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<title>A．MAＳＵＤＡのブログ</title>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１５年１月２７日<br>ＴＨＥ  ＬＩＦＥ  ＯＦ  ＳＥＡＳＯＮ  「四季の館」<br>他人にとっては何のこともない物でも自分にとっては大事なことがある、カツカツの精神で個人商店「ラビイユデ・セゾン」が勝ち残るには情報をかぎ分ける感覚力 感性力 魂力だけだと思う。自分の人生が終わるまで目標を決めて逆境に強い精神を持ち続けたい。<br>ラビイユデ・セゾンのビーズプリント加工とセゾンのデザイナーさんが作り上げる「手しごとラビイユデ・セゾン」の草木染の洋服、そして奈良盆地で育てるラベンダー達は自分にとって三位一体の生きるエネルギーである。２０１５年もアパレルメーカーさんの洋服や、また和、雑貨店の商品にビーズプリント加工を販売していきますラベンダーは「香りのサシェ」を作り販売いたします。<br><br>２０１５年も１月が過ぎようとしているが自分のスタートは２月３日節分を期に新しい仕事のスタートと考えている何かワクワクする気分にいつもなる。今年もまた閃きの感じる分野に一歩踏み出してみる、成功するかしないは後の結果、集中力を高めてお客様に少しでも喜んでいただけることを考えていきたい。<br>企画テーマのスローガンはＴＨＥ   ＬＩＦＥ   ＯＦ  ＳＥＡＳＯＮ「四季の館」を頭にして午後のくつろぎ食と午後のくつろぎの空間の展開を考えていて、まず自分が一番気分良くくつろげる場に感じられるかとか お客様に美味しい風味感性をを出せるＬＡＮＣＨの週と週替わりでくつろぎテイーと軽食やクッキーなどを用意したいと思います。そのためには時間帯の設定やくつろぎの一席(オンリーワン)の場を２名から３名様のグループだけに提供していきたいと思います。<br><br>今、３月末のスタートを決めて最終段階の企画制作中です。メニューと風味の創意工夫段階に入っているところです、野菜は季節ごとに採取できるときは奈良田原本産直物を、オフで取れない時は仕入れ商品になりますが感性を生かす努力をしたいと思います。又あと１カ月後にはきちんとしたスケジュールをご報告いたしますね。天王寺七坂の北から六番目 「陽のあたる坂道天神坂」にあるＴＨＥ  ＬＩＦＥ  ＯＦ  ＳＥＡＳＯＮ  「四季の館」です、ありがとうございます。感謝<br><br>                 Ａ．ＭＡＳＵＤＡ<br><br>
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<pubDate>Tue, 27 Jan 2015 15:53:37 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１５年１月２０日      「孤高のガンマン (クリント・イーストウッド)」<br> <br>テレビドラマ「ローハイド」で知名度はあったがその後不遇の時代を経てイタリアに単身渡りマカロニウエスタンとハリウッドから見下されたが、「夕陽のガンマン」と「荒野の用心棒」が世界的に大ヒットした。再びハリウッドに凱旋帰国する、そこで当初ジョン・ウエインで決まっていた「ダーテイハリー」を降りたためにイーストウッドに声がかかった運命のチケットをつかみその後役者にとどまらず脚本.監督.映画製作と手がける。今なお孤高のガンマンであり「カーボーイ」であり続ける姿は、何故か高倉健さんとオーバーラップする(blog２０１４年１０月２５日掲載)高倉健さんの持ち味の格好良さの全てが出ている作品は「遥かなる山の呼び声」と感じ、人間味溢れる実像に近い映像は「単騎千里を走る」を自分の胸にきざんでいる。１９８０年１月NHK教育テレビ「若い広場」と言う４５分間のトーク番組に当時３０歳の男性が出演した、見るテレビ番組がなかったので何気なくチャンネルをあわせた。オープニングから当時としてはめずらしい登場の仕方でなんとなく画面に引き込まれた、その人は常に自分を客観的にみることができていかにフアンの皆様に最高のパフォーマンスをコンサートで演じるか自身がプロデューサーであり脚本家である。お客様の立場で自分を見つめて企画センス営業センスのいずれも「商人」として最高のパフォーマーを目指す姿勢はとても３０歳とは思えない人であった、逆境に強い男矢沢「Ｅ.YAZAWA」最高のトーク番組でした。ラストにかずかずの名言を残された松下幸之助さんの「強運を引き寄せる言葉」の中に感銘を受けた言葉は「失敗すればやりなおせばいい、やりなおしてもう一度工夫しやりなおせばいい」 「多少の時日は要しても心に描いた夢は必ず実現できる」 「決してあきらめない成功するまで続けていくそうすれば必ず成功する」  「どんな物にもそれを作った人の魂がこもっておりそれだけの高い価値を持っている」  「常にその日その日の仕事に心から喜びを感じる様になりたい」   この松下幸之助さんの数百円の文庫本の言葉はいつも自分の精神の中にあります。日々、下手でも自分の手でやりとげる、一人でもやる魂(精神)であり続けたい所存です。<br><br>
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<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 15:40:21 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１５年１月１４日    １５話  「私のリーディング.ボード(自分の魂を導く掲示板)」<br> <br><br>ある日後輩から「先輩この本おもしろいから読んでみてください」と言われ文庫本を頂く。帰途の電車の中でパラパラと読み始める、書き出しから面白い「背が高く眉が目にせまり…しかし笑うと多少の愛嬌がある」と言うような表現がされていた一気に読み終えた。巻末の解説に「石原裕次郎さんがひとり司馬家を訪ね映画の原作を書いてもらうことであった」司馬さんは裕次郎さんのために映画の原作を書くことになる。後にも先にもこの小説だけである原作名「城を取る話」映画題名「城取り」であった。(松前洋一氏談)と書かれていた(自分は石原裕次郎さんはミナミの新歌舞伎座(現在 上六近鉄)の全国縦断リサイタルで生の裕次郎さんを始めて見た、まだまだ若かったので背が高くて脚が長く唄が上手く「格好」良かったのを覚えている。)この時が司馬さんの小説を始めて読むきっかけとなり司馬さんの時代小説を探すうちに「燃えよ剣」にであった上巻下巻からなる文庫本にしては長編である、文面の中に数々の名言がうかぶ「新選組はこの先どうなるのでしょう」「どうなるとは男の思案ではない女子の言うことだ男とはどうすると言う以外に思案はない」「世の中がどうなろうともたとえ幕軍が全部敗れ降伏して最後の一人になろうとやる」事実こののち土方歳三は最後のたった一人の幕士として残り最後まで戦うのである。男の一生というものは「美しさを作るためのものだ自分はそう信じている」「勝てるか勝てないかやって見なければわからない…勝敗は考えないただ命ある限り戦うどうやらオレのおもしろい生涯がやっと幕を開けたようだ」…「名はなんと申される…新選組副長「土方歳三」といった時官軍は…仰天した…射撃姿勢をとった。明治二年５月１１日３５歳の生涯をとじた、司馬遼太郎さんの熱い思いが伝わってきて感銘する。  大阪の松屋町筋から東に向かって登る天王寺七坂の北から三番目の坂で口縄坂がある登りきると右手側に藤原家隆の「家隆塚」の石碑がある、歌人でこの丘に庵を作り夕陽が沈むのを観て日想観(夕陽信仰で阿弥陀如来が住む西の果て、西方浄土信仰)の修行をされた。このあたりに土方歳三とお雪さんが訪れたようだ。天王寺七坂で北から六番目の坂に天神坂がある、下って松屋町筋の手前に安居神社がある(ラビイユデ・セゾンは天神坂のハ合目に位置)１６１５年大坂夏の陣で家康本陣の「馬印」(本陣の旗)が引き倒され家康は腹を切ろうとした。島津忠恒は「真田は日本一のつわもの…茶臼山に赤き旗を立て…古今これなき大手柄」、大坂夏の陣の後 家康は「幸村を褒め称えていい」と．１６１５年６月３日享年４８歳真田幸村は安居神社の境内で戦死。   合掌
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<pubDate>Wed, 14 Jan 2015 15:20:37 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１４年１２月１５日<br>「リメンバー香りの館」<br>１９９７年５月淡路島に知人の方と同行させて頂く。香りの館の初代館長さんに会うことができました、館長は物腰がソフトで前向きな話に聞き入った。淡路島より本州を見据えて文化交流(全国ハーブサミット)を力強く宣言され淡路島の香りの文化を発信し続けられる姿勢を大いに感じました。ハーブガーデン・ アロマの部屋 ・お香の話など自分にとって全て始めての経験なのでカルチャーショックを受けた、ひと通りの見学とお話しも終わり「でわ失礼します」と言いかけたその瞬間、館長さんの方から「先程みせて頂いた企画書をもう一度みせて頂けませんか」と言われた。企画書に目をとうして「この商品を作ってみませんか」このような商品を作れるならば香りの館で売らせて頂きますと言う事になり嬉しい一言でした。その日から明石海峡をフェリーで渡ることは毎月の定例行事となった、まわりからは「ホンマにようやるは仕事になるかどうか分からへんのに」この言葉は逆にバネになった。訪問する中で学んだことは人の出会いは誠意をもって会う事がすべてだと感じました、待っていてはチャンスは絶対にない自ら勇気を持って出会って行った。そして１１ヶ月が経過した時やっと「saisonさんTシャツの販売をしましょうか」と言って頂き契約書を取り交わした、Tシャツ７０枚香りのキィホルダー１２０個の発注書だ 自分もうちのデサイナーさんも泣けた。１９９８年４月必死で作った商品を完成したばかりの明石海峡大橋を渡って搬入した、実に１年間で１３度目の訪問となった、５月再度出張する午前１１時半に香りの館に到着してから４時間経過していた気持ちは不安であったが新たにTシャツ１８０枚 香りのキィホルダー１２０個の追加注文を頂くこれで大阪に帰れる感謝の気持ちでいっぱいだった。そして５月下旬１５度目の訪問は午前８時に到着した、辺りを見まわすが館に人の姿は見えない「早すぎたか」その時一人の若い女性が館内より出て来られて「商品よく売れていますよ」の返事を頂く疲れも苦労もすべて吹き飛ぶ気持ちだった。春が過ぎ夏場も過ぎて秋風が吹き始めた時、地元の役所から新しい課長さんの方針で全ての商品を地元で作る事を考えたいので大阪からの仕入をストップしたいと言い渡された。何故とうちのデサイナーさんは「香りの館のオリジナルTシャツを作っているのにダメですか」と切り返した返答は ただ ただ「私たちは財団法人ですので余り利益が出過ぎると駄目です」と分かるような分からない様な回答が出されたこれ以上話し合いを続けても無駄だと思った。淡路島で物販をすることを幕引きすることにした決して負けたとは思わない 、いつか又「リメンバー香りの館」を心に刻んだ。２０００年７月に「リメンバー」の言葉をスローガンにお世話になっている草木染・工房先生とsaisonでチームをつくり草木染のイベント開催に向かいます、しかし現実は８月９月１０月そして１１月に突入 時間だけが過ぎていきます自分も「リメンバー」のスローガンを撤回すべきかなと弱気になる そんな時に草木染・工房の先生から一本の電話がかかってきた「香りの館のシステムが変わりましたぜひ展示会を成功させましょう」と光が見えた大きな「気」を頂いた何か熱いものがこみ上げる「もう行くしかない」それだけでした。２０００年１１月末第一回草木染展に向って再び明石海峡大橋を渡り商品を搬入する全員でレイアウトを協議しながら集中して飾り付けていく、その１週間後に現地の方のご厚意で別荘を無料で４日間会場提供して頂けました(草木染・工房の先生の御尽力でした)そして初日の夕刻 現地より電話が入ってきました「大好評、売れています」と先生の「気」の高ぶりが電話の向こうから伝たわりました追加オーダーできますかと言う事だ．１９９８年春 香りの館で発注を頂いた時以上に嬉しい気持ちでした。いろんな想いがオレとlaviede・saisonのデザイナーの中によみがえった大成功だった．草木染・工房の先生そして現地の皆様方の応援にサポートされたおかげでした心から感謝の気持ちでいっぱいでした。この流れは２００4年６月の中之島中央公会堂の草木染展(blog ２０１4年１１月２４日掲載)に結びつきました(手しごとlaviede・saison)  Ａ・ＭＡＳＵＤＡ<br>
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<pubDate>Mon, 15 Dec 2014 16:10:25 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１4年１２月７日         「奥明日香村稲渕にラベンダー畑開墾」<br><br>２００８年１０月に始めて奥明日香村へ義兄弟に連れて来てもらった、何か始めて訪れた気分がしなかった。そこは古代史に残る稲渕の棚田よりまだ奥に位置する、西暦６４５年大化改新の立役者 中大兄皇子と中臣鎌足が飛鳥川の飛び石を渡り南淵請安先生の家に遊びに行き儒学を学びながら熱く熱く維新を語り合った場所でした。幸運にもラベンダー畑の開墾の「場」が南淵請安先生の墓の真下であり日本の歴史のゆかりの地であることに改めて感謝しています。自分は現地でいろいろと考えていた、あらためて後日義兄弟に「ラベンダー畑を作りたいがエエかなあ」と。心よく「エエよ」と言ってくれた、じゃあ来年の３月からオレ本格的に頑張るから「力かしてや」。２００９年３月開墾の鍬入れ開始だ二人で相談して１５メートルのコースを五列作ってラベンダーを３種類植えようかと決める、予想に反して鍬を入れるたびに石と瓦礫にはじかれる約３時間１本半のコースで疲れ果てる。もともと明日香村は古代ローマと同じで石の文化で歴史が作られている為仕方のないこと、やがて３月 ４月 ５月の３カ月が経過する頃にはだんだんラベンダー畑の感じが出てきた。この辺りから本格的に調子は上がってきた、６月いよいよいよ蕾がつき始めて嬉しくなる。ここで天敵が力をつけてくる雑草だ６月 ７月 ８月ひたすら雑草取りに追われる、９月 １０月 １１月疲れたラベンダーを短く刈り込んでやる。６０～７０%が夏の暑さに耐えてサバイバル・バトルに残る大成功かなと僕の力より義兄弟のフォローによって生き残ったと思う。思い返せば１９９７年３月、あがきもがくlaviede・SＡIＳＯＮがいたその苦しさを５月淡路島香りの館初代館長さんにハーブの香りの哲学を２時間余り熱く語って頂き何か心が吹っ切れた。大阪に帰ってフアーム・富田の1枚のラベンダー畑の写真を観た時今のオレにはラベンダーしかないなと思った、魂が救われた。あれから１２年経過した願望の北海道フアーム・富田に２００６年７月に行った全て良かった特別な言葉もいらない自分の感覚 感性に魂をゆだねていた。２０１０年６月から力強く紫の蕾とラベンダーの心地よい香りを漂わす畑にしたいと思う。義兄弟ありがとう本当にありがとう、感謝。２００９年１２月今年最後のラベンダーの手入れをしました、昨日義兄弟がくんたん(モミガラの灰)をきれいに蒔いてくれていました。合掌<br>(追伸    奥明日香村稲渕のラベンダー畑は私の体調不良のために２０１３年１２月末で打ち切りました。そして２０1４年３月から奈良田原本大木に奥明日香村から全てのラベンダーを移植してもらいました、来年２０１５年６月末には美しい蕾と香りを運んでくれます。】  Ａ・ＭＡＳＵＤＡ<br>
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<link>https://ameblo.jp/akira228/entry-11961735424.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Dec 2014 15:29:24 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１4年１１月２５日      「其の２   中央への挑戦」<br> <br>会場の責任者と１階に上がり駐車場の車を指さして言う「あの車です」と、すると「今回の吊り下げチエーンのフック利用数は会場始まって以来の貸し出しですが、どれだけの商品を運んで来たのですか」ときたオレの頭の中は複雑な思いだ。はっきり言って貴方達はどこの誰ですか有名な肩書きがあるわけでもない我々を見下されているとは思わないがマアそれに近い状況だったのだろう。しかし会場のセッティングが進み商品のレイアウトやコーディネートの形が出来始めると周りの空気感が変わっていくのを肌で感じた。いよいよイベントの当日午前１１時よりどんどん来場者が来られる、会場は早くも大いに活気が溢れた。正午過ぎ会場が少し落ち着いた頃に当の事務局の責任者がニコニコして来てくださった「なかなか美しいじゃないですか」と昨日迄の事がウソの様にフレンドリーになった。いろいろと商品の説明も真剣に耳を傾けて頂き最後に頑張ってくださいと激励される、嬉しかった。ひとつひとつの商品に制作者の「気」がこもっているこの会場に来場された人の声は「色が美しい、素材がソフトでしなやかですね今までは綿の布に草木で染め上げたものを草木染と思っていました」と言う言葉を何人もの方より聴きました。この２日間の挑戦は淡路島・工房の染文化とシルクの布を古代ローマの女性の美と日本の和を融合する洋服を作り上げた、デサイナーの作品力を出せた「亜紫彩展」でした。そして週末からの即売会に来店頂けた皆様方や、当日来場頂き再度来店してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。この精神を基軸に美しい彩と香りの染め布で洋服を作り続ける・手しごとラビイユデ・セゾンでいつまでも熱くありたい所存です、ありがとうございました。感謝<br>                          Ａ・ＭＡＳＵＤＡ<br>                <br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/akira228/entry-11956834282.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Nov 2014 17:37:43 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１4年１１月２４日  「中央への挑戦 ・中之島中央公会堂 ・草木染デザイナー服と染色.陶芸展」<br>２００４年６月大阪中之島中央公会堂にて「草木染デザイナー服と染色.陶芸・亜紫彩展」を２日間開催する。来場者１５０名、淡路島からはマイクロバスをチャーターして染色作家の生徒さんが２０名来場してくださいました。大阪の一番中央でイベントができればいいなと思い続けていたが遂に実現する。３年前なら成功しなかっただろう、今回の企画テーマが日本の和と西洋の美の融合にあった。草木染の持つ色彩と洋服のスタイリングの織りなす文化が上手く表現出来たと思う。このイベントをやろうと決めてから会場の予約に始まり、会場現場見学(地下１階の１００坪の最大スペースを借りている)レイアウトの構成方法、見せ方などで何度か足を運んだ。一方、淡路島の工房で作り出される陶芸の美しさと野山で選ばれた草木で染め抜かれたシルクの布の優雅さに力強いエネルギーを感じた。今回も限られた時間の中、実働制作日数３カ月間で１００着のブラウス・ワンピース・スカートを独りでパターン・デザイン・裁断・縫製迄を作り上げていく手しごとラビイユデ・セゾン・デザイナーさんの頑張りで全てオリジナリティーなデザインとカラーは自由な発想から作り上げられていった。準備当日、我々が到着して搬入の鍵をかりる為に会場事務所に責任者の方を訪ねると「あなたの車はどこに停めてられますか」と聞かれて続けて「トラック４台で来たのですか」とたずねられる「いいえ車一台で来ましたと」応える少し驚かれて「うん４トントラック１台ということもあるしね」ときた。始めて会場に予約に来た時からこの調子である、最初に会場を案内して頂いた時は広いキャパだ埋められるかなと少し不安になる。すかさず責任者の方より「無理なら他の作家さんと合同で貸りられたらどうですか」と言われた言葉がまた思い出された、それではなんの為に俺たちは頑張ってきたのか。(第一章完了)<br>              <br><br>
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<pubDate>Mon, 24 Nov 2014 16:43:43 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１４年１１月１３日         「青春とは言えない青春」<br>６歳の夏、広島の田舎から大阪(東成区)に出て来た。山と川と棚田の世界から緑のない世界だった少しのあいだ煎餅屋さんの二階に仮住まいとなる。思い出は商店街の果物屋さんのフルーツの香りで、最高だった。大阪の小学校のスタートで、特に勉強が好きでなくスポーツも苦手だった。中学校も特にエポック・メーキングもなく時が経つ、中２の夏休みに友達に誘われて観た映画が真面目な生活から真反対の斜に構えるようになった。高校入学も親しい先生に勉強をサポートして頂きやっと入学出来た。高１高２と特に楽しい学園生活ではなかったが、３年生のクラス替えで一人の男に出会ったことから自立する精神に火がついた。一歳年上で母一人に育てられた境遇は自分と同じだった、急速に友情が生まれた。彼の一挙一動からいろいろ学んだ、１年間の短い校友生活だったがそれからの人間形成に大いに勉強させてもらった。高校生活になると男女の交際が活発になる時期でまわりは楽しそうで何故か眩しかった、ひとり俺には関係ないなと「うつむいた」。１２月のクリスマスの時期に学校から帰宅すると荷物が着いていた、すぐに開けてみると中から千羽鶴が出てきたそして手紙が添えられていた。ドイツの詩人カール・ヘルマン・ブッセの詩集「山の彼方の空遠く幸い住むと人の言う。ああ、われひとと尋めゆ」(山の彼方には希望があるし、幸せは近くのあしもとにもある)と書かれていた、言葉をうしなった。差出人の宛名が書かれていなかった、しかし気持ちは十分に胸に伝わってきた。高校生活で始めて前に向かって歩かないといけない思った、そして３カ月経って友人のはからいで山麓の中腹あたりで引き合わせてくれた。早春の陽光にうかぶ小柄な少女の姿は眩しかった、嬉しい気持ちとはうらはらに「ありがとう」とぼそぼそと言うのが精一杯だった。親の理解で予備校生活となった、やはり勉強に気合が入らないダラダラした時間だけが過ぎてゆく毎日だ。夏休みの最後の日に予備校のロビーで学内で一番喧嘩の強い男とバッタリ出くわした、自分に「タバコ１本くれや」と声をかけられる二人きりのロビーで椅子に座りとりとめのない話になるが彼が「俺は英語が好きで８０点ぐらいなら十分取れるよ」と。エット、自分はまじまじと彼の目を観た悪ガキのくせに非常に優しい目をしていた。彼は高校２年の時にバンタム級で関西学生チャンピオンになったことを話してくれた、中学生のときは気が弱くて、すぐ赤面していたことも。彼は何か自分にとっては光のオーラが前に現れた気がした、学問に向かうチャンスの扉を開けてくれた様なきがした。入試まであと５カ月ある頑張れば自分にも神様から素晴らしいプレゼントがあるかもしれない、学びに力を入れた少しずつ成績がアップしてきた翌年の１月入試前の最後の模擬試験で始めて手応えのある点数が取れた「ヒヨットしたらいけるかも」と思う。大学に合格した、ここで自分は何か忘れている事にきずいた。早春の陽光の下で会えた千羽鶴を折って勇気をくれた少女のことを、しかし素直に喜びの気持ちを伝えられなくて真反対な態度をとった。今、心から感謝の愛と光を少女(貴女)に。本当にありがとうございました。感謝<br>、<br><br><br>
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<pubDate>Thu, 13 Nov 2014 17:11:50 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１４年１１月９日       「歴史、文化の街道」   <br>追伸     ２０００３年は     ２００３年の間違いです、すいません。<br>A・MASUDA
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<pubDate>Sun, 09 Nov 2014 19:05:54 +0900</pubDate>
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<title>陽のあたる坂道天神坂</title>
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<![CDATA[ ２０１４年１１月９日     「梅田北ヤード／大阪駅北地区国際コンセプトコンペ」<br>思いかえせば２０００３年１月２２日梅田北ヤードの国際コンセプトコンペに作品を提出する。プロ、アマを問わずOKだと言う事を確かめて応募した。・主提案図書A・主提案図書B・要約図書・応募票の４部を揃えて投函しました、投函番号５２９２  A・MASUDA  ２００２年の９月から毎週日曜日の午後９時から１２時までの３時間を活用して１カ月１２時間を４カ月間かけて作成した。安田生命ビルの上から北ヤードの撮影や、枚方市交野市の景観のイメージに合う場所の撮影をしたり海外雑誌から自分の感覚に合った写真を抜粋しました。あっと言う間の４カ月間でした、なんか本業以上に楽しい時間を持つ事が出来て幸せでしたね。当時は会社にカラーコピー機がないので近くのコピー屋さんに行きカラーコピーを取って頂きました。余りたびたび行くのでコピー屋さんのスタッフの方が感心を示して「何ををするの、なんか綺麗な写真やねえー 公園造るの」とか聞かれました。最初はええまーとかあやふやな返事をして いましたが、だんだん構成が出来上がり最終のA１サイズに図面が出来上がりコピー屋さんに持参した時は皆さんが大阪駅の北側にこんなにガーデンが完成したら絶対に行きたいわ、最高やね」と言って頂きました。自分なりに成る成らぬは別にしてこの言葉を聞いて作成して良かったと思いました。その中の1部ですが(3)要約図書冊子(論文)  「大阪の中心に残された最後の場所に(日本)唯一無ニの  自然ガーデン  を再現したいと思います。大阪が群れず孤高のスタンスを持ち自立した  自然と言う文化  を目指す最後のチャンスに思えます。これ以上満ち足りた設備や「ハコもは」今、必要ないかもしれません。最後の都 THE  NATURE GARDEN  大阪 をスローガンにして四ツのジャンルに分けて考えます、PARTー1 キッチン、フルーツガーデン (先行開発可能区域)  PARTー2 センテッド・ハーブガーデン  PARTー3ネイチャー・カントリーガーデン  PARTー4  ウオーターガーデン  この(1)から(4)迄のGARDEN全体を取り囲むように正面と側面から見た景観は古代ローマ・コロッセオの闘技場をイメージしたアーチ型の壁面建築で通常のビルの６階建ての高さで(３階建て)、１階を全て駐車場２階はレストランとインショップ  多目的ホールを基軸にして設計します。３階は上空より観た時に万里の長城のような遊歩道を造ります、２４ｈa  ７２６００坪の外周と  自然ガーデン  の中央にも十文字に国道が走り抜けます。遊歩道より眺める景色は古代と現代の融合のロマンでありたいと思います。大阪市民一人一人が大きな自然の実りと空気と香りを吸い込めるガーデンであり続ける、この自然を守るために感謝して人と車も通行料としてコイン一枚を投げ込んで頂けるガーデンにします。若人はフアッションをリードするエネルギーと社会現象を生み出しますが 、マナーと文化を構築するスピリットと忍耐力には時間が必要となります。今、社会では５０代から６０代の女性が消費経済の主役となり文化レベルの高い方々が増えています、この女性方は立地条件(交通機関)がよく美しいロケーションの「場」として来場して頂けるでしょう。２０１５年には６５歳以上の比率が約３２００万人を占めるそうです、高齢者の方々もアマチュアの方々、プロフエッショナルな方々も含めて全ての男性方が  自然ガーデン のプロジェクト・スタッフとして参加頂けるなら時給(給与)を支払ってメンテナンスの完全を目指して、心のこもったサービスとスピリットをもって、その方々の働く喜びとこの 自然ガーデンに来て良かったと言う相乗性のある大きなステージになることを願います。」敬具   仔細は主提案図書A・主提案図書B にかきました。又、採算性の計算を自分なりに提出はしていないがしました。あれから１０年、２０１３年４月グランフロント大阪がオープン。私の思う自然ガーデンではなく、立派なビルが完全しました。<br>          A・MASUDA<br><br>
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<pubDate>Sun, 09 Nov 2014 17:15:33 +0900</pubDate>
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