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<title>正直書評</title>
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<description>正直な感想を述べます。巷の意見は取り入れません。</description>
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<title>雑記　ある有名作家について</title>
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<![CDATA[ <p>　ヨーロッパ（特にドイツ）では、その作家は「フェラはさせてもクンニはしない」女性軽視的な作家として知られているらしい。うん。たしかに私もそう思っていた。主人公の男は、いつだって自分の快楽にしか注目していない。サーヴィスが悪いのだ。この不潔なアンバランス加減を徹底的に指摘されて、新しく発表した長編（明らかに短編連作だが）には、なんと<b style="font-weight:bold;">アリクイ</b>が登場するのだ。露骨！</p><p>「やれやれ、僕は長い舌で彼女に奉仕した」ですか？</p><p>　くぅ～、きっしょーい！</p><p>　いやなら書かなくて良い。作家には「書かない自由」というものがあるんだから。評論家気取りの連中が、他人様の性行為の好き嫌いに口を出すのも悪いが、それに意地悪い方法で反発するのもなんというか幼稚なんだよ。アリクイって……。</p><p>　その他の内容も、女性がもつ母親に対してのコンプレックス。特に「私をみて」という感情がうまく表現できていなかったように思う。要するに、あまり良い作品ではなかったのだ。無駄に良い紙と製本で世に出したにしては、あまりにお粗末だと思う。ある書評家は「変なのに面白い」と言っていたが、その「変」具合が「HENTAI的」なのがすごく鼻につくんだよ。あの東京ハイソ文系私立大学的ノリというのか、もうきついんだ。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/fm8fC70PwjU" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>　</p>
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<pubDate>Sun, 06 Sep 2026 19:04:21 +0900</pubDate>
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<title>書評「潮騒」三島由紀夫</title>
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<![CDATA[ <p>読書日：平成十三年夏頃</p><p>再読日：（直近）令和八年八月四日から五日</p><p>点数：90/100</p><p>&nbsp;</p><p>　まぁなんと、こざっぱりした青春・恋愛・情緒の小説なんでしょう、と読むたびに思う。風景が映像的で、読んでいて故郷の角田浜の潮風を思い出す。この小説をなろう系の主人公とヒロインの出逢いとして柱に据えたら、それだけで傑作扱いされそうだ。そんな良い古典としての要素が揃っている。特に好きなのが海女らと行商人のシーンだ。都会育ちのお嬢さんが、主人公とおなじように島の海女に「能力」で認められるシーンがある。これはやはり作者のすぐれたところだ。どうしても男の作家は作中の女の成長を書けない・書かない傾向がある。しかし、さすが三島由紀夫であった。しっかりヒロインも成長している。故に、この部分を「エンタメ的だ」と蔑むものもあるが、それはあんたが書けないだけだろう。見慣れていないだけだろう、と思う。読書が足りないのだ。うん、男の肉体美についてちょっと筆がしつこいのは、まぁ、趣味だろうか。悪くはないが。ともかく傑作！</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/RkGhOhUYBIY" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/amebazonka/entry-12977797873.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 07:37:54 +0900</pubDate>
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<title>書評「向日葵の咲かない夏」道尾秀介</title>
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<![CDATA[ <p>読書日：令和二年五月頃</p><p>再読日：令和八年九月四日から五日</p><p>点数：70/100</p><p>&nbsp;</p><p>　はな、感じたのは「普通でないミステリィ作家が書く、ごく限られたミステリィ・マニア向けの叙述」という皮を被ったことによって出版することができ、且つ、販売実績を伸ばすことの出来た「幻想文学」として秀作であったということ。叙述のトリックについては秘しておくが、ミステリィ読み慣れた読者であれば「騙されてやるか」というレベルの詐術だ。はっきり、そこが秀でているとは言えない。読者に「ミカ」の年齡と口調の不一致だけを乗り越えさせたなら、きっと良い読書体験を与えるだろう確信がある。だが、やはり熟達した読者の殆どはここで大きな違和感を悟り、その後の展開の予想をしてしまい、序盤の学校での児童らのささやき声によってそれが確証に至ってしまうだろう弱点も合る。よって、私は幻想文学として楽しむことにした。項が五〇を数えない内に、オチまで正確に読めてしまったからだ。しかし、特に秀でているのはその話の進め方、書き方、そして魅せ方であって、文章芸術における重要な部分を掴んでいるからこそ、この作者はプロ作家足り得るのだろう、とは思った。要するに面白かったのである。だからこそ襤褸の文庫本を書庫から引っ張り出し、再読したのであるが。</p><p>　ここでひとつ明言しておきたいのは「ほんタメ」のＭＣ・たくみ氏の悪影響である。彼の好みがミステリィに偏り過ぎていた結果、この本が紹介されすぎたきらいがあるのだ。この本は数百冊のミステリィを読破して、なお足りないと思ったものだけがミステリィとして読むべきであって、上記の通りこの本の上等な読み方は「騙されてやるか」という鷹揚な気持ちをもつか、はな、幻想文学として受け入れるかの二択になるのである。決して、上質な、そしてストレートなミステリィではないのだから、さも「これが傑作ミステリィ小説！」と紹介するのは無理がある。レーベルが新潮文庫なのがその証左だろう。ミステリィ・マニアならこのレーベルである時点で察する事ができるが、一般の気の毒な読者はそうではない。こういったストライクゾーンのぶれているＭＣに書評家じみた仕事をさせるのは、たいへん無理がある。結句、無理なトリックを無理な紹介者が無理に拡散した、という無理無理尽くしなのだ。これでは誰も幸せにならない。やはりネットは本の敵でしかないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/qxmOhgeyksE" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/amebazonka/entry-12977796901.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Sep 2026 07:22:10 +0900</pubDate>
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