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<title>どうしたらいいの？ 還暦のダイエット &amp; シェイプ</title>
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<description>還暦を前に一念発起してダイエット（身体づくり）にトライ！レコードしてますのでお気軽に声をかけてください。</description>
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<title>人が持つ二面性</title>
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<![CDATA[ 「理性があるがゆえに、すべての人間は、尊厳と尊敬に値する」。<br>そう言ったのはカントです。<br>また、マキアヴェリは、『君主論』の中で、「君主は、人間と野獣を使い分けなければならない」と書いています。<br><br>野獣とは、人間の残虐性を意味しています。<br>人は、他人に対し、自らの命を賭してまで献身的になることもできれば、目を覆いたくなるほど残虐な姿を見せることもできます。<br><br>人間の持つこの二面性の意味することとは何なのでしょうか。<br><br>例えば、現在◯◯◯の情勢は、人の残虐性の象徴とも言えます。<br><br>否、日本でさえも、人を人とも思わないような卑劣で残虐な犯罪が頻発しています。<br>しかし、一方で、どんなに残虐な犯罪者でも、自分の身内や仲間などには、思いもかけないほど優しい一面を垣間見せることがあります。<br>つまり、人は、顔の見える相手には残虐にはなれないのです。<br><br>人が残虐になれるのは、常に顔の見えない相手に対してなのです。<br>顔の見えない相手とは、要するに、自らの関心の及ばない相手のことです。<br>それは、自分の身内以外の人であったり、仲間以外の人であったり、あるいは、他の地域の人々や他の国の人々であったりします。<br><br>私たちは、他人の行動を理解することができます。<br>しかし、他人の行動を理解することと、他人に関心を持つことは大いに違います。<br>他人の行動を理解するのは、ほとんど無意識的な行為であり、これは、人間だけに限ったことではありません。<br><br>動物も、他の動物の行動を理解することができます。<br>それゆえ、彼らは、獲物を襲うことができ、また、捕食者から逃れることができるのです。<br><br>ただ、私たち人間は、他人に関心を持つことができます。<br>人間だけが、相手の人のことを考え、その行動の意味するところや、その人の思考や感情に関心を持つことができるのです。<br><br>そして、これが極めて人間らしい行為であるのは、この行為が意識的な行為だからです。<br>人は、意識的に考えなければ、相手に関心を持つことはできません。<br>そして、相手に関心を持てば、残虐になることはできません。<br><br>親が、躾けと称して我が子に残虐な行為を働けるとしたら、それは、言うことを聞かない子どもに関心があるのではなく、言うことを聞かせたいという自分にしか関心がないからです。<br>また、恨みを抱く相手の苦しむ顔が見たいというのも、苦しむ相手に関心があるのではなく、苦しむ顔が見たいという自分にしか関心がないのです。<br><br>残虐性は一時的な解決策にしかならないということを、マキアヴェリも認めています。<br>残虐性は、ただ負の連鎖を生み出すだけなのです。<br><br>私たち人間は、周囲の人たちに対する関心を広げれば広げるほど、人に対して優しく貢献的になれます。<br>世界中の人々が、自国の利益ばかりに囚われるのではなく、他の国の人々にも大いに関心の輪を広げることができれば、世界的な紛争をもっと防ぐことができるのではないでしょうか。<br>そして、それができるのは、私たち人間だけなのです。<br><br>（抜粋・思考）
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<pubDate>Tue, 15 Dec 2015 12:39:14 +0900</pubDate>
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<title>弓の練習</title>
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<![CDATA[ <br><div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/23/ameba1957/45/fb/j/o0480064014438382303.jpg" alt="イメージ 1" height="560" class="popup_img_480_640"></div><br>かれこれ30年ほど前、某神社にあった弓道場で弓を始め、現在のような連盟が運営認定する段位とは無縁のローカル段位をもらっていました。<br>しかし、そんな経験など何の意味も成さない現在の身体の反応を元に、昨年より弓を再開し練習を始めています。<br>写真は自宅と隣との間を利用して的場代わりにしている練習場。<br>約25mありますので狙う感覚には役にたってるかな…。
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<pubDate>Fri, 04 Dec 2015 11:30:48 +0900</pubDate>
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<title>玉手箱</title>
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<![CDATA[ 三年から四年近くフェイスブックで交友させてもらってました。<br>この度、二年前のデータ消滅、そして今回は不正アクセスのなど不可解なことがあった為、フェイスブックを一旦退会致しました。<br>また、こちらのブログで交友していきたいと思っていますので宜しくお願い致します。
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<pubDate>Thu, 03 Dec 2015 16:00:40 +0900</pubDate>
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<title>論語読みの論語知らず</title>
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<![CDATA[ 今年の年頭のつぶやきは...。<br><br><b>「論語読みの論語知らず」</b>という言葉があります。<br>この意味はと言うと。<br>本質的なことをお留守にして、枝葉末節にばかりこだわるような人。<br>つまり本末転倒しているようなピンボケ人間に向かって発せられる言葉なんですね、<br>（決して良い意味に使われるものではありません。）<br><br>私などは、いつまで経っても「論語読みの論語知らず」の人間から抜け出せません。<br>近頃は益々その思いも強くなって来ています。<br>何故そうなんだろうか？<br><br>気学を理解すれば<br><br>『強く叩けば強く鳴り、弱く叩けば弱く鳴る』<br>『高く叩けば高く鳴り、低く叩けば低く鳴る』<br>『深く叩けば深く鳴り、浅く叩けば浅く鳴る』<br><br>その時の自分の境地や心境の程度に応じて鳴り響いてくれる。<br>自分次第、自分任せであるということです。<br><br>言い換えますと、自分の境地の進化の度合によっても、時々捉え方が随分違って来ると云うことであります。
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<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 12:53:43 +0900</pubDate>
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<title>平成２４年　年頭にあたり</title>
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<![CDATA[ <p class="img"></p><p align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190605/23/ameba1957/ac/f9/j/o0960076814438382223.jpg" alt="イメージ 1" width="560" border="0"></p><p></p><font color="green">明けましておめでとうございます。</font><br><br>本年の年頭は、お友達が掲載された夕闇せまる空にたたずむ雲の写真に、辰年をイメージした龍の姿を見せられて感動しました。（年頭を飾りたくシェアさせていただき掲載させていただきました。）<br><br>昨年は未曽有の災害が東北を遅い、日本中を世界を悲しみの渦に巻き込みました。<br>しかし、日本は早々に『復興』に向けて確実に歩み始めています。<br>皆さん一人一人...復興に対して機会が生じたときには力を合わせていきましょう。<br><br>今年は<b>壬・辰</b>（みずのえ・たつ）、<b>六白金星中宮</b>です。<br><br>壬は『沈滞の傾向。第二の活動待ち。』<br><br>反面、辰は『最も元気旺盛、伸びる、縮む事を知らぬ、陽気で賑やかを好む、楽観主義。』<br><br>というように、昨年は辛抱を強いられるという流れから未だ沈滞からも抜け出せずにいるけれど、辰の気が雲の合間から見え隠れする年とも言えます。<br><br>とは言うものの<b>『震が動くと地が揺れ困難に遇する。』</b>との言葉のように、震により地が揺れ建ち残った家々もその影響を少なからず受けており、後々、困難に遇することも見て取れます。<br><br>このことからも、まだまだ地震の備えは物心共々忘れてはならない年となるでしょう。
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<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 23:00:22 +0900</pubDate>
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<title>平成２４年　年頭にあたり</title>
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<![CDATA[ 『震が動くと地が揺れ困難に遇する。』
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<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 22:51:23 +0900</pubDate>
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<title>１２月７日は月換わり</title>
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<![CDATA[ 久しぶりの投稿となりました。<br><br>Yahoo!ブログのシステムにより、悪戯な投稿やＳＰＡＭ投稿の内容を皆さんに見ていただくことも無くなりとても良くなりました。<br>（相変わらずＳＰＡＭ投稿は無くなりませんが...。）<br><br>この数ヶ月はＱ＆Ａにできるだけ応えてまいりました。<br>その中で、近々、私からのコメントの捉え方を幾つか『つぶやき』で掲載してみたいと思います。<br><br>じき今年も１２月（師走）となります。<br>慌ただしさの中にもＸ’ｍａｓ、年末年始と迎えることになりますが、皆の生活に特に災害（地震）など何も無きよう願うばかりです。<br><br>気学から気の流れ（移行）を見ていると、１２月７日から月の気が換わります。<br>今年の３月１１日の地震から早９ヶ月経過しましたが、また今年の三月と同じ七赤金星月を迎えます。<br><br>全く同じ気に包まれているわけではありませんが、大きな流れから見ていると、軽視できない気の流れを感じずにはいられません。<br>私の耳鳴りの波長もとても高く、また多くの仲間の色々な感受も高く感じているようです。<br><br>万が一の時のことを想定して、家族で連絡方法をはじめ、避難場所の確認、準備用品の確認をしておきたいものです。
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<pubDate>Tue, 29 Nov 2011 21:58:52 +0900</pubDate>
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<title>二面の狂が現れそう</title>
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<![CDATA[ ゴールデンウィーク以後、私の感受も息を潜め、力が埋もれたごとく静かに推移していたのですが、気というものの数ヶ月なんて本当に瞬きのごとく...。<br><br>穏やかな日々などそうそう続きはしない。<br><br>八月も二黒土星に気が入ると、私の気も何かにつけて勝手が悪い。<br><br>仕舞いには、私の二面の微笑面と狂怒面が、一人の心の中で人をも変えようと葛藤している。<br><br>このような気の流れ（状況）は宜しくない事と経験上分かっているものの、その狂怒に心が向かぬように...穏やかに穏やかに気の流れを感じ治めようとするのだけれど、私にもどうしようもできないこともある。<br><br>ただ蜘蛛の糸を切れば済むものでもない。<br><br>ただただ狂面にならぬよう心を穏やかにするだけである。<br><br>未だ何故にこの様な因果応報に出会うのか...。<br><br>やっぱり気（邪気？）が頼って寄ってくるのだろうか...。<br><br>邪気であっても真心で接し続ければ、今世であっても必ず変わらせれると思う我が驕りなのか。<br><br>それとも微笑面の優しさゆえの情なのか。<br><br>なかなか私が思い描く成果が得られず、これも私の力足らずなのでしょう。<br><br>...しかし、真心に触れると浄化される気（人）の者もいれば、どうしようもないくらいさもしい気（人）の者もいる。<br><br>さもしさの始まりは心の成り下がりからだと学んでいます。<br><br>せめて一人でも多く、私のバクナンバーからの『成り下がってはいけない』を読んで、変わっていただけたらと願います。<br><br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/ryu32/31418300.html" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/ryu32/31418300.html</a><br><br>言葉でなかなか表現できにくい残暑における『つぶやき』でした。
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<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 00:30:13 +0900</pubDate>
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<title>再び輪廻</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div><u>今迄に輪廻に関して度々つぶやいてきましたが、ふと不合理に思えてきたことがあります。</u></div><div><br></div><div>仏教には輪廻思想があります。</div><div><br></div><div>それは一般には、三劫成佛・歴劫（りゃっこう）成佛思想。</div><div><br></div><div>ある一つのいのちが生まれ変わり...生まれ変わりしながら、悪い行いをすると動物など下等なものに生まれ変わったり、良い行いを続けていくと聲聞、縁覚、菩薩になっていき、ついには仏になることを説いている。</div><div><br></div><div>しかし、ここでよくよく考えてみると、仏教では全てが移り変わることを説いている。<font class="Apple-style-span" color="#BF5F00">（諸行無常）</font></div><div><br></div><div>となれば、一個のいのちそのものも一個に止まらず、変化していくと考えた方が自然ではないでしょうか。</div><div><br></div><div>そこを考えると、もう一度 『輪廻』 というものも考えなおす必要があるのではないかとも思えたからです。</div><div><br></div><div><font class="Apple-style-span" color="#8000FF">［全ての現象は変化する。］</font></div><div><br></div><div>となると 『一個のいのちそのものも変化するはず・・・』 でしょ...。</div><div><br></div><div><u>歴劫成仏思想の輪廻では、仏に成るために生命は生まれ変わり、いろいろな形を変えて精進して仏になっていくことが説かれているけれど、そこには、一個のいのちそのものは変化せず、ありつづけるということが前提とされている。</u></div><div><font class="Apple-style-span" color="#C00000"><br></font></div><div><font class="Apple-style-span" color="#C00000">↑ これは真理から言えば逆にものすごく不合理なことであると思える。</font></div><div><br></div><div>この身体を構成しているエネルギーは、死後、宇宙のいのちへ帰る。</div><div>そしてまた宇宙のいのちからまた新たな別のいのちが生まれる。</div><div><br></div><div>しかし、そのエネルギーの一部は少し前までは、私を構成していたエネルギーの一部であり、私の一部は多くのいのちにそれぞれ確実に受け継がれていく。</div><div><b>テュクレ</b>として...。</div><div>この方が自然に受け入れ易い。</div><div><br></div><div><font class="Apple-style-span" color="#7F3F00">ーーーーー</font></div><div><br></div><div>我が家系は菩提寺が燃えるという災害にあっていないことから、その菩提寺に残る資料から先祖をたどると室町時代後期（１５００年代）にまでさかのぼれることができています。</div><div>おおよそ５００年前ということになります。</div><div><br></div><div>そこで、つまらないことを計算してみました。</div><div>それは 『我が先祖の理論上の延人数（人）』 です。</div><div>昔と現代では初産の年齢も違うでしょうが、例えば初産を２５歳として計算してみますと。</div><div><br></div><div>私の親は２人。（１世代）</div><div>その親の親は４人。（２世代）</div><div>その親の親の親は８人。（３世代）</div><div>その親の親の親の親は１６人。（４世代）</div><div>その親の親の親の親の親は３２人。（５世代）</div><div><br></div><div>およそ５００年前には２０世代前になり、我が先祖の理論上の延人数（人）は１０４万８５７６人になり、現在の名古屋市の人口の約半分の人の数になってしまいます。</div><div><br></div><div>バックナンバーでつぶやいています 『ダーウィンの進化論を背景に・・・』 云々を踏まえて思うと、なんと多くの人のテュクレを受けて今の私があるのか。</div><div><br></div><div>やれ宿命や運命、業、過去世がどうのこうのと言うよりも、このテュクレの数から考えられる引き継がれる暗の面の確立はどれほどのものなのか・・・。</div><div><br></div><div>人間は、元来宇宙の大生命の分身であり、永遠の生命の一部の衣である。</div><div>本質的なことは、人間みな本質が同じ仏<font class="Apple-style-span" color="#0000BF">（光）</font>であり、宇宙の大生命に生かされている一体の存在であるという根本道理にめざめることにある。</div><div><br></div><div><font class="Apple-style-span" color="#0000FF">そして大切なことは。</font></div><div><br></div><div><u>一つ目は、自分自身でこの世を生き抜き、創造すること。</u></div><div>それには自分自身を生み出し創っていくこと。</div><div><br></div><div><u>二つ目は、人との調和、人を活かすこと。</u></div><div><br></div><div>この二つがそろってこそ、本質的な救いであり、人の <font class="Apple-style-span" color="#7F3F00">『生活』</font> ではないでしょうか。</div><div><br></div><div>仏教、仏法は生活のための教えである。</div><div><br></div><div><font class="Apple-style-span" color="#8080FF">生活の（生）</font>は、自分の生命・能力を発揮、生み出すこと。</div><div>生きたいという願い。</div><div>自分の人生の価値をこの世に見い出すこと。</div><div><br></div><div><font class="Apple-style-span" color="#8080FF">生活の（活）</font>は、すべての生命を活かす、他を活用するという働き。</div><div>人生の救いを与えること。</div><div>他を活かすことにより、自分も活かされる。</div><div><br></div><div>その人の救いは、その人の中にある。</div><div>私も一端の使命をもって 『つぶやいて』 いるつもりですが、そのことに気づかせる<font class="Apple-style-span" color="#0000FF">［縁］</font>とならなければならないと新たに思う。</div><div><br></div>
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<pubDate>Wed, 18 May 2011 19:41:21 +0900</pubDate>
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<title>好からぬビジョン</title>
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<![CDATA[ <div><br></div>本月は<b><font class="Apple-style-span" color="#800000">五黄土星月</font></b>。<div><br></div><div>今年１年間を集約する３月に、東に回座した気の方位で発生した五黄土星が、大災害の流れをひき中宮に入っています。</div><div><br></div><div>新たな災害（事故）など無きよう願うばかり。</div><div><br></div><div>また本年の年頭に語った事柄があまりにもリアルに現れてきていることからも、大きな気の流れが生じていることに違いありません。</div><div><br></div><div>気をつけることに超したことはありませんが、辛抱することで乗り切れれば幸いです。</div><div><br></div><div>よろしくないのに昨晩は好ましくないビジョンも見ることに.....。</div><div><br></div><div>内容は夏期の<b><font class="Apple-style-span" color="#8000FF">台風がらみ</font></b>・・・かなり皆が慌ただしくしていました様でした。</div><div><br></div><div>大災害で一度にというのも耐え難いですが、断片的にも決して今年は注意は怠れないですね。</div><div><br></div><div>それぞれが、自分の住んでいる地域を今一度認識を新たにしたりして、もしもの場合後の家族単位での対処方法など準備を怠らないようにしてほしいものです。</div>
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<pubDate>Thu, 12 May 2011 22:02:28 +0900</pubDate>
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