り離します。そして、「交換」を通して、「売買」を通して、「お金」の関係として、結びつけ直します。逆に「私有財産」は、「バラバラ自由の♂♀」を「家族」として縛り付けます。･･･これらがみんな資本主義の「自由」！！！<br>　フランス革命の「自由」、資本主義の「自由」って、時の必然だっただけなんです。人間が主体になって獲得したモノなんかじゃない｡｡｡ で、決して「人間的」なものなんかじゃない｡｡｡ んです。 「人間的」な、本当の「自由」を望むんなら、これから人間が、自分で作り上げなきゃならない｡｡｡　「私有財産」なくして、「家族」なくして、「国家」なくして、「商品」なくして、「賃金」なくして、「お金」なくして、<br>　　　　･･････ これら全部が、人間を人間でなくしてるんですから ･･････<br>　世界中の人々全員が、お互い媒介物なんてナシに直接に協力して、世界中の人々全員の「共同社会」作る、っきゃないでしょう。でなきゃ、「人間」回復はない、「行き詰まり期」からの回復もない、危機はどんどん煮詰まっていく｡｡｡<br>　「人間」回復か、「人類」滅亡か････ 大げさなんかじゃないと思ってます。ボクは、幸いなんでしょう、その辺に関わることなくまもなく居なくなるはずです、皆さん、頑張ってください、ご検討を祈ります。<br>　　<br>　ここで息抜きにまた漱石さん、入れときましょう。バラバラ問題、････感じ取ってたみたいです。<br>（朝日新聞2015年6月4日朝刊より。東京朝日新聞に連載された「それから」を原型のまゝ載せてます。この日の分の日付は、明治42年８月１１日です。下線はもちろん私が付けたものです。）<br>=============================================================================<br>　　　　<br>　平岡はとうとう自分と離れてしまった。逢うたんびに、遠くにいて応対するような気がする。実を言うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。<u>現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。文明は我らをして孤立せしむるものだ</u>と、代助は解釈した。<br><br>=============================================================================<br><br>　【 経済・社会・歴史面 】<br>　問題は、何度も言うんですけど、この後、どう展開するのか････ ですょね。<br>　「資本」はどうしても儲けなけりゃなりません、<br>&nbsp;      　不景気でジッ動かないでいる時もあるかもしれませんけど、そんな時「労働者」は大変ですょね。<br>&nbsp;     　「資本」の方は食う心配いらないからジッとしてればいいんだろうけど、「労働者」は食いっぱぐれます!!　解雇されちゃうのもいるでしょう。 そうでなくても「需要」と「供給」の力関係から言って、「賃金」下がっちゃう!!　　　･････「資本」が動かなきゃぁ経済が止まります。<br>　この問題の現実・現象部分、最近はマルクスさんの時代より、多分、相当、複雑怪奇、深刻なものになってるんだろうと思います。彼、きっと想像もしてなかったんじゃないのかなぁ、って思うほどです。<br>　　<br>　いまのとこ、ものを作り出す「資本」の動きは、大局として、先進諸国の「労働力」を見放して、アジアに目を向けて動いてるみたいですね。<br>　でも、もう行き詰まりは目に見えてるみたいにも思えます。<br>　先進諸国の「労働力」が見捨てられ「資本」が外に向かったからでしょうか、先進諸国の経済が思わしくありません。アジアが多少よくても、どうも先は明るくないでしょう。先進諸国の事、考えないにしても、アジアだってそう遠くない将来、お終いになるのは間違いありません。先進諸国問題と併せて、やっぱり行き詰まる事を想定しておかなくてはならないんじゃないでしょうか。<br>　すでに、中国だって成長のペース落ち始め、バブルが心配になり、格差問題も大きくなり、民族間対立が激しくなり（"民族間" と言っても経済の問題が底に潜んでなければそんなことにはならないんで、問題があるんだと思います。多分、非漢民族の差別・格差＝貧困問題）、<br>　「資本」の投資先も、「賃金」がある程度上がってきた中国、タイ辺りの「労働力」を見放し始め、ミャンマーとかベトナムとかへと移動し始めてる ････とか。<br>　その後、こうした国々でも同じ事で更にその先に移り､､､ 遂にアフリカまで？　でも、政情不安定は目を覆うばかりで、行けるのか行けないのか､､､　仮に行けても同じ展開が待ってるだけ、でしょう。<br>　　････････ いずれにしても、先は見えてる、んじゃないのでしょうか。<br>　　<br>　これから先、次々そこでの「労働力」 見捨てて、アジアの後はアフリカに行くのか？ 行かないのか？どっちにしたって、その後どうなるのか？ 際限なく続ける訳にいかないのは自明です。こうして、最後は全世界を見捨てて、その後、どーするの？<br>　すでに見捨てられた側、先進諸国の問題も今まで以上に深刻になるばかりでしょう。1% 対 99% 。非正規雇用。移民問題。　･･･そして、国の債務過重の処理しようのない財政危機。<br>&nbsp;   　ドコカさんも、▽◇△ミクスとかで債務削減 先 延ばし、逆に増やして投資して、一向に効果 なくて､､､<br>      これ、いずれ、ギリシャ、スペイン、イタリアさんなんかよりよっぽどヤバくね??<br>      　　･････絶対 他人事じゃないッすょぉ!!!<br>          ２% 目標、なんて物価が上がれば景気回復みたいに言ってるけど、<br>          売る側にとっての回復だけ、買う側にとってはツラいだけ！<br>            かつてなら売る側がよくなれば給料もそれなり上がったけど、<br>            この「行き詰まり期」、「資本」としてはどんどん外に逃げ出したい時、そういう基盤の上で、<br>          多分、「賃金」にはロクに反映しっこない･･･<br>結局、相変わらず国債増やして公共投資したって民間投資まで反映しない!!　　←第一の矢<br>      金融緩和したって危ない投資はともかく、まともな投資や消費なんかにゃまわらない!! ←第二の矢<br>                    　　景気回復の意味での物価上昇になんかならない！ 危ない金が出回るばかり！<br>      規制緩和、って資本優遇＝人間冷遇（非正規拡大もそのひとつ）しても、<br>                                            資本の海外志向は変えようがない!!　←第三の矢<br>          と思いますょ。ケインズさんの理論は多分 いま無効 !!!<br>                状況が違うんじゃないかな｡｡｡ たゞ盲目信仰するんじゃなく、見極めなくっちゃ！！<br>　最後に、どうしようもなく取り残されてる地域では、解決のない諸々の対立＝テロ、部族抗争、民族紛争、イスラム国｡｡｡ <br>　　<br>　「資本」はそんなこと先刻、見越してるんでしょうね。マルクスさんの時代とかけ離れた、かの人の予想を遙かに超えてるであろう「複雑怪奇・深刻」な問題のご登場しかありません。<br>　それは、･････【物を作る＝生活資材を得る＝人類の生存のための活動】、なんて実体のある経済、見限って、【お金遊びで儲けましょ】、って方法、････ そんなのを考えてるみたいに思えます。<br>　先物投資とか、変な金融商品とか 作り出して､､､、まるで賭事みたいな「投資」を始めて、もう随分になるでしょう。挙げ句の一例がリーマンショックでしたょね。<br>　生産活動とか、流通活動とか、そういう実生活と関係ないところで､､､､ 架空の空間で儲けようとしてるみたいです。（これは、水野さんもご指摘でした）　　･･････ これ、どう考えても不健全でしょう！！<br>　　<br>　でも、もう止めようがありません、一時的にしろ儲かる空間があるとなれば、その儲けが大きければ尚更､､､ 「資本」はそこに集まるんでしょうね。 <br>    前の時代の破綻期＝大戦に至る期、の後の、今の時代・今期になってから巨大化した「金融経済」の必然の結果だと思います。 ････ だから 「もう止めようがありません」。<br>&nbsp;   　たまたま誰かが思いついてそんな方法を発明したから､､､ なんかじゃなく、いずれ必ず誰かが始めたんです。　　････これ、「貨幣」の完全独立！？ 「貨幣」が「実体」、見限っちゃった!!!?　「貨幣」が「貨幣」だけで「勝手」に動く???　　　････「貨幣経済」の必然の終局・終極??　<br>　こんなの、一時は必ずよくて、やがて必ず破綻します!!!　　これは、かつてなかった「投資」形態だと思いますし、より危険な「破綻」形態に思えます。<br>　もう、「投資」空間を強引に作り出してるとしか思えません。実体ある経済を離れてしまった「資本」｡｡。 言ってみれば、架空体の経済！？リーマンで一度経験している訳ですけど････、何が起こるか解らない！！！<br>　これが、「今期」の「行き詰まり期」の今 ････の状態かと思います。<br>　　<br>　行き詰まりを感じ取った連中、危機を悟った連中、は、いかに自分が勝ち残るか､､､　動き始めてるように感じます。もっとも、「危機」としてじゃなく「チャンス」と意識してるのかも知れませんけど｡｡<br>　結果、いままでの行き詰まりなんかとは比べものにならない深刻な危機を演出するんじゃないかと心配しています。<br>　巨大な「利益」の元を「資源」とか「利権」に見だしているみたいです。小さな島の奪い合いが巨大な資源と利権の奪い合い＝現代戦争の危機？<br>　ドコカの大統領さんが就任直後のカッコ付けた演説でノーベル賞もらっても、核なんか、それでなくなる訳 ないんです。選考する方も選考する方ですょねえ、目がないょなぁ !!　今頃気がついたのか、ノーベル委員会の委員長さん、退任に当たってその大統領さんに返上を要請したんだって！　郵便でいいから送り返せ、って!!<br>　　<br>　まぁ、その辺はいいにしましょう、前の文章をそのまま再掲させていただいて終わりにしたいと思います。<br>････世界の力関係はまた大きく変わり、時間が経つにつれてそれは余りにダイレクトに目に見えてきてると思います。小さな島の取り合い＝海の取り合い＝資源の奪い合いなんて、１世紀前の植民地の取り合いに極似してると思いませんか？ また「復興期」の前、まさに「戦争期」に入りつつある、と感じませんか？「行き詰まり期」というのは、再び「復興期」の前、まさに「戦争期」だと思います。「戦争」がどういう展開を見せるのか、見当もつきませんけど｡｡｡ 大国同士か、テロ頻発か、諸紛争か？？？　前回は世界戦争でしたけど､､、で、「戦争期」でしたけど､､､。とにかくどんな形にしろ、破壊をしないとどうにもならない･･･またそんな時期、「破壊期」に入った事は確かでしょう。テロや紛争くらいでは破壊にさえならないので、それはそれで行き詰まりの中、続き続けるでしょうけど、やはり大国同士の間で何かが起こるしかないのかなと思います。　　　　 ････イスラム国なんて、仮に殲滅したってまた別の形で起こります！！　テロ・紛争はこの時期、永遠でしょう<br>      <br>････まぁいいでしょう。人間が人間でいるためには、全世界で、人間として、この「戦争期」の競争に対して、対抗して抵抗してひっくり返すしかないんです。　　　でっきるかなぁ？ ですけどね。<br>    　で、ひっくり返して、どうします？ 私有財産を元凶としての「行き詰まり」なんですから、それもひっくり返して、世界中で協力し合って、すべてをみんなのものにする､､､ みんなで共同して使う生き方を作り上げるしかない事になりませんか？ それがマルクスさんのロマン、なんだと思います。<br>　　<br>　この経済の根底にある「労働」、「価値」、「労働力」、「賃金」、「資本」、「利潤」の諸関係、それを媒介する「貨幣」、これらをすべて払拭すること、<br>　この社会の根底にある「財産」、「家族」、「国家」、これらをすべて払拭すること、<br>　　　　　　　　　　　　　　　　･･･で、「政治」も消える｡｡<br><p>　そこにこそ、人間が人間でいて、世界中で協力し合って、すべてをみんなのものにする､､､ みんなで共同して生きる生き方がある ･････ わけなんですが､､､､､</p><p>　　これは絶対に「政治」なんかではありませんょ。<br></p>　　「統治」なんてあってはいけない、、人の世が人間の世ならあり得ない訳で、、､人はいつだって誰だって"主体"です、公人かつ私人です。そういう人達全員の集まりが､世界でなければなりません。その世界をどう治めるのか・・・全員が常に関わる社会でなければなりません。代理人任せの「民主主義」なんて形式的なもの＝形ばっかのものでは決してないんですょ、難しいですねぇ､どう作ったらいいのでしょう、、でも、そうでなければ､「私人」が治め、日頃の私は「私人」として生活する事にしかならないでしょう。"主体"は､どこかに消えちゃいますょ。"主体"なき人間に逆戻り。。。人間でない人間に逆戻り。。。「自由」だって、「公人かつ私人」であるからこその「自由」です､「勝手気まま」なんて決して本当の自由なんかじゃないでしょう。<div>&nbsp;　これって、やっぱり、マルクスさんのロマン、で終わるんでしょうか？？？</div>　　　･･････ 後は皆さん次第です。私は、すみませんが、まもなく失礼させていただきます・・・・・・
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<pubDate>Fri, 04 Dec 2015 11:34:25 +0900</pubDate>
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<title>遺書続き5　安保法制問題</title>
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<![CDATA[ 　これで理論問題、全て終わりです。ここで、最後に少しだけ最近の政治関連に触れさせてください。<br><p>　　　・・・あまりにヒドイので､､､</p><p>　労働関連法案と安保関連法案が問題になってます。<br></p>　労働関連法案は、何をどうはぐらかそうと「経団連」さんのご意向・ご都合どおりです。残業代タダ化の第一歩＆非正規拡大法案であることは明かでしょう。非正規が果てしなく拡大します。で、国会で「あーでもないこーでもない」、もいいですけど、いい加減な答弁とばかり付き合ってても、みんなで動かなきゃラチあきません。代議制度なんてそんなもんです。何がどー問題なんて解らない選挙で任せたら最後、個々の問題では先生さん達がいいよーにすりゃぁいいんですから･･･。そもそも任せるって方が間違ってるんです、<br>&nbsp;     　石破大臣さんも同意見らしいですね、若手「勉強会」(!?) が「沖縄世論ブッ潰せ! マスコミ懲らしめろ!」 なんて本音そのもの 言っちゃうもんだから、こりゃぁヤバイ!！ ってんでしょう。<br>      　「自民がガタガタッとくるときは、政策より『なんか感じ悪いよね』という国民の意識がだんだん高まっていった時、というのが私の経験だ」　と危機感をあらわにしたそうじゃないですか。<br><p>&nbsp;     　彼も正直ですょね～。</p><p>　　『感じ良くしといてぇ～』･･･ 、後はぁ～　『隠しとけばいいのにぃ～』!!! ?&nbsp;<br></p>      　　『政策なんかどうでもぉ』『選挙さえ乗り切ればいいんだからぁ～』!!! ?　　　　ですもんね！<br>&nbsp;         　『安保法制、まもなく強行採決って大事な時に余計なこと言うな!! いくら騒がれようと成立させちゃえばそれまでなんだから、おとなしくしてろ！』　もかな？<br>&nbsp;         　（60年安保もそうでしたょね。▽◇さんの祖父さん、議事堂の中でデモ見て震えてたって聞いたけど、いくら震え上がらせたって、終わればそれまで!!!）<br>&nbsp;   　「勉強会」発言、石破さん 怒るし、▽◇さんも最初は黙認しながらもう逃げ切れないとなるとイヤイヤ非難に転じたけど、もう少し時代が進めば、本物になりますょ、彼ら自身がヤル！ようになる。　　　　　････ まさにその前兆なんです！　　　笑い事じゃない！！<br>　いつだって任せっきりになんかしないで、行動するっきゃないんです!!　自分はちゃんとその場その場にいなきゃなんないんです。それが「人間」。　後は知らない････ って社会なら、人間社会じゃありません！！<br>　安保の方も、これはも～ひどいモンです、いくら何でも憲法違反は明かですょね、▽◇さんも言い逃れに苦しいところでしょう、そこ 持ってきて自分の手下たちの「勉強会」さん、▽◇さんの本音、そのまんま言っちまうもんだから、モゥ大ッ変!!　野党さん、ドンドン攻めて下さい。それに、アッチの海峡でどーするの、コッチはどーなの、なんてのも、ドンドン攻めて下さい。誰がどう見たって危険だろうに、あやふやに言い逃れてるだけなんで、せいぜい苦しませてやってください。････あんまり苦しんでないのかな？　　･･･適当でも、どうせ多数なんで、どーにでもなるか！････余裕かな｡｡｡　結構、そうでもなくなってきた？<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　･･･早く強行採決ヤッちゃおう!!?<br>　たゞ、私がここで言いたいのは、そんな事じゃないんです。野党さん、ちっとも私たちには働きかけてくれないじゃないですか！ 昔からそーですけど。<br>　　　　アッチが憲法違反でなけりゃぁいいんですか？　コッチが危険でなけりゃいいんですか？<br>　　　　　　 そんな事より、戦争に向かってる、からいけないんじゃないですか？<br>　一番大切なのは、あれがオカシイこれがオカシイ、もいいけど、「戦争に向かってるんだ」って事を国民みんなに知らしめて、みんなが自ら動き出すようにする事なんじゃないですか。<br>    いつだって、どんな事だって、「人間」、自分で動く事こそが大切なんじゃないですか。<br>    人任せ、国会任せ、議員さん任せ、じゃなくて、自分たちが自分で判断し、自分で行動する事、<br>          いつだって、それこそがなにより大切だと思うんですが････、<br>&nbsp;   　誰かが働きかけないとなかなか動かなくなっちゃってるのが、また、「資本主義」の人間なんです。<br>&nbsp;     　「人間」じゃなくなっちゃってるから･････。バラバラの「自由人」になっちゃってるから････。<br>&nbsp;         　「民主主義」ってのは、考えてみると、「人任せ」って事ですものね。<br>&nbsp;         　「民」は いっぺん 投票所に行ったらアタシのする事、オワリ～。<br>&nbsp;          　選んじゃったら後は「先生」様に「お任せぇ～」　　･････これ、本当に「民」主主義??<br>&nbsp;   　目覚めなきゃいけないんですが、リーダーがいないとそれもできなくなっちゃってる！！<br>&nbsp;   　「アラブの春」でもそうでした。<br>　&nbsp;         　元々、「反独裁」、って政権・権力問題だけ、だったので先は見えちゃってたんですけど、<br>&nbsp;         　　目覚めて「自分から」「行動」 始めた事には感動でした。<br>&nbsp;         　　だから、先のなさに空しさあれど、「行動」の限りで内心 応援してました。<br>&nbsp;             　　けど、独裁ひっくり返して「選挙」になったらやっぱり オワリ！<br>&nbsp;             　　後は、宗教だの部族だのの権力争いが取って代わって、結果は悲惨です!!&nbsp;<br>&nbsp;   　　「独裁」という権力問題が、「社会」の構造そのものの問題にまで深まらなかった結果、ですょね。<br>&nbsp;             　　そのまま活動し続けて、「自分達」の「行動」で「社会」を作り「運営」し続ける･･･<br>&nbsp;                 　　なんて、やっぱりロマンなんでしょう<br>&nbsp;                 　　そんなリーダーも、当然ながら現れなかった！！<br>　で、リーダーなんですが、野党さん、全然ダメですょね。その気ない！6月18日の寂聴さんの方がずっとましですょ。国会前の集会で「戦争に向かってるのを感ずる。最近の状況は寝てられないほど心を痛めてる」って語りかけられましたょね。自分も動かれ、みなにも動くよう働きかけられました。　　････これをリーダーがいて、もっともっとやらなけりゃ！<br>　大学生も、さすがに感づいてられるみたいで、SNS通じてかなりの数のデモも起こってるらしいですね。<br>　何かの問題で動き始めれば、ひとつひとつの問題が全部「世界の危機」の問題である事に気づくきっかけになる、と思います。「憲法違反」だから反対、からでもいいでしょう、「ホルムズ海峡まで行くのはおかしい」から反対、でもいいでしょう、「アメリカの戦争に巻き込まれる」から反対、でもいいですょ、「あたしは戦争イヤ、デートしたい」ってデモの女性のインタビューもありました、可笑しい事に気づいて活動を始めれば、もっと深いところですべてが繋がってる、世界中が繋がっている、って気づく契機になると思います。<br>&nbsp;     　核兵器なくそう、ったって世界を変えなければ、　　････「核廃絶」なんてアリエナイ！<br>&nbsp;     　格差反対っていくら言ってみても、世界を変えなければ、貧困、絶対なくならないでしょう。<br>　　　　　　　　　　　　　　　「格差」だけがよくなる！？　　それはないですょね!!<br>&nbsp;     　戦争反対、って仮に安保法制 葬ったって、世界を変えなければ、戦争の危機はなくならない。<br>&nbsp;           　で、世界を変えようとしないんなら、戦争に勝って自分だけはそれを乗り越えるしかない？？<br>　　&nbsp;                 　なら、バンバンやるっきゃないじゃないですか！！　▽◇さん、正しいですょ。<br>&nbsp;           　　　国会に政府側参考人として出席した民主党政権の時の防衛大臣･森本サン、<br>&nbsp;               　　　法解釈でなく防衛政策の立場からは「世界の情勢からは必要になっている」って。<br>　&nbsp;                           　　　　だからヤレ！？　　　　 そうなりますょね、ヤル人の立場からすれば!!<br>&nbsp;                               　　　　　心情とすれば、「憲法」なんて言ってらんない！！！<br>&nbsp;           　大問題は､､、だからバンバンやるのか、やらないでいくか･････ なんです！！<br>&nbsp;               　但し、やらないで行くのは大変ですょ、世界中の人がそうしないといけない!!<br>　　私自身が、核実験マズイ、勤評ヤバイ（当時 こんな言葉はなかったけど）、警職法は戦前復活だ、59・60年安保は世界戦争に向かう第一歩だ､､､ ってところから、ひとつひとつの問題なんかじゃない、って気づき、社会の根本に向かったんでしたから。<br>　そうして、みんなが社会の主体として動き始めるのが、第一歩だと思っています。<br>　だから、寂聴さんの一歩には大賛成です。その先、どーするか、 どーなるか、ですけども｡｡｡<br><br>　今、とりあえず「その先、どーするか、 どーなるか、ですけども｡｡｡」の大問題には目をつぶりましょう。<br>　活動を始めたみなさんに、私は感ずるものがあるんです。<br>　みなさん、自分の意志でみんなでみんなのために、動き始めているんですょね。みなさん、その限りで、本当の自分を取り戻し始めてる、って思うんです。そこには、本当の社会ができつつある、と思うんです。「民主主義」の根底には、いつだって、行動する人間がいなければならないんです。<br>　任せっきり、なんて制度は、それ自体が「民主」でもなんでもない！　動かなくなってる「人間」、個々バラバラになっちゃってる「人間」、基本部分で「個人」以外どーでもよくなっちゃってる「人間」、を前提にした「無民主主義」なんだと思いますょ。「自分の意志でみんなでみんなのために、動き始めて」こそ、人間の制度じゃないんでしょうか？　本当のトコは、実際は、「人」はいつだって「社会」と繋がってるんです。だったら、 "実活動" もそうでなくっちゃ！！　"実生活" もそうでなくっちゃ！！<br> 「資本主義」で「自由」にされちゃってる、バラバラに切り離されちゃってるのが、これ幸い、に思えちゃう！　　 これって、「勝手」って事ですものね。<br>　任せた後は「個人」に浸ってる！　　　一票 入れる時だけ「社会人」？<br>　アトは知らないょ～、任せてあるんだからね～、　って、一瞬の後は「自由」な「個人」生活！！<br>　任せたら後は「社会関係」ナシ、「社会」 関係ナシ、　････の1「個人」！！！<br>　　　･････それが「資本主義」の「人間」｡｡｡　　「資本主義」の「自由」｡｡｡　「民主主義｡｡｡」<br>　そこから脱出してこその「人間」ですょね、 それが難しい!!<br>　　　　　　　　ロマンなのかな･･･になっちゃう！ 所以です。<br>      ちょっと逸れますけど、「ソヴィエト」ってロシア革命の過程で発生した、行動する労働者・農民・兵士の評議会の事なんです、「ソ連」の「ソ」。この「評議会」こそ、本当の、人間の、「民主主義」なんじゃないでしょうか。自分の意志でみんなでみんなのために行動する人間の「会」。これが永久に生き続けてこその「人間社会」でしょう。････それが難しいんですょね。<br>      　　････ この「ソヴィエト」が「ソヴィエト連邦」からいつどのようにして何故 消えたのか？<br>      レーニン･トロツキーまで含めた検証課題だろうと思っています。<br>      　　････そこに「政治」があるんだろうな。　　････「人間」取り戻すって、でっきるのかなぁ<br>　これが全世界、全日常、って事になれば､､､「人間」が本当に自分を取り戻す、って事になるんじゃないのかな｡｡｡と思います。 人間解放、人間性回復。 本当の「共同」関係、･････ 結果、「私有財産」なんて要らなくなる、「家族」も心で繋がるだけの♂♀に､､､ もちろん「国家」なんて消滅するし、「賃金」も「資本」も「利潤」も「貨幣」も、「疎外労働」も｡｡｡｡<br><p>　今、あまりの危険を察知して行動し始めたのは、そうなる第一歩････だと思います。みなさん、その一歩を踏んでるんです!!　　たゞ、悲しいかな、それが、とても最後までは行き着けない｡｡｡　辿り着く先は余りに遠い！　････その場を離れればやっぱり今は「資本主義」の中で生活してるんです。それが当たり前であることを抜け出す事はできない、んです。･････残念ですね。人間は「人間」に行き着く前に、「疎外人間」にＵターンしちゃうんですね～　　　　なにしろ、突き詰めた最終目的地は、「世界社会」にならざるを得ない、それをどう運営するか、常日頃から「自分の意志で、みんなが、みんなで、みんなのために、考えて動く『評議会』を世界中でどう組織しどう運営するか」という途方もない問題にブチ当たる事になるんです！！　　ロマンですょね～</p><p><br></p>          　余計な事なんですけど、･････<br>&nbsp;         　ちなみにピケティさんは、佐藤さんとの対談でこんな風に言っておられます。（「希望の資本論」（「朝日新聞出版」刊）の中の「対談 トマ・ピケティ×佐藤優」より）<br>          「近い将来、世界政府･･･が実現するとは考えていませんが、段階的なアプローチは可能だと信じています。･･･私たちは巨大な政治共同体を組織し、その政府がすることを信頼できるような仕組みを見つけなければなりません。」<br>              彼にとってマルクスはもちろん、人間問題、哲学なんてのも最初っから関係ない事なので、<br>              今のままの人間で、「民主主義」の延長で、「資本主義」の延長で、の話しです。<br>              「人間問題」「哲学」「社会体制」除くと、世界統一的には、結構 私と似てますね。<br>          これもロマン？　I am ピケティ．だったらそうですね～。But I am not him．I am me．　なので、<br>              空しい、ですょね～、夢にならない、んです！ 夢にさえならないんです！<br>              人がいないんですから、「人間」不在では、夢も見られない！！<br><p><br>　マルクスさん、多分 自分がまだマルクス主義者になる前の事、マルクス主義に目覚め始める頃の事だと思うんですけど、当時の「ユダヤ人問題」についての著作で、「公人」と「私人」の分裂について書いてます。ひとりの人間が「公人」と「私人」に分裂しちゃってる、という問題意識のように思います。社会に生きている以上、人には必ず「公人」の立場もありますょね。「社会」の不利益は自分にとっても不利益｡｡｡ 自分の利益だけ追求して社会の利益に反すれば、それは自分の利益にも反している、という立場が自分にもあるはずなんです。だから、統一した自分ならそんな事はできない筈｡｡｡ それが分裂してる･･･って感じ始めていたんだと思います。彼の人間性への目覚めのひとつでは･･･？<br></p>　　　　いまの「人」、まるで「公人」なんて立場、ないみたい!!<br>　なんでこんな事 言い出したかっていうと、労働法制でも安保法制でも、ヤバイって国会前に集まった人たち、「公人」と「私人」がそれなり、統一し始めてるんではないですか？ あの場の限り、ではありますけど｡｡｡　マルクスさんの目覚めの視点からも、人間回復の兆しだと思うんです。<br>　たゞ、「公人」と「私人」の統一、っていつでもそうでなきゃなんないんだけど････ 「人間」、可能なのかなぁ、「私有財産」ないエサ取り時代だって多少なり取り合いしてたし､､､。<br>　まぁ、今度は生産力 十分に大きくなって取り合いする必要ない筈の時の話しなんで事情は全然 違うんだけど､､､ それでも、････「人間」って「私人」優先になりそう。<br>　　　　　　　　ロマンなのかな･･･になっちゃう！所以です。<br>　ついでですけどマルクスさん、「木材盗伐法」について書いてます。地面に落ちてる枯れ枝、ボクみたいなビンボー人はタキギかなんかにしてたんですね、それを拾って罰せられるのに憤慨したんでしょう、木の本体から離れて地面に落ちた枯れ枝なんてもう「木」ではない、それ 拾って罰せられるってのは、人がモノに服従させられてる、って言ってます。これも、マルクス主義に目覚める第一歩、人間性への目覚めなんじゃないかと思います。彼はこの辺から「人間」がおかしくなってる事に気づき、「マルクス主義」哲学を形成し、やがて、実社会を実際に分析しなければ････、という事になって「資本論」まで行き着いたのだと思います。<br>　話を戻します。問題は、今、リーダーがいないんです。しっかりとしたリーダーがいなければ、いくらSNSで集まっても「アラブの春」の二の舞でしょう。 60年安保では「全学連」（全日本学生自治会総連合）がその役目、果たしてました、終わってみれば決して十分だったとは言えませんけども。それをリードしていたのが「新左翼」です。今、「新左翼」は、自分たち同士での殺し相いの果て、高度成長にも飲み込まれて、影響力なくしました。「既存左翼」は、当時からダメでしたけど、いまは尚更､､､ですね。「運動」しようなんて気、当時からだけど、さらさらないみたい。やっぱ高度成長に呑まれて尚更そうなったみたいです。<br>　　<br>※私の言う「リーダー」って、「オレに付いてこい！」ってヒトの事ではありません。どんなときだって主体性は絶対的に尊重されなければなりませんょ、当たり前ですけど。。だから、問題があった時、主体性を啓発し、それぞれの主体形成が促されるような主体尊重のリードこそが絶対条件です。その先頭に立てるヒトが居れば幸いですし、居なければ、そういうみんなの中からそのうち多分、現れるのでしょう。そうして皆が自分を形成しながら、その皆々の全体が正しい方向に進まなければならないんです。それこそが「リード」でしょう。<br>　60年安保で国会に集まった人達は、決して「全学連」に「動員」されてた訳じゃありません。学内で「学生自治会」の問題提起は勿論あったでしょうけど、すべての人は自由意志で、自分で判断し自分で参加していたのです。当然に参加しなかった人だって居たはずですし、参加不参加で差別が発生した、なんて事は聞いたこともありません。まるでイジメ時代みたいな今時なら知りませんけど、少なくとも当時、あり得ない事ですょ。私の高校の時ももちろんそうでしたし、まして駿台予備校で、呼びかけた人達も、集会に顔を出した人達も、デモに参加した30人も、勿論、全部自主そのものでした。6月4日のゼネスト以降にひとりでビラを配り始めたらすぐに手伝う人が、連日、7人も現れ、6月15日には道路から呼びかければ大勢の駿台生が廊下に顔を出し、デモを呼びかければそれに応えて校舎から出て来たのです。<br>　当時の労働団体の主流は「総評」でしたけど、「総評」の労働者だって主体的に参加する人だけが参加していたものでしょう、私はまだ職場を知らなかったのでここで何か言う訳にもいきませんけど。。。とにかく強制の意味合いのあるものなんて、アリエマセン、皆、自主参加です！！自分の考え、自分の判断、自分の意志ですよ！！　行動、って、それ以外にありますか！？　リーダーが居ようが居まいが、自主に変わりはないんです。いいリーダーが居る方が、自主の形成がしやすかったり、参加しやすかったりするだけの事でしょう。それこそが私の「リーダー」です。<br>　こうして、59年11月27日の国会前庭集会や60年4月26日の第15次統一行動（全国で21万4000人が参加）を経て、60年5月19日の衆議院強行採決もあり、以後の大騒動に発展していったのです。<br>　　<br>　問題の小さいうちから問題提起してくれるヒトが居れば幸いですょね。問題が大きくなってからでも、その本質に迫ろうとする人も居れば、それほどでない人も居るでしょう、本質に迫る人がその問題提起をしてくれれば、これまた幸いですょね。<br>　それらを、みんなの主体に提起してくれるのこそが、リーダーではないでしょうか。決してリーダーが居ないのが主体性なんじゃなくて、主体を尊重して促してこそのリーダーなんだと思います。それが私の思う「リーダー」。<br>　　<br>　たゞ、やたら無性にリーダーになりたいみたいな人もいますょね、これは危険だと思います。それこそ、「オレに付いてこいッ！」なんじゃない？　リーダーをそんなイメージのものに作り上げちゃ決していけないで～す。「リーダーってそんなもの」・・・って思ってるリーダー候補、非・被リーダー候補の方々、いずれも非主体そのものじゃないですか？もう人間じゃないッすょ、お人形？　まるで人形劇じゃないですか！？<br>　それって・・・、思えば、そもそもの出発点、「規則ですからッ！」ってなんでもかんでも一方的に押しつける「管理者」側と、「ハイ、ソーデスカ」って強制される側との関係に、なんか似てない！？　　これも根っこが繋がってそう！<br>　　<br>　要はすべての人の主体を尊重してこそのリーダーなんですょね、つまり、リーダーだろうとなかろうと、それぞれみんなが主体。根本でリーダーも非リーダーもないんです、みんなが自分。。自分を形成していくんです。。。仮にリーダーと言われたってやっぱり自分の形成過程、、、みんなでみんなが形成し合うんです。それが人間の集まりではないですか。<br>　　<br>本題に戻ります。<br>　両法案とも、何度も言いますように、世界の危機の表現でしかありません。その事を、リーダーさんがみんなに訴えて、みんなが世界に向かって行動する必要があるんじゃないでしょうか？ そして、同じ事が、世界中で始まらなければならないんじゃないでしょうか？････ そんな事、誰もしようとしてないみたい！！<br>&nbsp;   　戦争、ヤル気のリーダーばかりはシッカリしてます、当然、皆どこでも「オレに付いて来い！」タイプ丸出しですけどね、それが日本では言わずと知れた▽◇さんですょね。2012年9月の自民党総裁選の直前、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明」なんてのが大学教授や、若手「勉強会」でとんでもない事 言い放った作家さんなんかの集団から出され、「今、わが国は内外の驚異にさらされ、幕末と同様の国家的危機にある。これを乗り越えるには、安倍晋三総理大臣の再登板しかない」、ってんで生まれたのがいまのヒト！！　まさにこのヒトの心情・信条そのものじゃないですか！　だからこその、その隠せざる本音が手下どもの「勉強会」発言！！！　　本人だって、あれほど露骨じゃないけど、もう実際にヤッてますょね、あのヒトの官房長官なんてヒト、近い事は毎度の記者会見なんかでも平気で言って圧力かけてるし･･･。今のトコ「党」を通じてだけど、テレビ各局に「公正中立」求める文書 送ったり、朝日とＮＨＫ呼びつけて「報道内容」の事情聴取してみたり･･･もう実際 メディアにもメッチャ圧力かけてます･･･。今できる限りの精一杯、ジリジリと始めてます！！　「勉強会」はそのほんの少々 先を行っただけ！！　　前にも書きましたけど、もう少し時代が進めば、「勉強会」発言、どんどん本物になりますょね、いずれは露骨にヤル！ようになる。 ････ まさにその前兆なんです！　笑い事じゃない！！<br>　　<br>　色々いいましたけど、オマエのことは言ってませんでした。<br>　やるんなら、世界中でみんなが、それぞれの持ち場の問題をそれぞれ世界の危機の表現と理解して、それぞれの場で動き始めるようにしなければ･････ とは思っています。<br>　それから先が大変なんですょね。最終的に、世界中でみんながそうしなければなりません。日本の安保法制を阻止すれば、それで日本は世界戦争から逃れられるか､､､って、もちろん結論は明かですょね。でも、日本で阻止すれば、世界のみんなの先頭を切る事になるのでスゴーくいいんです。　けど････ 、世界のみんなのお手本となってみんなが同じように動き出すきっかけになればスゴーくいいんですけど････ 、何度も言うように、絶望しちゃってるんです。　まず、先頭切った日本で､､､ その後どーなる？？ ････ 60年安保の後････、結局、政治なんですょね。それを逃れる事はできないんです。人間を取り戻していく過程は、政治抜きにあり得ない、政治そのもの、っていうジレンマがあるんです。世界での二番手・三番手 待つ前に、先頭の自分の方が可笑しくなっちゃう！ その辺の問題です。マルクスさんのロマンにたどり着けないんですょ!!　それを世界中でやらなきゃなんない!!!　････なんて｡｡｡<br>　リーダー問題は、60年安保の時から分かってましたから、世界中でリーダー 生み出さなきゃなんない、、、とは思ってました。でも、それも政治なんですょね。「人間」リーダーを産むのも「政治」!!<br> ････「政治」に勝ち抜かなきゃならないんです、「人間」であろうとしたら･･･。ジレンマじゃないですか！<p>　ていうより自己矛盾ですょ、「人間回復」の自己矛盾！ →→ 結局、ロマン？<br>　で、60年の時から、世界中でリーダーが必要なの分かってながら、とうとうなにもしなくなりました。<br>　いま、国会周辺見て、正直、うずうずします、血が騒ぎ 気がはやります。じっと抑えてます。60年6月15日がまたあるんなら･･･どうしよう！ まぁ、ないでしょうけど｡｡　とてもそこまではいかないでしょうねぇ。そもそも、あるない、なんてのはまるで無責任｡｡　自分も入って作り出さなきゃなんないんですけど､､､ <br>まぁ、いいにしましょう、今更、ですし。その気なら大昔からそうしてなくっちゃぁ、でしたものね。私の中では、どうしたって、マルクスロマン問題になっちゃうんです｡｡｡<br>　　<br>　でも、たゞ、不可能なロマン追うのもひとつの道ではありますょね。大阪夏の陣で、最後には「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ」って討ち死 覚悟で突っ込んでった幸村さんもひとつの道ではあるでしょう。<br>　　　　マルクスさんのロマン追って、結果、真田さんのロマンになっちゃって､､､？？<br>　　<br>　「人間回復」が不可能と知りながら、それでもせいぜい「人間的」であろうとするんなら、それは、非人間でいるよりロマン追う事なのかも知れません。せめてもの人間性､､ 精一杯の人間回復｡｡　「人間であろうとする事」｡｡｡　　私以外のヒトにはこれが一番のお勧めです。それ以外ありません。。<br>　　<br>      　これからは危機 急進行ですから、どうしても、世界中でどこででも、バンバンやるヤツ等がドンドン力をつけ急速に勢いを増していきます。こういう時、バンバンやる方が圧倒的に強くなります、「尖閣」でも「竹島」でも「南シナ海」でもそうですけど、自分の「損得」から出発するんで、どっちの国にしたって、どうしてもそういうヤツ等の勢いの方が強くなります。そして、事態がヤバくなればなるほど一層ツヨくなりますょね。「国家」って元々そういうものですから当たり前ですけど、「国民」が自ら危機に駆られます、強行になります。やっぱりこの社会で元々持ってる「損得」（＝私有財産）意識、どうしても強いんでしょうね。多くの場合、「国家」からも焚きつけられるし･･。<br>      　「ナチ」とか「日本軍国主義」とか引き合いに出すまでもなく、「第二次大戦」に動員された両陣営の「国民」の「強行」意識・「ヤッツケ」意識、、「正義 掲げて」要するにドッチだって同じでしたょね。アッチもコッチも、ドッチしたって自分の中でアイテを相手に仕立ててるんです。戦争、ってそういうものでしょう。で、これからも急激に危うくなる一方ですょ、多分。これからこそ、「損してタマるか、勝ち抜くゾ～」の「愛国主義者」?（たゞの「勝手・損得主義者」でショ）に対抗して、闘わない人たちが世界中で力を合わせなければなりません。<br>      　【世界の危機を、闘わないで、世界のすべての人の助け合いで乗り越える世界中の人々の会】<br>      なんてのを世界中で大急ぎで作らないと･･･。<br>      　これ、大変ですょぉ｡｡｡　今なら ＮＥＴ があるから呼びかけだけなら簡単でしょうけど｡｡｡｡ <br>      　　<br>      　【人々の会】ってっても、市民運動なんかじゃすまないんですょぉ。たゞ戦争反対って言ってりゃいいんじゃなくて、じゃあどーするの、ってなったら、世界 変えなきゃなんないんでしたょね。それは自分でやるっきゃないんです！他に、誰がやってくれるって言うんですか？？<br>&nbsp;     　「私有財産」なくして「資本」なくして「賃労働」なくして「貨幣」なくして「国家」なくして・・・社会の根本から変えなきゃなんないんです！！<br>&nbsp;     　その為には、動き出した人たち、公人と私人が統一し始めた人たちが、人任せ、国会任せ、議員さん任せにする「代議制度」なんてヤメにして、いずれ、その人達みんなが、自分達で「評議会」（ロシア語なら「ソヴィエト」）作って、自分達で社会 動かすようにならなきゃなんないんです。社会の動かし方だって変わらなきゃドダイ無理な話でしょう。<br>&nbsp;           　世界中で「利益」の奪い合い競争してるうちは、<br>&nbsp;           　････「国家」間で、「資本」間で、「個人」間で、････競争する「競争社会」では､､､､<br>&nbsp;           　いずれ必ず取り合いの余地 なくなって、「行き詰まり」期となって、<br>&nbsp;           　競争が「闘争」となり、「戦争の危機」となり､､､､　しかもそれが、････<br>&nbsp;           　････「人間」が自分を失った結果でもあるんだから、<br>&nbsp;           　････「人間」が「人間」でなくなってしまった結果でもあるんだから、<br>&nbsp;           　その「生活」、その「仕組み」、そのものを変え、「自分」を取り戻さなきゃぁ････<br>      でなけりゃ「戦争」の危機なんて消えてなくなりっこないんです。<br>      となると、まずは「社会」を本気で変えるまさに「政治」です、「政治」そのもの通らなきゃぁ 今の「政治社会」ヤメる事もできないんです！！　その為の「政治」の争い、不可避です!!<br>      　これ、抵抗はメッチャ大きいですょ。日本なら、自民党はおろか、民主～共産党まで、全政党が敵に回ります。しかも、権力 持ってるのはムコーなんです。<br>      　「権力」って、そのひとつの形は、「警察」ですょ!!　「機動隊」持ってます、強いですよ～～<br>      　　メッチャ痛いし･･･!!!　　痛いですんでるうちはいいですけどね。　完全 潰しにかかります！<br>      なにしろ「私有財産」「資本」なくそう、ってんですョ、こっちは｡｡　　しかも「評議会」ですょ！<br>      どんな抵抗あると思います？ 想像もつかないでしょう！！　むしろこっちが「抵抗勢力」なんです。それこそ勝つか負けるか、ですょね。　　ドデカイ抵抗がコッチを圧倒してきます！！<br>      　　　死にものぐるいでも、ちょっとやそっとじゃ追っつかない!!　ですょ！ <br>      まさに「ロシア革命」そのものでしょう。<br>      　　それをあくまで「人間的」に！！　　「政治」やりながら「人間的」に！！！<br>      　　「政治」に勝ちながら「人間的」に！！！！　　「人間」踏み外さないように！！！！<br>      　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ロマンですょねぇ～｡｡｡<br>      　　　　････それを勝ち抜かなきゃなんないんです｡｡｡　　　　難しいですょぉ～｡｡｡<br>      それをリードするのが【世界中の人々の会】。　すっごいリーダー集団がいなけりゃなりません｡｡｡<br>     世界中で!!!　　　　まさに「世界革命」じゃないですか。　　そこまで頑張りましょう！！！<br>      　　　　 人間さん、でっきるかなぁ｡｡｡<br>　でもなぁ、充分 味わったつもりの私としては、やっぱり空しいんですょね。どうしたってマルクスロマンに行きついちゃうんです､､､ 人間さん、でっきるかなぁ、って｡｡｡<br>　釈迦さんの仰る事、もっともなのかなぁ、「執着」を捨てなさい、って。 全てを捨てる。これ、「人間」も捨てる？ そうですょね、全て「雑念」です！<br>　　→→ なるに任せる、あるがまゝを受け容れる｡｡｡　これも「執着」を捨てた姿？良寛さん辺りがいいのかな？　　　　　　　　　　　　　　　&nbsp;<br>　で、すみませんけど、どーにも辛いだろう22世紀までなんてとても生きないんで、もうほんのちょっとのトコなんで、私だけはどーでもいいことにさせて戴きました。　これも一種の「執着放棄」? ではありますけど、「釈迦」さんほど悟った訳じゃありません。「良寛」さんほど素直でもありません。が、そんな訳で、寂聴さんのいらっしゃった場にも行かなかったんです。まだまだ呼びかけ、続いてますけど、じっと抑えます。そんな挫折人間ですけどそれはボクだけにしといて、人間さんの挫折でなけりゃいいんですがね。まぁ、それもどーでもいいですか｡｡。　最後の瞬間、その直前までは何気ない日常、続くんでしょうから｡｡｡<br></p><p><br>　　　　　　　　　　　　　遺　ひとり　言</p><p>「人間さん､人間でなくなってませんか？ だとしたら人類さん､そろそろヤバくないですか？ ご自愛のほどを」<br><br><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/aisakiran/entry-12102268177.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Dec 2015 13:41:58 +0900</pubDate>
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<title>遺書続き4　格差問題3　資本主義の基本構造と人間</title>
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<![CDATA[ 　私は、最終的に絶望しちゃったんでもうどうでもいいんですけど、最後に、大分 前に残していた課題<br><br>　「本当は、人格までが他人の物になっちゃうのも「自由」!!!（できれば後で触れたいですね。）」<br><br>に触れさせてください。 「最終的な絶望」の内面問題でもあるだろうと思います。<br>　　<br>　　「人間」問題の根源ですので、やっぱり触れない訳にはいかないんです、すべての根源です。<br>　　<br>　で、これもマルクスさんの根本なんですけど、なんと、漱石さん、同じようなことに気がついてたみたいなので、まずはその方が気が楽ですょね、最初から「哲学」なんて気張らなくてすみますもの。<br>　漱石さん、マルクスの「経済学・哲学草稿」 読んでたのかなぁ？<br>　　･･･まさか、ですけど、･･･ 気づいてみれば、そんな難しい事じゃない、<br>　小説に出てくる程度の当たり前、、フツーに当たり前の事なんじゃないですかね。<br>　　　<br>　では、まず、漱石さんです。（「朝日新聞2015年5月19日朝刊」より。「東京朝日新聞」に連載された「それから」を原型のまゝ載せてます。この日の分の日付は、明治42年7月30日です。下線はもちろん私が付けたものです。）<br>=============================================================================<br>　　<br>　代助は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮った。<br>　「働らくのもいいが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」<br>　平岡は不思議な眼をして、代助の顔を窺った。そうして、<br>　「何故」と聞いた。<br>　「何故って、<u>生活のための労力は、労力のための労力でないもの</u>」<br>　「そんな論理学の命題見たようなものは分からないな。もう少し実際的の人間に通じるような言葉でいってくれ」<br>　「つまり<u>食うための職業は、誠実にゃ出来悪い</u>という意味さ」<br>　「僕の考えとはまるで反対だね。食うためだから、猛烈に働く気になるんだろう」<br>　「<u>猛烈には働けるかも知れないが誠実には働き悪い</u>よ。食うための働きというと、つまり<u>食うのと、働くのとどっちが目的だ</u>と思う」<br>　「無論食う方さ」<br>　「それ見給え。<u>食う方が目的で働く方が方便なら、食いやすいように、働き方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働いたって、またどう働いたって、構わない、ただ麺麭が得られれば好いという事に帰着してしまう</u>じゃないか。<u>労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ</u>」<br>　「まだ理論的だね、どうも。それで一向差支ないじゃないか」<br>　「では極上品な例で説明してやろう。古臭い話だが、ある本でこんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱えたところが、始めて、その料理人の拵えたものを食ってみると頗る不味かったんで、大変小言をいったそうだ。料理人の方では最上の料理を食わして、叱られたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終褒められたそうだ。この料理人を見給え。生活のために働く事は抜目のない男だろうが、<u>自分の技芸たる料理その物のために働く点からいえば、頗る不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか</u>」<br>　「だって<u>そうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい</u>」<br>　「<u>だから</u>さ。衣食に不自由のない人が、いわば、物数寄にやる働きでなくっちゃ、<u>真面目な仕事は出来るものじゃない</u>んだよ」<br>　　<br>=============================================================================<br>　漱石さん、いまの労働は本物の労働じゃない、って仰ってるんじゃないでしょうか。<br>　　<br>　皆さんはいかがでしょう？ 無知な会員さんがケガするといけないから指導しなきゃ･･･　　他人に迷惑かける会員さんがいるとイケナイから指導しなきゃ･･･　って、本気でそれでスタッフさん、やってられます？ 心底から、ですょ｡　･･･顔 合せるんですから、その気持ち、持ち合わせてるのは勿論そうでしょうけど。それに徹することができてますか？ 真の自分の気持ちのままに｡｡｡ 本当の自分の気持ちで｡｡｡<br>　給料もらえなかったらやってられないんじゃないかなぁ、暇があったとしても､､､ ボクならきっと｡｡｡<br>　【「心肺機能を高めて 健康的に」っていう心拍数】が、【「脂肪の燃焼に」の心拍数】より低い、･････ なんて指導、させられてるんじゃないですか？<br>　　　　･･･「目的別心拍数を知ろう」ってご指導カードが有酸素マシンにしばらく貼ってありました。<br>　あのカードですけど、<br>　　 「心肺機能を高めて 健康的に」の方は、････ せいぜい「心拍数を（多少）上げて 健康的に」<br>　って 程度の数字でしたょね。････で、僭越ですがその間違いとしか思えないでいるんですが･･･。<br>　字の感じはよく似てますけど、内容は全然違いますょね、で、間違いとしては決定的ですょねぇ｡｡｡<br>　スポーツクラブとしては余りに恥ずかしい!!!<br> （「脂肪燃焼」の方は、確かに「ご指導」どおりの程度でいい、と思うんですけども｡｡。「心肺機能･･･」高めるんなら更にその上でなくっちゃね。）<br>　本社が作っちゃったらもうどうしようない、本社に伝える他、<br>　　　○○店としては、いくら恥ずかしくても、自分でそれを外すことすらできない!!<br>　これ、ご自分の労働でしょうかねぇ？　　そこにいるの、果たして、ご自身でしょうかねぇ？<br>        随分時間がかかりましたけど････、つい最近になって外されました。<br>        これ、どなたか、ご自身の判断で勝手にされたのだったら感動モノです！<br>                そうであったことを祈っています｡｡｡<br>　問題の「規則」だって、それがあるから守らせなきゃイケナイ、って気持ちにさせられてるんチャイます？<br>　　　「違反」と思った相手の行為そのものを、自分の心でちゃんと評価した結果なんですか？<br>　そんな中、マイノリティの人権を認めて下さってるご処置には、本当に感謝しています、やりにくい思いしてらっしゃる事と推察しています。ありがとうございます。<br>　　<br>　この辺のとこを「人間としてはどういう事なのか」、って考えたのがマルクスだったと思います。その辺が、マルクスの全思想の根本だと思っています。そして、私としても、この限り、全面的に学ぶ一方です。<br>　前にも書きました。「いま、生活のすべてが交換で成り立ってる｡｡｡　工場で働く人が物を作って自分で交換･･･はないですょね、自分のモノなんて作らないんですから。作ったモノは全部 会社のモノ、自分の手に入るのは給料＝賃金だけ｡｡｡　その少ない給料をブツに変えて食ってる訳ですから、交換なかったら食うモノ、何もナシ!!　いまの世、交換100%の生活です。」<br>　これって、漱石さんそのものじゃないですか？ 工場で働く人、なにがどうできようとどうでもいいんです、賃金、もらえさえすれば･･･。 賃金 沢山もらえるようには一生懸命になる。でも、いいものできようと、床に落ちた鶏肉、腐った鶏肉 使おうと、それはどうでもいいんです。Ｍａｃの事なんて関係ないんですょね! まして、それ 食う人、ぜんぜん関係ないんです!!<br>　これ、考えてみれば、労働が自分のものでなくなってる、って事ではないですか。<br>　「労働」なんて賃金貰うために差し出すモノ、賃金と交換で渡すモノ、つまり商品になっちゃった｡｡｡　考えてみれば当たり前ですょね、100%交換の暮らしの中、交換できるモノって言ったら「労働」しか持ってないんですから。<br>　人は大昔から働いてます、いえ、動物はみんな、でしょう。食う前に、それにありつく行動、しています。自分でしたいように、自分の意志で動きます。勿論、周囲の状況に制約されますけど、それも自分の判断で。<br>　で、それは自分の行為そのものです。意志の、意識の、発達した動物ほど、自分にとっての基本的、本質的な行為でしょう。<br>　でも商品なら、売る人も自由なら、買った人も自由です。「心肺機能を高めて 健康的に」なんてのを、「買った人」から「貼れッ」って言われれば貼っとくしかない!!　「労働」が自分のモノでない、「商品」だ、って、感じませんか？　　･････ で、それは、自分が自分でない、自分が人間じゃない、って事なんじゃないでしょうか？　　まるで自分が「商品」になったみたい！！　　　････なんじゃないですか？<br>　それも、「自由」意志で売った結果です!!!　売りたくなくても売らざるを得なかった「自由」。「自由」意志で「自由」まで売れる「自由」!!!!　　本来、売る事なんかできないはずのものだって売っていい「自由」。すべてが「自由」。なんでも「自由」。<br>　･･･ 結果、「個人」は「共同」社会からも「自由」。＝「勝手」に振る舞うのも「自由」･･･ モゥ目に余る!!!<br>　何故って、すべてが「人間」から出たモノなんかじゃなくて、「資本」のご都合どおりの「自由」なんでしたょね。前に触れました。　　　　　　････それが、「資本主義」の「自由」です。<br>　マルクスさん、「自己疎外」って言ってます。自分が自分でない、自分が自分の外に居る｡｡｡<br>　それが完成したのが「資本主義」。交換100%の社会。人間の非人間化が完成した世界。人間が完璧に人間的でなくなった世界。<br>&nbsp;   小さい例えになりますが、「規則ですから･･･」だってその現れ、その表現なんじゃないでしょうか｡｡｡<br>　生産力が大きくなって、少し余裕ができて、私有財産ができて、流通が拡大して、とうとう最終局面を迎えたのがこの姿!!! <br>　人間が人間的でなくなってる｡　････働けばどうでもいい行為になっちゃうし。･････家族は人の心を無視・拘束・束縛しちゃうし。････人の共同関係は完璧に断ち切れちゃって、人同士はバラバラ個人で、勝手気ままな「自由」で。･････結果、国家は「自由勝手」な利益の奪い合いで人の滅亡まで行っちまうかも。<br>　そんな局面で、現に方々で殺し合いしてるし、格差の拡大には為す術ないし、<br> ････ 問題は、この行き詰まりがどんどん進むのは間違いないんで、この先どーなるか、でしょうねぇ。<br>　　　　ボクはもうすぐ消えるからいいんだけど｡ 皆さんが心配｡｡｡<br><p>　って、もうこの社会そのもの、人類そのもの、の終焉が必然なら、心配してもしょうがない、心配する必要もないでしょうかね。<br></p><p>　その後、「猿の惑星」になるのかどうか知りませんけど、お猿さんに任せましょう｡｡。<br>　　･･･ て、お猿さんまで道連れにしちゃうかも知れませんけどね。<br>　　<br>　ここまでを纏めましょう。この危機は、要するに、「人間」が人間的でなくなった結果、自分で作り出してるものなんです。自分を失った結果、自分の存在そのものまで危うくしてる････と私は感じます。<br>　生産力獲得した人の世に「私有財産」ができ、「家族」ができ、「国家」ができ、「人間性」を喪失する「歴史」を刻む事になった私たちの必然の結果、だと思います。この先の「必然」は、まさに必然的に、「人間性」回復か、「終焉」か、という事になろうかと思います。<br>　　<br>　さて、やっと、ですけど、出発点の「格差問題」に行きましょう、「経済学」になりますけど、これも「資本主義」の根源問題ですから。･････格差の必然性＝経済学を、私なり考えます。<br>　まずは、資本主義を考える上での、根本問題から行きましょう。<br>これは「人間論」でもそうでしたけど、「経済学」でもいっしょです。資本主義の構造の根本なんですから。<br>　で、前に２回も書きました。　<br>　「いま、生活のすべてが交換で成り立ってる｡｡｡　工場で働く人が物を作って自分で交換･･･はないですょね、自分のモノなんて作らないんですから。作ったモノは全部 会社のモノ、自分の手に入るのは給料＝賃金だけ｡｡｡　その少ない給料をブツに変えて食ってる訳ですから、交換なかったら食うモノ、何もナシ!!　いまの世、交換100%の生活です。」<br>　で、ボク達が給料＝賃金、と交換であげてるモノ、って、一体、なんでしょう？<br>　これも前に書きました。「労働」が自分のものじゃなくなってる、って。<br>　仕事して会社のいう通りに働くだけ。それで給料、貰ってます。<br>　･････ ここで、少し区別しましょうか、････<br>　これって、工場でモノを作って、"できあがったモノ"　をあげてる、･･･んじゃないですょね。<br>　　････自分は別に作ってる訳じゃない、会社の指示通りにしてるだけ、なんですから。<br>　　　　 まさに「心肺機能」カードです！！　←←← 「自分」の成果、なんかじゃ絶対!! ないですょね。<br>　できたモノが一旦自分のモノになってそれをあげる、わけじゃなく、できたモノは最初から会社のモノ｡｡｡<br>　　　　生産物をあげるんじゃなく、働くことそのもの、「労働」をあげてます。<br>            だから、いいものができようが、変なものができようが、<br>            沢山できようが、ちょっとしかできまいが、関係ありません。 ･･･会社の方の問題です。<br>            いいものが沢山できるように働かせれば、得するのは会社です、反対も同じ｡｡｡<br>　で、「労働」の対価が「賃金」である事は間違いないでしょう。<br>　「労働」でできた「結果」の対価なんかじゃなくて、「労働」そのものの対価、「労働」という商品の「価格」です。<br>　では、商品の「価格」って、なんでしょう？<br>　　 ･･･ 「需要」と「供給」で決まる、って教わりませんでした？<br>　でもそれでは、「価格」の基本の部分＝大元が見えてきませんょね。「元」なんてなくてまるっきりフリー？<br>　近代経済学で、景気の動きとか、どうやったら景気 よくなるかとか、考えるんなら、そこから出発すればいいのかも知れませんけど｡｡｡　　　ものごと、何故？ どうしてそうなるの？ って考えるんなら、もっとものごとの「基本」から考える必要があるんじゃないのかな。<br>　で、少し考えましょう。<br>　寝てて手に入るモノにお金、払いますか？ って、馬鹿な質問ですょね、払う訳がない。少しは努力しなけりゃ手に入らないからこそおカネ払う、んでしょう。その「努力」を他人がやってくれたから、その対価に金 払いますょね。その部分がなかったら、金なんて払うもんですか！<br>      空気、メチャクチャ大事ですけど、寝てて手に入ります！ だからボク今のとこ 生きてます！<br>&nbsp;     But ボク、お金、払ったことアリマセン!!　　mouth to mouth　なら～？？　アッ、ウレシイ!!　イッパイ払ってもいい～!! エッ? してくれたの可愛い子じゃなくってオヤジだったの？　ケ、ケガラワシイッ!!<br>&nbsp;     　冬、寒～いとこでは、ダイヤモンドダスト見られます。冬山でもそう簡単にはお目にかかれませんけど、まぁ、見たことない訳でもありません。これが "ダスト" 抜きだったらいいですねぇ、それももっと大粒で、この辺の平地でもしょっちゅうだったら････ そしたらダイヤに金 払います？<br>　売る側にしてみれば、自分の「努力」、ダイヤモンドだったらそれを探す努力とか掘り出す努力とか････それ以上払ってくれなかったらイヤですょね。ヤル気なくなります！！<br>　ここでもう少しハッキリさせれば、その「努力」って、漱石さんの「労力」でしょう。要するに、そのための「仕事の量」ですょね、つまり「労働量」が基準になる、って事ではないですか。売り買いは、この基準を割るか越えるか、こそ勝負!!!　この勝負は、個々の取引の場面では「駆け引き」もあるでしょうけど､､､､その辺の勝負どころの条件こそが「需要」と「供給」なんじゃないですか。どっちが有利になるか･･･ ってだけのものでしょう。<br>　決着つける上では･･･　実際に決着つける時にはこの条件 大事でしょうけど､､､ 「基本」部分を離れたままの取引なんて、一時的にならともかく、長く続くことはあり得ない、ですょ。その辺を見ながらものごと考えないと････。<br>　だから、「商品」の「価格」って、それに要した「労働」の量が基本だと思うんです。売り買いする時の＝貨幣と交換する時の、基準です。これが大元にある｡｡｡　交換の時の「価値」ですね。<br>　ところで､､､ "価値" と言えば、その人にとっての価値は人それぞれですょね。<br>　けど、交換する時の価値は、双方に共通で「労働量」を元に駆け引き・取引されることにならざるを得ないでしょう。<br>　だから、人それぞれにとっての価値は「使用価値」、交換の基準となる価値は「交換価値」。<br>　ふたつの価値が交錯します。人は、自分の「使用価値」と「交換価値」を見比べて駆け引きしながら買うかどうか決めることになるでしょう。ていうことは、「商品」の商品としての「価値」と言ったら「交換価値」の方。買って自分のものになって始めて「使用価値」になる｡ 「使用価値」は個人のもの｡｡｡<br>　　<br>　さて、「賃金」ですが、これの「価値」（交換価値＝「労働」の量）って何？<br> 「賃金」は「労働」の価値として貰ってるんですから、「労働」の「価値」って何？<br>　　　　って、変な質問!!　これって、同義反復じゃん！！！<br>　質問自体 成り立たないですょね。　　 ･････ だからまた、この辺がミソの部分です｡｡｡<br>　ボク達がアゲてるのは「労働」なんだから、アゲた「労働」分そのまま「賃金」にしてくれたらいいんだけど､､、　　 思い出しましょう、「価値」ってそれを作るのに要した「労働」なんでした。･･･で、ボク達が雇い主にアゲてる「労働」 作るのに幾ら掛かってるの？ ･･･って、<br>　　これ、アゲてる「労働」そのものとは、なんの関係もないじゃん！！<br>　アゲちゃう「労働」と、それを作るための「労働」と、ふたつあるからヤヤこしい｡｡｡<br>　そう、アゲる「労働」と、それ 作るための「労働」って、まるっきり別モノなんですょね。<br>　よくよく考えると、････「それを作るための『労働』」､､､ の "それ" って果たして「労働」？<br>　　 『労働』が作り出すのって、「労働」そのものじゃないでしょう、「労働力」なんですょね。<br>　　　　だから区別しましょう、よくよく見ると、実はアゲる方は「労働力」なんです。<br>　その「労働力」使って「労働」として勝手に使うのが雇い主。････これでスッキリするんじゃないですか？<br>　「労働」は始めからはアゲてなんかないんです、アゲた「労働力」を寝かせとこうと、どう使おうと雇い主の勝手､､､　だからそれ使って「労働」にしたらその途端、それが雇い主のモノになる ｡｡｡　だけの事!!<br> 「労働力」は自分の体の中にある自分のモノだったけど、それをアゲて「労働」として使い始めた途端、雇い主のモノになっただけなんです!!　こうして最初から「労働」は、自分のモノなんかじゃなくなった!!<br>　自分の「労働力」が「労働」になったその途端、それはもう雇い主のものになって自分はその外に居る｡｡。そんな構造なんですね。　　 これが、前にも触れた「自己疎外」｡｡。<br>　　････それをもたらしてるのが賃労働で、それは「疎外労働」なんです。自分でない労働｡｡｡<br>　自分の「行動」が自分の心 離れてヒトのモノになってる｡｡｡ 非人間です！<br>　その「労働」、見かけはどうあれ､､､ たとえ自分をごまかすことはできても､､､<br>　　根本のところで、「心」が宿る訳がありません、<br>　　漱石さん、よく見破って、よく仰ったモノですねぇ。<br>と言う訳で、その結果が雇い主のモノなのは当たり前なんです。<br>　　雇い主のものになる、んじゃなくて、最初から雇い主のモノ｡｡｡<br>　で、「賃金」て、ホントは「労働力」の「価値」。<br>                  アゲた「労働」の「価値」なんかじゃないんです。<br>      　実際に今働いてる「労働」そのものの「価値」は最初から雇い主のモノ。<br>      「賃金」の方は、･･･その「労働力」を産むための「労働」だったんですね。<br>      　　･･･ 実際に働いた分と違って当たり前なんです。<br>　そこで今度は「労働力」の「価値」ってどんなモノ？　　って事になりますね。<br>　で、ボク達の「労働力」を作り出す、って、････ 要するに、日々の生活のことじゃないですか、<br>      暮らしていくのにイクラ掛かるか････　それだけのモノを「賃金」として貰えば一応 生きてける。<br>　その「労働力」で働いて作り出すモノは、････それより多いはず､､､ ですょね。<br>    　　今時、生きる分だけしか作れない、なんて事、ない筈!!　なんですから。<br>    　　その差の分、雇い主＝「資本」は儲かる･･･<br>     って仕掛けなんですね。それが「利潤」。<br>　こうして、「労働」があり、「価値」があり、「労働力」があり、「賃金」があり、「資本」があり、「利潤」が生まれました。それで社会が回ります。<br>　　<br>　実際の売買にはいろいろな要素が介入するでしょう。けど、根本にこの関係が潜んでいるのは間違いないんじゃないでしょうか。この関係から大きく外れる事態となれば、これらの要素のどれかが破綻するほかなくなりますもんね。そうなると、誰かがヒイちゃいます。<br>　「賃金」が低くなりすぎれば、「労働力」の再生産に支障を来すでしょう。逆に、上がりすぎれば「利潤」がなくなり、「資本」は経済活動、やめちゃいます。そうなりゃボク、明日のお米、買えません!!<br>　「賃金」と「利潤」、両方いっぺんに大きくなればメデタシメデタシなんですけどもね｡｡｡　　それはムリ！！<br>　　　　利益相反の間柄、ですからねぇ。　　生産力、無限ならいいんですけどねぇ。<br>　哲学面で見た「自己疎外」生み出してるのは、人の基本行動が「賃労働」＝「疎外労働」になってるから、<br>　　　　なんですね。<br>　さてそこで、「賃金」と「利潤」の力関係、見ましょうか。<br>　「暮らしていくのにイクラ掛かるか････」って、いつでも、いつまでも、同じじゃありませんょね。<br>　いまだって縄文時代の食い物と住まいとか､奴隷のもらい分とか あれば、多分、生きてはいけるでしょう。<br>　じゃぁ「賃金」はそれだけか、って言えば、もちろん違います。<br>　今の時代の最低の生活、できませんものね。「経済成長」あれば、いくら最低生活でも、昔より少しは上がっていきますょ。じゃぁ、「賃金」、どこまで出してもらえるの？<br>　　<br>　ここで、「利潤」との綱引きになりますょね、「労働力」が「労働」してできた結果をどう分けるのか･･･<br>　「労働力」を維持する費用＝「価値」が「賃金」でした･･･ と言って、実際問題どの程度の生活で収まるのか、って問題になってきますょね、生活水準の問題に。<br>　「資本」と「労働力」の力関係の問題でもあるでしょう。人間の立場に言い換えると、経営側（人間風に言えば「資本家」）、と労働側（同じく「労働者」）の力関係｡｡｡<br>　いくら「資本家」が強くても、「労働者」に縄文時代の生活 させる訳にもいかない、反乱が起きちゃいます!!　　結局、状況次第、折り合いの付くところが落としどころとなるでしょう。それがどれほどであれ、それがその時の生活水準となり、「労働力」の維持費用＝その時の「価値」｡｡｡　　･･･となると、<br> 「労働力」の「価値」なんて意味なさそうですねぇ、要するに力関係だょ、って言うんなら｡｡｡<br>　この「力関係」がミソかも知れません。片一方が際限なく強くなれるんなら、「価値」なんてないようなもんですけど、そうもいかないとこがミソなのかも･････、ですね。<br>　　<br>　まず、資本の側としても、「労働力」の「価値」を縄文時代までおとしめるのは実質的に無理。反乱問題でした!!! どうしたって、ある程度 認めない訳にいきません。また、ある程度認めた方が、ヤル気の点でも有利でしょう。なるたけ安くしたいところではありますが、おとなしく素直に言う事 聴いてヤル気が出る ････ その辺を探ることになるんでしょうね。資本側からの「労働力」の「価値」｡｡｡<br>　「労働」する側はどうでしょう。日本でも、ずいぶん生活水準、上がりました。高度成長期にはある程度「賃金」上げないと治まりがつかないし、「利潤」も十分あったので上げる余裕もありました。<br>　でも、結果どうでしょう、バブル期には「21世紀は日本の時代」なんて言われながら、逆に「空洞化」なんて起こっちゃってもう随分久しくなりますょね。いまでもどんどん、生産を海外に移してます。国内で「利潤」を出そうとすれば、非正規を活用するほかなくなってます。<br>　今 問題の「労働法制」、政治やるエラい人は「雇用が増える」とか「いろいろな働き方ができるようになる」とか、まるで「非正規」さんのため、みたいな事 言ってますけど、要するにますます非正規を使いやすくしようとしてるだけ。非正規に頼らないと海外生産に対抗しようがない、だから、安い・クビ 切りやすい非正規に日本経済が頼るほかなくなってるからの事なんだと思います。<br>　要は、「経団連」なんて経営側からの要請に応えようとしてるだけ。「経団連」の会長さんなんか 「使い勝手がよくなる」なんて、再三、露骨に言ってるのに、審議(?) する政治の場では、現実 逸らした一般的な言い方で夢事ばっかり言って通します。<br>　▽◇さん、この審議の場では決して言いませんけど、別のところではちゃんと言ってます、基本政策として「産業競争力を高める」！　要するに「資本」が儲けやすくする！ その為に他にも「残業タダにしよう!」とか、色々やってますけど、これもそのひとつですょね。でも、この場ではしらばっくれるんです、「非正規」さんのためなんだょ～！！　って!!! <br>　　･･････あそこの場、いつだって・なんだって、なんですけど!!!　ね。<br>        「戦争危険法制」だって、アッ､違った?? ▽◇さんの言い方は「平和安全法制」? でしたっけ､､､<br>        その審議で具体的に危険性 質問されて、多分 内心、「ヤバイ」ってんでしょうね、<br>        　　それに答えないで、「一般」「一般」て連発してくる!!!<br>        憲法違反、なんてメチャいい加減！！ 法学部の試験、絶対通らないですょ。法的検証、逃げてる!!<br>        その為 国会で会期が95日間延長だって!!!　再採決強行まで織り込んだ長期だってのに、▽◇さん、例によって「丁寧な審議」のため、ですって!!!!!　　ものは言いよう！！　イイようかな？<br>　話、戻しますね、　ここで仮に「労働」側が強くなって、非正規 拒否して「賃金」どんどん上げれば、ますます「資本」は海外に逃げるだけ･･･ 。結果、「労働」側はもっとツラくなる｡｡｡<br>  際限なく高くする････なんて事もできないんです。やっぱり動かしがたい上限「生活水準」がある！<br>  ････ 労働側から見た「労働力」の「価値」。<br>　　<br>　いずれにしても、、落ち着く程度のところに落ち着くしかないでしょう、<br>　　　　 資本側からしても、労働側からしても。<br>  　これが、その時その場の一般の「生活水準」という事になりますょね。結局、ほゞ、生活するだけ、です。多少の贅沢があったって、それを含んで「最低生活」｡｡｡<br>  　で、フツーの人は、ほゞ、生活するだけ、の人。<br>        　多少 貯金もできるかも知れないけど、その金、使って金儲けして、それで暮らしていける･･･ってわけにはなかなかいかないですょね、つまり、ピケティさんの「資本利益率」の側にはなかなかなれない、多少贅沢したって、要は暮らすだけ･･･。<br>        もちろん中には「資本」の側に回る人だっているでしょうけど、皆が皆そうなる訳じゃありません。「労働」側が居なくなったらそれこそ破綻ですから!!!　ね。<br>        　　　殆どの人は「労働」側に残っていてもらわなけりゃ困ります。<br>　こんな構造で、「賃金」が上がりようがない。「労働力」の「価値」は、その時その場で規定されちゃう､､､多少揺らぎがあったって、誰かの力で勝手に決められるものなんかではないんです。「賃金」と「利潤」の力関係みたいに見えて、実はその時代時代でほゞ決まり｡｡｡ まさに「価値」! のとおり なんですね。<br>　「資本」は世界中を徘徊します、お金はどこへでも持ってけますから、 自分に有利な所＝儲かる所、に落ち着こうとしますょね。　が、「労働力」はそうもいきません。<br>　だから、下手すると「労働力」は、「資本」に置いてけぼりにされちゃいます。他所に安い「労働力」ある限り、それよりそう高いことにはなりようがない ･････ でしょう。それが「労働力」の「価値」｡｡｡「賃金」も「価値」どおりにならざるを得ないんです。<br>　　<br>　そんな訳で、「資本」は、今のところアジアにメリットを見だしているんでしょうかね。中国、インド、その他｡｡｡<br>　　 「労働力」 安くて（今のところ「生活水準」が低くて）、で、「生産」するのに都合がよくて、<br>　　 となるとそこへの「投資」も増えそうで、そうなるとこれからある程度までは「生活水準」も高まる<br>　　 見込みで、　　 で、モノ、売るのにも都合がよくて、<br>　　 ついでに、そこから世界にも持ってっちゃえば､､､　そこでも儲け＝「利潤」も見込めて･･････<br>　って、そっちに向かいます。<br>　こうなると、日本の「労働力」、不利ですねぇ。 日本に限らず「生活水準」高くなってるとこは、「賃金」稼ぐ場が減って、稼げないのに買うばかりになっちゃう｡｡｡ なんとかしなくっちゃ。<br>　こうして、「資本」は相変わらず稼ぐけど、「労働力」は､､､ 「なんとかしなくっちゃ」状態です。<br>　国内がいまのアジア状態だった頃、＝世界が「復興期」、「成長期」だった頃、は、「資本」も「労働力」もそれなり動いてましたけど、やがて、そこの「労働力」は「資本」に置いてけぼりになりました｡｡｡<br>　いまのアジアだって、やがては､､､　「生活水準」上がって「最低生活」が少しだけ豊かになれば､､､　置いてけぼりにされるんでしょう。<br>　「資本」さん、それからどこへ向かうのか知れませんけど｡｡｡　･････段々 打つ手がなくなるかもぉ！<br>　っていう訳で、「労働力」の「価値」は、結局、いつだって頭打ちです、「資本」が儲からなきゃ見捨てられるんですから。<br>　「資本」の方はいつだって儲けます ･････個別にはそれぞれでしょうけど････ 、儲けなきゃ動かない、動かなけりゃぁ経済の破綻！！　なんですから。　　･････以上。 これで　<em>r</em>＞<em>g　</em>　？<br>　　　　<br>　こんな感じで、資本主義の根源にマルクスさんの「労働」、「価値」、「労働力」、「賃金」、「資本」、「利潤」の諸関係があり、「格差」はその結果そのものであることになるのでは･･･と思っています。そこに「格差拡大」の必然がある。　　 ･･･ いま、「破綻期」に、それがまさに極大化、悲惨化、明瞭化してる!! だけ｡｡｡<br>　　　　　････ これ、要するに、マルクス経済学の基本の、私なり請け売りでした。<br>　　　　<br>　池上 彰さんの権威、お借りするつもりなんて毛頭ありませんけど、彼、同じような事、仰ってます。<br> 「希望の資本論」、副題「私たちは資本主義の限界にどう向き合うか」（「朝日新聞出版」刊）っていう、佐藤 優さんとの対談本の、「はじめに」に書いておられます。（以下、おふたりの引用はすべてこの書物からです）<br>      「かつてマルクスが、強靱な論理で分析した資本主義の仕組みがもたらす結果を、ピケティはデータで示したのです。」<br>　たゞ、引用しといてナンなんですが、ひとつお断りがあります。 彼がここで仰ってる限り、あぁお互い同じなんだ、と納得なんですけど、読み進めると、実は根本ではまるで違ってたんです。出だしのこの部分だけの、一致、なのでした。<br>　池上さんにしても佐藤さんにしても、「資本論」の限りでマルクス絶賛ですけど、マルクスの根本部分にはちっとも目が行ってないと思います。マルクスさんを「マルクス主義者」と「資本主義分析者」に分割しちゃってる、本気で！　　･･･て、思って読んでたら、佐藤さん、「おわりに」で、臆せずそれをその通りに明言されてました!!<br>　マルクス理論は、何故「資本論」に結実したのか ････、<br>　なんて事は思いもよらず、たゞたゞ "前略"　で、 "最終"　結果 利用するだけ？？？<br></p><p>結果、池上さんの「はじめに」でも、おふたりの対談の中でも、言っておられます。<br>      「資本主義の論理をよく理解できれば、資本主義社会で幸せに暮らせる」<br>      「資本の論理を知ることで、資本の論理にからめ取られない生活を送ることができる」<br>            <em>r</em>＞<em>g</em>　　どこ行っちゃったんでしょう？ 私と共通の理解だった筈なんですけど･･･<br>　そんな事より、なによりも、人間論も弁証法もまるっきり関係ありません！<br>　そりゃそうですね、「マルクス主義者」のマルクスさん 切り捨てちゃって見向きもしてないんですからね。<br>　　　　　これじゃぁマルクスさん、立つ瀬 ありません！ょねえ。<br>　どうも、ソ連崩壊で<br>　　　　「社会主義と資本主義の戦いでは、資本主義が勝った、歴史的決着がついた」、　　らしいです。 <br>　　　で、マルクス主義は終わり。　で、資本主義は永遠！？　で、でも、「資本論」は使える ??????? <br>　ソ連の崩壊がその証明、らしいんですねえ。。　　「資本主義」か、「ソ連」か？　　の二者択一？？<br>　センター試験じゃあるまいし･･･。 答えなんて自分で考え出さなくても、どこかに用意されててそこから選ぶだけ！？　　　　　知識人さんなら、少しは自分の頭で考えましょうょ｡｡｡<br>　　<br>　第一に、私は、マルクスの「人間論」あっての「資本論」だと思っています。<br>　人間に目が向かい「疎外労働」を見抜いたからこそ「賃労働」を見抜き、「労働」の「価値」を見抜き、「労働力」を見抜き、対する「資本」の意味も「利潤」の意味も根源から理解する事ができた････ と思っています。<br>　いくら理論だからって、その根源 放り出して、結末だけ生き残る、なんてあり得ます？　そんな理論は、ゾンビです！　　　（ゾンビ＝何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称）<br>　　　マルクス主義は終わり、「資本論」だけはいただき！！　　都合いいですねぇ｡｡｡ご都合ナントカ？<br>　マルクスの根本、思い出しましょう。　「人間」をちゃんと見たなら、<br>　そもそも、「資本主義社会で幸せに暮らせる」？？　「資本の論理にからめ取られない生活」がある？？<br>  ･･･根本で、「疎外労働」なんですょ！　あなたも私も「自己疎外」人間なんです！　　･･･幸せ！？<br>  　　根本で、「資本の論理にからめ取られちゃってる」んです！！！<br>&nbsp;       　「資本論」で「賃金」「賃労働」って言った時、その内奥には「自己疎外」「疎外労働」、そんな「労働者」「人間」、が秘められているんです!!　そして、これ等から「利潤」生み出す「資本」!!&nbsp;<br>&nbsp;       　これ等すべてを秘めながらの経済法則、と理解するとき、何か違って見えないのかな？？<br>&nbsp; 　そう、池上さんも佐藤さんも、「資本論」の表面しか関係ないんでした！ その持つ内奥なんて蚊帳の外<br>&nbsp; 　まぁ、「哲学」、置いときましょう、触れようとしない方たちだから。　　で、「経済」ですけど･･･<br>&nbsp;   　･･･「はじめに」で仰ってる「かつてマルクスが、強靱な論理で分析した資本主義の仕組み」では、多くの人、「賃労働」なんですょね、で、その「価値」としてほゞ「最低生活」に決まっちゃってる！<br>&nbsp;   　･･･非正規労働者さん、「資本論」読んで「資本主義の論理をよく理解」し「資本の論理を知ることで」「幸せに暮らせる」？？？　　「からめ取られちゃってる」のは、「資本論」知らない自分のせい？<br>&nbsp;           　いまの身分、「からめ取られる」しかどうしようもないからの結果なんじゃないの？<br>&nbsp;           　そんな彼・彼女、「哲学」的にも「経済」的にもメッチャおつらいんじゃないでしょうかねぇ。<br>&nbsp;   　ピケティさん、民主主義の力で資産課税、累進課税、いつか実現できる、って思ってられるらしいけど、それと同じでいつか「からめ取られない」ようになる？　　 ････まぁ、どっちでもイイですけど、<br>&nbsp;       　そうなったら資本主義、崩れちゃってると思うんですけど。 もう「資本論」、お終いですょぉ。<br>　で、ソ連崩壊で歴史的決着ついて資本主義はいつまでも生き続ける？ ひとつの歴史がいつまでも!???<br>「歴史」って、そんなものですか!!　　 まるで線路みたいですねえ、どこまでもどこもでも、つづくぅ！！<br>　　<br>　第二に、ソ連の崩壊＝マルクス主義の終焉、て、何を検証されたんでしょう？<br>　これ、大方の見方でしょうけど、池上さんや佐藤さんともあろうお方までが、これを一言で仰るなんて｡｡｡｡<br>　私は、スターリンに権力を握られたソ連は、マルクスとは無縁だったと思っています。ここで詳述するわけにもいかないので遠慮しときますけど、その辺の検証、ロシア革命からソ連崩壊に至る、マルクス理論からの検証なしで、ソ連崩壊の一事でマルクス主義を "終わらせちゃう"、なんてのは、余りに乱暴、っていうか、無内容、ですょね。無知としか言いようがありません。「知識人」さんとしては、余りに恥ずかしい！！！<br>　それを仰るなら、まず、ソ連＝マルクス主義、の検証から始める必要があるんじゃないですか？ ･･･もっと言えば、ロシア革命だって＝マルクス、と決めてかかるのもおかしいですょね。レーニンのマルクスだって、本当のマルクスの反映なのか？ ちゃんと検証した結果でなけりゃぁ｡｡｡<br>　私の考えでは、ロシア革命にマルクス主義の敗北を見るのなら、ソ連の崩壊にではなく、レーニン死後のスターリンの権力掌握、トロツキーの敗北、という政治に、だと思います。<br>    　たゞ、この敗北がなくトロツキーがその後も指導的役割を果たせたとしても、果たしてマルクスの社会が実現できたか、となるとそれはおおいに疑問で､､､ ていうよりまず不可能で、別の形で終息せざるを得なかったんだろうな、とは思います。ロシアに続いてそう時を置かず、ドイツが、フランスが、イギリスが、アメリカが、そして日本も、同じ過程を辿らなければ､､､ ロシアだけ孤立して「世界革命」目指しても、多分、そういつまでもは持ちこたえられなかった事でしょう、経済も政治も｡｡｡<br>    　　　　スターリン･ソ連よりもっと早く崩壊した？　　かも、多分｡｡｡<br>    　　<br>    　そして、仮にドイツ～日本～全世界、で、引き続いてすぐ奇跡が起こったとしても･････、<br>    「次の社会」の建設、人間が本物の人間になる過程、が果たしてうまくいくのか････ は、もっともっと難しい課題として引き継がれ、結果どうなるか？･････これは別の問題として残りますょね。<br>　　<br>　「ソ連」以外のマルクス主義に対する検証としては、佐藤さんが「おわりに」でひと言。<br>　新左翼を、これもひと言で否定する事で、ソ連とは違う別のマルクス主義の否定とされてはいるんですが､､､､<br> ････ またまた二者択一ですか！ 佐藤さんにとって、マルクス主義とは、スターリンと新左翼、だけ??<br>　　　　　ふたつを、否定しさえすれば、それでマルクス主義の終わり!!　の検証なんですか？？<br>　スターリンも新左翼も、あなたから出たものではないでしょう、だったら、他にいくらだって出てくる可能性はある訳です。そんなのをひとつひとつ否定したって、いつまで経っても終わりになんか、ならないじゃないですか！ あなたご自身で、批判の対象＝マルクスの思想そのもの＝マルクス主義、をちゃんと検証する以外ないんじゃないですか？？？<br>　おふたりが分割しちゃったもうひとりのマルクスさんをちゃんと検証するしかないんチャイます？<br>　こうしてちゃんと考えると、<br>　　　　ソ連＝マルクス社会、ソ連崩壊＝マルクス社会の終焉、<br>　　　　新左翼＝もうひとつのマルクス主義、新左翼＝ダメ＝マルクス主義やっぱりダメ、<br>　　　　＝＝＝＝マルクス主義終わり、<br>　と直結させちゃうのは、知識人さんとしてはいかがなものでしょう？　　　ワタクシ、ちょっと･･･口が閉まらないで困ってます｡｡｡　　　　アッ、ヤバッ !!!　　 ボクッ、破傷風？？　かなぁ｡｡｡ <br>　結局、【ソ連崩壊＝マルクス主義の敗北＝資本主義の勝利 ∴資本主義 永遠】、なんて安直な論理は別にして、歴史で、マルクス社会そのものは、悲しいかな、検証できるところまでも進んでなかったんじゃないでしょうか。<br>　ていう事で、私も、レーニン、トロツキーの革命組織までがスターリンに乗っ取られちゃった、という事実には、絶望感を禁じ得ない思いです。････人間が資本主義の次の社会を作る困難さ｡｡｡<br>　人間が本当の人間になる困難さ、についての、絶望感の、ある意味、歴史的検証、ですね。<br>　人間が本当の人間になるまでは、その過程はやっぱり「政治」なんですょね、悲しいかな｡｡｡<br>　そうなると、スターリンみたいのが出てきちゃう!!!　　それに負けちゃう人間 !!!!<br>　人間は、マルクスを社会的に検証することさえ､､､ そこに持って行く事さえ､､､ できないんじゃないか？<br>          ･････ やっぱり、本来、ロマンなんじゃないのか？？<br>          ･････ 弁証法の必然は、「人間回復」なんかじゃなくて「人間消滅」なんじゃないのか？？<br>          人類だっていつか終わるんだけど、こんな形で････、「非人間」になった結果として､､､<br>          それをなんともする事ができない結果として､､､ 終わるのかな？？？ それもありだよな!!<br>　以上、格差を考える形で、私なり、経済面、社会面、歴史面を見てきました。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/aisakiran/entry-12102246930.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Dec 2015 12:30:36 +0900</pubDate>
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<title>遺書続き3　格差問題2　歴史の終局・資本主義</title>
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<![CDATA[ 　「社会」の話に入ったところでしたょね。その始まり部分でまた「人間」問題に出会っちゃったので、ついつい寄り道が長くなりました。いつも考えなければならない「人間」問題のここでのテーマ、しかも、殊にこのテーマ、多分みなさんに、多分すべてのみなさんに、絶対的に違和感あるものだろうと思いましたので、余りにくどく、長くなっちゃいました。すみません。みなさんの常識に挑戦する事になっちゃいましたけど、いかがでしたでしょうか？　　 心配ですが、この位にして続けます。<br>　　<br>　「私有財産」→「家族」の他に、まだ「社会」問題の続きがあります。<br>　これも大切なことなので、早くそこに行きましょう。<br>　その日暮らしじゃないとなると、社会の中での争いも、他の集団との争いも、ハンパではなくなります。その時だけの、一時のケンカじゃすまなくなりますょね、なにしろ財産、ていう継続して持ってるものが掛かっちゃうんですから｡｡｡　モノを持つ、って厄介ですねえ。<br>　ていうことは、強い人は私有財産も大きくなってもっと強くなりますし、弱い集団ならぶっツブされちゃうし･･･。 で、対内的な安定（＝統治）にも・対外的な対抗にも、「国家」が、「国家権力」が、必要にもなってしまいます。結局これも必然｡｡。　　　　今度は、「国家」の誕生!! です。<br>　余るものがなければそんなもの作る余裕も余地もないし、必要もない、のに。　その余裕も必要も生まれたから必然的に､､､<br>　･･･ それまではたゞ仲間の集まりだったのが、仲間社会だったのが、<br>　統治機構なんて作る余地ができ、作らなきゃならなくなり、「統治」する人が現れ､､、「国家＝権力」が生まれることになりました。もう、リードではなく「統治」です。<br>　「私有財産」ができ、「家族」ができ、「国家」ができ、･･･ 「国家」の中では個人の利害があり、「国家」となればその間で「国家」同士の利害が生まれ､､、共同社会の分裂が始まった･･･ というのが、社会を考える面でのマルクスの第一歩、と理解しています。チンパンジーの喧嘩なんかとはわけが違う。人とチンパンさんの社会の違い｡｡｡　　　　　社会＝共同社会は、→→→ 分裂社会に。<br>　　･･･ 強い人＝有利な人が、弱い人＝不利な人、を支配を通じて纏める社会、「統治」する社会に｡｡｡<br>　　<br>　チンパンさんとの社会の違い･･はまだあります。社会制度ができちゃったんですから、今度はそれが変化するんです。今度はそれを考えなければ･･･<br>　「私有財産」ができ、「家族」ができ、「国家」ができ、････ そうなると「歴史」が起こります。<br>　その最終結末が、いまのトコ、資本主義です。歴史としてはその後が問題ですょね。その辺が大問題です。<br>　そこで、「社会」の最後の課題として、最終的に「いま」は「歴史」のなんなのか、を考えていきたいと思います。<br>　　<br>　まず､､､ モノを貯める余裕ができたとなると、他人から奪うのは必然ですょね。となると手っ取り早いのが、奴隷でしょう。生命維持以外の余分を全部 奪ってしまう。大昔、戦争で勝てば相手を奴隷にした、なんて当然だったのでしょう。<br>　勝った相手に対してだけじゃなく、国家の中でだって同時に、強い人がなんだかんだ、弱い人からモノを集める仕組みができておかしくないはずですょね。そういう社会になったからこそ、、チンパンさんとは違う社会になったからこそ、、今度はその仕組みの変化が、社会の変化＝歴史となるでしょう。それこそが歴史。。。<br>　古代から現代まで、生産力の変化に応じて強い人にモノを集めるその仕組みも変化してきた。だから必然なんですね。聖徳太子や吉田松陰がいたから、なんかじゃないですょ。彼らもその必然の中にいただけ｡｡｡<br>　　<br>　生産力が大きくなると、私有財産もだんだん大きくなりますね。両方とも必然です。そして、私有財産が大きくなれば、交換が生まれ、それも段々大きくなるでしょう。これも必然。交流能力だって大きくなって、交換の範囲もどんどん拡大するでしょう、いまでは世界の隅々までになってますょね。<br>　最初は細々 ブツブツ交換でしょうけど、多少なり発達すれば、その中で何か都合のいいものが＝交換の確率の高いものが、そのうち交換手段に固定されるのも自然の成り行きでしょう。だから、貨幣も必然です。<br>　生産力が大きくなるにつれ、当然、生活の中で交換のしめる役割も大きくなります、生活の中の貨幣の役割も大きくなりますょね。こうして、ついにそれが極大になったのが、資本主義ではないでしょうか。<br>　　<br>　いま、生活のすべてが交換で成り立ってる｡｡｡　工場で働く人が物を作って自分で交換･･･はないですょね、自分のモノなんて作らないんですから。作ったモノは全部 会社のモノ、自分の手に入るのは給料＝賃金だけ｡｡｡　その少ない給料をブツに変えて食ってる訳ですから、交換なかったら食うモノ、何もナシ!!　いまの世、交換100%の生活です。　　････ ウチ、細々、家庭菜園の菜っ葉、喰ってますけど･･･ そんなの大目に見てください!!<br>　これを人間の面から見れば、社会の人間関係が財産で分断され、交換が始まり、交換を通じる関係に置き換わっていった歴史、という事になりませんか？ 人間関係が交換に置き換わっていった歴史｡｡｡ <br>　で、最初のうちは知れてましたけど、人間関係の中で貨幣の役割がだんだん大きくなっていった歴史。江戸時代後期あたりになると、表向き政治体制はまだ封建制でしたけど、もう結構、貨幣経済になってたんではないでしょうか。ついにそれが極大になったのが、資本主義｡。<br>　　　　協力関係・共同関係＝人間関係、がすべて貨幣に置き換わった!!!<br>資本主義では、すべての人間関係が、貨幣に置き換わっている、といっていいと思います。<br>&nbsp;   &nbsp; もちろん、社会の一部で金銭 離れた個人関係がそれぞれに多少あったって、そんなの 社会の基本の関係なんかでは全然ありませんょね、局限された例外の部分といっていいでしょう。<br>　家族でさえ､､､　私有財産を通じた関係なんでしたょね。「金銭通じた関係」なんでした!!!　　愛情関係？<br>                  　むしろ本質は、愛情否定関係でしたょね。<br>                  相手の愛 続かなくなってもそれを拒否する権利アリ。まして別人への愛なんて絶対否定!!<br>　　　　　　　　私有財産、なんてなければ、それこそ純粋の人間関係のはず･･･だったんですけどね。<br>　　<br>　一般論の話として、私は見ず知らずの会員さんとも○○の経営を共同で支えて協力関係にあるはずで、会費通じて助け合ってます。そんな形で世界のみんなとも関係しています。<br>　なんと言っても生活の基盤が、働いてお金 貰って生きてるんです。そうやって、社会全体の皆さんと協力関係 もってる ･･･ おマエ、働いてるか、って？ イエ、幾らにもなりませんけど。で、年金なかったらそれこそ "メオト心中" ですけど。（これ、実際に起こってるから悲しいですょね。）････ そうやって、すべての人、お金 通じて社会との協力関係 持ってます･･･ 。これ、いまなら世界中どことでもですょね。世界中の人と関係 持ってます。今はそういう人間の協力関係｡｡｡ ボクとあの人とも、関係 あるんです。そう、いい人はもちろん、いくらヤなヤツでも ････。<br>　こうして、人間関係のすべてが、お金を通じた世界の関係に置き換わってます！！ それが資本主義｡｡｡<br>　　<br>　だから、いま、生産力が大きくなって変化してきた歴史の最終局面、といっていいと思います。これ以上、社会を変えようがないんです！！ 私有財産 前提にして、交換関係で生活しようとするんなら、交換関係100% になっちゃったこれ以上にはやりようがない!!!　だから、もし変えるんなら、お金なんてなくして、財産なんかなくして、人間が直接 共同する関係を作るっきゃない！！！　･･･でしょう。<br>　　<br>　マルクスさんは、それができると考えました。何故って、弁証法で必然だからでしょう。ここまで来て、それしかないんだったら、そうなるはずだ｡｡｡　人間が、そのように変わるはずだ｡｡｡　変われるはずだ｡｡｡<br>　それが、マルクスさんの次の社会＝共産主義社会、なんだと思います。 だから、今度だけは、今度こそは、歴史の成り行きに任せるんではなく、人間が主体になって、自分で自分の社会を作らなければなりません。言ってみれば、それがマルクスさんの歴史の成り行き､､ 必然性｡｡。<br>　いままでと違うのは、いままでは前の時代に、その中で次の社会の仕組みが準備されてたのに、<br>　　　今度だけは人間がこれから自分で次の時代を作らなければならない点、<br>　　　それができる人間に自分からならなければならない点、<br>でしょう。それができると彼が考えたのは、唯物弁証法に依拠した必然性の "信念" だったんだろう、と いまの私は思っています。いま人間は、その必然の下にある････ と。<br>　　<br>　私も、そう思って "人間が主体になる社会" を作らなくっちゃ･･･ とそれなり努力しはしたんですが､､、人間には無理ですょね、ロマンティズムだょなぁ、って、思うようになりました。挫折かな？ でも可能性 あるのに終わりにしたんなら挫折だけど、そもそも人間には無理なんだったら､､､ それでも挫折かな？　　<br>　いま思うのは、挫折？した いま思うのは、、<br>        最終局面 迎えたその後は、夢、ロマンじゃなくて、終焉、なんじゃないのかな、って。<br>        弁証法の必然は、<br>        ･･･社会が人間のものになる、なんていう楽天的なロマンじゃなく、<br>        ･･･社会が終焉する･･･　　って方なんじゃないのかな、って。<br>        そんな風に思うようになりました。<br>　　<br>　人間にも始まりがあったんです、始まりがあれば終わりがある･･･ これ、必然ですょね。<br>　無理にロマン、追いかけてもそれは無理。来るとこまで来たら、次を素直に考えた方が正解なんじゃないのかな、って。<br>　　<br>　いずれにしたって、人って生物、永遠に存在し続けるモノなんかじゃないんです、<br>　地球だってそうなんですから。太陽だってあと５０億年ほどしたら大爆発して地球 呑み込んで、挙げ句 白色矮星になっちゃう｡｡｡　ぎりぎり呑み込まれない、って話も出て来たけど、いずれにしたって太陽さんと心中でしょう。<br>　　　　　そうなると、地球脱出？　　って､､､ 太陽なくなっちゃうんだから太陽系脱出しなくっちゃ!!<br>　････安心して!!　　　多分、そんなののず～っと前に、人なんていなくなっちゃってると思いますょ。<br>　仮に居続けて太陽系脱出に成功しても、この宇宙だって､､､ いま加速膨張してて、<br>　･･･そのまま膨張続けて加速続けて全てが光さえ届かない離ればなれになっちゃうとか、<br>　･･･また潰れて１点になっちゃうとか、それからまた膨張するとか、<p>　･･･宇宙は１０の何乗だか知らないけどメチャ沢山あるのでその別の状態の宇宙に移行しちゃうとか､､､<br>　要するにどーなるかはまだ全然解らないけど、いずれ宇宙だってオワルンです。「超ひも理論」解けたって、人類救済の助けになんか なりっこない。　　宇宙がどうなっててどうなるのか、は知りたいですけどね。<br>　　<br>　人がいつまででも生き続ける、なんて絶対ナイ！ 宇宙的終わりにしろ、太陽・地球的終わりにしろ、小惑星がブツかるにしろ、生物全体の終わりにしろ、その前に人類が先に終わるにしろ、いずれ終わる｡｡。<br>　　<br>　その前に、人類は自分で自分を終わらせる、って方がずっと現実味がありそうに思えます。<br>　なぜって、人は社会の歴史を持っちゃって､､､ となると、生物としての終わりの前に、社会の終わりを迎えそうだから･･･。「社会」生物としては、「歴史」の終わりが、生物としての終わりになりそうだから･･･。<br>　社会だっていずれオワルンです。　　 始まりがあったんですから｡｡｡　終わって当たり前、なんですょ!!<br>　　<br>　資本主義だって決して永遠に続く訳じゃない、歴史のホンの一コマなんです、<br>　　　･････皆さん まるで忘れちゃってるみたいですけど｡｡｡<br>　歴史の中で、歴史のほんの一瞬として、暫く前に現れただけ、なのは明らかでしょう。何故 永遠なんですか？？ むしろ、時期から言っても、そろそろ頃合いなんじゃないのかな？ 冷静に振り返ってみても････。<br>　　　････そして、では次の社会、描けますか？<br>　　　････なんか、資本主義の終焉は社会の終焉、歴史の終焉、人間の終焉､､､ に思えちゃうんです｡｡｡<br>　私は、それがそう遠くなくてもちっとも驚きません。経過した時間から言ってもそろそろでしょうし、なにより、いまの状況 見たら、もう十分悲惨です、これからはますます、でしょうし･･･｡<br>　マルクスさんのロマン、諦めちゃうと、<br>　　人類が生き続けるんなら、いまの歴史の最終局面をず～っとそのまゝ延長するしかなくなりますょね。<br>　　となると、だんだん行き詰まる一方で、人類、辛くなるだけだと思います。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　辛くなるとまたいろいろ起こります。<br>　　　　　　イスラム国なんて、仮にブッ潰せても、別の形でまた起こるだけでしょう。<br>　かつての世界戦争が、今度はどう表現されることになるのか･･･。<br>　まさかそれで世界が終わりになるって･･･　　　　･･･誰も考えないですょね。<br>　　 でも、どんな拍子で何が起こるか解らない、<br>　　　行き詰まりはきっとこれからもっともっとヒドイ事になるんです。<br>　　　　 もう ドコ が ナニ 起こすか解らない！！！　　ドコ で ナニ 起こるか解んない！！！<br>　民族紛争だって、宗教紛争だって、この行き詰まりだからこそ、の事。<br>　　十分に皆が助け合える世界なら、そんないがみ合いにはならないはずなんだと思いますけども。<br>　で、どんな形でなにが起こるか、私は知りませんけど、何かがいろいろ起こり続け、そのうちなにがどうなるか･･･　　人類が自分で危機を作り出すことも十分アリ、だと思っています。<br>　解決策なく決定打なく愚図愚図 続いていけば、いま以上に悲惨が増幅し、２２世紀、なんてったらもう悲惨でしょうね、悲惨で悲劇だと思います。　　･････ そんなまで保たない方がマシかもしれません！！<br>                      もし２３世紀まで保っちゃったとしら、もうどんな悲惨か、想像もつきませんょ！！<br>　　<br>　いずれにしても、いま世界は、「歴史の最終局面」の中で、また「行き詰まり期」＝「復興期」の前の「戦争期」、に入ってることは間違いないでしょう。今回の場合、その破壊の後に果たしてまた前回みたいな「復興期」が続くかは、モノ凄～く疑問ですけども・・・。<br>　この「戦争期」の最終結末＝「破壊期」の破壊は、･･･もちろんそれ自体が一大悲劇ですが･･･、果たして次の「復興期」をもたらす程度に終わるんでしょうか？<br>　あまり甘い見通しを想定することはできないと思います。だから 逆に「まさか破壊は起こらない」、って、みなさん考えてるような気がしますけど、･････ いま、周囲はそれに向かって着々準備し、着々進んでるのも間違いないでしょう。･･･ 破壊が起こらないでこのままなんの解決もなしに進むのもまた悲惨です。<br>　　　　 さてこの世界はど～なるんでしょう｡｡｡<br>　　<br>　日本も、「復興期」の最終局面から、「戦後民主主義」の雰囲気を一掃する方向に進み始め、<br>　教育の支配から社会全体の支配まで、着々と「世界競争」に駆り出し・走り出し、<br>　　　一時は世界二位とか Japan as №1、なんてもてはやされてましたけど、<br>　いまは、経済競争どころか政治競争、資源取り合い競争なんて、競争を越えて戦争を想起させる争いのなかに否応なく置かれている状態ですょね。誰も「成長期」の夢 見続けてるヒトなんて居ないでしょ。<br>　だから、人間＝国民に対しても、相応の要求をしてきています。お上の言うことを聞く国民でなくっちゃいけないんです!!<br>　で、世界中の国民が、どんどん人間でなくなっちゃう ･･･ 本質的には、資本主義でとっくに非人間は完成しちゃってるんですけど、それが、非人間性が、どんどん見た目にさえ露骨に現れちゃう｡｡｡ <br>　それぞれが、外の国には攻撃的に、内に向かっては利害対立 激しく､､、。アメリカは、色々と計算ずくで戦争し、国内では1% 対 99% の格差問題。ヨーロッパでは、人種差別・排外主義。ロシアは、侵略。中国は、秩序破壊の海洋占拠と漢民族以外の弾圧 等々。日本では、世界戦争対応策と非正規雇用の拡大etc。非正規雇用は世界的ですけどね。<br>　サッと目に付く現象だけでもうイヤになります。そんな中、その時の社会環境とそれに対応した政治とで、それぞれの国で、その時その時に応じて、そのように人間が作られてきています。そういう人間になってきています。ならされてきたんです。復興期は復興期、成長期は成長期、そして行き詰まり期はまたそのように！！　もう、いざ戦争!!　となったら、それに素直に対応する人間、人間でない人間、ばかりでなきゃならない！ んです、「戦後民主主義」の人間なんて、もう邪魔者以外の何でもない！！ 「規則だ」って言ったら、素直に従う人間だけが必要な時代になったんだと思います。<br>　　<br>　さぁ、アナタ、どうします？ ボクとアナタがどう頑張ったって、よその国から攻められちゃう!?　よその国だってみな同じ。となると、ボクとアナタとよその国のミンナで頑張る、って以外ないじゃないですか。世界競争のなか、世界中が繋がってる中､､､ そもそも人間、本当に協力しよう、ってんなら、世界中でそうするしかないんです。でっきるかなぁ？　　マルクスロマン？？<br>　　<br>      　だから、レーニンとトロツキーは「世界革命」論者でした。第一次世界大戦のまっ最中、レーニンは、亡命から戻った1917年、「四月テーゼ」で「"祖国防衛" 拒否」を訴えたのです!!<br>      　　みんながみんなのために!!!　　世界中でそうしよう!!!!　って！！！　　･･･ 皆さん、できますか?<br>      　スターリンは「一国革命」論で、レーニン死後 陰謀で権力握ったら、周辺国を勝手に征服していきました。ハンガリー動乱の弾圧なんて見れば、ミンナなんかじゃなくって、どう見たってジブン！！ですょね。樺太・千島の併合にしたって、領土拡張以外の何物でもない｡｡｡<br>      　ロシア革命の直前だって、レーニンが亡命中だった3月、機関誌に「軍隊と軍隊とが対峙しているときに、武器をしまって家路につくよう一方に提案するのは、最もばかげた政策であろう。……われわれは、銃弾には銃弾を、砲弾には砲弾をもって、自己の持場を固守するであろう」と、レーニンとは正反対の主張を掲げたのでした。3週間後のレーニンを「最もばかげた」と罵倒していたんですょ!!!<br>            こんな過程で11月に起こったのが、レーニン指導のロシア革命だったのです。<br>　　<br>　まぁいいでしょう。人間が人間でいるためには、全世界で、人間として、<br>　今 まさに ヤバくなりつつある「戦争期」の競争に対して、<br>　対抗して抵抗してその仕組みの根本からひっくり返すしかないんです。<br>　　　でっきるかなぁ？ ですけどね。<br>　　　くり返しますょ、<br>　　　「全世界で、人間として、・・・その仕組みの根本からひっくり返す」　んですょ！！<br>　で、ひっくり返して、どうします？ 私有財産を元凶としての「行き詰まり」なんですから、それもひっくり返して、世界中で協力し合って、すべてをみんなのものにする､､､ みんなで共同して使う、そんな生き方を作り上げるしかない事になりませんか？ それがマルクスさんのロマン、なんだと思います。<br>　　　人間さん、できますかねぇ？<br>　　<br>　「社会」の課題として、最終的に「いま」は「歴史」のなんなのか、を考えてきました。私の結果は、薄っぺらですが、ご覧の通りです。　　 ･････ みなさんは、いかがでしょうか？<br>　　<br>　大局を総括しときましょう。<br>　宇宙には終わりがあります、終わり方は諸論 まだ研究中ですけど。<br>　太陽にも終わりがあります、大爆発して白色矮星になるそうです、その先は冷え切って黒色矮星＝死体。<br>　地球にも終わりがあります、太陽に呑み込まれます。ぎりぎり呑み込まれないかも知れないけど、なら、ドロドロに溶けてから硬～く冷え固まる？<br>　生物にも終わりがあるでしょう。ほ乳類もいずれ終わるでしょう。人類も間違いなく同じです。<br>　人間社会だって同じことです。資本主義も同じです、その後どうなるかは知りませんけど･･･。<br>　それから、あなたにも多分、終わりがありますょ。私には間違いなく、も～すぐ来ます。<br>　順番は、ここに並べた逆でしょう。<br>　････つまらない事、並べましたけど、私、不思議なんですょ。<br>　この中で、みなさん、「人類」「資本主義」だけは、なんだか終わりがないみたい？　　なんでぇ～？<br>　　<br>　もっとも、アインさんだって、「相対性理論」作っときながら、「アッ、これじゃぁ宇宙はいつか潰れちゃう、オカシイ！」ってんで、方程式にわざわざ「Λ」なんてもん付け加えて、･･･後になって､､､<br></p><p>　　　　････宇宙の膨張 解ったら､､､､「人生最大の失敗！」なんて撤回したんでしたね。。<br>　　 「オカシイ！」って勘違いしたのは、「宇宙は定常＝不変」って思い込んでたから。<br>　あんなすごい方でも、しかもその専門分野で、<br>　　「宇宙そのものは、過去から未来永劫、いつでも変わらない」思い込みがあったんですょね。<br>　みなさんの「人類」「資本主義」への思い込み、ご尤もかも知れません。<br>　でも、それは間違いなく勘違い、なんです。　　　　間違いなく、間違いですょ！<br>　　<br>　「資本主義」の終わりは、そう遠くないと思っています、<br>　今回の「行き詰まり」は、完璧、末期症状だと思います。<br>　前回は「世界戦争」なんて乱暴な手術で生き延びましたけど、あの時の資本主義は、言ってみればまだ第一期、まだまだ働き盛りの壮年でしたからね。いわば資本主義前期でしょう。<br>　「世界大戦」から生まれた第二期の今は、いわば資本主義の後期。。高齢者になってからの今回はもっともっと、遙かに重症に見えますょ。延命治療、ありますかね？<br>    悲惨な手術で今回の病巣 全摘出なんてできるのかなぁ･････、<br>    　　　第二次大戦の超拡大再現？？　何かほかの荒行？？　　ワタシには解りませんけど･･･、<br>    Ⅰ.できたとして、相当悲惨な犠牲、払うの 間違いありません。　<br>    　　 もちろん「人間」さんの、ですょ　「資本主義」さんのために!<br>    Ⅱ.ご老人のいま、果たして手術に耐える体力 あるか、も問題でしょう、<br>    　　 やっぱりムリでした･･･？　　　　で、ご冥福 祈ります?????<br>    Ⅲ.なにより、多分、一か八かの無謀な手術。もう打つ手 ないから、それ やろう、････<br>    　　 って、自暴自棄処置して、　　やっぱりご冥福 祈ります???? <br>　　<br>　とにかくこの処置までは、生きてる限り、末期がんのまゝ、苦痛に耐えるしかありません。<br>　緩和医療でもあればまだいいのかな？ でも、あり得ないと思います、<br>　この患者さん＝「資本主義」、生まれた時から人間を犠牲にしてるんですから、どうにもしようがなくなった末期になって今更 緩和もないでしょう。<br>　そう遠くない将来、人類はもうどうしようもなく耐え難い苦痛に悶える筈です、その時どうなるのか？<br>「次の社会」が見通せないまゝ「終焉」となると、それは、＝「社会」の消滅？しかないんじゃないですか。<br>　　 だって、次の「社会」がないんですもの｡｡｡ これ、たゞの悪夢じゃない、ですょ。<br>　で、「社会」のなくなった人類、って、それは猿そのものですょね。 原始人に逆戻り???<br>　　　　 そうじゃなかったら、「人類」そのものの消滅。 しかないですょね。<br>　　この場合って、「人類」が自分で自分を終わらせる、って事を意味してません？<br>　　「社会の消滅」って、人類が自分でするものでしょうから｡｡｡<br>　これ、決してたゞの仮定ではない、のでは？<br>　　<br>　ずーっと先の人類滅亡はともかくとして、<br>　差し迫った、この "自分由来" の危機をなんとかしようとするんなら、<br>　何度も言いますけど、やっぱりマルクスさんのロマンしかないんじゃないのかな｡｡｡<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/aisakiran/entry-12102230643.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Dec 2015 11:27:16 +0900</pubDate>
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<title>遺書続き2　格差問題１　財産、家族とその人間問題</title>
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<![CDATA[ 　という訳で、いまの世界は深刻ですが、さてどうしたらいいんでしょう？ どうなるんでしょう？？･･･ね。<br>　　<br>　となると、「今」の「社会」を考えなければならなくなりますょね。･･･根本に「人間」がいて「人間問題」がありますけど、話の行きがかり上、続いてまず「今の社会」を考えましょう。と言っても、「人間」問題はいつだってつきまとってるので、随時場面々々で寄り道するかも知れませんけど･･･。<br>　　<br>　最近、トマ・ピケティさんというフランスの経済学者が話題になっていますね。今年になって来日もしてこれも話題になりまた。最近、<em> r</em>＞<em>g</em>　なんて式、やたら目にしません？ これが載ってる700頁もあって \5,940 もする「21世紀の資本」ていう本が10数ヶ国で100万部以上売れてるそうで、日本でもベストセラーなんだそうです。発売２ヶ月で13万部だって!! こんな高い本、貧乏人にはとても無理なので、○○図書館で、今日現在、まだまだで、やっと45番の順番待ちです。ボクの番、2年後くらいですか！ ボク、まだいるかなぁ？　ＮＨＫが「パリ白熱教室」っていう名で、パリの大学でのこの人の講義を録画放送しましたので、今のとこ、これであらかたの内容を知ることができました。<br>　この人のすごいところは、格差社会をデータで証明したところですね。 <em>r</em> ってのは金を持ってて得られる所得（資本収率）、<em>g</em> ってのはフツーに働いて得られる所得（経済成長率）で、どうしたって金持ちばかりが富んでゆく、って言うんです。1800年代から現在まで、20ヶ国以上の税金のデータを集め、資本主義で格差拡大が不可避であることを証明して見せてます。<br>　批判としては、自由に仕事ができるんだから格差なんて金の問題ではない、金のせいにするのはやる気と能力のない貧乏人根性だ、というのがあるようですが･･･。<br>　でも、この本自体が「そうではない」ということをデータで証明してるんですから、批判としては当たらないでしょう。ていうか問題にするところが全く別で、経済の根本 見てるピケティさんに個人問題ぶつけてるのが見当外れ、余りに低レベルです!!　むしろ、私がピケティさんに残念に思うのは、何故そうなるのか･･･という理論の組み立てがない点ですかね。でも、データ証明なんて誰もできないことだったでしょうから、その点では大きく評価しなければならないと思っています。<br><p>　確かに Microsoft だって Ｇｏｏｇｌｅ だって金があって始めたものではないでしょう、でも、始めたとなったらやっぱり金集めて「資本」を作り、それで収益、上げてるんじゃないでしょうか。始まりがどうか、って問題なんかじゃなくて、また人がどうか、って問題なんかじゃなくて、収益を上げる仕組みこそが問題だと思うんです。ベンチャー企業の背景は、起業家と投資家の役割分担、があるだけ、要するに経済活動は「資本」に依存するんです。それこそが資本主義の構造の問題、だと思いますけどね。最初 貧乏で成り上がる人ももちろんいるでしょうけど､、稼ぐとなったら結局「資本」のお世話になる･･･稼ぐのは「資本」です、始めた人・個人の問題なんかじゃなくて、この仕組みの問題･･･。ですょね。「資本」こそがいまの経済のご主人様!!!</p><p>　結果、今もう格差が広がりすぎてて、</p><p>　でも、「資本の儲け 作れるようにしないと経済がウマクいかない」、って四苦八苦して、</p><p>　カネ、沢山 回るように細工して更に格差を広げようとしてて、</p><p>　　･･･ドッカの国なんか、借金ダントツ世界一なのに返済 後回しで、公共事業で更に借金 積み上げて、<br></p>　　　　その上、消費税 上げるのに法人税 下げよう、って､､､。<br>&nbsp;               　オレッ、<em> r</em>＞<em>g</em>　の法則、自分からススンで 積極果敢にヤルゾゥ！？<br>&nbsp;               　借金なんて、景気 よくなったら返せるさぁ～･･･、 って、<br>                    　　････よくならなかったらドーなるの？　コレって、相当ヤバクねッ！！<br>　こうなると、ヤッパ、もう終末に向かっているとしか言いようがないじゃないですか。<br><p>　で、ピケティさん、「資本税（資産課税）・累進課税にしなさい」、って｡｡｡</p><p>　　　　　　　　　　　　　「金持ちの金、どんどん巻き上げろぉッ！」、って｡｡｡　　<br></p>　　　　　　　　　　　　　ボク、大々大賛成ィ～！！<br>　　 （▽◇△ミクスの反対ですょね。だからドコカの政権も、来日、ずいぶん煙たかったみたいですが･･･）<br>　でも、一国だけやったら、そこから資本、逃げちゃうだけですょね。だからでしょうか、ご本人さん、世界中で情報交換しなきゃできないので･･･、「近い将来は無理」と仰います。「巨大な政治共同体」⇒いずれ世界政府、を組織するんだそうですが、いつになったらできるッかなぁ｡｡｡<br>　　<br>　似たようなことは、日本の経済学者も仰ってます。証券エコノミストから埼玉大学大学院の教授になり、菅内閣の内閣大臣官房審議官（経済財政分析担当）、野田内閣の内閣官房内閣審議官（国家戦略室担当）を勤め、いま日本大学の教授をしてらっしゃる水野和夫さんという方ですが､､、<br>　いろいろな評価サイトで高位を獲得し（〈週間ダイアモンド〉2014年「ベスト経済書」１位、「新書大賞2015」２位 等）、２０万以上売れてるという････「資本主義の終焉と歴史の危機」（集英社新書）という本で、<br>　資本は常に儲ける場所＝搾取してくる場所がなければならなくて、結果、格差を拡大して来たんだけど、、<br>　もう、今、世界中でそんな資本の稼ぐ場所がなくなりつつあるので、<br>　　●行き場所を求めてアメリカでできたのが、ＩＴ（情報技術）空間、金融空間での投資。<br>&nbsp;                       　　　　　 （この用語・表現は、要点を簡略に纏めるため、私が勝手に作りました。↑↑）<br>愚解ですけど･･･、その点、その通りだと思います。その上で、「実体」からかけ離れた空間での「経済」活動、って、危険物以外の何物でもないですょね。直接的には搾取の対象がいない？･･･ 複雑怪奇な形で搾取する構造、に無理があります。 ･･･無理矢理 作った空間、と言うべきかと思います。　　 ･･･ 相当、ヤバイッすょ!!<br>　　●無理に稼ぐ場所を作ろうとして▽◇△ミクスやってみたところで、結局、成果なしに終わり負債だけが残るので、いまはじっと緊縮財政でいるべきだ。<br>というのです。　　　　 ではいつまで？ というと、解決策が見つかるまで･･･！！<br>　ヤッパ、終末 近いんとチャイますかね。 題名はまさにそんな感じなんですけど、<br>　ご本人、解決策がいつか見つかる･･･ と信じてられるみたいです。<br>　　<br>　私は、題名そのものですね。強いて言えば、もっとハッキリ「人類の危機」!! 率直に「人の危機」を予感してます。人間性の危機なんて当たり前、そんなの資本主義になってとっくに完成させてます、いまは生物性(?)　の危機、です。生物としてヤバくなってる｡｡｡　　ひょっとして、絶滅危惧種？<br>　　<br>　こんなののほんの一面が､､、 人間への、人間性への反映が､､､ 人間が可笑しくなってるほんの少しの面の表れが、くどいですけど「規則ですから･･･」かも知れません。<br>　　まぁ、その辺のとこ､､、人間論＝哲学面は､､､､ピケティさんや水野さんの守備範囲では全然ないですね。<br>　　その辺のところが私の感想の最後の最後になりそうです。<br>ついでですけど、角川親書で「国民なき経済成長　脱アホノミクスのすすめ　株価が上がっているのになぜ生活がくるしいのか？」なんて本も出てますね。こうなると「格差拡大」本ももう流行り？<br>              内容 知りませんからこの本についてはなにも言えませんけど、<br>              流行ってもおかしくないほど、問題がみんなの目に見えてるのも事実なんじゃないですか？。<br>　　<br>　という訳で、いま問題の「格差拡大」ですけども････、<br>　女工哀史、なんてのもありました、いつだってあったと思うんですが･･･あ、それこそがピケティさんの業績でした･･･、いま「行き詰まり期」になって、また余りにヒドイので身近に見えてるだけのコトでしょう。ホントはいつだって起こってる、それが「何故起こるのか」･･･っていう "人間の社会の分析" こそが大問題ではないでしょうか。「いま」だけでない････「資本主義社会」問題です。<br>　　<br>　その辺になると、やはり、マルクス以外にいなくなっちゃうと思うんです。そして、マルクスのそれは、私は、その限りで、ですけど、完璧だと思っています。<br>　マルクスの根本にはいつも人間がいるのですが､､､、<br>        世界中の共産党さんなんか、スターリン以後まるでそんなの忘れちゃってるみたいですけど････<br>        その人達、毛沢東さんも金日成さんカストロさんも志位和夫さんも､､､<br>        習近平さんや金正恩さんなんてもうヒドイもんですょね､､､まるっきり5代ローマ皇帝 暴君ネロ？<br>                みんな、マルクスなんかでは絶対ありません！！<br>                共産党 名乗ればマルクス、って、それはないでショ！！<br>        誰にしたって、根本 失っちゃうともうマルクスさんとは全然 無縁･無関係なわけで･･･ 、<br>　けど、いまは話しの行きがかり上、マルクスさんの根本＝ "人間" の事は後に回します。<br>　先に「何故 起こるのか」の方に行きましょう。<br>　　<br>　で、格差問題、何故そうなるの･･･ って考えようとすると、大事なのは、決して誰かが失敗したから、なんかじゃない、って事だと思います。いつだって起こってるんですから。<br>　これも、マルクスの思考の根本だと思います。<br>　まず、その根本から見てみましょう。それは､､､ <br>　「弁証法」（【形式論理学だと「ＡはＡである」というのは不変のもので、「ＡでありＡでない」なんて矛盾が起こればそれは偽だとするのに対し、矛盾を偽だとは決めつけず、むしろ物の対立・矛盾を通して、その統一により一層高い境地に進むいう、ものごとを運動・変化・発展の姿で考える見方】）ですね。<br>　ヘーゲルの考えをマルクスが唯物論に受け継いだもので、社会の中で時間が経つと必ず矛盾が発生し、その矛盾を統一する形で次の社会が誕生する、と考える訳なのです。<br>　物事の変化はこの必然性による、わけですね。格差もその内のもの、必然、と考えます。<br>　例えば、ですけども････<br>　弁証法の考えなら、例えば、貴族の社会から武士の社会に変わったのは、頼朝がいたから･･･なんかではないんです。頼朝がいなくても別の誰かが、似た社会＝多少形が変わっても本質は同じ社会、を作ったと、私は思います。誰がどうしようと、貴族社会は武士社会に変わらざるを得なかった､､､、。平将門とか藤原純友がもう少し後に生まれいれば、彼らの誰かがそうしたかも知れない｡｡。いえ、聖徳太子だって、もしこの時代に生きていれば、彼が武士社会を作ったかも知れない、のです。もっとも、聖徳さんがいた位置にも拠りますけどね、源さんや平さんみたいに昔は皇族だったんだけどなぁ～･･･なんて立場でなくて、今回も摂政かなんかだったとしたら、いかに聖徳さんだって、たゞたゞ源将軍さん認めるほかなかったでしょうけど。いずれにしてもその頃、同じ聖徳さんの頭でも「三宝を敬へ」なんて１７条の憲法、作る訳がない！<br>    　表に見えてる面の裏側を見れば、武士社会は、もう貴族社会の中で作られつつあったのです、<br>　誰かがいたから･･･ なんかじゃなくて。 貴族社会の中に、いつの間にか、昔なら考えられなかった武士なんてものが勝手にできちゃって。そんなものが現れる余地がいつの間にか生まれてたんだと思いますね。 で、知らないうちに二重社会になっちゃった｡｡｡<br>　昔とはいえその頃だって段々モノを作る能力も大きくなって＝生産力が上がって、神武さんの頃に比べたらいくら何でも少しは沢山 収穫できて､､､<br>　となるとそれにつれていろいろなことが起こるようになって、貴族さんではちゃんと治めきれなくなっちゃって、その生産力の余りの部分から武士さんなんてのが現れたんでしょう。<br>    　　････ そうしてできたものの中からたまたま現れたのが頼朝さんだった、だけ｡｡｡<br>    となれば、生産力が大きくなるにつれて、当然、武士さんの方が強くなっちゃいますょね。<br>　最下層の人たち･･･いまで言えばボクとその仲間たち･･･が、どうだったのか、が一番大切なことだと思うんでが、日本史でも世界史でも余り、っていうか全然、そういう事は教えてくれなかったように思います。チャント聞てたか？？って言われちゃうと、グーの音も出ませんけど、きっとそのセイじゃなく･･･。<br>          　言い換えれば、食う・生きる以外の余りの部分をどう持っていかれるか、の実態の問題ですが、<br>　生産力が上がれば、最下層の人たちだって少しは自主性を与えた方が効率的になるでしょうから、その辺の変化の問題だろうと思います。<br>　租庸調ではうまくいかなくなって、武士のいろんな治め方から士農工商に至るまで･･･ そして現在まで･･･ 変化々々の積み重ね｡｡｡｡<br>　明治維新だって同じ事、吉田さんや坂本さん、高杉さん、木戸さん、伊藤さん、西郷さん、大久保さん･･･なんて誰もいなくても、誰かがやったんだと思うんです。或いはまるっきり違う形 取ったかも知れませんけれど･･･ 結果は同じ｡｡｡いくら「尊皇攘夷」なんて言ったっていざ維新となったら「開国」し、三井さん、住友さん、三菱さんなんて幅を利かす時代にしかならなかったんだと思います。<br>　江戸時代末期、家康さんの頃に比べたら、或いは、頼朝さんの頃に比べたらもっともっと、生産力がず～っと大きなっていて、となるとモノの流通量もどんどん増えて、大名さんの管理なんてもう飛び越えて、商人さんがはびこって､､商人さんぬきの社会なんてあり得なくなってたんじゃないのかな。<br>　流通量が増えれば、大名さんの管理なんて邪魔者以外の何者でもないですょね、もう「自由にやりとり」しなければ･･･。この「やりとりの自由」こそが、資本主義の根源でしょう。<br>    で、資本主義での「人間の自由」も初めてここから出てくる｡｡。<br>    　　　　封建制で、なんだかんだ縛られてるんじゃもう限界!!<br>    　･････そんな下地ができて、思いついてみると、　････なんでオレ、縛られてなきゃなんないの？<br>    　　 ･････そうだ、「ヒトは生まれながらに自由なんだ！」｡｡｡ <br>    生産力 増して、ブツの流通量 増えて、その社会の力<br>    　　＝その社会の要請に、人間が従わせられたものとして、<br>    　　 始めて考えることができるようになった「自由」｡｡｡　　思いついた「自由」｡｡｡<br>    　　 だからこそ、それまでなかった「自由」意識が、初めてこの時代になって出てきたんですね。<br>    　　　　 なかったのも「必然」、現れたのも「必然」、「自由」だって社会の１現象、必然性なんです。<br>    　だから本当は、本音は､､ 「自由」とは、やりとりの「自由」。<br>    　そのためだけの「自由」。　　そのためにこそ人に与えなければならなかった「自由」｡｡<br>    たかだかそれだけのモノ･･･ でしょう。<br>    別に、エラそうに人間さまが考えて作り出したものなんかじゃないんです。<br>    だから、本当は、人格までが他人の物になっちゃうのも「自由」!!!<br>    　　　　　　　　　　　　　　　　（できれば後で触れたいですね。）<br>        （【ウィキペディア「フランス革命」より･･･ <br>人権宣言が発せられた際に、全ての人間にとって普遍的な権利であるはずの人権は、啓蒙思想などによって「理性を持たない半人間」とされたフランスの植民地に住むムラート（白人と黒人の混血）や黒人（そしてインディアン、インディオ）には認められず、1791年にブークマンに率いられた黒人奴隷が大反乱を起こすまで奴隷制についての真剣な努力はなされなかった。1793年のレジェ＝フェリシテ・ソントナによる奴隷制廃止宣言や、1794年のジャコバン派による正式な奴隷制廃止決議は、1791年に始まったサン＝ドマングの黒人大反乱による植民地喪失の危機から植民地を防衛するためになされたものであり、決して人権宣言の理念に直接基づいてなれたものではなかったが、それでもジャコバン派による植民地をも包括した全面的な奴隷制廃止は近代西欧界史上初となる画期的なものであった。この後ナポレオン・ボナパルトはトゥーサン・ルーヴェルチュールが実権を掌握していたサン＝ドマングの再征服を計画し、奴隷制の復活を画策したが、解放された黒人の支持を得ることは到底できなかったため、サン＝ドマングは1804年1月1日に世界初の黒人共和国ハイチとして独立を達成した（ハイチ革命）。】）<br>      　　<br>　で、また仮定の話で恐縮ですが、また聖徳さんがこの頃いたんなら、当然、維新の一員だったかも、ですね。そうると、ひょっとして、この人が自分で「廃仏毀釈」、やったかも！？！？<br>　そもそも、維新の面々、「尊皇」と言いつつ、大先輩、昔の聖徳さんの教え、平気で踏みにじったんですから、「尊皇」なんかじゃありゃしない!? 「汚皇」じゃないのかな!! <br>　こんな事されちゃぁ、昔の聖徳さんはおろか、大仏 作った聖武さんとか、あと知らないけど沢山の天皇さん、立場ないですょね。<br>    　これが「尊皇」？？　　････ 維新時代なら、まさにこれこそ、なんですょね！！<br>    　　　　要は、その時その時の必然性があるんだと思うんです。<br>    　　　　この時、天皇に権力、集中しようとしたら ････今度は「尊皇」がこうなった!! だけ<br>            この時なら、「三宝を敬え」じゃなく「廃仏毀釈」。<br>            　　　今度は、神道 持ち出さなきゃ、天皇 強調できない必然性、だったんですょね。<br>                    で、仏像、壊したんです｡｡｡<br>                    　今もどっかで同じようなこと、してますねぇ！<br>                      ガンダーラはもうとっくに遣られちゃったし、<br>                      つい最近ヤバくなってるのはパルミラでしたっけ？<br><br><br>　　またちょっと脇道、っていうか、根本道が長くなりました。<br>　"必然性" そのものはこのくらいでいいにして、<br>　　格差の必然性、考えなきゃぁ。･･･なかなか進みませんね。すみません。<br>　　次はここに戻ります。<br><br>　格差問題に戻ります。まずは根源です。<br>　　<br>　人は頭がいいので･･･ あ、ボクだけ、自信ないけど･･･、その昔、チンパンジーとは違う生活、始めましたょね。なにが違うかて、その日暮らしじゃなくなったんですね。。捕れたモン、全部食わなくたって、取っておけるようになった、･･･マルクスさんは生産力が大きくなる、って言ってます。生産力が大きくなると、食いきれないから、当然、モノを取っとく事になりますね。<br>　この取っとく物 全部をみんなのものにして、みんなで使えばいいんですけどねえ･･･。このみんな、って、社会って事です、一緒にいるみんな｡｡。<br>　でも、この余ったモノ、取っとくモノ、悲しいかな、社会のモノにならなかったんですね、<br>　　　　個人それぞれのモノにしちゃった｡｡。<br>　　　　要するに、財産になっちゃった。････こうして、「財産」なんてものができちゃった!! <br>　財産なんてモン、人類が発生した時から、当たり前に､､､､ あったわけじゃ、もちろんないですょね。<br>　余計な話しですけど、6月20日のTBS テレビ「世界ふしぎ発見！」でやってました。「微笑みの国タイに生きて」編で、最後の裸族と呼ばれる「ムラブリ」という集落では、狩猟採集で生きてて、とれた物、みんなで均等に分けるんだって。女の子に小さな菓子パンひとつあげたら、10等分くらいにしてみんなに上げた、って感激してました　　　日頃、余らないからできるのかな｡｡｡<br>　　<br>　で、すべてがミンナのモノなら別に財産でもなんでもないわけだけど、わざわざ オレの、って区別するから･･･「私有財産になっちゃった。財産、って、私有財産なわけです。<br>　「有する」＝持ってる、って事は、みんなのものなら誰も持ってないんで区別する必要なんてないんだけど､､､ 財産なん事にならないんだけど､､､ 悲しいかな、人間、そうはいかなかったんですねえ。<br>　で、こんなモンができちゃうから、改めて区別するために、今度は社会的財産、とか、公有財産、なんて、本来なら形容矛盾みたいな表現さえ、変でもなんでもなくなっちゃう!!　　「財産」＝「私有財産」が生まれたんで、今度は、"みんなの" だから誰も持ってなんかいない筈の「公有」さえ、"みんなのもの"＝「財産」"になっちゃって、「公有財産」なんて、本来、変な表現まで当たり前になっちゃった !!<br>　で、以後、人間の社会だけは私有財産の社会になったわけなのです。　まずは「私有財産」の誕生!! です。<br>　　<br>　となると、こんどは自分の私有財産で生きていかなきゃいけなくなる！！<br>　人間関係＝社会、の根本的・本質的変化が起きたわけなんです。<br>　財産を通した、個人の利害を媒介にする人間関係、とならざるを得ない。<br>　社会って、本来、互いの人間の共同関係だったはずなんですが､､､、「ムラブリ」こそ本来なのに・・<br>　財産が大きくなるにつれて、どんどんそうもいかなくなった、んですね。　　財産を巡る関係に｡｡｡<br>　　<br>　生活が私有財産なんですから、そうなると、当然、子育ても私有財産ですょね。<br>　となれば、家族も作らなければならなくなりました。おまけに、財産となれば、相続、なんて問題も出て来ちゃうんで尚更ですし･･･。 で、♂♀関係も固定せざるを得なくなっちゃった。<br>　♂♀の関係が、♂♀それぞれのありのままの気持ちの関係ではなくなって、「財産」を元とする関係に固定せざるを得なくなっちゃった｡｡｡<br>　これが「家族」、ではないでしょうか。　　　　今度は、「家族」の誕生!! です。<br>　いま当たり前の家族だって、最初から当然に自然にあった訳なんかじゃないんです。<br>　　　別に当たり前でもなんでもない!!!<br>　むしろ♂♀としては、固定された家族なんてかえって不自然なんじゃないでしょうか。<br>　こうして家族ができると、その形態は時代々々で様々だったでしょう。私有財産での生活の仕方、相続の仕方なんかは、その時代に似合ったものになっていた筈ですね。<br>　　<br>　ここで、ちょっと｡｡｡　　また脇に逸れますけど、「家族」がらみで"人間問題"が起こります。「私有財産」⇒「家族」の誕生で不可避になった「♂♀固定」の問題です。 「♂♀固定」って、即ち、「人間問題」ですょね。固定できる訳のない部分が「不倫」、という形で現れざるを得ない、という問題ですものね。<br>　････♂♀ なんて "モロ、「人間」に触れる機会"　に出会っちゃったので、ここでも ちょっと、寄り道させていただくしかなかな、と思います。<br>　･･･ その「根源」＝"根源から「人間」に触れる問題" は、いずれまた、その場面で･･･ということにして。<br>　　<br>　で、早速、脇道ですが､､､　「家族」なんてものができちゃったら、表の家族関係とは別に、裏の気持ちの関係だって、多分いつだってあったことでしょうね、････正規の財産関係の外で。<br>　　　　♂♀って、固定なんか、され得ないものですものね、本来｡｡｡<br>　で、 "表" ができちゃったんでやむなく "裏" として､､､ 。<br>　　　　♂♀の不可避の "自然な関係" の継続として､､､。<br>　　　　 "表" なんてのができなけりゃ、元々　"裏" も "表" もなかったものなのに｡｡｡<br>　でも、前に見たとおり、それを認める訳にもいかない表の関係＝財産関係＝家族関係、は、どうしても必要だったんです、 社会の仕組みとして･･･。 私有財産ある限り････。　私有財産の必然の結果･･･です。<br>　となると、「私有財産」を根幹とした社会の中で､､、その社会があるからこそ その中で、<br>　なるたけ表に出ないようにひっそりと、固定からはみ出す気持ちの関係も避けられないでしょう。<br>    　　　"固定" する、って、"人の気持ち" を無視する、って事を意味しますょね。<br>  　　　　"気持ち" は固定なんて、できっこないんですから!!<br>　こうして、"永遠に固定する" ことなんかあり得ない人間の「気持ち」と、財産による「固定」との間に矛盾が生じる余地ができちゃいました。 そこで起きる「矛盾」こそがまさに「不倫」｡｡｡<br>    　　矛盾が起こると、人間の本当の気持ちの方を否定する「不倫」てことになった訳なんです。<br>　という事は、「不倫」ていうのは、"人の立場" からのものなんかじゃなくて、"社会の立場" からの定義です。「私有財産」からの要請が、人の気持ちに勝ってしまった。人の気持ちを抑えてしまった｡｡<br>    　元々は "裏" でも "表" でもないものが、 "裏"　"表" にされちゃった｡｡｡<br>    　･･････ これが、「私有財産」の世界です｡｡。 私有財産のために、人が人でなくなるホンの一面･･･。<br>　だから、古来、いつだってこの話題が途切れる事なんてなかった筈ですょね、実社会でも、小説なんかでも｡｡｡「源氏物語」では光さんがなんて奔放なんでしょう。　　近松さんの「心中天網島」なんてのもありました。　　高貴な方と逢瀬の果て「あこぎ」とふられて身分も捨て妻子さんも家に置いて法師になっちゃった西行さん。　　潤一郎さんと奥さんと春夫さんの「細君譲渡事件」とか。　　 寂聴さん、夫さんの教え子さんと一緒に家出とか。　　漱石さんの前期三部作（『三四郎』『それから』『門』）なんかもそんな関連なのかな､､、、<br>    　　 "人の気持ち" を固定するなんて、どだい無理なんです!!<br>    　　 "気持ち" が固まっちまった人なんて、そんな人、もう死んでます!!!　ょね。<br>    　　<br><p>&nbsp;   　どうでしょう？「不倫だと言われちゃう気持ちと立場」、「それは不倫だ、と言う立場」、果たしてどちらがホントの人間？</p><p>　　　　　　･･･････<u>【 私からのクソ真面目な問題提起です 】</u><br></p>    　"気持ち" の方を貫いた寂聴さん、人間じゃないょ、って事にできますか？<br>    　　<br>　生産力の発展は、チンパンさんとは違う、人の必然でしたょね。となると「私有財産」も必然でした。そして「私有財産」ある限り、その社会である限り、その要求は「人間」を凌駕してしまう｡｡。<br>    　　　悲しいかな、その必然の中にいる私たち｡｡。<br>    　　<br>    　最近は余り流行らないようだけど、「不倫」の結末としての心中って、昔は結構ありました、私は心が痛みます。<br>    　いまは、邪魔になった方を消しちゃう･･･なんて方が多いのかな。これは許せない!! ですょね。<br>        "邪魔になっちゃった方"　の立場を考えてみましょうか。<br>        まず、つれない言い方ですけど、<br>        　相手の心が離れちゃう、ってのは仕方ない、事ですょね、常にあり得る事と認識すべきです。<br>        　　　　　　もちろん私がその立場だって｡｡。認める他、ありません。<br>          「婚姻届」 出してるんだから･･･ なんて。何度も言いますけど、人間の立場ではありません！<br>              「私有財産」＝「家族」制度、の力を笠に着てるだけ。権力者の振る舞いです！<br>        　　いつだって、昔の恋愛時代の続きです。でなければ、ふたりの関係は、死んでます！！<br>            　　相手の心が離れないように、いつだって自分が誠実に接し続けるべきなだけ。<br>        　　　　　　離れちゃったら、それも誠実に受け容れるほかありません。<br>        　　婚姻届、出してようとなかろうと、本来は、本当は、心の問題なんですょね。。。<br>        　　　「届」を以て縛る「権利」で、相手の心をないがしろにするんなら、<br>        　　　　その「不誠実」を以て、更に決定的に心が離れる他ないでしょう。<br>        　　　　　　少なくとも私なら間違いなく!　　　　あなたがどうかは知りませんけど｡｡｡<br>                        ふたりの関係って、お役所に守って貰う物ですか？<br>                        そんな心の持ち主なら、それだけでイヤになりますね！<br>    →→ でも、だからって、この "邪魔になった方"、「殺してヤル」、は、いくら何でもダメですょ、<br>              相手がいくら「届」振りかざしてくるからって､､､　　 相手の生命　否定するのはねぇ｡｡<br>            「不誠実」からは、たゞたゞ こちらから "離れる" しかないでしょう、身も心も｡｡｡<br>                  たとえその手段が、自分たちの「心中」だったとしても!!<br>　で、「不倫」て事になっちゃったおふたり、事情は気の毒ですけど、「殺す」なんて勝手な方に転ぶとなると、その「気持ち」まで、ほんもの？ 気まぐれじゃないの? って疑っちゃいますょ。<br>    「勝手」な気持ちなんじゃないの？ いまの相手に対してだってきっと「勝手」なんでしょ！！<br>    　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終わったらきっとリベンジポルノだょ！<br>    　　　　　　　　　　　　　　まぁ、勝手マン&amp;ウーマンは許せないけどほっときましょう、<br>    　私たちがその立場だったら、どうでしょう？　　あなたの「不倫」の場面です！<br>　少し昔なら大川栄策の歌謡曲「さざんかの宿」、最近なら渡辺淳一の小説「失楽園」、なんて大ヒットしてるんでから、 ･････ ていうことは、共感するみんな、みなさん､､､<br>昔も今も、多くの誰もがこの「不倫」矛盾の可能性を内に秘めてる、って事じゃないんでしょうか。　　　　　　　　　　･････本当は、すべての人が･･･。<br>    ･･･少なくとも歌の中、小説の中にいた時の自分はこの立場のつもりだった筈、ですょ。<br>    　　　　　　　　　　　　　　困りましたねぇ!!<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　&nbsp;                   　　　　　「さざんかの宿」　息抜きに歌詞、書いときましょう、<br><p>　　　　　　　　　　お年寄りしか知らないでしょうから｡｡｡</p><p>　　　　　----------------------------------------------------------<br>　くもりガラスを手でふいて　あなた明日が見えますか　　愛しても愛しても　　ああ他人の妻</p><p>&nbsp; 　　　　　　赤く咲いても　冬の花　　咲いてさびしい さざんかの宿<br></p>&nbsp;         ぬいた指輪の罪のあと　かんでください 思いきり　　燃えたって燃えたって　 ああ他人の妻<br>&nbsp;         　　　　　　運命かなしい 冬の花　　明日はいらない さざんかの宿<br>&nbsp;         　せめて朝まで腕の中　夢を見させてくれますか　　つくしてもつくしても　　ああ他人の妻<br>&nbsp;         　　　　　　ふたり咲いても 冬の花　　春はいつくる　さざんかの宿<br>          　　　　　　----------------------------------------------------------<br>     もっとも、その私達、主人公になりきって、しっとりその気分に浸ってる時はいいんだけど､､､<br>    　　いざその立場 離れて、こんなふたり、間近に目にしたら･･･。<br>    　　 「あのふたり、不倫なんだょぉ」　って冷たい目で見るんじゃないのかなぁ。<br>    　　　　　　 心中に追い込んじゃう側になる。　　 ････ んじゃないのかなぁ。<br>    <br>    　それどころじゃない!　自分の相手がもしそんな事になったらもうカンカン！！ですょね。 <br>    　　　勝手だなぁ、カンカンになる権利、持ってる、自信もってそう思ってますょね。<br>    　さっきまで歌 聞いたり小説 読んだり映画 見たりしてた時の自分、いまどこ行っちゃぉったの～？ <br>    　　<br>    　その権利、「私有財産」がくれたモノなんですょぉ。別に「人間」さんのものだった訳じゃない｡｡｡<br>    　「私有財産」さんのご都合として、「固定してて貰わなきゃ困ります!!」って仰るんで｡｡。<br>    　<u>人間さんとしては、最初から最後まで、♂♀関係は純な恋愛関係、なんじゃないですか？<br>    </u>　<u>いつまでだって、純粋な人間関係！！！</u>　　 <u>人の心を拘束するなんて事、本当はできないんです!!!<br>    </u>　<u>人の心を束縛しようなんて事は、たとえ誰であれ、絶対、してはいけないことなんです、</u><br>    　第三者であれ夫であれ妻であれ････、ヒトに対してそんな事すれば、された方はヒトでなくなります、<br>    　で、した方も、もうヒトでありません、 もっともっとヒトではありません、<br>　そんな事ができるのはモノだけ!!!　　私有財産はモノだからそんなことが平気でできる、何故って、ココロ、持っていんだモノ。<br>    　　<br>    神だってできないんですョ。　できると思ってる人は、<br>    　　私有財産に慣らされて、<br>    　　私有財産さんの都合に反する時は、「不倫」ダッ、＝ヒトのココロ 踏みにじっていい、<br>    　　　　って思い込まされてるから、　　神の御心もそうだろう、って信じ込んでるだけ。<br>    本当の神は、ほんとなら、物の都合なんかじゃなく、人の味方、心の味方、だと思いますょ。<br>            ワタクシ、無神論者ですから、アナタ様の神様のお話ですけどね･････。<br>        結局、ツヅくのもフるのもフられるのも････<br>            それぞれお互いの心を大切に､､､ 尊重する以外ないんです！　人間なんですから。<br>            自分の都合に合わせて相手の心に介入する、干渉する、支配しようとする、<br>          　　　　　　　　　心をねじ伏せようとする･･･<br>            なんて、それは余りに勝手です、たとえ誰が誰に対してでも｡｡｡<br>            誰が言ったのかなぁ「結婚は人生の墓場」??　　墓場になんかしないようにしましょうね!!<br>                    　<br>    　それからもうひとつ思い込みがあると思います。大事な事だからやはり触れときましょう。<br>　私有財産、なんてなかったら、別の相手 現れたって、いまの人との気持ち 変わらないことだったあるんじゃないですか？ <br>    　多少変わっても、別に破綻するとも限らないんじゃないですか？<br>    　家族なんてのがあるから、相手はひとりと思い込む習性ができてる｡｡。思い込まされちゃってる｡｡。<br>    　で、いい人 別に現れたら、その本人さえ、いままでの人 どうしよう･･･って事になっちゃう｡｡｡<br>    　　　　いままでの人への気持ち、とっくに終わってるんなら別だけど､､､<br>    　　　　私有財産の命令で仕方なく続けてただけなんだったら別だけど､､､､､<br>    　いままでの人だってそれなりいいから続いてたんなら、その気持ち、なんで否定しなきゃなんないの？<br>    　別の相手が現れようと現れまいと、その人との気持ち、いままでの人との気持ち、<br>    　　　　その新しい人も、本人も、いままでの人も､､ みんなが素直に認めるのが､､､､<br>　　　　　　本当は自然の姿だと思うんですが･･･。　「家族」なんてなければ､､､ 自然に｡｡｡<br>    　　それが許せない習性になっちゃってるから、３人とも全員が、１対１で決着つけようとしちゃう、<br>    　　　　それが当たり前だと思い込んでる｡｡｡　　相手を独占しなきゃぁ気が済まない｡｡｡ <br>    　　　　独占欲って、【自分の勝手・大切な人に対する否定】、そのものじゃないですか!!　愛の亡者!!!<br>    　ホントは、新人 現れたって、いままでの人との関係は、その人への本当の気持ちがどうか、<br>    　　って事だけなんじゃないのかなぁ｡｡｡　　　３人ともそれが認められない･･･。 悲しい思い込み！！<br>    　　　　「私有財産」と「家族」に思い込まされてるだけなんじゃないのかなぁ｡｡｡<br>    　　　　そこでだれかが独裁権力、独占権力、振るおうとしちゃうから壊れちゃう！！<br>    　　<br>    　"自分の相手" の前に別の誰かいい相手が現れちゃった、その自分の立場から言えば･･･、<br>    　････ 新しいふたりの関係なんてどうでもいいこと、なんじゃないですか、ホントゥは。<br>    　　=== 当たり前ですが、ふたりの関係はふたりの関係で、自分はその中に居ない、んです。<br>    　　　　で、関与しようがないし、すべきじゃない。　外から関与なら＝（心への）強制侵入！です。<br>              それが許される、って人は、「私有財産」の絶対権力を利用してる！！　だけ｡｡｡<br>　だから、そんなの放っといて、【自分にとって本当に大切なのは、自分と "自分の相手" との気持ちだけ】、なんじゃないですか？　　【ふたりの関係を大切にする事】だけ、なんじゃないですか？<br>    　それこそが､､､　自分と "自分の相手" との関係を､､､ 大切にする事。<br>    　　それ抜きに、それ以外に、、その人に対してする事、ありますか？<br>    　自分の相手にいい相手が現れたからってプンプンになり、いまの相手の気持ち 否定しちゃぁ､､､<br>    それこそ、【自分といまの人との関係そのものの否定・破壊】じゃないですか！<br>    　新しい相手との仲に介入する、なんてのはもってのほか、それは自分とは関係ない事なんです。<br>    　　 自分は、その関係の中にいないんです！！　　介入するとなれば、外から口を出す！！<br>    　　　　人間関係に強制力を発揮しようとする！！　もう人間ではないですょ！！<br>    　　　　･････そんなの放っといて、<br>    　いまこそ、自分といまの人との関係そのもの、をこそ大切にしなければ！！ それ以外にないんです！！<br>    　　･････介入で、自らそれを否定しちゃったら、もうお終いですょ。<br>　デートの場まで送ってあげる必要があれば、送ってあげたらどうでしょう。その人を、その人の気持ちを大切にするなら、それが本当かも知れませんょね。その人の幸せを祈りましょうょ。その人の幸せあってこその自分の幸せなんじゃないですか？ その人が不幸せになっちゃったら、こちらだって巻き添えになるでしょう。ましてそれが自分の悪意のせいだったとしたら、本当のとこでは、絶対にふたりの幸せなんて戻りっこないでしょう。<br>　逆に、そこまでこちらが誠実なら、相手の心にも通じるものがあるんじゃないですか。こちらへの心もいままでより強くるかも知れません。新しい相手に向かう心があったって、です。その辺を打算としてでなく、心からできる人間でありたいものですね。オマエはどうだ、って言われても、なってみなけりゃ分かりません。けど、勇気を持ってそうしたいですね、本気で。。相手を大切にしたいですね、自分の心が残っているんなら･･･。それができなければ、自分の心ももうその人からそれなり離れているのかも知れません。<br>　もちろん、そこまでこちらが誠実でも、相手の心が新人だけに向かう事だってあるでしょう。それはそれで受け容れしかありませんょね。それも誠実に、幸せ祈りつつ、受け容れる人でありたいです。どうあろうと、最後まで相手を大切しなければ･･･。　　リベンジポルノなんて絶対ナシですょ。<br>    　　<br>    　相手だって人間として大切にしなきゃぁ、人間関係ではないですょね、支配関係です！<br>    　そうなったらもうお終い!!　相手の心だって離れるばかり!! でしょう。<br>    　仮に仲 裂くのに「成功」したって、心は離れるだけですょ、きっと｡｡｡<br>    　結果 形の上で続こうと続くまいと、ホントのところは、人としての関係は、破綻、です。<br>    　あくまで自分と自分の相手との気持ちを大切にすること以外、あとはなにも関係ないことじゃないですか。<br>    　そこで二者択一を迫るから、相手の気持ちを新しい人に押しやっちゃう！！<br>　実は当の本人も二者択一と思い込んでるから、自分の気持ちを新しい人に絞り込んじゃってるだけなんじゃないでか？<br>          仏さんの教えではないけど、心に正直になれば救われる････ んだと思います。<br>          その気持ちが、いままでの人と続くんなら二者二股だっていいでしょう、無理に択一 不必要。<br>          離れるんならまたそれしかないですょ。<br>          離れるんなら、新しい人 現れなくたって、その程度のモノだったんじゃないですか？<br>              いつだって、本当の心を大切にする以外ないんだと思います｡｡｡｡｡<br>    　自分だけじゃなく、自分の相手も、その気持ちも、大切にしなきゃぁ｡｡｡<br>    　それを捨てたら、いくら形式の上で続いても、それはもう本物の破綻です！！<br>              ♂♀の自然な気持ちって、本来､､､　本当は､､､　きっといろいろだと思います。<br>    　　<br>    という訳で、いつだって純粋な人間関係は大切にしなければなりません。それこそ「人倫」でしょう。<br>    　　 「不倫」は「人倫」。　　　「不倫」だょ、ってのは「人間否定」「人権侵害」。<br>    　　 「介入」しようとするんなら「支配関係」。<br>    こんなコト言ってるボク、気がおかしいですか？<br>    　　 ボクは人の立場から言ってるんです、"人間" の立場から･･･。<br>    いまの人間、多分、社会に、＝社会通念に､、慣れきった、慣らされきった人間 ??<br>    　　 ･･･ 気持ちとか心とか失って、まるで社会に飼われてるみたい!!<br>                  ･･･ 無理ありません、「私有財産」に慣れきってるんですから。<br>                  ･･･ それなしでは今、生きられませんし、人類の歴史そのものなんですから。<br>    自分が「不倫」しないと、人間に戻れない !?　　 ････ 変な世の中!!!　ですょねぇ。<br>    　　 ･･･別に推奨する訳じゃないけど、誰だって本当は「不倫」て、他人事じゃないはずですょ。<br>    　　　　　　変な世の中の中で、人間に戻れる「人倫」なんですから････。<br>    　　　　ていうことは人間ならその「人倫」、可能性としては当たり前の筈なんです!!!<br>    　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　なにしろ「人倫」なんですょ！！<br>    　　　　　　エッ、おマエの相手するヤツ いない？？ イエ、それは確かにそうですけどぉ、<br>    　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　それはそれで別の問題ですぅッ！<br>　纏めます。淳一さんの映画で、雪の中、肩 寄せあって眠るように逝った人妻・人夫、黒木瞳と役所広司の持ちになれた方、その気持ち、間違いなく人間のモノですょ、<br>    命より大切な「心」だったんです。「心」･･･否定されたら死ぬっきゃない｡｡｡<br>    否定されたら人でなくなっちゃうもの･･･人間基準では間違いなく「人倫」でしょう、<br>    　それが、私有財産基準・社会基準では「不倫」なんです。悩ましいじゃありませんか｡｡。<br>    　　　　･････それがいまの世！！　　「人間」否定の世のほんの一面､､､ だと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/aisakiran/entry-12101158133.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Nov 2015 13:29:44 +0900</pubDate>
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<title>遺書続き１　戦後史編</title>
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<![CDATA[ <div align="left">　実は、暫く前に某所でちょっと問題があり、それについて愚見をまとめて一部の方に読んでいただいたことがありました。<br>　発端は今回とはまるで違って些細なことだったんですが、いくら些細なこととはいえ、その根本は今回のテーマと同じもので、・・・っていうか、問題って、なんだってかんだってこの社会から発しているものなのでなんでもそうなのですが、、、そんな訳で、その些細な具体的問題から根本に迫るにつれてその思いが今回同様、若い方々への遺書みたいになっちゃって、やがてその些細な具体部分そっちのけで、まるで根本問題の方がテーマになっちゃいました。<br>　　　　　　　　　　　<br>　という訳で、その文書と今回の問題が全くダブるものにもなってますので、正直、書き直すのも大変で・・・、で、その時の文書からその問題の具体部分は割愛して、本質に迫る部分だけをここに引用させていただきたいと思っています。たゞ、ひょっとして、割愛部分があるだけに語句の繋がりに違和感が出る部分があるかもしれませんが、愚見の展開に差し障りがあるようなことはないと思っていますので、語句の繋がりの違和感なんてあったらお許しください。<br>　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　　　　　<br>　　で、以下、私の愚見文書です。具体部分を割愛してもいきなり安保・戦争問題には入っていませんが、やがて入ります。あっちこっち、いろんな問題に飛び火しますが、全部繋がりのあるものですのでお許しください。割愛部分を削除すると、まずは、いきなり本質に向かう部分になりますので、逆に戦争問題は最後に現実問題へ戻っての記述となってます。あっちこっちの最後のひとつ、という訳なのです。なにもかもが、全部が全部、根本問題として繋がってますので、すみませんがよろしくお願いします。<br>　　尚、この文書、2015年7月12日付で記したものです。<br>　----------------------------------------------------------------------------------<br>　まずは、最初っから認識論的な部分への飛び火ですみませんが、愚見文書に添付した「お願い」文からの引用です。いまからこの愚見文書をご覧いただける方がいらっしゃるとすれば、その方々への「お願い」にもなるかと思いますので、お許しください。<br>　----------------------------------------------------------------------------------<br>　ひょんなきっかけからこんな文章を書くことになりました。こんな風になるとは全く予想外でしたけれど、書いているうちに結果として、【先の見えた自分の最期の思い】を書き綴ることとなり、後に残る人への私なりクソ真面目な問題提起を含んだものとなってしまいました。<br>　　という訳で、現実問題としてスタッフさんに問題部分をご覧いただきたいのはもちろんなのですが、どなたであれ真面目に考えてくださる方がいらっしゃれば、そんな方にも少しでも見ていただけたら嬉しいと思っています。<br>　問題の内々へ、奥々へ、と踏み込んでいくうちに、次第に思いが募り、内奥に行くほど、スタッフさんに限らず、心あるすべての方々にお読みいただければなぁ、という思いになった次第です。<br>　　とはいえそれは私の勝手な思い込みですので、果たしてお読みいただく価値があり、その方の思いに重なるかどうかはもちろん全く解りません。<br>　　少しだけでもお目通しいただき読み続ける気になっていただけましたら、そのお気持ちが続く限りで結構ですので、ご覧いただければ幸甚です。<br>　　<br>　　内容としては、非常識 極まるものですが、私としては真面目で真剣なものに違いありません。･･･が、皆様にどうご理解いただけるかはもちろん解りません。<br>　　私には私の理解がありそれを言葉にしましたが、頭の中で思いを巡らせているすべてを言葉に還元できる訳でもありません。ましてその言葉を受け取った方が、どう理解されるか､､､。 その方が受け取られた言葉から、頭の中でどう思いを巡らせて下さるか･･･ その方次第という事になるほかありません。<br>　アイツはこんな事、考えているのかな｡｡｡ それが結構、私の思いに近いこともあるでしょうし、かなり離れている場合もあるでしょうが、それはそれで仕方のないことです。なるたけ近くあって欲しいのはもちろんですけれど･･･。<br>　　いずれにしろ、そんなところからご自分はどう考えられるのか･･･ の契機にしていただけたら嬉しいです。<br>　<br>　　人は【考える】とき、観念、概念、イメージ･･･ いろんな "思い" を頭の中で言葉化していますけど（･･･言葉抜きでは頭に浮かべた具体イメージから一歩たり離れようがありませんから、考えようがありません。ワニならそうでしょうね･･･）、という事は、その言葉化した時の【言葉】って、その時のその "思い" を入れ込んだものになりますょね。具体イメージに加え、【考えている】【"思い" の部分】＝【抽象】 まで含んだもの。それが【言葉】。だから、その時その時の意識によって【言葉】の含む意味合いも変わります。<br>　　例　　「お金」って何？ 「1万円札」。分相応に「100円玉」。「1ドル紙幣」。いろいろ思い浮かべるとき、要するに「交換に使うもの」という抽象を無意識のうちに持ってますょね。じゃあ「ビットコイン」は？ 微妙ですねぇ、ドコカの国の保証したものじゃありません、世に初めて出てきました!!　　かつてなら「交換に使うもの」のイメージに、まるでなかったものでしょう。貨幣の仲間に入れるかどうか、「お金」の「抽象部分」への新しい問題提起になってます。　　　　もうひとつ問題提起。では「約束手形」は？ 解っちゃいるけどさっきの「お金」の抽象意識の内に、違う、って意識、入ってました? この問題提起の前に、です。お金じゃないから最初から考える必要なかった、ですよね、でも、何故お金の中に入れないのかな、って改めて言われると、この問題 受けてのまさに今の「意識」ですょね。考えるときによって問題意識が違うんです！単純に「100円玉」思い浮かべてる時。「ビットコイン」なんての聞いて何が同じで何が違うのかなぁ、って考え始めた時。「手形」なんて違うの当たり前だけど、当たり前だから意識になかったんじゃなくてさっきは問題外だったから意識になかっただけの時。 いま「手形」って言われて改めて思い返すと、「手形」はなんで外すの？ 見た目とか手続きとか明らかに違うけど、「交換に使う」じゃん、なんで外すの？ また意識、変わりません？<br>　　という訳で、その【言葉の持つ】観念、概念、イメージ･･･ は、固定しきったものではあり得ません。その時 思いを巡らせているその内容こそがその時のその言葉の意味するもの、別の思いの時はその時のその内容がその時のその言葉の意味するもの･･･。<br>　　言葉って、何かを頭に浮かべられる訳ですが、必ず抽象部分を含んでいると思います。 その全抽象部分を頭に浮かべられるか、って言うと、それはどだい無理でしょう。時によって場合によって変化するんです。「ビットコイン」考えるんなら、誰だっていままで予想もしなかった意識で挑戦する他ないでしょう。あらかじめ「全抽象部分」なんてないんです!!<br>　　無理にも敢えてするんなら、「定義」って事になりますか。でも、「定義」も言葉なんですょね。「定義」の内容部分の言葉をまた「定義」してみてもそれもまた言葉になっちゃいます。すべてを言葉化しなければ気が済まない、ってのは、そもそも考えることがどういう事か、を考える事自体を放棄しているとしか言いようがありません。<br>　　どうしても、言葉の抽象部分は抽象として、その時その時、自分で自分の頭に思い浮かべるしかないんです。言葉はそういう部分を含んでいる、という事が大切な認識だと思います。<br>　　だから、言葉に尽くせない部分はそういうものとして読み取るほかありません。だから、人により理解が異なっても仕方がありません。<br>　　　　　　　　私の文書も、ご自分で読み取れるように読み取っていただければ幸いです。<br>　　<br>　　<br>　----------------------------------------------------------------------------------<br>　さて、以下、漸く「愚見文書」本文です。よろしくお願いします。<br>　----------------------------------------------------------------------------------<br>　まず、私の切実な実感として、今いろいろな社会的締め付けが強まっていることを痛切に感じます。そして、この規則問題もその一部であることを逃れ得ないと感じています。<br>　規則が多くなりました。形式主義が多くなりました。人を締め付けることが多くなりました。逆に人間の方は、余り考えもしないで、いまあるを以て&amp; 形式を以てよしとする傾向が強まってはいないでしょうか。<br>　これ、表裏一体のものですょね｡ 規則を一方的に適用する側となにも考えないで適用される側。そして適用される側の主体の喪失、主体性の喪失｡｡。表と裏とは、その奪う側と奪われる側の現れそのもの、ではないでしょうか。<br>　また更にそれと表裏一体で、逆にそんなの無視して勝手気まま、し放題に振る舞う輩も多くなってはいないでしょうか。まぁいつでもいるにはいるのでしょうけど･･･。これはちっとも主体性の回復なんかじゃなくて、主体を失ったままの反抗？主体なき故の反抗･･･ ではないでしょうか。<br>　いずれにしても、社会が危ない局面に接近しているのを感じます。<br>　　　　　　　　　　　<br>　始まりは、私の子供の頃だと思います。その頃から､社会は､､、「戦後」だった世界は､､、、再び人を思い通りに支配する方向に動き始めたのだと思います。<br>　私が初めてそれを感じたのは、1958年、高校２年の時でした。この年、勤評闘争というのがありました。<br>　既に教育委員会は公選制から任命制に変えられていましたが、その下で、教員にたいする勤務評定が強行され、それに対して，それは教職員の団結を破壊し，教育の権力統制を意図するものだとして、教職員組合（日教組）を中心に全国的に激しく展開された反対闘争です。<br>　高１から社会的物心がつき始めていた私としては、高２でこの大きな社会問題に出会って、これはヤバイと思ったものでした。で、９月１５日にデモに参加しました。その後も何度か、参加しました。都内の各高校から有志が集まって企画したものですが、それに対し学校は、突然、デモ禁止、参加者 即 退学、を通告してきたのです。それも、翌日にデモを控え、全校の昼礼で教師から参加の意思表示を求められ２年生の半数ほどが挙手したその晩、 主だったメンバーの自宅に教師２名ずつが訪れて、両親と本人に通告していったのでした！！ 生徒全体に示されたものでも何でもないので、個人的に示されただけなので、由を以て定められた規則とも言えないものでしょう。<br>    そもそも私たちの時代、校則なんて小学校から大学まで聞いた覚えがありません。自分たちでそれぞれが、こんな事したら先生に怒られる、って自分の人格で判断してたのです。先生だって、もし悪いことがあれば、自分の人格で注意するのです。自分と、周りの人間とも、先生とも、ちゃんとした人間の関係だったのです。周囲のみんなと人間関係があったんです。「規則」関係!! なんかじゃなかったんです。<br>　で、みんなには、翌日の昼休みに各クラスを回って、私たち生徒の側から報告して不当を訴えたのでした。以前にも原水爆禁止・反戦のデモには何回か参加していたのですが、この問題では抗議の対象が文部省（当時）＝政府に絞られたのが問題だったのかも知れません。教師にしてみれば、お上から目をつけられる、との判断が働いたものと思います。２～３度は参加を見合わせて交渉しましたが埒があかず、やむなくそれまで同様、皆に参加を呼びかけ、公然と参加して、文部省前では首実検に来た教師がアリバイのつもりでしょう、わざわざ顔を出したのを追い返し、翌日、緊急に生徒総会を開いていたところ、生徒の屈服しない自主性に恐れをなしたのか、その場でとうとう撤回に持ち込むことができました。<br>　この圧力自体、すでに文部省の圧力を感ずる教師達の自主的な弾圧でしょうが、社会ではそれを勤務評定という形で、更に更に強めようという動きが始まりだしていたのです。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　他にも、これは 私の物心 前の話ですが、これに先だって、1954年「教育二法」で教員の政治的活動を禁止し、1956年には教育委員会を公選制から任命制に変え･･･ と、すでに着々とお上の言うことを聞くように物事を進めていたのでした。<br>　その動きは、私が大学を卒業する年、教員養成の中枢であった「学芸学部」を「教育学部」に変えろ、という動きとなり、私の大学では、私の属した学部以外の学生自治会がすべて無期限ストを続けるなかでの卒業となりましたので、私も連日スト集会の方には参加して、個人で勝手に無期限ストをしたまま卒業することとなりました。（卒業証書は後日、事務室に行って貰ってきましたけど）<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　そもそも教育とは、学識・教養＝学芸 を身につけた人間が、その全人格を以て行うものであり、人間を離れて機械的に行うことなどできるはずのないものではないでしょうか。「教育学」???＝内容とやり方、は教えられたとおりにすればいい･･･ なんてものは教育ではあり得ないはずなのです。もしそうだったら、教える方も教えられる方も、たゞ鵜呑みにするだけ、人間としての人格に結実する訳がないでしょう。たゞ覚えるだけ･･･ なにをするか？ は、自分で決めるのではなく、決めてもらったとおりにする､､､ 決められたとおりにする､､､　→→→ 規則を守ればそれでいい!!!　この動きが始まっていたのです。<br>　　　　→→→ 今まさに、マニュアル主義に見事に結実しています!!!　　そして、「規則ですからッ!!!」<br>　これは、お上に好都合ですょね｡ 決めるのはお上･･･ なんですから。権力 あるものは、多分、みんなそうしたがるんでしょう。こうして、内容の人間的無内容化＝権力者のご都合化、教育全体の非人間化と、上からの締め付けが、ちょうど今、進み始めていく過程を学生時代に体験しています。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　そして今、それが社会に着々と結実しているのを見る思いなのです。人間でなくなってる！！！<br>　君が代を歌わないから処分する、なんてのは序の口で、もうみんな屈服してますね。 今年に入ってから、思想の自由を侵害して処分は無効だ、って損害賠償の判決が出ましたけど。でも、･･･今ごろ判決が出ても･･･、もう、歌わない先生、いなくなっちゃってるんじゃないのかな。 "規制" はちゃんと成功してるんです。<br>　「政権の見解ではないからこの教科書の記述はイケナイ」!?　なんて言い出してる最近の教育内容へのお上の直接管理はスゴイ事ですょ、なにからなにまで上から、文部科学省・知事→教育委員会→校長→教員→生徒と縛り上げ、自由に考えることができない中で育て上げることによって、上の言うことをたゞたゞ聞けばいい人間に育て上げられている、と感ずるのです。<br>　この体制の中での「いい子」たちが、「規則ですッ！」マン＆ウーマン!!　じゃないのかなぁ。<br>　実は、これ、教育だけの問題ではないと思うので、なお深刻です。社会全体の変化だと思うんです。社会の変化の教育面での現れ･･･ にすぎないと思うので、なお深刻です。社会が危機に向かっている、と痛感します。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　ですからもちろん、当時だって、教育以外にもいろいろ起こっています。折しも勤評闘争の真っ最中、10月８日に警察官職務執行法改正なんてのが、突然 、国会に上程されました。それは、警官の警告、制止や立入りの権限を圧倒的に強化して、令状なしの身体検査や留置を可能にする、という恐るべき内容で、国民に戦前の「オイコラ警察」を想起させるものでした。その裏には、10月4日に日米安保条約改定に向けての第1回会談というのがあって、60年安保闘争で大騒動になる安保改訂への準備そのものだったのです。<br>    ･････ なんか、今とよく似てませんかね、誰かがどっか行って誰かと話しして、そこの国会で演説させてもらって、まだこっちの国会には提出してもないのにもう成立を約束して来て、まさに今、なにかをやらかそうとしてる、 つけた名前がなんと「平和安全法制」とかいうヤツ!!!　　まるで「戦争危険法制」だょッ、て自白してるように聞こえちゃうんですけどね。<br>　これに対して当時の国民は、さすがにものすごい危機感を覚えました。『週刊明星』なんて大衆娯楽週刊誌までもが「デートも邪魔する警職法」なんて特集 載せたり･･･ まさに全国民的感覚で危機を感じたのです。11月5日には労働者のゼネストがあり、街頭での抗議行動には400万人が参加したそうです。私たち、その時はもう学校側に勝利してましたので、もちろん、何度も自由にデモをしました。そして、22日、とうとう政府は断念し、戦後日本で大衆運動が勝利した初の体験となったのです。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　その後も、1959～60年には、安保改訂に対する反対闘争が、全国民を巻き込んだ大騒動になりました。<br>　59年11月27日の第8次統一行動では、全学連（全日本学生自治会総連合）の学生が国会の正門を突破して突入したのに労働者も続き、前庭を埋め尽くす大集会となって、自主退去まで警官隊は手の出しようもない状態でした。<br>　60年5月28日、岸首相が「声なき声にも耳を傾けなければいけない」といえばたちまち「声なき声の会」なんてプラカードが現れました。組織外で集まった人達だって、とっくになんの表示もなくデモに参加していたんです。<br>　6月4日には労働者460万人のゼネストで国中の仕事がストップ、<br>　6月15日には「第18次統一行動」で、ゼネストには580万人が参加、<br>    全商連では全国3万店で閉店スト、<br>    　　･･･個人商店までが「ウチもスト!!」なんて自分で自分の店を閉めたんです!!　<br>    私の行っていた駿台予備校（当時）･･･予備校ですょ！･･･では、<br>        校舎の道路に面した廊下が全階 吹きさらしだったので、その各階前面に皆が出て、その前の道路とで集会をしていたところ、通りかかったくず屋さん（今なら空き缶拾いさんでしょうか）がリヤカーの中から丁度いい布切れと竹竿を引っ張り出して「これ使え」って恵んでくれたんで、それを旗にしてお茶の水から国会まで、集まった有志３０名でデモして行きました。<br>        　　（もちろん無届けですけどそんなの当たり前!!　東京中がそんなだったんです）<br>        集会の時、ハンドマイクも使いましたけど、予備校が貸してくれたんじゃなかったかな･･･。<br>        　　･･･あり得ないような気もするんですが､､､ それ以外、あり得ないんです。<br>        いまになって作り出してる記憶かもしれませんが、おぼろげに貸してくれるシーンも浮かびます。<br>　そうして11万人が国会議事堂を包囲する中、国会南門を全学連が突破して、東大生・樺美智子さんが亡くなり、世界中を駆け巡るニュースとなりました。<br>　現場では７名死亡の情報まで流れましたが、決していい加減なものではなかったと思っています。７名のなかには予備校生１名というのもありました。駿台の行動隊（デモ参加３０名中の６名＋現場で出会った私の高校の同級生２名）としては当たり前に東大の行動隊に紛れ込んだのですが、そんな事、本人たち以外知る由もないことだったので、ある程度、情報の信憑性を窺わせるモノと感じましたし、実際、それくらいの死者はあり得る状況だったのです。<br>　翌日は、山手線に乗ればあちこちで頭に包帯巻いた人がいる･･･なんて状態でした。樺さんの死は悲しいですが、１名ですんだというのは、不幸中の幸いだったのです。おかげでボクもこうして皆さんにお会いできてるという訳ですし･･･。<br>　最終日、6月18日にも国会を包囲する大デモがありましたが、いかんせん、翌 午前0時には、なにもしなくても成立してしまう条件が整ってしまっていたので、条約は参議院の議決がないまま、6月19日に自然成立してすべてが終わり、国民は無力感に陥ったと感じたものでした。</div><div align="left">　　　　　　　　　　　<img thum_style="width:220px; height:342px;" thum_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151129/12/aisakiran/d6/3c/j/t02200342_0450070013497270628.jpg" orig_style="width:450px; height:700px;" orig_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151129/12/aisakiran/d6/3c/j/o0450070013497270628.jpg" style="padding-top: 0px; width: 300px; height: 470.59px;" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151129/12/aisakiran/d6/3c/j/t02200342_0450070013497270628.jpg" alt="６１８国会前" id="1448940073982" ratio="0.6375"><br>※ いまの「平和安全法制」がこの頃に出てきたら、それこそこんなものではすまなかったでしょうね。<br>出た途端に大騒ぎ!!　　 当時「警職法」も出た途端の大騒ぎ、でしたけどそんなものではとてもない、<br>･･･即60年6月状態になったと思いますょ。<br>･･･いま、時代も人も変わりました｡｡｡<br>　これに象徴されるように、当時の日本は、まだ「戦後民主主義」の空気が色濃く残っていた時代でした。 <br> 「戦後民主主義」についてはいろんな見方があるようですが、この「主義」の意味は置いときます。そもそもなにがそうなのか、ってのさえハッキリしない訳ですし､､、そんな問題なんていまどうでもいい事で、ここでの私のそれは、戦後の民主的な空気・雰囲気･･･くらいにしときます。<br>　そんな空気の中で･･･ って、それは文字通り実に薄～いもので、みんなそんな自覚なんてまるでなかったとは思うんですが、でも今から思えば、やはり今とは全然違っていたのです。なにより、当時、普通の国民が持っていた戦前の苦い思い出の感覚が大事だったと思っています。必ずしも意識してるものではないのでしょうが、その根底にあるのは、言論が弾圧され自由にものが言えなくなり、一方で国威発揚、戦争賛美、戦意高揚のキャンペーンが国家＝政府＝権力によって満ちあふれさせられ、ほぼ全ての国民が知らぬ間にそれに乗っかって突き進んでいっての敗戦、という苦い経験と反省から、戦争反対、言論の自由、報道の自由、思想の自由、学問の自由、大学の自治、権力の危険性といった感覚をなんとなく身につけていたのだと思います。戦後民主「主義」として語られたものの無意識への反映でもあったとも思いますが、逆にその「主義」となったものの大元にこそあった感覚、でもあった･･･ それがみんなの中にあったのだ、と思います。<br>　そんな時代に子供の頃を送れた私は、幸運だったでのしょう。戦争そのものと戦後の混乱は親のもので、物心ついた時は、復興の真っ最中､､、苦い経験の反省の空気だけは吸っていたのです。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　ところがそれが、この頃から変わり始めていたのだと思います、教育も、社会も｡｡。　人々の自主的感覚も60年安保の高揚を頂点にして、6月19日に一瞬、無力感を味わった後は徐々に減衰し、もう忘れたかのように今度は高度成長の空気を吸い始め、いいように満足感を味わうようになっていったと感じてました。そのような人たちを、教育も社会も、自分の中に取り込んでなんの抵抗も反抗もしない従順な人間へと、高度成長に都合のいい人間へと、作り上げ始めたのだと思います。　　私たちの世代だってそうですが･･･、<br>　････ 殊に、私たちの「戦後経験」を持たない、「次の世代」の人たちにとっては尚更、殊更に。････<br>　　　（いまの若い人たちは、その、「次の世代」に育てられた「更にその次の世代」、ですょね。）<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　その人達にとって、高度成長期はまだ、従順にしていればよかったでしょう、それが終わって行き詰まった時、なんの自主性もなくどうする術もなく･･･ 。それが今、と感じます｡｡｡。</div><div align="left">　　　　そうなると、　「規則ですッ！」　「規則ですからッ！！」 　ですか。。。<br>　　<br>　　高度成長期的人間に成長（？）した人たちは、いま行き詰まってどうする術もなく＝無力を自覚する以外なく、無力感にずぶ浸った人間へと成長（？）しつつある???　行き詰まり期的人間に変身する！？<br>　教育も社会も、更にまた、せっせと人を行き詰まり期に必要な人間へと作り上げることでしょうね、<br>もっともっとなにも考えずにお国の言うことに従う人たちへと、多分｡｡。　　もうとうに始まってますょ。<br>　　　　　　･･･ またまた「規則ですから」、思い出しちゃいます!!<br>　高度成長が終わって行き詰まってる今、こんどは暴力的にでも行き詰まりを打破する向きに社会が動き出そうとする時、その社会と教育の向きのまゝに、自主性なくそれに突き動かされる･･･ 。<br>　いま、そんな気がするんです。たゞ「規則ですから」、なんかよりもっともっと深刻な危険な方向に。<br>　それは始まりつつあるところかな、これからきっともっとハッキリしてくるでしょう。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　復興期から成長期へ、そして今は行き詰まり期｡｡。　行き詰まったらもうそれから先はありません！ょね。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>      ※※ 第二次大戦後、世界は戦災からの復興に懸命でした。一生懸命モノを作りました。そんな中、アメリカだけは戦災がなかったので、手持ちの生産設備で悠然と儲けることができました。アメリカにとってはちっとも復興期なんかではない訳ですが、世界として「復興期」だったことに変わりはありません。アメリカにとっては、「復興」をネタに悠然と儲けられるアメリカ的「復興期」だった訳だと思います。<br>      　　　　　　　　　　<br>      ※※ 次の「成長期」、日本は高度成長でした。反対に、追い上げられたアメリカは、いち早く「実体」＝「生産を伴った」経済の停滞期に入ったと言っていいのではないでしょうか。アメリカで日本の車が叩き壊されました。アメ車が圧倒されて売れなくなり、目の敵にされたものでした。ヨーロッパ諸国もそれぞれ、いろいろだったと思いますが、世界として、復興を成し遂げて落ち着いて経済が回った順調な時期に繋がっていたと思います。その日本的成長期が「高度成長期」なのかな。「２１世は日本の世紀」なんて言われたものでしたネ、懐かしいなぁ（ボクは冷めてましたけどね、今になって言う訳じゃありませんョ、ホント）。。。世界中が夢の中・・・に居たのかな？？<br>      <br>      ※※ やがて先進諸国での経済の拡大に陰りが出てきます。もう設備投資しても最終製品の売り先がなくなってきたと思います。「最終製品」を全部「給料」が買い取れるんなら永遠に拡大できる訳ですが、そうもいかないのが資本主義の構造です（後で触れます）。いくら「給料」のＵＰがあったって、全部買い取れるまでは絶対に上がらない構造になっているのです。<br>      　で、最終製品が売り切れないとなると、最終製品以外の売り先＝設備投資の方も止めなければならなくなりますね。となれば、そこで拡大はストップです。<br>      　しかも、それだけでは済みません、さっきまでしてきた設備投資は今度は多すぎたことになってしまいます。 ･････ これら、全部 併せて、四苦八苦の始まりです！<br>      　こうしていつか･･･ 遠くない将来、必ず「行き詰まり」に陥る運命にあったのです。自分の作った「最終製品」全部を買い取れるまでなんてとても「給料」が出ない、という構造に、この必然性がある訳ですね。<br>      　そうなると今度は、いままで手付かずの地域に進出していくほかなくなります。いつだって虎視眈々と狙ってた訳ですが、その先が、いわゆる「開発途上国」。いまは中国が狙い目なんでしょうが、ここだっていずれ同じ事ですし、その次に狙ったトコも同じでしょう。<br>      　こうして、いつ、どうにもしようがない事になるか････ っていう世界の状態が、今なんだろうと思います。世界の「行き詰まり期」｡｡｡<br>　　　　　　　　　　　　　　　<br>      ※※※ 言ってみれば、「復興期」って、"大戦" って "お母さん" から生まれた子の「幼少・少年期」、「成長期」って「成人・壮年期」、「行き詰まり期」って「老年期」、なんでしょうか。必ず通る道なんだと思います。<br>      　　老いのいまは、もう癌 頻発!!　あっちもこっちも！･･･じゃないのかな。･･･イスラム国ガン？<br>      　　<br>      　ついでに、では "お母さん" の「世代」が通った道は･･･どうだった？　　っていうと、<br>      　日本で言えば、江戸時代の商人の成長から明治維新後くらいが「誕生期」（今の世代で言えば「復興期」。今の「世代」の世界は破壊から生まれたんでしもの ね !!）。 富岡製糸場 作ったり日清日露戦争辺りが「成長期」。世界恐慌 → 第一次大戦 → 第二次大戦と突き進むのが「行き詰まり期」。位になるんでしょうか。<br>          世界史や日本史もこういう社会の意味を考える科目だったらボクでもいくらか好きになれたかも知れないけど、ボク達の時、どうもたゞの "世界事件史"、"日本事件史" だった感なので、事件をたゞたゞ覚えるばかり、、、どうにも好きにはなれませんでした。で、真面目にやってないので、上の解釈、自信はありません。でも、多少違っていても、"誕生 → 老い"　という根本構造は間違いないと思います。<br>      　で、、「世代」毎にこのサイクル繰り返すのは必然だと思っています。<br>      　いまの「世代」の･･･いまの、現に進行している･･･ このサイクルが、果たして次のサイクルの「復興期」に繋がるのか、大いに疑問には思いますが｡｡｡｡<br>      　　繋がらなかった場合の必然がなんなのかが、ものすごい問題だと思っています。<br>　　　　　　　　　　　　　　<br>　こんな事、いろいろ思って見返すと、<br>　60年安保は、世界が「復興期から成長期へ」と変わった力関係の変化の日米的現れだったと思います。<br>　そして、リーマンショックなんてのはその「成長期」がもうとっくに終わり、世界が健全でなくなってるのの１現象だったと思います。<br>　世界の力関係は更にまた大きく変わり、時間が経つにつれて余りにダイレクトに目に見えてきてると思います。 小さな島の取り合い＝海の取り合い＝資源の奪い合いなんて、１世紀前の植民地の取り合いに極似してると思いません？<br>　また「復興期」の前、まさに「戦争期」に入りつつある、と感じませんか？<br>　「行き詰まり期」というのは、再び「復興期」の前、まさに「戦争期」だと思います。<br>　今度の「戦争」がどういう展開を見せるのか、見当もつきませんけど｡｡｡　　大国同士か、テロ頻発か、諸紛争か？？？　････前回は世界戦争でしたけど､､、。<br>　とにかくどんな形にしろ、破壊をしないとどうにもならない･･･またそんな時期、「破壊期」に入った事は確かでしょう。テロや紛争くらいでは破壊にさえならないので、それはそれで行き詰まりの中、いつまでも続き続けるでしょうけど、やはり大国同士の間で何かが起こるしかないのかなと思います。<br>　　 ････イスラム国なんて、仮に殲滅したってまた別の形で起こります！！ょ。<br>　　　　 テロ・紛争なんてこの「行き詰まり期」、永遠でしょう。<br>　　　　　　　　　　　　　　　<br>　そんな力関係の変化の、まさにいま現在の日米的現れが、「誰かさんと誰かさんが話しをし、その誰かさんがまだ自分の国会で審議も始めてないのにもう勝手に約束して来て、今からなにかを強引に通そうとしてる･･･ 」、今まさに国会で騒いでるヤツ なんだと思いますけどね。 いくら何でも強引ですょねぇ!!!<br>そろそろ、いえ、そろそろではもう遅すぎる、大急ぎで日本も世界で戦争できる準備、整えなければ････。<br>　そのうち、<strong><u>徴兵制</u></strong> ！？　････いま誰も頭にないでしょう、裏で「法制」考えてる人は知りませんけどね。<br>　でも、他人事でないと思いますょ。多分、いずれ必ず？？？<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　････ なんて書いてたら、先日、国会でちょっとだけ口に出ましたね。<br>　　　私は他人事ですからイイですけどね、居なくなっちゃうんだから。<br>　　　　まだ居て現場 連れてってくれるんなら、足、ヒッぱっちゃおうかな｡｡｡<br>　　　　相手を殺せっていうんでしょ ･････ できます？<br>真面目な話、これから衝突が起こり、戦死隊員が出る。､､､ 増える。､､､ 当たり前になる。､､､ となると、<br>      ････志願隊員、十分確保できますかね？ みんな同じ危険に遭遇する、って制度がなけりゃ、････<br>            保たないでしょう､､､　いずれ、ですけど｡｡｡<br>            そして、みんなに「お国のためにぃ～」っていう精神、植え付けなれりゃぁネ！！！<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　つまり、「行き詰まり期」ってのは、「復興期」の前の状態＝復興させなければならないような破滅状態を作り出す時期＝「破壊期」なんじゃないでしょうか？？　<br>　前回は「世界戦争」でしたけど今回はどんな破壊をする事になるんでしょうね｡｡。<br>　そして、このそれぞれの「各 期」は、人間もそれなりそのように変化させられてきた･･･考えてみれば当たり前ですょね。で、多くの人が、いま、「行き詰まり期」的、「破壊期」的人間になりりつつあるんでなければいいんですが･･･<br>　　<br>　という訳で、私の子供の頃に始まった教育と社会の変化の人間への反映が、残念ながら着々と結実してきている、と感ずる次第です。<br>　････　果たしてこれで【「規則ですから」の社会的・歴史的検証】･･･ になってますでしょうか？<br>　　　　　　　　私は、つくづく感じるんですけど･･･。<br>　　<br>　　 ･････････････････以上、私なり、戦後史 です･････････････････</div>
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<link>https://ameblo.jp/aisakiran/entry-12100780906.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Nov 2015 12:18:49 +0900</pubDate>
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<title>戦後から戦前までを生き、次の事変は知らないで逝く、幸運なオジイの遺書として</title>
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<![CDATA[ <strong>　･･･ ６０年安保・７０年安保を闘い、１５年安保を経験して、いま、人類の危機を思う</strong><br>　　　　　　　　　　　<br>　安保法制が成立しました。労働法制も・・・同じく大問題なんですがとりあえずは置いておきましょう。安保に焦点を合わせます。オジイとしては、その先に、-----突拍子もないと思われるかもしれませんが----、人類の危機、人の危機を予感しています。<br>　で、拙いものになるとは思いますが、これからを生きる若い方たちへの遺書として、勝手ながら、ぼちぼちと、せめてもの思いを綴りたいと思っています。<br>　　　　　　　　　　　<br>　まず最初にひと言。この問題＝安保、に限らない訳ですが、賛成にしろ反対にしろ、なにごとも、この世界の必然性までを見ないと、、、目の前の、目に見えている「法制」だけで考えていたのでは、、、 賛否の論議も、ビニールプール挟んでの、それこそ水掛論にしかならないでしょう。<br>　いま世界がどうなろうとしているのか・・・。　　どんな必然性にあるのか・・・。<br>この問題を見据えて、何事もその中で起きている問題として考え、議論し、行動する必要こそがあるんじゃないかと思います。<br>　だから、、、いまのこの世界の中で、人は、人類はどうしたらいいのか・・・、という問題の日本人版こそが、この問題だと思うのです。その大問題が、いまの内閣によって持ち出されている、と痛感しています。これも、その必然性の中にあるからこそ、の問題なのでしょう。いつの問題、どんな問題だってその一部に変わりはない訳ですが､､､ 安保法制こそ、いま、際だっての大問題だと思うのです。<br>　　　　　　　　　　　<br>　というのが、本気で「今日は死ぬかも知れない」と二度、覚悟して６０年安保を闘ったオジイの、まずは問題提起です。「死ぬかも知れない」覚悟は７０年安保までその後も何度かありましたけど、悪運のおかげでしょう、とうとう、また戦前と言っていいこの危機の時代まで生き延びて来てしまったので、これからの大変な時期を生きなければならない若い方たちに、今となって遺書を書きたい思いになっている訳なのです。<br><br>　それまでの資本主義をメチャメチャに大破壊した第二次世界大戦でしたけど、それが始まる直前に生まれ、大戦そのものは事実上知らないまゝで、幼児として終戦直後を経験し、世界中が一生懸命復興するという、再出発＝再生した資本主義の成長期とでも言うべき精一杯健全な時期を自らも少年期・成長期として過ごし、それが減速していろいろな軋轢が見え始め、それに相応した問題を抱え始める時期を青春～壮年期として過ごし、今、諸問題がまるで癌が頻発するかのように全世界で起こっているこの時を老年期として生きている・・・まるで戦後資本主義の生涯と自らの生涯とが併走してきたみたいなオジイの感想を、遺書として若い方々に知っていただきたい思いで書き始めます。<br>　　　　　　　　　　　<br>　手始めに、安保法制についていろいろ賛否の議論がありますが、簡単明瞭な一例として、憲法問題を見てみたいと思います。<br>　これ、正直なところは、誰の目から見たって憲法違反は明らかでしょう。ヤル側からすればそうは言っちゃう訳にもいかないからいろいろ正当性の論拠を上げますが、殆ど息もできないくらい苦しいのは明かですょね。国会に呼んだ憲法学者さん全員と元内閣法制局長官さんには真っ正面から否定されちゃうし、国会外でも”文字通り”、本当に言葉の通りと言えるほど”殆ど”の憲法学者さんにも否定されちゃうし、、普通ならまず発言する事なんてない元最高裁長官さんにさえ憲法違反と敢えて言わざるを得ない思いにさせちゃって、、、とにかくなんとしてでも何とか逃げ切る以外ない、というのが本音だったのではないでしょうか。<br>　という事は、ヤル側にとってみれば、本当のところ、憲法に合っているかどうかなんてのはどうでもよくて、この法案は、そんな事、言ってられない、なにはともあれなんとしてでも何とかヤリ遂げなければならないモノだったのでしょう。 どう言いくるめたってヤルだけの問題だったんですね、多分。・・・それを正直に仰ったのが、７月２６日の磯崎首相補佐官さん発言。まさに本音は、「法的安定性は関係ない」んです。。。 彼、正直に言いすぎました！ 本当のところを言っちゃっただけなんです。 「絶対に口にすべきでない」部分を言っちゃったからマズかったんですね。<br>　　　　　　　　　　　<br>　つまり、ヤル側の真実としては、補佐官さんの仰るとおり、<br>「法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要かどうかが基準だ」<br>「法的安定性で国を守れますか？　そんなもので守れるわけないんですよ」<br>　という問題であるのは間違いないでしょう。・・・わが国を守らないでどうーするんだょ！！<br>　　　　　　　　　　　<br>　もう一例、引用しておきましょう。極端に走る人の引用だけで偏ってもいけません。<br>　国会に参考人として出席した民主党政権の時の防衛大臣･森本サン、<br>「法解釈でなく防衛政策の立場からは 『世界の情勢からは必要になっている』｣<br>　っておっしゃいました。<br>　　良識ある方（？）としては、憲法違反でいい、なんて言えないからそこは避けました。<br>　　たゞ、現実として、、事実としては、 ｢必要なんだよ｣ ・・・って。<br>    要するに、やっぱり、憲法なんて言ってられないんです！言わなかっただけ！！<br>　　　　　　　　　　　<br>　ヤル立場の人の意識からすれば、そういう問題なんです！！ やらないともうヤバイ！！！<br>　なら、改憲を先にやればいいんだけど・・・それはこれよりもっと大変！そんなことヤッてらんない！！<br>　これが、ヤル人からの問題提起です。<br>　　まずは、大切な問題提起として受けとめる必要があるでしょう。<br>　　　　　　　　　　　<br>      ・・・だからこれ、反対する立場の人からしても、大事な問題です。絶対に無視することのできない問題。。。<br>        避けて通る訳にいかないはずの問題です。。。　問題そのもの、"現実"は、共通のものである筈なんです。<br>  　　　　　　　　　　　<br>　それがヤル側にとって何故、今の今かって、・・・言えば、<br>　　　総理大臣サンが、自分の国会にかける前に余所の国会で演説させて貰って約束して来ちゃってるし、、<br>　　　それより前に、総理大臣サンの意向、知ってる統合幕僚長サンがその国で予言して来ちゃってるし・・・<br>      もう、決断したら一気にやらなければ、混乱を長引かせれば長引かせるだけ厄介になるだけだから・・・<br>      　　 さっさとやっちゃって、後は時間をかけて鎮めるだけなんだから・・・。決断したらあとはヤルだけ！<br>　　　　　　　　　　　<br>　たゞその根源には、そんな ”些細な事”より、、その言動の大元として、その言動を導く必然性として、、<br>　　　取り巻く国際情勢が日本にそれを強烈に要求して来ちゃってる・・・という現実がある。。。<br>  つまり、・・・その根源は、世界情勢の問題なんだから・・・<br>　だからヤル側の人にとっては、憲法改正なんて時間のかかる事、やってられない・・・法的安定性なんて目をつぶってでも、言いくるめてでも、・・・ヤルっきゃない、んでしょう。<br>　成り行きとしては今の今。情勢としても遅かれ早かれ・・・、でも早急に、です。<br>  　　　　　　　　　　　<br>  まさに世界は、<br>  法解釈は置いといて、｢防衛政策の立場からは 『世界の情勢からは必要になっている』｣ <br>  「法的安定性で国を守れますか？　そんなもので守れるわけないんですよ」<br>  という状況になっている、って訳なんですね。<br>  　　　　　　　　　　　<br>  これそのものは、反対の立場の人も全面否定する訳にもいかないでしょう。<br>  だから戦争の危機を感じて立ち上がってらっしゃるんではないですか。<br>  安倍サンだって好き勝手に戦争しよう、ってわけではないですょね、たゞ、必要な場合にはヤルぞ、って・・・。<br>  だから、皆さん、現実味、帯びて感じてられるんですょね。60年、70年の時より遙かに危険になってます！<br>  ・・・強いて言えば、あの時は方向性の問題でした。今は強烈に現実味、帯びてます！！<br>  これこそ、真っ正面から受けとめなければならない問題ではないですか。<br>    　　　　　　　　　　　<br>  　　　　　　　　　　　<br>  で、今度は、これはマズイ・・・と思う側から考えます。<br>  明白な憲法違反は、反対する立場からすると、強力な論拠です。だからこれを前面かつ全面に立てる・・・おおいに結構だと思います。大賛成です！<br>  たゞ、、 ひとつ、問題提起です。<br>  重大な手続き違反は絶対許せないですが、この問題、手続きだけの問題ではないはずですょね。なにより "内容" が悪いから反対なんじゃないですか？ 憲法問題は相手の強力な(?!)弱点だから、それは多いに突きましょう、民意無視、法的安定性無視は自体が大々問題です！でも、それだけで反対、ではないですょね。それだけでももちろん反対ですけれど・・・。<br>  それがあまりにヒドイので、それ故、立ち上がられた方もいらっしゃるかもしれませんけれど、それはそれで大変結構なことだと思います。社会に目を向ける素晴らしいきっかけだったと思いますし・・・。何故そんな無茶な政治が出てくるのか、その元を見るいい機会だったと思います。元なしにそんな事、起こるわけないんですからね。。で、議会制民主主義というものが、各議員各議員が自主性を持って自分達の意見を出し合い、それぞれが自分でしっかり考えて、その中で議員個々人が委託してくれた方々の代理として自分の考えをしっかりと形作って、それで賛成反対する、なんてものなんかではまるっきりなくて、そう、学校で教わった"民主主義"なんてのとはまるで違っていて、クラス討論なんてのともまるで違っていて、そんなのホントに夢物語みたいなもので、、、現実は、権力 持ってるヤツが一方的に決めちゃって、権力に依存するヤツ等がそれに付き従って、場合によっては法的安定性一般はおろか大元の憲法だって無視しかねないものだ、という教訓をしっかり胸に刻んだ上で、・・・これは絶対に無視できないことですから本当にしっかり胸に刻み込んだ上で・・・、やっぱり、「憲法違反」という手続きだけでなく、その内容にこそ深刻に目を向ける必要があるでしょう。そもそも"内容"がそんなに悪くなければきっとこんな騒ぎにもならなかったでしょうしね。<br>  （議会制民主主義というものが何故こんな事になってしまうのか・・・という問題は大変大切なことなので、、いまの社会というものの根源そのものの問題だと思うので、、できればいずれ考えたいと思いますが、残念ですが、いまはいまの主題に集中したいと思います。）<br>  　　　　　　　　　　　<br>  で、なによりいまはこの内容の問題、この問題の根本を考えることこそが、やっぱり最重要課題ではないでしょうか。諸問題を無視して強行しようとするのは、、、事の本質は、やっぱり戦争問題なんですょね。相手側の都合の言い方をすれば、防衛問題。。。<br>    　　　　　　　　　　　<br>  相手は、危機を主張しています。大ボスが再三再四、口にするのも ｢国民の生命と財産を守るため｣ でしたょね。その為に必要なんだと言ってます。<br>  それに対する反論が、｢戦争反対｣ なんですょね。<br>  でも、「戦争反対」だけでは相手に答えてない？ 相手は「危機」を言ってます。。。<br>  戦争さえしなければ守れる？？ じゃぁ、攻めてきたらどうするの？ そこまで行かなくても、結構目に余る勝手なことばかりやる国も随分と目に付くようになりました。まるで約100年前、植民地の奪い合いやってた頃と似た様相にさえ思えます。<br>  こんな今、「戦争反対」の立場からは、どうすれば ｢国民の生命と財産を守る｣ ことができるのでしょう。<br>  これ、やっぱり大問題です！<br>  　　　　　　　　　　　<br>  大ボスさんは、｢戦争にならない。戦争を避けるために必要なんだ｣ とおっしゃいます。<br>  戦争の準備しといて ｢戦争にならない｣保証をするなんて、随分 白々しいし、無理ありますけど、、、。<br>  ・・・当たり前ですけど、実際、いろいろな国の部隊で方々で戦闘が起こっている訳ですし、、、。蒙古襲来ではあるまいし自衛隊だけが神風でそこから外れる、なんて、ヤル側の人たちの本音だって、多分そんなこと思ってもいないでしょう。｢自衛隊 安全｣ を口にする人たちだって、いまのうち、審議してる段階だけ、事務方だけ、の方便は先刻 承知の発言ではないでしょうか。いずれは何かが必ず起こる・・・・。その時はその時の方便です。「どうしたって必要だったんだ」「避ける努力した結果なんだ」「こんなの戦争の内に入らない」??? なんてね。<br>  そして、、これは・・・私の予感ですけれど、やがてもっともっと、、、遙かに大きな、想像を絶する、皆さんにも直接関わる大変な事が必ず起こる!!!!　きっと私はもう居ないでしょうけれど。。。<br>    　　　　　　　　　　　<br>  で、私の立場から考えます。結論から申し上げれば、私の考えは、やはり「戦争反対」です。説得力、ないですか？<br>  その先にもっともっと・・・根源まで辿り着く必要がありますが、それは後に回しましょう、戦争＝防衛問題で言えば、間違いなく「戦争反対」です。たゞこの問題に限らず、「労働法制」にしたって何にしたってそうですが、すべての問題にはこの社会の同じ根源がありますから、表面だけでは解決しようがありません。最終的には、そこまでを考えなければ・・・・・。<br>  だから私は大胆に明確にハッキリと言い切ることができるんです、相手から言わせれば、じゃぁ「防衛反対」なの？ってなるでしょう、そうです、だから大胆に言いますょ、私は「防衛反対」です。でなければ戦争は不可避じゃないですか！！<br>  　　　　　　　　　　　<br>  ｢国民の生命と財産を守る｣ 意識の先には、当たり前ですが、どこかに相手が居るんです、今それが誰か分からなくても・・・、っていうことは、どこかの相手からすれば今度はこちらがその相手、だから、いつだってどこだってどこかで相手対相手、です。どこかの相手がいる以上、その意識は永遠に続きます。その意識が続く以上は、相手も永遠に相手です。。。まるで無限の輪っかですょね。これじゃぁ埒があきません。人の世界、なんでこんななの？？<br>  その辺を考えていきたいと思うんです。<br>　　　　　　　　　　　<br>  　　　　　　　　　　　<br>　まず直接それに入る前に、事前にいくつか問題提起です。問題を進める上で、頭に置いておいて欲しいこと・・・を先に提案させていただきます。その後でいよいよ本論に入りたいと思っています。<br>　　　　　　　　　　　<br>①まずは、最初の問題提起です。『人の世は、人の世なのに、人の思い通りには動いていない』 。まるで当たり前のように・・・、です。　そんなの当たり前・・・？　確かにそうですょね、でも、なんでそうなの？<br>　この世界、人間の社会ですが、人間、必ずしも自分の思いどおりには動かせていませんょね、自分の世なのに、、、です。<br>　その底に何が潜んでいるのでしょう？・・・人間の社会って？？　その究極問題・・・人間、って？？<br>　最終的にはこんな事も考えなければいけなくなるのかな・・・と思いますので、今のうちに、、、最初に、、、できれば辿り着きたい終着点・終局目標として、すべての方に意識しておいていただければな・・・と思っています。<br>　　　　　　　　　　　<br> ※ 何とか景気をよくしようと、日本もアメリカもドイツも中国もいろいろ手を打ってます。でも、なかなか思い通りにはならないみたいです。"景気"って、人の意志に拠らないもの、、何とか手を打ってでもご機嫌取りしなければならないもののようですね。それもなかなか気むずかしい・・・とても思い通りになんかならないもの、みたいです。景気って何様なの？？ この世界、本当に人様の世なの？ まるでご主人様は他にいるみたい。。。人じゃない誰か様の気分で動いてる？それって一体なんなんでしょう？<br>　　　　　　　　　　　<br> ※ ＩＳなんて国でもないものがある程度の地域を我がものにして、大国ｻﾝもそんな事態をなかなか収められないみたいです。ほかのテロ組織だってあっちこっちで蠢いてます。でもそれって、それらに参加するメンバーがいる限り、どんな形にしろ存在し続ける事でしょう。いくらあっちこっちの組織を殲滅したって、参加しようとするメンバーを生み出す社会の現実がなくならない限り、いたちごっこは終わらない・・・んではないでしょうか。だから、なんでメンバーが後から後から生まれるのか、そこをやっぱりなんとかしたいところでしょうが、やはり思い通りにはいかないみたいですょね。元をなくすはおろか、各組織さえ殲滅できないでいるのが現実で、元々の解消なんてどうしていいのかさえ全然分からない？だから、対症療法で組織殲滅に躍起になるしかないんでしょう。でもその元、って、ひょっとして、なんとかしようってしてる自分自身なのかもね、、 だったらもうどうしようもないじゃん、、、自分も殲滅しなきゃぁ。。。？？　少なくとも、自分も関わってるのは多分、間違いないところでは？ 一体全体、どーなんだろう。どーなってんだろう。<br>　人の世の現実に、人様、どうしたらいいのかまるで分からないでいる？やっぱり、ご主人様は他にいるみたい。。。人じゃない誰か様の気分で動いてる？それって一体なんでしょう？<br>　　　　　　　　　　　<br>　人の世って、自分達の世なのに、どうしてこんななんだろう？その底になにがあるのか・・・最終的にはそれを考える必要がある。。。と思います。<br>　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　　　　　<br>②次は、『当たり前って本当にそう？』 っていう問題提起。<br>　人って、いま自分が思っていることが当たり前だと思っている、、、いまの自分が当たり前に当たり前の自分だと思っている、、、んじゃないかと思います。それって本当にそうなの？っていう問題です。ひょっとして自分は作られてる、んじゃない？<br>　　　　　　　　　　　<br>　生まれた時、当たり前ですが、なにも知りません。やたら口に持ってって甘いだの辛いだの痛いだの・・・って経験し、快感も苦痛も知るのでしょう。世界はそういうものだ・・・ってだんだん知って行く。やがてママを知り、周りの環境も知って行き、・・・他人との接触が始まれば周りの社会も、・・・大きくなるにつれて、やがて、世界のことも・・・、あ、こういうものなんだ・・・って当たり前に思うようになる。。。そうして形成されているのがいまの自分・・・なのでしょう。だから、いまある世界の全部が、それが当たり前の世界だと思っている・・・そういう自分になっている。。。<br>  　　　　　　　　　　　<br>　歴史のお勉強で過去は違ってた事も教えられたけど、それはあくまで過去の事、今ある世界はこれが当たり前の世なんだ・・・と。縄文時代もあったけどそれはあくまで過去の事、いまの世は、どう見たって当たり前に今の世界・・・なんですょね。そう思っている自分。。。ことほど左様に身の回りのシステムも道徳も家族も生活の仕方も・・・ありとあらゆる身を包むものが・・・、当たり前、の世界、なんですね。そういう自分なんじゃないですか？<br>　　　　　　　　　　　<br>　それって本当？　 いえ、あの世があるかも・・・なんて問題ではありませんょ、あくまでもこの世の話しです。<br>　いまの世界は生まれた時からいまの世界。・・・で、これからもずーっといま世界。。。そう思ってる自分。。。<br>　勿論、いろいろ認識していく過程で、都度、自分の判断がありました、だからいまの自分は本当の自分・・・、なんですね。<br>その自分がいま生きているのは今の今、だからこの世界はこれなんです、これしかないんです。たった今の世界はこれ以外ない。それは誰でも受け容れるしかありません。で、これ当たり前の世界です。そして明日はこの続き、、明後日も。。。誰が見たって。・・・そして、そう思ってる自分？？<br>　　　　　　　　　　　<br>　でも、そのいままでの "判断" に思い込みってなかったの？ この世界をたゞたゞ当たり前だと思ってる・・・ひょっとしてそれって思い込みなのかも知れません。<br>　たゞたゞ思い込まないで、批判的にも考えてみてこそ、、改めて、そこに自分の判断を加えてみてこそ、、初めて本当の自分になれるんじゃないですか。<br>　一度すべてを疑ってみてはいかがでしょう？いえ、誰かを疑ったりしちゃいけません、自分を・・・です、自分の思っていることを・・・です。自分の思っていることすべてを白紙に戻して、あらゆる事を、当たり前としない"０"から考えてみるんです。社会のシステムも道徳も家族も生活のあり方も・・・。<br>　　　　　　　　　　　<br>　最も身近な一例＝家族って、当たり前なの？　お金って、当たり前なの？　財産って、当たり前なの？　この社会って、当たり前なの？<br>　当たり前のいままでの自分は、ひょっとして、作られてる自分かもしれない、知らないうちに、、無意識のうちに。。<br>　・・・馬鹿げてると思われるかもしれませんが、当たり前にいま生きちゃってるので、それを一度思い返してみてもいいんじゃないですか？<br>　過去のことかも知れませんが、家族がなかった時代もあったんです、お金がなかった時代もあったんです、財産なんてなかった時代もあったんです、人間にとっていつだって当たり前だった訳じゃない・・・だったら、なんで今、当たり前なの？なんでこれからも当たり前なの？・・・当たり前で済まさないで、なんで今 当たり前になったのか、それを考える価値があるんじゃないですか？そうして初めて、当たり前になる理由があってこそ今はこうなっている＝理由があって今は当たり前になっている、ことが分かるんじゃないですか。ていう事は、決していつだって当たり前にこうなってる訳じゃない、筈なんですね。決して当たり前なんかじゃないんです。不変の当たり前なんてない筈なのに、なんでもかんでも当たり前にしちゃってる？かもしれないですょ。それを思い返してみませんか。<br>　　　　　　　　　　　<br>　これが私の２番目の提案です。但し、例に挙げたこれらの一項一項を突然、考えるのなんて不可能です、実際に考え直す手がかりがなければ、勝手な空想を積み上げるしかないでしょう。<br>　私の提案は、・・・なんであれ何かを考えていく時に、それまでの自分に固執しない、何ごとも自分の常識を前提にしない、ところから、、、すべての前提を拭ったところから、再出発してはどうですか、・・・というところにあるんです。<br>　「あり得ない～！」って思った時こそ、逆に自分を思い返すチャンスなんじゃないですか？<br>　　　　　　　　　　　<br>　無意識というのは多分恐ろしいもので、知らないうちに、当たり前として他者を却下してる可能性があると思うんです。<br>　だからこそ、妙な変な見解に出会った時にこそ、即座に却下しないで、自分の方を白紙に戻して、"０"から思い返してみることを提案したいのです。<br>　ええーっ、あり得ない～！と思った時こそ、一度、自分を捨てて欲しいんです。<br>　　　　　　　　　　　<br>　で、くどいですけどもう一例だけ。。。<br>　一夫一婦制って、当たり前？　 ・・・って、ええーっ、でしょ？ 決まってるじゃん！ 聞く方がどうかしてる！！ ウワキはダメョ！ 絶対ユルセナイッ！！<br>  　　　　　　　　　　　<br>　・・・それを、「あり得ない～！」で済ませないで欲しいんです、それがその時の自分にとって都合のいいものなら、尚更「あり得ない～！」になりそうですょね、そんな命題に出会った時こそ、その時は・・・、そんな時こそ・・・、ええーっで即却下！！なんてあっさりかたづけない、 それこそ自分で自分を囲い込まないで、、自分に固執しないで、、一度、自分を "０" にしてみて欲しいんです。<br>　ウワついたのを推奨するつもりはないですけれど、実際いまだって、世界には現実に真剣に一夫多妻なんてのも相当フツーにあるんですょね。そこ行ったら一夫一婦制の方が「ええーっ！」かもですょ。日本だって暫く前までは、裕福な一部にしろ "側室" なんてのもおおっぴらにあったんじゃなかっけかな。。。それこそ当たり前だったんです！！<br>　要するに、どれにしたって家族形態なんですょね、その時その場所での事情に応じた・・・。そこではそれが当たり前。。。・・・なだけなんじゃないでしょうか？<br>・・・こうなると、家族そのもの、だって果たして当たり前なの？？って思えてきませんか？<br>  　　　　　　　　　　　<br>　たゞ、この件に、今、これ以上突き進むのはヤメにしときましょう、相当長い寄り道なっちゃいます。ひとつの非常識問題提起の例として挙げるだけにしときます。<br>　ですので、今は、もしこんな命題に出会ったら、、、いえ、これに限らず、あり得へんヘンテコな命題に出会ったら、、、バカにしないで真摯に向き合って下さいますようお願い申し上げるだけにしときます。<br>　このお願いに耳を貸さず、「あり得ない！」で何ごとも即却下される方がいらっしゃるとしたら、（ひょっとして作られてるのかも知れない）自分に囚われてる事になるんじゃないのかな、と、僭越ながら心配させていただきます。なんにしろ囚われの身では、人間にはなれません！！ものね。<br>　　　　　　　　　　　<br>③最後の問題提起は、『資本主義って当たり前？』『資本主義の中で歴史的変化ってないの？』っていうものです。意識したことありますか？<br>　いま生きてるのは、資本主義、っていう世界。これも歴史の一局面ですょね。チンパンジーと別れて・・・その後、ネアンデルタールなんて消えちゃった仲間もいたりして・・・、いろいろあって・・・やがて日本なら、縄文の世からだんだんに変わって今になりました、当たり前ですけど一気に変わった訳じゃありません。途中のどれかを飛ばすなんて事もあり得なかった。。。逆転なんて更にあり得ない。この当たり前の認識は、、私にとっても、当たり前です。「必ずしもそうじゃない」って問題提起があれば "０"に帰って考え直しますが、今のトコ、私にとって、この件で "０"に帰る起点がありません。・・・で、資本主義は、封建制から変わってきました。ならば、、では、この資本主義って一体どうるんでしょう？・・・っていう問題もあるんじゃないでしょうか。えっ、変わらない？当たり前にそう思っている？そんな自分、って、それって、まさか②の貴方なんじゃないですか？<br>　　　　　　　　　　　<br>　それに、歴史の各時代各時代だってその中でずーっと同じだった訳じゃありませんょね。縄文時代だって、早期だの前期だの中期だの後期だの晩期だのって、変化してきました。同じ貴族の世界でも奈良時代と平安時代じゃ変化してますし、頼朝さんの頃と家康さんの頃でも、大違いですょね。そして、それぞれ両方とも、逆転はあり得ません。同じような制度の中でだって、時間の経過で様子が違って来てたでしょう。時代、って、その中でも変わるんですょね、当たり前ですけど。。。同じ時代の中でもその様子が、、、世の中の様子が変わってきてました。そしてやがて最後に、その時代そのものが変わって、次の時代になって、、そうやってとうとう資本主義まで辿り着いたんでしたょね。つまり、時代が変わる前に、その時代の内部変化があって、やがて次の時代に変わって行く。。。資本主義だけはそんなことはない？・・・なんて勿論あり得ない！この資本主義の内部変化はどうなっているんでしょう、そして、今はどうなってるんでしょう？？・・・大変ですけど、これも見なければいけないでしょうね。これからの「戦争＝防衛問題」にも直接関わるんじゃないでしょうか。<br>　　　　　　　　　　　<br>　こんな事を意識しながら、もし問題に遭遇したら、自分を白紙に戻して "０"からの思いで考えていただきたいと思っています。<br>　随分長くなりましたけど、以上、「遺書」の前置きです。長ったらしくてすみませんでした。<br>
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<pubDate>Sun, 29 Nov 2015 12:10:52 +0900</pubDate>
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