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<title>心に灯りを</title>
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<description>日々の生活を通じて自分なりに考えたことを綴ります。</description>
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<title>「水」のような「心」</title>
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<![CDATA[ <p>「水」は形を変えて循環を繰り返す。</p><p>清流は海に流れていくが、その過程で集合や分散を繰り返し、様々な道をたどっていく。</p><p>海からは雲や嵐が生まれ、雨となり、山などの濾過を経て、再び清流に流れ込むが、</p><p>時に洪水や濁流になることもある。</p><p>&nbsp;</p><p>「心」も常に形を変えて循環を繰り返す。</p><p>清流のような清々しい心の時もあれば濁流のような苦しみに満ちた心の時もある。</p><p>ただ、濁流もやがて沈殿や濾過等を経て海に注ぎ込みその一部は再び清流となる。</p><p>&nbsp;</p><p>では、心を清め、清々しい心を保つためにはどうすればよいのだろうか。</p><p>仏教では苦しみの発生する原因を見つけ、その原因となる行為を止め、</p><p>苦しみの原因とのつながりを断ち、清らかな心を生み出す環境を整えることを説いている。</p><p>&nbsp;</p><p>過去にとらわれず、未来にとらわれず、欲を捨て、人生が自分の思い通りになるという幻想を</p><p>捨て、あるがままの現実を受け入れ、その現実の中で自分が今何をなすべきかをはっきりと認識し、揺るがない信念と意志をもって行動することこそ心を清らかにして生きていくための道なのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>清らかな「水」のような「心」をもって人生を歩んでいきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12207837630.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Oct 2016 01:30:45 +0900</pubDate>
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<title>「死」という暗闇と「生」という灯火</title>
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<![CDATA[ <p>「人は必ず死ぬ」</p><p>この事実を意識することで人は「今」の大切さをはっきりと認識することができる。</p><p>&nbsp;</p><p>一寸先は闇であり、例えばあと５分たったら大地震が起きて私も死ぬかもしれない。</p><p>だからこそ、今この瞬間にできることを精一杯やったほうがいい。</p><p>&nbsp;</p><p>「死」という暗闇があるからこそ「生」という灯火の輝きが明らかになる。</p><p>残りの人生を誰とどう生きていくか。命には限りがあるから、「今」この瞬間を無駄にせず</p><p>「生」の燈火で暗闇を照らし、進む道を選び、瞬間瞬間を味わって生きていきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12204509149.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Sep 2016 21:00:37 +0900</pubDate>
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<title>Salyuさんの「青空」と桜井和寿さんの「涙」</title>
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<![CDATA[ <p>仕事の帰りにYou Tubeを見ていたら、Salyuさんの「青空」という曲が目にとまった。</p><p>&nbsp;</p><p>apbankフェスでミスターチルドレンの桜井和寿さんの演奏と共に歌っている映像だったが、</p><p>桜井和寿さんから紹介されたSalyuさんが歌いだした瞬間から鳥肌が止まらなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>この曲を作詞作曲した桜井和寿さんは涙を流しながら演奏しており、自分の想いが</p><p>素晴らしい歌声で歌われていることに感動しているようだった。</p><p>そして、私の眼からも涙がこぼれ落ちた。</p><p>&nbsp;</p><p>涙は心に「青空」をもたらしてくれる。悲しい時や苦しい時には救いの雨となり、</p><p>やがて晴れ間が見えてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>「青空」の光が差し込む瞬間を待ちわびながら多くの苦難を乗り越えていきたい。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe width="416" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/6kUYZ5SuG4Q" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12204237544.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Sep 2016 23:08:46 +0900</pubDate>
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<title>「空」と「嵐」</title>
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<![CDATA[ <p>今日は空がきれいだった。青空に白い雲が広がり、世界の広さと美しさを実感させてくれた。</p><p>心を空に例えることがある。晴れ渡る青空の日もあればどんよりと曇った日もあり、厳しい雨や嵐の日もある。心も同じだ。</p><p>心は移ろいやすく、思うようにならないものであり、心の嵐の中ではもがけばもがくほど深い闇に落ちていくだけだ。そんな嵐の中で目的地につかなければならない日もあり、家に帰らなければならない日もある。そこで必要になるのは冷静な判断力と勇敢な行動力である。</p><p>嵐に無謀に立ち向かってあらがうのではなく、冷静な判断力と勇敢な行動力をもって適当な道と手段を使う。そうすれば嵐からわが身を守りつつ、目的地にたどり着き、心を守る堅牢な家に帰ることができるはずだ。</p><p>&nbsp;</p><p>青空は必ずやってくる。その救いをもって嵐に勇敢に挑めるように自己を高めていきたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12203538436.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Sep 2016 21:10:52 +0900</pubDate>
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<title>「幸せ」への道</title>
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<![CDATA[ <p>　家族や職場など所属する団体で必要とされることが「幸せ」の大きな要因であるという話を聞いた。確かに家族に愛されていると感じたり、一緒に食事をしたりする時間は幸せを感じるし、職場で仕事がうまくいって褒められれば充実感や達成感を得ることができる。</p><p>　しかし、家族との関係は月日を経れば変化し、険悪な関係になることもあるし、「死」という別れが生じたりもする。また、仕事がうまくいかないこともあるし、苦手な人と一緒に仕事をしなければいけないこともある。</p><p>　つまり、幸せな時間は限られており、「いつまでも幸せ」というわけにはいかない。</p><p>だからこそ幸せな時間を大切にし、その時間に集中することが重要だと思う。家族といても仕事のことを考えていたり、仕事をしていても休日のことを考えている自分がいるが、それは決して幸せへの道ではない。</p><p>　家族といるときは家族との時間に専念し、仕事の時は仕事との時間に専念することが幸せへの道なのだと思う。先延ばしせず、今出せる１００％の力を家族や仕事に対して発揮する。そうすればおのずと家族との関係は良好になり、仕事も成果が出てくるだろう。</p><p>　それでも家族との別れはいつか必ず訪れ、仕事で自分の力ではどうにもならないこともある。しかし、それを恐れ、避けるのではなく、そういった現実をしっかりと受け入れて「今」に集中する。そうすれば死ぬまでにより多くの幸せな経験をすることができるはずである。</p><p>　ただ、本当の意味で「今」に集中するということは極めて難しい。人間の心は常に変化し、過去を思い出し、未来を想像し、五感に対する刺激に敏感に反応するからだ。</p><p>それは生きるために必要な能力ではあるが、集中の妨げになるという副作用も生じてしまう。</p><p>だから、最初から「正念」の領域を目指すのではなく、例えば「これからの１０分はこの仕事だけに集中する」といった具合に一定の間隔で区切りをつけて「切り替え」と「集中」をすることが最初のステップだと思う。最終的に「八正道」という幸せへの道を歩んでいけるよう、進む道をよく選び、自分の歩みを注意深く観察し、一歩一歩を味わっていきたい。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12202286609.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Sep 2016 23:34:40 +0900</pubDate>
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<title>「恐れ」「不安」を味方に。</title>
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<![CDATA[ <p>「恐れ」や「不安」はいわば脳の警報装置であり、トラブルや失敗を避ける上で必要不可欠なものである。脳の中で警報装置が鳴ると、闘争・逃走反応が生じ、脳や体が興奮・緊張状態となり一時的には頭の回転を速め、行動につながるが、それがずっと続くと心と体が疲弊してしまう。</p><p>特に夜中に警報装置が作動してしまうと睡眠不足につながり、日中のパフォーマンスの低下をもたらし、最悪の場合、精神に支障をきたしてしまう。</p><p>夜は警報装置のスイッチを切って、日中必要な時に必要な分だけ作動するようにすればよいのだが、人間の体は機械のように単純ではなく、コントロールも難しい。</p><p>また、過度な「恐れ」や「不安」は「問題」や「敵」に対して必要以上の争いを生み、「逃避」行動を誘発するという大きな副作用がある。仕事の先延ばしなどは典型的な例だろう。</p><p>では、このやっかいな「恐れ」や「不安」という機能とどのように付き合えばよいのだろうか。</p><p>私は生来、臆病で慎重な性格であり、「恐れ」や「不安」というものに振り回されてきた。そこで苦しみ、もがいた結果として出した一つの結論は「恐れ」や「不安」と共に「問題解決」をすべきだということだ。</p><p>「恐れ」や「不安」を抑え込もうと戦うのではなく、「恐れ」や「不安」から逃げるのでもなく、「恐れ」や「不安」を味方にして日々生じる問題を解決し、「恐れ」や「不安」の発生源を元から断つことで副作用も抑えられるのだと思う。</p><p>「恐れ」や「不安」という武器を上手く使いこなし、味方にすることで、心の安定と問題解決能力の向上を図っていきたいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12201950629.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Sep 2016 23:03:14 +0900</pubDate>
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<title>「蓮」と「泥」　「座禅」と「葛藤」</title>
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<![CDATA[ <p>今日は午前中に大きな池のある公園に行った。</p><p>池は緑色に濁り、鯉が浮かび上がると底の泥もついてくる状態だった。</p><p>その水面に、ひときわ目をひく蓮の花が浮かんでいた。黄色の円の周りに白色の花弁が美しく手の平のように開き、池の濁りとのコントラストもあって私の心をとらえた。</p><p>蓮の花は泥があるからこそ美しく咲くのであり、心の喜びも悩みや苦しみがあってこそ生まれるのだと思う。日々の悩みや苦しみとの葛藤は決して無駄ではなく、心をより美しく磨いてくれる、いわば砥石のようなものではないだろうか。</p><p>葛藤という言葉は葛や藤の蔦が木にからみつく様をいい、心が囚われている状態をいう。</p><p>木にからみついた蔦を放置しておけばやがて木が朽ち果てていくように心があまりに強い葛藤をかかえたままにしておくと心も疲弊し、壊れていってしまう。</p><p>葛藤は心を磨くが、それが行き過ぎると心の弱い部分まで削り取り、最悪の場合、心の芯まで壊してしまうのであり、そうならないためには心を深く観察し、守ることが必要である。</p><p>&nbsp;</p><p>蓮の花を見ると必ずといっていいほど、京都のお寺で座禅をしたことを思い出す。</p><p>手入れが行き届いた美しい庭には、ひときわ目をひく蓮の花が咲き誇っていた。</p><p>座禅をした後に見た蓮の花は輝きを増し、世界の全てが新鮮に見えた体験は忘れられない。</p><p>瞑想は心を深く観察することにつながり、世界が常に変化し、新しく生まれ変わっていることを体験として教えてくれる。</p><p>座禅や歩く瞑想、呼吸・体・心の観察を行う時間をなるべく多く設け、心に多くの栄養を与え、美しい花を絶え間なく咲かせていきたいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12200846746.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Sep 2016 16:28:11 +0900</pubDate>
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<title>「苦」と「苦しみ」の違い</title>
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<![CDATA[ <p>「生きることは苦しみである。」ブッダがそう悟ったという話をある本で読んだ時、</p><p>苦しみの真っただ中にいた私は「まさにその通りだ」と心から思った。</p><p>しかし、同時に、「その通りであるなら、なぜ生きなければならないのか？」という</p><p>疑問も湧いてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>「死ねば苦しみから解放されるのだろうか？それが進むべき道なのだろうか？」</p><p>そうも考えたが「周りの人に苦しみや迷惑をかけて死ぬべきではない。死ぬ覚悟があれば</p><p>怖いものはない。」そう考えると少し楽になり、何とか困難を乗り越えることができた。</p><p>ただ、それが最善の答えだとも思えず心の中のわだかまりは残ったまま時が過ぎていった。</p><p>&nbsp;</p><p>それから数年経ったある日、「一切皆苦」という言葉に出会った。</p><p>「一切は皆、苦（思い通りにならない）である」という意味で、そこでいう「苦」とは</p><p>「苦しみ」を意味するのではなく「思い通りにならないこと」を意味するのだという解説を</p><p>読んだ瞬間、それまで引っかかっていたものがすっと消えていった。</p><p>それは「人生は思い通りにならない」ということを本当の意味で受け入れることができれ</p><p>ば、「苦（思い通りにならないこと）」を「苦しみ」にすることなく心穏やかに生きられる</p><p>のだという真実に触れた瞬間だった。</p><p>&nbsp;</p><p>生きていれば様々な困難や問題が降りかかってくる。それを嘆いたり逃避したりするのでは</p><p>なく、しっかりと受け止めた上で困難や問題を解決する方法を必死に考え行動していく。</p><p>そうすれば大抵のことは解決することができ、解決できなかったとしても死ぬまでは至ら</p><p>ず、自分自身の成長の糧になるはずである。</p><p>&nbsp;</p><p>「一切皆苦」の人生を幸せに生きるためにブッダの教えをこれからも学んでいきたいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/akari3akari/entry-12200692457.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Sep 2016 01:12:44 +0900</pubDate>
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