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<title>辛口太郎のレッツぎふ　クチコミレポート！！</title>
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<description>地域ポータルサイトでの活動の様子、クチコミレポートとその裏側をつづります。YouTube動画紹介、日常ブログ、診断士からの一言、ダイエット・ストーリーなどもたまに＾＾</description>
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<title>ちゃぶ台－昭和レトロ</title>
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<![CDATA[ <span style="line-height: 2.4; color: rgb(148, 113, 222);"><b>【昭和レトロ】</b><span style="letter-spacing: -2px;">────────────────────────────────</span></span><br>ちゃぶ台をひっくり返すと明子と飛雄馬が悲しみます･･･<br><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131104/22/akechi011/68/1d/j/o0800060012739059864.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/22/akechi011/68/1d/j/o0800060012739059864.jpg" style="width: 400px; height: 300px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1383573712656"></a></p><p></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131104/22/akechi011/6d/96/j/o0400069512739061253.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/22/akechi011/6d/96/j/o0400069512739061253.jpg" style="width:400px; height:695px; border:none;" ratio="0.5755395683453237" id="1383573171431"></a></p><p></p>※コメント欄は長かったことから一部分の掲載です。<br><span style="letter-spacing: -2px; line-height: 1.5; color: rgb(148, 113, 222);">─────────────────────────────────────────<br></span><br><div>それまで全く知らなかった遠方の相手と瞬時に知り合い、互いに知己を深めることができる。</div><div>慣れると当たり前のことなのですが、facebookなどソーシャルメディアの“凄さ”をあらためて感じます。</div><div>（“凄さ”は素晴らしさと共に、時に恐ろしさを含むことへの形容です）</div><div>そしてソーシャルメディアは楽しい。そんな“気付き”を得ています。</div><div><br></div><div>さて、今ではもう一般家庭で見ることのできないちゃぶ台の写真です。</div><div><br></div><div>私の脳裏でちゃぶ台と言えば、少年時代の人気漫画「巨人の星」のあのシーンしかありません。</div><div>主人公星飛雄馬の父親、星一徹がひっくり返すやつです。<br>子供ながら父親ってスゴイと思いました。怒るとコワイと思いました。</div><div><br></div><div>星飛雄馬のライバル、花形満は華やかな生活を気取っていますので、</div><div>星家のちゃぶ台はどこか貧乏の象徴のように捉えられています。</div><div>しかし5人の弟や妹をを養う左門豊作というライバルはもっと厳しい生活環境です。</div><div>あっ、少しマニアな話に入り込みました＾＾；</div><div><br></div><div>ちゃぶ台は貧乏というよりは家族の団らんの象徴、同時に、ひっくり返せることで父親の威厳の象徴であった気がします。</div><div>写真をご覧になって下さい。</div><div>台の下に両手のひらをあてて持ち上げれば、簡単にひっくり返せそうです。</div><div>今の食卓は大きすぎて、重すぎて、しっかりしすぎて、容易にひっくり返せません。</div><div><br></div><div>でも、このちゃぶ台ならひっくり返せます！</div><div>明子や飛雄馬が悲しむのをものともせず、思い切り行けます。</div><div>娘の母親（女房）ゆずりの説得も、息子の理屈じみた正論も、そんなことは全く意に介さず易々とひっくり返すことができるのです。</div><div><br></div><div>そんな強い父親はもう皆無でしょう。</div><div>ちゃぶ台と共に、遠い昭和レトロの遺産になってしまった気がします。</div>
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<pubDate>Mon, 04 Nov 2013 22:56:39 +0900</pubDate>
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<title>輝いていた貴女－昭和レトロ</title>
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<![CDATA[ <span style="line-height:2.4;"><span style="color: rgb(132, 0, 132);"><b>【昭和レトロ】</b><span style="letter-spacing: -2px;">────────────────────────────────</span></span><br>古き良き時代、貴女は輝いていました＾＾<br></span><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131103/20/akechi011/4a/71/j/o0800060012737559100.jpg" style="text-align: center; line-height: 1.5;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131103/20/akechi011/4a/71/j/o0800060012737559100.jpg" style="width: 400px; height: 300px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1383484568901"></a><span style="line-height: 1.5;"><br></span><p></p><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131103/20/akechi011/9c/05/p/o0400028912737567107.png" style="line-height: 1.5;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131103/20/akechi011/9c/05/p/o0400028912737567107.png" style="width: 400px; height: 289px; border: none;" ratio="1.3840830449826989" id="1383484290275"></a><br></p><p style="text-align: center;"><span style="color: rgb(132, 0, 132); letter-spacing: -2px; line-height: 1.5;">─────────────────────────────────────────</span><br></p><div><br>「昭和レトロ」は昭和のレトロな雰囲気を愛する人々が集まるfacebookのグループです。</div><div><div>私のお気に入りで、上記はグループに参加した初めての投稿です。</div><div><br></div><div>写真の中央、宇多田ヒカルさんの母としても知られる藤圭子さんが亡くなられたのが8月22日。</div><div>私が妻や義父母、義兄夫婦と北アルプス穂高に旅行したのが9月8日。</div><div>その帰路、岐阜県高山市の「昭和館」で9月9日に撮影した1枚が上記の写真です。</div><div>そして「昭和レトロ」に初投稿したのが9月17日です。</div><div>ですからまだ一月半ほど（正確には47日）しか経っていません。</div><div><br></div><div>それなのに、かなり昔のような気がします。</div><div><br></div><div>自分の身の回りの時間は速く進むのに、なぜかこの記憶だけは遅く感じるのです。<br>一体なぜでしょう？<br><span style="line-height: 1.5;">たぶんソーシャルメディアから受ける情報の量が多く、しかもその速度が速いからだと思います。</span><br></div><div>事実この投稿を探すのに、「昭和レトロ」で埋没した古い過去ログをかなり遡らなければなりませんでした。</div><div>少し前の出来事なのに、ずっと昔の記憶に感じてしまいます。</div><div><br></div><div>写真には若き頃の藤圭子さん、美空ひばりさん、キャンディーズが写っています。<span style="line-height: 1.5;">コメントに頂いたとおり、みなさんがお若く美しい。</span></div><div>そしてすでに3人の方が亡くなられています。<br>さらには、若い頃は誰もがみな綺麗だったとも･･･</div><div>投稿した記事も、亡くなられた方々の思い出も、記憶も、いつかはそうして埋没し、忘れさられてしまう運命なのかも知れません。</div><div><br></div><div>でも、何かのおりに「引き出し」から出せるようにしておきたい。<br>古き良き時代、貴女は輝いていました。<br>（あの頃あの時、私はこう考え、こう感じ、こう書いた）<br><br></div><div>そのためにブログという「タンス」にしまっておきたいのです。</div></div>
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<pubDate>Sun, 03 Nov 2013 22:19:01 +0900</pubDate>
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<title>手紙 O's</title>
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<![CDATA[ <p>2008年に解散した姉妹デュオ「O's」は長崎県五島列島の出身です。<br>姉が小田聡美（おださとみ）さん、妹は小田都弥可（おだつみか）さんといいます。<br>当然お会いしたことはありません。<br><br></p><p>お二人の音楽、O'sとの出会いは本当に偶然です。<br>3年ほど前、初めてネット上の宅配CDレンタルに会員登録しました。<br></p><p><br>音楽CDはそれまで近くのレンタルショップで借りるスタイルでした。<br>宅配というシステムに興味が湧いて加入したことから、特に借りたいCDはありませんでした。<br>若い頃好きだった歌手のものに加え、何気にカバーアルバムを探しました。<br>そして彼女らの作品を見つけたのです。<br>「COVER's」（2007年1月）というアルバムタイトルでしたので、一発で目に止まりました。<br></p><p><br>収録曲です。<br>1. 涙がこぼれたら&nbsp; <br>2. 京都慕情&nbsp; <br>3. 天使の誘惑&nbsp; <br>4. 愛するってこわい&nbsp; <br>5. 逢いたくて逢いたくて&nbsp; <br>6. 白い色は恋人の色&nbsp; <br>7. よこがお&nbsp; <br>8. 手紙&nbsp; <br>9. 小指の思い出<br>&nbsp; </p><p>「天使の誘惑」「白い色は恋人の色」に目が止まりこの1枚を選びました。<br>届いたのは音楽CDの円盤だけでケースや歌詞などはありません。</p><p><br>純粋に、二人の歌声だけを聴いて好きになりました。<br>上記の2曲も良かったですし、他の往年の名曲の数々も美しいハーモニーで歌い上げています。<br><br>その中で、特に鮮烈な印象を受けた曲がありました。<br>「京都慕情」と「手紙」です。<br><br></p><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131101/00/akechi011/dc/42/j/o0800060012734602591.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131101/00/akechi011/dc/42/j/t02200165_0800060012734602591.jpg" style="width: 180px; height: 135px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1383231981519"></a>&nbsp; &nbsp;<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131101/00/akechi011/9c/50/j/o0800060012734602592.jpg" style="line-height: 1.5;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131101/00/akechi011/9c/50/j/t02200165_0800060012734602592.jpg" style="width: 180px; height: 135px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1383231990295" class="selected"></a></p><p></p><p><br>「京都慕情」は渚ゆう子さん、「手紙」は由紀さおりさんが原曲です。</p><p><br>音楽ジャンルのPhoto-Slide動画を制作するようになり、「京都慕情」は私の処女作となった作品です。いずれ「手紙」でも作ってみたいと考えていました。<br><br></p><p>ずっと後になってO'sのお二人が歌声だけでなく、容姿でも大変に美しい姉妹であることを知りました＾＾；<br>私は遅咲きのファンですが、外観ではなく歌声で好きになったのです。<br><br></p><p>「COVER's」の前年に出したアルバム「あなたとならば」（2006年2月）も手に入れ、私のPhoto-Slideで何曲も使わせて頂いています。<br>興味がある方はこちらのサイトをご覧下さい。<br><a href="http://sisters.a-yoshinaga.com/o's-series.html" target="" title="">http://sisters.a-yoshinaga.com/o's-series.html</a><br><br>いつか機会があればお会いできなくても、きちんとお礼を申し上げたい･･･<br>この曲のタイトルを眺めると、そう感じずにはいられません。<br><br></p><p>－手紙<br><br></p><iframe width="400" height="225" src="https://www.youtube.com/embed/Ukc7qcBNf7w" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br>
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<link>https://ameblo.jp/akechi011/entry-11661705297.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Oct 2013 23:50:26 +0900</pubDate>
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<title>小さな一歩【Chikea Ganashiyo 語録】</title>
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<![CDATA[ <div style="padding:10px;background-color:#FFC0CB;line-height:1.6;"><span style="font-size: 18px;"><b><span style="font-size: 16px;">今は小さな一歩に過ぎないが、いずれ大きな一歩だったと思える日が来る</span></b></span><br><b>－Chikea Ganashiyo<br><br></b>そう信じて今を頑張れば、必ず成果は得られる。いずれ大きな一歩だったと思えるか否かは、今をどう頑張るかにかかっているのだ（･･･当然かな？）<br><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131030/22/akechi011/09/f0/j/o0800060012733345123.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131030/22/akechi011/09/f0/j/t02200165_0800060012733345123.jpg" style="width: 300px; height: 225px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1383143635570"></a></p><p></p><br>※写真は七五三のお参りで撮影した長女と孫の歩く姿（2012.11.13）<br><br></div><br><div>この“語録”を投稿したのは今年の8月29日です。</div><div>7～8月の慌ただしい2ヵ月を締めくくるものでした。</div><div><br></div><div>「レッツぎふ」に参加してクチコミレポーターとして活動することを決め、</div><div>このAmebaブログを同時に書き始めました。</div><div>アカウントだけで放置していたfacebookを再開しました。</div><div><br></div><div>SNS（Social Network Service：ソーシャル・ネットワーキング・サービス）を中心に、自分自身に新しい動きが生じた時期です。</div><div>いまだ手探りの状態は変わっていないと思いますが、そんな私自身の心の内を表す“語録”です。</div><div><br></div><div>不安があり、期待があり、自らを励ます気持ちが込められています。</div><div><br></div><div>“語録”で使うPhotoはオリジナルと決めてあるので、過去に自分や家族の撮影したものをあれこれ探しました。</div><div>今は小さな一歩に過ぎないが、いずれ大きな一歩だったと思える日が来る。</div><div><br>思い浮かぶシーンはあまりにも月並みでした。</div><div>う～む、できれば歩んでいる姿がいい！</div><div><br></div><div>何気に目を留めた1枚は、娘と孫が仲良く歩く七五三での写真でした。</div><div>私の切実な心情にはほんの少し合わないのですが、それでも良いと感じました。</div><div><br></div><div>あたかも自分一人が歩んでいるようだが、誰かに手を引かれ、あるいは誰かの手を引くこともあるのだろう。</div><div><br></div><div>孫ほどに歩みの小さい者でも、その一歩はやはり着実な一歩なのだ。</div><div><br></div><div>別に成果がどのようなものであれ、それはそれでいいのかも知れない･･･</div><div>（こうして仲良く歩んでいれば、それだけで十分じゃないの＾＾；）<br><br></div><div>Photoを眺めながら、“小さな一歩”にそんな思いを馳せました。</div>
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<pubDate>Wed, 30 Oct 2013 22:28:32 +0900</pubDate>
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<title>一緒にゲームを嫌いになりませんか？</title>
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<![CDATA[ <div>私はゲームが嫌いです。</div><div>だからあなたもゲームを嫌いになって下さい！</div><div>と言ってはなりません。</div><div><br></div><div>“価値観の強要”をしてはならないからです。</div><div><br></div><div>しかしそれも一つの価値観であることから、</div><div>決して絶対ではない、と言わなくてはなりません。<br>そこにある “物” は一つでないことくらい私たちは知っています。</div><div><br></div><div>とはいえ安易に否定されたくもありません。</div><div>少なくとも自分にとっては揺るぎない物事の捉え方であり、</div><div>だからこそ「価値観」と呼べるのです。</div><div><br></div><div>そこで一計を案じました。</div><div>あくまでも“価値観の強要”をしてはならないという前提に立って、</div><div>その上で例外となるケースが見当たらないかを考えてみたのです。</div><div><br></div><div>矛盾するようですが、やはりいくつかの事柄が思い起こせます。</div><div>たとえば親が子に自分の価値観を押しつけることはどうでしょう？</div><div>私にはそれが一概に悪いことだとは思えませんでした。</div><div><br></div><div>まだ幼く、物事の分別がつかない子に親は教えるべきである。</div><div>いえいえ、子がすでに成人していようがいまいが、</div><div>自ら思慮し判断できる年頃であろうがなかろうが、</div><div>それはお構いなしに、親は子に価値観を強要してよいのかも知れません。</div><div>（ときには反対に、子が親に強要するケースもあり得ます）</div><div><br></div><div>「父は私のことを理解してくれない、自分のエゴを一方的に押しつける！」</div><div>仮に子にそう思われ、強い反発を買ったとしてもです。</div><div><br></div><div>夫が妻に、妻が夫に自分の価値観を押しつけるのはどうでしょうか？</div><div>それも私には、一概に悪いことだとは思えませんでした。</div><div>「私はあくまでも私、だから夫に干渉されたくない！」</div><div>仮に妻にそう思われ、夫婦が不仲になったとしてもです。</div><div><br></div><div>全てにおいてではありませんが、“価値観の共有”は家族である証の一つです。<span style="line-height: 1.5;">他人ならば強要もしませんし、できないでしょう。</span></div><div>でも、それが許される相手も存在するのでは？</div><div>（相手が最終的に受け入れるかどうかは別問題ですが･･･）</div><div><br></div><div>企業や組織などで全員が一丸となって何かに向かう時、その事柄に対する共通の価値観がメンバーに求められます。</div><div>でなければ課題への対処、目標の達成がとても困難となるからです。</div><div><br></div><div>「強要」は程度の問題に過ぎないとも言えます。</div><div>強く諭すだけでならまだしも、半ば強引に相手の意識を変えようと働きかけることがあります。</div><div>だから言葉を「共有」に置き換えると、とても優しいイメージになります。</div><div><br></div><div>さながらそれは、</div><div>私はゲームが嫌いです。</div><div>あなたも一緒にゲームを嫌いになりませんか？</div><div>と誘うようなものかも知れません。</div><div><br></div><div>私たちの住む人間社会は実に様々な価値観がぶつかり、あるいは複雑に交錯し合う社会だと言えるでしょう。</div><div><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131029/22/akechi011/c6/88/j/o0800056712732280844.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/22/akechi011/c6/88/j/t02200156_0800056712732280844.jpg" style="width: 300px; height: 212.72727272727272px; border: none;" ratio="1.4102564102564104" id="1383052468989"></a></p><p></p><div style="text-align: center;"><span style="line-height: 1.5;">そこにある “物”</span></div></div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 22:20:59 +0900</pubDate>
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<title>あなたもゲームを嫌いになって下さい！</title>
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<![CDATA[ <div>様々な価値観があります。</div><div><br></div><div>その中身を吟味してみると、当然に様々な捉え方が存在するはずです。</div><div>しかし人の数ほど多いかと言えば、決してそうではない気がします。</div><div>多様ではありますが、似通った価値観というものが存在するからです。</div><div><br></div><div>また価値観には良い・悪い、好ましい・好ましくない、優れた・優れていない、古い・新しい、広い・狭い、大きい・小さい、正しい・正しくない、納得できる・納得できない、といった観点が見受けられます。</div><div><br></div><div>その判断は個人の主観に左右されますので、ある人が“好ましい”と感じる価値観を別の人は“好ましくない”と感じるケースは往々にしてあります。</div><div><br></div><div>さて30年も夢中になっていたゲームマニアはその価値観を一変させ、にわかにゲーム嫌いに変身しました。</div><div>テレビゲームやネットゲームへの依存症にハタと気付き、そこにタバコに通じる中毒性や有害性があると看破したのです。</div><div>“正義は我にあり”です。</div><div><br></div><div>しかし･･･、<span style="line-height: 1.5;">私はゲームが嫌いになりました。</span></div><div>だからあなたもゲームを嫌いになって下さい！</div><div>と言ってはならないのです。</div><div><br></div><div>どれだけそれが良い、好ましい、優れた、新しい、広い、大きな、正しい、納得できる、価値観であったとしても、それすらも所詮は個人の主観に過ぎません。</div><div><br></div><div>“魂”の赴くまま、相手を少しでもより良い方向へと導きたい。</div><div>そんな崇高な精神も、見方を変えれば（違う価値観の相手から見れば）上から目線の独善に過ぎなかったりします。</div><div><br></div><div>私はこう思いこう考えますが、あなたはどうですか？</div><div>主張する（叫ぶ）だけなら一向に構わないでしょう。</div><div><br></div><div>“価値観の強要”は、してはならない重要な一つだと思います。</div><div><span style="line-height: 1.5;">明らかに相手の考え方が間違っている時、自分が抱く正しい考え方を相手に理解してもらいたくて諭すことがあります。。</span><br></div><div>それでも理解してもらえないときには強要するべきではありません。</div><div><br></div><div><span style="line-height: 1.5;">価値観は人格を形成する大きな要因なので、その否定は最終的に相手を否定することに結び付きかねません。</span><br></div><div>すでに述べたように、自分が正しいと感じている価値観すら果たして真に正しいとは限らないケースもあり得ます。</div><div><br></div><div>ありがちなパターンは自分の価値観を信奉するあまり、同じ価値観を抱けない他人を蔑んだり、憎んだりすることです。</div><div><br></div><div>「ところで兄貴、最近どんなゲームをやっているの？」</div><div>「ゲーム？　そんなものに興じている時間はまったく無いよ；」</div><div>私の言葉に末の弟は目を丸くしました。</div><div>よもや私の口からそんな言葉が出るとは考えていなかったのでしょう。</div><div>ゲームがあれほど好きだった私がなぜ考えを改めたのか簡単に話しました。</div><div><br></div><div><div>「う～ん、まぁそんなに深く考えずに･･･、やりたい時はゲームでも何でもやればいいんじゃないの？、気晴らしで＾＾；」</div><div>かっての私ほどではありませんが、弟もどちらかといえばゲームマニアです。</div><div><br>少し戸惑いながら、そうつぶやいた彼の言葉も一つの価値観です。</div><div>しかも納得できるものでした。私は笑顔でうなずきました。<br><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131028/20/akechi011/86/20/j/o0800056712731129689.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131028/20/akechi011/86/20/j/t02200156_0800056712731129689.jpg" style="width: 300px; height: 212.72727272727272px; border: none;" ratio="1.4102564102564104" id="1382961941560"></a></p><p></p></div></div><div style="text-align: center; ">新たな価値観</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/akechi011/entry-11656583837.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 20:59:11 +0900</pubDate>
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<title>私はゲームがとても大好きでした</title>
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<![CDATA[ <div>ゲームをしていると気分がホッとしたり、ワクワクしたりします。</div><div>楽しくて充実した感覚を味わえるのです。</div><div><br></div><div>特に家族が寝静まった深夜、１人で没頭できるときは至極でした。</div><div>誰にもジャマされない、自分だけの落ち着いた時間。</div><div>興味のあることに集中しているので、リアルの嫌なことも忘れられました。</div><div><br></div><div>ところがあることを契機に、心境が変化しました。</div><div>それまで見えないものが見え、感じないことを感じるようになったのです。</div><div><br></div><div>「ゲームは文化であり、遊戯者を想像の世界に誘ってくれるエンターテインメントである！」</div><div>そう信じて疑わなかった自分が、真逆の価値観を抱くようになったのです。</div><div>それは磁石のN極からS極に見方を変えるのに似ています。</div><div><br></div><div>見方が変わることによって、新たな別の見方や捉え方ができたりします。</div><div><br></div><div>私が中小企業診断士を取得するのに要した学習時間は約1,000時間です。<br>ちなみに行政書士は約300時間、宅地建物取引主任者は約200時間ほど勉強しました。日商簿記２級なら約100時間勉強すれば取得できます。<br><br></div><div>ゲームはどうでしょう？</div><div>おそらく10,000時間は楽に越えているはずです。</div><div>正確に時間を記録したなら、もっと多いかも知れません。</div><div>前回のブログで明かしたようにとても沢山のゲームをやりましたから＾＾；</div><div><br></div><div>過ぎ去った人生に「たら？」「れば？」は無意味かも知れませんが、</div><div>ゲームに要した莫大な時間をもっと別のことに使っていたら？</div><div>私はとても多くの知識や技能、研鑽を得たはずに違いありません。</div><div><br></div><div>慢性的な肩こり、眼精疲労、視力低下。</div><div>時間は有限なのに、人生は永遠だと錯覚していた節があります。</div><div>目が充血し、疲れてショボショボしてくると目薬をしてまで没頭しましたw</div><div>なぜもっと健康的なことにその時間を使わなかったのだろう？</div><div><br></div><div>取り返せない過去を悔やんでも仕方がありません。</div><div>当時はそれに意義を感じ、しかも楽しんでいたのですから「まぁいい」と自分を納得させるしかありません。</div><div><br></div><div>トランプや将棋など目の前に相手があり、実際にカードを手にしたり駒を動かすのなら、それはまだ“意義ある遊び”と言えます。</div><div>しかしそれらがテレビゲームに姿を変えたなら要注意でしょう。</div><div>なぜ？、キーボードやマウス、コントローラー、あるいは人差し指での操作に置き換わっただけじゃない。</div><div>そういう発想に惑わされていると、いつまでも本質に気づけません。</div><div><br></div><div>タバコを吸っていると気分が落ち着いてホッとします。</div><div>イライラが無くなって楽になります。</div><div>実はタバコを吸っているからこそ、そういう感覚が芽生えるのですが、吸っている本人は気付きません。</div><div>タバコが害悪であるにも関わらず、タバコに救われていると考えがちです。<br>この「タバコ」はその言葉を「ゲーム」に、「吸っている」は「やっている」に置き換えることができます。</div><div><br></div><div>ゲームはタバコほど有害ではないとあなたは考えますか？</div><div>それが優れたゲームであればあるほど、恐るべき中毒性を秘めています。<br><br></div><div>今日の様々なビデオゲーム、ネットゲームは下手をすると、タバコとさほど変わらない有害性を持っているかも知れません。<br><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131022/23/akechi011/c1/ca/j/o0800056712724934876.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131022/23/akechi011/c1/ca/j/t02200156_0800056712724934876.jpg" style="width: 300px; height: 212.72727272727272px; border: none;" ratio="1.4102564102564104" id="1382450979397"></a></p><p></p></div><div style="text-align: center; ">新たな価値観</div>
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<pubDate>Tue, 22 Oct 2013 23:09:43 +0900</pubDate>
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<title>あなたはゲームをどう思いますか？</title>
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<![CDATA[ <div>あまり褒められた話ではないかも知れませんが、私はかなり沢山のゲームをやってきました。</div><div><br></div><div>ファミコン、PCエンジン、メガドライブ、スーファミ、セガサターン、プレステ、任天堂64、プレステ2、ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブ、DS、PSP、XBox360、プレステ3、DSi。</div><div>この30年間に付き合ってきたゲーム機は実に16種類にも及びます。</div><div>PCゲームもやってきましたので、パソコンも加えなくてはなりません。</div><div><br></div><div>ウイザードリィ、ドラクエ、ファイナルファンタジー、サガ、ペルソナ、シャドウハーツ、幻想水滸伝、スターオーシャン、ヴァルキリープロファイル、ファイアーエンブレム、三国志、信長の野望･･･</div><div><br></div><div>RPG（ロールプレイング）やSG（シミュレーション）の代表的なゲームソフトに関しては、ほぼ全てのバージョンをやり尽くしたと言っても過言ではありません。</div><div><br></div><div>アクション系は苦手（年齢が相応＾＾；）なのでモンスターハンターはやっていませんが、それでも古くにはストリートファイターや鉄拳、最近では戦国無双、三国無双などのシリーズはほぼこなしています。</div><div>リネージュ2やハンゲームなど、PCネットゲームにも興じてきました。</div><div><br></div><div>どうしてそんなに沢山のゲームをやることができたのか？</div><div>経営コンサルタントという自由業であったことから、サラリーマンよりは格段に時間的な余裕を得やすかった事が挙げられます。</div><div>しかし最大の理由は、私が純粋にゲームマニアだったからに他なりません。</div><div><br></div><div>“ゲームおたく”、“ゲーマーパパ”と揶揄されることも意に介しません。</div><div>要はゲームが大好きで、暇があればやっていたのです。</div><div>しかもゲームに対して特別な価値観を抱いていました。<br><br>あなたはゲームをどう思いますか？<br>そう自問したとき、即座に自答できました。</div><div>「ゲームは文化であり、遊戯者を想像の世界に誘ってくれるエンターテインメントである！」</div><div><br></div><div>たとえば素晴らしい映画や音楽、書物などに触れることによって自身の感性が豊かになったり、満ち足りた気分を味わったりします。</div><div>ゲームも同じだと考えていたのです。</div><div><br></div><div>とりわけ映像の美しい最近のビデオゲームでは、まさに自分をアドベンチャー世界の主人公に置き換えることができます。</div><div>ため息が出るほど素晴らしい！、何と楽しいゲームなのだろう！</div><div>マンガ本だって文化だ。ゲームはさらに高度な人類の文化に違いない。</div><div><br></div><div>30年もかけて培ってきた価値観だけに、それは容易に崩れません。</div><div>ましてや自分の行いを肯定し、愚かで惰弱なゲーマー生活を正当化させる認識だったのですから･･･</div><div><br></div><div>えっ？、今の私はゲームをどのように思うのか、って？<br>あまりに異なるので、読者の中には驚かれる方がいるやも知れません。<br><br>あなたはゲームをどう思いますか？</div><div>「ゲームをやって得られる建設的な恩恵は一つもありません。もしあると考えるのなら、それは錯覚に過ぎないでしょう」<br><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131018/20/akechi011/4d/7e/j/o0800056712720455238.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131018/20/akechi011/4d/7e/j/t02200156_0800056712720455238.jpg" style="width: 300px; height: 212.72727272727272px; border: none;" ratio="1.4102564102564104" id="1382100347836"></a><br><span style="line-height: 1.5;">建設的（前向き）な恩恵</span><br></p></div>
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<pubDate>Fri, 18 Oct 2013 21:02:05 +0900</pubDate>
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<title>ありのままの自分【Chikea Ganashiyo 語録】</title>
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<![CDATA[ <div style="padding:10px;background-color:#F0F8FF;line-height:1.6;"><span style="font-size: 18px;"><b><span style="font-size: 16px;">恥じるな、隠すな、偽るな、自分に正直であれ、ありのままの自分でいろ！</span></b></span><br><b>－Chikea Ganashiyo<br></b><br><p style="text-align: center;"></p><p></p><p></p><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131016/20/akechi011/d7/c9/p/o0800060012718450185.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131016/20/akechi011/d7/c9/p/t02200165_0800060012718450185.png" style="width: 300px; height: 225px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1381924504120"></a></p><p></p><br>薄毛を隠すためのハットではありません！、お洒落ハットです＾＾；　ハゲてませんよ、ウスイだけなんです。ほんのチョットだけねっ（･･･自虐かな？）<br><br>※写真は精悍に日焼けして真っ黒な「辛口太郎」＾＾（2013.8.14）<br><br><a href="https://www.facebook.com/pages/辛口太郎/162859097237043" target="" title="">https://www.facebook.com/pages/辛口太郎/162859097237043</a><br>↑私のブログ紹介ページです（ハットな私のカバー画像にハッとするかも？；）<br>ページに「ポチッ」としていただくと励みになります(*^^*)</div><br><div>軽いノリに後から赤面するのは前回の“語録”と同様です＾＾；</div><div>しかも<span style="line-height: 1.5;">この“語録”には自分の写真を載せる暴挙までしでかしました。</span></div><div><br></div><div>何とおちゃらけたスタイルの写真。</div><div>このAmebaブログを紹介するfacebookページ作りに関し、そのカバー画像用にと妻に撮影してもらった写真の1枚です。</div><div><br></div><div>50過ぎの大の男なのに、さぞナルシーな野郎と思われたに違いありません。</div><div>（親しい人からは絶賛でした。コメントもいただきましたw）</div><div><br></div><div>しかしこの暴挙は、私にとって快挙とも言えるものでした。</div><div>facebookのプロフィール画像のように自分をキチンと示す必要がある場合を除き、わざわざ顔写真を自分から他人に見せることがなかったからです。</div><div><br></div><div>この写真の公開は、とても大きな私自身の心境の変化の現れだったのです。</div><div><br></div><div>Chikea Ganashiyoの“語録”は、私の背中を強く押してくれました。</div><div>恥じるな、隠すな、偽るな、自分に正直であれ、ありのままの自分でいろ！</div><div><br></div><div>様々な関わりに目を向けて積極的に広げていきたい、そう考え、自ら踏み出すからには、自ずと顔見せも厭わなくなるのかも知れません。</div><div><br></div><div>（帽子かぶっていますよね。隠しているではないですか？）</div><div><br></div><div>リアルでも私があれこれ外に出て行くようになり、77歳の母は私を気遣ってアドバイスをくれます。</div><div>「そんなに薄毛を気にするなら帽子でもかぶったらどうなの？」</div><div>「いや、自分を偽ったり、隠すために帽子はかぶりたくないんだ！」</div><div>「何バカなこと言っているの？、今はオシャレで帽子かぶる人も増えているのよ」</div><div><br></div><div>いつまでたっても母の愛情は有り難いものです。</div><div>この夏に私に帽子を買ってプレゼントしてくれました。</div><div>とても気に入って、それからは毎日かぶっています。</div><div><br></div><div>ちなみに写真でかぶっているハットは18歳の四女のものです。</div><div>薄毛を隠すためのハットではありません。お洒落ハットです。</div><div>ハゲてませんよ、ウスイだけなんです。<span style="line-height: 1.5;">ほんのチョットだけねっw</span></div><div><br><div>少しはまだカッコつけているかも知れません。</div><div>でもようやく人前に、私は自分をさらけ出せるようになったのです。</div></div>
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<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 21:03:41 +0900</pubDate>
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<title>手にすべきもの【Chikea Ganashiyo 語録】</title>
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<![CDATA[ <div style="padding:10px;background-color:#FFFFE0;line-height:1.6;"><span style="font-size: 16px;"><b>手にしているものを離しなさい、もっと大きなものを手にしたいのなら</b></span><br><b>－Chikea Ganashiyo</b><br><br>風を送ってくれる団扇を持つべきか、陽をさえぎってくれる日傘を持つべきか。どちらも暑さ対策の品なので悩みます。必ずしも大きな方が良いとも限らないし（･･･微妙かな？）<br><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131014/22/akechi011/27/ff/j/o0800060012716289535.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131014/22/akechi011/27/ff/j/t02200165_0800060012716289535.jpg" style="width: 300px; height: 225px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1381756863109"></a></p><p></p><br><p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131014/22/akechi011/32/65/j/o0800060012716289536.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131014/22/akechi011/32/65/j/t02200165_0800060012716289536.jpg" style="width: 300px; height: 225px; border: none;" ratio="1.3333333333333333" id="1381756862847"></a></p><p></p><br>※「京都慕情 O's HD」の三女です。<br><a href="https://www.facebook.com/akechi011" target="" title="">https://www.facebook.com/akechi011</a><br>↑作品ページはこちら（ご覧になるときはステレオフォンで＾＾）<br><br>ページの「いいね！」をポチッとね。あなたも私も幸せに･･･w</div><div><br>facebookの投稿に2枚以上写真をアップすると、後から文章の編集をしたくてもできません。</div><div>注意すべきなのについ軽いノリで行ってしまい、読み返すと赤面です。</div><div>訂正はもちろんせず、上記はまったく当時の内容です。</div><div><br></div><div>ページの「いいね！」をポチッとね。あなたも私も幸せに･･･w</div><div>（どう考えても、ポチッとされた側だけが幸せですよね？＾＾；）</div><div><br></div><div>さて、“二兎を追う者は一兎をも得ず”という“諺”とこの“語録”は意味が異なります。</div><div>一つはすでに得ているわけで、当初から二つを得ようとするものではありません。<span style="line-height: 1.5;">似ているようでも、それは大きな違いです。</span></div><div><br></div><div>では、あるものを得るためには別の何かを捨てなければならないのか？</div><div>決してそうではない、と言う人も少なくないでしょう。</div><div>二つも三つも、さらに沢山のものを手にしている人が存在するからです。</div><div><br></div><div>しかし物理的な話になると様相は違います。</div><div>すでに手が塞がっていますので、新しく何かを手にするためには、今手にしているものを捨てなくてはなりません。</div><div>そう、必ず捨てなくてはならないのです。</div><div><br></div><div>それは物理的な話の場合だけと楽観しそうですが、</div><div>ときに他のケースにも同様のことが生じる場合もあるはずです。<br>実はそういうケースが結構多かったりもします。</div><div>なかなか手にできないものを選択するとき、新たな価値観を見出すとき、とても大切なものがどちらか一つであったとき、等々です。</div><div><br></div><div>では新たに手にするものとは、どのようなものであるべきなのか？</div><div>扇子と日傘のどちらが良いかは大変悩みます。<br><span style="line-height: 1.5;">どちらにすべきでしょうか？<br><br></span><span style="line-height: 1.5;">自分をより幸せにしてくれるものであるなら･･</span><span style="line-height: 1.5;">･</span><span style="line-height: 1.5;"><br></span>たとえわずかでも他人をより幸せに結びつけるものであるなら･･･</div><div><br></div><div>書いた時にはChikea Ganashiyo本人すら気付いていませんでしたが、<br>この“語録”の究極の真理は「今よりもっと幸せを手にしなさい」ということなのかも知れません。<br></div>
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<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 22:25:09 +0900</pubDate>
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