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<title>乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ</title>
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<description>陸海空なんでもOK、マニアックな乗り物大好きのライターが贈るヲタクなキカイ日記</description>
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<title>1932 ロールス・ロイス ファントムII ヘンリーロードスター</title>
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1932 ROLLS-ROYCE PHANTOM II HENLY ROADSTER第一次世界大戦が終了ししばらく経った1919年の夏、ロールス・ロイス社においてジェネラルマネージャーを務めていたクロード・ジョンソンはアメリカ出張から帰国した。この旅行の目的はアメリカ市場におけるロールス・ロイス車の安定供給のため、アメリカに工場を設けるための事前調査というもの。ロールス・ロイス自体は早い時期から市場からの要求に応えてアメリカへと輸出され、シャシーで輸出された一部はアメリカのコーチビルダーによりボ
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<title>1932 アルファロメオ8C2300</title>
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1932 ALFAROMEO 8C2300ミラノを中心としたイタリア北部ロンバルディア地方の有力起業家集団が新時代の地場産業として立ち上げた自動車メーカーのALFAだったのだが、程なくして経営難に陥ったことで資本家のニコラ・ロメオがその経営に参画すると同時に車名をALFAROMEOと改めた。ちなみにニコラ・ロメオはハイパフォーマンスカーとレースに対して極めて理解があったこともあり、ここからのアルファロメオのラインナップは非常にレーシーなモノが多くなって行くこととなった。ここで新生アルファロメオに
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<title>1976 IMSA GT デコン シボレー モンザ</title>
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1976 IMSA GT DEKON CHEVROLET MONZA1975年、北米における新進のレースオーガナイザーだったIMSAはAAGT（オールアメリカンGT）と称する新たなカテゴリーを導入した。これは当時北米で市販されていたアメリカ製コンパクトカーをベースにそれまでのグループ4GTを上回る大改造を認めたもの。具体的には量産モデルのAピラー周りとルーフを使っていさえすれば他のボディパーツは改造自由。サスペンション周りやブレーキ、エンジンも排気量の規定こそあったもののモディファイ自体はほぼ自
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<title>1961 フェラーリ 400 スーパーアメリカ カブリオレ</title>
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1961 FERRARI 400 SUPER AMERICA CABRIOLET 一般に多くの人がF1を除く市販車としてのフェラーリというクルマに対して抱いている印象というものは、派手で高価なスポーツカーといったところだろうか？　確かにその通りである。しかしレーシングチームとしてではない、自動車メーカーとしてのフェラーリがこうした一般公道走行を前提としたフラッグシップスポーツカー製造に乗り出したのは1948年の創業からしばらく経ってからのことだった。それというのも当時のフェラーリに付加価値の高い
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<title>1962 フェラーリ ディーノ 196SP</title>
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1962 FERRARI DINO 196SP このフェラーリには複数の呼称がある。最初は248SP、その次は268SP、そして最後はディーノ196SP（ディーノが付かないとする説もある）。シャシーナンバー♯0806のこの個体は1962年にスクーデリア・フェラーリが運用するワークスレーシングスポーツカーとして生を受けた。1950年代の終わりから1960年代の初めに掛けて、レーシングマシンの世界ではそのカテゴリーを問わず従来型のフロントエンジンに代わってミドシップが大きく注目される様になっていた。
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<title>1938 リンカーン ゼファー  ル・バロン コンバーチブル</title>
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1938 LINCOLN ZEPHYR LE BARON CONVERTIBLE1936年、リンカーンは前年までのモデルKA（ショートホイールベース）、モデルKB（ロングホイールベース）というラインナップに加えて、新たにゼファーという名のニューモデル市場に投入した。ホイールベース122インチとそれまでリンカーンより10インチ以上も短く、プレミアム性に優れかつ扱いやすいというパーソナルユースをより強く意識していたのが特徴だった。エンジンは267cu:in（4.4リッター）という小さめなV型12気筒
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<title>1937 キャデラック シリーズ90 フリートウッド クーペ</title>
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1937 CADILLAC SERIES 90 FLEETWOOD COUPE1930年、キャデラックは前年までの353cu:in　90°V型8気筒サイドバルブに加えて、新たに新設計のV型12気筒とV型16気筒エンジンをそのラインナップに加えた。前者の排気量は368cu:in（135hp）、後者は452cu:in（165hp）。いずれもVバンク角は45°、バルブトレインはOHVへとサイドバルブが多かった当時としては先進のメカニズムを備えていた。この当時、アメリカではパッカードとピアース・アロウが
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<title>1933 デューセンバーグ　モデルSJ　ビバリーセダン</title>
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1933 DUESENBERG MODEL SJ BEVERLY SEDAN 1920年代から1930年代にかけてのアメリカではT型フォードやシボレー490といったリーズナブルな価格の大衆車が大量生産される傍らで、設計者の情熱が迸るような超高性能車が主要な顧客たる大富豪の許へと次々と送り出されていた。デューセンバーグこそはまさにそんな高性能車を代表する一台だった。 デューセンバーグという名車を世に送り出した人物の名をフレッド＆オーガスト・デューセンバーグという。2人は3つ違いの兄弟だった。アイオ
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<title>1970／1971 ポルシェ917K</title>
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1970/1971 PORSCHE 917K1967年半ば、FIAは翌1968年度のInternational Championship for Makes（世界耐久選手権）のタイトル対象カテゴリとその車両ルールを新たにI／排気量3リッターまでのグループ6スポーツプロトタイプ、Ⅱ／排気量5リッターまでのグループ4スポーツ、Ⅲ／排気量無制限のグループ3GTの3種に変更するというアナウンスを行った。これらの中でポルシェはⅠまでは予想し3リッターフルスケールユニットを搭載した908を開発し準備を進めて
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<title>1938 タトラT97</title>
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1938 TATRA T971920年代の終わりから1930年代の初めにかけて、世界的なアールデコブームと共に大きくクローズアップされることとなった新たなテクノロジーに流線型ボディがあった。タトラの屋台骨を支えていた設計者だったレドヴィンカの新たな計画、それはエンジンを含めたメカニカルコンポーネンツをワンパッケージに集約した上でボディ後部に搭載。エンジンが無くなったことで新たに低いデザインが可能となったフロントからリアにかけて、滑らかな流線型ボディと組み合わせた量産車の実現だった。レドヴィンカと
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