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<title>今日もいいニュース入ってるよ！！</title>
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<description>こんな時代だからこそいい話題を集めていこう！</description>
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<title>東日本大震災：社屋全壊でも新酒完成　気仙沼・男山本店</title>
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<![CDATA[ <p>ちょっと前にこの酒蔵（本社事務所？）に直接行って日本酒を買ったことがある<img width="16" height="16" alt="ひらめき電球" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif" complete="true"></p><p>もうなくなってしまったかと思ったら醸造所が無事だったのは幸いだった<img width="16" height="16" alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" complete="true"></p><p>ガシガシうまい日本酒を作って盛り上げてもらいたい<img width="16" height="16" alt="音譜" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" complete="true"><br>早くみんなで祝杯をあげられればいいなぁ<img width="16" height="16" alt="グッド！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif" complete="true"></p><p><br></p><p><a href="http://mainichi.jp/photo/news/20110330k0000e040020000c.html">http://mainichi.jp/photo/news/20110330k0000e040020000c.html</a> </p><br><p>　宮城県・気仙沼港近くに本社を構えていた酒造会社「男山本店」が、東日本大震災から停止していた新酒の仕込みを再開し、初めての日本酒が完成した。社屋が全壊し、電気や水道も通じないまま再開にこぎつけた。避難所生活を送る社員もいる中、震災後に完成した日本酒に、同社は「気仙沼の復興のきっかけになってほしい」と期待を込めている。</p><p>　同社は大正元（１９１２）年創業。県産米を使った「伏見男山」などの日本酒で知られている。</p><p>　沿岸部にある本社事務所は津波で全壊。濁流は高台にある醸造所にも迫ったが、数メートル手前で止まり、昨秋から仕込みを続けてきた、「もろみ」のタンクも無事だった。</p><p>　しかし、自宅が全壊したり家族が犠牲になった社員も多い。社長の菅原昭彦さん（４９）は今春の再開をあきらめかけた。しかし、多くの被災者から「地場産業で気仙沼を元気にしてほしい」という声が寄せられ、２２日に仕込みを再開した。</p><p>　電気や水道、ガスも不通のままだが、井戸水でタンクを冷やし、発電機で機械を動かしてもろみを搾った。１升瓶３２０本分の新酒が完成し、２８日にようやく瓶詰めを終えた。</p><p>　残った酒かすで甘酒を作り、避難所でふるまって、古里の味で体を温めてもらおうとも考えている。菅原さんは「自分たちの仕事をすることが復興につながる」と話す。ただ、震災後に完成した酒はしばらく保管するつもりだ。「いつになるか分からない。街が元気になった時、みんなで祝杯を上げたい」【茶谷亮】</p>
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<pubDate>Wed, 30 Mar 2011 12:32:52 +0900</pubDate>
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<title>東北新幹線「安全神話」は健在　想定超えた地震でも脱線防ぐ</title>
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<![CDATA[ <p>さすがただでは転ばない日本の魂<img width="16" height="16" alt="グッド！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif" complete="true"></p><p><br><br><a href="http://www.sankeibiz.jp/business/news/110322/bsd1103220500001-n1.htm">http://www.sankeibiz.jp/business/news/110322/bsd1103220500001-n1.htm</a></p><br><p>東日本大震災では鉄道、港湾、道路など主要な交通インフラに大きな被害が発生し、現在も復旧作業が続いている。ＪＲ東日本は、大きな余震がなければ東北新幹線の盛岡－新青森間の運転を２３日から再開する見込みだが、全線再開の見通しは立っていない。設計上の想定を超える今回の大地震と巨大津波の発生で、あらゆるインフラ技術が根幹からの見直しを迫られるのは必至だ。ただ政府がインフラ輸出を成長戦略に掲げる中、高速走行中の列車が脱線しなかった新幹線はかろうじて「安全神話」の面目を保った。<br><br><a href="http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/fsi/articles/bus_all/SIG=12al2kj66/*http%3A//www.sankeibiz.jp/business/photos/110322/bsd1103220500001-p1.htm">[写真で見る]東北新幹線仙台駅で確認された地震でゆがんだ線路</a><br><br>　◆前触れ検知→停止<br><br>　那須塩原－新青森間で運転見合わせが続く東北新幹線は、昨年１２月に新青森まで開業、３月５日には最新鋭のＥ５系車両「はやぶさ」の運転が始まったばかりだった。<br><br>　東日本大震災が発生した１１日午後２時４６分。「はやて」など走行中の東北新幹線各車両は、地震の“前触れ”となる初期微動を検知して、本格的な揺れが始まる前に停止動作に入っていた。現状の最高速２７５キロで走行している場合、「停止には４キロメートルの制動距離が必要」（ＪＲ東関係者）で、この間に脱線すれば大きな被害につながる可能性があった。<br><br>　実際、２００４年に発生した新潟中越地震では、上越新幹線の「とき３２５」８両が脱線。乗客、乗員にけがなどはなかったが、過去に乗客の死亡につながる重大事故を一度も起こしていない新幹線の「安全神話」に大きな疑問が投げかけられた。<br><br>　しかし今回の東北新幹線の場合、車両は無事に停止し、地震発生から８時間以上が経過した午後１１時頃に、乗客を乗せた１１本すべてで脱線が生じていないことが確認された。その後の調査で、試運転中の無人車両１本が、仙台駅構内で脱線していたことが判明したものの、高速走行中の脱線という最悪の事故は回避された。<br><br>　◆苦い教訓生かした<br><br>　ＪＲ東によると、中越地震以降、技術チームは地震の初期微動検知から停車動作に入るまでのわずかなタイムラグの短縮に取り組んできたという。その結果、動作を１秒短縮できる新システムを開発し、０９年までに東北新幹線の車両すべてに、このシステムを導入していた。<br><br>　同社は「なぜ脱線が防げたのかは、時間をかけた調査・分析が必要。直下型だった中越地震とは揺れの質が違う可能性もある」（関係者）としているが、中越地震を教訓とした新システムは脱線の回避に少なからず貢献したとみられる。<br><br>　温暖化対策や新興国のインフラ整備で、国際的に高速鉄道の導入計画が相次ぐ中、「最大級の震災を受けても脱線しなかった点は、新幹線の評価につながる可能性もある」（シンクタンクの研究員）という。<br><br>　一方で、東日本大震災は新幹線の安全運行を支える地上設備にも大きな爪痕を残した。<br><br>　地震の被害は、線路や高架橋など地上設備だけで約１１００カ所。ＪＲ東によると、車両や信号に電気を送る架線の断線が４７０カ所、電柱の損傷も４７０カ所に上る。レールがゆがむなど線路の損傷も約２０カ所に及び、全線再開のめどが立たない状況には、地震に対する鉄道インフラの脆弱（ぜいじやく）性を指摘する声も上がっている。<br><br>　ＪＲ東は、川崎重工業などと米カリフォルニア州の高速鉄道計画への参加に意欲を示しているが、今後の新幹線輸出に向けては、運行を支える各種設備の耐震性や、早期復旧の危機管理といった総合的な安全対策ノウハウの信頼性も問われそうだ。（高山豊司）<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ameblo1982/entry-10844360910.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Mar 2011 23:33:42 +0900</pubDate>
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<title>ドイツ対カザフスタンのスタンドに日の丸「私たちは日本の皆さまと共にいます」</title>
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<![CDATA[ <p>海外の日本に関わりのないサッカーの試合でこういうことをしてくれていることに素直に感動した<img width="16" height="16" alt="アップ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif" complete="true"></p><p>日本も負けてられない<img width="16" height="16" alt="グー" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/104.gif" complete="true"></p><br><br><p><a href="http://www.soccer-king.jp/news/germany/article/201103271135_garmany_kasachstan.html">http://www.soccer-king.jp/news/germany/article/201103271135_garmany_kasachstan.html</a></p><br><p>26日に行われたユーロ2012予選のドイツ対カザフスタン戦で、スタンドに大きな日の丸が掲げられ、東北地方太平洋沖地震の被災地へ向けてメッセージが送られた。<br><br>　この日の試合が行われた場所は、ドイツのカイザースラウテルンにあるフリッツ・ワルター・シュタディオン。5年前に行われたドイツ・ワールドカップで日本がオーストラリアとの初戦（●1－3）を戦った、非常に縁のある場所である。<br><br>　キックオフ前、バックスタンドには大きな日の丸と、「私たちは日本の皆さまと共にいます」と日本語で書かれたボードが掲げられ、黙祷が捧げられた。<br><br>　内田篤人やチョン・テセなど、Jリーグ出身の選手が多く在籍するドイツでは、ブンデスリーガ第27節の1部、2部の全18試合で東北地方太平洋沖地震の被災者に向けてキックオフ前に黙祷を捧げ、全選手が喪章を付けて試合を行うなど、メッセージを送り続けている。<br><br></p>
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<pubDate>Sun, 27 Mar 2011 23:26:19 +0900</pubDate>
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<title>「１・１７」生まれ、１５歳の心意気　「町は僕らが立て直す」</title>
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<![CDATA[ <p>被災地はもうすでに立ち上がっている<img width="16" height="16" alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" complete="true"></p><br><br><p><a href="http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110327/dst11032722390075-n1.htm">http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110327/dst11032722390075-n1.htm</a></p><br><p>氷のように冷たい水に何時間もつかりながら、津波に襲われた車からお年寄りを次々と救い出した少年がいる。東日本大震災で死者が２千人を超えた宮城県石巻市。助けを求める声を聞き、われを忘れて救助し続けた。少年は自宅を流され幼なじみも亡くし、温かい町が変わり果ててしまったことに落胆しながらも、阪神大震災のちょうど１年後の「１・１７」に生まれたことに今、宿命を感じている。「若い僕たちが立ち上がらないと。町の復興も僕らがやります」。（藤原由梨、写真も）<br><br>　石巻市の中学を卒業し、地元の水産高校に進学する菊地透也君（１５）。自宅近くで買い物を済ませ、母の由理さん（４３）が運転する車中に居ながら、激しい揺れがすぐに分かった。気付けば津波はすでに間近まで来ており、あわてて２人でやや高台にあるＪＲ渡波駅に駆け込んだ。「振り向いたら車がおもちゃのように流されていて信じられなかった」<br><br>　駅は海岸から約２キロ離れていたが、こぢんまりとした駅舎を取り囲むように濁流が押し寄せ、何人もが目の前を流されていった。駅舎にはすし詰めになるほどに大勢が逃げ込んだが、「助けて」という悲鳴にも誰も動けなかった。何もできないふがいなさと怒りがこみ上げてきた。<br><br>　水の流れが落ち着いたころ、駅前のロータリーに流れ着いた車数台に人影を見つけた。車の上にさらに車が積み重なり、危険な状態だった。<br><br>　身長１７０センチ、体重５０キロのきゃしゃな体。由理さんに「大人に任せなさい」と制止されたが、覚悟は決まっていた。「自分がやらなかったら、死んでしまう」。ジャンパーにスエットという軽装のまま、胸まで水につかりながら車のドアをこじ開けた。<br><br>　日が暮れてからは、誰かの持っていた懐中電灯の明かりだけが頼りだった。「車体が壊れてなかなかドアが開かない車もあったが、なぜかそのときは強い力が出た」。駅舎にいた人たちも手助けしてくれるようになった。高齢者を６～７人助け終えたとき、寒さで震えている自分にやっと気付いた。<br><br>　水が引いた翌日、避難所になっていた近くの小学校で、家族全員と再会できた。海に近かった自宅は土台しか残っておらず、周辺は半数以上の家屋が被害にあった。２軒隣に住んでいて「何でも話し合えた」という幼なじみの同級生の女の子は、自宅から１キロ以上離れた場所で遺体で見つかった。「あいさつをすれば言葉が返ってくる温かい町が、震災を境に寂しくて悲惨な場所になってしまった」<br><br>　震災から１週間後、「お礼を言いたい」という高齢者のメッセージを携えて市職員が避難所に訪ねてきた。「そんなつもりで助けたのではない」と直接会うことは断ったが、助けた人が自分を覚えていてくれたことがうれしかった。そして、阪神大震災からちょうど１年後の平成８年１月１７日に生まれたことを今になって意識するようになった。<br><br>　「阪神大震災もみんなが力を合わせて復興したんですよね。この町も僕ら若者が立て直します」。避難所で炊き出しなどに走り回るボランティアをみて、将来は困っている人を助けられる人間になりたいと心から思っている。<br><br></p>
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<pubDate>Sun, 27 Mar 2011 23:23:42 +0900</pubDate>
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<title>東日本大震災：東北の銘菓「かもめの玉子」復興の先陣に</title>
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<![CDATA[ <p>おれも大好き<img width="16" height="16" alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" complete="true"></p><p>故郷の先鋒隊としてとしてがんばってもらいたい<img width="16" height="16" alt="べーっだ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/188.gif" complete="true"><img width="16" height="16" alt="グッド！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif" complete="true"></p><br><br><p><a href="http://mainichi.jp/photo/news/20110325k0000e040090000c.html">http://mainichi.jp/photo/news/20110325k0000e040090000c.html</a> </p><br><p>東北を代表する土産菓子として１日２５万個の売り上げを誇った「かもめの玉子」。製造元、岩手県大船渡市のさいとう製菓は、東日本大震災の津波で被害を受け、製造中止に陥った。そんな時、社長の斉藤俊明さん（６９）を励ましたのが、工場に残った銘菓を受け取った被災者が見せた笑顔だった。「人を元気にするのが、お菓子だ」。復興の先陣を切ろうと動き出す。</p><p>　「かもめの玉子」は魚以外にこれといった特産品がなかった街で名物を作ろうと、斉藤さんが中心になって考案し、１９５２年に発売を開始。６０年代前半にホワイトチョコレートでまんじゅうを包んだ現在の形になった。名前はもちろん、５００メートルほどの距離にある港を飛び交う鳥の名から。しかし、その海から津波はＪＲ大船渡駅近くの商店街にある本社兼総本店まで押し寄せた。２階建てビルは鉄筋コンクリートの外壁だけが残った。</p><p>　津波で同県と宮城県沿岸の直営５店舗はいずれも営業できないほど大きな被害を受けた。大船渡市赤崎町の工場は津波の直撃こそ免れたものの、壁には深いひびが入った。自宅も半壊。今は妻の和子さん（６７）と共に親類や知人宅を転々とする。２４日までに関連会社を含めた従業員２５０人全員の無事を確認し、原材料と電気の供給さえあれば、工場を再開できるところまで準備を整えた。</p><p>　震災直後、工場に残っていた「かもめの玉子」を、大船渡市と隣接する岩手県陸前高田市の避難所で配った。「久しぶりに甘いものを食べた」「ありがとう」。喜んで頬張る人の笑顔がうれしかった。被災前は近く引退しようと思っていたが「そうもいかない」と闘志がみなぎった。「斉藤さんが動き出したから、自分たちも頑張ろうと思ってもらえたらうれしい」【宮崎隆】</p>
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<pubDate>Fri, 25 Mar 2011 23:20:37 +0900</pubDate>
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<title>千鳥ケ淵緑道の「荘川桜二世」が開花－ソメイヨシノもつぼみふくらむ</title>
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<![CDATA[ <p>もうすぐ春だなぁ<img height="16" alt="桜" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/095.gif" width="16"></p><p>震災復興の春も早く来るといいなぁ<img height="16" alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16"></p><br><br><div><a href="http://ichigaya.keizai.biz/headline/1078/" target="_blank" rel="nofollow"><font color="#003399">http://ichigaya.keizai.biz/headline/1078/</font></a></div><div><br></div><div>桜の名所として知られる千鳥ケ淵緑道に岐阜県高山市から移植された「荘川桜（しょうかわざくら）二世」が、間もなく見頃を迎える。<br><br>　昨年12月に千鳥ケ淵緑道の内堀通り側入り口付近にシンボル的に植樹された「荘川桜二世」は、岐阜県指定天然記念物である高山市荘川町の「荘川桜」（アヅマヒガンザクラ）の種から育てた苗木を移植した二世桜。荘川桜は、1960（昭和35）年に御母衣ダム建設によって湖底に沈む集落内から、ダム建設を進めていた電源開発の初代総裁高碕達之助氏らによって移植され、奇跡的に蘇生。桜を愛する多くの人たちの熱意と愛情により、今も大切に守り続けられている。<br><br>　2週間ほど前から咲き始めたという「荘川桜二世」。現在、たくさんの薄いピンク色の花をつけ、通行人らの目を楽しませている。<br><br>　東日本大震災の影響から、千鳥ケ淵緑道周辺で行われ毎年100万人が訪れる「千代田のさくら祭り」の中止が決まったが、千鳥ケ淵緑道のソメイヨシノも開花の時期を待つ枝いっぱいのつぼみを付けている。千代田区政策経営部広報広聴課長の須田正夫さんは「こういう時ではあるが、（被災地の方にも）東京で桜が咲いたというニュースを聞いて少しでも心を安らげてもらえれば」と話す。<br></div><div style="CLEAR: both; WIDTH: 0px; LINE-HEIGHT: 0; HEIGHT: 5px"> </div><!-- toctype = X-unknown --><!-- toctype = text --><!-- text --><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/ameblo1982/entry-10840815496.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Mar 2011 12:55:39 +0900</pubDate>
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<title>被災地の田んぼでイルカ救助、海に放され元気取り戻す</title>
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<![CDATA[ <p>不安なニュースばかりだけどこういう話があると気が休まる<img width="16" height="16" alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" complete="true"></p><br><br><p><a href="http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-20209220110323">http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-20209220110323</a></p><br><p>［東京　２３日　ロイター］　<a title="特集 東日本大震災" class="rellink" href="http://jp.reuters.com/news/globalcoverage/japanquake">東日本大震災</a>で津波被害を受けた仙台市で２２日、同市内の田んぼから体長１．２メートルの小型イルカが１頭救出された。ペット関連会社を経営する平了さん（３２）によると、このイルカは海岸から２キロほど陸側に入った田園地帯で見つかった。<span id="midArticle_byline"><br></span><span id="midArticle_0"><br></span></p><p>　震災後、動物保護活動を行っていた平さんは、田んぼの近くを通った男性からイルカを見つけたとの連絡を受け、「現場」に急行した。田んぼにたまった海水でもがくイルカを発見すると、ネットを使って救出を試みるも失敗。その後何とか田んぼ内を歩いて進み、救出に成功した。</p><span id="midArticle_1"><br></span><p>　イルカは平さんと友人らによって、濡れたタオルで覆われ海に戻された。発見当時は弱っていたが、太平洋に放された際には元気を取り戻した様子だったという。</p>
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<pubDate>Wed, 23 Mar 2011 23:54:38 +0900</pubDate>
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<title>東日本大震災：被災の中学生が活躍…肉親不明でも奮起</title>
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<![CDATA[ <div class="NewsTitle">いい話だと思うけど悲しい話だな<img width="16" height="16" alt="しょぼん" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif" complete="true"></div><div class="NewsTitle">みんな生きてて欲しいよ<img width="16" height="16" alt="汗" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif" complete="true"></div><div class="NewsTitle"><br></div><div class="NewsTitle"><br></div><div class="NewsTitle"><div class="NewsTitle"><a href="http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110317k0000e040027000c.html" target="_blank" rel="nofollow"><font color="#003399">http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110317k0000e040027000c.html</font></a> </div></div><div class="NewsTitle"><br></div><div class="NewsTitle">東日本大震災で７割以上の世帯が津波に流された岩手県陸前高田市。約１２５０人が避難生活を続ける市立第一中学（生徒数２９７人）では、自らも被災者として身を寄せる同校の生徒たちが、率先して救援物資の運搬やお年寄りの手助けを始めている。中には家族の安否すら分からない生徒もいるが「街を立て直すために、できることから始めよう」と立ち上がった。門間健一副校長は「互いに助け合い、人の痛みの分かる大人に成長してほしい」と希望を託している。【稲垣衆史、石山絵歩、内橋寿明】<p>　「手が空いている人は手伝ってください」</p><p>　地震発生から６日目の１６日。救援物資を積んだトラックがグラウンドに到着し校内放送が流れると、制服やジャージー姿の生徒たちが駆けつけ、大人と一緒に衣装ケースを運び始めた。</p><p>　白い息を吐きながら布団と毛布を両手いっぱいに抱えた中学３年の伊藤光君（１５）。力自慢で「重いものは任せて」とお年寄りの荷物運びも手伝っている。高校生の兄は無事だったが、自宅は流され、両親と今も連絡が取れていない。</p><p>　両親のことばかり考えてふさぎ込んでいたが、避難所で助け合う被災者たちを見て「若くて元気な僕たちこそ力を出して協力したい」と思うようになった。</p><p>　生徒たちは地震当時、市中心部の高台にある同校で１５日に行われるはずだった卒業式の予行演習をしていた。</p><p>　「自分から行動するタイプではなかった」と言う菅野翔吾君（１４）は肩を寄せ合う被災者たちを見て、率先して玄関の掃き掃除をしている。安否が分からない同居の祖父のことを考えると胸は張り裂けそうになるが「みんなが嫌がるトイレ掃除もやります」。佐々木香澄さん（１５）は「学校にいて助かった私たちが頑張らないと」と小柄な体で布団を運び込む。吉田円香さん（１５）は被害を免れた自宅から自分の服を持ち出し、避難者に配った。</p><p>　「お世話になった地元の人のためにできることは何でもやりたい」</p></div>
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<pubDate>Wed, 23 Mar 2011 23:35:00 +0900</pubDate>
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<title>被災した宮城県女川町の中国人「地元の人のおかげで助かった」</title>
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<![CDATA[ <div>中国人を助けた専務が無事だといいな。。。</div><div><br></div><div><br></div><div><div><a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&amp;d=0316&amp;f=national_0316_234.shtml" target="_blank" rel="nofollow"><font color="#003399">http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&amp;d=0316&amp;f=national_0316_234.shtml</font></a> </div></div><div><br></div><div>中国新聞社など中国メディアは16日、東日本大震災で被災した宮城県女川町に滞在中の中国人研修生約100人が、地元の人たちのおかげで助かったと報じた。<!-- notags5 --><p><a href="http://image.searchina.ne.jp/view.cgi?d=0203449&amp;p=pop&amp;l=pop">■「東日本大震災（2011年3月）」に関する写真を見る</a><!-- notage5 --></p><p>　　「地元の人たちの助けがなかったら、私たちはもうここにはいなかった」――宮城県女川町で、中国の遼寧省大連市から来た研修生、衣亜男さんたちは涙を浮かべてこう話した。</p><p>　　人口約1万人の女川町は、住民のおよそ半分が現在も行方不明。津波に襲われた町は廃墟に近い。だが100人近い中国人研修生はみな難を逃れた。地元の人たちの助けがあったからという。</p><p>　　女川町のうに販売の老舗である佐藤水産で研修中の中国人20人は11日、地震が発生したとき会社の宿舎近くに逃れた。しばらくして同社の佐藤充専務が「津波が来るぞ」と駆け寄り、研修生たちを高台の神社に連れていった。研修生によれば、避難させると、佐藤専務は家族を捜しにまた宿舎の方に戻っていったという。しかし「宿舎も専務も、あっという間に津波に呑み込まれてしまうのが見えた」と衣さんはすすり泣きながら話す。</p><p>　　専務の兄の佐藤仁社長も、津波で自宅を失ったにもかかわらず、その晩は研修生たちを泊まらせるため、山の手に住む友人の家を一時借りられるよう駆け回ってくれたという。研修生の管理にあたっている杜華さんは、「震災の2日目、私を見た社長の第一声は、『20人全員無事だな！』でした」と話す。</p><p>　　女川町の鮮魚小売業、岡清の中国人研修生も、社長と部長が地震発生後すぐに山中の温泉旅館に避難場所を見つけ、研修生5人を車で送ってくれたと話す。「そのとき、彼らは自分の子どもさえまだ見つかっていなかった」と大連市出身の曹晶さんは語った。</p><p>　　曹さんたちはその後、現地で一番大きな避難所に移った。避難所の中国人研修生らには1日に2－3食がきちんと支給されている。曹さんは「こんな非常時でも地元の人たちが分け隔てなく扱ってくれた感動は一生忘れない」と語った。（編集担当：阪本佳代）</p></div>
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<pubDate>Wed, 23 Mar 2011 23:31:23 +0900</pubDate>
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<title>牛丼炊き出し２０００食＝宮城・気仙沼</title>
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<![CDATA[ <div>心も体もあったまるその１杯<img width="16" height="16" alt="音譜" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" complete="true"></div><div><div><br></div><div><br></div><div><a href="http://www.jiji.com/jc/p_archives?rel=j7&amp;id=20110321212241-0624523" target="_blank" rel="nofollow"><font color="#003399">http://www.jiji.com/jc/p_archives?rel=j7&amp;id=20110321212241-0624523</font></a> </div><div><br></div></div><div><p>大手牛丼チェーン店が行った炊き出しで牛丼を振る舞う従業員。２０００食。現場責任者は「牛丼を食べて日常の感覚を取り戻し、復興への気持ちを持ってもらえたらうれしい」と話した＝２１日、気仙沼市の気仙沼中学校　【時事通信社】<br></p></div>
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<link>https://ameblo.jp/ameblo1982/entry-10839439136.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Mar 2011 23:19:52 +0900</pubDate>
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