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<title>ダメオヤジ改造の記録</title>
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<description>趣味、日常、ときどき仕事で備忘録を書いてます。</description>
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<title>自作鯛ラバの成果は</title>
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<![CDATA[ <p>前回は、錘製作でしたが、やはり針とスカートも作ってしまおうと、通販でシリコンシートを買って自作です。</p><br><p>寸法は市販品に準じました。</p><br><p>テストパターンで、レッド、オレンジ、イエロー、ホワイト＋ダークグリーンの4種類を製作。</p><br><p>ラインは、鯛なら比較的細くても大丈夫なのですが、なんとなく太めにしたかったので、スロージギングのフック用のＰＥ＋フロロ　105ｌｂ　を使いました。（太すぎる・・・）</p><br><p>針は伊勢尼　13号と11号　を使用。かなりヘビーな仕掛けになりました。</p><br><p>先日、テスト釣行してきたのですが、ちょうど大雨の後で真水が入っていてコンディションはあまり良くない状態。</p><br><p>成果は、</p><p>カサゴ　25ｃｍくらい　3匹</p><p>イトヨリ　25、30ｃｍ　（これは鯛ラバに海老をつけた、「海老ラバ」で釣りました）</p><p>真鯛　　40、50、55ｃｍ　</p><br><p>でした。自作の誘導式鯛ラバでも釣果は出ることを確認できました。</p><p>食いが悪いので、持っている全種類のカラーを試してみました。</p><br><p>イエロー系でカサゴ2匹</p><p>ホワイト系で40ｃｍ真鯛</p><p>ホワイト系＋海老でイトヨリ２匹、カサゴ1匹</p><p>オレンジ系で50、55ｃｍの鯛</p><br><p>でした。レッド系はイマイチ反応がありませんでした。</p><p>水潮で透明度も落ちてましたので、明るい色のほうが良かったようです。</p><br><p>釣果が出たので、スカートのメンテナンスと改良版製作を実施。</p><p>また、食いが渋い時用に、誘導式のテンヤ仕掛けも自作中です。</p><br><p>次回の釣行は7月の予定です。</p>
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<pubDate>Thu, 12 Jun 2014 09:31:30 +0900</pubDate>
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<title>鯛ラバつくり</title>
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<![CDATA[ <p>今月は、久しぶりに釣りに行きました。</p><p>狙いは、鯛とアオリイカ。</p><br><p>釣果は、お昼前から海が荒れたので、半日の釣りでしたが、</p><p>真鯛　35cm～60ｃｍ　が7匹と、ほぼ入れ食い状態。</p><br><p>のっ込み真鯛の群れにあたったようです。</p><br><p>道具は、鯛ラバです。</p><br><p>寄せて釣る餌釣りとは違い、魚のいるポイントを探しながら狙いますので、船頭さんの腕がよければ、釣果が期待できます。</p><br><p>船頭さんに感謝です。</p><br><p>アオリイカは、海が荒れてティップランできる状態ではなかったので、あきらめました。</p><br><p>で、鯛ラバですが、市販の鯛ラバではなく、鯛釣り用の重りに自分で着色し、針とスカートは誘導式鯛ラバの市販品を購入して付けてあります。</p><br><p>市販品は、高いので半自作仕掛けです。</p><br><p>今回、その鯛ラバの調子が良かったので、自作の誘導式鯛ラバを作ることにしました。</p><br><p>重りは、鯛玉にラッカーで着色し、反射シートを張って表面をコーチング。</p><p>とりあえず、色は赤、オレンジ、黄色、緑、青、蛍光ピンク　です。</p><br><p>昔、ガンプラ作ってましたので、下地つくりでメタルプライマ吹いて、明灰色で下塗り。</p><p>明灰色は、輝度もそこそこあるので、明るめの色を上に乗せても塗り斑が出にくい経験がありましたので。</p><br><p>今回は、なんとなく金属感を残したかったのでう、メタルシルバーを一回吹いて、その上からクリア系の色付けをしていきました。</p><br><p>昔ガンプラの「百式」を作るとき、金色をそのままぬると質感がイマイチだったので、下地にシルバーを塗りその上からクリアイエローを重ねて重厚感を出したテクニックそのままです。</p><br><p>まあ、この作業が釣果に結びつくわけではなく、ただ単に趣味の世界なのでどうでも良いと言えばいいのですが。</p><br><p>そのあと、目玉に反射シール貼って、クリアのウレタンコートをして重りは終了。</p><br><p>針とスカートはまだ素材が揃っていませんのでてを付けていませんが、市販品をお手本に、カラーバリエーションをそろえようと思ってます。</p><br><p>ゴカイ食ってるときと、甲殻類食っているときと、ベイトフィッシュ食っているときで、多少カラーは変える必要があるのかな？と思ってます。</p><br><p>実証実験しなければいけませんが、そんなに釣行回数多くないので、ただの自己満足になりますが。</p><br><p>とりあえず自作のしかけで釣れれば、それだけで嬉しいものですから。</p><br><p>次回の釣行は6月か7月ですので、それまでには5セットくらいは作る予定です。</p><br><p>5セットでは初期投資金額を回収できませんが、まあ、長期で考えたら安く上がるかもしれません。</p><p>それも、作ったしかけが有効ならのはなしですが。</p>
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<pubDate>Tue, 13 May 2014 09:52:52 +0900</pubDate>
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<title>3月の天気予報は難しい</title>
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<![CDATA[ <p>3月9日は、久しぶりに船で海に。</p><p>等圧線が緩くなり、風がおさまるという予報でしたが、予想に反して、すごい北風。</p><br><p>当然、遠方の釣り場には行けません。</p><br><p>風の弱い午前の早い時期に、なんとか行けそうな場所に行きました。</p><br><p>狙いは、鯛、カサゴです。</p><p>鯛ラバで狙います。</p><br><p>海にはベイト反応が結構あり、ジギングで青物狙いの船もおりました。</p><p>当日は、寒波の真っただ中で気温は１℃くらい。</p><br><p>海は黒潮が入っているとはいえ、潮は気温の1か月遅れくらいでしか上がらないようで、魚の活性が上がりません。</p><br><p>当たりがあってもショートバイトで針掛かりしません。</p><br><p>たまにヒットするとエソのようでフックを噛み切られること多数。</p><br><p>まだこのコンディションでは鯛のルアー釣りはきびしいようです。</p><br><p>5月になれば、活性が上がってジギングでも釣れるようになるでしょう。</p><br><p>今のシーズンはだいたい魚があまり釣れないので、船釣りではモイカを狙うそうです。</p><br><br><p>昼近くになると、風が強くなったので、湾内に避難しました。</p><p>湾内の静かな場所で、オプションで準備していた一つテンヤをやりました。</p><br><p>掛った場所はカワハギの巣だったようで、エビは瞬殺されました。</p><p>テンヤでは針が大きいため、なかなかカワハギを掛けるのは難しく、餌だけとられます。</p><br><p>たまに、テンヤにキビナゴをつけて下ろすと、カワハギ以外と思しき当たりがあります。</p><p>（キビナゴが1回の当たりで丸ごと無くなっていたりする）</p><br><p>餌落ちしないように、テンヤにバイオシュリンプをつけて下ろすと、海底付近でカワハギのような微妙なあたりがありました。即合わせを入れると待望のヒットです。</p><br><p>カワハギにしては引きが強いが、鯛だとそんなに大きくない（20cmくらい）と思いながらあげると、養殖逃げの少し黒みがかった鯛（30cm）でした。</p><br><p>その後、カワハギの当たりはありますが、ほとんど掛からず納竿しました。</p><br><p>釣果は、</p><p>鯛　30cm　　１</p><p>カサゴ　25cm　１</p><p>カワハギ　　20cm　１</p><p>エソ　　　　30cm　　１</p><br><p>でした。とりあえず、5月まで釣行はお休みしようかと思ってます。</p><p>当面は、鯛玉つくりをすることにします。</p><br><p>歯の鋭い魚対策でハリスにワイヤをいれようかと思ってます。</p><p>昔、ケプラー繊維のハリスを使っていた人がいましたが、エソやサゴシでは切られてしまうそうです。</p><p>しなやかさが失われるので、釣果に影響があるかもしれませんが。</p><br><br>
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<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 17:32:50 +0900</pubDate>
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<title>来週は出られるか？</title>
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<![CDATA[ <p>今度の日曜日は半年ぶりに、船で海に出る予定。</p><br><p>残念ながら、寒波が来てますが、日差しは春になってきてます。</p><br><p>鯛狙いですが、鯛は4月中旬以降でないと、なかなか活性が上がってきません。</p><br><p>鯛ラバ、ジギングがメインとなりますので、水温が低いとちょっと釣果が・・・</p><br><p>鰤が少し上がっているようですので、間違って掛ってくれれば良いですが。</p><br><p>とりあえず、出れるようなら出てきます。</p>
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<pubDate>Thu, 06 Mar 2014 11:05:34 +0900</pubDate>
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<title>学校教育における新聞会社</title>
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<![CDATA[ <p>先日、朝日新聞系の会社から、地元の中学校に朝日新聞を無料で配布するために、寄付してほしいとの連絡がありました。</p><br><p>中学生に新聞を読ませることは、世情を知る上で確かに大事なことかもしれません。（活字離れもありますし）</p><br><p>でも、私が中学生の時に、読書感想文で書くように言われた書物は、朝日新聞系の書物を指定され、それ以外の書物はダメでした。（今はどうか知りませんが）</p><br><p>また、受験には朝日新聞の天声人語を読めば役に立つとも言われました。</p><p>朝日新聞は家ではとってませんでしたし、学校でも読む気が無かったので読んでませんが、受験生はそう言われると読んでしまいますよきっと。</p><br><p>（私は「読め」と言われても、読みたくないものは読みません。</p><p>前述の読書感想文では、宿題は出さないと怒られますので、感想文ではなく、あらすじに適当に感想らしき文章を記載して提出しました。</p><p>太平洋戦争後の戦争犯罪検証ぽい本でした（なんとなく題名が分かると思います）。</p><p>自分は祖父が戦争に行ってまして、戦争時代の話を少し聞いてましたので、その本の内容には何の興味もわきませんでしたが。）</p><br><p>でも、おかしくないですか？</p><p>朝日新聞社系の情報だけを学校教育で取り上げて、それを教材にして教育することに先生は何も感じないのでしょうか？</p><br><p>情報の取捨選択は個人の裁量ですが、あまり情報の選択肢を持たない子供に最初に教え込むのが「朝日新聞」というのはどうも・・・・今は昔と違ってインターネットの情報で情報を収集できますので、昔ほどの影響力は無いのかもしれません。</p><br><p>まあ、他の新聞社がそのような活動をしていないのかもしれませんが。</p><br><br><p>私の感覚として　「選択肢を持たせない情報提供は為にならん」ということで、お断りさせていただきました。</p><br><p>その会社の人は、「なんでダメなんですか？（理由を聞かせろ）」と言ってきました。</p><p>そのフレーズは、「そっち系の人がよく物品購入を迫るときに言ってくる」内容と被ってますよ。</p><br><p>「こちらはあなたと不毛な会話をしたくない」という意思を込めて、「オタクの企画に賛同できません」とだけ答えて電話を切りました。</p><br><p>まあ、ただ単に朝日新聞に対する私のイメージが悪いだけの話なんですがね。</p><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 05 Mar 2014 11:43:39 +0900</pubDate>
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<title>楽しいですか？きっと楽しいんでしょうね。</title>
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<![CDATA[ <p>ひさしぶりにかきこみます。</p><br><p>年末年始にかけて、かなり宴会が続きました。</p><p>それぞれ、集まるメンバーや主旨が違いますので、会自体は同じではありません。</p><br><p>小さい田舎町の性で、集まるメンバーは同じような顔ぶれになりますけど。</p><br><p>私は、普段は飲酒しませんが、宴会の時は人並みには飲みます。</p><p>人とも話はしますが、どちらかというと聞き役になってしまいます。（情報泥棒ともいいますが）</p><br><p>なかなか発信する話題が少ない（普段の感動がすくない？）のと、趣味がマニアックなもので、話が継げません。</p><br><p>経済界の話は、ある程度食いつきますが、ちょっと勉強不足ですね。（専門知識の幅が狭い・・・好奇心の問題なんでしょう）</p><br><p>で、だいたい１次会は楽しく、２次会は惰性、３次会は我慢大会のような感じです。</p><br><p>１次会で話せない内容を２次会で、２次会でも話せないようなディープな話を３次会でというのであれば、私も喜んでお付き合いしますし、有意義に感じますが、１次会からほとんど話題変わってない場合は、そう感じてしまいます。</p><br><p>飲んで他愛もない話をすることが好きな人には、きっと楽しいんだと思います。</p><br><p>私は、１次会で話せない内容は、会ではなく個別でなければ話せないと思ってますので、２次会以降は本当はお断りしたいです。主催者への義理だてで参加していることがほとんど。</p><br><p>スナック、バー、キャバクラ行っても楽しいと思いません。</p><p>まだ、感性がお子様なんでしょうね。きっと。</p><br><p>そういう社交場をうまく使えないところが弱点です。行きつけのお店もありません。</p><p>自己中心的で、他の人を喜ばせようという気がないんでしょう。</p><p>「この店で味わった雰囲気、時間、空間、味を他の人にも伝えたい」と思ったことすらありません。</p><br><p>ですから、芸術作品に触れても、特に感動しません。</p><p>「上手だな」「きれいだな」とは感じても、「涙を流して感動する」ことはありません。</p><br><p>自分が感動し、食指が動くのは、自分が実際に体験すること、もしくは体験した経験に対する擬似体験や共感だけのような気がします。</p><br><p>結局は、「自分にしか興味が無い人間」ということですね。</p><p>自分に直接関係しないことに対しては無関心なわけです。</p><br><p>けど、人間は皆一緒です。まず「自分」です。</p><p>どんな「自分」が好きかということだけの違いでしょう。</p><br><p>その人の感心の広さと深さ（「感性」というのでしょうか）によって、感動する範囲が決まるのでしょう。</p><p>それに、実行力、責任感、包容力なんてものが合わさって「人間の大きさと厚み」になるような気がします。</p><p>さまざまな修羅場を体験することで、磨かれていくんでしょう。きっと。</p><p>ですから、今の自己中心的無感動主義は、その成長の機会を逃がしているのかもしれません。</p><br><p>その機会がかなずしも外に飲みに出ることだけではないですけどね。</p><p>でも、ドラクエではないですが、雑魚をさんざん倒して、ボス敵に遭遇するのと同じで、一朝一夕にはいきませんし、いきなりボスに合えば瞬殺必至ですから、力もつけてないと機会をモノにできませんし。</p><p>やっぱ、「何か」に日々精進していかないとダメなんですね。</p><br><p>宴会が好きか嫌いかだけの話だったんですけど・・・嫌いなものも体験していくうちに人間形成の一助になるかもしれないということで、今回は筆を置かせていただきます。</p><br><p>すいません。支離滅裂な文章書きました。</p><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aizen88/entry-11754175353.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Jan 2014 16:51:40 +0900</pubDate>
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<title>適応機制？</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Wed, 11 Dec 2013 10:36:51 +0900</pubDate>
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<title>人生の幕引きがありました　４</title>
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<![CDATA[ <p>その後、義父は小康状態ではありましたが、体力は確実に失われて行きました。</p><br><p>腫瘍がいたるところにでき、特に左脚は通常の倍以上に大きくなっていました。</p><p>ですから、寝返りを打つことも難しく、背中の向きを帰るのも、必ず重たい左側を下にした状態でしか動くことができません。</p><br><p>当然立てませんし、歩けませんので寝たきり状態となりました。</p><br><p>腎臓や膀胱の近くにも腫瘍ができていたため、排尿も管を入れて行うようになっていました。</p><br><p>一度、尿道からの感染症で発熱しましたが、その時は弱い熱程度で済んだようです。</p><br><p>沈痛治療に入り、動けなくなってからは、本人はしきりに「家に帰りたい」と言っていたそうです。</p><br><p>医師も「熱が下がれば帰れる」ということで、帰宅準備のため、車椅子や介護用ベッドの手配、また、要介護者の申請等を行いました。</p><br><p>義父の症状が落ち着いて、そろそろ帰宅できると思っていたある日のことです。</p><br><p>義父の知人で、同じ悪性リンパ腫の治療を受けて回復した方が、たまたま義父の見舞いにご自分の診断書と経過報告書を持って来て、義父に頑張れば治るというお話をしていた時だそうです。</p><br><p>急に義父の容体が変わり、特に苦しむことなくそのまま心臓停止したそうです。</p><br><p>その場には、義父の友人、義母、伯母と看護婦さんがいたそうですが、心拍停止したため医師が駆けつけました。</p><br><p>そして、義母の確認で、午前11時30分に死亡確認されました。</p><br><p>当時は、私は会社、嫁さんは子供の用事で留守にしており、連絡を受け、子供を迎えに行って病院に着いた時には、すでに亡くなった後でした。</p><br><p>医師からは、状況説明を受け、悪性リンパ腫が直接の死因ではなく、腫瘍による圧迫、もしくは血栓により血管が閉塞し、血流が断たれたことが原因であろうという主旨の話がありました。</p><p> </p><p>死因を特定するのであれば、開腹施術を行い、血管の閉塞箇所を調べなければならないそうです。</p><p> </p><p>親族としては、抗がん治療で苦しんだ義父の身体をこれ以上傷つけたくないし、一秒でも早く自宅に連れて帰りたい思いで、死因詳細の特定はお断りさせていただきました。</p><p> </p><p>亡くなった後に何を騒いでも、何もなりませんし、助からない覚悟はできていました。</p><br><p>子供達、特に息子は精神的にショックがあったようです。</p><p>当然、集まった親族も悲しみに沈んでいました。</p><br><p>そして、他の親族に連絡を取るべく電話をかけていました。</p><br><p>私は、親族に比べ冷静に出来事を受け止めていたように思います。</p><br><p>すぐに、義父の後輩にあたる葬儀社に連絡し、義父を連れ帰る準備を手配しました。</p><br><p>義母も伯母もしっかりした人なので、すぐに義父を連れて帰る準備に入り、身の回りの整理に取り掛かかりました。</p><br><p>私は、取りまとめた荷物を車に積み、葬儀社に連絡した時間までに霊安室に移動するように義母に伝えて、家の準備に帰りました。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aizen88/entry-11619911860.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Sep 2013 14:17:23 +0900</pubDate>
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<title>人生の幕引きがありました３</title>
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<![CDATA[ <p>モルヒネによる鎮痛治療に切り替わってからは、痛みは感じなくなったようですが、本人曰く、「目の前に水が流れていたり、歪んだ絵が浮かんでいたりする」ように、幻覚のようなものを感じていたようです。</p><br><p>医師は、幻覚症状が出るような量は投与していないということでしたが、個人差があるのかもしれません。</p><br><p>沈痛治療に入ってからは、薬を入れる点滴もほとんどが外され、診断装置の端子もほとんど外れました。</p><br><p>本人も早くから、外そうとしてひっぱたりしていましたので、望み通りになったわけですが・・・。</p><br><p>沈痛治療に入った（もう時間の問題であること）を本人には告知していませんが、抗がん剤を入れなくなったことは分かっていますので、精神的な支えが途切れたようでした。</p><br><p>以前より、弱っていく速度が速まったような気がします。</p><br><p>私は、プライドの高かった義父が、私に弱っていく姿をあまり見せたくないだろうと思い、必要最低限の面会しか行きませんでした。（義母、叔母、嫁さんがきちんと看病していましたので）</p><br><p>そして、私の実父に事情を話し、お見舞いに行ってもらうように言いました。（義父より、私の実父には、まだ面会に来ないように言っておいてほしい（治って退院するつもりだったので、心配をかけたくないと思っていたようです）と言われていました。）</p><br><p>義父は実父と話して、実父の手を握って、「後のことは頼む」と言ったそうです。</p><br><p>実父は、面会から帰ってから「もう長くはもたないよ」と言ってました。</p><br><p>最近同じ病気で知人を亡くした経験があったので、そう思ったようです。</p><br><p>私は、医師からは、「悪性リンパ腫で急に亡くなるような状況ではないが、心臓もしくは脳の病歴があるので、そちらが原因で突然亡くなる可能性はある」と説明を受けていましたので、「今年いっぱいは大丈夫だろう」と考えていました。</p><br><p>沈痛治療に入って、1週間くらいたった時、義父は精神錯乱のような状況になりました。</p><br><p>献身的に看病していた義母を、敵視するような目で見たり、言動をするようになりました。</p><br><p>義母のことは認識したうえで、昔の出来事を思い出したように、義母を責めるような言葉を口にしていたようです。</p><br><p>義父の生に対する切羽詰まった意識の混乱だとは思いますが、自分の健康を後回しにして看病していた義母のほうは、精神的ショックで取り乱してしまいました。</p><br><p>病院からは、義父の精神的ケアのみならず、義母の精神的ケアのため、精神科のカウンセラーの手配や、義母が常時看病に着くのではなく、義父が落ち着くまで自宅で休養を取るように勧められました。</p><br><p>義母は、２日だけ自宅に帰って、休養しましたが、義父の状況がある程度落ち着いたことを確認したら、すぐに病院に戻りました。</p><br><p>本当に、義父と義母は深く結びついていると感じました。</p><br><p>他の入院患者さんでも、ここまでしっかりと看病をする奥さまはほとんどいないそうです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/aizen88/entry-11614983131.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Sep 2013 13:56:21 +0900</pubDate>
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<title>人生の幕引きがありました　２</title>
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<![CDATA[ <p>抗がん剤治療は、薬が適合すれば症状が改善されますが、その適合する薬がなかなか見つからないことがあるようです。</p><br><p>抗がん剤は細胞毒で、癌細胞と正常な細胞両方とも殺し、正常な細胞の増殖スピードと癌細胞の増殖スピードを比較して効果を計ります。</p><br><p>ですから、かなり体力勝負の部分があり、抗がん剤治療を行う度に、本人はどんどんきつくなったようです。</p><br><p>また、最初の抗がん剤の効き目が良く、小康状態になった後、悪化して再度抗がん剤治療を始めると、薬が効きにくいという事例も多いそうです。（人から聞いた話ですが）</p><br><p>6月に入院し、2種類目の抗がん剤治療をしていた時は、本人もかなり厳しそうで、精神的にも爽鬱を繰り返していました。</p><br><p>ただ、治って家に帰り、会社に出て仕事ができるようにと、携帯電話でいろいろな業者や友人に連絡をとり、復帰するための気力を断たないように努力していたと思います。</p><br><p>中には、通常の判断ではやらないような内容の依頼もありましたので、かなり精神的に追い詰められていたように思います。</p><br><p>3度目の抗がん剤治療を開始する準備で、腕や足からは薬が入れられなくなっていたので、心臓の血管に抗がん剤を入れられるように血管にカテーテルを通す手術を受けました。</p><br><p>その時、心臓の血管が細くなりすぎていて、カテーテルが通らず、これ以上薬が入れられない状態であることがわかりました。医師も数時間いろいろと他の手段を探しましたが、本人の心臓がショック状態となり、手術は中止し、心臓の処置に入りました。</p><br><p>この時、もしものことも考えられましたので、家族が呼ばれ、状況の説明を受けました。</p><br><p>心臓のショック症状は治まり、容体は回復していましたので、「もしも」はありませんでした。</p><br><p>義母は義父が入院してから泊まりこみで看病していましたので、義父の苦しみをずっと見守っていました。ですから、「これ以上抗がん治療はできず、沈痛治療に移行したい」という医師の提案を、「少しでも苦しみが和らぐなら」と承諾し、医師に義父の状況を説明していました。</p><br><p>その場には、義母、叔母、嫁さん、私が立会ました。私以外は、涙を流し悲しんでいました。</p><p>私は悲しいという感情はあまり感じませんでした。ただ、医師の説明を冷静に聞いている自分がいました。</p><br><p>ちょっと前ならば、悲しいふりをするという姑息な考え方をしていたように思います。</p><br><p>でも、それは自分として違うと思いましたので、素の自分で現実を見ることにしました。</p><br><p>自分を偽ることが、回りの人に対して失礼だと感じたのかもしれません。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aizen88/entry-11612720911.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Sep 2013 09:25:41 +0900</pubDate>
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