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<title>akanenetsのブログ</title>
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<title>私の食べられない物とは</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmeasure.kuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dakanenets%26ENTRY_ID%3D12098205273%26ENTRY_END_DATE%3D2015%2F11%2F25"><img src="https://pubads.g.doubleclick.net/activity;dc_iu=/7765/pixeltag_pcretargeting;prid=12991;ord=1?" width="1" height="1" border="0" style="display:none"><br><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="食べられないものある？【投稿でドットマネーがもらえる！】"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=12991">食べられないものある？【投稿でドットマネーがもらえる！】</a> 参加中<br>本文はここから<br><br><br><br><a href="https://d-money.jp/earn/blog" target="_blank">ブログでドットマネーを稼ぐ</a><br><br>日本で一般的に市販されている食品は、全て食べれますよ。特殊な昆虫やいわゆるゲテ物以外ならば。<br>昔、東南アジアで暮らしたことがありますが、さすがに食べれないものがありました。爬虫類は食べるの嫌です。昆虫も食べるのは嫌です。困ったのは、豚の血で作った食べ物でした。どうしても口に入れれませんでした。<br>中国の三国志の時代の様に、百年間位戦争していて、食べ物がほとんどなくなれば、先ほど列記した物も、きっと食べれるでしょうね！
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12098205273.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Nov 2015 01:59:38 +0900</pubDate>
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<title>戦後レジュームからの脱却</title>
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<![CDATA[ <font size="3">戦後の教育方針も、労働運動も、あえて言うなら憲法も、GHQが日本の再軍国化を防ぐ為に作ったもので、その基本は『かつて日本のやった事は全て悪』にあります。それが現在の自虐史観になっています。その結果、本多勝一の『南京大虐殺』や、植村隆の『従軍慰安婦の強制連行』の捏造に繋がったと考えます。<br>だから僕らは自虐史観を捨て、悪かった事は悪いと認め、誇るべき所は誇れる史観を持つべきだと考えます。それが戦後レジュームからの脱却であり、とりもなおさず正しい歴史認識から始まると考えます。</font><br>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085383890.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2015 01:01:07 +0900</pubDate>
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<title>原発ノ再稼働について</title>
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<![CDATA[ <font size="3">私は、現状出来得る充分な安全対策をした上で、原発を推進或は再稼働する事に賛成します。その理由は次の通りです。<br>①化石燃料が枯渇する。<br>②化石燃料の消費に伴い、地球温暖化が進行する。<br>③我が国は化石燃料を産出しなく、エネルギーの安全保障上必要。<br>最初に、福島原発の第一義的な事故原因は、津波が到達する地下階に非常用発電機を含む電気設備が設置されていた為、津波に依る浸水で電気設備及び冷却装置がダウンして、原子炉が暴走した事にあります。　こうなった要因は、アメリカの河岸に建設される設計図をそのまま使った為、津波は想定されていなかった事にあり、その事については事前に改善を指摘されていたにも、東電が対応しなかったと聞いています。　従い、他の原発でも、非常用電源の津波対策は再稼働の条件となっています。　但し他の問題（例えば、地震に依る原子炉そのものの損傷、或いは補機・配管類の損傷）についてはよく分からず、公的機関に依る子細な検討査察が必要と考えます。<br>原発の建設や再稼働に当たり一番大切なのは、設計思想にあります。　即ち、物理的に何事にも耐える原発は作れません。（例えば、真下で火山が爆発したり、ミサイル打込まれたり、大砲打込まれたり、隕石がぶち当たったり、Etc.）そこの部分を明らかにして、どこまでなら絶対大丈夫と言う範囲を公知して、Authorizeされる事は大切だと考えます。<br>更に、放射能の被害について明らかにする必要があります。　広島や長崎で、数十年住めないと言われながら、両都市は発展してきましたが、放射能の影響がどうであったのかを踏まえ、現在の被ばく量の安全値を精査する必要があると考えます。　それに伴い、福島での放射能による、健康被害の状況を公知する必要があります。（例えば、福島の児童の甲状腺ガンの発生率は高いと言う情報や、それを打ち消す、福島だけ精密検査をしたので明らかになった数字で、本当に高いのは福岡県だと言う情報もあり、真実がよく分からない。）加えて、放射能漏れの実情が殆ど報道されない状況には危惧を感じます。<br>それら全てを勘案して、原発の再稼働を決すべきと考えます。　原発には危険が潜んでいる事は事実であり、長期的には少なくしていくのは正しい方向だとは考えますが、代替措置が明らかでない現状で、直ちに全ての原発を無くすのは、余りにも経済的影響が大きいと考えます。<br>原発反対を主張する意図は理解しますが、電気使い放題の生活をしたままで、原発反対或は地球温暖化防止など唱えるのは、物事の根本がお分かりにならないと言う点で、野生動物を殺すのは可哀想と言う理論と源を一にすると考えます。　<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085382332.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2015 00:54:08 +0900</pubDate>
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<title>食文化について</title>
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<![CDATA[ <font size="3">日本には鯨を食する習慣がありました。イルカを食べる事は知りませんでしたが、鯨の類としての食習慣があったのでしょう。　また、中国・朝鮮半島・台湾では犬を食する習慣が残っています。　一方、欧米の食習慣は前述の食習慣と異なるが故に、Sea Shepherd の様に反捕鯨活動を展開したり、或いは犬の食習慣がある中国や韓国の在外公館前で、過激なデモ活動をしたりします。　これらは何れも、異なる地域の風土と歴史に密接に関連する食習慣（食文化）を、認めない（理解・寛容しない）事に端を発していると考えます。その点に於いて、野生動物を駆除する事に対する非難と源を一にしていると考えます。<br><br>野生動物の駆除に対する批判や、異なる食文化に対する非難は、それらを理解し寛容する能力が不足するが故に生じ、一元的な物の見方に起因するのではないかと考えます。<br>全世界の考え方や文化は多種多様で、互いに理解し認め合う必要がある事に異見はないと思います。ここが著しく欠如した、教育の問題だと考えます。<br>例えば、ある種の欧米人は、韓国朝鮮人や中国人が犬を食べ、日本人が鯨を食べる事を非難しますが、ヒンズー教徒が、ヒンズー教に於ける神の使者である牛を食べる事を、非難するのは聞いた事がありません。　或は、多くの日本人は、犬を食べる韓国朝鮮人や中国人を非難したりしません。　これは何なのでしょうか？　無関心ではなく寛容性だと思うのです。　この部分が最近大きく欠けているのではありませんか？<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085381315.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2015 00:49:54 +0900</pubDate>
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<title>中山間地域に於ける、野生動物に依る被害ついて</title>
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<![CDATA[ <font size="3"></font>多くの中山間地域では、林業を主産業としてきましたが、いまや林業は低価格の輸入木材に押され、回生不可能に近い瀕死の状態にあります。<br>また中山間地では、農産品を自給してきた生活様式の歴史があり、今も変わらず、自家消費する大切な食料として生産されてきました。<br><br>現在高齢化の進む日本中の中山間地域の殆どは、野生動物の被害にあっており、新たな法律を作ってまで対処しているのです。<br>主産業であった林業にあっては、植林した苗が食べられたり、生育した木材の樹皮を食べられて枯死した等の、鹿・カモシカ・熊の害があります。<br>農地には網を張り獣害を防いでいますが、網を破り或は網の隙間から農作物を荒らされる、鹿・猿・猪の被害が相当あります。或は、北海道や東北地方（三重県でもありました）では熊やヒグマが徘徊して、時に人や家畜が殺されます。<br>住宅地では、アライグマが繁殖し、お寺や空き家、或いは住宅に入り込み、被害を与えています。<br>この様に、林業や農業に被害を与えるので、鹿・猪・猿・熊等を、有害鳥獣として駆除していますが、駆除する猟師も高齢化し、満足する結果が得られない現状です。<br>言わば中山間地は、戦争に例えれば最前線なのです。ひとたび手を抜けば食料生産や主産業を妨げられ、時には人命さえも失いかねない状況です。<br>この様な状況にあるにも、有害鳥獣として駆除される動物が可哀想だから、殺すのは止めろと非難を受ける事があるのです。<br>殺される動物が可哀想である事は事実なのですが、『野生動物のエリヤを開発して、侵入したのは人間だから、人間が我慢すべきだ。』等とのたまわれても、被害を受けている当事者としては、実情を知らない人のタワゴトとしか感じません。<br>例えば、都会の公園で幼児が野犬に襲われた場合、警察や保健所が出動して野犬狩りをします。捕獲された野犬は処分（薬殺）されますが、この事には誰も犬が可哀想と非難しませんね。都会では人間が先住者で、犬が侵入者でもありますまい。<br>30年位前でしたか、琵琶湖の竹生島で川鵜が異常繁殖しました。その時行政は駆除しようとしたのですが、動物愛護団体から抗議され駆除できませんでした。　その結果、今や関東から九州までの河川に川鵜が繁殖し、河川の生態系はズタズタになり、河川の漁業も大打撃を受けています。<br>また町だけでなく山間地でも問題になっているアライグマは、見た目の可愛さから、ペットとして飼われていたものが野生化したものです。<br>この様に、安易な野生動物の保護・不作為は、結果として人の生活を害し、自然の生態系を破壊する事が良くあります。<br>野生動物を絶滅させたくはありませんが、駆除の結果として絶滅する可能性はあります。　長期的に見れば、地球上の人口が増加している状況では、何時かある種の野生動物が絶滅する事は、無いとは言えないでしょう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085380486.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Oct 2015 00:45:42 +0900</pubDate>
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<title>ゴミとバイオマスの、混焼発電に道を！</title>
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<![CDATA[ <font size="5">バイオマス発電は、原料供給が課題であり問題です。<br>現在のバイオマス発電は、補助金の4重取りだと言われており、どれかの補助金がなくなれば霧散する可能性もゼロではありません。<br>今後の再生可能エネルギー固定価格買取制度に伴う発電事業の推移に依りますが、私は小規模(公共)ゴミ焼却場のバイオマス混焼発電が有効と考えます。<br>規模にも依りますが、現在に於いてもゴミ焼却場は、ゴミを燃料とした火力発電所なのです。且つ廃棄物による電力固定価格買取価格は17円/kwhです。ちなみに、計画伐採によるバイオマス発電の固定価格買取価格は32円/kwh、その他のバイオマス発電の固定価格買取価格は24円/kwhです。(何れも関西電力の場合) <br>由って、ゴミ焼却場でゴミとバイオマスを混焼させ、燃焼させた原料の重量比に従って、ゴミ焼却に伴う売電価格17円/kwhと、バイオマス焼却に伴う売電価格24～32円/kwhを、各々受け取る制度が認められれば、バイオマス発電に依る木質原料枯渇等を防ぐ事ができ、且つ余剰バイオマス原料の有効活用ができます。<br>但し、公共ゴミ焼却場ではゴミ以外の物を焼却して発電に供する事は、ゴミ焼却場建設に掛かる補助金の関係上問題がありそうで、新しい制度として認められる必要はあります。<br>又、採算性のあるゴミ焼却発電所の規模も問題で、ゴミ量換算で75～100㌧/日位が必要な様です。<br>課題は色々ありそうですが、人口減少の進む地方都市のごみ処理行政の効率化と、間伐材や街路樹の処分を兼ねたバイオマス発電の効率化の観点から、更に枯渇する地方財源を補う観点でも、是非実現される事を願ってやみません。</font><br>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085354953.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 23:27:07 +0900</pubDate>
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<title>バイオマス発電について</title>
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<![CDATA[ <font size="5">日本でも建設が進む木質バイオマス発電所。その多くが発電量が5000ｋｗ級以上の事業に集中している。だが、このクラスの発電施設だと年間10万立方メートル（約6万トン）の木材が必要になるとされる。これでは原料調達が非常に難しい。<br>年間10万立方メートルの木材とはどれくらいか。<br>たとえば福井県の年間木材生産量は、ほぼ同じ10万立方メートル。奈良県で15万立方メートル、佐賀県で12万立方メートル。埼玉県だと8万立方メートルだから、全量を燃料に回しても足りない計算になる。<br>もちろん、それらの数字は現在生産している木材であり、すでに製材や合板、製紙用チップなどに使われているわけだから、新たに木質バイオマス発電を始めるには、それらに上乗せして生産しなければならない。福井県なら20万立方メートルに、奈良県なら25万立方メートルへと生産量を引き揚げなくてはならない。それが極めて厳しいことは、誰だってわかるだろう。<br>しかも、毎年である。一般に言われる未利用材は、たいてい収集困難な場所にある。最初の数年間で近隣の運び出しやすい分は底をつくのではないか。<br>しかも集荷距離は、大雑把に半径50キロ圏内とされる。それ以上となると、輸送費がかさんで採算が合わなくなるからだ。しかし、直径100キロの円を描くと一つの県内だけで納まる自治体は少ない。<br>だから計画を断念する自治体も多い。全国の聞き取り調査でも、バイオマス発電のニーズは500ｋｗまでがもっとも多い。<br>ならば、500～1000ｋｗレベルの小規模バイオマス発電に切り換えたらどうか。そして燃料も、国産未利用材にこだわらずゴミ焼却と兼ねる発想はないか。家庭用ゴミだけではなく、公園・街路樹など剪定木や農業系の木質廃棄物（果樹の選定木や雑木など）が見込める場所は少なくない。<br>そして発電だけでは採算が合わないから、熱利用をもっと真剣に考えてほしい。<br>日本の場合は地域暖房が普及していないから、インフラも一から作らないといけない。現実的なのは、暖房や温水利用の多い医療・福祉施設や、ハウス栽培などの農業施設などだろう。それらと組み合わせると、地域に雇用も生まれるし、農業の6次産業化も進めやすい。<br>実は、農水省が作成した資料に「小規模な木質バイオマス発電の推進について」という資料がある。そこで「小規模な木質バイオマス発電に対する機運の高まり」を指摘している。実際は「機運の高まり」というより、林野庁の願望だろうが。<br>大規模なバイオマス発電施設を建設し稼働させたら、もはや止められない。毎日数百トンの燃料が必要とされる。それでは、日本の森を破壊するだけだ。数年後に燃料不足で破綻するか、あるいは赤字を垂れ流しつつ製材も可能な良質の木材を燃料にしてしまうか。港に建設された施設なら海外から木質燃料を輸入することもできるが、内陸部だとにっちもさっちも行かなくなる。<br>今からでも計画の規模を見直し、複合的な燃料調達を可能にすることを期待する。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085351525.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 23:18:08 +0900</pubDate>
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<title>失敗とは！</title>
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<![CDATA[ 人は必ず失敗する。これは哲理と言ってもいい。わけても新しい事をやろうとした時、例えばＩＴ関連の新事業で成功する確率は30％程度とも言われている。<br>私は長らくプラントの建設に携わっていたが、一度として何の問題もなく完成引き渡しできた例は聞いた事が無い。<br>新しい事を成し遂げる或いは新しいものを創るには、複数の手法・過程があり、その過程のあちこちに落とし穴があり、それに落ちた（失敗した）事例を学ぶ事が、成功する糧だとは理解するが実践は甚だ難しい。ましてや多数の部門が関わる会社組織やプロジェクトでは尚更である。<br>キルケゴールは言っている。『人生は前向きに進むしかないが、後ろ向きにしか理解できない。』　人は過去を振り返った事で得た教訓や示唆を糧にして未来を創造する。逆説的だが前進するには、過去を振り返る事が必須なのだ。<br><br>先日NHKの番組を見ていて『目から鱗』の手法が紹介されていた。<br>一つは『失敗曼荼羅』と言い、失敗原因を分析するリストの様なものだが、ここでは割愛する。もう一つはAAR(after action review) と言い、平易に言えば事後検討会だ。<br>これを始めたのは米国陸軍で、現在は陸軍の標準的手続きとされている。<br><br>戦闘や訓練の後、実行部隊の参加者全員が集まってAARは実行される。<br>進行役は以下の質問を投げかける。<br>①何をやろうとしたか（目的の確認）<br>②実際に何が起きたか（結果の認識）<br>③何故そうなったのか（原因の分析）<br>④次回は何をどうするか（次回に何を生かすか）<br>この4つの問いに全参加者が答えていく。<br><br>アメリカ的と言えば、まさにアメリカ的でドライに感じる。<br>番組でも言っていたが、進行役を誰がするかが重要で、ビジネス界で実施する時、上司が進行役を務めた場合あるいは同席した場合に、例えば『部長の判断が誤りだったのが失敗の原因です。』なんて発言できる企業風土などあるのだろうか？<br><br>冷徹に自己を分析し寛容に受け入れる大きな心の上司と、信頼する上司の誤りを多数の人前で指摘できる鬼の様な強い心の部下が、強い組織をつくる事が出来る。確かにそうには違いない！<br>サラリーマン生活で身についた『忌憚のない意見を述べよと言われたら、忌憚のない意見は述べてはいけない！』　そんな世界とは隔世の感がある。<font size="3"></font>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085348032.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 23:09:27 +0900</pubDate>
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<title>行き合い弾の事</title>
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<![CDATA[ 　明治維新後、明治７年２月に佐賀の乱（江藤の乱）、明治９年10月24日に神風連の乱、明治９年10月27日に秋月の乱、明治９年10月28日に萩の乱、明治10年2月に西南の役が起こった。<br>万余の戦死者を出して西南の役とその前哨戦は終結した。それと共に千余年続いた武家社会は終焉を迎えた訳だが、最後の西南の役の激戦地は、『田原坂』とその局辺であった。<br><br>　司馬遼太郎氏は自身の小説『飛ぶが如く』で、次の様に書いている。<br>―　ちなみに、いまなおこの付近の土の中から銃弾が出てくるが、ときに『行きあい弾』とよばれるものも出てくる。敵味方の弾が空中でぶつかりあって互いに噛みあい、だんごの様になったもので、現在、田原坂の薮の上の通称『弾痕の家』と呼ばれる家にも、一つ二つが保存されている。<br>　偶然のおもしろさという様なものではないであろう。　こういう「行きあい弾」が幾つも発見されたというのは、一定の空間によほど濃厚な密度で銃弾が往来しない限り起こりえないものと思われる。<br>　十数日つづいた田原坂の攻防戦というのは、同時代の世界戦史のなかで、激戦という点で類を見ない。　小銃弾の使用量の桁外れの大きさも、機関銃の出現以前の戦いではこの兵力規模で他と比較しようにも例がないのではないかと思える。　さらには防御側の意志の強烈さと攻撃側の執拗さは一種恐怖をさえ感じさせるものがある。　―<br><br>　この小説を読んで以来、この『行きあい弾』なるものについて、或は九州の小藩であった『秋月藩』について、ずっと気がかりであった。更に言うならば、佐賀の乱に始まり西南の役に至るまで、更に遡って明治維新の後に改易となった会津藩⇒斗南藩、それらの事の中心に座っていた大久保一蔵（利通）の、冷徹且つ徹底したやりくちが気がかりであった。<br>大久保はその徹底したやりくちを、自身の血で贖う事となったが、それは彼自身の性癖に由来するものであったのか、或は時代が求めたものであったのか、そこまでしないと新生日本は成立しなかったのか、興味は尽きない。<br><br>　<font size="5"><a href="http://peta.ameba.jp/p/addPeta.do?targetAmebaId=akanenets&amp;service=blog"><img alt="ペタしてね" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/decoPeta/pc/decoPeta_18.gif"></a></font>空中で、銃弾と銃弾が衝突するなどと言う事は、理屈の上では有り得ると思われるが、射撃を趣味とする自身の頭の中では。決して具体性を持つ事はない。<br>それがいま眼前にある。<br>司馬遼太郎の言う『防御側の意志の強烈さと攻撃側の執拗さ』を具現化した物の代表として。　言い換えれば、噛み合った片方は大久保利通に代表される新生明治政府の意志であり、他方は西郷隆盛や江藤新平に続く最後のもののふの意志として、厳然として強固からみあって眼前に横たわっている。<br>
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<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085344174.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 22:59:01 +0900</pubDate>
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<title>猟友の事</title>
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<![CDATA[ 昭和30年代初頭、『もはや戦後ではない』と言いつつ日本中が貧乏にあえいでいた頃、晩秋ともなると伯父が猟友を引き連れ、田舎の我が家に宿を求めてくるのが例年の慣わしでした。<br>　その頃の田舎は戦時中に開墾された山田が放棄され、雉・ヤマドリの棲家と化しており、猟銃を所持する人も多く、伯父一行も天秤棒に20～30羽の雉・ヤマドリの猟果と共にやって来るのです。<br>その時の私の楽しみと言えば、猟果とは別の伯父の手土産のキジ鳩でした。羽根をむしり内臓を取ったキジ鳩に醤油をつけて、ただ七輪で焼くだけなのです。<br>その味たるや母の料理の味を白黒映画に例えるなら、キジ鳩の味は白黒映画の中の総天然色の場面と言うほど、鮮烈な衝撃を感じたものです。<br>あれから50年経ちました。今でもあのキジ鳩の味を思い起こす毎に生唾が出るのは、生来の喰い意地に依るものだけではないと思うのです。<br>キジ鳩の味の記憶と共に、禁断の果実の如く鈍く光る猟銃の魔性の魅力と、空薬莢の妖しげな火薬の匂いが多感な幼年期の脳裏深く刻まれ、その記憶が今尚私を猟師ならしめている所以である事は疑う余地もありません。<br>キジ鳩と言えば『鳩めし』を語らねばなりません。三十数年前にＵ氏に御教示賜りました。氏は客人との出猟に際し、昼食として飯盒と洗い米・味噌・ねぎのみを持参します。まず猟場でキジ鳩を撃ち、持ってきた材料で『鳩めし』を炊いて全員の昼食とするのだそうで、これを食べると猟師をやめれなくなると言います。<br>私は近年久しくキジ鳩さんとはお会いしていません。これを機に久しくキジ鳩さんにお会いし、私の猟師たる所以を再認識させて戴くと共に、『鳩めし』を喰いたいと言いつつ、数年前に鬼籍に身を転じた猟友のM氏に、せめて『鳩めし』の香りだけでも届けたいと思うのです。<br>（　合　掌　）<font size="3"></font>
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</description>
<link>https://ameblo.jp/akanenets/entry-12085340566.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 22:47:26 +0900</pubDate>
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