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<title>前のめり紀行2022(旧ぷらっとかながわ)</title>
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<description>嘗て川崎、横浜中心にゆるく放浪する日々をつづっていた日記。時空を超えて復活の予感。</description>
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<title>大江広元(2)</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;">…大江広元の人となり説明でそこそこ費やしてしまった感。<br>&nbsp;</p><p style="text-align: center;">さて、やっと本題に入ります。聖地案内ということなのですが、</p><p style="text-align: center;">人となりで説明した通り元々都の貴族なので京都行けよ、と</p><p style="text-align: center;">なってしまうとそれまで。神奈川県民として基本神奈川、<br>ゆるく関東・伊豆程度(だいぶゆるゆる)を一応メインとしたい</p><p style="text-align: center;">ので、ええ…。<br><br>◎大江稲荷神社<br>鎮座地　神奈川県鎌倉市十二所114<br>御祭神　大江広元公<br>　　　　　　稲荷神？<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/16/aki-tenkawa/a1/e7/j/o1280095914882952733.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/16/aki-tenkawa/a1/e7/j/o1280095914882952733.jpg" width="420"></a><br>現在は鎌倉市域の東端、鎌倉霊園手前(駅から見て)の十二所地域</p><p style="text-align: center;">が広元が暮らした所と言われています。ここにある大江稲荷神社は</p><p style="text-align: center;">御祭神が大江広元公であるという以外は正直詳しいことは分かり</p><p style="text-align: center;">ません。</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/17/aki-tenkawa/ce/c1/j/o1280091414882975327.jpg"><img alt="" height="300" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/17/aki-tenkawa/ce/c1/j/o1280091414882975327.jpg" width="420"></a><br>しかし神社前にある説明板を読むと、『初午祭では神主ではなく<br>ご本尊の大江広元木像を祀る明王院の住職が読経供養』と</p><p style="text-align: center;">書かれています。五大堂とは…<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/21/aki-tenkawa/38/e0/j/o1280095914883121748.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/21/aki-tenkawa/38/e0/j/o1280095914883121748.jpg" width="420"></a><br>残念ながらこちらは境内撮影禁止なので説明板だけ。<br>◎飯盛山 寛喜寺 明王院<br>神奈川県鎌倉市十二所32</p><p style="text-align: center;">4代将軍・藤原頼経により1235年に建立された真言宗の寺院。<br>鎌倉幕府将軍発願により建立されて現存するのは市内で<br>ここだけだと言われてます。実は大江稲荷のご神体というか</p><p style="text-align: center;">ご本尊というか(神仏混淆…)の大江広元木像、普段はこちらの</p><p style="text-align: center;">御堂に納められている秘仏なのです。秘仏なので拝観は叶い</p><p style="text-align: center;">ませんが、大江広元公関連のことを探してこの辺りを散策</p><p style="text-align: center;">してます的なことを言えばどこに納められてるかなどは教えて</p><p style="text-align: center;">くれる、筈。(ここに書いてあったから教えろ！みたいなこと</p><p style="text-align: center;">言って寺に押しかけないように。そんな人ここ読んでないと</p><p style="text-align: center;">思いますけど)</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;">で、この十二所界隈に行くには大体どんなカイドブック的な</p><p style="text-align: center;">ものにも鎌倉駅からバスで鎌倉霊園方面行のバスに乗って</p><p style="text-align: center;">十二所で降りて、と書いてあります。生まれて初めて鎌倉に</p><p style="text-align: center;">降り立つ人ならそれで良いでしょう。なんでしたら鎌倉駅から</p><p style="text-align: center;">徒歩とか。(歩いたことはありますが…おススメはしません)</p><p style="text-align: center;">しかーし。</p><p style="text-align: center;">ここはあえての違うルートを推奨したいのです。現鎌倉市域</p><p style="text-align: center;">の東端と言いました。それはつまり市境。接しているのは</p><p style="text-align: center;">横浜市。鎌倉霊園の横を通るのはあの有名な朝夷奈切通<br>(ここについてはまた何れ触れることもありましょう)、抜けたら</p><p style="text-align: center;">今は横浜市金沢区なのです。朝夷奈切通を抜けて突き進む</p><p style="text-align: center;">と京浜急行金沢八景駅へと到着するのですが、JR鎌倉駅と</p><p style="text-align: center;">金沢八景駅を結ぶバスというのがまあまあ本数あるのです。<br>そう、『横浜側から鎌倉を攻めるルートを使って大江広元</p><p style="text-align: center;">縁の地巡りどうでしょう』が今回言いたかったことなのです。<br><br>やっとか。長い。我ながらうざい。つづく、にしちゃおう。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/aki-tenkawa/entry-12650918463.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Jan 2021 22:20:41 +0900</pubDate>
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<title>大江広元(1)</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;">とりあえずの一回目では鶴岡八幡宮のことを書いてしまったけれど、<br>はてこの後どういう路線というかカテゴライズというかでブログを続け<br>ようか。前回鶴岡八幡宮寺のことを出したので、勝長寿院と永福寺<br>の跡でもいいかとも思ったけれど、少し前に戎光祥出版編集長さん<br>(@ebisukosyo_maru)が行ったツイッターでの『鎌倉殿の13人メンバー<br>人気投票』で<span style="color:#ff0000;">大江広元がぶっちぎりの一位になった</span>ということで、<br>とりあえず広元絡みのことを書いてみようかと。<br><br>このぶっちぎり一位の理由の大半は既に第一次キャスト発表において<br>『真田丸』での人気キャラ真田昌幸の弟・信尹を演じた栗原英雄さんが<br>演じることが分かっているから、というのがかなりの大きな要因では<br>あると思うけれど、しかし13人の中では元々メジャーな人物(腰越状<br>の件やら承久の乱で討って出るべきだと進言したなど)だからまあ<br>当然の結果かもしれない。とはいえ逆に実兄の中原親能最下位4票て…。<br>これまたキャンティングが公になったらひっくり返る可能性も大きい<br>んじゃないかと思うなど。そもそも頼朝との関係が深かったのは親能<br>なのだからねぇ。</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;">では、ざっくりと大江広元について。<br><br><span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">大江広元</span></span>(おおえのひろもと 1148?～1225)『吾妻鏡』等では1148年、<br>『尊卑分脈』では1143年を生年としている。何れにせよ80歳前後と<br>この時代にしては長命であったとされる。出自は諸説あって断定<br>出来ないが、十三人合議制に同じく名を連ねる中原親能が実兄<br>であり、土師氏を源流とする大江氏(所謂『源平藤橘』と同じ『姓』<br>なので"おおえの")の一族であり都の下級貴族だった。後に鎌倉へ<br>下向、源頼朝の側近となり幕府創設に深く関わる。鎌倉幕府政所<br>初代別当。<br>但し、大江姓を称したのは陸奥守任官後の1216年以降でそれまで<br>は中原姓だったともいい、更に同年重い病を患い出家し覚阿と<br>号した。この病の際視力を完全に失ったとされる。<br><br>広元四男・季光が広元の所領相模国愛甲郡毛利庄(現・神奈川県<br>厚木市)を引き継いで毛利氏を称する。源実朝が暗殺されると季光<br>は出家して西阿と号し、承久の乱で活躍するも宝治合戦で討死。<br>この時季光の四男・経光のみが越後にいた為生き残り、やがて<br>この系統から出たのが毛利元就らとなる。<br><br>また広元嫡男・親広は北条義時の娘を妻として活躍するが、承久の乱<br>で朝廷方についた為失脚し出羽国に逃げたとされる。(承久の乱以降<br>の動向詳細は不明)しかし親広嫡男である佐房は祖父である広元と<br>共に鎌倉方について活躍した為信濃国上田荘(現・長野県上田市)を<br>拝領信濃上田氏祖となったとされる。佐房の曾孫にあたる大江泰広<br>（又八郎、出家して宗阿、殖田又太郎とも）とその一族は霜月騒動<br>(安達泰盛の乱)で安達側について討死、上田氏としては滅亡。尚、<br>親広の子孫は前述の出羽国寒河江荘で生き延び寒河江氏となり、<br>南北朝、戦国を経て最上氏の配下となるが嫡流は滅亡。後、傍流<br>から再興され末裔は各藩の武家となっていった。余談だが広元の</p><p style="text-align: center;">兄・中原親能の系統から出たのが摂津氏であり、鎌倉～南北朝～<br>室町と幕府の要職につきその際『摂津守』に任じられたことが多かった<br>為摂津氏を称したとされる。室町幕府最後の将軍・足利義昭に仕えた<br>摂津晴門らもこの一族とされるが没年は不明。<br>また、大友氏の家臣となった摂津氏もあるとされるがやはりその後は<br>不明。その大友氏の発祥も相模国大友荘（現・神奈川県小田原市)<br>で、毛利や大友、島津といった西国の戦国大名を遡ると概ね鎌倉殿と<br>その側近たちに行きつくのが歴史の連続性なのだと思う。<br><br>ざっくりという割には前説が長くなってきたのでとりあえず(1)として<br>続けます。一応予告としてこの辺りを。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/16/aki-tenkawa/a1/e7/j/o1280095914882952733.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210117/16/aki-tenkawa/a1/e7/j/o1280095914882952733.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Sun, 17 Jan 2021 21:00:00 +0900</pubDate>
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<title>鶴岡八幡宮(1)</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><span style="font-weight:bold;">◎鶴岡八幡宮◎</span><br>旧国幣中社　別表神社<br>鎮座地　神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31<br>御祭神 応神天皇 比売神 神功皇后<br>JR鎌倉駅より徒歩約15分　又は京急バス『八幡宮』下車すぐ<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/19/aki-tenkawa/21/a6/j/o1280096014876492478.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/19/aki-tenkawa/21/a6/j/o1280096014876492478.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/74/04/j/o0640048014876431288.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/74/04/j/o0640048014876431288.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/30/1a/j/o0640048014876431290.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/30/1a/j/o0640048014876431290.jpg" width="220"></a><br><br>と誰でも知ってる情報を先ず書きました。武家の都、鎌倉の象徴です。一の宮巡拝会に加入していますが、相模一宮はあくまで『寒川神社』(式内社、いずれ梶原景時の話の時にでも出て来るでしょう…)なので念の為。段葛の画像は10年位前の桜の時期に撮影したものです。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/b6/0f/j/o0295042514876430796.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="317" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/b6/0f/j/o0295042514876430796.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/63/78/j/o0295043514876430874.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="324" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/63/78/j/o0295043514876430874.jpg" width="220"></a><br>頼朝建立の三大寺院として鶴岡八幡宮<span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff0000;">寺</span>、</span>勝長寿院、永福寺(ようふくじ)といのうがよく出てきますが、鶴岡八幡宮そのものだけは創建が古く、頼朝の5代前、河内源氏・源頼義が康平6(1063)年奥州平定の後鎌倉に戻り材木座に源氏の氏神である八幡神(石清水八幡宮の御分霊とするのが一般的)を祀ったのが始まりと言われています。その息子八幡太郎こと源義家も崇拝し修復を加えています。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/21/aki-tenkawa/42/74/j/o1261161714876563307.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="282" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/21/aki-tenkawa/42/74/j/o1261161714876563307.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/76/25/j/o0290044314876430931.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="336" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/76/25/j/o0290044314876430931.jpg" width="220"></a><br>そちらは現在『由比若宮』と呼ばれ、社殿があります。更にその由比若宮自体は東国における源氏最初の足掛かりといっても良い現・茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮(頼義が下総の乱鎮定の為1030年に創建)からの御分霊とも言われ、鶴嶺八幡宮を本社八幡、若宮を元八幡と呼ぶ場合もあります。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/3e/9d/j/o0480064014876430323.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/3e/9d/j/o0480064014876430323.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/44/cd/j/o0312046014876430557.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="324" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/44/cd/j/o0312046014876430557.jpg" width="220"></a><br>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/8e/ce/j/o0225020514876430123.jpg"><img alt="" height="205" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/8e/ce/j/o0225020514876430123.jpg" width="225"></a><br>先程『頼朝建立の三大寺院』と書いてピンと来なかった方も多いかもしれませんが、鎌倉期は特に神仏混淆が盛んとなり、鶴岡八幡宮寺として神社と寺院両方の性質を兼ねた一大宗教施設として発展していったのです。しかし明治の神仏分離・廃仏毀釈により仏教色の濃いものは大半が捨てられました。僅かに神奈川・東京の寺院や博物館(浅草寺や鎌倉・寿福寺、東京国立博物館や根津美術館など)に残された寺宝もあるものの、大半が破壊、廃棄、散逸(海外へ安値で流失)してしまったので、その全容を知ることは今となっては出来ません。尚この有名な『八』が鳩となっている扁額も明治期に作られたもので、宮の下にあった『寺』の字部分を削り、枠を作り直したとも言われています。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/cb/ac/j/o0640048014876430124.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/cb/ac/j/o0640048014876430124.jpg" width="220"></a><br>因みに嘗て八幡宮のシンボルとなっていた大銀杏は2010年3月に強風により倒壊しました。この大銀杏は別名隠れ銀杏とも呼ばれ、3代将軍・源実朝暗殺の際、甥である2代将軍・源頼家の息子・公暁(くぎょう/こうきょう、最近では『こうきょう』だったのではと言われている)がここに潜んでいて襲い掛かった伝説のある大木でした。実際には樹齢が若かったと見られ、この2010年に倒壊した木そのものとも考え辛く、更に先代の銀杏がここに生えていたのではないかと考えられています。今はその倒壊した木からも芽吹き、更に植樹した新木が育っています。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/de/fe/j/o0640048014876431447.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/17/aki-tenkawa/de/fe/j/o0640048014876431447.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/22/aki-tenkawa/81/47/j/o1280096014876580637.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210103/22/aki-tenkawa/81/47/j/o1280096014876580637.jpg" width="220"></a><br>ということで今は2021年1月3日、大河ドラマは『麒麟がくる』が絶賛放映中、来月からは次回作『青天を衝け』が放送予定でどちらも勿論応援している訳ですが、来年の『鎌倉殿の13人』へ向けて、この2021/1/3という数字の並びの日に何か書き始めたいということで無理やりぶっこんでみました。タイトル的に(1)となっているからって(2)以降書くかどうかも分からないし、どんな頻度どんなタイミングで書き殴るかも分かりません。とりあえず最初なんで鶴岡八幡宮のことに触れておけば、くらいの思考しかありませんので何となく読み流して頂ければ幸いです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/aki-tenkawa/entry-12647983892.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jan 2021 22:29:33 +0900</pubDate>
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<title>鎌倉殿の13人第一次キャスト発表記念鎌倉散歩(前説)</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><span style="font-weight:bold;">◎この日のルート(JR鎌倉駅スタート、全て徒歩)◎</span><br><span style="font-style:italic;">鶴岡八幡宮(境内・旗上弁財天社、白旗神社政子石)～畠山重忠邸跡～頼朝の墓(白旗神社)～法華堂跡(北条義時の墓)～※大江広元の墓・三浦一族のやぐら～荏柄天神社～鎌倉宮</span><br><br><span style="color:#ff0000;"><span style="text-decoration:underline;">はじめに</span></span><br>2022年放送予定大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第一次キャスト発表が行われたことを記念して今後また自分でも改めて巡りたくなるであろう聖地(=ドラマ本編終了後の紀行で扱われる、と思われる場所)について事前からちょいちょいメモを残しておこうという思いだけで、8年振りにブログ復活させました。普段は主に140文字のSNSに生息していますが、説明長くなりそうだなぁ、って案件はこちらでおいおい出していきたと思っています。尚、以下今回分はツイッタから転載。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/2f/11/j/o1280096014861118717.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/2f/11/j/o1280096014861118717.jpg" width="220"></a><br>鶴岡八幡宮・扁額</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/52/b8/j/o1280095014861118720.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="163" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/52/b8/j/o1280095014861118720.jpg" width="220"></a><br>八幡宮境内で知らないと行かない可能性高めの政子石。源氏池側の末社・旗上弁天社拝殿の横にひっそりと鎮座。以前は八幡宮本殿にあって、政子懐妊の際頼朝が安産祈願の為奉納したとか。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/63/83/j/o1280096314861118722.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="166" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/63/83/j/o1280096314861118722.jpg" width="220"></a><br>鶴岡八幡宮境内社白旗神社。御祭神は源頼朝公＆源実朝公<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/bc/ae/j/o0967128014861118723.jpg"><img alt="" height="291" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/bc/ae/j/o0967128014861118723.jpg" width="220"></a><br>鶴岡八幡宮流鏑馬馬場から東の鳥居を出て直ぐの所にある畠山重忠邸跡(の碑)。ここが吾妻鏡でいうところの南御門宅なのかどうか若干疑問はあるものの、段葛や佐助稲荷の造営等を任されて頼朝から愛されていたことを考えるとほぼこの辺に住んでたんだろうなぁ、とは思える場所。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/04/11/j/o1280096014861118729.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/04/11/j/o1280096014861118729.jpg" width="220"></a><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/da/bb/j/o1280096014861118730.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/da/bb/j/o1280096014861118730.jpg" width="220"></a><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/f3/0f/j/o0960128014861118745.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/f3/0f/j/o0960128014861118745.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: center;">法華堂跡の碑と白旗神社そして頼朝の墓。といっても島津氏が建てたもの。尚、法華堂と呼ばれるようになったのは頼朝が亡くなった後とかで、元々は奥州征伐戦勝祈願の為に本尊を聖観音像として建てた持仏堂。あの髭切もここに納められてたとかいう話。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/63/23/j/o1280096014861118746.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/63/23/j/o1280096014861118746.jpg" width="220"></a><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/47/f9/j/o1280096014861118749.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/47/f9/j/o1280096014861118749.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: center;">2基の石灯籠の間の階段を上って行った所にあるのが、鎌倉殿の13人主人公北条義時の墓…というか、ふわっと法華堂跡。ここがそうだ！ってなってからまだ15年位(前々からそうじゃね？的な話だったけど)、人もおりません。再来年(元ネタツイートは2020年11月)には何か変わってるんじゃないかな、なんて。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/72/f6/j/o1280096014861118751.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/72/f6/j/o1280096014861118751.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: center;">三浦一族のやぐら。ここで滅んだのは泰村の代。鎌倉殿がどこまで描くかまだ分かりませんが、義時の死まですると三浦一族は生き残れる計算。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/ca/d4/j/o1280096014861118756.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/ca/d4/j/o1280096014861118756.jpg" width="220"></a><br>小さい鳥居奥の(階段は2ルートあっていちいち上り下りする)、島津忠久、大江広元、毛利季光の墓。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/af/ce/j/o1280096014861118767.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/23/aki-tenkawa/af/ce/j/o1280096014861118767.jpg" width="220"></a><br>そして大塔宮護良親王を祀った鎌倉宮、北条一族による鎌倉幕府が滅びていくきっかけに。<br><br>みたいなことを今後書いて行けたらいいな、という感じです。</p>
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<pubDate>Thu, 03 Dec 2020 23:25:44 +0900</pubDate>
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<title>はまのちべっと</title>
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<![CDATA[ 　いやどうも、ご無沙汰です。(・ω・)/<br><br><br>　雪が降ったり、地震が頻発したりで落ち着きませんな。<br><br><br>　ていうか、しれっと2月が終了致しました。まーこの一ヶ月の間にあれやこれやとございまして、今月からまたも新しい生活を始めようとしております。だもんで、今この隙にどっか行っとかないとな、なんて思いまして。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120301/23/aki-tenkawa/13/58/j/o0600045011826325610.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120301/23/aki-tenkawa/13/58/j/t02200165_0600045011826325610.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-矢場八幡鳥居1" border="0"></a></div><br>◇(旭)八幡神社◇　旧村社　<br>鎮座地　神奈川県横浜市旭区川井宿町66<br>旧名称　矢場八幡<br>御祭神　誉田別命<br><br>　旭区内に鎮座する神社庁包括下では唯一の本務社ということで行って参りました。臨海部ではほぼ溶けてしまった雪ですが、結構な感じで残ってましたね、こっちら辺は。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120301/23/aki-tenkawa/de/24/j/o0600045011826325609.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120301/23/aki-tenkawa/de/24/j/t02200165_0600045011826325609.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-矢場八幡社殿1" border="0"></a></div><br><br>　横浜市内に散見される八幡太郎こと源義家公ゆかりのお社でございます。<br><br>　社伝によれば、後三年の役出陣の際に義家が当地にて弓矢を練磨、八幡大神を祀って戦勝祈願し、勝利後の凱旋途中に社殿を建立、という王道パターン。ちょっと面白いのは、ここから南西約1kmほど離れた所に『矢指町』という地区があって(市民の森と聖マリ病院で占められてる)、それはここから義家が放った矢が届いた所だという伝説が残ってる場所。1km飛んだんですってよ、奥さん。きっとそのDNAが曾孫の為朝に引き継がれたんでしょうねぃ。(´∀｀)<br><br><br>　しかしまたこれが何駅からどう行ったらいいんですか、みたいな所で。なので行く前に電話で問い合わせさせて頂きました。その際に先方が発した単語が本日のタイトルです。だから私が言ったんじゃないんで、そこんとこよろしく。<br><br>　このハマのチベットって表現は、市内の所謂『辺境』地区に対して広く使われるのですけれど、今まで結構色んな所で聞いた気がするんですよね。『裏横浜』とか『横山市』とかと被るようで、戸塚をベースに分区した泉、栄、後は瀬谷とか北部一帯を占める、港北、緑とその再編・分区により誕生した青葉、都筑などなど。地元民がちょっと自虐的に言ってる部分が多いんでしょうけれど、全部真に受けると横浜の大半が秘境だということになりそうです。(ﾉ´▽｀)ﾉ<br><br><br>　・・・ま、今後もこんな感じで忘れた頃になにかしらupするかもしれませんので。気が向いたら読んでやって下され。<br><br>　<br><br>　
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<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 23:26:45 +0900</pubDate>
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<title>おさわりおーけー</title>
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<![CDATA[ 　<br>　いやどうも。(｡･ω･)ﾉﾞ<br><br>　諸事情により生活環境に変化がありまして、ちょいと間があきました。と言っても、そんな大した事ではないので今迄通りこのブログは続けていこう、とは思ってます。<br><br><br>　逆に、神奈川はもちろんですが、もっと広げていってもいいかな、ってこれまでも充分はみ出てましたけれどもw。<br><br><br><br>　唐突ですが先日、県東部、主に鎌倉やそれに隣接する横浜南部といったあたりのちょっと変化球の『ごりょうさん』(五霊神社)に行ったりしましたが、割と王道(？)な所って近いとどこかなぁ、とか考えまして。<br><br><br>　まあ東京都になっちゃいますが、多摩川越えてすぐということで。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/98/69/j/o0600045011784321264.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/98/69/j/t02200165_0600045011784321264.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-新田社殿と御神木1" border="0"></a></div><br>◇(矢口)<a href="http://www.nittajinja.org/docs/top.html" target="_blank">新田神社</a>◇　旧府社　<br>鎮座地　東京都大田区矢口1-21-23<br>旧名称　新田大明神<br>御祭神　新田義興公(贈従三位左兵衛佐源朝臣)<br>御創祀　正平13(1358)年10月<br>　<br>　はい、出ました、非業の死を遂げたと言えばの義興公でございます。因みに、川崎市側(渡田)の新田神社は父君・義貞公が御祭神だったと思います。<br><br>　東急多摩川線・武蔵新田駅の駅前商店街の真ん中に鎮座、というか、この駅名自体このお社ありきで付いたという訳で。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/de/26/j/o0600045011784327138.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/de/26/j/t02200165_0600045011784327138.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-新田社殿1" border="0"></a></div><br>　近代社格も『府社』という破格の待遇ですね。まあ、そのー、江戸期においても、"自称"新田氏末裔である徳川氏(清和源氏の新田氏の支流・得川/世良田氏を祖だと主張)が天下を治めてたわけですから、そら崇敬されてたんでしょうが、その辺はつっつくと面倒なのでいつもの通りサラッと逃げます。<br><br>　義興公の人となりみたいなものも、いっくらでも詳細に掲載したサイトがあるでしょうから、それも特には記しません。<br><br>　しかし、彼を嵌めた人物は畠山国清に指示された竹沢右京亮と江戸遠江守とされてますが、江戸氏という響きはどうも個人的に良いイメージが無いというか。((o(-゛-；)<br><br>　いや、実は江戸氏といっても活躍した系統は主に2つあって、こちらは所謂『武蔵江戸氏』で桓武平氏(秩父氏)系と言われてます。個人的によろしくない感情を持っているのは『常陸江戸氏』で藤原氏(秀郷)系の川野辺氏支流ということになっているので、一応別物なんですが･･･やっぱりなんだかな、です。これはホントに私的な感情なので、江戸氏の末裔の皆さん、ごめんなさいね。<br><br>　あ、よろしくない感情の理由は･････････お察し下さい。<br><br><br>　ここのアピールポイント、って表現が妥当かどうかはどうかはともかく、入ると祟られるという『迷い塚』だとか、畠山一族やその子孫が近付くと世にも恐ろしい鳴き声を発する『唸る狛犬』とか色々あるのですが、その辺怖いんで、ちょっと明るい方面で。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/91/46/j/o0600045011784321265.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/91/46/j/t02200165_0600045011784321265.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-新田御神木・鳥居1" border="0"></a></div><br>　樹齢推定700年の御神木の欅でございます。<br>　<br>　ワタクシ以前、御神木の類をベタベタ触ると単純に傷んでかわいそうだから触らない、とこのブログで公言致しました。<br><br>　しかしこちらのは、「どうぞお触りください、出来るだけ長く！」的なことが立て看板に堂々と書かれているので、じゃ、遠慮なく、って感じで触らせて頂きました。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/17/ad/j/o0600045011784327139.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/17/ad/j/t02200165_0600045011784327139.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-新田御神木・あっぷ1" border="0"></a></div><br>　見上げてみたりして。<br><br>　皆触ってるせいか、つるっつるの部分もありますが、なるほどイイ感触でございます。ご利益として『健康長寿・病気平癒・若返り』が謳われておりますが、長寿はともかく、とりあえず健康になりてーなー、とか思いながらお触り。o(^▽^)o<br><br>　で、最近ぷち薀蓄披露するヒトって以前から思ったらやたら増えた、と勝手に思ってるんですが、土用の丑のうなぎをプロデュースしたのは平賀源内なんだぜー、って毎年その時期に言うヒト対策的なこととして、「そうなんですってねー。因みに、お正月の縁起物の破魔矢も彼(源内)だとか。」って返すと、そういう微妙な(そこそこのヒトが知ってるよ)っていう薀蓄をぶつけてくるヤツに比較的有効、つまりそれ以降あまりこちらに対して面倒なこと言ってこない、という事例が過去何度かございまして。<br><br>　破魔矢そのものの原点とはまた別として、正月の縁起物として定着させたのがここ新田神社の『矢守』であり、そのプロデューサーが平賀源内だというのも、なんとなく今この時期行ってみたくなった理由の一つでございます。どの辺がどう繋がっているかは、ワタクシの脳内の問題なので、ハイ、お察し下さい。(←またそれか。)<br><br>　ああ、因みに今回行きは蒲田から歩いて行ったんですけど、あの界隈に点在する神社は殆ど六郷神社か蒲田八幡が本務なもんで、今回は詳しくは触れません。<br><br>　ていうか、いくら土地の氏神様だからとはいえ、せめて簡単な御由緒や御祭神くらい境内に提示しておいてくれてもいいのになぁ、という我儘を述べてみます。<br><br>　だって、無理な合祀と社名改称のせいで、神社の名前聞いただけじゃ地元の人間以外、御祭神も想像付き難いじゃないですか。特に地名とかになってたら、何が主祭神なんだか、って話で。私みたいなトーシロにも優しくして欲しいなぁ。<br><br><br>　そんな中唯一新田さんが管理しているのが、<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/c2/21/j/o0600045011784321262.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/c2/21/j/t02200165_0600045011784321262.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-矢口氷川・社殿1" border="0"></a></div><br>◇(矢口)氷川神社◇<br>鎮座地　東京都大田区矢口1-27-7<br>御祭神　須佐之男命<br>　管理というか、元々この氷川神社の氏子地域に新田神社が鎮座しているという関係性とのことですが。<br><br>　新田神社さんの境内には、<br>　<div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/70/c0/j/o0600045011784321263.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/70/c0/j/t02200165_0600045011784321263.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-矢口氷川・神輿1" border="0"></a></div><br>　ちょっとガラスが反射しちゃってますが、氷川さんの神輿があります。そもそも昭和20年の東京大空襲でこの辺も全部焼け野原になってしまったのですが、それから13年後に神社は再興されました。ところが諸々老朽化が進んでいたため、平成20年の新田神社御鎮座650年記念の折、新たにこれらを作成して、今現在の例大祭に使用されているとのこと。<br><br>　<div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/fe/58/j/o0600045011784321290.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120209/21/aki-tenkawa/fe/58/j/t02200165_0600045011784321290.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-新田説明板1" border="0"></a></div><br>　こういう英語の案内板、いかにも大田区って感じですな。最近は有名神社にはちょいちょいありますけど、このクラスの所でここまで詳しく書いてあるのは土地柄な感じがするんですけど、違うのかな。(謎のまま放置)<br><br>　<br>　ま、こんな感じで今後ともゆるーく徘徊していくつもりですので、よろしくなのです。(・ω・)/<br>　
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<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 21:18:20 +0900</pubDate>
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<title>豆も当たれば結構痛い</title>
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<![CDATA[ 　　<strong><font color="#FF0000"><font size="6">心機一転</font></font></strong>。<br><br><br>　今のワタクシ自身に捧げる言葉はこれしかないのです。<br><br><br>　でもってタイミングよく<strong><font color="#800080">節分</font></strong>スよ。ま、季節が変わる前は全部節分ですが、特にこの立春前というのは、新しい年の始まりですから、大事ですよね。<br><br><br>　<br>　　<strong><font color="#FF0000"><font size="6">心機一転</font></font></strong>。<br><br><br>　もう一回書いてみましたよ。ヽ(ﾟ◇ﾟ )ﾉ<br><br>　当然、豆撒いちゃう系？って話で。今迄は家でなんとなくちまちま撒いてて、どこかへ行く、っていう頭が無かったんですよね。もちろん、オトナになってからは仕事とかあったりで物理的にどこへも行けないってことが多かった訳ですが。<br><br>　じゃあ、どこ行きます？的なことですよねー。神奈川県内なら、近場で川崎大師だとか、鶴見の総持寺だとか、ハマのお伊勢さんこと伊勢山皇大神宮だとか、色々ありますよ、そりゃ。ただ、今日はねどうも気分的に<strong><font color="#9370DB">神奈川県から出たくなっちゃった</font></strong>、っていうね。<br><br>　決して我が故郷・神奈川を嫌いになった訳ではなく、今日は特別にお外に出て行きたくなっちゃったんです。でもそんなに遠くまで行く時間もお金もないので、やっぱ都内かな、と。<br><br>　そういえば去年の11月『トリ巡り』をした時に、行こうと思ってて行けなかったあの神社さんを思い出し、とりあえずJR浅草橋駅で下車。目的地、の前に、<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/d3/6c/j/o0600045011772447299.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/d3/6c/j/t02200165_0600045011772447299.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-銀杏岡・行列1" border="0"></a></div><br>　うひゃ、既に身動き出来ないくらいの人だかりが･･･、と、こちらは浅草橋駅に程近い銀杏岡八幡神社さんの境内。ここでさえこんな混雑しているのか、と早くもテンション急降下。(-。－；)警備してるっぽい方に、「あのぅ、普通にお参りしたりとかは無理ですか？」と尋ねると、「そうねぇ、4時過ぎくらいまでは、ご本殿でご祈祷とかしていてダメなんじゃない。」と言われ、仕方なく一旦撤退。<br><br>　ってなわけで、本来の目的地へ。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/fa/0f/j/o0600045011772447302.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/fa/0f/j/t02200165_0600045011772447302.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・社号標1" border="0"></a></div><br>◇鳥越神社◇　旧郷社　<br>鎮座地　東京都台東区鳥越2-4-1<br>旧名称　白鳥神社　鳥越三所明神　白鳥大明神<br>御祭神　日本武尊<br>　　　相殿 天児屋根命<br>　　　　   東照宮公<br><br>　おや、意外～。さっきの銀杏岡さんほど混んでないじゃーん。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/de/86/j/o0600045011772447300.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/de/86/j/t02200165_0600045011772447300.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・境内1" border="0"></a></div><br>　多分、広さの関係もあるんでしょうが、結構余裕･･･だったのです、この時は。しかし、その事前にネットなどで流れてた情報の時刻より、実際は遅めだったらしく、段々と身動きがとれなくなって来るのは後から分かります。<br><br>　その前に、境内でいきなり『ティッシュ配り』なんていう場違いなことする人がいるもんだなぁ、神社サイドもよく許したなぁ、と思ったら、<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120204/01/aki-tenkawa/13/6d/j/o0434029811773057790.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120204/01/aki-tenkawa/13/6d/j/t02200151_0434029811773057790.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-てっしゅ" border="0"></a></div><br>　警察かい。ていうか、その辺アピり方足りんから、あんまりみんな受け取ってなかったじょ。え、私？私は鼻炎(アレルギー)持ちだから、警察どころかエロ系であろうがなんであろうが、ポケットティッシュは頂きますよ、当然。(´∀｀)<br><br>　そんな寒空の中暫く待っていると、<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/8a/59/j/o0600045011772447303.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/8a/59/j/t02200165_0600045011772447303.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・豆巻く用意1" border="0"></a></div><br>　おお、撒き手の方々が出てらっしゃいましたよ。因みに背後で『振り込め詐欺撲滅運動なんちゃら』の横断幕を掲げているのは、どうやら警察署の方々の様で、この後には警察署長、消防署長、そして台東区長など、台東区オールスターキャスト･･･って、知らんがな、こちとらハマっこじゃい。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/58/46/j/o0600045011772447301.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/58/46/j/t02200165_0600045011772447301.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・宮司さんと1" border="0"></a></div><br>　いや、私は別に著名人とか来るの期待してここまでやって来たわけではないので、全然構わないんですが、なんか勘違いした子どもが叫んでまして。<br><br><br>「えー、<strong><font size="4"><font color="#EE82EE">AKB来るって、ウソなのかよー</font></font></strong>。」<br><br>　何情報なんだか･･･。確かにアキバから歩いて来られるくらいの距離ですけども。<br><br>　ていうか、仮にホンモノが来ても、よっぽどトップクラス(センター近辺)的な子たち以外、<strong><font size="4"><font color="#FF0000">絶対ワカラン</font></font></strong>自信があるな、おばちゃんは。(*゜▽゜ノノ゛☆<br><br><br>　なんて余裕をかましていられたのは最初だけでした。途中から人が増え続け、しかも子ども軍団を最前列へ『刺客』として送り込むオトナ達も大量発生。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/24/3d/j/o0600045011772454775.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/24/3d/j/t02200165_0600045011772454775.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・撒いてる2" border="0"></a></div><br>　前にいるちびっこ達を押してはいけないし、背後の大人たちの圧力はあるし･･･。しかし、ここで撤退してなるものか！いつも持ち歩いているコンビニのビニール袋を取り出し、撒いてる人々に私の出来る範囲での「私にも下さい！」アピール。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/60/00/j/o0600045011772454776.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/60/00/j/t02200165_0600045011772454776.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・撒いてる1" border="0"></a></div><br>　すると、思いが届いたのか、独りの方がこちらへ向ってかなり大量に投げてくれたのです。一応説明しておくと、バラのホントに単純な豆と、福豆というハンコが捺された小さな袋入りの分と、お菓子などが入ったもの、更には『招福小判』というミニミニサイズの小判入りのポチ袋と、それらが入り混じったものと、実に多種多様な物体がばら撒かれているのですが、どうやらそのミニ小判が人気らしい、ということをその場で知りました。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/81/00/j/o0600045011772454777.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/81/00/j/t02200165_0600045011772454777.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-鳥越・撒いてる3" border="0"></a></div><br>　で、こちらに大量に撒いてくれたお陰で、袋入りの豆が持っていたビニールにすぽっと運良くストラーイク、の瞬間、<br><br><br>　<strong><font color="#FF0000"><font size="5">ポキャッ！ドキャッ！ベコッ！</font></font></strong><br><br>　その大量の豆を狙って押し寄せた背後のオトナ達の手やらバッグやらがワタクシの頭部を集中攻撃。尚且つ、親切心からとは言え、男性が全力で投げた豆って、顔面直撃すると<strong><font size="4">それなりに痛いっていう</font></strong>。つか、気付いたら、大きめの紙袋はおろか、プラスチックの籠持ってるやつやら、果は段ボール掲げてる猛者はいるは、で<br><br><br><br>　<strong><font size="5"><font color="#FA8072">戦意完全喪失</font></font></strong>。<br><br><br>　でもよく頑張ったよ、自分。こういうの、ホントだったら最も苦手な行為だよね、うんうん、気付けばバラ6粒と袋入り2つもゲット出来たし、良かった良かった。撤収･･･とその前に、いつもの大好物、ご由緒書&amp;ご朱印を頂きに社務所へ。<br><br>　こちらは至って静かに、そして確実にゲット出来まして、やれやれ帰ろうかと思い、最後にもう1ショットくらい境内を撮影しようかな、と端っこの方で場所を探していると、その瞬間こちらに向って撒き手の方が、大量に放り投げたのです。<br><br>　するとどうでしょう、ミニ小判入りのポチ袋が目の前のマダムの左肩でバウンド、気付けば<strong><font color="#FF0000">私の右手の中にインしてるじゃあーりませんか</font></strong>！驚きのあまり、悪いことしたわけでもないのにその場から猛ダッシュで逃げてしまひました。ｷﾀｰ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(｡Ａ｡)!!!<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/b5/9f/j/o0600045011772456469.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/b5/9f/j/t02200165_0600045011772456469.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-戦利品1" border="0"></a></div><br>　ということで、こちらが本日の成果。いやいや、色んなところ痛かったけど、豆は家で撒かせて頂きましたし、小判は大事にしまっす。(･∀･)/<br><br>　でもって、駅方面に引き返し、行きに外から眺めただけだった銀杏岡さんに改めてお参り。こちらは既に人影も殆どなく。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/63/24/j/o0600045011772454778.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/63/24/j/t02200165_0600045011772454778.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-銀杏岡・社号標1" border="0"></a></div><br>◇銀杏岡八幡神社◇　旧村社　<br>鎮座地　東京都台東区浅草橋一丁目29－11<br>　　　　　　※越前福井藩屋敷神<br>御祭神　誉田別命<br>　　　相殿　武内宿禰命<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/96/14/j/o0600045011772454779.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120203/21/aki-tenkawa/96/14/j/t02200165_0600045011772454779.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-銀杏岡・社殿1" border="0"></a></div><br>　･･･え、参拝者はともかく神社のヒトも撤収済み?!と一瞬あせりましたが、インターホン押したら若い神職の方が出てこられましたので、<br><br>「あのー、さっき3時台に来た時、また後でと言われまして。」と言うと、「ああ、今日はこの辺りはどこも節分でね、すごいんですよ。」･･･この辺りだけでなく概ね日本国中にそんな感じだと思いますが、という心の声はさておき、こちらも一応紙モノ愛好家としてはご由緒書などをゲット。<br><br>　そうこうしている内に時刻は17:00を過ぎ、いつもの如く神社巡りしゅーりょーのお時間です。<br><br>　で、ちょっとだけ駅周辺のお店なんかを散策して帰路につきました。しかし、行きも帰りも何事もなく、しかもアキバから京浜東北にラッシュ時だというのに普通に座って帰れたので知らなかったのですが、15時台に東京駅で事故があったと。<br><br>　これ、時間的に見ると、私が行きに乗ってた電車の直ぐ後の車両なんです。多分、私がアキバで総武線に乗り換えた後、直ぐ止まっちゃったんでしょうね。ニュースによれば、JRの社員の方の様で、なんともやるせないですが･･･。亡くなってしまった方がその瞬間に何を考えていたのかは知る由もありません(瞬間的に欝を発症する、ということもなくもないし)、けれど、まだまだ生きていたかったのに、病気でその命を絶たれた方々からすれば、それは一種の贅沢というか、我儘な気がします。んー、でも難しいな、精神疾患の絡んだ自殺行為は、病死ということかもしれないし。<br><br>　まあ、なんか後々知ったことでちょっと重たい感じの内容になってしまいましたが、兎に角、<br><br><br><strong><font color="#FF0000"><font size="6">心機一転</font></font></strong>。<br><br><br><br>　ハイ、お疲れさまー。（θωθ）/~<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/aki-tenkawa/entry-11154370761.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 21:02:16 +0900</pubDate>
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<title>とつかーにゃ　～戸塚散策・弐</title>
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<![CDATA[ 　もうトツカーナが出来たからその役割なんて終わったんじゃないの、と(私が勝手に)思っていた『<strong>とつか再開発くん</strong>』の近況は、今年度予定されている駅界隈公益施設の完成を心待ちにしているんですって。横浜市の公式ページにちゃんと載っているわ。まだまだブームは去っていなかったのね。おそるべし、とつか再開発くん。巨大ロボコン・Vやイデオンを嘲笑うかのような<strong><font size="4">顔のサイズ4.3ha</font></strong>のゆるキュラとつか再開発くん。(゜ρ゜)<br><br>　え、タイトル？ああ、あのてじなーにゃの山上兄弟って、もう高校生なんだとか。他所の家の子って育つの早いよねー、って話題がたまたま出て色々混じった結果です。タイトルがワケワカランのはいつものこと、ということで都筑、基、続きです(かくちんはん)。(-_☆)<br><br><br>　日曜の午後、ちょっとしたことが重なって家を出るのが遅くなってしまった割りには、思ったより早く冨塚八幡宮に到着出来たので、もう少し遠くまで足をのばす事にしました。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/a1/c6/j/o0600045011763488138.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/a1/c6/j/t02200165_0600045011763488138.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-戸塚・浅間1" border="0"></a></div><br>◇(宮ヶ谷)浅間神社◇<br>鎮座地　神奈川県横浜市戸塚区戸塚町3275<br>別名称　おやき<br>御祭神　木之花咲耶姫命　富士山御同神<br>　　　　　(山之神大山津見神姫　天孫邇邇芸能命妃)<br>　　境内社　諏訪神社<br><br>　創建年代はそう古くない小さなお社で、冨塚さんから更に直線距離で1km弱駅から遠のいた所に位置しています。ここは前回未参拝。<br><br>　そもそも一般的な道路地図って、所謂『等高線』的なものがない(自動車運転が基本だからねぃ)ので、ちょいちょい騙されるんですが、今回もまたやられました。神社自体が公園の一角にある様に表示されていて実際と地図上の位置が若干異なる、だけならにまだしも、ここから汲沢方面に抜けようと思ったら、地元の方には失礼かもしれませんが『とんでもない山奥』に入り込んでしまいまして。なんか小動物がしゃーっと木を駆け登ってったりするのって、私らにしてみたら山奥なんスよ、すんません。<br><br><br>　まあ、でも箱根とかの時の様に獣道みたいなんじゃないだけましか、舗装されてるし、とか思いつつ、<strong><font size="2">♪かーわぐちひろしがー♪</font></strong>と心の中で歌いながら歩いて行くと突然視界が開け、畑の向こうに丹沢の山々とともに<strong>富士山さん</strong>がどーんと見えました。ガスってたので、肉眼では確認出来てもデジカメではあまりキレイに写れなかったので載せませんが、この場所に浅間神社があるのは自然な感じがしましたね、なんか。<br><br>　ここまできたら、もう一箇所、更に駅からは遠ざかる形になりますが、勢いで行ったろ、ということで。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/d2/0e/j/o0600045011763492766.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/d2/0e/j/t02200165_0600045011763492766.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-五霊・鳥居1" border="0"></a></div><br>◇五霊神社◇　旧村社　<br>鎮座地　神奈川県横浜市戸塚区汲沢町1273<br>別名称　ごりょうさま/五霊大権現<br>御祭神　村岡五郎平良文<br>　　　　村岡公致<br>　　　　村岡致成<br>　　　　鎌倉景成<br>　　　　鎌倉権五郎景政<br><br>　通常『御霊』と書いて『ごりょう』ですが、ここはあえての『五霊』で『ごれい』神社。御祭神が五柱だからという冗談みたいなネーミングはともかく、鎌倉平氏五代を祀る、全国区で見ると珍しいごりょうさんです。<br><br>　御霊信仰というと広く一般には非業の死を遂げて『怨霊』と化した人物、有名どころでは平将門や菅原道真、早良親王、崇徳院、後鳥羽院あたりを手厚く祀れば逆に守護神化する、と、ざっくりと言えばそんな感じなんですが、神奈川県域の主だった所は『鎌倉権五郎景政』に関する他とは少し意味合いの違う御霊信仰となっています。<br><br>　このテの話し出すと、また祇園信仰のことだとかなんとかややこしいので程々にしておきますけど、鎌倉とその隣接区域のごりょうさんは権五郎景政の『英雄譚』みたいなのが根本なので、一般的なおどろおどろしい感じのイメージはあんまりないと思って大丈夫のようです。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/87/c3/j/o0600045011763492767.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/87/c3/j/t02200165_0600045011763492767.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-五霊・社殿1" border="0"></a></div><br><br>　その御霊信仰話はおいといて。ここ、個人的なことをいうと、よほどタイミングが合わないのかなんなのか、過去一度たりとも電話すら通じたことがなかったので、本務とはいえ当然誰もいないものだと思い込んで行ったわけですよ。<br><br>　先ほどの『山』から下りて、県立桜陽高校の前を通り過ぎ、ちょうど五霊神社前というバス停近辺に辿り着いた時、『節分◎弓矢祭』なる看板が停留所に掲げられているのに気付きました。<strong><font color="#FF0000">1月29日</font></strong>･････････。<br><br>　<strong><font color="#EE82EE">今日ぢゃないか</font></strong>。( ﾟ-ﾟ)( ﾟﾛﾟ)(( ﾛﾟ)ﾟ(((　ﾛ)~ﾟ ﾟ<br><br><br>　そんなん神社庁サイトにもどこにも書いてなかったじゃんかー、ってその次の行には<br><br>　<strong><font color="#FF0000">午前10時～</font></strong><br><br><br>　携帯出してみたらちょうど<strong>16:00</strong>。すんません、一瞬何かを期待してしまって。<br><br>　一瞬上がったテンションを元に戻して急な階段を登って行ったところ、明らかに複数の人影が見え隠れしております。しかも遠目からでも確認出来る、神職さんのあのスタイル。ちょ、ちょ･･･！<br><br><br>　ということで、氏子さんやら巫女さんやらも大勢いらして、神事の片付け最中らしく、一瞬憚られたんですが、意を決して話しかけると、ご由緒書はもちろん、ご朱印も頂けるとのこと。そりゃあもう嬉しいと思ったのですけど、ちょっと想定外でして、小銭が<strong>270円</strong>ちゅかないでちゅ。(´□｀｡)<br><br>　戻って来られて当然300円と言われ、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになりながら、<br><br><br>私「あのぅ、細かいの切らしてるんですがぁ。」<br><br>　先方は「あ、大丈夫ですよー。」と笑顔で返して下さいましたが、それでもきっと500円硬貨、或いはせいぜい1000円札を想定してたんでしょうね、私がおそるおそる5000円を出したら一瞬明らかに「え。( °д°)」みたいな表情になり、「少々お待ちを・・。」と言って社務所に入ると、中で何やらヒソヒソと会話しているのも聞こえました。<br><br>　もうこれに関しては私としては嬉しい誤算であり、そしてお取り込み中御迷惑おかけ致しました、としか申し上げようがございません。m(u_u)m<br><br>　で、もうホント皆さん、帰りがけだったんでしょうね。私が境内をウロウロしていると、車に乗り込む音がし出して人がはけて行きました。いやぁ、でも良かった。戸塚駅から歩いてきた甲斐があったってもんですよ。<br><br>　つか、またここから帰らないかんのだよね。え、バス？使いませんよ、想定外の出費があったからには、<strong><font size="3">歩いて駅まで戻るのでつ</font></strong>。<br><br><br>　今度は山越えせず、素直に戸塚警察署のところで東海道に出て駅まで道なりに。行きに素通りになってしまった坂木稲荷や第六天宮辺りを確認しつつ、冨塚さんも通過。日も傾いて来ましたが、<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/d1/cf/j/o0600045011763488135.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/d1/cf/j/t02200165_0600045011763488135.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-戸塚・八坂社殿1" border="0"></a></div><br>◇八坂神社◇<br>鎮座地　神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4189<br>別名称　天王さま<br>御祭神　素戔嗚尊<br>　　　　奇稲田姫命<br>　　　　※お札まきの神事<br><br>　2年前参拝済みですけど、行きに素通りした場所その1。ハマの奇祭というと、本牧のお馬流しや波除八幡の祇園舟、生麦の蛇も蚊もとか色々ありますが、ちょっと違ったベクトルの珍まつり『おふだまき』が残る天王さんです。お札まき自体は江戸でも大阪でもその昔はよくやられていたそうですが、今でも残っている所は数少ないとのことで。<br><br>　まー、そのー、ググって頂ければ画像とか動画とか結構出てくると思うので特に今回は説明しませんけど、なかなかのインパクトです。いつかは生体験したいと思ってます。<br><br>　で更に駅方向に戻ったところに、<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/c8/d0/j/o0600045011763492768.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120130/00/aki-tenkawa/c8/d0/j/t02200165_0600045011763492768.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-戸塚・羽黒社殿1" border="0"></a></div><br>◇羽黒神社◇　　旧村社　　<br>鎮座地　神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4143<br>別名称　お羽黒さん<br>御祭神　稲倉魂命<br>　　　　日本武尊<br><br>　ここ以前尋ねた時は、男性が出てきて「何にもないです。」と断られたんですが、周辺をウロウロしていると品の良いマダムと目が合いまして、話しかけるとその方が宮司様だという奇跡が起こりました。実は紙モノの由緒書もあるんだそうで、探して来て下さるとおっしゃって下さいまして。<br><br>　先ほどの五霊社さんといい、2年前とは大違いで大収穫だなぁ･････････と心は暖かかったのですが、宮司様がなかなか戻っておいでにならず、日が落ちかけた神社の境内の寒さが身に滲みます。<br><br>　ていうか、鼻水とまらぬ。<br><br>　そんななかしばらくすると、宮司様が申し訳無さそうに戻って来られ、「あるはずなんですけど、見つからなくて･･･。なんでしたら送りましょうか、ご自宅に。」とおっしゃって頂いたのですけど、それはそれでお手数かけてこちらが申し訳ないのでお断りすると、「でしたら・・」とご自宅に通して頂いて渡されたのが、なんとつい先日ここで紹介した書籍『<a href="http://ameblo.jp/aki-tenkawa/entry-11142385675.html" target="_blank">かながわの神社</a>』のぴっかぴかの新品じゃあーりませんか！<br><br>　なんすか、この偶然、すごいよ、と独り興奮気味の最中に下から<strong>突き上げる様な揺れ</strong>。携帯で確認するとまたも山梨、というか富士山さん付近震源の地震と速報。<br><br>「じ、地震ですよね？！」とあたふたする私を尻目に「え、そうですか？」と余裕の宮司様。そこから地震話になりまして、関東大震災の時、この戸塚の宿は壊滅状態になり、神社・仏閣でさえ殆ど倒壊したそうなんですが、ここ羽黒神社さんの社殿だけは壊れなかったんだそうです。(その割りに明治の『大風』では壊れてるけどw。)これは恐らく地盤が関係してると思われ、だからこそこのすぐ近くに沢辺の本陣も設置されたのではないかと推測されているんだそうです。<br><br>　昔の人々は、今の様なボーリング技術なんかなくとも、体感的に安全な場所とかなんかを理解していて色んな物作ったのかもしれませんねぇ。<br><br><br>　みたいな話で盛り上がり(盛り上がってたつもりなのは私だけだったかもしれませんが･･･)、戸塚駅に戻ると17:00過ぎ。<br><br><br>　そんなわけで、戸塚ちょい散歩の巻、は終りっす。(タイトル変わっとるがな。)<br><br>
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<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 02:16:28 +0900</pubDate>
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<title>とつかのつかとか　～戸塚散策・壱</title>
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<![CDATA[ 　朝目覚めた時のモヤモヤ感がハンパない日曜日を迎えてしまった。しかしその反面、心の片隅には損失の代わりに得た自由とでもいうか、なんともいえない開放感もなくはない。<br><br><br><br><br>　･･･てな具合のマジメぶった文章なんてすぐ疲れちゃうのよねん。(´0ﾉ｀*)<br><br><br>　やめたやめた。くさくさするだけだもの。<br><br>　でね、モヤモヤした時の解消法は、そらもう歩くことなんです、アタクシの場合、クソ寒いけども。じゃあ、どこ歩きましょうか、ってことで。<br><br><br>　ちょうど今から2年前の同じ時期に、特に何の意味もなく戸塚界隈を徘徊している、と手元にあるお散歩&amp;神社参拝記録にあるのを見つけました。しかしこの時は、特に事前調査もせず、持っていた地図を頼りにただ歩き回っただけで、何か資料的なものをゲットする事が一切出来なかった、とメモにありました。<br><br>　2年前の私よ、リベンジしてやるぞ。(°∀°)b <br><br><br>　と思い立ち、お天気のよくなった午後からお出かけしますた。<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/9c/f6/j/o0600045011763488139.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/9c/f6/j/t02200165_0600045011763488139.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-冨塚・社号標1" border="0"></a></div><br>◇冨塚八幡宮◇　旧郷社　<br>鎮座地　神奈川県横浜市戸塚区戸塚町3828<br>御祭神　誉田別命<br>　　　　富属彦命<br><br>　いやいや、まず2年振りに降り立った戸塚駅がね、もうどこから出ていいやら。あの時まだトツカーナがオープンしてなかったんだもの。<br><br>　とか言いながらいきなり諸々すっ飛ばして、駅から東海道沿いに1km強南下した冨塚八幡宮にやって参りました。え、途中の場所？後で戻ってくるから、いいの(謎)。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/30/5d/j/o0600045011763488136.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/30/5d/j/t02200165_0600045011763488136.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-冨塚八幡・社殿1" border="0"></a></div><br>　こちらは勿論前回もお参りしたところですが、社務所にどなたもいらっしゃらなかったので、再訪。<br><br>　ご存知の方も多いことでしょうが、『戸塚』の地名の由来説として有力視されている場所です。今回、ちゃんとご由緒書も頂きましたよ。八幡系ということで主祭神は誉田別ですが、もう一柱、富属彦命というお方が祀られております。<br><br>　地元の方以外の為にご説明申し上げますと、富属彦命(とつぎひこのみこと。県神社庁サイトが間違えてる模様。)は相模国造弟武彦の二世の孫にあたり、こちらの社殿裏手のこんもりとした『塚』が彼のお墓(未発掘ではありますが、一応『前方後円墳』だとか)で、その塚を『冨塚』と称し、それが転訛して『とづか』となり、現在の『戸塚(とつか)』の名称の元となったとされています。<br><br>　神社の創建は平安時代末期、『前九年の役』平定の為に奥州へ下向する途中の源頼義、義家(八幡太郎)親子が、この冨塚の森にて露営した際、夢に誉田別命(応神天皇)と富属彦命が現れその御神託を受けたところ無事戦に勝利をおさめ、その事に感謝し、延久4(1027)年、冨塚山中腹に前出の御ニ柱を祀られたことに端を発するとしています。<br><br>　その後、鎌倉権五郎景政の家臣であった戸塚修六郎友晴が当社を篤く信仰して再建し、明治期の近代社格においては郷社(戸塚、そこから分区した泉、栄、瀬谷を含めた地域で唯一)という高い位を与えられました。<br><br>　戸塚(富塚)一族は鎌倉氏や二階堂氏の家臣として活躍した後、現在の静岡県掛川市付近に移住したことになっていて、富属彦命は現在全国にいらっしゃるこの苗字の方々の祖神とされています。<br><br>　まあ、実際の出来事と伝説と色々混ざってはいるんでしょうが、かなり歴史の深いお社であることは間違いないと思われます。この場所自体、今でこそ横浜市戸塚区ですが、元々相模国鎌倉郡に属していたと考えられ(諸説ありますが、一番自然なもの)、そういった意味でこの一帯鎌倉幕府との関わりも深い地域ですよね。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/81/03/j/o0600045011763488137.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120129/23/aki-tenkawa/81/03/j/t02200165_0600045011763488137.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-冨塚・芭蕉句碑1" border="0"></a></div><br>　因みにこちらは境内にある芭蕉の句碑。「鎌倉を生きて出でけむ初松魚」。嘉永年間に建てられたものですが、鎌倉で獲れた魚介類はこの辺を通って江戸へと運ばれていたんですな。<br><br>　ていうか、冨塚さんに随分字数さいちゃったなぁ。(別にいいんだけど)<br><br>　残りのところはまとめて、また次の機会に、ということで。
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<pubDate>Sun, 29 Jan 2012 23:53:17 +0900</pubDate>
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<title>いつかやろうとは思ってる</title>
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<![CDATA[ 　お寒うございます。ここ横浜、川崎界隈でも結構雪が残っていたりする今日この頃、みなさま如何お過ごしですか。(何この導入部･･･)<br><br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120126/17/aki-tenkawa/3c/11/j/o0600045011756667662.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/17/aki-tenkawa/3c/11/j/t02200165_0600045011756667662.jpg" alt="$ぷらっとかながわ-矢倉明神社・社殿1" border="0"></a></div><br><br>◇住吉神社◇　旧村社　木月総鎮守<br>鎮座地　神奈川県川崎市中原区木月1-20-1<br>旧名称　矢倉明神社<br>御祭神　大己貴命<br>　　　　天照皇大御神<br>　　　　天津児屋根命 <br>　　　　誉田別命 <br>　　　　大国主命 <br>　　　　須佐之男命 <br>　　　　菅原道真命<br>　　　　菊理姫命 <br>　　　　倉稲魂命 <br>　　　　建御名方命<br>　　　　　※天照皇大神宮 (木月字伊勢町)、八幡神社 (八幡町)、<br>　　　　子ノ神社 (田中)、八雲神社 (天王森)・、春日神社 (春日町)、<br>　　　　天満神社 (中ノ町)、白山神社 (上ノ町)・、稲荷神社 (稲荷町)、<br>　　　　       諏訪神社 (諏訪町)、神明神社 (上ノ町)を明治期に<br>　　　　　矢倉明神社に合祀。<br><br>　東急東横線・元住吉駅の真前にあるお社です。典型的な明治期の強引な合祀(一村一社制)により、御祭神の数も豊富になっております。いっぺんに色んなお願い事したい方にはうってつけでしょうねぇ。( ゜∋゜)<br><br>　社地は合祀当時はなかなかに広大だった様ですが、大正期に東横線が開通した際に削られ、昭和の頃複々線化した際に更に縮小されてしまったとか。そんな東横も今は高架で特急が通過して行きます。<br><br>　保育園？だかが併設されている様子で、平日に行ったら境内ではちびっこ達が寒さなど関係ないぜ、ってな具合ににぎやかに遊んでいました。アテクシはぬこと戯れてほっこりしましたけど。(´∀｀)<br><br><br>　ところで、このブログを始めて何気に半年ほど経過しておりました。理由はともかく、ここのところ横浜よりは川崎市域に重点を置いて諸々巡っていたところ、気付けば川崎市内の神社庁管轄の本務社を制覇しておりました。ま、元々数が少ない、ってのもあるんですが。<br><br>　もちろん、今では兼務社となってしまっているけれども実はかなり由緒正しいところだとか、どこが管理しているのかも分からない謎のお社なんて数限りなくあるわけですけど、なんとなく一度、個人的な資料として纏めてみようかな、とか思ったり。<br><br>　分かりませんよ、ホントにやるかどうかは。以前にお参りしてここに単独では載せていないお社を改めて紹介する、とかいうテもありますし。<br><br><br>　まあ、『事情が変わった』とかいう噂なので(謎)、テキトーに、ゆるゆるとマイペースで好きなことさせて頂きますです。<br><br>　<br>
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<pubDate>Thu, 26 Jan 2012 17:36:24 +0900</pubDate>
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