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<title>書いた手紙、紙ひこうきにして飛ばすように。</title>
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<description>語りえないものについては、沈黙しなければならない。</description>
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<title>知られざるベーシスト列伝　～第一回・愛華（ex.MARIA）「低音を弾かなかったベーシスト」～</title>
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<![CDATA[ さて、ベースである。<br>作詞については、一番書きたかったことは全て書いてしまった。<br><br>そこで、私の好きなベーシストについて書くことにする。<br>私はバンドでは作詞の他に、ベースもやっているのだ。<br><br>もちろん私はポールマッカートニーやジョン・ポール・ジョーンズ、亀田誠治といった有名なベーシストたちも大好きだ。<br>しかし、彼らについては語りつくされている観もある。<br><br>そこで、私が語らねば誰も語らないようなベーシストについて書こう。<br>いわばアンサング・ヒーローの歌だ。<br><br>~~~<br>第一回は愛華。<br>誰？<br>ＭＡＲＩＡというガールズバンドのベーシストだ。<br>このバンド、ツインベース、ツインボーカルという仕様だった。要するにベースボーカルが二人いるわけだ。<br>一人は愛華。そしてもう一人は、元ＺＯＮＥのベーシスト舞衣子（ＺＯＮＥ時代の表記はＭＡＩＫＯ）である。<br><br>ＺＯＮＥを解散した後、メンバーは各自の道を辿ったわけだが、唯一バンドでの活動という形にこだわったのが舞衣子であった。<br>いろいろな理由があったのだろう。そもそも、ベーシストにソロ活動は厳しい。舞衣子は声が細いのでソロシンガーに向かないというのもある。<br>そんなわけで、ツインベースという変わった形のバンドを組んだのだろう。<br><br>さて、そこでもう一人、ベースを担当したのが愛華だ。<br>むろん、ＭＡＲＩＡは実質的には舞衣子のワンマンバンドである。<br>そこで、舞衣子はベースでルート弾きをしながら歌うという形をとる。<br><br>もう一人の愛華はなにをするか。<br>高音域を駆使して、ベースでアルペジオっぽいプレイをするのだ。<br><br>そんな変態プレイをしながら、コーラスやユニゾンもキメてくる。<br><br>実際にやってみるとわかるが、ベースボーカルというのは、かなり難しい。<br>少なくとも、ギターボーカルよりも難しい。<br>手と口が、別々のリズム、メロディーを刻まねばいけないからだ。<br><br>ただでさえ難しいベースボーカルを、アルペジオを弾きながらこなす愛華はただ者でなない。<br>歌の合間にはベースソロも入れてくる。<br><br>たとえば「ありがとうの言葉から」という曲。<br>この曲のライブ版を観ると、舞衣子はボーカルに専念して、ベースを弾いてない。いわゆる立ちボである。<br>そこで愛華一人がベースを弾いているわけだが、愛華は大人しくルート弾きをせず、ここでも高音域を使った、コード感あふれるプレイをしている。<br><br>実際、観た感じも異様である。ベースではあまりつかわれない、ネックの付け根付近に手を固定しなが<br>ら目は前を見て、マイクに向かって歌っているのである。<br><br>これも実際にやってみればわかるが、ネックから目を離して歌うのは難しい。<br>だが、まあベースボーカルならば練習次第でできるようになる。私だってできる。<br>しかし。<br>しかし、だ。<br><br>ベースという楽器は（他の弦楽器もそうだが）、高音にいくほどフレットの感覚が狭くなるのである。<br>だから、たとえば３フレットと４フレットを押し間違えることはあまりないが、１３フレットと１４フレットは、すごく間違えやすい。<br>愛華はそんな間違いやすいフレットを使って、目を離してプレイしているのである。<br><br>やはり、ただ者ではないのだ。<br><br>私もいつか彼女のベースラインを盗んでやろうと思っているのだが（彼女がラインを考えているかはともかくとして、だ）、未だにあんなに奇怪なラインは弾けない。<br><br>そもそも、ベーシストというのは、低音を出す仕事である。ベースが弾いていないと、バンド全体の音からは低音域だけがなくなり、ひどくアンバランスな感じになるのが常だ。<br><br>低音を嫌った（かどうかは知らないが）ベーシストといえば、愛華かジョー・オズボーン（カーペンターズの音源のベース）くらいである。<br><br>低音域を弾かなかったベーシスト、愛華。<br>彼女は、アイドルである舞衣子を引き立たせねばならないという立場から、<br>逆に誰にも真似できないような演奏スタイルをつくりあげたのであった。<br><br>ＭＡＲＩＡが解散した今、彼女はどこでなにをやっているのだろうか？
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<pubDate>Wed, 15 Feb 2012 20:14:22 +0900</pubDate>
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<title>秋元康　～作詞家列伝・第三回～</title>
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<![CDATA[ 　秋元康という名前を聞いて、人はどんな表情を浮かべるだろう。にやけた笑顔、しかめっ面、尊敬のまなざし……。<br>　<br>　尊敬？　そう、尊敬。<br>　一般的に揶揄され、やっかみや嫉妬もこめられた批判にさらされることの多い秋元だが、彼を尊敬する人もいる。<br><br>　月刊カドカワの別冊として出された『特集　失われた詩人としての秋元康』には、秋元周辺で仕事をしている人々が多数記事を寄せ、ほとんどタイコモチのような賛辞を並べている。<br>　距離をとった評ができている寄稿者は宇野常寛と斎藤環くらいのもので、残りの寄稿者の賛辞は、読んでいて気持ちが悪いほどである。<br><br>　さて、秋元康である。AKB48のヒットで昨今プロデューサーとして名高いが、そのAKBの作詞をほぼ全曲にわたってつとめ、その長いキャリアの中では、おニャン子クラブのプロデュース＆作詞や、他のアーティストへの詞提供（美空ひばりの「川のながれのように」が有名だろうか）も行ってきた。<br><br>　さて、このブログは作詞ブログ。この記事は「作詞家列伝」の第三回、ということで、秋元の作詞家としての側面に光をあてたい。ちなみに前述の月刊カドカワも、「詩人としての」と銘打ってはいるが、編集者（インタビュアー）含め、ほとんどがタイコモチのため、まともな資料的価値はない。<br><br><br>~~~<br>　秋元作詞のポイントは大きく分けて３つある。<br><br>　１つ目。秋元の詞で印象的なのは、本人もたびたび語っているが、「王道と奇策とのバランス」である。これは作詞講座の方の読者にも参考になるだろう。秋元の詞を読んでみて欲しい。いかにもな言葉がちりばめられたベース生地に、「おっ？」という独特な言葉のトッピングがちりばめられている。これはどちらが欠けてもだめだ。<br><br>　全部が王道の歌詞でもどこかできいたような歌になってしまうし、逆に全部が奇策では、どこかのインディーズバンドのようなわけのわからない歌詞になる。<br><br>　２つ目。先ほど、「王道のベース生地に奇策のトッピング」という表現をしたが、「喩え」が多いのも秋元の特徴だ（ちなみにこの喩えは私のオリジナルだが）。<br>　具体的な詞のフレーズだけではなくて、インタビューで話すときもそうだし、あるいは詞のコンセプト自体が「喩え」だったりもする。たとえば、AKBのメンバーを野菜に喩えたら、どうなるだろう？といった具合だ。<br><br>　３つ目。日本語の言葉遣いに忠実である。これは先述の月刊カドカワの中で岩崎夏海も述べているが、秋元の歌詞は、音程が日本語の言葉にちゃんと沿っている。<br>　たとえば、あるメロディーに<br><br>　「海にかける橋」<br>と入れたいと思ったとしよう。<br><br>　「海」の音程は「う　↘　み」であり、「橋」の音程は「は　↗　し」だ。<br>　もし、この部分のメロディーが、「う　→　み」と「は　↘　し」だったら、<br><br>　「生みにかける箸」<br>としか聞こえなくなってしまう。秋元の歌詞には、こういったミスが極端に少ないのだ。<br><br><br>~~~<br>　さて、今年に入って、秋元はAKBを改革しようとしているという。ひとつに、作詞を自分以外にも任せようというのだ。私は、これは外注というよりは、メンバー（たとえば北原里英）にも作詞をやらせてみようということではないかと思っているが（ついでにこれはとてもリスキーだとも思っている）、こう考えたからには、秋元が、このまま自分の歌詞で押し通すことに限界を感じているのだろう。<br><br>　それは、一部のファンたちが指摘しているように、「秋元には、「君が好きだ片思い」パターンと「卒業するけどまた会えるよ」パターンしかない」からだ。<br><br>　いや、正確にはこの分類は微妙に誤っていると私は思っているが、問題はそんなことではなく、ファンがワンパターンと感じ始めてしまっていることだ。秋元もそれに気付いているのだろう。<br><br>~~~<br>　あらゆる作詞家は、ワンパターンなものだ。<br><br>　いや、ワンパターンではないにせよ、有限の主題しか扱えないと思う。秋元の持ち駒が他の作詞家に比べて多かったのか、少なかったのかは私には判断できない。<br><br>　ただ、全ての作詞家にとって、持ち駒の数は限られているのだ。<br>　かつて大塚愛も言っていたと思うが、詞は、体験したことからしか生まれない。<br><br>　これは、作詞をしたことのある人なら誰でも、感じたことがあるだろう。<br><br>　いや、私は妄想の力で詞を書く！という人もいるかもしれない。<br>　しかし、たとえ想像力を駆使して書こうとも、想像の世界で使えるパーツは、自分が経験したことだけなのだ。自分が見たことも聞いたこともないパーツを組み合わせて歌詞を書くことはできない。<br>　すくなくとも、私にはできない。<br><br>　だから、作詞に挑戦しているあなたには、是非、色々な経験を積んでほしい。<br>　書を捨てて、街へ出てほしい。<br>　いや、もちろん本を読むことも大切だが、本だけ読んでいては、詞を書けるようにはならないのだ。<br>　あとから振りかえってみれば、愛おしくてたまらないような、そんな宝石のような経験をしてほしい。<br><br>~~~<br>　――今回は作詞家列伝なのか、作詞講座なのか、よくわからない内容になってしまった。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11161890999.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Feb 2012 19:33:57 +0900</pubDate>
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<title>AZUKI七　～作詞家列伝・第二回～</title>
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<![CDATA[ AZUIKI七は、私のもっとも影響を受けた作詞家だ。<br><br>作詞をするときでも、つい似た歌詞を書いてしまう。<br><br>音楽プロデューサーの亀田誠治は、世の作曲家志望に向けて、<br>「憧れの人に似ない努力をすることが大切」<br>と語っているが、作詞にも同じことが言えるだろう。<br><br>私も、AZUKI七の影響下から、自分のオリジナルを生みだしたいと思ってはいるが、<br>気を抜くとつい、劣化コピーのような歌詞を書いていたりする。<br><br>今回の「作詞家列伝」は、そんな憧れの作詞家、AZUKI七を扱う。<br><br>~~~<br>AZUKI七は、GARNET CROW（以下、ガネクロと表記）という音楽集団で、キーボードと作詞を担当している。<br><br>ガネクロは、もともと、音楽制作で裏方的な役割をつとめていた（アレンジャー、作曲家、作詞家など）４人が集まってつくったもので、いわゆる「ビーイング系」に分類されるが、一過性のブームやアイドル的人気ではなく、その良質な楽曲で10年以上の長きにわたってファンからの支持をうけつづけている。<br><br>ガネクロの楽曲制作は以下のようなプロセスで行われるという。<br>まず、ヴォーカルの中村由利（ゆりっぺ）が曲を書き、英語で適当な歌詞をつけてAZUKI（七様）に渡す。<br>AZUKIがそれに歌詞をつける。<br>同時並行で、キーボードの古井弘人（おっさん）がアレンジをし、ギターの岡本仁志（おかもっち）がギターフレーズを録音する。<br>完成した曲に中村が歌を入れる。<br><br>結果として完成する楽曲は、厳しい音楽ファンの鑑賞にもたえうる、現行のJ-POPには珍しいともいえる、高い完成度を誇っている。<br><br>ベスト盤もあるので、未だの方は是非一聴してほしい。<br>一般には、アニメ「名探偵コナン」とのタイアップ曲である「Mysterious Eyes」や「夏の幻」が有名だろうか。<br><br>~~~<br>さて、AZUKIの歌詞は、いい。<br><br>描かれる世界観は、陽だまりのような、どこかセピア色がかった日常の風景である。<br>詞の中で、人は、公園で髪を切ったり、小舟を水に浮かべたり、窓の向こうにひこうき雲をなぞったりする。<br>現代の都市の中でせかせかと生きている私たちに、忘れていたような感覚をよみがえらせてくれる、詞である。<br><br>明るい楽曲でも、どこか切なさ、儚さを内包しているのも彼女の詞の特徴である。<br>やがて去りゆくものへのいとおしさ、無情さゆえの愛。<br>そんなテーマも見えかくれする。<br><br>古典文学への影響も垣間見える。<br>たとえば、「君の思い描いた夢集メルHEAVEN」という曲には、<br>「ノヴァーリス」と「青い花」という単語が登場する。<br><br>ドイツの詩人ノヴァーリスの未完の作品が「青い花」というタイトルなのだ。<br><br>夢の中で青い花を見た少年が、それを求めて旅に出る。旅の途中で少年は、他の旅人や隠者、鉱山夫といった様々な人と出会い、成長してゆく……というのが第一部。第二部では雰囲気ががらっとかわっているのだが、この第二部は未完に終わっている。<br><br>ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」に影響を受けて書かれたビルドゥングス・ロマンの一種で、岩波文庫に収録されている。<br><br>――が、こんなマイナーな作品を読んでいること自体、ただものではない。<br>かつてボブ・ディランはミュージシャンを目指す若者に、<br>「現行の音楽を聴かずにキーツやメルヴィルを読むべき」と薦めたが、<br>キーツやメルヴィルの方がノヴァーリスに比べればだいぶメジャーだろう（ちなみに私はキーツの詩も、けっこう好きである）。<br><br>~~~<br>たまにラジオなどでAZUKIのトークを聞くと、正直、かなり変わった人という印象を受ける。<br><br>極度にマイペースで、ワガママなのだ。<br>トークの流れも気にせず割り込むし、リスナーからのメールなどにも、普通はお愛想程度の受け答えをするものだが、AZUKIは気が乗らないと「ふーん」で受け流したりもする。<br><br>でもまあ、これくらいのマイペースさがないと、彼女の歌詞のような、まとまった世界観はつくりだせないような気もする。<br><br>蛇足ながら、彼女の美貌に憧れるファンも多い。<br><br>Googleで「AZUKI七」と入れると、予測検索に「AZUKI七　可愛い」、「AZUKI七　画像」、「AZUKI七　胸」などが表示される。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11156848558.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 20:30:00 +0900</pubDate>
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<title>北山修　～作詞家列伝・第一回～</title>
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<![CDATA[ 今回から作詞家列伝という企画を始めることにした。<br><br>ヴォーカリスト列伝、ギタリスト列伝、ベーシスト列伝、などはよく見る。<br>作曲家列伝、というのもあるかもしれない。<br>プロデューサー列伝、というのはある。<br><br>しかし作詞家列伝というのは、あったろうか。<br>不勉強なもので、私は知らない。<br>そこで私がやることにした。<br><br>とりあえず、私のお気に入りの/尊敬している/影響を受けた作詞家たちを紹介していく。<br><br>~~~<br>第一回は、北山修だ。<br><br>北山修。1946年生まれ。ベーシスト、作詞家、精神科医。<br><br>こうして並べてみると謎の肩書きだ。<br>「精神科医、作家」とかなら、よく見る。<br>北杜夫、なだいなだ、香山リカ、斎藤環etc.<br><br>しかし、ベーシスト、作詞家、ともなると、そう、いない。<br><br>「あの素晴しい愛をもう一度」という歌をご存じだろうか？<br>北山修はこの歌の作詞者である。そして、サイドボーカルも取っている。<br>「赤とんぼの」ではじまる２番アタマは、彼のソロ歌唱である。<br><br>他にも「戦争を知らない子供たち」や「風」など、一世を風靡した歌の作詞を手がけている。<br><br>さて、なぜ、精神科医がこんなヒット曲の作詞を手掛けているのか？<br>まあ……、どちらかというと、ヒット曲の作詞家が精神科医になった、<br>といった方が時系列としては正しいかもしれない。<br><br>~~~<br>もともと、彼はフォーク・クルセダーズ（フォークル）というバンドのベーシストだった。<br>このバンドは全員が歌うので、ヴォーカルでもある。<br><br>当時北山は医大生だった。<br><br>趣味として加藤和彦、はしだのりひこらとともにフォークルというバンドを組んで、活動していた。<br><br>地味～に活動していたのだが、そろそろ解散するかと<br>「帰ってきたヨッパライ」を発表したら、これが大ヒット（ちなみにこの曲は北山の作詞ではない）。<br><br>学生なのでということで、一年の期間限定で活動を開始。<br>山のようなヒット曲を残し、約束通り一年後に解散した。<br><br>その後、北山は大学院に進み、表立った活動はしなくなるが、<br>ときどき歌詞を提供したり、偽名でバンドを組んだりしている。<br><br>2006年の一夜限りのフォークル再結成では久々に人々の前に姿をあらわし（一応サングラスで変装していた）、演奏にも加わった。<br><br>医者としても順調に活動し、精神分析の世界ではそれなりに有名な人物のようである。<br><br>著作も何冊か読んだが、精神科医でありながらカウンセリングも重視する姿勢のようだ。<br>最近はあまり見られなくなったタイプの精神科医のように想う。<br><br>アカデミック・キャリアとしては九州大学の教授をつとめ、昨年退官した（ちなみに退官記念講演ではなく、退官記念コンサートが開かれた）。<br><br>~~~<br><br>まあ、北山の経歴については私がくだくだと説明するのも野暮だろう。<br>私よりも詳しい人もいるだろうし、ネットで調べればわかる話である。<br><br>ここからは個人的な、見解を書こう。<br><br>~~~<br><br>北山には、個人的には、かなりシンパシーを感じている。<br><br>私はバンドではベーシストで、作詞家だ。<br>ギタリストのもってきた曲に詞を書いて、まあ、ダメだしされたりしている。<br>つまり、バンドの中での立ち位置が、北山に近いと思うのだ。<br><br>さて、そんな私の視点から北山について見ていこう。<br><br>まず、ベース（えっ、作詞家列伝なのに？ まあ、いいではないか）。<br>そんなに、上手くない。<br>ウッドベースを弾いているときと、アコベを弾いているときがある。<br>エレキベースを弾く姿は見たことがない。<br>基本、ルート弾きだ。アコベのときは、親指弾き。<br>リズム感にも、取り立てて見るべきものはない。<br><br>たまにギターを弾いていることがあるが、これも普通だ。<br>アコギコード弾き。それも一人で弾くことはなく、たいていバックでも弾いている人がいる。<br>北山の音はあまり聴こえない。<br><br>そして歌唱。<br>これは、かなり評価できる。<br>リズム感は独特で、音域も狭いのだが、<br>低音域での音の伸びは素晴らしいものがある。<br>私は彼の歌が、けっこう、好きだ。<br><br>~~~<br>そう、作詞の話だった。<br><br>元々、彼はプロの作詞家ではなかった（もしかしたら、今も違うのかもしれない）。<br><br>フォークルの歌も、メインの曲は有名な作詞家、詩人に外注して、<br>お遊び程度の歌は外注せずに、メンバーの北山が作詞するというスタンスだったように思える。<br><br>ところが北山の作詞は、めきめきと向上していく。<br>それはそうだろう。<br>サトウハチロー、寺山修司、五木寛之といった、そうそうたるメンバーの書いた詞のB面に<br>自分の詞が収録されるのだ。<br><br>下手な詞は書けないというプレッシャーもあっただろうし、<br>大物詩人たちの書いた詞から学んだことも多かっただろう。<br><br>そしてフォークル解散後、彼のもとには様々なバンドから作詞の依頼が来るようになるのである。<br><br>~~~<br>北山の作詞は、素直なことが特徴だ。<br><br>平和な日々の美しさ。<br>それは例えば、空が青いとか、花がかわいらしいとか、夕焼けが切ないとか、<br>そんな何気ないことなのだが、<br>それを素直に歌いあげている。<br><br>若者の歌もあるが、これも素直だ。<br>時代のせいもあるのかもしれないが、未来への希望をなんの屈折もなく、歌っている。<br><br>悲しい歌でも、北山の歌う悲しさはストレートだ。<br>なんというか、スレていない、純粋な悲しさなのだ。<br><br>加藤は北山のある詞を見せられたとき、「こんな恥ずかしい詞に曲なんかつけられるか」<br>と突き返したそうだが、まあ、そういう、まっすぐさがあるのである<br>（ちなみにその詞には、後に杉田次郎が曲をつけて発表した。「戦争を知らない子供たち」である）。<br><br>~~~<br>私は北山の詞は、大好きだ。<br>聴いていると、澄んだ空の下で昔懐かしい日本の風景を見ているような、感覚に包まれる。<br><br>だから北山は、好きな作詞家ではある。<br>だが、影響を受けたかというと、私は北山の影響下で詞を書いたことはないように思う。<br><br>というのは、北山のような純粋な詞は、私には書けないのだ。<br>それは私個人が不純だとか、そういうことではなくて、たぶん、時代の問題なのだろうと思う。<br><br>北山の時代と比べて、今の時代は、良くも悪くも、人がスレてしまっている。<br>私もそうだが、聴き手もそうだ。<br><br>純粋な幸せや悲しみを歌っても、人はそれを、生活感のない、絵空事のように感じてしまうのだ。<br><br>~~~<br>だから私は、北山の詞を自分の作詞の参考にはしない。<br><br>それでも北山の詞は好きだし、<br>彼のやっているラジオ「きたやまおさむのレクチャー＆ミュージック」は、毎週欠かさず聴いているのだ。<br><br>~~~<br>ついでに書いてしまえば、北山修のようになりたい、と思うことがある。<br><br>ミュージシャンとして歴史に残るようなバンドで活動し、<br>作詞家として数々の名曲を手がけ、<br>さらには医者としても成功をおさめ、<br>社会的地位も手に入れた。<br>今では仕事に忙殺されることもなく、<br>充実した日々を送っている。<br><br>精神科医としてしか北山を知らない人は、<br>「えっ、北山さんって精神分析で有名な精神科医でしょ？ ミュージシャンだったの？」<br>と言うらしい。<br>私もいつか、こんなことが言われてみたい、などと思うことがあるのだ。
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<pubDate>Sat, 04 Feb 2012 21:30:00 +0900</pubDate>
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<title>そもそも「詩」って、なんだろう？　その２</title>
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<![CDATA[ 前回のブログでは、<br><br>詩は、自分がすごいと思ったことを、ただ書くのではなくて、<br>誰かに伝えたくて書かなければいけない、<br><br>と書きました。<br><br><br>「～を見て、きれいだと思った」<br><br>ではだめで、<br><br>「あなたも、～を見たら、きれいだと思うだろうなあ」<br><br>という精神で書かれなければならない。<br><br>けれど、これだけでは、まだ、詩ではないのです。<br><br><br>プロアマ問わず、ある程度上手な作詞家はみんな、これはできるのです。<br><br>「あなたも、～を見たら、きれいだと思うだろうなあ」<br><br>というのを、実に上手に書きます。<br><br>その歌を聴いた人は、<br>「そうそう、そうなんだよ！」<br>と思う。<br><br>でも、なにか足りない。<br><br><br>最近のJ-POPの歌は、みんな似たような歌詞だ、と言われますね。<br><br>そんな似たようなJ-POPの歌詞も、<br><br>「あなたも、～を見たら、きれいだと思うだろうなあ」<br><br>の原則は守っていると思うのです。<br><br><br>では、なにが足りないのでしょう？<br><br>それは、<br>自分で思ったことを、書く<br>ということです。<br><br>あなたは、～を見たらきれいだと思うんでしょう？（まあ、私は別にそうは思いませんけどね）<br><br>こんな気持ちで詩を書く人が実に多いのです。<br><br>～って書いたら、ウケるんだろう？<br>～って書くと、詩っぽいんじゃない？<br><br>他人が感動しても、<br>自分が感動していなかったら、<br>それは詩ではありません。<br><br>ちゃんと、自分が実際に思ったこと、考えたこと、感動したことを、書きましょう。<br>つくりものの感動は、すぐにめっきが剥がれます。<br><br><br>どちらが欠けてもいけません。<br><br>自分も、他人も。<br><br>両方揃って、はじめて、詩です。
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<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 21:45:00 +0900</pubDate>
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<title>そもそも「詩」って、なんだろう？</title>
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<![CDATA[ さて、このブログでは作詞のやり方について書いてきたわけです。<br><br>で、歌詞というのは、詩の一種なわけです。<br><br>詩の中には、いろんな種類があります。<br>文学詩とか、詩劇とか、短歌とか、俳句とか、バラッドとか、ソネットとか。<br>学問的にどう分類するのが正しいのか私は知りませんが、<br>まあ、その中のひとつが歌詞です。<br><br>だから歌詞は、詩の一種なわけです。<br><br>では、詩ってなんなんでしょう？<br><br>「真夜中のミッキーマウス」も「イエスタデイ」も「ヴィーナスとアドーニス」も「ホメロス」も、<br>みんなみんな、詩とよばれます。<br><br>一体なにをもって、詩なのでしょう？<br><br>すこし考えてみてください。<br><br><br><br><br><br><br>考えてみましたか？<br>どう思いましたか？<br><br>「言葉を使って書かれている」、なるほど。<br>「なんか普通の文章と違って、オシャレに気を使っている感じ」、ほほう。<br>「短い」、うーむ、長い詩もありますからねえ。<br><br>その他になにかありますか？<br><br>――じゃあとりあえず、私の考える答えをお話ししましょう。<br><br>と、その前に。<br>「美しい」ってなんだと思います？<br><br>おやおや。「詩」ってなんだ？というのさえ抽象的な質問だったのに、<br>今度は「美しい」だって？<br>もっと問題がこんがらがっちゃうんじゃないか。<br><br>もちろん、「美しい」についてここで答えをだすつもりは私にもありません。<br><br>加藤典洋という批評家がいます。<br>彼が、『言語表現法講義』という本の中で、こんなおもしろいことを言っていました。<br><br>　　美、って、何ですか。誰もがいい、と思うものです。あ、美しい！というのは、<br>　　自分は美しいと思う、というんじゃないんです。これは、きっと他の人も美しく<br>　　思うに違いない、そういう感情なんです。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　（加藤典洋(1996)『言語表現法講義』岩波、p.15）<br><br>私はこれを読んだとき、なるほどなあ、と思いました。<br><br>そして、詩も、これと同じだなあ、とも思いました。<br><br><br>詩を書くとき、ただ書いて、つくえのヒキダシの中にしまいこんでおく、という人はいません。<br><br>いや、いるのかもしれませんが、すごくもったいないと思います。<br><br>たいていの人は、誰かに見てもらいたくて詩を書きます。<br><br>友達に読んでほしい、恋人に聞かせたい、お母さんにあてて、<br>あるいは今の政治家たちに、腐った世間に伝えたい、<br><br>もしかしたら、もっとあいまい。誰かに伝えたい（RAMARにこんな歌詞がありましたね）。<br><br>ほんとうにその人に見せるかはともかくとして、<br>誰かに見てほしくて人は詩を書くのです。<br><br>だから書いた詩をブログにのせたり、知恵袋に投稿したり、コンテストに応募したり、するわけです。<br><br><br>さて、「美しい」というのは、（加藤典洋によれば）、「ああ、美しいなあ。きっとこれを見たら、あの人も美しいと思うだろうなあ」という、感情だったわけです。<br><br>詩も同じです。<br><br>あなたが夜、歩いていて、ふと空を見上げて、（あ、月がきれい）と思ったとします。<br><br>これだけでは、詩ではありません。あなたが一人でそう思っているだけですから。<br><br>ここで、あなたはそれを彼女に伝えたくて（GARNET CROWにそんな歌詞がありました）、<br>「月がきれいだよ」とメールを送ったとします。<br><br>今度はそれは、詩です。<br><br><br>詩はみんな、誰かに伝えたくて書かれるものなのです。
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<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 23:19:06 +0900</pubDate>
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<title>曲の声を聴きとろう！　～曲先作詞のすすめ　３～</title>
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<![CDATA[ 前回の記事で、曲に詞をつけていく練習をしろ！<br>と書いた。<br><br>そこであなたに気をつけて欲しいことがひとつ、ある。<br><br>いや、本当はもっと色々な、些末なことがあるのだが、どうしても強調したい点がひとつある。<br><br>それは、「<strong>曲に対して謙虚になる</strong>」ということだ。<br><br>~~~<br>メロディーによって、書いていいことといけないこと、というのが実は決まっている。<br><br>そう難しいことではない。<br>たとえば短調の、くら～い曲に明るい歌詞をつけてはいけないとか、そういうことだ。<br><br>「そんなこと、わかってるよ！」<br>とあなたは言うかもしれない。<br><br>しかし、この間違いをしてしまう人はとても多いのだ。<br><br>よくこういった作詞講座で、「自分の伝えたいメッセージを大切にしろ」と言われる。<br>そこで、えいやとばかりに、自分のメッセージを曲にはめ込んでしまう人がいる。<br><br>曲を聴く前から、なにを書くかを決めてしまっているのだ。<br>これでは、なんともミスマッチな曲ができてしまう。<br><br>~~~<br>だから、まず曲を聴いてほしい。<br><br>最初に聴くときは、無心であってほしい。<br><br>そしてそこから浮かんでくるイメージや、聞こえてくるメッセージを大切にしてほしい。<br><br>アヤシゲな言い方をしてしまうと、素材にうまくチャネリングする（周波数を合わせる）のだ。<br><br>そしてイメージが浮かんだら、<br><br>さあ、書き始めよう。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142850007.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 20:13:15 +0900</pubDate>
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<title>曲先作詞の練習法　～曲先作詞のすすめ　２～</title>
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<![CDATA[ 詞だけを書く練習をするな！<br>曲に詞をつけろ！<br><br>――と、<a href="http://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142446582.html" target="_blank">前の記事</a>で言った。<br>しかし、こう言われてもあなたは困ってしまうだろう。<br><br>困ったあなたの顔が目に浮かぶようだ。<br><br>あなたがバンドを組んでいて、そこに作曲をしてくれるやつが（そして自分で書いた曲の作詞をあなたに任せてくれるような気前の良いやつであれば）それに越したことはない。<br><br>そいつとタッグを組んで、曲をつくればいい。<br><br>しかし、そんなラッキーはそうそう、ない。<br><br>なんだったら、あなた自身が曲を書いてもいいのだが、これもなかなか一朝一夕にというわけにはいかない。<br>それに、「作曲には興味がないんだよ。作詞だけやりたいんだ」という人もいるだろう。<br><br>そんなあなたのためにとっておきの練習法をお教えしよう。<br><br>~~~<br><br>まあなんてことはない。<br>詞のついていない（インストの）曲を探してきて、そこに勝手に詞をつけていけばいいのだ。<br><br>詞のついていない曲？　クラシックとか、ジャズの曲か？<br><br>まあそれもいいだろう。<br>しかしオススメは、ゲームミュージックだ。<br><br>割合メロディーラインがはっきりしていて、数も多い。<br>手に入れやすい、というのもある。<br><br>ゲームミュージックを聴いて、そこに歌詞をつけていく練習をしよう。<br><br>ちなみにニコニコ動画で活動しているHamarという歌い手は、ゲームミュージックに歌詞をつけ、自分で歌ってアップロードしている。<br>彼女がクロノトリガーの曲「風の憧憬」につけた詞は、もしかしたらあなたも聴いたことがあるかもしれない。<br><br>~~~<br>なるほど、とあなたはゲームミュージックを探してきて、聴いてみる。<br>さて、これに詞をつけるとしよう。<br><br>そのときに、アドバイスしたいことがある。<br><br>それを次の記事では書くことにしよう。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142638079.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 11:05:45 +0900</pubDate>
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<title>詞だけを書くな！ ～曲先作詞のすすめ　１～</title>
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<![CDATA[ Yahoo知恵袋に「作詞、作曲」というカテゴリがある。<br><br>のぞいてみると、「作詞してみました！ コメント下さい！」というような投稿が並んでいる。<br><br>ひらいてみると、詞だけがずら～っと書いてある。<br><br>これはよくない。なぜよくないのか説明しよう。<br><br>~~~<br>まず、あなたが本当に作詞をすることになったとき、詞から書き始めるということはまずない。<br><br>ほとんど、曲が（メロディーが）先にあって、そこに歌詞をつけるということになる（これを「曲先」と言って、逆に詞が先にある場合を「詞先」と呼ぶ）。<br><br>具体的には、作曲者がデモ音源を送ってくる。聴いてみると、伴奏とともに鼻歌のようなものが入っている（仮の歌詞を作曲者がつけて、歌っている場合もある）。<br>そこにあなたが歌詞をつけるという手筈になる。<br><br>詞が先にあって、そこに誰かが曲をつけてくれるというのは、よっぽどの大御所か、自分で曲も書くシンガーソングライターかのいずれかである。<br><br>シンガーソングライターでも、詞だけ先に書くというケースは珍しくて、たいてい曲と詞が同時にできるか、曲を書いてから詞を書くことが多い。<br><br>こういった事情はプロでも同じで、音楽業界でも9割が曲先だ。<br><br>~~~<br>だから、いくら曲の無いところに詞だけを書いてみても、それはなんの練習にもならないのだ。<br><br>ネタを書きとめる程度の感覚で書くならいいかもしれない（後で別に書くつもりだが、ネタ帳は作詞家には必須である）。けれど、それだけで満足していては絶対にいい作詞家にはなれないのだ。<br><br>それではどんな練習をすればいいか。<a href="http://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142638079.html" target="_blank">次の記事</a>ではそれを書くことにしよう。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142446582.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 01:20:08 +0900</pubDate>
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<title>改めてこのブログについて</title>
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<![CDATA[ 唐突だが、このブログのテーマを決めた、今。<br><br>作詞講座だ。<br><br>◇<br><br>私はバンドをやっていて、そこで作詞とベースを担当している。<br>そこで得た知識を、なんらかの形で還元したいと思ったのだ。<br><br>それにこのままだと、ブログもなかなか更新される様子がない。<br>テーマを決めておけば、更新もたやすいだろう。<br><br>よっぽど新しいIDを取って、HNやアドレスもそれらしく改めようかと思ったが面倒くさい。<br>それに、また飽きるかもしれないのだ。<br><br>というわけで、このまま、このブログで続けることにする。<br><br>◇<br><br>それでは、作詞講座のはじまりはじまり。
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<link>https://ameblo.jp/allthings-mustpass/entry-11142439309.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 01:14:22 +0900</pubDate>
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