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<title>三毛のミケの独り言</title>
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<description>時々の出来事を、自分なりの視点で感じたままに書いてみます。</description>
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<title>伝統は誰かの思いつきから始まったという事</title>
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<![CDATA[ <p>『成人の日』の行事は、今や様々な名目で呼ばれているが、以前は『成人式』と呼ばれていた。その前身は戦後間もなく埼玉県の蕨で始められた青年団の、当時の団長の呼び掛けであったことは結構知られている。</p><p><br></p><p>古今東西様々な伝統があるけれど、それらは多分誰かの思いつきで始まったのだと思う。</p><p><br></p><p>例えば、富士山の近くの市で行われている夜中に大きな松明を沢山焚く奇祭と呼ばれている祭り等は、始めた当初の集落の人口を考えたら、ほんの小規模の行儀だったろうし、それこそ誰かがほんの思いつきで始めた事に違いない。</p><p>その後、誰かが意味付けを加え、伝統が始まったのであろう。</p><p><br></p><p>宗教も同じかもしれない。</p><p><br></p><p>誰かが思いついた事柄が、伝統と呼ばれる行事になるという事への隔たりに何か違和感がある。</p><p><br></p><p>若い時にはそんなことは全く考えなかった。</p><p>と言うより、無自覚に積極的にそれらの行事に参加していた。</p><p><br></p><p>伝統的行事がある事に特に異論はない。</p><p>只、以前は普通に行われてていた秋の大運動会が(春の小運動会に対しての呼ばれ方)、現在は多くで春のに行なわれるようになっている。</p><p>そこには、様々な理由や原因があると思うが、要するに伝統は変化するという事である。</p><p><br></p><p>高齢者になってから気付く事が多いものだと思う今日この頃である。</p><p><br></p><p><br></p>
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<pubDate>Tue, 26 May 2026 13:42:01 +0900</pubDate>
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<title>ふと思い出した即席ラーメンのコマーシャルソングで思った事</title>
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<![CDATA[ <p>夕食の料理を作っている時にふと昔聞いた即席ラーメンのコマーシャルソングが浮かんできた。</p><p>定かな記憶ではないが</p><p><br></p><p>雨が降ってる日曜日</p><p>坊や泥んこ&nbsp; なぜ泣くの</p><p>あそこの角で転んだの</p><p>どうしてそんなに急いだの</p><p>-----</p><p><br></p><p>『坊や泥んこに』今の人々には違和感があると思う。</p><p><br></p><p>なぜ転んで泥んこ？</p><p><br></p><p>自分が子どもの頃には舗装された道はほとんどなかった。</p><p>雨が降れば、道はぐちゃぐちゃになったから、転べば泥んこになった。</p><p><br></p><p>なので、この歌を聞いていた頃には何の違和感も覚えなかった。</p><p><br></p><p>我々後期高齢者は</p><p>泥道を歩き、ポンプ式の井戸で水を汲み、風呂は薪で炊き、石油コンロで料理をしていた子ども時代を経験してきた。</p><p><br></p><p>少ない本数の満員電車で大学に通い、学園紛争に翻弄された。</p><p><br></p><p>社会人になって出張するのに今は無き夜行列車もよく利用した。東北自動車道は矢板までしかなかった。</p><p><br></p><p>銀行は３時に閉まり、ATM等はなかった。</p><p>結婚して、仕事を辞めて大学に行きなおそうとした時に、公務員だった妻の扶養に入ろうとしても、社会通念上という理由で拒否された。</p><p><br></p><p>今から考えたら不便で理不尽な時代を全て経験してきたと言っても過言ではないように思う。</p><p><br></p><p>だから今の時代の便利さとありがたさを実感出来る。</p><p><br></p><p>さて</p><p>現代に生きる子ども達はこの状況があたりまえの状態で生まれ育って来ている。</p><p><br></p><p>果たしてそれは幸せな事なのだろうか？</p><p><br></p><p>不便さを知っているから今の便利さがありがたいと思える。</p><p><br></p><p>しかし</p><p>今の便利さをあたりまえと思っている人々は、今後訪れるであろうAIが中心になる社会にしか便利さを感じないように思える。</p><p><br></p><p>自分としては、そんな世界はまっぴら御免だが、多分そんな社会が実現されるのを見る事無く消えていくのだろうね。それは結構幸いなのかもしれないと思っている。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12956807244.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Feb 2026 15:24:31 +0900</pubDate>
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<title>人間が絶滅危惧種であるという事について思った件</title>
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<![CDATA[ <p>何千年前かに人間の文明が始まり、緩やかに発展してきた。</p><p>その頃は、文明の発展と人間の精神の向上は相関関係があるように思える。</p><p>生物学的に考えれば、思考するという特性だけが他の生物と違い、その特性を持ったが故に他の生物に君臨する存在になっていった。</p><p>いわゆる、全ての環境での食物連鎖の頂点に立ったのである。</p><p><br></p><p>文明の発展に伴い人の間に格差が出来たが、全ての民俗でそれを正当化させるために、統治者を認める絶対的存在としての神を崇拝するという宗教が産まれるに至った。そしてその関係は現在まで続いている。</p><p><br></p><p>その間も生物としての人間のあり方はあまり変わっていなかった。</p><p>基本的には肉体的に強靭な男が仕事をし、子を産む事が出来る女が子育てをする事で人類を増やしていく事が人類の発展を支えていた。</p><p><br></p><p>しかし、</p><p>百年程前から科学技術が急激に進み、人間の精神と文明の発展には大きな乖離ができてしまった。</p><p>人類は思考するという特性、好奇心とそれを満足させるためには何でもするという特性の故か、精神の向上を待つことなしに文明の発展を押し進めた。</p><p>その結果は、最近五十年の驚異的な科学技術の発展に伴う生活の便利化にある。特にここ数年は加速度的に進歩している。</p><p><br></p><p>ネズミの実験によると、便利過ぎる環境に置かれた集団は様々な変遷を経て、やがて絶滅してしまうらしい。</p><p><br></p><p>我々人類は、かってないほど便利な生活を送っている。</p><p>それなのにまだAIを発展させ、更なる便利さを追及しようとしている。</p><p>正に飽くなき探求心である。</p><p><br></p><p>先進国では、生物学的な男が男たるを捨て、子どもを産める女が女であることを放棄する事が、現在のトレンドであるようだし、子育てに多額の費用がかかるとか、人口の増加は全く望めない状況である。</p><p><br></p><p>本来、生物は種の維持増加が存在目的であるが、人類はその目的すら超越した存在になってしまっているように思える。</p><p><br></p><p>絶滅危惧種である人類。</p><p><br></p><p>どの位先になるかはわからないが、多分地球上から人類が居なくなるのだろう。</p><p>そしていつかまた、違った新しい人類が発生するのだろう。</p><p><br></p><p>それでも地球は、地球として存在し続けるに違いない。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12950375589.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Dec 2025 16:11:23 +0900</pubDate>
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<title>お彼岸に墓参りに行って思った事</title>
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<![CDATA[ <p>お彼岸の墓参りに行ってきた。</p><p><br></p><p>私のお墓の前で泣かないで下さい。</p><p>其処に私は居ません。</p><p>眠ってなんかいません。</p><p><br></p><p>墓に骨以外入っていない事は分かっているので、手を合わせて頭を下げるが、墓に向かって何か語りかける事はしない。</p><p><br></p><p>それなのに何故、彼岸の墓参りを続けているのか？</p><p><br></p><p>単なる習慣でしかない。</p><p><br></p><p>自分は無宗教であるので、自分の死後は葬式もしないで海にでも散骨をしてくれれば十分であるし、子ども達にはそうしてくれるように頼むつもりである。</p><p><br></p><p>それにしても、寺は何故あんなに豪華なのだろう。</p><p>寺だけに限らない。世界遺産に指定されている豪華な宗教施設は無数にある。</p><p><br></p><p>キリスト教の大聖堂、イスラム教のムスク、仏教の寺院、神道の神社、ヒンズー教、etc.</p><p>それらが造営された時期はかなり昔で人口も少なかったのに、どうやってその費用を捻出したのであろう？</p><p><br></p><p>此処からは個人的な想像であり、何のエビデンスもないが</p><p><br></p><p>誰かが施設の建築を計画すると、必要な費用を信者に割り振り寄付させた。</p><p>その為には信者を増やす必要があった。信者が多くなれば、一人の負担が減るからである。</p><p>多くの宗教団体は信者を増やす為の活動が中心になり、その為に宗教戦争まで引き起こすに至った。</p><p>宗教団体は信者に、神は許したもうとか、地獄に墜ちるとかの言葉で自分達の正義を実現させる為の行動を強制した。</p><p><br></p><p>現在の日本では新興宗教の強引な勧誘とか寄付とかが、問題になっている。</p><p>何十年か前にも同じ様な事があったが、その宗教団体はある程度の信者を確保したので、今や問題とはなっていない。</p><p><br></p><p>世界で見れば、今でも宗教の対立は厳然として残っているし、昔なら正しかった教義に未だに縛られ、宗教上の理由で&nbsp; と言う人も多い。</p><p><br></p><p>重ねて言うが自分は無宗教である。</p><p><br></p><p>宗教が心の平穏の為のものなどとは思っていない。</p><p>というより、AIがますます発展するこれからの社会では、単なる古代の記念になってしまうようにも思うのである。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12934967024.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Sep 2025 15:00:29 +0900</pubDate>
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<title>久しぶりに地元の祭を見に行ったら、随分様変わりしていた件</title>
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<![CDATA[ 50年以上前に、地元で七夕祭が始まった。<br><p>何故始まったのかは覚えていないが、その頃は村で人口も少なかったけれど、駅から少しばかりの商店街では商店毎に工夫を凝らした笹飾りを展示し、競いあっていた事と、毎年、理髪店が最優秀賞を取っていて、露天も多数出ていて楽しかった事は覚えている。</p><p>近くの村々から遊びにくる人もいて、結構な賑わいであった。</p><p><br></p><p>その後、地元は人口10万超の市になった。</p><p>狭かった道は拡幅され、駅周辺の商店街は広がった。</p><p>整備された公園も増え、今回の祭の中心になっていた。</p><p><br></p><p>しかし、競っていた七夕の飾りはほとんど目にする事はなくなった。</p><p>露天も多くあったが、各商店が店先に祭用の商品を出しているのが目立った。</p><p><br></p><p>飾りは無かったが、フラダンスであったり、太鼓であったりと、地元の団体の発表の場が多く用意されていた。</p><p><br></p><p>祭の名称は○○の七夕祭であったが七夕飾りのない七夕祭になっていた。</p><p><br></p><p>時代により、祭に限らず様々な事がその様子を変えていく。それが今を生きるという事なのだと思うし、それで良いのだと思う。</p><p><br></p><p>夏が暑すぎる、秋の味覚の王様の秋刀魚が不漁だ、伊勢で伊勢海老が取れなくなった、etc.etc.etc.</p><p><br></p><p>地球の気象が変化してきているとしても、それに合わせて生きるのが地球上に生きる生物の宿命であり、人間もその例に漏れる事はない。</p><p><br></p><p>祭の変化から話は逸れたが、何かに拘り過ぎる事なく、生活の変化を自然に受け入れるのが人間という生き物の生き方であると思う。</p><p><br></p><p>思い出とか伝統を大切にしたいと思う人を否定はしないが、それが全てではないと思っているのである。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12926124511.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2025 17:12:20 +0900</pubDate>
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<title>芯をくっていないなぁと思うマスコミ報道の様々</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250708/14/ajrsaeau/1e/77/j/o1080054015630932244.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250708/14/ajrsaeau/1e/77/j/o1080054015630932244.jpg" alt="" width="1080" height="540"></a><div><br></div><br><p>毎日の、昼と夕方の報道バラエティーを見ていると、俺のとは違うなぁと思う事が沢山ある。</p><p><br></p><p>今日のお昼のテレビで取り上げていたテーマは</p><p>*少子化問題</p><p>*若者の選挙離れ</p><p>*トランプ関税&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; だったが、それぞれ有識者らしい人が解説し、司会者は納得のポーズを取り続けるという、いつものやり取りで番組は進んでいった。</p><p><br></p><p>少子化問題について、いつでも最初に話題に上がる「子育て支援策」であり、次は保育士の人手不足に触れ、最後に婚姻の少なさに至って話は終わる。</p><p><br></p><p>我々団塊の世代が結婚し子どもを育て上げた時代には考えられない論点である。</p><p><br></p><p>少子化の根本にあるのは、女性を安い労働力として考え様々なやり口を駆使して地方から都会に送り込んだ昭和の時代から、女性の社会進出とかジェンダー平等とかいう美名の下に都会への一極集中を推し進める令和の時代まで、女性しか子どもを産めない事やその期間が限られている事は全く触れられる事もなく、子育てが親の足枷であるかの様に社会を誘導してきた政治とマスコミの責任であるとは誰も言わない。</p><p>まぁ言うわけはないだろうけど。</p><p><br></p><p>若者の選挙離れについては、選挙への参加を促す為の、様々な案を出していたが、そもそも投票は国民の権利ではあるが、義務でもあるという観点は全く話題にのぼらない。</p><p><br></p><p>高齢者が選挙にいくので高齢者におもねる政策が優遇されるという論に至っては、何をかいわんやとしか思えない。</p><p><br></p><p>普通選挙の大切さは、</p><p>新宿西口広場での学生運動、御茶ノ水カルチェ・ラタン、東大安田講堂の陥落、成田空港開港問題、、、</p><p><br></p><p>様々な事柄を乗り越えてきた高齢者の我々は十分理解している。</p><p><br></p><p>だから選挙に行く。</p><p><br></p><p>目の前に壁を感じ、生きずらさを感じている若者が多いとするならば、まずは自分の権利として選挙に行くのは当たり前の事である。</p><p>権利は与えられているのだから。</p><p>選挙に行って下さいではない。</p><p>自分の、自分達の手で未来を掴め。</p><p>と強く言いたい。</p><p><br></p><p>まぁ、この国というか世界がどんな風に変化して行くのか興味はあるが間も無く我々老人は静かに消えていくので目にする事はないのだろうなぁ。</p><p><br></p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12915291968.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2025 13:30:03 +0900</pubDate>
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<title>失なわれた30年で本当に失なわれたものは</title>
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<![CDATA[ <p>リーマンショック以来、日本経済は発展が緩やかになり、それ以後の30年を日本の『失なわれた30年』とマスコミは言う。</p><p><br></p><p>確かに経済発展は鈍化し、経済的な意味では国際的な地位は低下し、国民所得等の様々な指数が他国に遅れをとったのは間違いない。</p><p>その間に就職氷河期と呼ばれる期間もあり、多くの国民が傷んだ事も事実だとは思う。</p><p><br></p><p>しかし、しかしではある。</p><p><br></p><p>この30年間で社会的な発展はたゆまぬ成長を遂げている様に感じられる。</p><p>毎日おこなっている、買い物-食事場所-交通機関etc.等身の周りの変化は高齢者にはついていけない程の変化を遂げ、まさにそれらは文明の発展とか進化と言われるもので間違いないであろう。</p><p><br></p><p>経済の成長だけが鈍化したとしても、国際的地位が下がったとしても、それ程大き問題とは到底思えない。</p><p>もし、経済的に30年間が失なわれていなかったとしても、東京のデザインは今と違っていただろうか？交通網は？？？</p><p><br></p><p>本当に失なわれていたものは他にあったのではないだろうか。</p><p><br></p><p>現在大きな問題となっている米騒動は多分農林水産省の長年に渡る無策が原因だろうし、兵庫県知事問題や選挙ポスター問題も公職選挙法のザルさが表に出てきたものに過ぎないと思われる。</p><p>訪日外国人のマナー問題等は性善説にのみ頼ってきた日本の法整備の遅れが原因と思われる。</p><p><br></p><p>要するに、</p><p>政治が解決すべき事の多くが遅れているという事実が『失なわれた30年』の本質だったのではないかと思うのである。</p><p><br></p><p>更に言えば、</p><p>週休２日制を教育界に導入させるために用いられた『ゆとり教育』等の政策によって、いじめに代表される教育の劣化によってもたらされた、無気力-無関心等から生み出された現役世代以下を含めた日本人全ての人々が造り出しているこの現在社会のあり方が、まさに『失なわれた30年』の本質であったと思われる。</p><p><br></p><p>まもなく、この世から去るであろう高齢者の戯言である。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12909869307.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Jun 2025 15:26:58 +0900</pubDate>
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<title>幸せな第三者</title>
<description>
<![CDATA[ 最近の新聞記事に、『社会にどんな事件・事故・災害・紛争etcが起きていたとしても、当事者以外の人は全て幸せの第三者である』<br><p>というが表現があった。</p><p><br></p><p>日本における、30年前のサリン事件・北朝鮮の拉致問題・阪神淡路大震災～能登の震災・池袋の交通事故・全国各地で起きた土砂崩れ・詐欺被害etc.etc</p><p>世界では、今も続くウクライナの戦争・ガザの紛争・ミャンマーの内戦etc.etc.</p><p><br></p><p>余りに多くの出来事があり、それぞれに多数の被害者が存在する。</p><p>被害者一人一人には関係者が多数いて、各々が様々に心情を吐露している。</p><p>マスコミも時々報道するがあくまでもスポットでしかない。</p><p><br></p><p>それらの人々に対しては、気の毒とは思うが、本音を言えばそれ以上の</p><p>深い感情は持てない。</p><p><br></p><p>記事を書いた記者のいう通り、当事者以外は幸せの第三者なのだ。</p><p><br></p><p>今、テレビを賑わしているのは、</p><p>大谷翔平の活躍であり、ワールドカップを決めたサッカーであり、ソメイヨシノの開花である。</p><p><br></p><p>片方で１０３万円の壁や子供食堂等の貧困を取り上げて問題視する一方で、推し活で一兆円以上の経済効果があるとも報道する。</p><p><br></p><p>今夜も外国人観光客の話題を取り上げているが、人気の土産、人気のスポット等が主な内容である。</p><p>外国人観光客の迷惑行為は取り上げていない。</p><p>迷惑行為に悩まされている人々は確実にいて、困っているのだろうが、マスコミもまた幸せな第三者でしかないのだ。</p><p><br></p><p>何かの被害者である人も、他の事に対してはやはり幸せの第三者でしかない。<br></p><p><br></p><p>人間社会とは、所詮お互いに幸せの第三者としてしか存在出来ないのであるのだ。</p><p><br></p><p>それを自覚して生きて行くしかないのがこの世の中だから、恨みや怒りや悲しみを長い持ち続けて生きている人々には、そんなことが出来ない自分を顧みて、ある種の敬意を感じる。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12890811567.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Mar 2025 17:34:29 +0900</pubDate>
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<title>『ヨイトマケの唄』についての記事を読んで感じた事</title>
<description>
<![CDATA[ <p>『ヨイトマケの唄』はかなり昔、三輪明宏氏が歌った歌で、当時の世相を背景とした曲である。</p><p><br></p><p>その中の言葉が不適切といった理由で放送禁止の扱いを受けていた。</p><p><br></p><p>最近、この曲に関しての記事を目にして当時の事を思い出した。</p><p><br></p><p>昭和３０年代は現在からは想像する事が出来ない社会の現実があった。</p><p><br></p><p>池袋から電車で40分程の村であった生活環境や社会環境は</p><p>各家あるいは近隣何軒かで井戸を掘り手動のポンプで水を汲んでいた。それでは１０m以上の深さからは汲めなかったので、時々断水になる事もあった。</p><p>小学校時代僕の家庭での役割は、風呂の水を変え、薪を割り風呂を炊く事だった。薪を割ってから遊びに行くのが常だった。</p><p>下水道は無かったので、家の隅に吸い込みがあり、そこに流しこんでいた。</p><p>ガスは無かったので、我が家では石油コンロを使って料理していた。</p><p>竈を使っている友人の家も多かった。</p><p>電車は通っていたが、1時間に3～4本程度だった。</p><p><br></p><p>今から考えれば、とにかく不衛生であり不便であった。日本中が貧しい時代でもあった。</p><p>機械化が始まる前であったので、正に土地の整地は『ヨイトマケの唄』</p><p>の通りの時代であった。</p><p><br></p><p>５つ上の兄の時代には高校進学者はクラスで数名であったが、我々団塊の世代になると１学年7クラスの大半が高校に進学した。そのため大学受験は定員38万人位に７０万人以上という狭き門になっていた上に学生運動のとばっちりも受けた。</p><p><br></p><p>東京オリンピックを機に高速道路や新幹線も造られ日本が狭くなっていった。</p><p><br></p><p>社会に出た時は、モーレツが当たり前で(２４時間働けますか)が求められていたように思う。</p><p><br></p><p>やがてコンピューターが出始め、仕事が楽になるかと思われたが、逆に仕事が増えていった。</p><p><br></p><p><br></p><p>色々な事を思い出したが、後期高齢者になった今１番に思う事は</p><p><br></p><p>様々な出来事を経験し、様々な変化に対応して我々は生き抜いてきたというのはほんのささやかな誇りなのだろう。&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; である。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12885370221.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Feb 2025 13:51:11 +0900</pubDate>
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<title>神話ライターについて考えた事</title>
<description>
<![CDATA[ <p>世界中のどの民族にも神話がある。</p><p>国の大小や地域に拘わらず、小さな島の少数民族にも神話が存在する。</p><p><br></p><p>神話の内容は概ね一致していて、その民族や人間がどのようにしてその地に存在するようになったかがメーンのテーマである。</p><p>知る限り、神が国を造りそこに人を産みだしたという事が結論のように思われる。</p><p><br></p><p>多分、何故この地にこの民族が住み着き、何故人は集団で生活をしているのかと疑問を抱いた最初の誰かがその答として最初の神話の始まりを創ったのだとは思う。</p><p><br></p><p>その後多くの人々が関わって民族独特の神話が創りあげられ現在に至っているのであろう。</p><p><br></p><p>世界中の様々な神話を知ると、最初に神話の種を撒いた人々の想像力の豊かさには畏敬の念をおぼえる。</p><p><br></p><p>しかし、現在ではその『民族独特の神話』が世界中の国々の分断や宗教上の対立の原因になっているようにも思われる。</p><p><br></p><p>歴史上の様々な対立や戦争といった紛争も、多くは独自に発展した文化や宗教の違いから発生したものであろうし、自分達の価値をより広範囲に認めさせるためのものだったように思う。</p><p><br></p><p>これだけ文明が発達した現在でも同様の出来事が今日も世界中で起こっている。その責任が神話ライターにあるとは言わないが、今後人の精神が著しく向上し、新しい気づきが生まれ、新しい時代にふさわしい新しい神話ライターが出現する事を願うばかりである。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ajrsaeau/entry-12878021185.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Dec 2024 14:30:54 +0900</pubDate>
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